異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第2章:冬、活動開始と旅立ち

第11話:ある兄弟の話

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「今さらだが、レイがあれほど多才だったとはな。頭がいいことは知っていたが」

 トリスタンはレイとサラが作った料理のことを思い出していました。これまでに口にしたことのない料理がたくさんあったからです。いずれ順番に食卓に上ることになるでしょう。
 トリスタンは厨房には入りません。それは料理長たちの仕事だからです。自分で料理をすれば、彼らの仕事を奪うことになります。幼いころからそう教わってきました。
 一方で、レイは好きなことを好きなようにしていました。さすがに料理長たちの邪魔になることはしませんが、たまに厨房に入ることがありました。「これはレイ様がお作りになったものです」とメイドがお茶の時間に焼き菓子を運んできたのを覚えています。

「わたくしが嫁ぐ前のレイさんはどうだったのですか?」

 ジャスミンが夫にそう聞きます。彼女が嫁いできたときには、レイはすでにモーガンとトリスタンの手伝いをしていました。たまに厨房にいたことも知っています。貴族らしいのか、それとも貴族らしくないのかわからない義弟だとジャスミンは思っていました。

「私よりもよほど頭がよかった。子供として頭がいいどころではなく、父ですらうなるような頭の持ち主だと知ったときには、さすがに私もショックで凹んだものだ」
「まあ、それほどまで」

 レイは頭のよさをひけらかすことはありませんでした。だから普通に接している限りは、利発な少年としか思えないでしょう。

 ~~~

 サラと出会ったころのレイは暇を持て余していました。話し相手がいなかったからです。もちろん暇つぶし程度の話なら誰とでもできますが、のある議論ができる相手は少ないのです。
 レイが話のできる相手は、屋敷の中では、父であるモーガンと執事のブライアン、この二人くらいのものでした。その二人も暇ではありません。
 本を読むにせよ、書庫にあるほとんどの本や資料は読んでしまいました。たまにモーガンが他の町や他の貴族の領地に出かけると聞けば、邪魔はしないという条件で同行することを許されました。
 サラも似たようなもので、議論が交わせる相手は貴重でした。司教や司祭たちは説教だのなんだので忙しいのです。シスターたちもすべきことは多くて、サラとずっと話をするわけにもいきません。サラは聖典を最初から最後まで何度も読むうちに、内容をすべて覚えてしまいました。
 その二人が会ってさっそく話し合いを始めました。

「レイ様、やはり順番に休ませるのが一番かと」
「でもなあ……小さな農地しか持たない農民に土地を順番に休ませるのは難しくない? それでは税が払えなくなってしまう」

 レイとサラは、少し前にモーガンから任された農地の話について議論をしています。
 ギルモア男爵領はデューラント王国の中で最も北部にある領地の一つになっています。雪は多くはありませんが、冬の寒さはなかなか厳しいのです。
 土があまりよくないため、小麦の収穫量は少なく、その代わりに豆類やジャガイモが多い土地です。
 南部であれば小麦も十分に育つので作付面積を増やしたいところですが、人が増えないのでは農地を増やすこともできません。どうすれば領民を増やすことができるか。そこでモーガンは行き詰まっていました。

「土地を休ませつつ利用効率を上げるのであれば、土地をまとめるのが一番でしょう」
「やっぱりそれしかないかなあ」

 土地そのものは領主の所有物になっています。農民たちは一定の土地を借りて農作物を作ります。ほとんどが小作農です。そして地代として収穫物を納めます。
 その農民たちが借りている土地は家の周辺にあります。言い換えれば、借りた土地の中に家があるわけです。開拓を繰り返して広げていくと、どうしてもそうなってしまうのです。
 そして、小麦であれジャガイモであれ、同じ作物を続けて育てると連作障害が起きることもすでに知られています。そのため、借りている土地を三つ四つ五つと分けた輪栽式農業が行われています。ただし、種類の違う作物をいくつも育てるということは、種蒔きや収穫のタイミングもそれぞれ違うということなので、かなり手間暇がかかってしまいます。
 農地をまとめて集団で行うのが最も効率的ですが、いきなり農地をまとめるようにと言われても、農民たちが納得するには時間がかかるでしょう。彼らは土地を取り上げられたと感じるかもしれません。そこをどうするかです。

「そこは旦那様やトリスタン様のお仕事でしょう。レイ様が領主になられるのなら話は別ですが」
「そうだなあ。考えをまとめて伝えるのが僕の仕事だから、ここまでにしておこうか。それで、もう一つが領民を増やす方法」
「そう簡単に増えるものではないでしょう」

 ギルモア男爵領の人口は、およそ三〇万人。レイとサラが生まれた年の冬から翌年の春まで、ひどい冬風邪が流行はやりました。それで二万人近くが亡くなり、まだ以前の数字には戻っていません。
 もちろん子供が生まれていないということはなく、人口も少しずつ回復してきています。ところが、領内に大きな産業がありませんので、他の領地に出ていってしまいます。それは地方共通の悩みでしょう。

「いや、村で生まれる人は増えてるんだよ。いなくなってしまうのが問題なんだ」

 村では子供の数が五人を超えることは珍しくありません。しかし、農地を継ぐことができるのは長男一人しかいません。せいぜい次男とその家族が手伝いとして働くくらいでしょう。
 食べていけない三男以降は、仕事を探して村を出るしかありません。町で仕事が見つかればいいですが、見つからなければさらに遠い町まで職探しに出かけます。それでも見つからなければ冒険者にでもなるしかありません。冒険者とはそういうものです。

「新しい村は、最初から農地を集約する形にすればいいと思う」
「それでしたら、まずは開拓を推し進めるのが一番でしょうね」
「そう。住む場所と仕事があれば定住してくれるはずなんだ。新しいタイプの村を増やすと同時に既存の村の農地を広げる。そして領内に留まる人を増やして、それから町だろうね、順番的に」

 開拓作業に関わった労働者たちが、場合によってはその村の住民になることもあります。屈強な男たちは、村にとっては理想の働き手になるのです。

「レイ様の考え方は、常に領主様寄りの考え方ですね」
「本来はここまで僕がするべきじゃないんだろうけど」

 レイは三男なので、本来は領地経営に余計な首を突っ込むべきではありません。跡取りであるトリスタンの領分を侵してしまうことになるからです。だからレイにできる仕事は、父親が書いたの手紙の文面をチェックすることに限られていました。
 レイは真面目で実直な長兄トリスタンが好きでした。どうすればもめずに自分も協力できるかを考え、父から口を挟む許可を得たのが先月のことです。
 レイには兄たちを蹴落として領主になるつもりは、これっぽっちもありません。自分は成人したら屋敷を出る、そう心に決めてから父親と長兄に伝えました。それがサラがここに来る少し前のことでした。

