異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第4章:春、ダンジョン都市にて

第20話:おかしそうでおかしくない、やっぱり少しおかしい薬

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「一〇〇倍のほうは、効き目はおよそ一二時間。副作用は猛烈な眠気。二〇倍のほうは六時間。副作用はほどよい眠気」
「レイみたいに倒れるほどじゃなかったね」
「ええ。耐えようと思えば耐えられたでしょう」

 朝になって、レイたちは体力回復薬のデータをまとめることにしました。
 レイが昼間に飲んだのは一〇〇倍のものです。深夜、ほぼ真夜中に効き目がなくなり、その瞬間にとてつもない眠気に襲われたレイはそのまま寝てしまいました。
 ラサとシーヴが飲んだのは二〇倍の段階で止めておいたものです。煮詰める前のものと表現するほうが正しいでしょうか。眠気は出ましたが、そこまでではないと二人は感じました。
 ラケルは回復薬は飲んでいません。元々がレイと同じくらいの体力がありますので、何かあったときのためにの状態でいてもらうことにしたのです。

「疲れないご主人さまはすごかったです」

 珍しく顔を赤くしながらラケルが言います。普段は澄ました顔がほとんどの彼女ですが、レイに頭を撫でられたり褒められたりすると笑顔になります。

「たしかにすごかったね」
「今度全員であれを飲んで頑張ってみましょう」
「楽しみです」

 ベッドが大変なことになりそうなのは間違いないでしょうね。

 ◆◆◆

「すぐに戻る」
「急がなくていいですよ」

 レイたちは今日もいつものようにグレーターパンダを狩りに出かけます。その前にレイは、ダーシーに完成した体力回復薬を渡すために薬剤師ギルドに入りました。

「ダーシーさん、下級の体力回復用錠剤を試しに作りましたので、よければどうぞ」

 レイは窓口でそう言いながら、錠剤が入った薬壺を渡しました。受け取ったダーシーは蓋を開け、怪訝けげんな顔をします。

「これはドラジェじゃないんですか?」

 ドラジェとは、ヨーロッパで幸福のシンボルとして配られる糖衣菓子の名前です。チャイコフスキーの作曲したバレエ組曲「くるみ割り人形」の中に「金平糖こんぺいとうの精の踊り」がありますが、あの曲の名前は本来は「ドラジェの精の踊り」です。この国でも縁起物としてお祝いの場で配られることがあります。綺麗なお菓子は貴重ですからね。

「見た目はそれっぽいですけど、中身は普通の薬です。ところで一つ聞きますけど、この時間に仕事をしてるってことは、今日は夜勤はありませんよね?」
「夕方で終わりです。デートのお誘いですか?」
「違います。効き目が切れることに眠気が出るかもしれません」

 レイはそのあたりを説明することにしました。
 この薬はまだレイしか試したことがありません。ちょうど一二時間くらいが経過して効き目が切れたときに、彼は猛烈な眠気に襲われました。服用したのが午後で、深夜まで眠気がなく、なかなか体力が減りませんでした。ラケルを相手に頑張っていたところ、ある瞬間に三徹くらいしたのではないかと思えるくらいの眠気があったのです。そのときには体力の回復が止まっていたので、回復薬の効き目が切れたのだろうと思いました。
 サラとシーヴは二〇倍で止めておいたほうの回復薬を飲みました。夕方に飲んだのですが、そちらは六時間ほどで効き目がなくなりました。そして、

 ラケル云々うんぬんに関してはもちろん口にはしません。

「それなら飲みますね。水で飲めばいいですか?」
「いえ、そのまま噛んでください」
「噛むんですか?」
「はい。噛んで口の中で溶かしてから飲み込んでください。ミントと蜂蜜で食べやすいはずです」

 ダーシーは一粒つまんで口に入れるとモゴモゴと確認するかのように噛みました。

「ん、甘い……でも苦い……う~ん、かなり甘苦いですね。あ~、でもこれは疲れが取れます~。あ~、目の疲れと肩こりが~……って効き目が早すぎないですか⁉」

 ダーシーが驚いて壺の中を見ました。錠剤にしては効き目が早すぎるからです。錠剤でも口の中で溶かせばポーションとあまり違わないかもしれませんが。

「自分用ですので、素材を通常の二〇倍使ってから五分の一に煮詰めました。成分的には通常の一〇〇倍くらい入ってます」
「一〇〇倍って、それはもはや中級薬や上級薬でしょう」

