異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第3章:冬の終わり、山も谷もあってこその人生

第1話:山と考えるか谷と考えるかはその人次第

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 ここはオグデンの冒険者ギルドです。先ほどシーヴと別れたレイとサラは、ロビーにある掲示板の前に移動しました。そこにはマリオンよりもかなり多くの依頼票が貼り出されています。

「高いなあ」
「四割から五割は高いね。う~~~っ」

 依頼の掲示板を見ながら、サラは腰に手を当て、のけ反るようなポーズをしました。サラはどうも荷馬車と相性が悪く、すぐに腰が痛くなってしまうからです。レイに【治療】をかけてもらってから馬車の外を歩いていましたが、それでは根本的な解決策にはなりませんでした。

「今日は無理せず、軽く街中を見たら宿屋に戻ってゆっくりするか?」
「いい? ごめんね」
「無理はするなよ。何もいいことはないぞ」

 レイはサラの肩をポンポンと叩きます。無理をしていいことなど何一つありません。それで大怪我をすれば、元も子もありません。

「帰る前に魔物だけでも売り払っておくか。これまでよりも高いから丸ごとでいいよな?」
「解体する場所がね」
「借家のことを聞いてみるか」

 魔物を解体するには、それなりに広い場所が必要です。町の外なら問題ありませんが、あまりに城壁から近い場所では、衛兵たちから変な目で見られるでしょう。あいつらは何をしているんだと。
 前にシーヴが言っていたように、解体してから売る冒険者はそこまで多くありません。解体するには、場所も時間も必要だからです。
 村の広場などを借りて解体するのもいいでしょうが、そのために村に出かけて村長の許可をもらって、とやっていると時間がかかります。結局一番いいのは、好き勝手に使える借家ということになるんです。
 二人は窓口で魔物を売り払うついでに借家について聞いてみましたが、現在ギルドで管理している分はすべて借りられているということでした。

「街中にある斡旋屋が扱っている分はわかりませんので、一度聞いてみてもいいかもしれませんよ」
「そうですね。ありがとうございます」

 レイは礼を言うとギルドから出ました。

「ないなら仕方ないね」
「それじゃあ、買い物だけして帰るか」

 二人はチーズやソーセージ、ハムなどの食料品、それからエールやミード、ワインなど、この一週間で減ったものを購入すると宿屋に戻ることにしました。
 え? 酒ですか? ええ、飲みましたよ。昼も夜も。寒いですからね。特に野営のときには寒さ対策としてワインや蒸留酒を飲んでから毛布にくるまって夜番をするんです。もちろん酔っ払うほどは飲むませんよ。命に関わりますので。

 ◆◆◆

「やっぱりお風呂は最高」
「昼間っからってのは贅沢だな」

 二人は並んで樽風呂に入っています。シーヴがいないので囲いも立てず、部屋の真ん中に樽を二つ並べただけです。

「自分で言うのもなんだけどね、まさかここまで重宝するとは思わなかったよ、このお風呂」
「そうだなあ。とりあえず入れておけば使うかもしれないって感じだったからな」

 レイのマジックバッグには、お湯や水の入った樽がいくつも入っています。

「汚くはないはずだけど、一度中身を交換するか」
「そうだね」

 使い終わると必ず【浄化】できれいにしていますので、汚いことはありません。ぬるくなったら【火球】で温め直しています。それでも何度も何度も同じお湯に入るのはどうかと、わりときれい好きなレイは考えてしまいます。
 お湯を溜めるのは魔法を使えば室内でもできますが、捨てるのが問題です。捨てるにしてもどこで捨てるべきでしょうか。大量のお湯を捨てるというのはそこそこ贅沢なことです。見られないようにするなら、町の外しかないでしょう。

「明日にでも一度町を出て、人が少ないところで捨ててこよう」
「そうだね。明日になったら働こうか」
「ダメな人間みたいだな」
「大丈夫。最初から人格者ってわけでもないから」
「それもそうか」

