異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第3章:冬の終わり、山も谷もあってこその人生

第3話:口にしようがしなかろうが、結果は同じ

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「相思相愛かあ」

 宿屋を出たサラはつぶやきます。サラのレイに対する気持ちは複雑です。好きなのは間違いありませんが、幼馴染の期間が長すぎました。
 はっきりとレイが好きだと気づいたときには、今さら恥ずかしくて伝えることができなくなっていました。それは仕方ありません。サラはレイの好みのタイプを知っていたからです。
 レイが好きなのはピシッとした女性で、自分とはむしろ真逆です。だから冗談にかこつけて、ほんの少しアピールするだけでした。
 サラがレイに気持ちを伝える機会があったとすれば、それはレイの記憶が戻ったときだったでしょう。二人とも異世界で生まれ変わりました。支え合って生きていく。でも彼女は勇気が出せなかったのです。
 そこにシーヴが現れました。サラは自分がシーヴに勝てる部分を見つけられませんでした。今さらレイに告白しても断られるのは目に見えています。
 それに、どう断ればサラを傷つけないかとレイは悩むでしょう。断られた上にレイを困らせたくはありません。まさに自縄自縛。レイはけっして器用な人間ではありませんが、彼に負けず劣らずサラも不器用でした。そして、お互いにお互いが不器用だと理解していました。

(このまま私がいなくなったら……心配させるよね)

 サラには二人の間に割り込む勇気はありません。それならここで姿を消すのが一番いいのではないか、そんな考えがふと頭をよぎりましたが、頭を振ってその考えを追い払います。そんなことをしたらレイが心配するのがわかっているからです。

「少し歩いてくるかな」

 サラは予定どおり、冒険者ギルドへ行ってみることにしました。

 ◆◆◆

「……んっ」

 レイにもたれかかっていたシーヴが身じろぎしました。

「おはよう」
「お、おはようございます。寝てしまいましたか」

 シーヴはレイの顔を見て頬を赤らめます。

「徹夜だったんだろ?」
「ええ。重くなかったですか?」
「全然」

 一度体を起こしたシーヴは、一人いないことに気がつきました。

「そういえばサラはどうしたんですか?」
「ギルドのほうを見てくるそうだ」
「そうですか」

 その言葉を聞くとシーヴはもう一度レイにもたれかかりました。レイにはその重さが心地よく感じられます。

「シーヴ」
「どうしました?」
「キスしていい?」
「はい」

 レイの言葉を聞いてシーヴが目を閉じました。レイは彼女を抱きしめると唇を塞ぎます。シーヴの両腕がレイの体に回されました。
 しばらくして一度唇が離れましたが、二人はベッドの上に寝転がって、飽きるまでキスを続けました。

 シーヴはキスに満足するとレイの胸に頭を乗せました。

「レイ君とこうするのが夢だったんです」

 シーヴは夢心地な表情でそう口にします。それを聞いてレイは疑問を口にしました。

「でもシーヴならモテたんじゃないか?」

 これはレイの素直な意見です。それを聞いたシーヴは、レイの疑問に寝ながら首を振りました。

「私は基本的に臆病です。告白して断られたら次の日からどういう顔をすればいいのか、付き合い始めて性格が合わなかったらどうすればいいのか、社内で周りからどう思われるか、向こうのご両親に反対されたらどうすればいいのか、そう考えてしまうんです。絶対に大丈夫だという保証がなければ、私は何もできない人間だったんです」

 ミマリシーヴは自分だけが関係することには自信がありました。仕事は自分が努力すれば結果が出るものです。ただし、他人がどう考えているかまでは誰にもわかりません。人間関係、特に男女関係にはかなり臆病だったのです。仕事中は澄ました顔で真面目な態度を貫き通しました。真面目であることで臆病な自分を隠したのです。
 実際に彼女に何かがあったわけではありません。男性との交際の経験もなければ失恋の経験もありません。そもそも手を握ったこともありません。傷付きたくなければ挑戦しなければいいだけです。確実にできることだけをすればいいだけです。それが彼女の心の守り方でした。

