異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第1章:目覚めと始まりの日々

第9話:ギルドは役所なので騒ぐ人はほとんどいない(ゼロではない)

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 レイとサラは屋敷を出て冒険者ギルドへ向かっています。日本人としての知識が戻ったレイが見たところ、どうやらヨーロッパ風の街並みが広がっているようです。ヨーロッパといっても西から東まで、北から南まで、かなりの国がありますので、そのどこなのかはパッと見てもわかりません。
 通りを歩いていると、大工たちが家を建てる準備をしていました。少し覗いてみると、セメントを練っているのが見えます。

「石とレンガとセメント……あれはモルタルだよな?」
「砂があったからモルタルだね。コンクリートもあるけど鉄筋は入ってないよ。このあたりは地震はないから」
「そういえば地震がないな。山はあるのに」
「不思議だよね」

 建物は石やレンガ、それとモルタルで建てられています。壁がベージュなのは、寒さを和らげるために壁に分厚く漆喰を塗って仕上げるからです。屋根には素焼きのオレンジ色の瓦が使われているので、町全体がベージュからオレンジ色でまとまっています。
 マリオンではあまり多くありませんが、王城や教会などの背の高い建物はコンクリートを使って建てられています。その上に漆喰を塗り、さらに【硬化】などの魔法を使えばそう簡単に壊れたりはしません。意図的に壊そうとしなければ、半永久的に使えるでしょう。

「でも中世ってほど昔でもないよな?」
「産業革命っぽいものはなかったみたいだね。でも魔道具があるから便利な部分はあるし、ごちゃ混ぜでよく分からないってとこかな」

 一般的に動力として使われているのは風車と水車です。どちらも穀物の脱穀や製粉に使われます。また、水車は水汲みを楽にしてくれます。家まで運ばなければならないのは仕方がありませんが、水汲みそのものは重労働ではなくなっています。
 川から遠い場所には井戸があります。釣瓶つるべが備わっていますので、こちらも水汲みは楽です。

「生産性を上げる必要がないからか、工業は発達していない。服はやや地味だけど、地味すぎってことはないか」
「一応そこそこの色はあるからね。でも色止めしてもあまり意味がないらしいよ」

 通りを歩く人たちの服装は単なるチュニックにズボンではなく、シャツやブラウスもあります。色はやや大人しめですが、一応は染められています。ただし、天然素材と天然染料なので、何度か洗濯すると色があせ始めるのは仕方がありません。
 羊毛はそれほど洗濯はしませんが、さすがに綿や亜麻、麻などは洗います。洗濯は家に水を運んで行うこともできますが、たいていは川にある洗濯場で行うでしょう。
 川の水はそれほどきれいではありませんので、飲むには朝一番で汲んだものを一度沸かすか、それとも井戸の水を汲んで飲むことになります。

「ゴミもあんまり落ちてないけど、掃除をしてるのか、それとも落とすようなものがないのか」
「馬糞くらい? でもスライムが食べてくれるしね」
「下水もあるからあまり臭わないな」

 町には下水があります。コンクリートで作られていて、排水を集めてスライムに食べさせます。スライムは魔物ですが、生き物を襲うことがないので、街中でも見かけることがあります。
 トイレは自動水洗ではありませんが、おけから柄杓ひしゃくを使って水を流すようになっていますので、それほど汚くはありません。
 レイが考えたところ、時代的には中世ヨーロッパほど古くはありませんが、現代ほど機械化されてもいないようです。コンクリートが使われていますが、鉄筋コンクリートはありません。
 魔法と魔道具はありますが、電気もガスも蒸気機関もなく、地上の移動は徒歩か馬や馬車に限られます。ヨーロッパを基準に考えることはできなさそうでした。

 さて、二人は剣と盾の看板があるギルドの建物に到着しました。自分の足で出歩くことが少ない二人ですので、物珍しさもあってついキョロキョロと見回してしまいます。建物の中は清潔感があり、ロビーには何組かの冒険者パーティーがいるのが見えました。

「静かだね」
「たしかにな。でもここは役所みたいなものだからな」
「そうなんだよね。でも『おいおい、ルーキーがそんなカワイコチャン連れてんじゃねえよ』『オレたちがもらってやるから、痛い目に見ねえうちにとっとと消えな』『オレたちが壊れるまで可愛がってやるぜ。ギャハハハハ!』なんて、とにかく下品に絡まれるんじゃないかって思ったんだよね。話を聞くまでは」

