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第2章:冬、活動開始と旅立ち
第7話:日本人は異世界でも風呂に入りたい、それは性(さが)
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「ここのところ、いろいろやった気がするな」
もちろん無休で働いたわけではありませんが、レイとサラは常に何かをしていました。レイはわずかですが貧乏性、もしくはワーカホリックの気がありますので、それはどうしようもありません。
「明日は休みにでもする?」
「そうだなあ。たまには朝から街をぶらついてみるか?」
「あ、いいね。ウィンドウショッピングとか」
「面白いものは少ないだろうけどな」
マリオンが田舎町だということもありますが、庶民向けの娯楽商品はあまり売られていません。あるのはバックギャモンやリバーシのような、作りが単純なボードゲームです。
さすがにこの時期に外で遊ぼうという奇特な人はいないでしょうが、暖かくなれば街角で暇な人たちが集まり、銭貨や銅貨を賭けて遊んでいるのを見かけることもあるでしょう。
ところが、これがチェスになると、一気に高級品になります。駒を彫るのが大変ですからね。
◆◆◆
翌日、二人は予定した通りに街歩きに出かけます。ですが、レイはいつになってもレイですね。
「サラ、あれ」
レイは少し先に見える商人ギルドの建物を見ながらサラに声をかけました。
「どしたの?」
「商人ギルドにも登録したほうがいいと思うか?」
「市場に出店するなら必要だけどね。あとは卸で大量に買うときとか。でもなんで?」
「せっかくマジックバッグがあるんだから有効活用したほうがいいと思ったんだ」
マジックバッグに巨大なテーブルを入れるのは無駄だと思いましたが、いずれこの町を離れる際には食料を始めとして野営に必要な道具などを入れる必要があるでしょう。
しかも自分のだけでなく、サラのマジックバッグもあります。スペースに十分な余裕があるはずなので、そこを使って商売ができればいいとレイは考えました。
「登録だけしておいても損はないかな。寄ってく?」
「ああ。ついでだから入っておこう」
一人あたり一〇〇〇キール必要ですが、入っておけばいいことがあるかもしれません。いつどこで何を売るかわかりませんからね。
それはそうと、結局は仕事の話をしていますね。レイは〝転ばぬ先の杖〟派なので、仕方ありません。サラもそれがわかっているので、登録が不要だとは言いません。
商人ギルドの中は、冒険者ギルドほど雑然とはしていませんが、薬剤師ギルドほど静かでもありません。ちょうど中間くらいでしょうか。
「登録をお願いします」
そう言いながら、二人はステータスカードと二〇〇〇キールを渡しました。三度目なので慣れたものです。
「はい、終わりました。商人ギルドへの登録は一度でかまわないのですが、市場に店を出す際にはそれぞれの町のギルドでこのような出店許可証を発行してもらってください。これがここでの今月の許可証です。有効期限は月末までになります。発行には一〇〇キール、銅貨一〇枚が必要です」
職員が二人に見せたのは、一月という文字が入った木の棒でした。穴があいていて、そこに紐を通して首から下げたりカバンに付けたり屋台にかけたりできます。
デューラント王国では、朝市の会場となっている広場、あるいは街角などで、屋台や露店などの仮設の店を出す場合は許可証だけで営業できます。レイたちが肉串を買っている屋台などもこうやって許可をとっています。
許可証は毎月発行してもらう必要がありますが、月に銅貨一〇枚なので、経済的な負担は大きくありません。これは主に村から野菜を売りに来る農家を対象として始まった制度だからです。
村人は村で麦などの商品作物を作って税として収めているので、朝市でも税を取ってしまうと二重徴収になります。そのため、最低限の場所代だけを徴収することになったのです。
完全に無料にしてしまうと勝手なことを始めてトラブルを起こす人が現れる可能性があるので、商人ギルドで登録するという形になり、職員が街中を巡回することになっています。
「市場に出すのではなく、街中で店を開くのであれば、これとは別の営業許可証が必要になります。モグリは犯罪ですので注意してくださいね。ギルドとしましても、立場的にそう言わなければなりませんので」
「大丈夫です。そこまではしませんので」
職員はレイが誰かわかっていますので、遠回しに変なことはしないでほしいと伝えました。もちろんレイはそんなことはしません。それに、そのうち町を出ますからね。
