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第4章:春、ダンジョン都市にて
第19話:間違っていそうで間違っていない、少し間違っている薬作り
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「俺は明日、ここで薬を作ろうと思うんだけど、それでいいか?」
レイは夕食の場でそう言いました。毎日グレーターパンダを狩っているわけではありません。二、三日に一度は休みにしています。たまには朝市で買い物をしたり、商店に買い出しに行ったりもしています。
「いいんじゃない? それじゃあ私は……買い物にでも行こうかな。シーヴとラケルも行かない?」
「そうですね。服でも見てきましょうか」
「私はご主人さまのお手伝いします」
ラケルは個人的なものはほとんど持っていませんし、レイたちから水を向けてあげないと、何も欲しがりません。
「それなら欲しいものがあったら言ってね。買っとくから」
「ありがとうございます」
今さらですが、パーティーのお金の管理について説明しましょう。
当たり前といえば当たり前ですが、『行雲流水』のリーダーはレイです。友達が集まってパーティーを組むのなら利益を頭割りすることもあるでしょうが、『行雲流水』ではレイが総取りしています。サラもシーヴもそれに対して何も言いません。リーダーが管理するのはおかしいことではありませんし、自分たちはお金に困っていないからです。
サラにはメイド時代の給料や退職金があります。シーヴにはギルド職員時代の給料があります。明日のように、二人で買い物に行くこともありますが、その代金は個人の財布から出ています。
レイは個人の自分の財布からラケルの購入に金貨五枚、そしてマジックバッグの購入に金貨三〇枚を支払いました。さらには、みんなの武器の購入代金や宿泊費や食費など、みんなで行動しているときのお金はすべてレイが支払っています。だから総取りしてもおかしくはありません。レイが管理しているようなものですからね。
それならサラとシーヴは銅貨一枚すら受け取っていないのかというと、そんなことはありません。今はグレーターパンダを冒険者ギルドに売ることで、一日あたり金貨二〇枚ほど稼いでいます。そのうち半分の一〇枚は活動資金としてプールし、残り一〇枚のうち、サラとシーヴは二枚ずつ受け取っています。
最初はいらないと言ったサラとシーヴですが、「将来に備えて貯めておいてくれ」とレイに言われましたので、喜んでそうすることになりました。
レイは食に関しては若干突っ走るところがありますが、高いものを食べたがるわけではありませんし、基本的には自分用に無駄なものは買わない性格です。服もあまり持っていませんし、実家を出てから追加したこともありません。
ところが、ラケルやマジックバッグのように、必要だと思うところには遠慮なく大金を突っ込みます。安物買いの銭失いをしないところは、前世からの性格でもありますし、この世界で父親から教わったことでもあるんですね。
◆◆◆
「それなら夕方には戻るね」
「ああ。ゆっくりしてきてくれ」
朝食が終わって一度部屋に戻ると、サラとシーヴは買い物に出かけました。お昼も外で食べて、夕方に戻る予定です。
レイは薬剤師ギルド買った調合の道具一式を取り出して並べます。
「まずは【浄化】をかけ、【水球】で水を用意しておく」
道具をきれいにしておくのは当然です。そして水も魔法で用意した純水を使います。
「お手伝いは必要です?」
ラケルは確認のように聞きますが、尻尾が揺れています。「お手伝いしたいです!」という心の声が漏れていますので、レイは調合に直接は関係しないことは彼女に任せることにしました。
「それならマジックバッグから材料を取り出して、はかりで重さを量っておいてくれるか?」
「わかりましたです」
レイが材料の重さを書いた紙をラケルに渡すと、彼女はそれを順番に用意します。
「まずは、すり潰す」
すり鉢の中で水とスピアーバードの肝臓を練るようにして潰します。最初は塊だったものが潰れ、少しずつ滑らかになっていきます。少し水を加えて乳鉢を洗うようにしながら、煮込み用の鍋に中身を移します。ラインベアーの胆嚢も同様に潰してから水を加えて練って鍋に移します。