 少しオッサンくさい言い方ですが、サラがそう言ったのも仕方がありません。建物の中には革鎧を着た冒険者たちがいますが、みんなきちんと並んで待っているからです。多少の会話は聞こえますが、騒いでいる人は誰も見当たりません。
 もちろん酔って騒ぐ冒険者もいることはいます。日本の役所でも包丁をちらつかせたりガソリンを撒いたりするような迷惑な人間がいるのと同じです。ところが、冒険者ギルドの職員はほぼ間違いなく元冒険者の手練れなので、荒事には慣れているでしょう。そもそも大きな悪事を働けばステータスカードの賞罰欄に記載されます。それはこの世界では致命的です。
 ステータスカードが他人に悪用されることは多くはありません。持ち主が念じれば消えて体に戻るからです。だから見せたくない部分は非表示にして他人に見せます。渡すのではなく見せるだけの名刺のようなものです。それでも非表示にできない項目があります。それが名前と賞罰欄です。
 酔って騒いで殴り合うようなことは日常茶飯事なので、怪我をさせた程度では罪にはなりません。ただし、限度を超えると記録され、公的な場所で仕事を受けることはできなくなります。
 罪を償うためには、まず相手に対して謝罪をする必要があります。それでも消えなければ、軽犯罪奴隷として奉仕活動をさせられます。一定期間真面目に働けば記録が消えますが、二度三度と繰り返すと消えるまでの期間が長くなっていきます。
 犯罪歴は自動的に記録されますが、記録されない場合もあります。本当に正当防衛の場合、戦争などでやむを得ずに殺した場合、処刑人が仕事として殺した場合、領主が犯罪者を裁く場合、盗賊を殺した場合など、に置かれていた場合だと今では知られています。
 ところが、どれだけ正当防衛を主張しても、それが過剰防衛だったり、戦争の際に罪のない人間を手にかければ有罪になります。神は見ているのです。

 二人が新規登録と書かれた窓口に向かうと、そこには一人の女性職員が座っていました。レイの目は彼女に釘付けになりました。

「レイ、すっごい美人だね」
「……そうだな」
「美人な上に、すっごいインパクトがあるよね」
「……そうだな」
「レイ、聞いてないでしょ」
「……そうだな」

 長い付き合いのおかげで、サラにはレイの好みの女性がわかっています。彼は美人な秘書タイプに弱いのです。社会人時代に世話になった上司がまさにそのような女性だとサラは聞いたことがありました。
 さらに美人であることを除いても、気になる点があります。それはにある耳だです。レイには今さらここが異世界なんだという実感が湧いてきました。
 この世界に存在する種族の中で、一番多いのが人間族です。ヒューマンとも呼ばれます。その次に多いのが獣人族で、セリアンスロープと呼ばれることもあります。ただし、獣人族やセリアンスロープという呼び方は総称で、その中には犬人、猫人、熊人など、様々な種族が含まれています。
 獣人は獣ではありません。はるか昔のこと、獣の力を取り入れたいと願った集団がいて、その思いが神々に届いて獣人族が生まれたと言われています。視力や聴力、持久力や瞬発力など、種族によって違いはありますが、人間よりも秀でている部分が多いのが特徴です。
 さらには、獣人と一口に言っても、二足歩行の獣に近い姿の人もいれば、耳と尻尾くらいしか特徴がない人もいます。どの程度まで獣の特徴があるかは一人ずつ違っていますが、現在では後者の方が圧倒的に多くなっています。人間との交流が多くなり、混血が進んだからです。レイの目に映っている女性も、耳を隠せば人間と変わらないような見た目でした。
 レイはピクピクと動く耳を触ってみたいと思いましたが、そんなことをすれば少々どころか大きな問題になりそうだったので諦めました。ただ、サラは違うようです。

「モフモフしたい」

 手が前に出そうになっていました。

「やめとけ。問題になるぞ」

 二人は大人しく窓口に立ちました。


「ただいまこの窓口の担当をしているシーヴと申します。冒険者ギルドの新規登録でよろしいですね?」
「はい、登録をお願いします」
「登録費用としてお一人につき一〇〇〇キール必要になります。そちらもよろしいですか?」

 一人で一〇〇〇キール。自分でほとんどお金を使ったことのないレイは、五〇〇〇円から一万円くらいだろうかと推測しました。何かの入会金としてはそれくらいだろうと思い、レイは二人分として銀貨を二枚取り出しました。

「お願いします」
「はい。それではステータスカードの準備をお願いします」
「「はい」」

 二人は手のひらを上に向けるとステータスカードを出してシーヴに渡しました。シーヴはそれを小さな箱の上に置いてボタンを操作します。非接触式ICカードの読み取り機のようだとレイは思いました。

「では登録完了です。こちらが……レイモンド様、こちらがサラさんですね」

 ステータスカードの一部の情報は隠すことができません。そこに書かれていた本名を見て、シーヴはレイが領主の息子だとすぐにわかりました。そもそもレイはほとんど情報を隠していません。ギルド以外で取り出すことはあまりないだろうと思っているからです。
 返却されたステータスカードを見ると、所属ギルド欄に「デューラント王国冒険者ギルド/マリオン支部」と書かれていました。

「ギルドの説明をいたしましょうか?」
「頼めますか?」
「はい、もちろんです」

 新年にどっと押し寄せる新人たちの手続きさえ終わってしまえば、それ以降、冒険者ギルドの新規受付はそれほど多くはありません。代わりは他の職員でもできますので、シーヴはその場を離れて隣の小部屋に二人を案内しました。
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