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第6章:夏から秋、悠々自適
第12話:貴族でも頭を下げることはある
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ざわっ……
謁見の間に入ったローランドたちを見て、国王ランドルフ八世をはじめ、多くの貴族や役人がざわつきます。ローランドたちの衣装を見ての反応です。
ローランドは燃えるような赤、妻のアイリーンは清らかなカーネーションを思わせるようなコーラルピンク、娘のシェリルは春の草原を彷彿させるミントグリーン、息子のアーランドは澄んだ湖の水のようなアクアブルーを着ていたからです。付き従う執事のレナードは濃紺のスーツを着ています。「明らかに生地が違う」「どうすればあのような色になるのか」「あり得ない」など声がローランドたちの耳に届きました。
「ダンカン男爵、遠いところを申し訳ないな」
「いえ、陛下。私は陛下の忠実な臣下です」
ローランドは一歩前に進むと床に片膝をつき、胸に手を当てて深々と頭を下げました。
「グレーターパンダの毛皮、あれが定期的に手に入るようになったのは喜ばしい。優秀な者が現れたようだな」
「はい。その冒険者はギルモア男爵の息子で、名前をレイモンドと申します。そのパーティーにはテニエル男爵の娘のカトリーナもおりまして、冒険者としてクラストンに定住してくれました。ずっと毛皮だけというわけにもいかないでしょうが、できる限り多く集めてもらうつもりでございます」
「ギルモア男爵とテニエル男爵か。ふむ……」
ランドルフは一つ顎を撫でると、横を向きました。
「ハンクス侯爵、ギルモア男爵家の者がこの城におったな?」
「はい。通信省に男爵の次男が勤めております」
ランドルフの問いかけに、近くにいた宰相のハンクス侯爵が応じました。ハンクス侯爵ブルーノ・エイリーは領地を持ちません。侯爵という爵位は、宰相という地位に対して与えられたものです。あまり愛想がよくなく、笑っているところを誰も見たことがないという噂が広まっています。
実際には冗談を口にすることもありますし、笑うこともあります。しかし、王宮にいる間は無表情に自分の仕事を淡々と勧めるだけの人物です。
「それにしても……その服はどういう素材なのだ?」
「これは先ほど名前を出しましたレイモンドが染めてくれました」
「それは染め物なのか?」
「はい。陛下の前に立つに相応しい服装をと思いまして。生地は私が用意し、彼に染めてもらいました。それを仕立てております」
「とても布には見えぬな」
ランドルフは階を下りてローランドの前に立ちました。ローランドは上着を脱いで差し出します。
「ふむ。間違いなく絹だが……、どう見ても普通の絹には思えん。どうすればこのように染められるのか……」
ランドルフが着ているのは、金や銀をあしらった煌びやかな衣装ですが、生地の紫はけっして派手ではありません。何度も染めることによって深い紫になっていますが、その「高貴な紫」に染められた絹も、ローランドの深紅の上着と比べれば霞んでしまいます。
「私から陛下がお召しになる衣装の生地をレイモンドに用意させましょうか?」
「む、お主から頼んでもらえるか?」
「承知いたしました」
ひとしきり話すと、ランドルフはローランドに上着を返し、玉座に戻りました。
「すまぬな。順序がおかしくなった。ハンクス侯爵、続けてくれ」
「かしこまりました。ダンカン男爵ローランド・ノックス」
「はっ」
ローランドは顔を上げました。
「今上陛下ランドルフ八世の命により、汝をデューラント王国子爵に叙する。ダンジョンのある領地としてはこれ以上は望めぬことを心に留めておくように」
「はっ。今後も陛下のため、国のために尽くす所存でございます」
ローランドが大きく頭を下げると、ランドルフは鷹揚にうなずいてから謁見の間を去りました。
それを見送ってから、ハンクス侯爵がもう一度口を開きました。
「ダンカン子爵。今宵は陞爵記念パーティーを行う」
「誠にありがたく」
ローランドは大きく頭を下げました。
◆◆◆
「あなた、仕方ないとはいえ、勝手にあのような約束をしてもよろしかったのですか?」
「う、うむ。しかし、あの場ではああ言うしかあるまい。私に断れるわけがないたろう。何かこう……彼に渡せるものがあればいいのだが……」
妻の視線を受けてローランドが戸惑います。つい先ほどまで、彼らは陞爵記念の祝賀パーティーに主賓として参加していました。その会場で、ローランドはレイが染めた生地を売ってくれるようにと、他の貴族たちに頼まれたのです。上位の貴族たちに頼まれた彼は、「すぐには無理だが近いうちに販売できるように用意させる」と言ってしまいました。つい見栄を張って。
