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第6章:夏から秋、悠々自適
第20話:恩(無理やり)送り(つけ)
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レックスは欠損の治ったステイシーとレイラを見ながら口を開きました。
「なあ、レイ。一応確認したいんだが、さっきの薬は上級回復薬じゃなかったのか?」
上級薬は作れないと言ったのはポーズだったのではないかと思い、レックスは恐る恐る聞くことにしました。実は作れることを隠したかったのではないのかと。
「いや、成分的には中級なんだ。ただ、成分量は最初のが通常の一〇〇倍、次の錠剤が一〇〇〇倍になってるやつだ」
「一〇〇倍と一〇〇〇倍?」
「普通の中級薬の一〇〇倍と一〇〇〇倍の成分を入れた薬ってことだ」
作り方は下級薬と同じです。ただ単に少ない水ですり潰したのが二〇倍の濃縮タイプで、そこからさらに水分を飛ばしたのが一〇〇倍の超濃縮タイプです。さらに魔法を使って水分を減らしたのが超超濃縮タイプ。超超濃縮タイプは水分がほとんどなくなったので、さすがに錠剤にするしかありません。
「中級ポーション自体、俺は一度も見たことがないんだが、普通に買ったら値段はどれくらいになるんだ?」
普通の冒険者が気軽に使えるのは下級薬だけです。中級薬はよほどでない限り買う必要がありません。レックスの言葉を聞いてレイは素直に答えることにしました。
「なかなか売ってないけど、一本二万キールくらいだ」
「その一〇〇倍と一〇〇〇倍が二本ずつってことは……四四〇〇万キール?」
「「ィ——————ッ⁉」」
ステイシーとレイラの二人が顔を引きつらせて叫び声を上げました。アンナとリリーも目を見開いて口をパクパクさせています。
四四〇〇万キール。金貨四四〇枚。普通の家族が四〇〇年間以上、慎ましく暮らせる金額です。ところがレイは、金額はまったく気にしていません。そもそもパンダで金貨何千枚も稼いでいるからです。
「さっき言った値段は一般的な売値で計算しただけだぞ。俺たちの場合は自分で素材を集めてるから素材代がかからない。必要なのは手間賃だけなんだ。あとは魔法かな」
上級回復薬ならどんな欠損でも一発で治ると言われていますが、簡単に手に入るレベルのものではありません。ドラゴンの生き血や肝が必要だとも言われていますが、正確なところはレイにもわかりません。山のように金貨を積んでも買えないのが上級薬というものです。
薬でなければ魔法しかありませんが、そのレベルの魔法となると使える人は限られます。
「要するに、欲しがってる人には高い金を吹っかけてるってことだ。この町では下級薬が二〇〇キールだけど、二〇倍の成分を入れても五〇〇キールで十分な儲けが出る。つまりはそういうことだ」
レイが言っているのは薬剤師ギルドに卸している疲労回復用のポーションのことです。薬瓶は回収して洗浄することで値段を下げていますが、そもそもこの町は薬の材料が余っています。それを安価で譲ってもらい、手持ちと合わせて調合してからギルドに販売しています。
「そうすると……下級薬なら本来は二五キールで作れるってことか?」
「もちろんポーションなら薬瓶代は必要だし、錠剤にするとしても、凝固剤も手間も必要になる。それでも、買い値に比べると作る費用は相当少ないってことだ」
レックスたちに原価率と言っても理解してもらえないかもしれないのでレイは口にしませんでした。下級ポーションの原価率は一〇から一五パーセント程度で、中級ポーションなら五パーセントもありません。もちろん値段が下がれば喜ぶ冒険者は多いでしょうが、作る人が忙しいだけになってしまいます。安ければいいというわけでもありません。要はバランスの問題です。