「こっちは細かく潰していく」
乳鉢でカメレオンゲッコーの尻尾を焼いたものを砕いて粉末にします。これはダンジョンにいたヤモリ型の魔物です。乳棒で叩いて粉々にしてから鍋に移します。それからホーンラビットの角とスパイラルディアーの枝角も少々削ってから粉末になるまで叩いて潰します。
「これじゃあまり減らないな」
レイは鍋の中を見ながらつぶやきました。使う分量が分量です。在庫が減った気がしません。在庫をなくそうと思えば、薬瓶も薬壺も買った数では全然足りません。おそらく万単位で必要でしょうが、そこまで準備していません。そもそも、そんな数はギルドにもないでしょう。
お金さえ払えばギルドは一〇万でも一〇〇万でも入荷してくれるでしょうが、それはもう個人用ではないでしょう。卸業者クラスです。
「どうしたらいいと思う?」
レイはラケルに聞いてみました。自分でもいくつかアイデアを思いつきましたが、他にいい案があればと思ったからです。
「無駄にせずに減らすなら、いっぱい作るか濃くするかだと思います」
「やっぱりそうなるよな。いっぱい作った上でそれを濃くするか」
レイがダーシーから教わったのは、成分のバランスが崩れなければ問題ないということです。素材はあり余っていますので、煮込んで濃くすればもっと消費できると、間違ったような間違っていないようなことをレイは考えました。そしてそれを実行することにしました。
一時間後、八つの鍋の中にはとんでもなく濃い液体ができていました。
「これが薬になるです?」
「ここから煮込むと色が変わるそうだ。とりあえず厨房に行くか。その前に、ラケル」
「どうしましたです?」
ラケルがレイを見上げます。レイはその頭を撫でました。
「手伝ってくれてありがとう」
「どういたしましてです」
キッチンの端を借りることは伝えてあります。鍋をマジックバッグに入れると、レイは部屋に【浄化】をかけて臭いを消してからキッチンに向かいました。
◆◆◆
「臭いは【浄化】をかけて消すから」
「いいえぇ、それは大丈夫ですけどぉ……すごい色ですねぇ」
マルタが鍋を覗き込みながらなんとも言えない表情になりました。中身を言葉で表すなら「巨大な鍋いっぱいに入った泥」にしか思えません。レイが鍋の上のほうに【浄化】をかけながらゆっくりと煮込んでいると、少しずつ色が変わり始めます。
「お、いい感じだ」
「臭いも変わってきましたねぇ。生臭いのから苦い感じにぃ」
先ほどまでは生臭い泥のような液体だったものが、次第に澱が沈み始め、鍋の上のほうの色が変わってきました。
「朱肉?」
ハンコを押すための朱肉の色、まさにあの色です。体力回復用のポーションは薄い赤色ですが、徹底的に煮詰めればこうなるのでしょう。
「澱を動かさないように静かに上澄みだけをすくって漉す」
お玉ですくい、乳鉢と一緒に買った漉し布を使って別の鍋に移します。搾るとアクが入るので、できるだけ自然に落ちるままにすべし、とアドバイスされたのでそのとおりにします。
移し終えたらさらに煮詰め、先ほどまでの五分の一の量にまで減らしました。ドロリとした赤い液体を白い小皿に少し垂らすと、濃い朱色になっていることがわかりました。
「見た目は薬に見えないな」
「臭いがなくなりましたです」
「はうぅ、宝石みたいですねぇ」
「そうか?」
マルタはため息を漏らすが、レイの目にはペンキにしか見えません。この世界にはペンキはありません。天然素材の顔料を塗り、その上に木の樹液や蜜蝋などで作ったニスを重ねることはありますが、あまり使われていません。どうせすぐに落ちるからです。
「たぶん苦いけど、味見してみるか」
「これはどういうお薬ですかぁ?」
「体力回復用の下級ポーションか錠剤の元になる」
作っているのは体力回復用のポーションか錠剤です。今は粘性の高い液体ですが、これを錠剤に加工することもできます。
三人は小皿にある薬を指の先に付けて舐めてみることにしました。
「「「——ッ⁉⁉⁉」」」
舌に触れた瞬間、想像以上の苦味にレイとマルタはのけ反り、ラケルは猫のように耳と尻尾の毛を逆立てました。
「くわ~~~っ!」
「毒ですっ⁉ 毒ですっ⁉」
「苦いですよぉおぉおぉおぉ」