 他人が自分のことをどう思っているかはともかく、レイは自分のことを人格者だとは思っていません。単に前世の記憶があって、他人よりも少しだけ真面目なくらいだと。人格者というのは、身を粉にして他人のために働ける人のことだろうと。
 サラは樽から出て着替えると、腰にお湯の入った水袋を当て、それからミードの樽を取り出しました。

「飲む?」
「まあ……悪くはないよな」

 働くのは明日からと決めました。それなら昼間からどころか午前中から飲んでもいいでしょう。無理をする必要なんてどこにもありません。二人は買い置きのチーズや干し肉を取り出すと、久しぶりに二人で乾杯しました。

 ◆◆◆

「ん……」
「お、起きたか?」
「起きた」

 昼間から飲んだ二人は、ベッドに横になるとそのまま寝てしまいました。午後のそれほど遅くない時間に早めの夕食をとって部屋に戻ると、夜はさっさと寝ました。
 結局昨日の二人は、食事の時間以外はひたすら寝ていたことになります。サラだけでなく、レイにも疲れがあったようですね。
 そのレイは少し前に目を覚まし、音を立てないように軽く体を動かしていました。

「体がバキバキだ」
「寝すぎた?」
「みたいだな。とりあえず今日から仕事再開だ。とりあえず着替えたら朝食に行こうか」

 レイは自分とサラに【治療】と【浄化】をかけると、着替えて酒場に下りることにしました。


「昨日あれだけ食べて寝たのに、まだ落ち着かないのかな?」

 サラのお腹からはぐーぐーきゅーきゅーと景気のいい音が聞こえています。

「シーヴが言ってたけど、時期的にそろそろじゃないか?」

 レベルが上がると、食べ物からのエネルギーの吸収効率が上がるので、空腹を感じにくくなります。ところが、レイもサラも上級クラスになり、しかもレベルも上がりました。カロリーの消費量が摂取量を上回り、そのために空腹を感じやすくなっているんです。
 お腹を鳴らしながら酒場に入ると、レイたちの視界に見慣れた顔が入りました。

「レイ、サラ。おはようございます」
「あれ、シーヴ?」
「おは~、昨日ぶり」

 サラの挨拶は完全に友人に対する言い方になっています。

「今日はここで朝食か?」
「それもありますけど、実はお二人に相談があって待っていました」
「もちろん俺たちにできることならなんでも」
「そうそう、遠慮なく。裸の付き合いをした仲だし」

 二人はまだランクもレベルも高くはありませんが、実力はかなり上です。ドラゴンと戦えとでも言われない限りは相談に乗るつもりです。

「お二人にしかできないことなんです」

 そう言いながらシーヴは真面目な表情を作りました。

「私を『行雲流水こううんりゅうすい』に入れてくれませんか?」
「入れてくれませんかって、何か依頼で出かけるのか?」

 今日はまだギルドに行く前なので予定は入っていません。つまり体は空いています。

「いえ、それが……ギルドを辞めることになりまして」
「辞める⁉」
「まだ一晩しか経ってないじゃん⁉」

 爆弾発言を聞いて、二人の声が酒場に響き渡りました。二人は慌てて口を押さえます。とりあえず注文を済ませると、三人で食べながら話すことにしました。

「私が引き抜かれたのは、昔に会ったことのある面倒な人の策のようでして……」

 そう言ってからシーヴはこれまでの経緯を二人に説明し始めました。
 この町にセルデン商会という大規模な商会があります。現在の会長はアシュトン子爵の甥孫で、ジャレッドという名前をした三〇過ぎの男性です。彼は若くして親から商会を受け継ぎました。
 ジャレッドは会長になる前、仕入れの仕事のためにあちこちの町に出かけていました。そんなある日、たまたまある町でシーヴを目にしたジャレッドは、彼女に一目惚れをしてプロポーズをしました。

「まだ冒険者を引退する気にならなかった時期です。その場できっちりと断りました」

 それからしばらく冒険者をしていたシーヴですが、パーティーが解散となり、ソロ活動に戻りました。それからたまたまマリオンの冒険者ギルドに誘われて引退することにしました。

