異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第6章:夏から秋、悠々自適

第3話:住とくれば食

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「そういうわけで、家具が届き次第引っ越すから」
「わかりましたぁ。すぐですからぁ、いつでも行けますしねぇ」
「仕事があるだろ?」

 酒場の娘が仕事そっちのけで向かいの家に来ていたら問題です。それに、朝から午後まではレイたちも出かけています。

「そうそう。夕食はここ白鷺亭で食べることもあるんじゃない?」
「そうです。ここのスペシャルは美味しいです」

 ラケル・スペシャルですね。座布団のようなサイズのステーキです。あれはレイが仕込みをしていますが、ロニーの腕がいいのは間違いありません。

「あらあら、レイさん。言ってくだされば、いつでもマルタは差し上げますのに」
「いや、大切な娘さんを簡単に渡されても困ります」

 うっかりするとスサンからマルタを押し付けられそうになります。言質げんちをとられないように気をつけながら、レイは部屋に戻ることにしました。

「そうでした。レイ、忘れる前に伝えておきますと、シャグルさんという方が経営しているお店で頼んだところ、数が多いので、他のお店と手分けして作るそうです」
「数が数だからそうなるよな」
「はい。木工ギルドの知り合いだそうです。それだけでもなさそうですけど」

 シーヴたちが家具を頼んだのは、家具屋というよりも木工所でした。街中にはいくつか木工所があります。お互いに競争関係ではありますが、場合によっては協力し合うこともあります。
 今回、個室用の家具には机、椅子、テーブル、テーブル用の椅子が複数、棚、タンス、ベッドが含まれます。それが一〇セット。さらにはダイニングやリビング、応接室で使われるものもあります。それだけを一気に注文しましたので、シャグルは気合を入れて作らないといけないと思い、知り合いに声をかけることにしたのです。

 ~~~

「家具を作ってもらえますか?」
「おう、べっぴんさんだな。いいぜ、何を作るんだ?」
「こちらに一覧があります」

 シーヴは注文予定の家具の一覧をシャグルに差し出しました。彼はそれを見てから、もう一度シーヴの顔を見ました。

「これ全部を同じ建物で使うと?」
「はい。一月くらいで作ってもらえると助かります」

 シーヴがそう言うと、シャグルは指を数えて計算し始めました。

「場所は白鷺亭の道を挟んで西側です。今は白鷺亭で部屋を借りていますので、連絡はそこにいただければ助かります」
「白鷺亭というと、北寄りのあの店か。これらの家具の注文主は貴族様とか?」
「いえ。実家は貴族ですが、本人は家を出ています。今は冒険者ですね。家を買いましたので、当面はこの町で暮らすことになりそうです」

 シーヴの言葉を聞いたシャグルは、一度顎に手を当てると背筋を伸ばしました。

「知り合いがやっている木工所にも頼んで、至急用意いたします。二週間はかからないと思いますが、なにぶん数が数ですので」
「いえ、それほど急がなくても大丈夫です。しっかりしたものを作っていただければ」

 ~~~

「たぶん勘違いしてるよな?」
「おそらく。貴族ではないと伝えたんですけど」

 レイたちは気づいていませんが、シャグルが気にしたのは、レイたちが受け取った物件が広場にあったことです。
 白鷺亭もその家も、この町を南北に突き抜ける中央通り沿いにあります。町のど真ん中にある中央広場と北門の間のやや北寄り、将棋盤に例えるなら、5二と5三の間あたりになります。この場所がシャグルが背筋を伸ばした理由です。
 町の土地はすべて領主の所有物です。領民はわけです。ただし、一部は領主が払い下げて、それを使って不動産業者が賃貸業を行っています。街中にある借家の斡旋屋などがそれです。
 それ以外に、領主が直接扱っている土地があります。それが大通り沿いにある広場の周辺です。つまり、白鷺亭は領主と直接契約をしているわけです。もっとも、領主本人が出てくるわけではなく、執事が取り仕切っているのですが。

「まあ、代金はきちんと払う……というか、上乗せしてもいいのか?」
「レイ様、受け取った商品の出来が素晴らしければ、今後の付き合いもあるでしょうから、追加で渡すはずですわ」
「やっぱりそういうのがあるんだな」
「旦那様、私は直接は関わっておりませんが、ケイト奥様のドレスを仕立てた仕立て屋には、そのように支払いをしていた記憶があります」

