異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第3章:冬の終わり、山も谷もあってこその人生

第18話:それは意外と身近にあるもの

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「ふわ~っ。さて、今日はどうするか……ん?」

 レックスが目を覚ますと、ノーマンがすでに起き上がっているのが見えました。早朝から冒険者ギルドに行って騒ぐかもしれません。そうならないようにキッチリと監視しなければならないと思いましたが、どうも昨日とは様子が違っていました。

「またか……」

 ノーマンはベッドの端に腰かけたまま、壁をじっと見ていました。ノーマンがこうなることがよくあるのをレックスは知っています。いつもは饒舌じょうぜつで、考えなしに行動するノーマンですが、泊まりがけで仕事に出ると、途中でこうなることがあります。

「とりあえず朝飯に行くぞ」
「……ああ」

 レックスは覇気のなくなったノーマンを連れて酒場に下りました。

 ◆◆◆

「これじゃあ徒歩で帰るのは無理だよなあ」

 生ける屍とでも呼ぶべきか、ただ前に向かって歩くだけのノーマンを連れて、レックスは商人ギルドまでやってきました。マリオンに向かう馬車を見つけるためです。

「すんません、ギルモア男爵領のマリオンまで行く馬車はないですか? 人を運んでもらいたいんですが」
「マリオン、マリオン……」

 商人ギルドには、商売のために他の町へ行こうと考えている商人が集まります。馬車に余裕がある場合、もちろん有料ですが、人を乗せてくれることもあります。冒険者ギルドに護衛の依頼を出し、その連絡が来るのを待っている商人もいます。

「向こうにいるケヴァンさんの馬車です。あの赤い帽子の人です。交渉は個人でお願いしますね」

 運よくマリオン域の馬車がありましたので、レックスは交渉に向かいました。

「すんません。マリオンまで行くという話を聞きまして、そこに乗せてほしいんですが」
「一人なら乗れるが、二人は難しいかもしれないなあ」
「いえ、こいつだけでいいんです。俺は歩きますんで」

 レックスはそう言いながらノーマンの肩を叩きました。ノーマンはほとんど反応していません。

「ああ、その兄ちゃんだけなら細いから十分乗るだろう。で、代金なんだが、あんたが護衛隊に入ってくれるなら相殺でいいぞ。最近は物騒だから、護衛は一人でも多いほうがいいからな」
「いいんすか? それでお願いします」

 ケヴァンという商人は、他の商人三人と商隊を組んでマリオンに向かおうとしています。人を乗せる場所が少しあるので、そこにノーマンを乗せてもいいということになりました。その代金はレックスが護衛隊に加わることで相殺ということになりました。
 二人は受付に向かうとささっと契約書を作ってもらいました。はい、こんなことでも契約書を作るんです。そうでないと揉め事の原因になりますからね。

 しばらくして護衛隊がそろうと、そこにレックスも加わりました。そして朝のうちに馬車四台と護衛七人という商隊が北へ向かい始めました。

 ◆◆◆

「あんた、連れは大丈夫か?」
「いや、大丈夫じゃないな。でも、どうにもならないからな」

 護衛の一人でタイラーという名前の冒険者がレックスに声をかけます。二人の視線の先では、ノーマンがもそもそと食事をしています。ぽろぽろとこぼれていますが、さすがのレックスでもそこまで世話を焼くことはありません。

「何があったんだ?」
「枝葉を取っ払って説明すると、惚れた女性を追いかけてきたら、もういないという事実を突きつけられたってところだ」
「それであれか?」

 タイラーは呆れますが、人は大なり小なり何かを心の拠り所にするものです。家族や恋人と一緒にいる時間のこともあれば、逆に一人でゆっくりする時間ということもあるでしょう。
 場合によっては推しのアイドルという可能性もありますね。そのアイドルがなんの前触れもなく結婚して引退すると発表すれば、ブチ切れて暴れる人も出てくるはずです。逆に抜け殻のようになる人もいるでしょう。

「放っておけたらどれだけ楽か……」

 レックスはため息をつきますが、それでノーマンが元に戻るわけでもありません。マリオンに戻るまで、何もありませんようにと祈るしかありません。

 ◆◆◆

「お世話になりました」
「ああ、こっちこそ、あんたみたいな強そうな護衛ならいつでも歓迎だ」

 レックスはケヴァンたちと別れると、ノーマンを連れて商人ギルドを出ました。まずは家へと向かいます。ノーマンを連れていると何もできないからです。

「しっかし、こんなに苦労するとはな……」

 レックスは隣を歩くノーマンにちらっと目をやります。あれからノーマンはほぼ無反応になってしまいました。食事はとります。歩くことも歩きます。ところが、何を聞いても「ああ」としか答えなくなってしまいました。

