異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第3章:冬の終わり、山も谷もあってこその人生

第4話:誰しもたまには一人でじっくり考えたいときがある(カレーのこと)

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(あんなバレバレの目配せ、誰にでもバレるだろ)

 シーヴがサラに目配せをしていたのはレイにもわかりました。今回の件のことで、二人っきりで話したいことがあるのだろうと、レイは部屋を出ることにしたのです。

「俺も冒険者ギルドを見てみるかな」

 近づく必要はありませんが、どのような状況かくらいは見ておこうと、そちらに足を向けました。

 ギルドの建物が見える場所まで来ると、たしかに人だかりができています。サラが見たのはもっと前ですが、あまり人は減っていないようです。
 事情が事情なので今日は中に入りづらい気分です。昨日はシーヴの着任と同時に護衛完了の手続きを済ませました。それに借家のことも聞いています。レイの顔を覚えている職員がいるかもしれません。

「よし、これ以上近寄るのはやめよう」

 レイはそのまま回れ右をして商業地区の方に向かうことにしました。

 ◆◆◆

 レイは食料の買い足しをしようと、今度は商店が建ち並ぶあたりに入りました。野菜は朝市で売られることがほとんどなので、店で売られているのは穀物や乾物、保存食が中心になります。

「生肉だけはあるんだよな」

 彼のマジックバッグには十分な食材がありますが、料理が減ってきています。オグデンでしばらく活動する予定をしていたので、ここまで一週間分の料理プラスアルファ程度があればいいと考えていたからです。
 とりあえず白パンでも黒パンでも、パンを買わなければなりません。その他にはハムやソーセージ、チーズなどの保存食も必要です。
 レイは保存食の作り方を大まかに知っています。食材はマジックバッグにあります。ところが、残念ながら作る場所や道具がありません。

「ん、あれは?」

 道の先の方に人だかりがあり、その向こうに兵士たちが固まって立っているのも見えました。ちょうどレイの目の前に食料品店があったので、店先にいた店主に聞くことにしました。

「あっちで何かあったんですか?」
「ああ、あれな。なんかセルデン商会がヤバいことをやったみたいでなあ、昨日の夜に兵士が取り囲んで幹部を連れてったらしい。らしいってのは、俺は囲んだところまでしか見てないからだ」
「そうでしたか」

 レイが思っていた以上に物々しい雰囲気です。シーヴが説明した以上の大問題になっているのではないかと思えました。
 レイは話を聞くと、情報代替わりにハムとソーセージを包んでもらって店を出ました。それから何軒か同じように食料品店を回りました。白パンと黒パン、ベーコン、チーズ、ハム。さらに酒屋を回って何種類かの酒を購入すると、今度は中央広場の方に向かいます。

「一本ください」

 レイは肉串の屋台があったのでつい注文してしまいました。ちょうど小腹が空く時間です。

「はいよ」
「ありがとうございます」

 レイは代金を払って肉串を受け取ると、さっそく一切れ頬張ります。ピリッとしながらも甘みのある味はテリヤキに近いので、白パンに野菜と一緒に挟めばテリヤキドッグになるだろうとレイは思いました。

「追加で三〇本いいですか?」
「そんなにか? すぐに焼くからちょっと待ってくれ」

 店主は肉串に刷毛を使ってささっとタレを付けると網の上に並べていきます。

「そのタレはオリジナルなんですか? 食べたことのない味だったんで」
「いや、そこの通りを入ったところにある赤い看板の店で売ってるやつだ。甘辛ソースって名前で売ってたやつだな。そのままじゃなくて少し手を加えてるけどな。そこは秘密ってことにしといてくれ」

 そう言って店主はニヤリと笑うと、途中で手際よく串をひっくり返し、もう一度タレを塗ります。そのたびに胃を刺激する香りが広がりました。
 焼き上がった肉串を受け取ったレイは、今度はそのタレを売っている店に向かいました。

「らっしゃい」
「そこの肉串屋の店主から甘辛ソースのことを聞きまして」
「ああ、マシューのやつか」

 レイは店内を見せてもらうことにしました。この店はいわゆる薬草屋・兼・スパイス屋です。薬屋と調味料屋を兼ねている感じですね。
 それぞれ単体もありますが、ハーブやスパイスとして使えるものをそろえて調合した、いわゆるマサラも売られています。そのまま使ったり練ったり煮出したり、使い方は多いでしょう。
 棚を見ているうちに、レイはギルドのメニューにカレーがなかったことを思い出しました。日本人ならカレーを作らないはずはないだろうと。どうしてヤキソーバ焼きそばがあるのにカレーがないのかとレイは思っていましたが、実は山が近くて寒冷なマリオンでは、スパイスの種類がそこまで多くなかっただけだけです。
 流通網が発達していませんので、遠方から取り寄せようとすると輸送費ばかり高くなってしまいます。この世界には送料無料サービスなんてありませんからね。普通なら輸送費込みでどれだけ儲けるかを考えます。だから北はオグデンあたりで止まってしまうんです。