ローランドは性格の悪い男ではありませんが、貴族によくあるように、気分が乗るとつい口が軽くなります。陞爵記念パーティーという、今の領地にいれば生涯に一度きりしかない場所なので、それも仕方がないところですが。
「お父様、私がそのレイさんに嫁ぐというのはどうですか? 少なくとも代官くらいは任せられる人物だと思いますが」
そう言ったのは娘のシェリルです。聖別式はまだですが、それを受ければジョブを得られるというだけなので、それまでに嫁いではいけないという決まりはありません。貴族なら三歳から五歳で婚約、八歳で嫁ぐということもザラにあります。極端な話では、生まれる前に婚約の予約がされるという、訳のわからないこともあるくらいです。貴族の娘として生まれたシェリルは、家のために嫁ぐのは当然だと教わっています。
「お前がそうしたいなら止めないが、なかなか難しいぞ」
「……どういうことですか?」
相手は男爵の三男であって、公爵の跡取り息子ではありません。自分も跡取りではなく、いずれは家を出る身です。釣り合いはとれているはずです。気になるとすれば、レイは冒険者という立場にいることでしょうか。シェリルはこれまでお嬢様として暮らしてきました。冒険者として生活することの大変さは彼女にはわかりません。
しかし、そのレイは少し前からクラストンの街中に家を構えています。元々が商店の入っていた大きな建物で、中にはいったことのあるレナードに言わせると、立派な内装になっているということです。グレーターパンダの毛皮で相当な稼ぎになっているという話も聞いています。それほどひどい暮らしにはならないはずです。
「シェリル、お前は可愛いと思う。それは父親だからというわけではない。ところが、上には上がいる」
「……レイさんの周りには美人が多いと?」
シェリルは父親を睨みつけました。
「お前たちは会っていないからわからないだろうが、ドレスを着れば全員がどこかの令嬢と思えるだろう。レナード、彼女たちを見てどう思った?」
レナードは余計な話を振らないでほしいという顔をしてからシェリルに向き直りました。
「正直に申し上げますと、もし『行雲流水』の女性たちが貴族の令嬢だとすれば、パーティーではまさに花形となりえましょう。さらに申せば、レイ殿を含め、全員実力は折り紙付きです。そこにきて性格もいいとなれば、金や地位で彼らを釣ろうとする貴族は多いでしょう」
レナードは言いすぎでしょうが、それでもおかしすぎることはありません。ずば抜けて美人なのはシーヴですが、ケイトはいかにも貴族の令嬢らしい整った顔立ちをしています。表情は違うものの、サラとラケルはいかにも可愛いらしい顔です。すまし顔のシャロンはハーフリングという種族のせいで小柄ですが、精霊族らしい美しい顔をしています。
そんな美女たちとパーティーを組んでいるリーダーのレイは、貴族の息子ということもありますが、非常に礼儀正しく、サッパリした見た目をしています。さらには、彼には金を稼ぐ手段と知識がたくさんあります。
そして、これが一番重要ですが、レイを含めて六人全員が上級ジョブです。どこへ行っても重宝されるのは間違いありません。たとえば、アシュトン子爵は有力な跡取り候補を失ったばかりです。レイを跡取りに迎えたいと言う可能性はゼロではありません。
そのレイはローランドから家を買いましたが、「不要になれば売ればいい」とわざわざ売り主が説明しました。つまり、クラストンに留まるも出ていくも、レイたちの自由です。
レナードは一同に向かって一つずつ説明しました。少し意地の悪い言い方も混せつつ。
「……レナード、ひょっとすると、私は非常にマズいことを言ったのか?」
ローランドは今さらながら顔と背中に汗をかき始めました。あの家については「不要になれば売ればいい。それだけで元がとれる」という内容の言葉を口にしました。それは、気を遣わせないようにと言ったつもりですが、捉え方によっては、出ていくのなら引き止めないと言ったのと同じです。
レイたちは面倒なことがあれば、家を処分して別の町へ行けばいいだけです。六人のうち、誰一人としてクラストン出身者はいません。留まらなければならない理由は、レイたちには一つもないのです。
レイは出ていけばそれでいいのですが、出ていかれたローランドはどうなるでしょうか。また以前と同じように、グレーターパンダの毛皮が手に入りにくくなるでしょう。
他の貴族たちからは、早く手に入れろと催促されるに決まっています。さらには、先ほど約束した生地のこともあります。レイたちが出ていったことを知られれば、冒険者を引き止めるだけの度量もないのかと、馬鹿にされることは間違いありません。
最後に、陛下に献上する予定の生地のこともあります。謁見の場で「用意させましょう」と堂々と言いきったのです。