 効き目だけでなく値段も下級では収まらないでしょう。ダーシには手元の壺の中身がすべて大銀貨に見えました。
 クラストンでは魔物の素材が安いので、下級の体力回復ポーションは二〇〇キール前後で売られています。単純に一〇〇倍にすれば二万キールです。一粒で大銀貨四枚になります。五粒で一年分の生活費になりますよ。

「使ってる素材は下級のものなんですよ、濃いだけで。たしかに効くのが早いですし、一応通常の一〇倍くらいは回復しますし、効き目が長続きしますけどね」

 下級ポーションや錠剤では五〇回復します。レイはそれを濃度一〇〇倍で作りましたが、回復量は五〇〇、つまり一〇倍にしかならなりませんでした。ところが、即効性が出た上に、そこから何時間もかけて少しずつ補充されることがわかったのです。最初に吸収しきれなかった薬の成分が、時間をかけて少しずつ取り込まれるからだろうとレイは考えました。
 レイとしては万が一を考えてしっかりとテストしたかったのですが、ポーションにせよ錠剤にせよ、体力回復薬の効き目を調べるためには体力を減らさないといけません。上級ジョブになったおかげで体力が減りにくくなり、テストがしづらいのが実際のところです。そもそも体力の最大値は一〇〇〇もありません。だから人がいないあたりで魔物を背負って走ったのです。
 さらには怪我に関しては効き目はわかっていません。どこまで怪我が治るかどうかは怪我人が使わなければ確認できないからです。
 体力回復薬という名前になっていますが、実際には傷薬でもあります。一般的な下級の体力回復薬を使えば、切り傷や軽度の骨折くらいなら完治することができます。中級回復薬は重度の骨折でも治せます。上級回復薬は霊薬とも呼ばれ、生きてさえいれば、欠損から何からすべて治ると言われていますが、まず手に入りません。

「普通なら時間がかかるところがポーション並みに早く効きますので、荷物がかさばらないという利点はあります」
「たしかにそれはそうですが……」

 ポーションの利点は即効性です。しかも、外傷なら塗っても効き目があります。欠点は携帯性です。使う際には取り出してからコルクを抜いて飲まなければなりませんので、実は片手では扱いにくい代物なんです。開けやすくすると倒したときに中身がこぼれる可能性があります。コルクを歯で噛んで抜く場合もありますが、うっかり勢い余って瓶を落として割ることもありますね。

「この錠剤は噛まないと溶けないみたいなので、最初から口の中に一つ仕込んでおいて、ヤバそうなら噛んで飲み込むという使い方もできますよ。ポーションを取り出して飲むよりは楽でしょう」
「……レイさん、この話を上司にしてもいいですか?」
「はい。その薬壺は丸ごと渡しますので、みなさんで確認して感想を聞かせてください。ただ、さっきも言いましたけど、効き目が切れた直後に猛烈な眠気に襲われるので、昼に飲んで夜に切れるくらいがいいと思います」

 ◆◆◆

 誰もが「魔女」と聞いて想像する姿をしている女性が、机の上の薬壺を見ながら難しい顔をしています。彼女の名前はヘザー。この薬剤師ギルドのギルド長に就いてから四〇年以上が経っています。
 薬に関してはこの国で随一の知識を持つとさえ言われている彼女が、おそらく人生で初めて戸惑っているのです。それはダーシーが口にした言葉の意味を理解できなかったからです。
 それぞれの単語の意味は理解できるのですが、それらをつなげることを、ヘザーの鋭利な頭脳が拒絶したようでした。だからダーシーは同じことを繰り返すのです。

「素材を二〇倍使って通常の五分の一まで煮詰めて濃度を一〇〇倍にした下級体力回復薬です」

 ヘザーに説明したダーシーも、実は細かな部分までは理解できていません。レイから聞いたままのことをもう一度繰り返しただけです。

「そのままでは苦すぎて飲めなかったので、ミントと蜂蜜を加えたそうです。それでそのまま錠剤にしたということらしいです」
「素材を二〇倍使って五分の一にすりゃ、理屈じゃ一〇〇倍になるんだけどねえ……」

 ヘザーは額に手を当てます。理屈は理解できました。でも、頭が拒否したがっています。

「ポーションでも錠剤でも、口にした直後に五〇〇だけ回復するそうです。その後は一二時間近く体力が減らず、眠気もないと言っていました。でも、効き目が切れると猛烈に眠くなるので注意が必要だと」
「ははあ、一度じゃ体が取り込めないから無理やり回復させられ続けるんだろうね。まあ普通は下級ポーションをまとめて一〇〇本飲むようなことはないから、誰も気づかなかったってところかねえ」

