異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第4章:春、ダンジョン都市にて

第17話:心が折れた者、折れなかった者

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「手紙は読んだ。大変だったな」

 ここはマリオンにあるギルモア男爵の屋敷、つまりレイの実家です。モーガンは応接室で女性客たちと話をしています。その客とは、ジェニー、ローリー、サマンサという三人で、彼女たちはアシュトン子爵領にあるオスカーから、冒険者ギルドのギルド長ジュードから渡された手紙をたずさえて訪れていたのです。

「はい。ですが、命があっただけマシというものです。私の家系は根無し草の遍歴商人。お世話になったレイモンド様の故郷のお役に立てればと」
「私は自分の心がそれほど強くないと分かってしまいました。冒険者からは足を洗うつもりです」
「私も同じです」
「うむ。ここにはレイはいないが、それでもいいのか?」
「はい。それも最初にジュード様から伺っています」

 三人の中で一番年上なのが二二歳のジェニーですので、彼女が代表として話をしています。
 ジェニーの家系は代々町から町へと旅をするような人生を送っていました。ダンカン男爵領からアシュトン子爵領に移動する際、盗賊が増えているという話が耳に入りました。
 父親のホレスは仲間と護衛を増やせば大丈夫に違いないと、ウォーレンという商人に話を持ちかけ、護衛の人数も八人に増やしました。全部で一〇人を超えるならそう簡単に襲われることもないだろうと。ところが、それでも襲撃を受けてしまったのです。
 馬に矢を射かけられ、身動きがとれなくなったところを囲まれました。たとえ自分たちが一〇人を超えていても、何十人もの盗賊に囲まれればどうしようもありませんでした。

 ローリーとサマンサはそれぞれソロで活動していた冒険者です。ジェニーがいるので、女性の護衛も必要だということで雇われたのでした。二人が冒険者になってから二年少々、力が付き始めたと思った矢先の失敗でした。
 護衛はこの二人を除いて全員が殺され、彼女たちは捕らえられて慰み者にされるところでした。そうならなかったのは、あの盗賊団にはという絶対的な決まりがあったからです。そのリーダーたちを含む主力が『行雲流水』に倒されてしまったため、手を出されないままギルドが派遣した冒険者たちによって救い出されました。
 この三人は暴力こそ振るわれませんでしたが、すでに慰み者にされていた女性たちの悲鳴が彼女たちの耳に届いていました。耳を手で押さえながら、いつ自分たちの順番が来るのだろうかと、怯えながら数日を過ごしました。そして、助けが来たのです。

 オスカーに戻ってから数日はショックで寝込んでいたジェニーでしたが、このまま寝ていても何も変わらないと割り切ることにしました。遍歴商人に危険は付き物です。父親は命を落としましたが、自分は命が助かっただけではありません。慰み者になることもありませんでした。だから自分は運がいいはずだと。
 ほとんど無理やりな割り切りでしたが、ジェニーは頭の切り替えに成功しました。一度そう考えると彼女の行動は早く、冒険者ギルドに行ってジュードと会って礼を伝えると、自分が救われた経緯を説明してもらいました。それからモーガンへの紹介状を書いてもらい、ローリーとサマンサに話をして、三人で北へ向かったのです。

「読み書き計算ができるなら冒険者ギルドで働いてみないか? 実は人が減ってしまってな。新人で補ったのはいいが、慣れないうちはどうしても仕事が滞る。なんとかしてほしいと要望が来たばかりだ」

 モーガンにはアシュトン子爵から感謝と謝罪の手紙が届きました。それで一連の出来事についての事情は理解しています。それでも、移籍することになったシーヴを含め、冒険者ギルドは一気に四人の職員を失いましたので、急いで職員を募集しました。
 ギルド職員は人気がありますので、すぐに人数は戻りました。ところが、職員というのは数をそろえればいいわけではありません。新人が使い物になるには時間がかかります。まだまだ人手が足りないのでもう少し増やしてほしいとギルド長から相談があったばかりでした。
 職員はギルド長に雇用と解雇の権限があるります。誰を雇ってもいいのですが、ギルド職員は腕が立つ上に読み書き計算が得意でなければなりません。ここに落とし穴があります。
 マリオンはギルモア男爵領で最大の都市ですが、あくまで地方にある男爵領の領都にすぎません。このような地方都市では、一〇代で冒険者をやめて冒険者ギルドの職員になることは滅多にありません。と思って登録する若者が多い都合上、ろくに読み書き計算もできず、言われたとおりに依頼料を受け取る冒険者が多いからです。
 たとえば『ペガサスの翼』や『天使の微笑み』はそこまでひどくはありませんが、それでも細かな計算をするくらいなら丸ごと売ろうという考えでした。
 若くして読み書き計算ができるのなら、大都市に行き、役人などのもっと安定した仕事を探すことが多いでしょう。実際にはなかなか見つかるものではありませんが、それでも大都市ほど可能性が高まります。
 地方都市では、地道に活動を続けて現役を引退した冒険者が、ギルドから勧誘されて職員になることが普通です。シーヴのように一〇代で冒険者ギルドの職員なることは滅多にありません。男性の人気があった理由がわかるでしょう。