ローランドは自分の失言を思い返し、顔を真っ青にしました
「勝手に約束をしたことをきちんと謝罪なさればよろしいかと。今さら取り消すこともできないでしょう」
「そうだな。誠心誠意感謝の気持ちを伝えて残ってもらうしかないな」
◆◆◆
「は、はい、それはできますが」
「すまん。至急頼む」
レイの兄であるライナスは、朝一番にド派手な服装のローランドが執務室に飛び込んできて倒れそうになりました。彼はライナスに頭を下げ、可及的速やかに手紙を配達してくれるようにと頼みました。
「クラストンの冒険者ギルドに宛てて送ればよろしいですね?」
「ああ。そうすればレイに届くはず」
「わかりました」
ライナスは部屋の止まり木で毛繕いしていた鳥に手紙を渡して頭を撫でました。すると、その鳥はスッと飛び立ち、あっという間に見えなくなりました。
「これで大丈夫です。距離的に……昼過ぎ、遅くとも日が暮れるまでには届くはずです」
「感謝する」
ローランドは机に金貨を置くと部屋から出ていきました。
今さらですが、ここは通信省にあるライナスの執務室です。本来は国の各所に緊急の連絡をするための場所です。しかし、仕事の邪魔にならない範囲で、このように貴族からの依頼を受けることがあります。その代金は自分の懐に入れても問題ありません。
ライナスのジョブは鳥使いで、鳥と契約して手紙などを送ることができます。ただし、彼が見たことのある場所か、契約した鳥が行ったことのある場所にしか送ることができないという制限があります。
退職した前任者からこの仕事を引き継いだライナスですが、行ったことのある町は、この国の北部に限られています。ようやく王都の各所は回りましたが、王都外で見ておかなければならない場所がたくさんあります。彼はまだ二一歳で、まだまだ先は長いのです。若いうちに国内の各地、それから周辺国を順番に回ることになるでしょう。大変な仕事ですが、それ以上にやり甲斐があります。
「しかしまあ……子爵様は何をやらかしたんだ? あのレイが怒るとは思えないんだが」
ライナスからすると、レイが怒ることは考えられません。ただ、怒らなくてもそっぽを向くことはできます。今のローランドにはそれが一番怖かったのです。
◆◆◆
「ローランドさんからか」
冒険者ギルドからレイに鳥と手紙が届きました。送り主は王都にいる兄のライナスでした。中には二つの手紙が入っていて、一つはライナスがローランドから手紙の配達を頼まれた経緯が書かれていました。もう一つはローランドによる謝罪の手紙でした。国王や他の貴族にあの布を売ることを勝手に約束してしまった。その件について後日訪問すると。
「ああ、やっぱりそうなったか」
あの服を渡した時点で、おそらくこうなるのではないかとレイは感じていました。貴族は見栄を張りがちです。それならあれに飛び付くだろうと。それでもレイがあの服を渡したのは、一つはこの家を用意してもらった礼のつもりだからです。
狭い町なのでなかなか空き家が見つかりません。たまたまその話が叔父のザカリーを経由してローランドの耳に入りました。そうでなければ、今でも宿屋暮らしでしょう。白鷺亭は悪くない宿屋ですが、それでも宿屋でしかありません。いつでも好きなように魔物を解体したり料理を作ったりはできません。
もう一つは、自分たちがいずれ街中で着るために、もっと流行らせるためです。『行雲流水』はパンダキラーという二つ名で知られるようになってきました。つまり、大金を持っていることがバレています。そのような状況でビビッドカラーの服を着れば、悪目立ちするのは間違いありません。だから、最初に着ようとは思っていません。
ローランドが王都で広め、それがクラストンでも流行るようになれば、レイたちも素知らぬ顔で着ることができるでしょう。
「あの色は目立つもんね」
「欲しがる貴族は多いでしょうね」
「ものすごく目立ちます。分かりやすくていいです」
「あれを着れば社交界の華ですわ」
「中身が伴っていないとドレスばかりが目立つでしょうが」
「そう言ってやるなよ。みんな美人だからそう言えるんだぞ」
王都に屋敷を持つ貴族の子女が、パーティーで結婚相手を探すというのは珍しいことではありません。しかし、そこに集まるのは貴族の子女だけです。親の爵位が高ければ高いほど早く相手が見つかります。その次が容姿です。いつの時代でも、親のコネは大きいのです。そして、その場でアピールできなければ、舞踏会では壁の花になるだけですが、レイたちが染めた生地でドレスを作れば、とんでもなく目立つのは間違いありません。
「旦那様に美人と言っていただけるとやり甲斐が出ますね」
「レイは持って回った言い方はしないからね」
「いや、そうでもないけど?」