 ケイトは非常に性格をしています。届けられたドレスを見た瞬間の表情で上乗せ分が違っていたとシャロンは説明しました。

「シャロン、わかりやすいとはどういうことですの?」
「誰が見てもわかりやすかったでしょう」

 ◆◆◆

 家を受け取った翌日、レイたちは再び家の調査に来ました。家具がどれくらいで完成するかによりますが、二週間から一か月ほどでこちらに引っ越すつもりです。それまでに一通り調べて直すべきところは直し、できる限り住み心地をよくしたいと考えています。
 あらためてこの家を見て回ると、その裏庭には何種類かの木が生えていました。その中の低木の葉に、レイとシーヴは見覚えがありました。

「あのあたりにあるのはお茶の木だよなあ」
「少し育ちすぎかもしれませんけど、あの葉っぱはお茶の木ですね。いいですよね、緑茶」

 これまでレイたちが口にしているのは紅茶です。この国でお茶といえば紅茶のことです。もしくはハーブティーなど、お茶の木ではないお茶でした。シーヴは緑茶も飲みたいと思っていましたが、作られていないのなら仕方がないと諦めていました。
 お茶の木自体はそこまで珍しいものではありません。野生の木もあることはあります。ところが、料理すらできない自分が製茶などできるはずがないとシーヴは考えていました。
 おそらく以前の彼女なら絶対にできなかったでしょう。ところが今のシーヴは違います。料理もできるようになりました。片付けはまだ少し苦手ですが。
 さて、紅茶は一級品でなければ庶民でも手に入る値段で売られています。ハーブティーもピンからキリまであります。シーヴは冒険者時代も堅実に貯金をしていましたので、お茶くらいは美味しいものを飲みたいと思い、そこそこいいものを口にしていました。そんな彼女なので、お茶の木を目の前にした瞬間、スイッチが入ってしまいました。

「お茶は挿し木で増やせます。まずは増やしましょう。一部は摘まずに放置です。若枝を切って挿し木にします」

 料理が苦手だったシーヴですが、生活に関する知識はレイ以上にあります。レイは挿し木の理屈は知っていますが、どのあたりで切るかとか、どれくらいすれば根が生えるかとか、細かなことはまったく知りません。それならシーヴに従ったほうがいいと考えました。

「増やすのはいいとして、緑茶の作り方は分かるのか?」
「作り方はしっかりと覚えています」
「それならやってみようか。ていうか、すぐにでも飲みたいんだろ?」
「飲みたいです!」

 シーヴがラケルのような口調で返事をしました。それを見て、最近のシーヴは自己主張が強くなったなあとレイは思いました。もちろんそれが嫌なわけではありません。自分に気を許してくれている証拠だと思っています。そのシーヴ指導で緑茶作りがいきなり始まりました。

 お茶はざっくりと大きく分けると、不発酵茶、半発酵茶、発酵茶、後発酵茶の四種類に分けられます。
 摘んだ茶葉を蒸して発酵を止めてから揉んで乾かしたのが不発酵茶の緑茶です。
 発酵させてから炒って揉んで乾かすのが半発酵茶のウーロン茶です。
 発酵させてから揉んでまた発酵させて乾かしたのが発酵茶の紅茶です。
 蒸して揉んでから微生物を付着させて発酵させたのが後発酵茶のプーアル茶です。
 茶葉が同じでも、製法の違いで風味がまったく違ったものになります。さらに番茶やほうじ茶もありますが、地域によって意味合いが変わるのが面白いですね。

「ではみなさん、用意はいいですね?」
「「「はい」」」
「では摘みます」

 シーヴの合図を聞いてみんなが一斉に茶葉を摘みます。さすがに摘むのはシーヴでもできます。張り切って摘み始めました。

「摘み終わった茶葉はこちらに入れてください」

 一部は加工せず、マジックバッグに入れたまま保存しておきます。緑茶以外も試すためです。

「すぐに蒸し上げます。レイ、お願いします」
「了解」

 レイが【水球】と【火球】で出した熱湯を使って茶葉を蒸します。

「蒸した茶葉は冷めないように注意しながら乾燥させます。レイ、お願いします」
「はいはい」

 今度は【風球】と【火球】を使って、温度を下げすぎないように注意しながら乾燥させます。

「これから揉みながら乾燥させます。みなさんはレイの体を愛撫することを想像してください。強すぎず弱すぎず、手のひらで適度な刺激を与えることを想像してください」
「他の言い方はないのか?」

