異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第4章:春、ダンジョン都市にて

第11話:デューラント人ですら魅了する、あの日本の味(日本生まれにあらず)

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 酔っ払いたちを退治した翌日、レイたちはグレーターパンダ狩りには出かけず、キッチンを借りて料理作りをすることになりました。そもそも、毎日狩りに出かけているわけではありませんし、万が一にも昨日の男五人組が報復に来たら、もう一度叩きのめすつもりだったからです。そうなったら、今度は五人仲よく男のシンボルとお別れさせてやろうとレイは思っています。
 あの男たちがしていたのが程度ならレイは何も言わなかったでしょう。白鷺亭だけでなく他の酒場でもよく見かけたからです。
 レイはそのようなことをしたことはありませんし、しようとも思いません。下手に手を出すと、魅力と幸運の高さから大変なことになるのがわかっているからです。
 一方で、マルタはレイの手をつかんで自分の胸やお尻を触らせようとしたことがあります。あれ以降、レイはその手から逃げるようにしています。普通なら男女逆ですけどね。

 ◆◆◆

 レイは食材の買い出しをシーヴとラケルに任せると、サラと一緒にカウンターの中に立って仕込みに取りかかりました。鍋を取り出し、そこにレイが【水球】で水を入れます。

「それじゃ沸かすぞ」

 ここの厨房は薪を使っていますので、薪に【火矢】で火をつけます。レイの手のひらからガスバーナーのように火が吹き出します。ブイヨンは水の段階から食材を入れますので、鍋の中に最初からお湯を入れることはできません。

「それじゃ俺はカレーを作る」
「よろしく」

 レイが取り出したのはクミン、コリアンダーシード、グリーンカルダモン、クローブ、シナモンスティック、フェヌグリーク、赤トウガラシ、黒コショウ。それにショウガとニンニク。日本で見たものと完全に同じかどうかはわかりませんが、よく似たものが薬草を扱っている店で手に入りました。
 鍋で油を入れたら火を入れ、そこにスパイスをホールのまま入れて油に香りを移します。香りが立ったら、そこにニンニクとショウガを入れて、さらに炒めます。
 そこにタマネギのみじん切りを投入し、少し火を強くして炒めます。多少焦げても大丈夫ですが、焦げすぎないように、しっかりと底からこそぎ落とすようにして炒め続けます。
 タマネギの水分がなくなってきたら、火で炙って皮をむいたトマトを潰しながら加えます。最初に包丁で切っておいてもいいでしょう。水またはブイヨンを加えてトマトの形が崩れるまで煮込んだらカレーベースの完成です。
 レイは最初、南インドのミールスのように、いろいろなカレーを作ることも考えましたが、場所が限られる上に材料がよくわからないので、それは諦めました。その代わりにカレーベースを作っておいて、そこに入れる肉や野菜を変えることでバリエーションを出そうと考えています。

「レイさぁん、ものすごくいい香りがするんですけどぉ」
「匂いだけで美味しいのがわかる~」
「カレーを作ってるところだ」

 マルタが鍋を覗き込みながら鼻をひくつかせます。ビビも手伝いの合間に鍋の中を覗き込んでいます。

「これってぇ、うちの店でも出せますかぁ?」
「炒めて煮込むだけだからできると思うぞ。でもカレーって南のほうにあるって聞いたけど、このへんにはなかったのか?」
「名前だけは聞いたことがありますけどぉ、食べたことはないですねぇ」
「完成したらみんなで試食をするか」