「領主様、ローリーとサマンサの二人は冒険者でしたが、私は冒険者ではありませんでしたので腕っ節には自信がありません。厚かましいお願いなのは承知していますが、私でもできるようなお仕事はありませんか?」

 ローリーとサマンサはそこそこ腕が立ちますが、ジェニーはあくまで商人です。冒険者ギルドの職員は、必要に応じて武器を手にする必要があるのです。

「ふむ。それなら冒険者ギルドの酒場はどうだ? たまには酔っ払いの相手をすることもあるが、給仕は何人もいる。あちらも人手が減ったようだから増やしてもいいかと伺いが届いている」

 このような話し合いがあり、元冒険者のローリーとサマンサは冒険者ギルドで職員として働くことになりました。戦うことに慣れていないジェニーは、ギルド直営の酒場で給仕を始めることになりました。

 ◆◆◆

「あの人はどうしたんですか?」

 酒場に案内されたジェニーが酒場責任者のロブに聞きました。赤毛の給仕が窓の側に立ったまま外を見ています。先ほどからピクリとも動きません。

「あの様子を見てどう思う?」
「黄昏れていますね」

 それを聞いたロブは眉間にシワを寄せました。

「あいつな、一目惚れをした相手が町を出たら腑抜けになってしまってな」
「どういう人だったんですか?」
「お相手はレイモンド様という、ここの領主様のご子息だ。跡取りじゃなくて三男だから、冒険者になって町を離れたらしい。何度も持ち帰りで注文をしてくれてたな。俺も最初のころは領主様のご子息だとは気づかなかった」

 サンディーはレイに向かって何度も誘うような素振そぶりをしたものの、レイはまったく興味を示しませんでした。そのうちにレイは町を出ました。それからしばらくしてサンディーは塞ぎ込むようになりました。そうロブは説明します。
 もしレイがこの話を聞いていたら、一体どういう顔をしたでしょうか。サラは横で「ほらね」と言ったに間違いないでしょう。

「これはご縁ですね。私がここに来たのもレイモンド様とご縁があってのことなんです」
「ほう。お元気だったか?」
「いえ、直接お会いしたことはありません」

 ジェニーはここに来ることになった事情を簡単に説明しました。

「はあ、大変だったんだな」

 あっけらかんと経緯を説明したジェニーを、ロブは呆れるような顔で眺めました。

「数日はショックで起き上がることもできませんでしたが、ずっとベッドにいるわけにもいきませんし」
「俺はマリオン生まれのマリオン育ちだ。伝手はある。何かあったら言ってくれ」

 ロブはそう言うと、とりあえず今日からでもできるような仕事をジェニーに説明し始めました。



「おい、ロブ。今日から新人さんか?」
「ああ、ジェニーだ。これから仕事を覚えてもらわなければいけないからな。お前ら、無茶な注文はするなよ」

 その日の夕方、まとまって入ってきた顔なじみの客たちに向かってロブはジェニーを紹介しています。

「私なら大丈夫ですよ」
「そうか?」
「はい」
「でも何かあったら言えよ。冒険者はがさつだからな」

 心配するロブでしたが、絶望の淵を覗き込んだ経験のあるジェニーは強かったのです。



 ギルドの酒場で働き始めて数日、ジェニーはあっという間に仕事にも慣れ、常連の顔とよく注文するメニューを覚えました。

「エールが二、それにキャタピラー煮込み大盛り、ペガサスさんです」
「はいよ」

 料理とエールをトレイに乗せてテーブルまで運んだジェニーの目に入ったのは、テーブルに突っ伏しているノーマンと、その肩を叩いているレックスです。彼女には見慣れた光景になっています。

「だからお前もそろそろ元気を出せって」
「シーヴさん……」

 ここのところレックスは、ノーマンを部屋から無理やり引きずり出して酒場に連れてきていました。今ではブツブツとシーヴの名前をつぶやくだけです。
 ノーマンははオグデンの町でレックスに飲まされて酔い潰れました。次の朝、レックスよりも前に目が覚めたので、一人でシーヴを追いかけようとしましたが、そこで気がつきました。これからどこを探せばいいのかと。
 マリオンのギルドを辞めてオグデンのギルドに移籍したと聞いたから追いかけてきたのです。ところが、ここから先となると、どちらへ向かえばいいかわかりません。町や村の数には限りがあるとはいえ、デューラント王国全体で考えれば一〇〇〇や二〇〇〇どころの話ではないのです。
 冒険者なら王都方面に向かう可能性が高いでしょうが、シーヴは冒険者ギルドの職員でした。もしかしたら故郷に戻ることを選んだかもしれませんが、その故郷をノーマンは知りません。ノーマンだけでなく、現在マリオンにいる誰も知らないでしょう。シーヴは自分のことを話さなかったからです。
 レックスが目を覚ますまで、ノーマンはひたすら考えました。そして、どう考えても女性一人を探し出すのは不可能だという事実に気がつきました。その瞬間、ノーマンの中で何かが崩れる音がしたのです。
 マリオンに戻ったころは、まだレックスが声をかければ部屋を出ましたし、一人で歩けました。ところが、今では部屋を出ないどころか、ろくに食事もしません。朝はレックスがノーマンの部屋に入り、スープを浸したパンをノーマンの口に突っ込んでから冒険者ギルドに向かいます。そして仕事が終わると、このようにノーマンを酒場に引っ張ってくるのです。
 今日もレックスがどうしたものかと悩んでいると、一人の女性が近づいてきました。

