異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第4章:春、ダンジョン都市にて

第21話:釈迦に説法、孔子に論語、薬剤師ギルドに薬作り

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「レイさん、手紙が届いてますよぉ」

 午後に白鷺亭に戻ると、レイ宛に手紙が届いていました。

「ああ、ありがとう。でも、その渡し方はどうなんだ? 俺はこれでも客なんだけど」

 マルタは深い胸の谷間に手紙を差し込むと、レイに向かって胸を突き出しています。ずっと胸を突き出されても困りますので、レイは諦めて手紙を抜きました。

「ダーシーさんか」
「なになに? ラブレター?」
「四人目です?」

 差出人は薬剤師ギルドのダーシーでした。ギルド長がレイに会いたいと言っているので、時間があるときにギルドに来てほしいという内容です。

「それじゃあ、ちょっと出かけてくる」
「レイが薬剤師ギルドを牛耳るわけですね」
「どうやってだ?」

 薬剤師ギルドを牛耳るだけの知識はありません。ラケルに手伝ってもらって体力回復薬を作ってみただけで、それ以外は何一つ作っていないのが現状です。

 ◆◆◆

「あ、レイさん、お待ちしていました~」
「いえ、時間がありましたからね」

 最新は午前中にグレーターパンダを狩るだけです。午後はモリハナバチのディオナに顔を見せることもありますが、買い出しにでも出かけるか、それとも白鷺亭の酒場でくつろぐかのどちらかです。

「それではこちらへどうぞ~」
「失礼します」

 レイは職員専用の扉から中へと案内されました。レイの目には冒険者ギルドよりは整頓されているように思えます。ただし、どこからともなくハーブやスパイスの香りが漂ってきます。

「ダーシーさん、ギルド長ってどういう人ですか?」
「ええっとですね。元魔術師の薬剤師で、今年で八〇歳になる方です。薬に関する知識はこの国でも随一だと言われていますよ」

 そのギルド長ですら困惑して苦笑いするしかない薬を作ってしまったのがレイです。

「話をしたらすぐにわかります。裏表のない人ですので。あ、ここです。ダーシーです、レイさんをお連れしました」
「入りな」

 そう言われてギルド長室に入ったレイの目に見えたのは、まさに魔女のイメージそのままのギルド長でした。むしろイメージどおりすぎて安心したくらいです。薬剤師ギルドのギルド長が筋肉ムキムキでは、あまりにもファンタジーすぎるでしょう。

「ようこそ、レイ殿。あたしはヘザー。ここのギルド長さ」
「初めまして。冒険者のレイです」

 挨拶が終わると、ヘザーはさっそく本題を切り出しました。

「まあ面倒な社交辞令はなしにしようか。ダーシーから聞いたんだけどね、あのめちゃくちゃな薬を作ったのはアンタだってね」
「これも聞いたかもしれませんけど、増えすぎた素材を減らそうと思いましてね」
「ひひひ、あんだけ濃縮すれば減るだろうさ。いや、あれは疲れが取れるね」

 ヘザーは腕をぐるぐると回しています。何年も上がらなくなっていた腕が上がるようになったようですね。

「それで、アンタに一つ仕事を頼みたいんだよ」
「薬についての話ですよね?」
「そうさ、あの薬を作ってうちに売る気はないかい?」
「……自分で作れるだろ?」

 まさか薬剤師ギルドで薬の製造を頼まれるとは思わず、レイは素で聞き返してしまいました。

「薬剤師ギルドは薬を作るのが本業じゃないんだよ」

 薬剤師ギルドでも薬を作ることはありますが、仕事の中心は材料を集めること、その材料を流通させること、そして薬剤師を育てることの三つです。
 冒険者ギルドの仕事は冒険者の支援であって、冒険者の代わりをすることではありません。同じように、薬剤師ギルドは薬剤師の仕事を支えるのが一番の仕事です。代わりをしてしまうと、薬剤師が仕事をなくしてしまいます。