「ほら、お前の部屋だぞ。鍵を開けてもいいな?」
「ああ」

 万が一に備えて、お互いの部屋の合鍵を用意しています。レックスはそれを使って鍵を開けると、ノーマンを部屋に押し込みました。

「あとで食い物を入れておくから忘れずに食べろよ」
「ああ」

 ノーマンの部屋の扉を閉めると、レックスは自分の部屋に入って荷物を置き、ベッドで大の字になりました。

「はーーーーーーーーっ」

 おそらく彼がこれまでについた中で一番大きなため息だったでしょう。この一〇日少々、気苦労しかありませんでした。

「あーーーっ、これからどうすっかなーーーっ」

 レックスは考えることが得意ではありません。もちろん読み書き計算は覚えましたが、体を動かすほうが得意です。基本は田舎育ちのお人好しなので、他人のためになんとかしてやりたいと思うことが多い反面、自分の苦労については仕方がないと諦めることが多い人生でした。それでも今回はノーマンに振り回されすぎました。いくらお人好しでも限度があります。そうなると行き先は一つ、酒場です。

「今日は飲むか」

 部屋を出たレックスは、近くの商店で黒パンとエールの小樽、それからソーセージを買い込みました。それらをノーマンの部屋に放り込むと、冒険者ギルドへと向かいます。
 レックスは歩きながら明日からのことを考えます。ノーマンが使い物になる見込みは今のところはありません。明日からの仕事のことを考えると頭が痛くなります。どうせ頭が痛くなるのなら、とことん飲んで二日酔いになってやろうかと考えて酒場に入ると、知っている顔が近づいてきました。

「どうしたの?」
「ああ、アンナか」

 彼ら『ペガサスの翼』と『天使の微笑み』は、ギルモア男爵領の西部地域の出身という共通点があります。アンナもリリーもノーマンと仲よくしたいと思ったことはありませんが、レックスは真面目そうなので二人も嫌っていません。

「ああ、ちょっとな。話を聞いてくれるか?」
「それぞれにミード一杯でどう?」
「五杯でも一〇杯でもおごろう」
「そんなに飲めないわよ」

 レックスはアンナたちのテーブルに向かい、椅子に腰を下ろしました。

「シーヴさんが移籍したのは知ってるだろ?」

 レックスはその一言から話を始めました。

「まあ話題になったからね」
「それであいつがオグデンに行くって言うからとりあえず行ってみたんだが……」
「何があったんですか?」

 レックスの眉間の皺がさらに深くなったのを見て、ノーマンがシーヴに抱きつこうとしたとか、いきなり口説き始めたとか、どうせろくでもないことがあったのだろうと二人は想像しましたが、事実は彼女たちの想像の斜め上にありました。

「着いて確認したら、シーヴさんはもう辞めてたんだ」
「「ええっ⁉」」

 二人の声が酒場に響き渡り、何があったのかと他の客が三人のほうを見ます。アンナとリリーは思わず首をすくめました。

「それを聞いたノーマンが『嘘をつくな』って叫んで向こうのギルド職員に飛びかかるし、それを引き剥がして酒場に連れていって飲ませて潰して大人しくさせたら、今度は生ける屍状態になってな」

 ほとんど無反応になってしまったノーマンを馬車に乗せてもらい、どうにかマリオンまで帰ってきたとレックスは説明します。

「あいつの世話で疲れたから気晴らしに飲もうと思って。それくらいしてもバチは当たらないだろ」

 レックスは一杯めを空にすると、さっそく二杯めを頼みました。

「付き合うわよ。でもあいつ普段はあんなに偉そうなのにね」
「ええ、口数も多いですしね」

 二人の感想を聞いて、外から見ればそうだろうなとレックスはうなずきました。

「あいつ意外と暗いことも多いんだぞ」
「そうなんですか?」
「ああ。泊まりがけの仕事だと、たいてい途中で暗くなる。シーヴさんに会うと戻るんだがな」

 実際に、このギルドや酒場にいるときのノーマンは気が大きくて多弁で、自信満々という表情をしています。ところが、町の外で仕事をしている間はそれほど口数は多くはなく、泊まりの仕事をすると途中で無気力になることがあります。それでも町に戻る手前あたりからまた元気になり始めるのです。普段なら。

「二人の関係は知りませんけど、よくそれでパーティーが組めますね」
「……幼馴染だし、冒険者になろうと誘ってくれたのはあいつだからな」

 レックスは体は大くても気が小さい子供で、鈍くさいと馬鹿にされていました。何をするにもじっくりと考えてからでないと行動できないタイプなんです。その尻を叩いて励ましてくれたのがノーマンでした。村を出る勇気もなかったレックスを無理やり引っ張り出してくれた恩があります。そうでなければマリオンには来ていないでしょう。

「だからもうしばらくは様子を見る。俺にできるのはそれだけだ」
「そう。何か手伝えることがあったら言ってね」
「そんときは頼む。話を聞いてくれて助かった」

 レックスは銀貨をテーブルに置くと立ち上がりました。

「多いわよ」

 アンナはそう言いますが、レックスは給仕に声をかけると酒場から出ていきました。アンナはレックスの背中を目で追います。そのアンナをリリーは眺めていました。

「アンナ、妙に優しいじゃないですか」
「そう? 私は前から優しいわよ」
「そうでしたか?」

 リリーは珍しくニヤリとした表情を作りました。

「ひょっとして、惚れましたか?」
「ほ、惚れたなんて……そそ、そんなわけないでしょ?」
「でも顔が赤いですよ」
「これはミードのせい。そう、ミードのせいよ、ミードの」

 顔に手をやったアンナを見てリリーが笑います。

「アンナに春が来たと思っておきましょう」
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