「まだヘコんでるの?」

 レックスに声をかけたのは『天使の微笑み』のアンナでした。

「そうなんだ。もう諦めたらいいのにな」
「あまり引きずるのは男らしくないわよ」

 何を言われてもノーマンは反応しません。ぶつぶつとつぶやいているだけです。
 ノーマンの様子を確認すると、アンナはレックスの顔を見ました。

「ちょっとこっちに来て」

 そう言いながらレックスを壁際まで引っ張っていきます。

「どうかしたのか?」
「ん、もしよければ、うちに入らない?」

 いきなりそう誘われて思わず目つきが鋭くなったレックスですが、すぐにそれもアリだという表情になりました。彼も疲れているのです。
 ノーマンがまったく役に立ちません。ここしばらくはレックスがソロで仕事をしています。何をするにも効率が下がるだけです。貯金を切り崩しているのが実際のところです。
 幼馴染で恩もありますが、どんなことにも限度というものがあるんです。そろそろレックスも決断しなければいけないときになっていました。

「正直なところ、女二人だとキツくてね。男手が欲しいときもあるし、女だからって甘く見られたりバカにされたり。今すぐじゃなくてもいいけど、まあちょっとくらい考えといてよ」

 そう言うとアンナは立ち去りました。しばらくその場に立っていたレックスですが、テーブルに戻ってエールを喉に流し込むと、覚悟を決めた顔でノーマンの肩を叩くのでした。

 ◆◆◆

 赤毛のサンディーはただ窓の外を見ています。自分にはこうするしかなかったからです。
 初めて惚れた相手は領主の息子でした。何度かアプローチしてみましたが、向こうは自分に興味を持ってくれませんでした。しかも、気がつけば彼は町を離れていました。それを知ったとき、その瞬間に動かなければ二人の人生と交わることはないとわかっていたのに、彼女は動けなかったのです。

 サンディーのジョブは占い師です。以前はこの酒場で冒険者を相手に占いをしていました。それがわりと当たると評判でした。
 そんなある日、いきなり酒場の給仕が二人休んでしまいました。このギルドと酒場は二四時間営業ではありませんが、一年三三六日開いているからです。どうにかして営業を始めなければなりません。
 そこでロブは、朝から来ていたサンディーに頼んで、臨時の給仕として働いてもらうことになりました。頻繁に出入りしていましたので、常連客の顔を知っていたからです。それから彼女は、朝と夕方に酒場で給仕をすることになったのです。
 占い師が占うのは他人の運勢だけではありません。自分を占って悪いわけはないのです。だから彼女は自分を占ったのです。そして知ってしまいました、自分の運命を。そこにあったのは、「最も愛する人は自分に顔を向けてくれることはない」という残酷な結果でした。

 振り返ったサンディーの目に、テーブルで項垂うなだれている男性が見えました。どうやら彼も惚れた女性が離れてしまったようです。まるで他人事とも思えません。サンディーはそのテーブルに近づきました。

 ◆◆◆

「ロブ、酒場のほうはどうだ?」
「新しく来たジェニーがよく働いてくれるので助かってますよ」

 その日、ロブはギルド長のブルースに呼び出され、ここのところの様子を聞かれていました。ここしばらくはサンディーが使えるか使えないかわからない状態でしたので、忙しい時間帯は他の給仕に負担がかかっていたのです。そのサンディーは先日給仕を辞めました。

「そうか。それなら一つだけ言っておきたい」
「はい」

 急に真面目な口調になったギルド長に、ロブは背筋を伸ばします。

「給仕に手を出すのはのは自由だが、絶対に仕事は辞めさせるな。いいな?」
「……はい?」

 ロブはブルースの言葉の前半しか理解できませんでした。

「お前たちがお互いに惚れているのは丸わかりだそうだ」
「あー……」

 新人だからということもありますが、ロブはジェニーの事情を聞いて、つい親身になって気遣っていました。ジェニーも相談に乗ってくれるロブに気を許し始めています。
 さらには常連もそれに一役買っているでしょう。最初はからかって「ロブの奥さん」と声をかけていた常連たちでしたが、最近は当たり前のように「奥さん」と呼んでいます。最初は恥ずかしがったジェニーですが、しばらくすると「はい」と元気に返事を返すようになりました。今ではカウンターの周辺に幸せ空間が広がっていると噂されているのです。

「だから言うぞ。どこもかしこも人手が足りない。捕まえたら逃がすな。逃がす可能性があるなら手を出すな。わかったな?」
「は、はい」

 数日するとロブは職員用の宿舎を引き払い、ジェニーと一緒に街中の家で暮らし始めるのでした。
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