レイが作っている濃縮タイプは普通の作り方ではありません。本来治せる何十倍何百倍もの成分を加えることで、回復力が暴走してしまい、体が強引に回復させられてしまいます。効き目が切れるまでは回復させられ続け、眠気も起きません。ところが、効き目が切れると一気に眠くなるという副作用があります。
「私たちはどのようにこの恩を返したらいいでしょうか?」
我に返ったステイシーが真剣な表情でレイに聞きました。彼女たちはダンジョンで一度は体のあちこちを失ってしまいました。冒険者どころか、普通に生活することも難しい状態だったのです。一〇代で寝たきりもありえました。
「恩なんて感じてくれなくてもいいんだけどな」
レイはそう言いましたが、ステイシーとレイラは納得しません。なかなか納得できる人は少ないでしょう。どう説明したらいいか、レイは頭をひねりました。
レイは手持ちの薬で二人を治しました。わざわざ高い金を払って薬を手に入れたわけではありません。調子に乗ってどこまで濃くできるかに挑戦してみた結果、たまたま完成した薬です。使うことはないかもしれませんが、どうしてもと頼み込まれれば譲ろうと考えていたものです。
ただし、譲るにせよ売るにせよ、その前にテストしなければいけませんが、欠損を治すレベルの薬が必要になる状況はレイたちにはありません。だからこそレイにとってもありがたい話でした。
ところが、ステイシーとレイラにしてみれば、絶望しかない人生から救い出してもらったわけです。恩返しをしなければ不義理にもほどがあると考えていますが、金貨四四〇枚分をどのようにして返せばいいのかわかりません。
「そうだなあ。俺たちだって冒険者のなりたてのころはアンナとリリーから教わったことがある。だから、他に困ってる人を見かけたら、その人の助けになってあげてほしい。俺としてはそれくらいでいい」
「そんなことでですか?」
「ああ、俺の知っている言葉に『恩送り』というものがある。世話になった人に直接恩返しするんじゃなくて、別の困っている人を助けることだ。そうやって順々に巡っていく。冒険者ならそっちのほうがいいんじゃないか?」
レイはそう言いますが、ステイシーとレイラはまだ納得しきれない顔をしています。その様子を見て、レイは話を変えることにしました。
「二人はレックスに命を助けられて恩を感じてるよな?」
「はい。あのときは動くこともできずに死ぬのを待つだけでしたので」
「魔物に体中をかじられ、絶望しかありませんでした」
手足を失い、魔物に食われて死ぬのを待つだけの時間がどれほどの苦痛だったか。いっそ早く殺してくれと思った瞬間もありました。そこから助け出してくれたレックスの存在がどれほど頼もしかったか。
「それなら、五人にこれを贈ろう」
レイは封筒を取り出してレックスに渡しました。
「手紙?」
「ああ。恩送りの一部だと思ってくれ」
受け取ったレックスは表と裏をしげしげと眺めました。
「この町はちょっと狭いから、男爵閣下が町を広げる工事をしているのは聞いたはずだ。それで、もしこの町で家を探すなら、同郷の信頼できる冒険者が定住する場所を探してると——」
「「「定住すると言ってください」」」
「おいおい」
前のめりになった四人に、レックスはどういう顔をしていいのかわからなくなりました。そのレックスに、シーヴが声をかけます。
「レックスさん、話は自分たちだけではありませんよ。自分たちの子供が将来どのような人生を送るか。そこまで考えて、どこかの段階で将来を決める必要があります」
冒険者の人生はスポーツ選手に近いでしょう。一〇代から活動を始め、二〇代で脂が乗って、最高のパフォーマンスが出せるでしょう。三〇代に入ると力が落ち始め、怪我もしやすくなってきます。引退を決断するタイミングを探すのはそのころです。
人間なら四〇代まで冒険者として活動できるのはほんの一部だけです。ましてや五〇代や六〇代では。しかも、セーフティーネットがまったくない世界なので、それまでに十分貯めておかなければ人生が詰みます。レイもレックスも、一〇年先や二〇年先のことを考えておかなければなりません。レイたちは楽に稼いでいるようですが、剣と魔法のファンタジーの世界は、思った以上に現実的です。ただし、普通の人はなかなかそれに気づくことができません。