 レイが作ろうと思っているのはスパイスカレーなので、一番合うのは鶏肉でしょう。ただし、今日のところはスピアーバードを使います。鶏肉は卵を産まなくなった廃鶏がほとんどで、しかも村で消費されることがほとんどです。マリオンの屋敷のように、庭で飼っていなければ手に入りません。
 一口サイズに切ったスピアーバードのモモ肉とムネ肉をカレーベースに入れ、そこに牛乳を加えます。そのまま肉に火が通るまでしばらく煮込みます。
 この間にライスの準備もします。マリオンでは見かけませんでしたが、このあたりにはちゃんとお米があります。日本のお米とは違って細長いインディカ米で、水田に直播きして作られています。名前はそのままライスと呼ばれています。
 マルタはカレーを食べたことがないと言っていますが、宿屋の娘なら年がら年中仕事があり、外で食事というのもそれほど多くはありません。朝市に野菜を買いにいったりするくらいで、外食といえばその際にする買い食い程度のものです。
 レイはもう一つ用意します。カレーとくればビリヤニです。もちろん正式な作り方は知りませんので、なんちゃってビリヤニになります。手軽に作るならスパイスと手羽元とお米を一緒に炊き込めばいいですね。

「愛する夫の手料理ですねぇ」

 マルタは鍋を覗き込んでからレイの背中に抱きつきました。

「夫じゃない。単なる宿泊客だ」
「いけずですねぇ」
「いけずでいいんだよ。それよりも離れてくれ。それ以上邪魔するとトウガラシを鼻に差し込むからな」

 マルタが後ろから抱きつきましたので、レイは肘でマルタの頭を押し返しつつカレー作りを続けます。さすがに鍋のそばからは離れられません。マルタはレイに構ってもらおうとちょっかいを出していますが、もちろん限度はわきまえていますよ。
 そうこうしているうちに、シーヴとラケルが買い出しから戻ってきました。

「戻りましたです」
「ただいま戻りました。レイ、二時間くらいマルタと一緒に部屋にいてもいいですよ」
「ありがとうございますぅ」
「行かないって」

 仲間があまり味方になってくれないレイでした。

 ◆◆◆

「サラさぁん、レイさんのガードが固いですよぉ」

 マルタがサラに向かって愚痴っています。

「そう? かな~~~り気を許してると思うんだけどね」
「そうですかぁ? キスもさせてくれないのにぃ?」
「そうだよ」

 サラはマルタに説明します。レイは困っている人を放っておくほど冷酷ではありませんが、積極的に助けようとは思わない性格です。目の前にマルタに絡んでいる酔っ払いがいたので叩きのめしましたが、どこかに困っている女性がいると聞いても走っていって助けるような熱血漢ではありません。
 それに元々がドライです。マルタが酔っぱらいから解放されたとき、カウンターには母親のスサンがいました。気を許していないのなら、マルタをスサンに任せて部屋に戻るはずです。ところが、あのときレイはマルタが泣き止むまで抱きしめ、背中を撫でていました。それなりに気にしているのは間違いありません。それがサラの見立てです。シーヴもそう考えています。

「レイは無理に迫っても堕とせないよ。チャンスは必ずあるから、その一点に絞って一気に攻め落とすの」
「そうしますぅ」
「そういう話は聞こえないところでしてくれ」
「聞こえるように言ってるんですぅ」

 マルタはすねたように唇を尖らせます。彼女はカウンター席に座りながら、カウンターの中のサラと話をしています。サラの横にはレイがいますし、仕込みをしているロニーたちにも聞こえています。みんなはニコニコしながら聞いていますよ。

「マサラチャイは……カルダモン、クローブ、シナモン、コショウを潰して熱湯に入れる。そこにショウガのスライスも少々。中火でじっくりと抽出する。茶葉は多すぎるとくどくなるな」

 スパイスと違って紅茶は高価です。庶民向けに売られているものは、質の高い部分を取り除いた残りです。粉になっている部分が多く、煮出しすぎると渋くなりすぎる場合があります。ただ、煮出しが足りないとスカスカしますね。
 レイのマジックバッグには高品質な茶葉も少しはありますが、それは紅茶として飲みたいので、今回は使いません。