レイでも断るときはそれなりの言い回しを使います。ストレートに言えばいいわけではありません。
「とりあえずパンダ狩りをしつつ、染めをする。布は絹をローランドさんが用意してくれるらしい」
庶民向けの綿や亜麻、麻、毛織物を染めても仕方がありません。それはそれで一般向けとして販売してもいいのですが、まずは貴族の中で流行って、ある程度行き渡ってから庶民向けを発売しようと考えています。
ローランドが戻るまでは、パンダを狩りつつ染料になる素材を集め、飽きたらダンジョンに潜り、合間に集めた素材を処理して染料を作るという、あまり変化のない予定になりました。
謁見の間に入ったローランドたちを見て、国王ランドルフ八世をはじめ、多くの貴族や役人がざわつきます。ローランドたちの衣装を見ての反応です。
ローランドは燃えるような赤、妻のアイリーンは清らかなカーネーションを思わせるようなコーラルピンク、娘のシェリルは春の草原を彷彿させるミントグリーン、息子のアーランドは澄んだ湖の水のようなアクアブルーを着ていたからです。付き従う執事のレナードは濃紺のスーツを着ています。「明らかに生地が違う」「どうすればあのような色になるのか」「あり得ない」など声がローランドたちの耳に届きました。
「ダンカン男爵、遠いところを申し訳ないな」
「いえ、陛下。私は陛下の忠実な臣下です」
ローランドは一歩前に進むと床に片膝をつき、胸に手を当てて深々と頭を下げました。
「グレーターパンダの毛皮、あれが定期的に手に入るようになったのは喜ばしい。優秀な者が現れたようだな」
「はい。その冒険者はギルモア男爵の息子で、名前をレイモンドと申します。そのパーティーにはテニエル男爵の娘のカトリーナもおりまして、冒険者としてクラストンに定住してくれました。ずっと毛皮だけというわけにもいかないでしょうが、できる限り多く集めてもらうつもりでございます」
「ギルモア男爵とテニエル男爵か。ふむ……」
ランドルフは一つ顎を撫でると、横を向きました。
「ハンクス侯爵、ギルモア男爵家の者がこの城におったな?」
「はい。通信省に男爵の次男が勤めております」
ランドルフの問いかけに、近くにいた宰相のハンクス侯爵が応じました。ハンクス侯爵ブルーノ・エイリーは領地を持ちません。侯爵という爵位は、宰相という地位に対して与えられたものです。あまり愛想がよくなく、笑っているところを誰も見たことがないという噂が広まっています。
実際には冗談を口にすることもありますし、笑うこともあります。しかし、王宮にいる間は無表情に自分の仕事を淡々と勧めるだけの人物です。
「それにしても……その服はどういう素材なのだ?」
「これは先ほど名前を出しましたレイモンドが染めてくれました」
「それは染め物なのか?」
「はい。陛下の前に立つに相応しい服装をと思いまして。生地は私が用意し、彼に染めてもらいました。それを仕立てております」
「とても布には見えぬな」
ランドルフは階を下りてローランドの前に立ちました。ローランドは上着を脱いで差し出します。
「ふむ。間違いなく絹だが……、どう見ても普通の絹には思えん。どうすればこのように染められるのか……」
ランドルフが着ているのは、金や銀をあしらった煌びやかな衣装ですが、生地の紫はけっして派手ではありません。何度も染めることによって深い紫になっていますが、その「高貴な紫」に染められた絹も、ローランドの深紅の上着と比べれば霞んでしまいます。
「私から陛下がお召しになる衣装の生地をレイモンドに用意させましょうか?」
「む、お主から頼んでもらえるか?」
「承知いたしました」
ひとしきり話すと、ランドルフはローランドに上着を返し、玉座に戻りました。
「すまぬな。順序がおかしくなった。ハンクス侯爵、続けてくれ」
「かしこまりました。ダンカン男爵ローランド・ノックス」
「はっ」
ローランドは顔を上げました。
「今上陛下ランドルフ八世の命により、汝をデューラント王国子爵に叙する。ダンジョンのある領地としてはこれ以上は望めぬことを心に留めておくように」
「はっ。今後も陛下のため、国のために尽くす所存でございます」
ローランドが大きく頭を下げると、ランドルフは鷹揚にうなずいてから謁見の間を去りました。
それを見送ってから、ハンクス侯爵がもう一度口を開きました。
「ダンカン子爵。今宵は陞爵記念パーティーを行う」
「誠にありがたく」
ローランドは大きく頭を下げました。
◆◆◆
「あなた、仕方ないとはいえ、勝手にあのような約束をしてもよろしかったのですか?」
「う、うむ。しかし、あの場ではああ言うしかあるまい。私に断れるわけがないたろう。何かこう……彼に渡せるものがあればいいのだが……」
