異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第3章:冬の終わり、山も谷もあってこその人生

第17話:逃した魚は大きかった(捕まえたとは言っていない)

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 少し時間を戻してみましょう。レイたちがマリオンを離れてしばらく経ったある日の夕方、冒険者ギルドのロビーでは『天使の微笑み』のアンナがキョロキョロとあたりを見回していました。

「最近見なくなったなあ……」
「どうしたんですか?」
「うん、レイ君とサラちゃんを見なくなったなって」
「そう言われてみるとそうですね。町を出ているのかもしれませんね」

 レイたちのアドバイスで『天使の微笑み』の二人も薬剤師ギルドに登録し、それ以降は明らかに収入が増えました。それをレイたちに報告し、アンナたちのおごりで飲み会をしたこともあります。
 それ以降、見かければお互いに手を上げて挨拶するくらいにはなりましたが、マリオンを離れるという報告などは受けていません。レイもサラも、この二人にマリオンを出ることを言いませんでしたが、それはわざとではありません。
 そもそもの話として、違うパーティーと顔を合わせるかどうかは、ほぼ運次第です。だからレイとサラは、ギルドが把握しているならいずれ伝わるだろうと、冒険者ギルドと薬剤師ギルドには報告して、そして街中で世話になった人たちにだけ個別で話をしただけでした。

「ちょっと聞いてみよっか」

 この国に個人情報保護の考え方はありません。名前やジョブは共有情報のように教えてもらえます。そしてよほど不利益がない限りは、住んでいる地域やその時点の状況——たとえば依頼を受けて町にいないかどうか——なども教えてくれます。
 それは情報を垂れ流すためではなく、冒険者が他の冒険者と連絡をとる手段が少ないからです。新しいメンバーを探しているパーティーにギルドが紹介することもあります。だから悪いことばかりではないんですよ。

「すみません。レイ君とサラちゃんを見かけないんだけど、何か聞いてます? あ、『行雲流水こううんりゅうすい』の二人なんですけど」

 もし体調を崩しているのなら、お姉さんが優しく看病してあげよう。料理を作ってあげたり汗を拭いてあげたりして、うっかりと手と手が触れ合って、そのまま二人の顔が近づいて、などとアンナは考えていました。
 ところが、男性職員から返ってきた答えはアンナの予想を大きく超えていました。

「ん? レイモンド様たちか? 先日護衛の仕事で隣のアシュトン子爵領に向かわれたぞ。そのまま王都方面に向かうそうだな」
「そうですか、王都に……ってレイモンド様?」

 うっかりと流しそうになりましたが、ギルド職員が「レイモンド様」と呼んだのをアンナの耳が拾いました。

「ああ。あの方は領主様の三男のレイモンド様だ」
「領主様の三男……」
「言われてみれば、礼儀正しい感じでしたね」
「他の冒険者にかしこまられても困るので、大っぴらにはしないでほしいと頼まれていたからな。冒険者で知っているやつは少ないと思うぞ。同じタイミングで聖別式を受けていたらわかるだろうが」
「そうでしたか。ありがとうございます」

 リリーは動かなくなったアンナを引っ張るようにして窓口を離れました。

「……逃した魚は大きかったっ!」

 しばらくするとアンナは復活し、拳を握りしめて悔しがりましたが、リリーは冷静です。

「最初から網に入ってすらいないのでは?」
「それはそうだけどっ!」

 レイとサラがこの二人と話が合ったのは、タイプ的に自分たちと似ていたからでしょう。ボケ担当のアンナとツッコミ担当のリリー。
 ちょうど同じころ、別の窓口のほうでも叫び声が上がりました。

「辞めたあっ⁉ 何があったんだよっ⁉ 言えっ‼」
「騒ぐな。落ち着けよ」

 こちらでは『ペガサスの翼』のノーマンが騒いでいます。レックスが慌ててノーマンを窓口から引き剥がしました。そのままでは職員に飛びかかりそうだったからです。

「どうして俺に話してくれなかったんだよっ⁉」
「そりゃお前とは関係ないからだろう」

 レックスが冷静にツッコミを入れますが、ノーマンは聞いていません。
 この二人はマリオンから二日ほどの距離にあるナコルズまで仕事で出かけていました。ノーマンはマリオンに帰ると真っ先にシーヴの顔を見るために冒険者ギルドまで来ましたが、すでにシーヴはここを辞めたと教えられただけでした。