「ダンジョンで怪我するやつが多いからね。だからポーションを安くするために素材の値段を下げてるわけさ。流通量が多いから、ギルドが素材が品切れを起こすってのは絶対にやっちゃいけない。無駄が出るのがわかっていても、万が一に備えて自分たちではあまり使わないのさ。在庫調整で使うことはあるけどね」
「事情はわかりました。それなら……どれくらいにしたいですか? 金額の話ですが」
「いっひっひっひ、それをあたしに聞くのかい?」

 レイは腹の探り合いがあまり好きではありませんので、最初にそう切り出したのです。それを聞いてヘザーは大笑いします。いきなり商談相手に値段を聞くのかと。

「うちで余りすぎた素材は使ってもらってかまわない。それ以外の材料と作業代でどれくらいになるかってとこだね」
「作ることはできるんですよ。でも今は宿屋のキッチンを借りてますからね、まとめて作るのが難しいんです」
「それならうちの部屋を一つ貸そう。コンロも道具もそこのを使えばいい」

 下級の体力回復薬の素材は基本的なものが多いので、ギルドに在庫はたくさんあります。余りすぎた分を無償でレイに渡し、そこにレイの手持ちの分を加える。作業はギルドの一室を使って、必要があれば手の空いている職員の中で【調合】持ちが協力する。そのように決まりました。

「販売の登録は必要ですか?」
「いや、今回は内々で使うってことで、あたし個人が買い取るってことにしよう。登録にも金は必要だからね」
「まあ、ついでなんで登録しておきますよ。書類を用意してください」
「あたしはそういうやつは好きだよ」

 宿屋暮らしなので店舗販売はできません。薬の販売許可だけ取得することにしました。

「ダーシーさん、作ってから揉めたくないので、値段のすり合わせくらいはしたいですね。実際のところ、買い取り価格はどれくらいを想定してますか?」
「一つあたり一〇〇〇キールを考えていたんですが、どう考えても安いですよね?」

 クラストンはダンジョンで潤っている町なので、物は全体的に安く手に入ります。他の町では三〇〇キールほどの下級の回復薬ですが、ここでは二〇〇キールほどで売られています。成分的にはそれの一〇〇倍となると二万キールになってしまいます。
 ハウスメイドの年収が三万から五万キール前後だということを考えると、とてつもなく高価な薬になるでしょう。二〇倍でも四〇〇〇キールなので月収くらいになります。
 ただし原価を考えると、下級の体力回復薬は二五キールです。この町ではということです。それの一〇〇倍なら二五〇〇キールになります。

「あれは一〇〇倍の超濃縮タイプです。最後に煮詰める前の二〇倍の段階でも即効性と持続性のある薬ができました。一度に体力が一五〇回復して、それから六時間ほどは体力を維持できます。それでよければもっと下がりますよ」
「ホントですか?」
「はい。二〇倍なら原価で五〇〇キールですからね。別に原価を割ってもいいんですが」

 溜まりすぎた素材を減らそうと考えただけで、それで儲けようと考えたわけではありません。ただし、損をするだけでは意味がありません。それなら捨てたほうがマシでしょう。
 素材以外に使うのは蜂蜜ですが、別にディオナからもらった高品質の蜂蜜ではなく、楓蜜や蔦蜜など、さらに安価な甘味料を使う予定です。
 さらに、濃度が一〇〇倍なら総毛立つほど苦い物体ですが、二〇倍ならそこまでひどくはありませんので、甘味料の量はかなり減らすことができるはずです。

「ある程度はギルドの素材を使わせてもらうとなると……原価は三〇〇キール少々ですね」

 レイが試算の結果を口にしました。ダーシーが計算してもそれくらいです。三〇〇キールを下回ることはありませんし、三五〇キールを超えることもありません。

「かかる時間を考えたら五〇〇キールあれば嬉しいんですね」
「ひひっ、原価が三〇〇だから四〇〇や五〇〇なんてケチなことは言わないさ。ダーシー、一粒一〇〇〇で書類を作りな」