「マリオンには仕事で何回か行ったことがありました。こういう場所ならのんびりできそうだと思ってしまったんです。そうしたら急に冒険者を続ける気がなくなってしまって」

 冒険者に未練がなかったといえば嘘になりますが、英雄になりたいとか名前を売りたいとか、そのような考えはありませんでした。
 獣人族の町や村ではわりと一般的な風習として、成人したら一度は町を離れる、というものがあります。彼女の生まれ育った村にもその風習が残っていて、彼女もそれに従っただけです。
 さらには、都会すぎず田舎すぎず、ほどほどの規模のマリオンが気に入ったというのも理由でした。彼女の好むゆったりとした時間が流れていました。

「とっくの昔に記憶は戻っていました。それでもレイに再会できるなんて、もちろん考えてはいませんでした。少々迷惑な人もいましたけど、それを除けば、ここでゆっくり暮らすのもいいだろうと」

 シーヴがマリオンに移り住んで二年ほど働いたところで今回の移籍話が舞い込みました。働きぶりが評価されてオグデンのギルドから引き抜きの声がかかったのだろうと彼女は思っていましたが、この移籍話には裏があったのです。

「どうもジャレッドが私をずっと諦めていなかったそうなんです」

 かつてプロポーズを断られたジャレッドですが、それでシーヴを諦めたわけではありませんでした。
 ところが、相手は冒険者なのでどこにいるかわかりません。わからないのなら調べればいいだけです。商会のネットワークを使って調べていたところ、シーヴが隣の領地にいることが判明します。

「居場所がわかったのに、自分では確認に来なかったんだね」
「一応町を代表するような大商会の商会長ですからね。そう簡単にふらふら出歩くわけにもいかないでしょう。もしかしたら一度くらいはこっそり来ていた可能性も否定できませんけど」

 居場所はわかりましたが、領地が違えば普段はまったく接点がありません。マリオンに支店を作るにしても、土地と建物を用意し、さらには人を雇わないといけません。しかも、自分がその支店で働くことはできないでしょう。
 それなら頻繁にマリオンに出かけたいところですが、移動に一週間ほどかかります。ジャレッドは不真面目ではありませんので、無駄に時間を使いたくはありません。そこで考えたのが、ギルド職員の買収という手法でした。
 ジャレッドはオグデンの冒険者ギルドと商人ギルド、さらにはマリオンの冒険者ギルド、三つのギルドの職員を数人ずつ買収しました。
 まず、オグデンの商人ギルドと冒険者ギルドの間で偽の揉め事を起こさせました。その責任を取らせる形にして、冒険者ギルドから職員を一人追い出すことに成功します。
 次に、冒険者ギルドは代わりの職員を雇おうとしますので、シーヴという非常に有能な職員がマリオンにいるという情報を冒険者ギルドに流させました。一方で、マリオンの冒険者ギルドのほうにもオグデンで欠員が出たという話を流します。

「急にそのような話が出たので、少しおかしいとは思いましたが、オグデンのギルド職員にも顔見知りがいましたので、その人が推してくれたのかもしれないと考えました。私を騙しても誰も得をしないと、そのときは思っていましたから」

 マリオンのギルドで買収された職員たちは、これはいい機会だからぜひ移籍を、という方向に話を持っていかせました。それから数日して、ギルド長のブルースとシーヴに首を縦に振らせることに成功したのです。
 そして昨日、ようやくシーヴがオグデンにやってきました。ここまではジャレッドの計画どおりでした。