レイは二人の口に蜂蜜の欠片を押し込み、自分でも欠片を一つ口に入れて噛み砕きます。しばらくすると蜂蜜の甘さで苦味が消えましたが、そのままではとても薬にできなさそうなレベルの苦味です。弱った人に与えたらそのままあの世に旅立つかもしれません。
「さすがにこれは苦すぎるなあ。臭いはないけど」
「でも疲れが飛んだ気がしますぅ」
「はい。体が軽くなりましたです」
「ほんのちょっと舐めただけなのにな。苦すぎてダメなら、甘くしたらいけるかな?」
ポーションや薬は調合している間に異物を入れると成分比率が変わって失敗作になりますが、完成してから足してもそれほど影響しません。水を足しても大丈夫なのも理屈は同じです。
レイは小鍋にお湯を入れ、そこに刻んだミントを入れて煮込み始めます。煮込み終わったら蜂蜜をドバドバと加えて甘くします。
「なかなか贅沢なポーションになりますねぇ」
「材料は自分たちで集めたものだから、原価はゼロだな。容器代は必要だけど」
鍋の中の蜂蜜ミント水を布で漉しながら朱色の物体に加えます。また小皿に少し取って、おそるおそる味を確かめます。
「お、マシになった。どう思う?」
「美味しいです」
「ほろ苦い感じでぇ、これなら子供でも嫌がらないと思いますよぉ」
このほろ苦い甘さは、ビターチョコやカラメルに通じるところがあります。
「それならこれはそのままでいいか」
レイは超濃縮タイプのまま薬瓶に入れようとしましたが、ふとあることに気づきました。
「これって、瓶の中にかなり残りそうだな」
「全部飲もうとしたらぁ、一時間くらいかかるかもしれませんねぇ」
「だよなあ」
かなり粘性の高い物質です。どれくらいの粘度かというと、マヨネーズくらいです。薬瓶に入れたら、叩かないと出ないかもしれません。
「それなら錠剤がいいのではないです?」
「そうだな。錠剤にしてみるか」
赤いマヨネーズ状の物質に凝固剤を加え、軽く練ってから型に押し込みます。型から取り出すと、赤い錠剤が完成しました。カッチカチです。
「薬に見えませんです」
「普通は白いからな」
体力回復用のポーションは薄い赤色をしています。それを錠剤にすれば、単に白い錠剤にしか見えなくなります。ところが、目の前にある錠剤は朱肉を固めたような色です。
「あとで効き目は試してみるか。でも一〇〇倍はあるよなあ」
「どうやって試すのです?」
レイは困りました。八つの鍋から同じくらいの数の錠剤ができるとすると、使った素材の量から、錠剤一つにつき、通常の一〇〇倍の濃度があることがわかります。一〇〇倍です。今さらレイは困ることになってしまいました。
下級ポーションを飲めば、体力は五〇回復します。その一〇〇倍となると五〇〇〇ですが、体力の最大値は五〇〇〇もありません。上級ジョブなので、レベルが上がった際のステータスの上昇はかなりのものですが、今でも八〇〇もありません。
「無理なものは無理だな」
レイはできるだけ体力を減らしてから飲むことにしました。
◆◆◆
「うまくできましたか?」
「こんな感じで作った。これでも素材はまだまだあるけどな」
午後になってレイは錠剤の壺を取り出しました。
「これが薬?」
「ああ。普通の一〇〇倍くらいの濃さで作ったから苦すぎて、それでミントと蜂蜜をたっぷりと使った。粘度が高すぎてポーションは無理そうだ」
「それならスプーンで食べるみたいにしたら? ジャムみたいに」
「それだと量が曖昧になるけどな。自分用ならそれでもいいけど」
レイはこの形になった経緯を説明しました。
「それで、体力を減らそうと思って、試しに荷物を背負って全力で走ってきた。それでなんとか二桁まで落としてから飲んでみたんだけど、回復したのは五〇〇だった」
「一〇分の一ということですか。その後は?」
「それからも走ってみたけど、体力が全然減つてない」
飲んでからずっと回復し続けている気がするとレイは説明します。
「持続性の回復薬ですか。どれくらい続くんでしょうね?」
「それを試すためには体力を減らさないといけないんだけど」
「夜に減らせばいいです」
「そうだね。今日は全員でだね」
「これもデータのためですね」