◆◆◆
商人ギルドを出た二人は、そのまま商業地区に向かいます。
「自分が商売に向いてるとは思わないけど、使えるものは活用しないとな」
かつてモーガンが言ったように、レイは商売に向いていません。なにがなんでも儲けようという気にならないからです。それでも、損をしない程度に稼ぐくらいはできるでしょう。
「旦那様に相談したらいいんじゃない?」
「そうだな。コツを教えてもらおうか」
「それよりマジックバッグに入れたいものがあるんだけど」
「何をだ?」
「お風呂」
サラが通りにある樽屋を見ながら言いました。彼女は前に樽を風呂にすることを口にしています。ある程度大きな容器となれば樽しかないでしょう。
さすがに樽の中にそのまま魔法を撃ち込めば底が抜ける可能性がありますが、中に石を入れてそこに【水球】をぶつけるようにすれば大丈夫だろうと考えたんです。薬草の土を落とすための桶と同じ要領ですね。
水が溜まればそこに【火球】を撃ち込んで温めればお風呂になるはずです。たしかにそれでお湯になるでしょう。
「レイの【浄化】があればお湯は入れ替えなくてもいいでしょ?」
「気分的にたまには替えたいけどな。屋敷にもあったけど、風呂に使えるほど大きいのは少なかったな。中古で買うか」
「古いのをきれいにできる?」
「ある程度はな。新品があればそれを買ってもいいな。値段次第だけど」
◆◆◆
二人がやってきたのは「ザハールの樽工房」という店です。ここも「ダニールのなんでも屋」と同じで、ザハールというドワーフの職人が店主をしています。
樽ならダニールのところにもあることはありますが、あのお店はどちらかといえば武器屋や金物屋です。ここは何人も職人を雇っている工房なので、種類も数もこちらの方が多いのです。
「すみません。古樽は買えますか?」
「売ってるよ。どのサイズだ?」
この店で並べられているのは抱えられそうな小さなものから何百リットルも入るような巨大な仕込み用の樽まで種類が豊富です。値段を確認したところ、新品は高かったので古樽を買うことにしました。
「これくらいか?」
「もう一つ大きいほうがいいんじゃない?」
小声でサラとサイズを決めると、レイはその樽に手を乗せました。
「このサイズを六つください」
「六つ? 運べるのか?」
「マジックバッグに入れるから大丈夫です」
「わかった。奥から持ってくるから待ってくれ」
無事に古樽を買うことができました。風呂用と飲み水用で合計六つ。代金を支払ってマジックバッグに入れます。
「売っておいて今さらだけどよ、古樽をこんなに買って何に使うんだ?」
「風呂にしようかと」
「風呂?」
風呂に使うと聞いてザハールは首を傾げました。
「かなり重くなるぞ。どうやってお湯を捨てるんだ?」
「最初にこのあたりにお湯を抜く穴をあけます。お湯を入れるときは内側からコルクを差し込みます」
「なるほど」
お風呂はありますが、檜風呂のように木でできた浴槽はありません。屋敷の浴槽には石とコンクリートとタイルが使われています。
「お湯はどうするんだ?」
「魔法ですね。水魔法と火魔法で」
「力業だな」
「でも薪を使って別で沸かして入れるとなると、お金がかかるでしょう」
鍋で沸かして樽に入れてを繰り返すと、お湯が溜まる前に冷めてしまいます。マジックバッグがあるから冷めないようにすることはできますが、時間がかかりすぎるでしょう。
「風呂なあ。でっかい風呂に入ったことはあるけどよ、気持ちいいのは間違いねえな。でも風呂のためにわざわざ沸かすのはもったいねえからな」
大きなお風呂に入ることは贅沢です。水を入れるのはともかく、お湯を沸かす手間と薪が必要になります。何かの機会で入ることはあっても、自分たちで沸かそうとは思いません。
ところがレイの目には、工房で火が使われているのが見えました。それも複数の場所で。
「樽を作るならああやって火を使うんじゃないですか?」
「ああ。水をかけて火で炙って曲げるからな」
「ついでにお湯を沸かせば樽の一つや二つ分くらいのお湯になりませんか? 上に大きな三脚台でも乗せて、その上に鍋を置いておけば勝手に沸きますよ」
「そう言われればそうかもしれないな。一度やってみるか」
木を曲げるのに使う火を使ってお湯を沸かし、それで樽風呂に入る習慣がザハールの樽工房で始まります。ドワーフは風呂好きという噂が広まるようになるのは、それから少ししてからのことでした。
◆◆◆
「底に石を入れる。そして【水球】を撃ち込む。ꂰꌺꆌꄉꂷꀂꀑꄻꇉ」
バシャッ!