横でシーヴが説明するのを聞いていたレイは、自分たちがこの家を手に入れたときのことを思い出しながら言葉をひねり出しました。
「レックス、今はいいけど、ずっと冒険者を続けるのは難しい。誰だってどこかで腰を落ち着けて暮らす必要があるだろ?」
「そりゃな。だがちょっと早くないか?」
レックスは周りを見ますが、彼を取り囲んでいた四人は首を振りました。
「……そうなのか?」
「冒険者は続けたいけど、それよりも安定よね」
「ええ。ある程度貯めたら家を買う。そこから第二の人生でしょう」
「助けてもらっておこがましいですが、何人も養えてこそ立派な男性だと思います」
「私も同じ。甲斐性は大切です」
「な?」
冒険者になって人助けをしよう、成り上がろう、などと考える人もいますが、大半は他にすることがなくて冒険者登録をします。だから、冒険者になることが目的ではなく、金を稼ぐ手段だという人がほとんどです。
「レックスは、たしか西のほうにあるランベル村の出身だったよな?」
「ああ。跡取りじゃないから村を出て……って、ああ、そうか」
跡取りという言葉を口にした瞬間、レックスにはレイが言おうとしたことが理解できた気がしました。跡取り以外は自分で頑張って家を持たなければいけないことを。
「そう。俺もそうだけど、跡取りじゃなければ家を出るしかない。客死したくなければ、いずれどこかで腰を落ち着けなければならない。冒険者はその場所を探すためにあちこち旅をしていると思うようになった」
レイは最初は王都に行くつもりでしたが、偶然にもクラストンでこの家を手に入れました。宿命論を信じているわけではありませんが、人生はなるようにしかならないと考えています。
「偶然ここで家を持ったけど、これが俺の人生じゃないかと考えるようになった。だから、今はこの家を売ることはないし、少なくとも当分の間はクラストンを出ないだろうと思う」
先ほどから真面目な話をしていたレイですが、ここで表情を変えました。
「それに……家さえあれば、子供ができてもダンジョンには潜れるよな?」
「そりゃな」
「これが役人なら、六〇でも七〇でも第一線で仕事ができるでしょう。でも、冒険者では限度があります。現実味がないと思うかもしれませんけど、レックスさんよりも何年も先に冒険者になって、そして一度は引退した者のアドバイスです。引退後の人生も考えておかなければ、奥さんたちに苦労させることになりますよ」
「奥さんたち……か」
レックスは四人を見ます。レックスはアンナとリリー、そしてステイシーとレイラの顔を見てから、封筒を懐に入れました。
◆◆◆
それからしばらく時間が経ち、とある領地のとある屋敷にて。
「レックス様、陳情が届いております」
「陳情か。どれどれ……」
クラストンの拡張によって家を手に入れた『天使の微笑み』の五人は、しばらくその家を拠点にして冒険者活動を続けました。それからしばらくすると、レックスは新しくできた町の代官として勧誘され、騎士号を与えられて準貴族になりました。
「だいぶ代官が板に付いてきたわね」
「そうか? まだまだだがな」
アンナの言葉にレックスは冷静に返事をします。ある程度の読み書きと計算ができた彼ですが、まさか代官などという大役を任されるとは思っていませんでした。
レックスに代官を任せた領主も、彼が完璧にその仕事をこなせるとは考えていませんでした。いきなり大都市の代官を任せるのは無理でしょうが、作りかけの小さな町なら、その誠実な性格で盛り立てていけるだろうと思ったのです。
「冒険者稼業から足を洗ってしまうと物足りなさを感じる反面、いかに住民や冒険者が過ごしやすい町にするか、そこが面白く感じられるようになったな」
「たまにはダンジョンに入ってもいいのではないですか? あそこは安全ですよ」
「ダンジョンか、それとも少し足を伸ばして、久しぶりにパンダを狩るか」