 情報料と特許料を含め、一粒あたり一〇〇〇キールだとヘザーは言います。

「ギルド長、いいんですか?」
「いいんだよ。毎日山ほど必要になるもんじゃないからね」
「わかりました。それではその金額で。ではレイさん、こちらにサインをお願いします」

 レイは二枚の書類にサインをすると一枚を受け取り、ヘザーと握手を交わしました。

「レイ殿、ま、今後もよろしく頼むよ」
「こちらこそお願いします」

 トントン拍子で話が進んでいきます。

「それではレイさん、作業場所にはこれからご案内しますね」



「使ってもらう部屋はこちらです」
「へえ、きれいな部屋ですね」
「はい。そこにある魔道具を使えば、たとえ煙が出ても悪臭が出ても消えます。そういうのにピッタリの部屋なんですよ。人を呼んできますので、ちょっと待っていてください」

 ダーシーはそのように説明すると、荷物を持ってくると言って、一度部屋を出ました。
 しばらくして戻ってきたダーシーの後ろから、一〇人ほどの職員が続けて入ってきました。そのままみんなでレイとテーブルを取り囲みました。

「これはどういうことですか?」
「レイさんがどうやって作ってるのかを見せてもらおうと。みんなで手伝いますので」

 ダーシーの言葉を聞くと、全員が頭を下げました。

「俺はダーシーさんに教えてもらったとおりにやっただけですよ」
「いえ、教えたとおりじゃなかったから気になったんです!」

 ダーシーは拳を握って力説します。言葉だけを聞くと教えたとおりですが、完成したものは教えたとおりのものではありませんでした。
 ここにいるのは全員が【調合】を持つ職員なので、体力回復薬の作り方は理解しています。だからこそ、あの薬がどのようにして作られたのか、そこに興味があるメンバーがそろったのです。
「今日はパンじゃなくてお米が食べたい」と言ったらライスプディングが出てきたような、たしかに間違いではないけどそれはやっぱり違う、どうしたらそんな考え方ができるのか、そんな気分なんです。
 そうこうしているうちに、職員たちが下級体力回復薬で使う素材を量り終えました。

「それなら確認してください。まずは順番に潰しながら鍋に移します」
「「「ふむふむ」」」
「なるべく濃くなるように、できる限り水は減らし気味にします。水は魔法で出したこれを使います」
「その魔法は?」
「……これは【水球】です。なぜか俺の魔法は火も水も前に飛ばないんですよ」

 レイは手のひらからちょろちょろと水を出しました。その水を使って全員で素材を潰していきます。レイ一人なら時間がかかりますが、全部で一二人ですので、かなり短い時間で終わりました。

「それで火を入れる前はこんな状態です」

 鍋の中は職員たちが見慣れたものではありません。普通なら泥水のような、茶色とも灰色とも呼べない水が入っているはずですが、明らかに粘りが違いました。泥水と泥くらいに違っています。

「ここまで濃いものは見たことがないですね」
「でしょうね。俺もこれで大丈夫かなと思ってやったらできたので、大丈夫でしょう。これで濃さとしては二〇倍です。ここで火を入れます」

 コンロを点火して鍋を乗せます。ここは換気扇代わりの魔道具があるので臭いがこもりませんが、密室なら生臭さと青臭さが充満したでしょう。レイは白鷺亭のキッチンでは【浄化】で臭いを消していました。

おりが沈んで上部が透き通ってきたら、澱を動かさないように上澄み液だけを別の鍋に漉しながら移します」
「宝石みたいになりますね」
「宝石にしてはノッペリしてませんか?」

 マルタも宝石のようだと言いました。レイの頭には、地球とこの世界では色彩感覚が違うのかもしれないという考えが浮かびました。でも、そんなことはないんですよ。単にこのような濃い色がないだけなんです。
 貴族ならともかく、庶民にとっては日常に色があるということが少ないんです。植物には赤・青・黄・緑・紫・白など、たくさんの色がありますが、家の中を見ると、着ている服は薄く染めただけです。家具や食器は木製がほとんどです。だから「鮮やかな色=宝石」なんですね。