拳サイズの水の球が石に当たって弾けます。
「ꂰꌺꆌꄉꂷꀂꀑꄻꇉ、ꂰꌺꆌꄉꂷꀂꀑꄻꇉ、ꂰꌺꆌꄉꂷꀂꀑꄻꇉ、ꂰꌺꆌꄉꂷꀂꀑꄻꇉ……」
サラは連続して【水球】を使いますが、なかなか水は溜まりません。一度でソフトボール一つ分くらいですからね。
「いや~、これは疲れるね~」
「魔力は大丈夫か?」
「それは大丈夫。すぐに回復するから。でもひたすら面倒。漢字ドリルとかを思い出すよ」
「サラは漢字ドリルは先に偏だけ書いてたよな」
「今から考えると全然意味がなかったよね。バランスが悪くなるし」
サラが魔法で水を出して温める間、レイは井戸から水を汲み、そこに【浄化】を使って水をきれいにする作業をしています。サラの【水球】だけではかなり時間がかかりそうだからだ。
はね釣瓶があるので、必死にロープを引き上げる必要はありません。ただ、樽をいっぱいにするためには、何度も繰り返さなければなりません。
魔法やスキルは使えば使うほど効率が上がります。相手は樽ですが、それでも使っているうちに水の玉が大きくなっていきます。
「あ、【水矢】が付いた。もっと早く出ろって考えてたからかな? そのうち【火球】も上がるかも」
火属性の魔法には多くの魔法があり、【着火】が一番簡単でしょう。攻撃に使うものの中では【火球】が初歩の魔法です。これに慣れると、より威力のある【火矢】が使えるようになります。そのころには、魔力の使用効率も上がりますので、同じ魔法でも魔力の必要量を減らすことができます。
「ねえ、レイも練習しない?」
「俺もか? できなくはないと思うけど」
「時間がもったいないからね」
「そうだなあ」
ジョブがロードのレイに最初から使えるのは白魔法の一部ですが、黒魔法がまったく使えないわけではありません。魔術師でなければ成長しにくいだけで、頭がよければ初級の【火球】や【水球】なら十分身に付けられます。もちろんロードでは覚えられないものもあります。
「それなら教えてくれ」
「ほいほい。でも意外に簡単だよ。空気中の水分を捕まえてギュッと握ってボールにして飛ばすイメージで」
「ギュッと握って……ꂰꌺꆌꄉꂷꀂꀑꄻꇉ!」
レイの手のひらの前に直径三センチほどの水の球ができています。
「それそれ。それを向こうに飛ばすだけ」
「よし」
ペチャッ
水の球は少し先で地面に落ちました。
「……飛ばないな」
「ボールを作ってから飛ばすのは難しいなら、作る段階で風を送って向こうへ飛ばす感じで。手の方からグッと押されて」
「よし。もう一回……ꂰꌺꆌꄉꂷꀂꀑꄻꇉ!」
ペチャッ
レイは何度やってもうまく水を前に飛ばせません。それでも樽に水を入れることはできるので、上手に飛ばすことは諦めました。その代わりに思いついたことがあったのでやってみると、思った以上にうまくいきました。
「器用だね」
「器用なのか不器用なのか分からないけどな」
レイは蛇口から水を出すように、手のひらから樽の中に水を注いでいます。
「私はそれは無理だから」
「そうか? お前が教えてくれたみたいに、ただ水をギュッと集めて落としてるだけなんだけどな」
蛇口を開けたり閉めたりするように、レイは出る水の量を調節できるようになりました。
もちろん無休で働いたわけではありませんが、レイとサラは常に何かをしていました。レイはわずかですが貧乏性、もしくはワーカホリックの気がありますので、それはどうしようもありません。
「明日は休みにでもする?」
「そうだなあ。たまには朝から街をぶらついてみるか?」
「あ、いいね。ウィンドウショッピングとか」
「面白いものは少ないだろうけどな」
マリオンが田舎町だということもありますが、庶民向けの娯楽商品はあまり売られていません。あるのはバックギャモンやリバーシのような、作りが単純なボードゲームです。
さすがにこの時期に外で遊ぼうという奇特な人はいないでしょうが、暖かくなれば街角で暇な人たちが集まり、銭貨や銅貨を賭けて遊んでいるのを見かけることもあるでしょう。