レックスは、かつてシーヴから聞いた「引退後の人生」に充実感を得る毎日を送っていました。
「なあ、レイ。一応確認したいんだが、さっきの薬は上級回復薬じゃなかったのか?」
上級薬は作れないと言ったのはポーズだったのではないかと思い、レックスは恐る恐る聞くことにしました。実は作れることを隠したかったのではないのかと。
「いや、成分的には中級なんだ。ただ、成分量は最初のが通常の一〇〇倍、次の錠剤が一〇〇〇倍になってるやつだ」
「一〇〇倍と一〇〇〇倍?」
「普通の中級薬の一〇〇倍と一〇〇〇倍の成分を入れた薬ってことだ」
作り方は下級薬と同じです。ただ単に少ない水ですり潰したのが二〇倍の濃縮タイプで、そこからさらに水分を飛ばしたのが一〇〇倍の超濃縮タイプです。さらに魔法を使って水分を減らしたのが超超濃縮タイプ。超超濃縮タイプは水分がほとんどなくなったので、さすがに錠剤にするしかありません。
「中級ポーション自体、俺は一度も見たことがないんだが、普通に買ったら値段はどれくらいになるんだ?」
普通の冒険者が気軽に使えるのは下級薬だけです。中級薬はよほどでない限り買う必要がありません。レックスの言葉を聞いてレイは素直に答えることにしました。
「なかなか売ってないけど、一本二万キールくらいだ」
「その一〇〇倍と一〇〇〇倍が二本ずつってことは……四四〇〇万キール?」
「「ィ——————ッ⁉」」
ステイシーとレイラの二人が顔を引きつらせて叫び声を上げました。アンナとリリーも目を見開いて口をパクパクさせています。
四四〇〇万キール。金貨四四〇枚。普通の家族が四〇〇年間以上、慎ましく暮らせる金額です。ところがレイは、金額はまったく気にしていません。そもそもパンダで金貨何千枚も稼いでいるからです。
「さっき言った値段は一般的な売値で計算しただけだぞ。俺たちの場合は自分で素材を集めてるから素材代がかからない。必要なのは手間賃だけなんだ。あとは魔法かな」
上級回復薬ならどんな欠損でも一発で治ると言われていますが、簡単に手に入るレベルのものではありません。ドラゴンの生き血や肝が必要だとも言われていますが、正確なところはレイにもわかりません。山のように金貨を積んでも買えないのが上級薬というものです。
薬でなければ魔法しかありませんが、そのレベルの魔法となると使える人は限られます。
「要するに、欲しがってる人には高い金を吹っかけてるってことだ。この町では下級薬が二〇〇キールだけど、二〇倍の成分を入れても五〇〇キールで十分な儲けが出る。つまりはそういうことだ」
レイが言っているのは薬剤師ギルドに卸している疲労回復用のポーションのことです。薬瓶は回収して洗浄することで値段を下げていますが、そもそもこの町は薬の材料が余っています。それを安価で譲ってもらい、手持ちと合わせて調合してからギルドに販売しています。
「そうすると……下級薬なら本来は二五キールで作れるってことか?」
「もちろんポーションなら薬瓶代は必要だし、錠剤にするとしても、凝固剤も手間も必要になる。それでも、買い値に比べると作る費用は相当少ないってことだ」
レックスたちに原価率と言っても理解してもらえないかもしれないのでレイは口にしませんでした。下級ポーションの原価率は一〇から一五パーセント程度で、中級ポーションなら五パーセントもありません。もちろん値段が下がれば喜ぶ冒険者は多いでしょうが、作る人が忙しいだけになってしまいます。安ければいいというわけでもありません。要はバランスの問題です。
レイが作っている濃縮タイプは普通の作り方ではありません。本来治せる何十倍何百倍もの成分を加えることで、回復力が暴走してしまい、体が強引に回復させられてしまいます。効き目が切れるまでは回復させられ続け、眠気も起きません。ところが、効き目が切れると一気に眠くなるという副作用があります。
「私たちはどのようにこの恩を返したらいいでしょうか?」