「そのせいで婚期を逃してしまいましたけど」
「もったいなかったなあ。美人だったのに。今も美人だけど」
「ありがとうございます」

 レイのほうも奥手でした。思い込みもあるでしょうが、レイはミマリの美しさは他の女性と種類が違うと感じていました。だから新入社員の自分がいきなり交際を申し込んでも断られるだろうと思い、毎日眺めて癒されるだけでした。

「もしあの頃にお互いの気持ちが分かって、それで付き合い始めたらどうなってたんだろうな?」

 レイは日本でのミマリシーヴとの新婚生活、そして子供ができてからの家族生活を思い浮かべようとしました。

「付き合うことはできていたかもしれません。ですがレイ君はアメリカに行ってから……」

 シーヴはその先のことをはっきりとは口にできませんでした。海外転勤の途中、レイが年末のクリスマス休暇で帰国中に亡くなったことを。

「そうだった。やっぱり俺のことって社内で話題になったか?」
「はい。ご実家から会社に連絡が入りました。私は個人として葬儀に参加しましたが、原因不明だと聞きました。持病があるわけでもなく、普通にベッドに入って、朝に起きてこなかったと」
「まあ弟がいるから家のほうは大丈夫か。でも会社には迷惑かけたんだろうなあ」

 レイは自分が死んだあとのことを考えてから、別のことにも気づきました。

「そういえば、シーヴがここにいるってことは、何かあったのか?」

 自分が知っている限り、サラは病気で亡くなり、自分は原因不明の急死だと聞きました。三人の中ではシーヴが最後のはずです。

「いえ、どうも記憶がぼんやりしていますが、お婆ちゃんになるまで一人暮らしだった気がします」
「そうか……」
「レイ君以外に心を許せる人がいませんでしたので」
「それが不思議だな」

 どうして自分だけがミマリに気に入られたのか、どうしてミマリはレイだけを気に入ったのか、それは二人にもわかりません。ただそういう事実があっただけです。

 ◆◆◆

 コンコン

 ノックの音がするとサラが扉の隙間から頭を覗かせました。

「終わった?」
「何がだよ」
「ひひひ」

 レイはシーヴを抱きしめたままでした。何十年分か何百年分かわかりませんが、レイが死んでからこれまでの空白を埋めるかのように、シーヴはずっとレイに抱きついていました。

「そうそう、ギルドを覗いたら職員募集のチラシが貼ってあって、受験希望者が説明を聞くのに列を作ってたよ。そのうちにテストがあるみたいだね」
「でしょうね。人気はありますので。なかなか採用されるのは難しいですが」

 ギルドごとに細かな内容は違いますが、テストを受けたことのあるシーヴにはその状況が理解できました。
 一般的に、テスト内容は筆記試験と実技試験です。
 筆記試験は絶対必要な読み書き計算以外に、ギルドの決まりなどを理解できるか、一般常識があるかどうかなどが問われます。
 実技試験は文字どおり腕っぷしの確認です。敵を倒すというよりも暴れた冒険者をいかに取り押さえるかということが重要なので、素手でもある程度の強さが求められます。窓口にいるときに飛びかかられることがないとは限らないからです。
 冒険者ギルドに関しては、荒事に関わることもありますので、明らかに男性のほうが多くなっています。一方で、女性がいることで騒ぎが起きにくくなるという統計もあります。だからシーヴのように冒険者経験のある女性は重宝されるんです。
 さらに、外見もある程度は重要視されます。受付が美人の場合、荒くれ者でも真面目に列を作ることが多いことがわかっているからです。誰だって騒いで嫌われたくはないと思うわけです。

「レイも少し覗いてきたほうがいいよ」
「……そうだな。少し出てくるか。昼には戻る」

 レイは一瞬考えてから、しばらく街中をうろつくことにしました。どうせ自分の目で見て回る必要があるでしょう。
 自惚うぬぼれているわけではありませんが、自分の身ならいくらでも自分で守れますので、レイはマジックバッグとダガーだけを持つと、マントを羽織って部屋を出ました。