 ~~~

「父上、僕にはお二人の邪魔をするつもりは一切ありませんが、成人して家を出るまでにやっておきたいことがあります。僕もこの件に関わらせていただけませんか?」

 幼い三男が真面目な顔でそう言ったとき、モーガンは一瞬その真意をはかりそこねましたが、その意味を理解すると、すぐに口角を上げました。

「邪魔はしないと言ったな?」
「はい。神に誓って」

 レイは胸に手を当てながらハッキリとそう口にしました。モーガンはレイの返事を聞いてうなずくと、向かいに座っているトリスタンを見ました。

「トリスタン、レイはこう言っているが、お前はどうだ?」
「え? え、ええ、いいと思います。レイなら邪魔になるようなことはないのではないのでないでしょう」

 トリスタンは頭の回転が悪いわけではありませんが、この時ばかりはレイの言葉が持つ意味をまったく理解できず、しどろもどろ気味に返事をしてしまいました。

「よし。レイ、まずお前の考えを聞こう。すべてはそれからだ」
「はい。僕はこのように考えています」

 レイはこれまで執事であるブライアンと並んで立っていましたが、父と兄の近くに移動して説明を始めました。
 モーガンはその話を聞きつつ、気になる点についていくつか質問をしました。そして返ってきた返事を聞いてうなずきます。
 その二人の様子を、トリスタンはただ見ていることしかできません。