 自分で作った薬ではありませんが、今の体の具合からおよそ何が起こっているかを理解できました。
 ヘザーをはじめ、幹部数人も口にしました。そこで理解できたのは、明らかに普通の下級回復薬ではありませんが、けっして中級薬などではなく、やはり下級薬だということです。

「ギルド長、同じ回復薬を立て続けに服用すると効き目が落ちていきますが、これならその副作用も関係ないと想像できますが、どうでしょうか?」

 別の職員がヘザーに聞きます。ここにいるメンバーは全員が【調合】を持っています。薬剤師ギルドの中でもエキスパートたちなんです。

「ないだろうね。あれは飲んでしばらくして体力が減ったらまた飲んでを繰り返したらってことだからね。一度に一〇〇本飲んでみて、それとの違いがあるかどうかを調べても面白いかもね。でも、一〇〇本は飲めないね。ボーナスを出すから、誰か明日にでも飲んでみるかい?」

 全員が首を横に振りました。
 ポーションを含め、回復薬には中毒症状があります。使い続けると回復量が落ちるだけでなく、体調を崩すこともあります。
 ただし、それは連続して飲んだ場合の話で、一度に一〇〇本も飲んだ場合の効き目については誰も知りません。ポーションなら二〇ミリリットルくらいの量ですが、一〇〇本分で二リットルになります。一気に飲めますか?
 そもそも、下級体力回復薬一〇〇本なら、体力の回復量は全部で五〇〇〇です。そこまでして戦うなら、中級の回復薬を準備するはずです。

「しかしまあ……どんな頭をしてたらなんて思いつくんだい?」
「素材が溜まりすぎたそうですね。売っても安いですからね。それなら体力回復薬を作って減らそうと思ったらあまり減らなかったので、徹底的に濃くしてみたそうです」
「くくっ。濃くするにしても限度ってものがあるだろうに。たしかギルモア男爵の息子だったか。素養があるんだろうね」

 ヘザーは苦笑いしかできません。明らかに普通の作り方ではないからです。
 さて、とヘザーは言いましたが、レイはダーシーに基本を教わっています。そこで聞いたのは、ことと、薄かったり濃かったりしたら調ということでした。
 このようにして量を調整するのは薬剤師にとっては当然の作業です。だからダーシーはそう説明しました。彼女は間違ったことは何一つ言っていません。それなのに、どうしてヘザーはと呼んだのかというと、煮詰めたり薄めたりするのはあくまで調のためだからです。
 レイは日本では、コーヒーや紅茶などの飲料、麺つゆや白だしなどの調味料などで「五倍希釈」や「一〇倍希釈」などの表記を目にしてきました。だから濃く作っておいて、いざとなったら薄めればいいと考えたのですが、そのやり方はこの世界では一般的ではありません。
 そもそも薬を作る場合、そのままの分量で作ることが圧倒的に多いのです。煮詰めるには時間がかかりますので、最初から少し濃いめに作って、最後に薄めて瓶詰めすることが多いでしょう。錠剤は凝固剤を使って固めるなど、さらに一手間必要になります。だからストレートのポーションが作る側にとっては一番楽をして儲けられる手段になっているのです。
 もし標準より濃くなってしまったら、少し量を減らせばいいのです。逆に薄くなったら、瓶に入れる量を多くすれば問題ありません。それなのに二〇倍の材料を作って五分の一まで煮詰めて濃度一〇〇倍にするなど、普通の頭をしていればまず考えない作り方なんです。
 さらに、この薬壺の中だけで三〇錠ありました。普通のポーション三〇〇〇本分の素材が使われていることになります。この町では、下級の体力回復薬は少し安めで、一本二〇〇キールが相場です。委託すれば委託料の分だけ儲けが減るとしても、一五〇キールにはなるでしょう。合計すれば四五万キール、つまり金貨四枚半になります。それを「みなさんで確認して感想を聞かせてください」と言ってポンと置いていったわけです。

「一度会ってみたいね。呼び出してもらえるかい?」
「わかりました。手紙を出してみますね」

 薬剤師ギルドでこのような話し合いがあり、これがレイの人生の進路をほんの少しだけ変えることになるのです。
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