我に返ったステイシーが真剣な表情でレイに聞きました。彼女たちはダンジョンで一度は体のあちこちを失ってしまいました。冒険者どころか、普通に生活することも難しい状態だったのです。一〇代で寝たきりもありえました。
「恩なんて感じてくれなくてもいいんだけどな」
レイはそう言いましたが、ステイシーとレイラは納得しません。なかなか納得できる人は少ないでしょう。どう説明したらいいか、レイは頭をひねりました。
レイは手持ちの薬で二人を治しました。わざわざ高い金を払って薬を手に入れたわけではありません。調子に乗ってどこまで濃くできるかに挑戦してみた結果、たまたま完成した薬です。使うことはないかもしれませんが、どうしてもと頼み込まれれば譲ろうと考えていたものです。
ただし、譲るにせよ売るにせよ、その前にテストしなければいけませんが、欠損を治すレベルの薬が必要になる状況はレイたちにはありません。だからこそレイにとってもありがたい話でした。
ところが、ステイシーとレイラにしてみれば、絶望しかない人生から救い出してもらったわけです。恩返しをしなければ不義理にもほどがあると考えていますが、金貨四四〇枚分をどのようにして返せばいいのかわかりません。
「そうだなあ。俺たちだって冒険者のなりたてのころはアンナとリリーから教わったことがある。だから、他に困ってる人を見かけたら、その人の助けになってあげてほしい。俺としてはそれくらいでいい」
「そんなことでですか?」
「ああ、俺の知っている言葉に『恩送り』というものがある。世話になった人に直接恩返しするんじゃなくて、別の困っている人を助けることだ。そうやって順々に巡っていく。冒険者ならそっちのほうがいいんじゃないか?」
レイはそう言いますが、ステイシーとレイラはまだ納得しきれない顔をしています。その様子を見て、レイは話を変えることにしました。
「二人はレックスに命を助けられて恩を感じてるよな?」
「はい。あのときは動くこともできずに死ぬのを待つだけでしたので」
「魔物に体中をかじられ、絶望しかありませんでした」
手足を失い、魔物に食われて死ぬのを待つだけの時間がどれほどの苦痛だったか。いっそ早く殺してくれと思った瞬間もありました。そこから助け出してくれたレックスの存在がどれほど頼もしかったか。
「それなら、五人にこれを贈ろう」
レイは封筒を取り出してレックスに渡しました。
「手紙?」
「ああ。恩送りの一部だと思ってくれ」
受け取ったレックスは表と裏をしげしげと眺めました。
「この町はちょっと狭いから、男爵閣下が町を広げる工事をしているのは聞いたはずだ。それで、もしこの町で家を探すなら、同郷の信頼できる冒険者が定住する場所を探してると——」
「「「定住すると言ってください」」」
「おいおい」
前のめりになった四人に、レックスはどういう顔をしていいのかわからなくなりました。そのレックスに、シーヴが声をかけます。
「レックスさん、話は自分たちだけではありませんよ。自分たちの子供が将来どのような人生を送るか。そこまで考えて、どこかの段階で将来を決める必要があります」
冒険者の人生はスポーツ選手に近いでしょう。一〇代から活動を始め、二〇代で脂が乗って、最高のパフォーマンスが出せるでしょう。三〇代に入ると力が落ち始め、怪我もしやすくなってきます。引退を決断するタイミングを探すのはそのころです。
人間なら四〇代まで冒険者として活動できるのはほんの一部だけです。ましてや五〇代や六〇代では。しかも、セーフティーネットがまったくない世界なので、それまでに十分貯めておかなければ人生が詰みます。レイもレックスも、一〇年先や二〇年先のことを考えておかなければなりません。レイたちは楽に稼いでいるようですが、剣と魔法のファンタジーの世界は、思った以上に現実的です。ただし、普通の人はなかなかそれに気づくことができません。
横でシーヴが説明するのを聞いていたレイは、自分たちがこの家を手に入れたときのことを思い出しながら言葉をひねり出しました。