「なるほどな。ふむ、お前の考えはよくわかった。それならこの件はしばらくお前だけに任せよう。そうすれば私とトリスタンは別の仕事に取りかかれる。考えがまとまったら報告するようにな。すぐに実行に移せるものでもない。焦らなくていい」
「ありがとうございます」

 レイは頭を下げると、必要な資料を持ち、鼻歌を歌いながら部屋から出ていきました。


 部屋からレイがいなくなると、モーガンは長男トリスタンの顔を見ました。

「さて、レイが口にした言葉の意味がわかっていないな?」
「……申し訳ありません」

 父親の問いかけにも出ず、トリスタンはうつむいて唇を噛みました。彼は最初のレイの言葉の意味もわからず、話にも途中から付いていけなくなり、ただ聞いているだけだったのです。

「いや、かまわない。あの年齢でこれだけの気配りをするとは思わなかった。頭がいいだけだとは思ってはいなかったが、どうやら私の想像を超えていたようだな。そろそろどうにかしてやりたいが……」

 モーガンはトリスタンには成人する前から領地経営について教えていました。今でも十分に領主ができるほどの頭を持っています。将来は立派に自分の跡を継いでくれるだろうと考えています。
 一方で、レイはまだ子供にすぎません。あまりの頭のよさに乳母が逃げ出してからは、家庭教師などは付けていません。それだけの家庭教師がいないからです。
 さらに最近は、頭がいいだけではなく、剣の腕前も一流になりそうだと、訓練の相手をしている守衛たちから報告が入っていました。
 モーガン本人は今年で三四になりました。領主としてはまだまだ若いですが、跡取りが一人前になれば爵位を譲るつもりでいます。その考えはデューラント王国ではけっして珍しいものではありません。そのような流れができているのです。

「トリスタン、私はお前を次期領主にするつもりでいる。ブライアンもそう思っているだろう。だから普段から仕事を手伝わせている。それが一番勉強になるからだ。そこはいいな?」
「はい」

 領主になるための学校などはありません。見様見真似みようみまねで、あるいは直接指導を受けて覚えるしかないのです。
 領主が無能なら領民が苦しみます。だからこそ領主はしっかりとしていなければならないのです。トリスタンはそう教わり、これまでそうあろうとしてきました。

「現在の領主は私で、次期領主はお前だ。。そして、レイは三男にすぎない。あれが領主になるためには、私とお前とライナスを蹴落とすしかない。逆に、、あれは領主になれる。それだけの頭があるはずだ。おそらく人望も集まるだろう」

 モーガンはまったく表情を変えないまま言葉を続けます。

「それなのに、わざわざという期限を付けた上で領地経営に口を出してもいいかと私たちに確認した。ブライアンもいる前でな。これをどう考える?」
「…………あっ!」

 そこまで言われればトリスタンでも理解できます。それと同時に、レイがどれほど自分に気を遣ってくれたのかも。
 レイの頭がずば抜けていいことはトリスタンにもわかっています。知識神の落とし子ではないかとモーガンが言ったのを聞いたことがありました。
 そのレイに対して、これまでモーガンは手紙のチェックしかさせず、領地経営に関わる仕事には一切触れさせませんでした。質問すらしませんでした。
 どうしてレイに聞かないのだろうとトリスタンは不思議に思ったこともありましたが、それはレイがまだ八歳だという事実とは関係なかったことにようやく気づいたのです。
 三男が領地経営に口を出せば、おそらく家が割れるでしょう。誰よりも頭のいいレイのがわに立つ使用人が出てくるはずです。そうならないようにモーガンは、長男と三男の扱いに明らかな差をつけていたのです。
 デューラント王国では、爵位の継承については長男がされますが、その長男が不適格だとみなされれば、後継者から外されることもあります。長男なら必ず継げるわけではないことをトリスタンも聞いていました。しかし、これまで実感がなかったのです。
 モーガンは次期領主をトリスタンにすると、これまで一度たりとも口にしたことがありません。執事のブライアンなどは、モーガンの態度からそのことに気づいていましたが、はっきりと主人の口からその言葉を聞いたことはありません。つい先ほどまでは。