「コショウ、カルダモン、クミン、クローブ、ナツメグ、コリアンダーシード、シナモン、ターメリック。これはカレーを作れという神のお告げだな」

 たいして神を信じていないレイですが、そんなことを口にしました。それと、どの神もお告げはしていないと思いますよ、はい。
 値段はやや高めですが、これだけあれば十分カレーができそうです。おそらくチャイやビリヤニもできるでしょう。配分まではわかりませんが、そこは何度も試せばいいだけです。

「カレーを作るなら野菜も欲しいな」

 朝と呼ぶには遅く、昼と呼ぶには早い時間ですが、まだ露店は残っているだろうと、レイは朝市が行われている広場に向かうことにしました。

 さて、オグデンなら町の城壁の東西南北だけではなく、さらに八つほど門があります。それぞれの門から入ったあたりには広場があり、そこが朝市の会場になります。
 朝市と呼ばれていますが、それは早朝から露店が並ぶからであって、朝の間に終わるものではありません。野菜なら売り切れるまで店を出す店がほとんどです。そうはいっても、昼になれば商品が少なくなりますし、買い物客も減りますので、値引きしてでも売り切ろうとする店が出てきます。逆に、それを狙う人もいますね。

「兄ちゃん、白ネギに青ネギにタマネギ、どれでも安くしとくよ。パパッと買って店を閉めさせてくれよ」

 朝市のエリアに踏み込んだレイに、いきなり声がかけられました。

「銅貨一〇枚でこれくらい?」

 レイはザルに野菜を持って店主に見せました。

「いやいや、それじゃあ足が出ちまうぜ。勘弁してくれよ。俺っちも家族があるからよ」
「それなら、タマネギを二つ減らして赤トウガラシ五本でどう?」
「く~っ、わけえのにいいとこ突いてくるなあ」

 このように値引き交渉をしつつ、レイは白ネギ、青ネギ、タマネギ、エシャロット、赤トウガラシ、ショウガ、コリアンダーなどを購入しました。さらには、ダイコン、ニンジン、ジャガイモ、レタス、キャベツ、ハクサイなど、定番料理に必要そうな食材を買い集めていきます。
 これらの露店は近くの村から来ていることがほとんどです。町は商業活動の場なので、大きな農地はありません。だから魔物肉以外のほとんどの食料品は村に頼っているんです。

 ◆◆◆

「ただいま」

 買い出しを終えたレイは昼前に戻りました。

「おかえり」
「おかえりなさい」

 部屋に入ると、サラとシーヴの二人が妙にサッパリしながらも真面目な表情をしているのがレイは気になりました。

「で、どういう結論になったんだ?」

 今さら遠回しに聞く意味がありません。それにレイは回りくどいのは好きではないのです。なんとなく返ってくる答えがレイには想像できましたが、ストレートに聞くことにしました。

「二人で話し合いまして、私とサラは二人ともレイのことが大好きだということを確認しました。つきましては、二人とも恋人に、いずれは妻にしてもらえればと」
「二人ともか」

 どことなくそうなるのではないかとレイは想像していましたが、実際にそう聞くとドキッとしてしまいました。

「レイ、私の遺言って聞いた?」
「遺言っていうか、あれって末期の言葉だよな。『ちょっとだけ悔いあり』ってやつ」
「そう。もっとレイと一緒にいたかったって言えなかったこと」
「……言ってくれてもよかったのにな」
「言っても私は死んじゃったよ? 私だけが死んでレイが残ったら嫌じゃない? 結果としてレイも死んだけど」

 前世のサラには、ここぞというタイミングで臆病になる癖がありました。レイに告白して、それで気まずくなったらどうしたらいいのか、彼女にはわからなかったのです。
 逆にレイは、サラに告白してほしくないと思うこともありました。告白を断れば、次からどういう顔をしたらいいのかわからないからです。似たり寄ったり。二人はお互いに幼馴染みという関係が崩れるのを嫌がったまま、日本での人生を終えたのです。
 さて、二人はレイに告白しました。次はレイのターンです。彼の目の前にある選択肢は「二人とも受け入れる」と「二人とも拒否しない」だけです。いずれにせよ、二人を拒む選択肢はレイの頭にはありません。ありませんが、それでもすぐに首を縦には触れないのがレイなんです。

「俺はそういうのが苦手なんだけどな」
「でもここは日本じゃないからね。リーガル、合法、適法、正当」
「正当は違わないか?」

 レイはそうは言いながらも、今さら二人と離れるというのは考えられませんでした。それが贅沢なことだとわかっていても。

「それなら合法で適法。妻が二人いていも問題なし。むしろ妻が多いほうが社会的には成功者とみなされるし、それでうまくいってるなら信用度が上がるよ。どう?」
「……わかった。腹をくくる」

 レイはサラが嫌いではありません。好き嫌いで考えれば間違いなく好きでしょう。好みのタイプではなかったというだけなんです。これほど一緒にいて楽な相手はそうはいません。サラが男性だったなら、最高の親友になれたかもしれません。

「では二人は誓いのキスをどうぞ」
「え~? シーヴが見てる前で?」
「私はさっきしてもらいましたので。嫌なら私がもう一度してもらいますが。一度ではなく二度でも三度でも」