「この段階で成分的には通常の二〇倍です。俺はこれを濃縮タイプと呼んでいます。ここから五分の一まで煮詰めて一〇〇倍にしたものが先日お渡ししたものです。あれは超濃縮タイプと呼んでいます。今回の一部はそっちにしましょう」

 レイはそのまま煮込み続けます。元々がかなり濃い物質なので、水分もすぐに飛んでいきます。

「この濃さになるまで煮詰めます」

 レイには見慣れた赤い郵便ポスト、もしくは朱肉のような見た目になっています。

「そこまで煮込んで大丈夫なんですか?」
「ダーシーさんが試したものもこうやって作ったから大丈夫ですよ。この段階で飲むことはオススメできませんけどね。一度舐めましたけど、全身が引きつるくらい苦かったです。間違いなく疲れは取れますので、試したい人はどうぞ」

 レイはそう言ってお玉を差し出しますが、ダーシー以下すべての職員がそろって首を横に振りました。たぶん、ペンキと同じくらい不味いですよ。

「ここで苦味を消すためのミントと蜂蜜を用意します」

 レイはミントを刻みながら鍋でお湯を沸かします。

「煮立ててしまうとミントからエグ味が出るので、弱火でじっくりと香りを引き出します」

 そこにドバドバと蜂蜜の塊を入れました。

「そんなに使うんですか?」
「そうしなければのけ反るくらい苦いんですよ。それで薬の中にこの蜂蜜ミントを漉しながら加えます」
「たしかに高くなるのはわかりますね」

 ダーシーは鍋の中のドロリとした薬を見ながら感想をこぼします。

「これで完成です。二〇倍のほうならポーションにできなくはないと思いますけど、飲み切るのに時間がかかるんですよね」
「ポーションのメリットが何一つないですよね。全部錠剤にしましょう」

 それぞれの鍋に凝固剤を加えて練ります。それを型に押し込んで錠剤にしていきます。どちらも濃い朱色ですが、一〇〇倍のほうが一回り濃い色をしているので、見た目でわかります。

 作業が終わったのでレイは帰る準備をしますが、効能と副作用についてはあらためて伝えることにしました。
 レイたちが一度だけ試したところでは、二〇倍の濃縮タイプでは最初に一五〇しか回復しません。ただし、残りの成分がじわじわと効くようで、六時間ほど継続的に回復しました。一〇〇倍の超濃縮タイプでは、最初に五〇〇回復し、それから一二時間ほど回復し続けました。
 このような結果になりましたが、使ったのは一度だけです。自分たち以外が使えば違うかもしれないとレイは念押しすると、代金を受け取ってギルドを出ました。



 職員たちが完成した薬を前にして考え込んでいます。ギルド職員でも、接客が得意な人もいれば、研究が得意な人もいます。ここにいるのは実験や分析が好きなタイプですね。

「うむ、たしかに作り方は同じだったな。作り方は」

 はい。水を加えてすり潰したり、叩いて潰したり、煮込んで抽出したりするのは同じです。使う道具も同じですね。

「素材が同じはずなのに、同じではないよな」

 そうですね。素材は同じですが、完成したものが違いますね。鶏肉と卵とタマネギがあるから親子丼かなと思ったらキチン南蛮だったくらいの違和感があります。

「このモヤモヤ感をどうやって表したらいいの?」

 そういうモヤモヤ感ってありますよね。でも、たまに訳のわからないないことをする人が現れるんですよ。
 あれは日本で、ちょうど縄文時代と呼ばれていたころでしょうか、とんでもない土器を作った人がいましてね。その人の影響を受けて、やたらと装飾的な土器が生まれました。火焔型土器というものです。その人、同じ世界で生まれ変わったんですよ。そうしたら今度は「芸術は爆発だ!」と言い始めましたね。
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