「いや、関係なくはない。俺とシーヴさんの未来がかかってるんだ。今から追うぞ」
「バカかお前は。もう夜になるだろ。町を出るなら明日にしろ」

 ノーマンが騒いでいるのがアンナたちにも聞こえていました。アンナはまた窓口に戻って先ほどの職員に声をかけます。

「ねえ、シーヴさんが辞めたってホント?」

 ギルド職員だからといって毎日ギルドにいるわけではありません。シーヴは窓口が多かったですが、中で働くこともあり、場合によっては他の町に出向くこともありました。だからここ数日シーヴを見ないとアンナは思っていましたが、仕事だろうと思っていたのです。

「……二人は口は堅いか?」
「もちろん」
「神に誓って余計なことは絶対に言いません」

 ただでさえ冒険者という職業はならず者扱いされやすいのです。だからこそ口は堅く、約束は厳守。それが『天使の微笑み』のモットーです。

「ここだけの話にしてくれ。シーヴの護衛として『行雲流水』が同行している。むしろ『行雲流水』が町を離れるのに合わせてシーヴが護衛を頼んだ感じだな。わりとレイモンド様を信用している様子だったからな」
「それは……ノーマンには絶対に聞かせられないわね」

 まだ冒険者になって一か月半の新人に護衛を頼むとは、それだけ二人の腕を信用しているのか、あるいはシーヴと二人の間で何かがあったのか、そうアンナは考えました。
 とりあえず理解できることは、「同じ空気が吸えて羨ましい」などと口にするノーマンの耳には絶対に入れてはいけないことです。

「そういうことだ。何があってもあのバカノーマンには隠すようにという通達が出ている。何かの間違いで領主様に迷惑でもかければ大変なことになるからな。漏らすなよ」
「もちろん」
「絶対秘密にします」

 ◆◆◆

 ノーマンが騒ぐ声を耳にしながらアンナとリリーはギルドを出ました。

「どうします? ノーマンみたいに追いかけますか?」
「それは意味がない……こともないか。でもなあ、もう少し強くならないとね」
「それでも魔術師と僧侶だけでは限度がありますよ」
「『行雲流水』に入れてもらってればなあ……」

 アンナは魔術師でリリーは僧侶。二人とも護身のために短剣程度なら扱えますが、腕力に自信はありません。
 これまで彼女たちが相手にしてきた魔物は、ゴブリンやスピアーバード、それとピッチフォークスネークが中心です。彼女たちではヒュージキャタピラーやブレードマンティスのような大型の魔物の相手はできないからです。それでも毎日コンスタントに三〇〇〇キール近く稼いでいたのは反骨心の表れでしょう。
 冒険者の世界は男社会です。女性は全体的の一〇パーセント少々。けっして多くはありません。女性は男性より下に見られることもあります。そのような事情があったので、アンナはレイたちとパーティーを組めればいいと思っていました。

「またそんなことを言って。頼みすらしなかったじゃありませんか」
「自分たちより稼いでるルーキーに頼めないでしょ?」
「アンナならダメ元で頼むと思いましたけどね」
「そこはこう、プライド的に?」
「どうして疑問形なんですか?」

 この二人は『ペガサスの翼』と同期です。男性二人のパーティーと女性二人のパーティー。組めばよさそうですが、ノーマンの口の悪さが彼女たちには我慢できませんでした。特にシーヴが絡むと他はどうでもいいと考えるあたり、パーティーメンバーとしては最悪でしょう。その彼の面倒をみているレックスは信用できそうですが。

 ◆◆◆

「レックス、急ぐぞ」
「急いでもライルあたりまでだぞ」

 シーヴが辞めたことを知った翌日、二人はマリオンを出てオグデンに向かうことにしました。二人が冒険者になって、今年で三年目。素人ではないので野営をすることに問題はありません。
 ところが、今のノーマンが野営で役に立つかどうかは、まったくわかりません。勝手に一人で突っ走りそうなので、できる限り野営は減らそうとレックスは考えました。
 町の周辺にはいくつも村があるものです。冒険者が宿代をケチるために村の広場などを借りることはよくあります。広場なら魔物や盗賊に襲われる可能性はなく、安心して眠れるからです。
 二人は予定どおりライルの手前まで急ぎ足で進み、村の酒場で疲れを癒すと、広場でテントを張って泊まりました。
 レイたちがマリオンからオグデンに向かったときは馬車がありましたので、無理をせずに一週間かけました。同じ距離をノーマンとレックスはかなり急ぎ、四日目の夜になるころにオグデンに到着しました。そして冒険者ギルドに入って問い合わせ、さっそくノーマンが爆発しました。