妻の視線を受けてローランドが戸惑います。つい先ほどまで、彼らは陞爵記念の祝賀パーティーに主賓として参加していました。その会場で、ローランドはレイが染めた生地を売ってくれるようにと、他の貴族たちに頼まれたのです。上位の貴族たちに頼まれた彼は、「すぐには無理だが近いうちに販売できるように用意させる」と言ってしまいました。つい見栄を張って。
ローランドは性格の悪い男ではありませんが、貴族によくあるように、気分が乗るとつい口が軽くなります。陞爵記念パーティーという、今の領地にいれば生涯に一度きりしかない場所なので、それも仕方がないところですが。
「お父様、私がそのレイさんに嫁ぐというのはどうですか? 少なくとも代官くらいは任せられる人物だと思いますが」
そう言ったのは娘のシェリルです。聖別式はまだですが、それを受ければジョブを得られるというだけなので、それまでに嫁いではいけないという決まりはありません。貴族なら三歳から五歳で婚約、八歳で嫁ぐということもザラにあります。極端な話では、生まれる前に婚約の予約がされるという、訳のわからないこともあるくらいです。貴族の娘として生まれたシェリルは、家のために嫁ぐのは当然だと教わっています。
「お前がそうしたいなら止めないが、なかなか難しいぞ」
「……どういうことですか?」
相手は男爵の三男であって、公爵の跡取り息子ではありません。自分も跡取りではなく、いずれは家を出る身です。釣り合いはとれているはずです。気になるとすれば、レイは冒険者という立場にいることでしょうか。シェリルはこれまでお嬢様として暮らしてきました。冒険者として生活することの大変さは彼女にはわかりません。
しかし、そのレイは少し前からクラストンの街中に家を構えています。元々が商店の入っていた大きな建物で、中にはいったことのあるレナードに言わせると、立派な内装になっているということです。グレーターパンダの毛皮で相当な稼ぎになっているという話も聞いています。それほどひどい暮らしにはならないはずです。
「シェリル、お前は可愛いと思う。それは父親だからというわけではない。ところが、上には上がいる」
「……レイさんの周りには美人が多いと?」
シェリルは父親を睨みつけました。
「お前たちは会っていないからわからないだろうが、ドレスを着れば全員がどこかの令嬢と思えるだろう。レナード、彼女たちを見てどう思った?」
レナードは余計な話を振らないでほしいという顔をしてからシェリルに向き直りました。
「正直に申し上げますと、もし『行雲流水』の女性たちが貴族の令嬢だとすれば、パーティーではまさに花形となりえましょう。さらに申せば、レイ殿を含め、全員実力は折り紙付きです。そこにきて性格もいいとなれば、金や地位で彼らを釣ろうとする貴族は多いでしょう」
レナードは言いすぎでしょうが、それでもおかしすぎることはありません。ずば抜けて美人なのはシーヴですが、ケイトはいかにも貴族の令嬢らしい整った顔立ちをしています。表情は違うものの、サラとラケルはいかにも可愛いらしい顔です。すまし顔のシャロンはハーフリングという種族のせいで小柄ですが、精霊族らしい美しい顔をしています。
そんな美女たちとパーティーを組んでいるリーダーのレイは、貴族の息子ということもありますが、非常に礼儀正しく、サッパリした見た目をしています。さらには、彼には金を稼ぐ手段と知識がたくさんあります。
そして、これが一番重要ですが、レイを含めて六人全員が上級ジョブです。どこへ行っても重宝されるのは間違いありません。たとえば、アシュトン子爵は有力な跡取り候補を失ったばかりです。レイを跡取りに迎えたいと言う可能性はゼロではありません。
そのレイはローランドから家を買いましたが、「不要になれば売ればいい」とわざわざ売り主が説明しました。つまり、クラストンに留まるも出ていくも、レイたちの自由です。
レナードは一同に向かって一つずつ説明しました。少し意地の悪い言い方も混せつつ。
「……レナード、ひょっとすると、私は非常にマズいことを言ったのか?」
ローランドは今さらながら顔と背中に汗をかき始めました。あの家については「不要になれば売ればいい。それだけで元がとれる」という内容の言葉を口にしました。それは、気を遣わせないようにと言ったつもりですが、捉え方によっては、出ていくのなら引き止めないと言ったのと同じです。
レイたちは面倒なことがあれば、家を処分して別の町へ行けばいいだけです。六人のうち、誰一人としてクラストン出身者はいません。留まらなければならない理由は、レイたちには一つもないのです。
レイは出ていけばそれでいいのですが、出ていかれたローランドはどうなるでしょうか。また以前と同じように、グレーターパンダの毛皮が手に入りにくくなるでしょう。