「一度プロポーズは断っています。断ったのがわかってもらえなかったのかもと思って、もう一度話をすることにしました」

 シーヴが着任したのを知ったジャレッドは偶然を装って夕方にギルドに現れ、彼女をデートに誘いました。彼が買収したことがあとになって判明した職員たちは、自分たちが代わりをするから出かけてもいいと言いました。シーヴは断り方が悪かったのかもしれない、もう一度きちんと断ろうと思い、その誘いを受けることにしました。
 気分が高揚しているジャレッドは次から次へとグラスを空けます。そのうちにジャレッド自身の口から、シーヴをここに呼ぶために職員を買収して前任者を追い出したという衝撃的な話が飛び出しました。
 人は悪事が成功すると口が軽くなるものです。ましてや、かなり酒が入った上に、再会を望んでいた相手が手の届く範囲にいるとなれば。
 得意満面に話すジャレッドの戯言たわごとを聞き終えたシーヴは、彼の顔にワインを浴びせると店を飛び出しました。

「その足でギルドに戻ってギルド長に報告しました。それに、こういう話を聞けば、ここのギルドで仕事を続けるのもどうかと思って、前任者に戻ってもらうようにお願いしておきました。まだこの町にいればという話ですけど」

 まだギルドに残っていたギルド長は、シーヴを連れて領主邸に向かうと事情を説明しました。
 アシュトン子爵はジャレッドとセルデン商会の幹部、そしてこの件に関わった冒険者ギルドと商人ギルドの職員をその夜の間に捕えさせることに成功しました。
 冒険者ギルドに限らず、ギルドは信用第一です。ありとあらゆる職業の人が利用します。そんなギルドで不正に関わったとなると、一体どうなるでしょうか。クビは当然、全財産没収、投獄、奴隷落ちでしょう。
 さらに、オグデンだけでなく、マリオンの冒険者ギルドにも不正の手が伸びていたことが判明しましたので、そちらにも連絡しなければなりません。その関係で冒険者ギルドは朝までバタバタしていました。

「マリオンに戻るのはダメなのか?」
「戻っても向こうが困るでしょう。気分的にも」

 すでに引き継ぎを済ませてこちらに来ています。マリオンでも何人かクビになるはずなので、戻ればまた雇ってもらえるかもしれません。そうはいっても、引き抜かれた自分が原因で不正が行われたとなれば戻りにくいでしょう。それはオグデンに留まっても同じです。
 それに加え、今は投獄されているジャレッドもいずれは釈放されるはずです。そうなったらまた近づいてくるかもしれません。
 結局のところ、もっと遠くにある町で職員の募集を探すか、数年ぶりに現役に戻ってオグデンを離れるか、そのどちらかということになります。そして彼女は後者を選ぼうとしました。

「そういうことで辞表を提出しました。お嫌でなければパーティーに加えていただければと」
「私はいいよ。シーヴが来たらレイのやる気も出そうだし」
「うん、まあやる気は出るけど、それでいいのか?」
「いいんじゃない? シーヴはめでたくフリー。いずれはレイのお嫁さん。それまでに稼がないとね」
「いや、お嫁さんってなあ」

 レイとサラの話し合いを聞いていたシーヴは、ここで首を傾げました。

「昨日までは立場がありましたから深くは聞かないようにしていましたけど、サラはレイのことが好きじゃないんですか?」

 今さら遠回しに聞いても意味がないだろうと、シーヴはストレートに疑問をぶつけました。

「あ~、う~ん、好きか嫌いの二択なら好きなんだけど、幼馴染が長すぎて……」

 サラはそう言ったまま考え込んでしまいます。

「よし、向こうでのことを言っちゃおう。レイ、いいよね?」
「ええっ? このタイミングでか?」

 もし一緒に行動するならどこかで自分たちのことを言わなければなりません。言葉の端々から違和感を持たれることもあるでしょう。
 レイはいずれじっくりと腰を据えて説明しようと思っていましたが、サラにはサラなりの考えがありました。世の中にはタイミングというものがある、ということです。言わずに後悔するよりも言って後悔するほうがいいと、サラは最近はそう思うようになりました。

「はい、シーヴ。ちょっと上に来て」
「え? はい」
「レイもね」
「はいはい」

 朝食が終わるとサラはシーヴの手をつかんで部屋に引きずるように向かいました。
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