ところが、これがチェスになると、一気に高級品になります。駒を彫るのが大変ですからね。
◆◆◆
翌日、二人は予定した通りに街歩きに出かけます。ですが、レイはいつになってもレイですね。
「サラ、あれ」
レイは少し先に見える商人ギルドの建物を見ながらサラに声をかけました。
「どしたの?」
「商人ギルドにも登録したほうがいいと思うか?」
「市場に出店するなら必要だけどね。あとは卸で大量に買うときとか。でもなんで?」
「せっかくマジックバッグがあるんだから有効活用したほうがいいと思ったんだ」
マジックバッグに巨大なテーブルを入れるのは無駄だと思いましたが、いずれこの町を離れる際には食料を始めとして野営に必要な道具などを入れる必要があるでしょう。
しかも自分のだけでなく、サラのマジックバッグもあります。スペースに十分な余裕があるはずなので、そこを使って商売ができればいいとレイは考えました。
「登録だけしておいても損はないかな。寄ってく?」
「ああ。ついでだから入っておこう」
一人あたり一〇〇〇キール必要ですが、入っておけばいいことがあるかもしれません。いつどこで何を売るかわかりませんからね。
それはそうと、結局は仕事の話をしていますね。レイは〝転ばぬ先の杖〟派なので、仕方ありません。サラもそれがわかっているので、登録が不要だとは言いません。
商人ギルドの中は、冒険者ギルドほど雑然とはしていませんが、薬剤師ギルドほど静かでもありません。ちょうど中間くらいでしょうか。
「登録をお願いします」
そう言いながら、二人はステータスカードと二〇〇〇キールを渡しました。三度目なので慣れたものです。
「はい、終わりました。商人ギルドへの登録は一度でかまわないのですが、市場に店を出す際にはそれぞれの町のギルドでこのような出店許可証を発行してもらってください。これがここでの今月の許可証です。有効期限は月末までになります。発行には一〇〇キール、銅貨一〇枚が必要です」
職員が二人に見せたのは、一月という文字が入った木の棒でした。穴があいていて、そこに紐を通して首から下げたりカバンに付けたり屋台にかけたりできます。
デューラント王国では、朝市の会場となっている広場、あるいは街角などで、屋台や露店などの仮設の店を出す場合は許可証だけで営業できます。レイたちが肉串を買っている屋台などもこうやって許可をとっています。
許可証は毎月発行してもらう必要がありますが、月に銅貨一〇枚なので、経済的な負担は大きくありません。これは主に村から野菜を売りに来る農家を対象として始まった制度だからです。
村人は村で麦などの商品作物を作って税として収めているので、朝市でも税を取ってしまうと二重徴収になります。そのため、最低限の場所代だけを徴収することになったのです。
完全に無料にしてしまうと勝手なことを始めてトラブルを起こす人が現れる可能性があるので、商人ギルドで登録するという形になり、職員が街中を巡回することになっています。
「市場に出すのではなく、街中で店を開くのであれば、これとは別の営業許可証が必要になります。モグリは犯罪ですので注意してくださいね。ギルドとしましても、立場的にそう言わなければなりませんので」
「大丈夫です。そこまではしませんので」
職員はレイが誰かわかっていますので、遠回しに変なことはしないでほしいと伝えました。もちろんレイはそんなことはしません。それに、そのうち町を出ますからね。
◆◆◆
商人ギルドを出た二人は、そのまま商業地区に向かいます。
「自分が商売に向いてるとは思わないけど、使えるものは活用しないとな」
かつてモーガンが言ったように、レイは商売に向いていません。なにがなんでも儲けようという気にならないからです。それでも、損をしない程度に稼ぐくらいはできるでしょう。
「旦那様に相談したらいいんじゃない?」
「そうだな。コツを教えてもらおうか」
「それよりマジックバッグに入れたいものがあるんだけど」
「何をだ?」