その夜、レイは頑張りました。これまでにないほどに。その結果、「飲んでから一二時間ほどは眠気がない」「その間は体力が減らない」「一二時間ほど経過すると、恐ろしいほどの眠気に襲われる」ということがわかったのです。
レイは夕食の場でそう言いました。毎日グレーターパンダを狩っているわけではありません。二、三日に一度は休みにしています。たまには朝市で買い物をしたり、商店に買い出しに行ったりもしています。
「いいんじゃない? それじゃあ私は……買い物にでも行こうかな。シーヴとラケルも行かない?」
「そうですね。服でも見てきましょうか」
「私はご主人さまのお手伝いします」
ラケルは個人的なものはほとんど持っていませんし、レイたちから水を向けてあげないと、何も欲しがりません。
「それなら欲しいものがあったら言ってね。買っとくから」
「ありがとうございます」
今さらですが、パーティーのお金の管理について説明しましょう。
当たり前といえば当たり前ですが、『行雲流水』のリーダーはレイです。友達が集まってパーティーを組むのなら利益を頭割りすることもあるでしょうが、『行雲流水』ではレイが総取りしています。サラもシーヴもそれに対して何も言いません。リーダーが管理するのはおかしいことではありませんし、自分たちはお金に困っていないからです。
サラにはメイド時代の給料や退職金があります。シーヴにはギルド職員時代の給料があります。明日のように、二人で買い物に行くこともありますが、その代金は個人の財布から出ています。
レイは個人の自分の財布からラケルの購入に金貨五枚、そしてマジックバッグの購入に金貨三〇枚を支払いました。さらには、みんなの武器の購入代金や宿泊費や食費など、みんなで行動しているときのお金はすべてレイが支払っています。だから総取りしてもおかしくはありません。レイが管理しているようなものですからね。
それならサラとシーヴは銅貨一枚すら受け取っていないのかというと、そんなことはありません。今はグレーターパンダを冒険者ギルドに売ることで、一日あたり金貨二〇枚ほど稼いでいます。そのうち半分の一〇枚は活動資金としてプールし、残り一〇枚のうち、サラとシーヴは二枚ずつ受け取っています。
最初はいらないと言ったサラとシーヴですが、「将来に備えて貯めておいてくれ」とレイに言われましたので、喜んでそうすることになりました。
レイは食に関しては若干突っ走るところがありますが、高いものを食べたがるわけではありませんし、基本的には自分用に無駄なものは買わない性格です。服もあまり持っていませんし、実家を出てから追加したこともありません。
ところが、ラケルやマジックバッグのように、必要だと思うところには遠慮なく大金を突っ込みます。安物買いの銭失いをしないところは、前世からの性格でもありますし、この世界で父親から教わったことでもあるんですね。
◆◆◆
「それなら夕方には戻るね」
「ああ。ゆっくりしてきてくれ」
朝食が終わって一度部屋に戻ると、サラとシーヴは買い物に出かけました。お昼も外で食べて、夕方に戻る予定です。
レイは薬剤師ギルド買った調合の道具一式を取り出して並べます。
「まずは【浄化】をかけ、【水球】で水を用意しておく」
道具をきれいにしておくのは当然です。そして水も魔法で用意した純水を使います。
「お手伝いは必要です?」
ラケルは確認のように聞きますが、尻尾が揺れています。「お手伝いしたいです!」という心の声が漏れていますので、レイは調合に直接は関係しないことは彼女に任せることにしました。
「それならマジックバッグから材料を取り出して、はかりで重さを量っておいてくれるか?」
「わかりましたです」
レイが材料の重さを書いた紙をラケルに渡すと、彼女はそれを順番に用意します。
「まずは、すり潰す」
すり鉢の中で水とスピアーバードの肝臓を練るようにして潰します。最初は塊だったものが潰れ、少しずつ滑らかになっていきます。少し水を加えて乳鉢を洗うようにしながら、煮込み用の鍋に中身を移します。ラインベアーの胆嚢も同様に潰してから水を加えて練って鍋に移します。
「こっちは細かく潰していく」
乳鉢でカメレオンゲッコーの尻尾を焼いたものを砕いて粉末にします。これはダンジョンにいたヤモリ型の魔物です。乳棒で叩いて粉々にしてから鍋に移します。それからホーンラビットの角とスパイラルディアーの枝角も少々削ってから粉末になるまで叩いて潰します。