 部屋に二人きりになると、サラは急に真面目な表情になりました。

「目配せしたのはなんで?」

 サラが部屋に入ってきたとき、シーヴはサラに目配せをしました。

「二人だけで少し話をしたいと思いまして」

 三人でパーティーを組むなら話しておかなければならないことがあります。サラがどうするにせよ。

「先ほどレイからキスをされました。将来は彼の子供を産むつもりです」
「……おめでと」

 サラの口が開いてから声が出るまでに間があったのをシーヴは聞き逃しません。

「本当にいいんですか?」
「本当にって?」
「レイが私と結婚して、あなたとは関係を持たないことです」

 それを聞いたサラは、口を真一文字に結びました。

「年のことは口にしたくはありませんけど、私はあなたたちよりも長生きしています。前世でも今世でも。サラ、あなたが少し無理をしていることくらいは分かりますよ」
「……そっかあ」

 サラは大きくため息をついた。三〇前まで生きて、そしてこちらで生まれ変わったとはいえ、それでもシーヴには届きません。

「幼馴染だった話は聞いてる?」
「ええ、簡単には。それで名前が頭の隅に残っていたんです」

 レイはプライベートなことをペラペラと話す性格ではありませんでしたが、それでもまったく話さなかったわけではありません。シーヴはレイの言葉は事細かに覚えていました。

「実家が隣同士で、たまたま部屋が向かい合わせ。それでいつからだったかお互いに窓から出入りするようになったんだよね」
「まるでマンガの世界ですね」

 実際に窓から出入りしたのは彼女くらいのもので、他はみんな普通に玄関から入っていましたよ。レイも窓からサラの部屋に入ったことは一度もありません。

「家に帰ったらレイの家に遊びに行くようになってね、みんなで六人きょうだいみたいだったね。レイってちょっと面白みがないから笑わせようってところもあったと思う。中学くらいまではそんな感じ」

 そこまで一息に口にすると、サラはベッドの上で後ろに倒れ込みました。

「成績の関係で高校は別々になってね、悔しかったなあ。それくらいからかな、ちょっとだけ疎遠になったのは」

 サラは上の下くらいでしたが、レイは上の上でした。自分に合わせて志望校を変えてほしいなどと言えるわけがありません。

「それに……私はレイのタイプじゃないってわかってたから……付き合うとか結婚するとか、そういうのは考えないように意識してたってのは……あると思う」
「それで最後まで病気のことを隠してたんですか?」
「うん。まさかレイも死ぬなんて思ってなかったからね。死ぬ直前に告白して付き合い始めたとして、すぐに私が死んだらレイも困るでしょ?」

 サラはレイに迷惑をかけたくありませんでした。迷惑をかけるくらいなら伝えない方がいいと思ってしまったんです。

「私のことは好きじゃなくてもいいんだけど、せめてもっと一緒にいたかったってことは生きてる間に言いたかったなとは思う」
「今からでも言ったらどうですか?」
「未練たらたらっぽくない? それにレイが好きなのはシーヴだから」

 レイが好きなのはピシッとしながらも優しさが見える女性。シーヴはまさにそれを実体化したような女性です。だからこそサラはあのときに部屋を出ました。自分は引こうと。
 一瞬、そのまま姿を消すことも考えましたが、それではレイたちに心配をかけるのではないかと考え、少し頭を冷やしてから戻ってきました。
 ところが、シーヴにはシーヴで別の考えがありました。

「私が口にするのもおかしいですけど、生きていれば好みが変わることもあるでしょう。それにレイもあなたのことを憎からず思っているのは間違いありません。それくらいは見ていたらわかりますよ」

 シーヴは慈母のような表情でサラを見ました。

「前世で私は彼と知り合ってから何もできませんでした。でも、今度はすぐ前にいるんです。私とあなたの目の前に。そしてここは日本とは違う国です。そうじゃないですか?」
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