「これくらいまで煮出したら、牛乳を投入。中火でふつふつと」

 牛乳を入れたあとは吹きこぼれないように注意しながらさらに煮出します。吹きこぼれないように注意が必要です。

「蜂蜜を加えて最後に一煮立ち」

 砂糖は高いので、ここは蜂蜜を使います。量は多くてもかまいません。チャイは甘みが少ないと物足りなく感じますので注意が必要です。

「よし、これくらいでいいか。昼食にはちょっと早いか?」
「大丈夫ですよぉ。わりと不規則ですからぁ」

 この国では食事は一日三回が基本ですが、飲食業をしているとずれることが多くなります。酒場が忙しいのは夕方以降ですが、宿泊客が多ければ朝から忙しく、昼も飲食に訪れる客はそこそこいます。

「それならちょっと早いけど、みんなで食べるか」

 レイはライスとカレーの盛り付けを始めました。もう一つ用意したビリヤニも皿に盛ります。

「似たような味なのは仕方ないな」
「私はどっちも好きだから問題なし」

 サラはグッと親指を突き出しました。

「鼻が壊れそうなほどいい香りがします」

 ラケルは鼻を押さえながらそんな感想を口にします。

「カレーは久しぶりですね。素晴らしい香りです」
「いい香り~」

 シーヴとビビが大きく呼吸をしてカレーの香りを胸いっぱい吸い込みます。

「いい香りですぅ」

 昼食にはまだ早いので客はいません。もちろんマルタだけでなく、白鷺亭のみんなも入れて試食会になりました。ロニーとハンプスとモンスとレイの男性四人、スサンとマルタとビビとサラとシーヴとラケルの女性六人で分かれます。

「これはなかなか辛くていいですね」
「うん、エールが進むな」
「ヤベェ、スプーンとジョッキが止まらねえ」

 ロニーとハンプスとモンスはカレーを食べながらエールを飲んでいます。店員が飲んではいけないという決まりはありません。レイの手元にもエールのジョッキがあります。女性陣にはやはりミードが人気があるようです。
 みんなの感想を聞いているうちに、レイの頭に疑問が浮かびました。

「このあたりにがカレーがあるはずでは?」
「もっと南にはあるそうですね。黄色くてどろっとした、シチューのような食べ物だそうです」
「もっと南か。しかも、そっちのカレーだったんだなあ」

 ロニーが聞いたことがあったのは小麦粉を使ったとろみのある、昔ながらの欧風カレーのようです。レイが作ったのはスパイスカレーです。

「レイさん、カレーってのはいくつもあるのか?」

 カレーを食べ終えたモンスはビリヤニを見ながらそう聞きました。

「種類と呼んでいいかどうか。とりあえず何種類もの香辛料で煮込んだスープを、パンやライスと一緒に食べるのがカレーの定義らしいから、種類はそれこそいくらでも。ただ、小麦粉を使ってとろみを付けたものと小麦粉を使っていないもので分ける方法もあるかな」
「へ~」
「俺の知っている限りでは、シチューのようにとろみを付けるほうはバターと小麦粉を使って、ジャガイモやニンジンなどの野菜を大きめに切って入れる。とろみを付けないほうはこんな風にサラッとしている。そんな違いかな」

 レイとロニーとモンスが話をしている間、ハンプスは一口ずつうなずきながらスプーンを動かしています。

「でもライスは準備にやや時間がかかりそうですね」

 ロニーはビリヤニを頬張っています。

「そうですね。茹でてお湯を切って蒸らすまで入れると二〇分くらいでしょうか。ライスは熱々で出さなくてもいいと思いますけどね」

 カレー用のインディカ米は炊くのではなく茹でます。炊飯器で炊くよりも早いですが、パンを温めて出すほうが早いのは間違いないでしょう。
 酒場の料理は基本的にまとめて仕込んでおき、それを軽く温め直して出すことがほとんどです。だからスープや煮込みが多くなり、なくなったら終わりです。パンやソーセージなどはいくらでも温めて出すことができます。
 この店は高級店でメニューは豊富ですので、注文を受けてから作る料理も多く、出るまでにやや時間がかかることもあります。カレーはそういうメニューに入れたらいいかもしれませんね。

「先ほど見ていて覚えたつもりですが、カレーの作り方を教えてもらってもいいですか?」
「いいですよ。今回は定番のものですが、何種類か覚えていますので、レシピを書いておきます」