「これじゃあまり減らないな」
レイは鍋の中を見ながらつぶやきました。使う分量が分量です。在庫が減った気がしません。在庫をなくそうと思えば、薬瓶も薬壺も買った数では全然足りません。おそらく万単位で必要でしょうが、そこまで準備していません。そもそも、そんな数はギルドにもないでしょう。
お金さえ払えばギルドは一〇万でも一〇〇万でも入荷してくれるでしょうが、それはもう個人用ではないでしょう。卸業者クラスです。
「どうしたらいいと思う?」
レイはラケルに聞いてみました。自分でもいくつかアイデアを思いつきましたが、他にいい案があればと思ったからです。
「無駄にせずに減らすなら、いっぱい作るか濃くするかだと思います」
「やっぱりそうなるよな。いっぱい作った上でそれを濃くするか」
レイがダーシーから教わったのは、成分のバランスが崩れなければ問題ないということです。素材はあり余っていますので、煮込んで濃くすればもっと消費できると、間違ったような間違っていないようなことをレイは考えました。そしてそれを実行することにしました。
一時間後、八つの鍋の中にはとんでもなく濃い液体ができていました。
「これが薬になるです?」
「ここから煮込むと色が変わるそうだ。とりあえず厨房に行くか。その前に、ラケル」
「どうしましたです?」
ラケルがレイを見上げます。レイはその頭を撫でました。
「手伝ってくれてありがとう」
「どういたしましてです」
キッチンの端を借りることは伝えてあります。鍋をマジックバッグに入れると、レイは部屋に【浄化】をかけて臭いを消してからキッチンに向かいました。
◆◆◆
「臭いは【浄化】をかけて消すから」
「いいえぇ、それは大丈夫ですけどぉ……すごい色ですねぇ」
マルタが鍋を覗き込みながらなんとも言えない表情になりました。中身を言葉で表すなら「巨大な鍋いっぱいに入った泥」にしか思えません。レイが鍋の上のほうに【浄化】をかけながらゆっくりと煮込んでいると、少しずつ色が変わり始めます。
「お、いい感じだ」
「臭いも変わってきましたねぇ。生臭いのから苦い感じにぃ」
先ほどまでは生臭い泥のような液体だったものが、次第に澱が沈み始め、鍋の上のほうの色が変わってきました。
「朱肉?」
ハンコを押すための朱肉の色、まさにあの色です。体力回復用のポーションは薄い赤色ですが、徹底的に煮詰めればこうなるのでしょう。
「澱を動かさないように静かに上澄みだけをすくって漉す」
お玉ですくい、乳鉢と一緒に買った漉し布を使って別の鍋に移します。搾るとアクが入るので、できるだけ自然に落ちるままにすべし、とアドバイスされたのでそのとおりにします。
移し終えたらさらに煮詰め、先ほどまでの五分の一の量にまで減らしました。ドロリとした赤い液体を白い小皿に少し垂らすと、濃い朱色になっていることがわかりました。
「見た目は薬に見えないな」
「臭いがなくなりましたです」
「はうぅ、宝石みたいですねぇ」
「そうか?」
マルタはため息を漏らすが、レイの目にはペンキにしか見えません。この世界にはペンキはありません。天然素材の顔料を塗り、その上に木の樹液や蜜蝋などで作ったニスを重ねることはありますが、あまり使われていません。どうせすぐに落ちるからです。
「たぶん苦いけど、味見してみるか」
「これはどういうお薬ですかぁ?」
「体力回復用の下級ポーションか錠剤の元になる」
作っているのは体力回復用のポーションか錠剤です。今は粘性の高い液体ですが、これを錠剤に加工することもできます。
三人は小皿にある薬を指の先に付けて舐めてみることにしました。
「「「——ッ⁉⁉⁉」」」
舌に触れた瞬間、想像以上の苦味にレイとマルタはのけ反り、ラケルは猫のように耳と尻尾の毛を逆立てました。
「くわ~~~っ!」
「毒ですっ⁉ 毒ですっ⁉」
「苦いですよぉおぉおぉおぉ」
レイは二人の口に蜂蜜の欠片を押し込み、自分でも欠片を一つ口に入れて噛み砕きます。しばらくすると蜂蜜の甘さで苦味が消えましたが、そのままではとても薬にできなさそうなレベルの苦味です。弱った人に与えたらそのままあの世に旅立つかもしれません。