「お風呂」
サラが通りにある樽屋を見ながら言いました。彼女は前に樽を風呂にすることを口にしています。ある程度大きな容器となれば樽しかないでしょう。
さすがに樽の中にそのまま魔法を撃ち込めば底が抜ける可能性がありますが、中に石を入れてそこに【水球】をぶつけるようにすれば大丈夫だろうと考えたんです。薬草の土を落とすための桶と同じ要領ですね。
水が溜まればそこに【火球】を撃ち込んで温めればお風呂になるはずです。たしかにそれでお湯になるでしょう。
「レイの【浄化】があればお湯は入れ替えなくてもいいでしょ?」
「気分的にたまには替えたいけどな。屋敷にもあったけど、風呂に使えるほど大きいのは少なかったな。中古で買うか」
「古いのをきれいにできる?」
「ある程度はな。新品があればそれを買ってもいいな。値段次第だけど」
◆◆◆
二人がやってきたのは「ザハールの樽工房」という店です。ここも「ダニールのなんでも屋」と同じで、ザハールというドワーフの職人が店主をしています。
樽ならダニールのところにもあることはありますが、あのお店はどちらかといえば武器屋や金物屋です。ここは何人も職人を雇っている工房なので、種類も数もこちらの方が多いのです。
「すみません。古樽は買えますか?」
「売ってるよ。どのサイズだ?」
この店で並べられているのは抱えられそうな小さなものから何百リットルも入るような巨大な仕込み用の樽まで種類が豊富です。値段を確認したところ、新品は高かったので古樽を買うことにしました。
「これくらいか?」
「もう一つ大きいほうがいいんじゃない?」
小声でサラとサイズを決めると、レイはその樽に手を乗せました。
「このサイズを六つください」
「六つ? 運べるのか?」
「マジックバッグに入れるから大丈夫です」
「わかった。奥から持ってくるから待ってくれ」
無事に古樽を買うことができました。風呂用と飲み水用で合計六つ。代金を支払ってマジックバッグに入れます。
「売っておいて今さらだけどよ、古樽をこんなに買って何に使うんだ?」
「風呂にしようかと」
「風呂?」
風呂に使うと聞いてザハールは首を傾げました。
「かなり重くなるぞ。どうやってお湯を捨てるんだ?」
「最初にこのあたりにお湯を抜く穴をあけます。お湯を入れるときは内側からコルクを差し込みます」
「なるほど」
お風呂はありますが、檜風呂のように木でできた浴槽はありません。屋敷の浴槽には石とコンクリートとタイルが使われています。
「お湯はどうするんだ?」
「魔法ですね。水魔法と火魔法で」
「力業だな」
「でも薪を使って別で沸かして入れるとなると、お金がかかるでしょう」
鍋で沸かして樽に入れてを繰り返すと、お湯が溜まる前に冷めてしまいます。マジックバッグがあるから冷めないようにすることはできますが、時間がかかりすぎるでしょう。
「風呂なあ。でっかい風呂に入ったことはあるけどよ、気持ちいいのは間違いねえな。でも風呂のためにわざわざ沸かすのはもったいねえからな」
大きなお風呂に入ることは贅沢です。水を入れるのはともかく、お湯を沸かす手間と薪が必要になります。何かの機会で入ることはあっても、自分たちで沸かそうとは思いません。
ところがレイの目には、工房で火が使われているのが見えました。それも複数の場所で。
「樽を作るならああやって火を使うんじゃないですか?」
「ああ。水をかけて火で炙って曲げるからな」
「ついでにお湯を沸かせば樽の一つや二つ分くらいのお湯になりませんか? 上に大きな三脚台でも乗せて、その上に鍋を置いておけば勝手に沸きますよ」
「そう言われればそうかもしれないな。一度やってみるか」
木を曲げるのに使う火を使ってお湯を沸かし、それで樽風呂に入る習慣がザハールの樽工房で始まります。ドワーフは風呂好きという噂が広まるようになるのは、それから少ししてからのことでした。
◆◆◆
「底に石を入れる。そして【水球】を撃ち込む。ꂰꌺꆌꄉꂷꀂꀑꄻꇉ」
バシャッ!