他の貴族たちからは、早く手に入れろと催促されるに決まっています。さらには、先ほど約束した生地のこともあります。レイたちが出ていったことを知られれば、冒険者を引き止めるだけの度量もないのかと、馬鹿にされることは間違いありません。
最後に、陛下に献上する予定の生地のこともあります。謁見の場で「用意させましょう」と堂々と言いきったのです。
ローランドは自分の失言を思い返し、顔を真っ青にしました
「勝手に約束をしたことをきちんと謝罪なさればよろしいかと。今さら取り消すこともできないでしょう」
「そうだな。誠心誠意感謝の気持ちを伝えて残ってもらうしかないな」
◆◆◆
「は、はい、それはできますが」
「すまん。至急頼む」
レイの兄であるライナスは、朝一番にド派手な服装のローランドが執務室に飛び込んできて倒れそうになりました。彼はライナスに頭を下げ、可及的速やかに手紙を配達してくれるようにと頼みました。
「クラストンの冒険者ギルドに宛てて送ればよろしいですね?」
「ああ。そうすればレイに届くはず」
「わかりました」
ライナスは部屋の止まり木で毛繕いしていた鳥に手紙を渡して頭を撫でました。すると、その鳥はスッと飛び立ち、あっという間に見えなくなりました。
「これで大丈夫です。距離的に……昼過ぎ、遅くとも日が暮れるまでには届くはずです」
「感謝する」
ローランドは机に金貨を置くと部屋から出ていきました。
今さらですが、ここは通信省にあるライナスの執務室です。本来は国の各所に緊急の連絡をするための場所です。しかし、仕事の邪魔にならない範囲で、このように貴族からの依頼を受けることがあります。その代金は自分の懐に入れても問題ありません。
ライナスのジョブは鳥使いで、鳥と契約して手紙などを送ることができます。ただし、彼が見たことのある場所か、契約した鳥が行ったことのある場所にしか送ることができないという制限があります。
退職した前任者からこの仕事を引き継いだライナスですが、行ったことのある町は、この国の北部に限られています。ようやく王都の各所は回りましたが、王都外で見ておかなければならない場所がたくさんあります。彼はまだ二一歳で、まだまだ先は長いのです。若いうちに国内の各地、それから周辺国を順番に回ることになるでしょう。大変な仕事ですが、それ以上にやり甲斐があります。
「しかしまあ……子爵様は何をやらかしたんだ? あのレイが怒るとは思えないんだが」
ライナスからすると、レイが怒ることは考えられません。ただ、怒らなくてもそっぽを向くことはできます。今のローランドにはそれが一番怖かったのです。
◆◆◆
「ローランドさんからか」
冒険者ギルドからレイに鳥と手紙が届きました。送り主は王都にいる兄のライナスでした。中には二つの手紙が入っていて、一つはライナスがローランドから手紙の配達を頼まれた経緯が書かれていました。もう一つはローランドによる謝罪の手紙でした。国王や他の貴族にあの布を売ることを勝手に約束してしまった。その件について後日訪問すると。
「ああ、やっぱりそうなったか」
あの服を渡した時点で、おそらくこうなるのではないかとレイは感じていました。貴族は見栄を張りがちです。それならあれに飛び付くだろうと。それでもレイがあの服を渡したのは、一つはこの家を用意してもらった礼のつもりだからです。
狭い町なのでなかなか空き家が見つかりません。たまたまその話が叔父のザカリーを経由してローランドの耳に入りました。そうでなければ、今でも宿屋暮らしでしょう。白鷺亭は悪くない宿屋ですが、それでも宿屋でしかありません。いつでも好きなように魔物を解体したり料理を作ったりはできません。
もう一つは、自分たちがいずれ街中で着るために、もっと流行らせるためです。『行雲流水』はパンダキラーという二つ名で知られるようになってきました。つまり、大金を持っていることがバレています。そのような状況でビビッドカラーの服を着れば、悪目立ちするのは間違いありません。だから、最初に着ようとは思っていません。
ローランドが王都で広め、それがクラストンでも流行るようになれば、レイたちも素知らぬ顔で着ることができるでしょう。
「あの色は目立つもんね」
「欲しがる貴族は多いでしょうね」
「ものすごく目立ちます。分かりやすくていいです」
「あれを着れば社交界の華ですわ」
「中身が伴っていないとドレスばかりが目立つでしょうが」
「そう言ってやるなよ。みんな美人だからそう言えるんだぞ」
王都に屋敷を持つ貴族の子女が、パーティーで結婚相手を探すというのは珍しいことではありません。しかし、そこに集まるのは貴族の子女だけです。親の爵位が高ければ高いほど早く相手が見つかります。その次が容姿です。いつの時代でも、親のコネは大きいのです。そして、その場でアピールできなければ、舞踏会では壁の花になるだけですが、レイたちが染めた生地でドレスを作れば、とんでもなく目立つのは間違いありません。