 レイは文句を言いますが、もはやシーヴは聞いていません。

「レイは逆にみんなを愛撫するように優しく、かつしっかりと揉んでください」
「聞いてないな」

 女性陣はシーヴの指示に従って茶葉を揉んでいきます。そして最後に乾燥させれば緑茶の完成です。完成すれば、さっそく試飲です。

「美味いなあ」
「あ~、美味しい」
「これは風味の強いお茶ですね」

 元日本人の三人は緑茶の甘みを満喫しています。

「甘くて美味しいです」
「高貴な香りがしますわ」
「苦味が少なくて甘みが強いお茶ですね」

 美味しい紅茶のポイントは、香りと渋み、そしてミルクを引き立てるコクで、緑茶の場合は甘みです。どこが美味しいかが違います。

「これは最初に摘んだものなので新茶や一番茶と呼ばれます。一か月半ほど経てば二番茶を収穫し、それから一か月で三番茶です。三番茶を積まずに秋に葉が大きくなるのを待ってから摘むのが秋冬番茶です」

 茶摘みは春から秋まで楽しめるものですよ、とシーヴは説明します。

「緑茶に一番合うのがおせんべいです。それでは、おせんべいも作りましょう。さあさあ、ハリーアップ、ハリーアップ」

 せんべいはうるち米、つまり一般的な米でできています。おかき(かき餅)にはもち米を使います。米ではなく小麦を使ったせんべいもありますので、必ず米とは決まっていません。しかも、この町で手に入る米は、日本の米とは違って長粒種です。少々風味が違いますが、贅沢は言えません。

「米粉に熱湯を注いで練り、せいろで蒸します。その生地を伸ばして切って形を整えたら熱風で乾燥さてから焼きます。醤油がないのが心から残念です」

 シーヴにとってせんべいといえば、海苔を巻いた醤油せんべいです。残念ながら、今はどちらもありません。塩やソース、その他の香辛料で味付けをします。

「ソースもそれほど悪くないぞ」
「カレー味もいけるよ」
「それはそうなんですけど、それではダメなんです」

 日本人時代、九〇歳近くまで醤油せんべいと緑茶を愛した暮らしをしていたからでしょうか、手に入らない今になって急に欲が湧き出たようです。



「すみません、お昼になってしまいましたね」

 ひとまず緑茶とせんべいに満足したからか、元に戻ったシーヴはレイたちに頭を下げました。

「いや、悪いわけじゃないだろ。時間はあるからな」

 引っ越しが一日二日程度遅れても違いはありません。そもそも、家具がなければ引っ越せません。ただし、家のチェックはしなければなりません。

「そういや、あの奥にある木はマリオンでは見たことがないけど、知ってるか? 先になんかあるけど、カシューナッツじゃないよな?」
「あれはミルクフルーツですね。カシューナッツに似ていますけど、食感が違います。食べられるのは先に付いている殻の中身で、白い実の部分は食べられません。実の中には白い液体が入っています。渋いそうです」
「何かに使えそうか?」
「インクくらいでしょう」
「インクばかり増えるな」

 今のところは赤、青、黄、白の四色です。

「混ぜたらほんとんどの色が作れるんじゃない?」
「作れるだろうな。作れないのは……深い黒くらいか?」
「赤と青と黄を混ぜたら黒じゃないの?」
「それだと茶色になるぞ」

 色の三原色は青赤黄ではなく、プリンターのインクと同じシアン(C)、マゼンタ(M)、イエロー(Y)です。シアンは水色に近い青緑、マゼンタは赤紫、イエローは黄です。
 シアンとマゼンタを混ぜると青(B)、マゼンタとイエローを混ぜると赤(R)、イエローとシアンを混ぜると緑(G)になります。これで光の三原色と同じく、赤緑青(RGB)になります。だから、シアン、マゼンタ、イエローを混ぜると黒になりますが、青赤黄だけでは茶色にしかなりません。青みが足りませんね。
 なお、プリンターのインクにはシアン、マゼンタ、イエローだけでなくブラックがあります。混ぜれば黒になるのにと思うかもしれませんが、混ぜてもくっきりとした深い黒は出にくいので独立しているです。黒は出しにくいのです。

「やっぱりインク屋じゃない?」
「暇になったら作ってみるか」

 大量にストックされているインクの元が、そろそろ役立ちそうですね。
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