「レックス、今はいいけど、ずっと冒険者を続けるのは難しい。誰だってどこかで腰を落ち着けて暮らす必要があるだろ?」
「そりゃな。だがちょっと早くないか?」
レックスは周りを見ますが、彼を取り囲んでいた四人は首を振りました。
「……そうなのか?」
「冒険者は続けたいけど、それよりも安定よね」
「ええ。ある程度貯めたら家を買う。そこから第二の人生でしょう」
「助けてもらっておこがましいですが、何人も養えてこそ立派な男性だと思います」
「私も同じ。甲斐性は大切です」
「な?」
冒険者になって人助けをしよう、成り上がろう、などと考える人もいますが、大半は他にすることがなくて冒険者登録をします。だから、冒険者になることが目的ではなく、金を稼ぐ手段だという人がほとんどです。
「レックスは、たしか西のほうにあるランベル村の出身だったよな?」
「ああ。跡取りじゃないから村を出て……って、ああ、そうか」
跡取りという言葉を口にした瞬間、レックスにはレイが言おうとしたことが理解できた気がしました。跡取り以外は自分で頑張って家を持たなければいけないことを。
「そう。俺もそうだけど、跡取りじゃなければ家を出るしかない。客死したくなければ、いずれどこかで腰を落ち着けなければならない。冒険者はその場所を探すためにあちこち旅をしていると思うようになった」
レイは最初は王都に行くつもりでしたが、偶然にもクラストンでこの家を手に入れました。宿命論を信じているわけではありませんが、人生はなるようにしかならないと考えています。
「偶然ここで家を持ったけど、これが俺の人生じゃないかと考えるようになった。だから、今はこの家を売ることはないし、少なくとも当分の間はクラストンを出ないだろうと思う」
先ほどから真面目な話をしていたレイですが、ここで表情を変えました。
「それに……家さえあれば、子供ができてもダンジョンには潜れるよな?」
「そりゃな」
「これが役人なら、六〇でも七〇でも第一線で仕事ができるでしょう。でも、冒険者では限度があります。現実味がないと思うかもしれませんけど、レックスさんよりも何年も先に冒険者になって、そして一度は引退した者のアドバイスです。引退後の人生も考えておかなければ、奥さんたちに苦労させることになりますよ」
「奥さんたち……か」
レックスは四人を見ます。レックスはアンナとリリー、そしてステイシーとレイラの顔を見てから、封筒を懐に入れました。
◆◆◆
それからしばらく時間が経ち、とある領地のとある屋敷にて。
「レックス様、陳情が届いております」
「陳情か。どれどれ……」
クラストンの拡張によって家を手に入れた『天使の微笑み』の五人は、しばらくその家を拠点にして冒険者活動を続けました。それからしばらくすると、レックスは新しくできた町の代官として勧誘され、騎士号を与えられて準貴族になりました。
「だいぶ代官が板に付いてきたわね」
「そうか? まだまだだがな」
アンナの言葉にレックスは冷静に返事をします。ある程度の読み書きと計算ができた彼ですが、まさか代官などという大役を任されるとは思っていませんでした。
レックスに代官を任せた領主も、彼が完璧にその仕事をこなせるとは考えていませんでした。いきなり大都市の代官を任せるのは無理でしょうが、作りかけの小さな町なら、その誠実な性格で盛り立てていけるだろうと思ったのです。
「冒険者稼業から足を洗ってしまうと物足りなさを感じる反面、いかに住民や冒険者が過ごしやすい町にするか、そこが面白く感じられるようになったな」
「たまにはダンジョンに入ってもいいのではないですか? あそこは安全ですよ」
「ダンジョンか、それとも少し足を伸ばして、久しぶりにパンダを狩るか」
レックスは、かつてシーヴから聞いた「引退後の人生」に充実感を得る毎日を送っていました。
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