 全員の食事が終わったころ、マルタが片手鍋を運んできました。

「最後にチャイですぅ」

 マルタが小さなカップにチャイを入れてみんなに配ります。

「染みますぅ」
「甘~い!」

 あまりの甘さにマルタとビビの目が線になります。

「スパイスはそれほど高くはないけど、甘味料がネックだな。スッキリさせたいなら白砂糖だけど、赤砂糖でも蜂蜜でも楓蜜でも風味に癖が出るよなあ」

 レイは蜂蜜が苦手とか嫌いとか、そのようなことはありません。ただ、蜂蜜には蜂蜜の、楓蜜には楓蜜の独特な風味があります。楓蜜は煮詰めの足りないメープルシロップという感じですが、それでも独特な風味があります。いっぱいあるからと、甘味料をすべて蜂蜜にするのは無理だとわかったのです。

「白いお砂糖なんて貴重品ですよ。前から思っていましたが、レイさんってひょっとして貴族様ですか?」
「家は出ましたし、騎士号ももらってないので平民と同じですよ」

 スサンの問いかけにレイはそう答えますが、貴族の子供は貴族の子供であって、父親が奪爵にでもならない限りは完全な平民にはなりません。子供時代に家を継ぐ気がないことを父親と兄に向かってはっきりと宣言していますが、法的な拘束力はないんです。
 そういうわけで、爵位の継承順位は低いですが、レイにもまだ残されています。ただし、レイが継ぐ時点でトリスタンやライナスの家族全員に何かがあったということなので、それはそれで問題になるでしょう。
 そもそもの話として、レイは今さら貴族ぶるつもりはありません。貴族は金があって楽ができるだけではないとわかっているからです。

 レイたちが真面目な話をしている間、チャイを飲み切ってカップの中を見ていたモンスが、すっくと立ち上がりました。

「オレ、結婚したら、チャリムと一緒にカレー屋をする」

 モンスが叫びました。あ、チャリムというのは彼の恋人の名前です。来年結婚予定です。

「モンス、お前、冒険者相手の屋台をするって言っていただろ?」
「いやー、この香りを経験したら、これを作るしかないだろ? そういう兄貴こそ、カレーを出したいんじゃないのか?」

 たしかにカレーの香りは魅惑的ですね。あれくらい香りだけで何を作っているかがわかる料理は少ないでしょう。

「カレー屋をするならノウハウを教えるよ」
「マジっすか? お願いします」

 モンスがサラに頭を下げました。ノウハウと聞いてレイは、CoC〇壱のトッピングを想像しました。そんなレイをじっと見て、サラが口を開きます。

「トッピングじゃないからね」
「なんで考えてることがわかったんだ?」
「レイの考えてることくらいわかるって。それよりも、モンスさんがやるのは屋台でしょ? 仕込んでおいて、揚げるだけなら屋台でもできるんじゃない?」
「ああ、カレーパンか」

 サラサラのカレーをそのまま使うのは難しいでしょうが、小麦粉とパン粉を加えることでペースト状にしてしまえばいいでしょう。
 カレーパンもいずれ真似はされるでしょうが、フィリングのバリエーションを考えておけば、あとからいくらでも種類を増やすことができます。この国の食べ物の味に関しては、元日本人のレイたちもそれほど違和感がありませんので、おそらくカレーパンも受け入れられるはずです。
 問題があるとすれば、揚げ物は油がたっぷり必要ですので、なかなか高価な食べ物になってしまうことです。一般的には揚げ焼きがほとんどです。揚げ焼きはフライパンに一センチから二センチ程度の油を入れて揚げていきますので、大量の油は必要ありません。シュニッツェルはそうやって焼きますね。
 さらに、同じ油を使い続けると風味が悪くなります。どうしても油を濾したり交換したりする回数が増えるでしょう。そこがクリアできるかどうかです。
 クラストンがカレーパン発祥の地として有名になるかどうかは、今後のモンスの双肩にかかっているでしょう。たぶん。
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