拳サイズの水の球が石に当たって弾けます。
「ꂰꌺꆌꄉꂷꀂꀑꄻꇉ、ꂰꌺꆌꄉꂷꀂꀑꄻꇉ、ꂰꌺꆌꄉꂷꀂꀑꄻꇉ、ꂰꌺꆌꄉꂷꀂꀑꄻꇉ……」
サラは連続して【水球】を使いますが、なかなか水は溜まりません。一度でソフトボール一つ分くらいですからね。
「いや~、これは疲れるね~」
「魔力は大丈夫か?」
「それは大丈夫。すぐに回復するから。でもひたすら面倒。漢字ドリルとかを思い出すよ」
「サラは漢字ドリルは先に偏だけ書いてたよな」
「今から考えると全然意味がなかったよね。バランスが悪くなるし」
サラが魔法で水を出して温める間、レイは井戸から水を汲み、そこに【浄化】を使って水をきれいにする作業をしています。サラの【水球】だけではかなり時間がかかりそうだからだ。
はね釣瓶があるので、必死にロープを引き上げる必要はありません。ただ、樽をいっぱいにするためには、何度も繰り返さなければなりません。
魔法やスキルは使えば使うほど効率が上がります。相手は樽ですが、それでも使っているうちに水の玉が大きくなっていきます。
「あ、【水矢】が付いた。もっと早く出ろって考えてたからかな? そのうち【火球】も上がるかも」
火属性の魔法には多くの魔法があり、【着火】が一番簡単でしょう。攻撃に使うものの中では【火球】が初歩の魔法です。これに慣れると、より威力のある【火矢】が使えるようになります。そのころには、魔力の使用効率も上がりますので、同じ魔法でも魔力の必要量を減らすことができます。
「ねえ、レイも練習しない?」
「俺もか? できなくはないと思うけど」
「時間がもったいないからね」
「そうだなあ」
ジョブがロードのレイに最初から使えるのは白魔法の一部ですが、黒魔法がまったく使えないわけではありません。魔術師でなければ成長しにくいだけで、頭がよければ初級の【火球】や【水球】なら十分身に付けられます。もちろんロードでは覚えられないものもあります。
「それなら教えてくれ」
「ほいほい。でも意外に簡単だよ。空気中の水分を捕まえてギュッと握ってボールにして飛ばすイメージで」
「ギュッと握って……ꂰꌺꆌꄉꂷꀂꀑꄻꇉ!」
レイの手のひらの前に直径三センチほどの水の球ができています。
「それそれ。それを向こうに飛ばすだけ」
「よし」
ペチャッ
水の球は少し先で地面に落ちました。
「……飛ばないな」
「ボールを作ってから飛ばすのは難しいなら、作る段階で風を送って向こうへ飛ばす感じで。手の方からグッと押されて」
「よし。もう一回……ꂰꌺꆌꄉꂷꀂꀑꄻꇉ!」
ペチャッ
レイは何度やってもうまく水を前に飛ばせません。それでも樽に水を入れることはできるので、上手に飛ばすことは諦めました。その代わりに思いついたことがあったのでやってみると、思った以上にうまくいきました。
「器用だね」
「器用なのか不器用なのか分からないけどな」
レイは蛇口から水を出すように、手のひらから樽の中に水を注いでいます。
「私はそれは無理だから」
「そうか? お前が教えてくれたみたいに、ただ水をギュッと集めて落としてるだけなんだけどな」
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辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
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