 シーヴの言葉を聞くとサラはさっとレイに顔を向けました。

「レイ、はい」
「いや、はいって……」

 サラは目を閉じて顔を上げます。さすがにそこまでされて放っておくようなことはレイにはできません。

「んっ……」

 レイがサラを抱きしめて唇を重ねると、サラの喉が小さく鳴りました。唇を重ねるだけの軽いキスが三〇秒ほど続き、どちらからともなく唇を離しました。

「ぷは~、ごちそうさまでした」
「おい、そういう言い方しかできないのか?」
「だって恥ずいじゃん」

 サラは照れ隠しをしようとすると、わざとこのような言い方をすることをレイは知っています。それでも、ファーストキスでこれはどうかと思ってしまいました。サラらしいといえばサラらしいですが。

「はいはい。とりあえずレイとサラはお互いに大切に思っていたのに言い出せませんでした。そして私とレイもよく似たものでした。はい、これで今後は三人で一緒です」

 シーヴがパンと手を叩いて、この件はここで終わりということになりました。ただレイには、一つ気になることがありました。

「でもなあ、どうしても二股野郎になったみたいに思えるんだよなあ」

 この国で生まれ育ったレイとしての知識だけならおかしいとは思わなかったでしょう。ところが、そこに日本人のレイとしての倫理観も戻ってしまいました。だから恋人が二人ということに微妙な引っかかりがあるんです。それがこの国では普通だとしても、その違和感ばかりはどうしようもありません。

「この国は一夫一妻ではありませんよ。場合によっては正室を決める必要がありますけど、側室の人数に制限はありません。五人でも一〇人でもどうぞ」
「理屈ではわかるんだけどな」
「だから目標はハーレム王だね」
「いや、無理。そもそもそれだけの稼ぎがないと難しいだろ」

 いくら一夫多妻が認められているとしても、複数の妻を娶るなら扱わなければならないという決まりがあります。不満を持った妻に出ていかれれば、それは男としての甲斐性がないということになり、この上ない恥だとみなされます。

「それを目標にしたらいいんじゃない?」
「結果ならまだしも目標は違うだろ?」

 レイとしては、努力の結果として複数の妻を娶るのはまだしも、複数の妻を娶るために頑張るのはおかしいと感じます。たとえそれがこの世界の普通だとしても。

 きゅるっ

 三人が将来の話をしていると、レイの耳にシーヴのお腹が鳴った音が聞こえました。

「こんな時だけど食べるか?」
「……は、はい」
「そういえばもうお昼だね」

 レイはテーブルに白パンとレタス、そして肉串を取り出しました。

「ホットドッグ?」
「味はテリヤキだけどな。それと今は無理だけど、スパイスを一通り買ったからカレーができるはず」
「マジで?」
「おう」

 問題は、そのカレーを作る場所がないことですね。けっこう匂いがしますからね。

「カレーならもっと南の方にはありますよ。私は食べたことはありませんけど」
「ええっ? もっと早く教えてよ」
「今さっき元日本人だとわかったばかりじゃないですか」

 カレーはもっと南のほうに存在します。米もありますよ。ただ、インドのバスマティやタイのジャスミンライスのような長粒種です。カレーには合いますね。

「そうだそうだ、マリオンの冒険者ギルドにある酒場のメニューって、シーヴは関係してるのか?」

 あの酒場にはヤキソーバ焼きそばがありました。さらにはラーメンに近いものもありました。名前がヌードルスープだったので、最初はレイもサラも気づきませんでした。

「焼きそばとかラーメンとかですか? 私が職員になったときにはもうありましたよ」

 シーヴがマリオンでギルド職員になったのは二年少々前です。それからはメニューは増えていないとシーヴは説明します。

「テリヤキって見たことはあるか? 料理でもソースでもいいんだけど」
「いえ、言葉としては聞いたことはありません。でも、他の世界からこの世界に生まれ変わった人もいると思いますので、物が同じでも名前が違ったり、逆に物が違っても名前が同じだったり、そういうこともあるんでしょうね」

 この甘辛ソースも、ひょっとしたらどこか別の世界で作られたものなのかもしれないとシーヴは言います。

「とりあえず、食べ終わったら町を出るか」
「そうだね。ここは出たほうがいいよね」

 セルデン商会は幹部がしょっ引かれたそうですが、中堅以下は残っているはずです。それに、この町一番の大商会なので、支店もあちこちの町にあります。

「ねえ、シーヴの見た目がセルデン商会にバレてるってことはあるの?」
「写真がありませんからね。知っている人はいないでしょう」

 ジャレッドがどのような手段でシーヴを探したかはわかりませんが、おそらく名前と種族ではないかとシーヴは考えています。

「でも早めに町を出たほうがいいと思うぞ。何をするにしても落ち着かないだろ?」
「そうですね。抱かれるにしても落ち着いた場所で抱かれたいですし」
「あ、いや、そういうことじゃなくてな」
「もうシーヴも全開だね」
「遠慮する必要がなくなりましたからね」
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