「さすがにこれは苦すぎるなあ。臭いはないけど」
「でも疲れが飛んだ気がしますぅ」
「はい。体が軽くなりましたです」
「ほんのちょっと舐めただけなのにな。苦すぎてダメなら、甘くしたらいけるかな?」
ポーションや薬は調合している間に異物を入れると成分比率が変わって失敗作になりますが、完成してから足してもそれほど影響しません。水を足しても大丈夫なのも理屈は同じです。
レイは小鍋にお湯を入れ、そこに刻んだミントを入れて煮込み始めます。煮込み終わったら蜂蜜をドバドバと加えて甘くします。
「なかなか贅沢なポーションになりますねぇ」
「材料は自分たちで集めたものだから、原価はゼロだな。容器代は必要だけど」
鍋の中の蜂蜜ミント水を布で漉しながら朱色の物体に加えます。また小皿に少し取って、おそるおそる味を確かめます。
「お、マシになった。どう思う?」
「美味しいです」
「ほろ苦い感じでぇ、これなら子供でも嫌がらないと思いますよぉ」
このほろ苦い甘さは、ビターチョコやカラメルに通じるところがあります。
「それならこれはそのままでいいか」
レイは超濃縮タイプのまま薬瓶に入れようとしましたが、ふとあることに気づきました。
「これって、瓶の中にかなり残りそうだな」
「全部飲もうとしたらぁ、一時間くらいかかるかもしれませんねぇ」
「だよなあ」
かなり粘性の高い物質です。どれくらいの粘度かというと、マヨネーズくらいです。薬瓶に入れたら、叩かないと出ないかもしれません。
「それなら錠剤がいいのではないです?」
「そうだな。錠剤にしてみるか」
赤いマヨネーズ状の物質に凝固剤を加え、軽く練ってから型に押し込みます。型から取り出すと、赤い錠剤が完成しました。カッチカチです。
「薬に見えませんです」
「普通は白いからな」
体力回復用のポーションは薄い赤色をしています。それを錠剤にすれば、単に白い錠剤にしか見えなくなります。ところが、目の前にある錠剤は朱肉を固めたような色です。
「あとで効き目は試してみるか。でも一〇〇倍はあるよなあ」
「どうやって試すのです?」
レイは困りました。八つの鍋から同じくらいの数の錠剤ができるとすると、使った素材の量から、錠剤一つにつき、通常の一〇〇倍の濃度があることがわかります。一〇〇倍です。今さらレイは困ることになってしまいました。
下級ポーションを飲めば、体力は五〇回復します。その一〇〇倍となると五〇〇〇ですが、体力の最大値は五〇〇〇もありません。上級ジョブなので、レベルが上がった際のステータスの上昇はかなりのものですが、今でも八〇〇もありません。
「無理なものは無理だな」
レイはできるだけ体力を減らしてから飲むことにしました。
◆◆◆
「うまくできましたか?」
「こんな感じで作った。これでも素材はまだまだあるけどな」
午後になってレイは錠剤の壺を取り出しました。
「これが薬?」
「ああ。普通の一〇〇倍くらいの濃さで作ったから苦すぎて、それでミントと蜂蜜をたっぷりと使った。粘度が高すぎてポーションは無理そうだ」
「それならスプーンで食べるみたいにしたら? ジャムみたいに」
「それだと量が曖昧になるけどな。自分用ならそれでもいいけど」
レイはこの形になった経緯を説明しました。
「それで、体力を減らそうと思って、試しに荷物を背負って全力で走ってきた。それでなんとか二桁まで落としてから飲んでみたんだけど、回復したのは五〇〇だった」
「一〇分の一ということですか。その後は?」
「それからも走ってみたけど、体力が全然減つてない」
飲んでからずっと回復し続けている気がするとレイは説明します。
「持続性の回復薬ですか。どれくらい続くんでしょうね?」
「それを試すためには体力を減らさないといけないんだけど」
「夜に減らせばいいです」
「そうだね。今日は全員でだね」
「これもデータのためですね」
その夜、レイは頑張りました。これまでにないほどに。その結果、「飲んでから一二時間ほどは眠気がない」「その間は体力が減らない」「一二時間ほど経過すると、恐ろしいほどの眠気に襲われる」ということがわかったのです。
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