「旦那様に美人と言っていただけるとやり甲斐が出ますね」
「レイは持って回った言い方はしないからね」
「いや、そうでもないけど?」
レイでも断るときはそれなりの言い回しを使います。ストレートに言えばいいわけではありません。
「とりあえずパンダ狩りをしつつ、染めをする。布は絹をローランドさんが用意してくれるらしい」
庶民向けの綿や亜麻、麻、毛織物を染めても仕方がありません。それはそれで一般向けとして販売してもいいのですが、まずは貴族の中で流行って、ある程度行き渡ってから庶民向けを発売しようと考えています。
ローランドが戻るまでは、パンダを狩りつつ染料になる素材を集め、飽きたらダンジョンに潜り、合間に集めた素材を処理して染料を作るという、あまり変化のない予定になりました。
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異世界に転生した良太は、とりあえず父の勧める通りに冒険者を目指すこととなる。学校での出会いや、地球では体験したことのない様々な出来事が彼を待っている。
初めて投稿する作品ですので、温かい目で見ていただければ幸いです。
誤字・脱字やおかしな表現や展開など、指摘があれば遠慮なくお願い致します。
1話1話はとても短くなっていますので、サクサク読めるかなと思います。
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貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
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貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
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お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
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注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
欲張ってチートスキル貰いすぎたらステータスを全部0にされてしまったので最弱から最強&ハーレム目指します
ゆさま
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チートスキルを授けてくれる女神様が出てくるまで最短最速です。(多分) HP1 全ステータス0から這い上がる! 可愛い女の子の挿絵多めです!!
カクヨムにて公開したものを手直しして投稿しています。
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うっかり『野良犬』を手懐けてしまった底辺男の逆転人生
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辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。
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そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。
そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。
うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。
いずれは王となるのも夢ではないかも!?
◇世界観的に命の価値は軽いです◇
カクヨムでも同タイトルで掲載しています。
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少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
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辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
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