「嘘をつくな‼ 俺にはわかるぞ‼」
「嘘ではありません! すでに辞めています。こんな場所で嘘を言ってどうなるんですか?」

 ノーマンが窓口にいた男性職員の胸ぐらをつかみました。ノーマンの騒ぎ声と、彼をなだめようとする職員の声が響きます。他の職員も席を立ち、一瞬にして物々しい雰囲気になりました。慌ててレックスがノーマンを窓口から引き剥がします。

「おい、他の人に迷惑だろ。いないとわかったんだからもう行くぞ。すんませんね、迷惑かけて。もう二度とここには近寄らせませんので。お邪魔しました。それでは」
「離せよ!」

 レックスは職員に向かって何度も頭を下げると、まだ騒ごうとするノーマンの首根っこをつかんでギルドの建物から出ました。レックスのほうが背は低いですが力が強いので、ノーマンはただ引きずられるしかありませんでした。

 ◆◆◆

「エールを二つ、それと何か味の濃いのを二品。できれば急いで」
「はいよ」

 レックスは酒場に入るとすかさずエールと料理を注文し、ノーマンの肩をつかんで椅子に座らせました。こうでもしないとまた立ち上がりそうだったからです。
 マリオンからここまで丸四日。レイたちと違って彼らはずっと徒歩で、しかもかなり急ぎ足でした。当然ながら疲れも溜まります。レックスとしてはさっさと部屋に入って寝たいところですが、ここままノーマンを放っておくわけにはいきません。

「何かあったに違いない‼」
「そりゃ何かがあったんだろ。辞めたんだからな。何もなければ仕事をしてるに決まってるだろ」

 あまり長々とノーマンの愚痴に付き合いたくはないレックスは、ノーマンに飲ませて潰そうと考えます。そうしないと明日以降に影響するからです。
 シーヴはトラブルに巻き込まれたのかもしれませんし、自ら望んで辞めたのかもしれません。レックスにわかることは、ここでノーマンが騒いでも何も変わらないということです。むしろギルドでの印象は最悪だったでしょう。
 ノーマンのことはさておき、シーヴはギルド職員を辞めています。それは間違いようのない事実です。移籍したのにすぐに辞めたわけなので、おそらくトラブルでもあったのでしょう。
 窓口にいた職員の口調から、どうも詳しい説明はしたくないという印象をレックスは受けました。そんな状況ならこの町に留まっている可能性はかなり低いでしょう。できればここから離れたいはずです。
 追いかけるか戻るかを考えると、普通に考えれば戻るしかありません。二人は冒険者になって三年目。泊まりがけの依頼を受けて出かけることもあるので旅慣れてはいますが、それぞれが借りている部屋のこともあります。
 部屋の支払いは三か月ごとにしていますので、あまり遠くまで行ってしまうと支払いまでに戻れなくなります。たいした財産はありませんが、部屋代を払わずに追い出されたというのでは決まりが悪いでしょう。しかも自分が原因ではないことで。
 レックスはそのように考えていますが、ノーマンがどう言い出すかまではわかりません。そこがレックスにとっては重要なポイントでした。普通なら呆れて放り出しているでしょうが、レックスはそうしません。二人は幼馴染だからです。
 ギルモア男爵領で一番西にあるアルメンダの町、その近くにあるランベル村が彼らの故郷です。ノーマンとレックスは、それぞれ四男と五男です。とても村では暮らせないので、アルメンダに出て冒険者になりました。半年ほどそこで仕事をし、それから少しずつ東へ向かってマリオンにやってきました。
 レックスがどうしようかと考えていると、ノーマンのジョッキが空になりました。よし、このタイミングだとレックスは考えました。

「注文してくるから待ってろ。動くなよ」
「おう」

 レックスはノーマンに座っているように言うと、カウンターに向かいました。

「すんません。ここってドワーフの火酒はありますか?」
「あるよ」
「それならエールに火酒を三分の一ほど混ぜたやつを一つ、普通のエールを一つ」
「はいよ」

 レックスは自分用のものとノーマンに飲ませるためのものを注文して受け取ると席に戻ります。

「ジョッキが違うな」
「そっちのが少し高いやつだ。俺が奢るから飲め」
「おう、気が利くな」

 ドワーフの火酒は喉を焼く熱さがあります。それを三分の一ほど入れたキツいエールをノーマンは一気にあおり、しばらくするとテーブルに突っ伏して寝てしまいました。

「すんません、二人部屋は空いてますか?」
「空いてるよ」

 部屋があるのを確認するとレックスは自分のジョッキを空け、代金を払うとノーマンを担いで部屋に向かいました。
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