「……レイは成人すれば必ずここを離れる。爵位は求めない。だからそれまでは領地経営を手伝いたい。そういうことですね?」
「おそらくそういうことだろう。私だってレイの頭の中が完全にわかるわけではない。もし今の時点で領主になれば、この領地をもっと豊かにしてくれる

 トリスタンはあらためて弟のことを考えます。レイは三つのころから読み書き計算を覚え始めました。それから書庫に入り、そこにある本や資料を一人で読み漁っていたのを覚えています。その本もほとんど読み終わったと聞きました。
 トリスタンはレイの頭に嫉妬したことがありました。どうして自分はレイよりも物覚えが悪いのだろうかと。しかし、八つ下の弟はこれまで「トリスタン兄さん」と笑顔を見せてくれました。なかなか嫌うこともできません。
 そのように考えていると、ふと思い出したことがあります。レイが何度か他の領地や町に行かせてほしいと父親に頼んでいたことを。
 それが社交なら、当然ながら跡取りが顔見世のために同行することになります。モーガンは何度かトリスタンに、レイも同行させてもいいかと尋ねました。
 当時のトリスタンには、レイがどうしてそこまで外に行きたがるかわかりませんでしたが、今ならわかります。レイは知識を求めていたのだと。誰々の屋敷でどのような本を読んだかという話を、いつも嬉しそうにしてくれたからです。

「父上……私は……」

 トリスタンは喉の奥から声を絞り出すように、それだけを口にしました。

「お前はお前だ。レイのことを気にしすぎても仕方がない。あれはと、私とお前に向かって言ったわけだ。ブライアン、お前も聞いたな?」
「はい、はっきりと覚えております」

 この時点でモーガンはレイを次期領主候補から外しました。残るはライナスのみ。トリスタンよりも二つ年下で、長男とも三男とも違う飄々ひょうひょうとした次男に、少々窮屈な思いをさせることになるだろうとモーガンは心の中で謝ります。その代わりに、屋敷を出る際にはできるだけいい仕事を見つけてやろうと誓いました。

「それでだな、この話を聞いて、お前はどうするのだ?」

 トリスタンは先ほどからずっと机を見ていました。しかし、意を決したように顔を上げて父親の目を見ます。

「……私は……立派な領主になります。領民たちを飢えさせないように、全力で取り組みます。それに、レイに笑われないように」
「うむ、それでいい。人には向き不向きがある。あれレイは素晴らしい頭を持っているが、私が思うに、領主としては少々優しすぎる」

 モーガンですらレイの頭の中までは把握しきれていません。しかし父親として、レイの性格についてはよく理解していました。レイは人のために働くことはできても、儲けるために他人を蹴落とすことはできないだろうと。
 領主という立場は、場合によっては他人に嫌われる必要があります。ライバルである貴族たち。町の運営を任せ、何かが起きれば叱責している代官たち。税を取り立てている領民たち。モーガンを憎む者がゼロということはありえません。
 どれだけ他人に恨まれたとしても、「やはりこの方でないと」と思わせることができれば領主の勝ちです。優しいだけでは領主は務まらないんです。

「おそらく、レイは自分が領主に向いていないことを、あの年で理解している。あれは他人に施しができる男になるだろうが、奪うことはできないはずだ。自分を知るというのが一番難しい。お前もまずは自分を知りなさい」
「はい」

 レイとトリスタンの関係は、それ以降も変わることはありませんでした。レイに少しいいところを見せたいと、トリスタンに兄らしい振る舞いが増えた以外は。
 トリスタンはレイを弟として可愛がり、結婚して長男が生まれると「レイのような立派な男になれ」と、息子に向かって言うのでした。完全に弟馬鹿ですね。
 一方で、レイはトリスタンを尊敬しました。あるときから、トリスタンが目に見えて背筋を伸ばすようになったからです。
 それまでは少し自信がなさそうにしていることもありましたが、自分の考えをはっきりと口にするようになり、振る舞いも堂々としたものになりました。それが自分のせいだとは、レイはまったく気づいていませんでしたが。
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