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第1章:目覚めと始まりの日々
第7話:異世界ファンタジーといえば冒険者
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昨夜、レイとサラは今後のことを話し合いました。記憶が戻る前は、成人になったらとりあえず屋敷を離れることは決めていましたが、それしか決まっていませんでした。候補にしていたのは王都に出て役人になることでしたが、なれるかどうかは運も関係します。空きがなければどうしようもないんです。
レイの兄のライナスは、夏から王都の通信省の役人になることが決まっています。手紙を配達する部門なのは間違いありませんが、走ったり馬に乗ったりして届けるわけではありません。もちろんそのような職員もいますが、ライナスは鳥を使います。彼は鳥使いというジョブを持っているのです。
この鳥使いは鳥と契約し、自分の知っている場所やその鳥が知っている場所に物を届けるさせることができます。通信省には鳥使いが何人もいますが、欠員が出たことを知ったモーガンが、ライナスを押し込んでくれるようにと頼んでいたのです。
このように、セールスポイントがあれば仕事を得やすいでしょう。ところが、レイもサラも成人したばかりです。ロードもサムライも優秀な魔法剣士ですが、探せば代わりが見つかるからです。
そのような事情もあり、昨日の話し合いの結果、二人は冒険者稼業を始めることを決めました。どうせ生まれ変わったのなら日本では絶対にできないことをしよう。それなら冒険者だろうと。
貴族も日本では考えられない職業ですが、レイは三男なので爵位を継ぐことはありません。跡継ぎでない場合、息子がいない貴族の娘と結婚してその家を継ぐというパターンがあります。当然ながら誰でもそう考えるので、そのような令嬢の競争倍率は高くなります。レイはそんな幸運に恵まれることを期待してはいませんでした。
◆◆◆
「父上、僕はサラと一緒に冒険者になることを決めました」
レイが真剣な顔でそう口にしたのは、朝食の終わりかけのことでした。
「……冒険者か。けっして楽な道ではないはずだが、お前たちが自分で考えて決めたのなら私は止めはしない」
「はい。ありがとうございます。午後にでも冒険者として登録をしてきます」
「何かあったら明日にでも戻ってきてもいいのよ」
「母上、いきなりは出ませんって」
アグネスはレイがいきなりいなくなると思ったようですが、いきなり旅に出るいうことはありません。しばらくは屋敷を拠点として使わせてもらおうと考えています。そもそも、まだ稼ぎも何もないのに生活がなり立つはずがありません。金を稼ぐ目処を立てるのがとりあえずの目標です。
冒険者になると決めたからにはそれ以上は悩みません。レイは日本時代から悩むことがあまりありませんでした。もちろん彼にだって悩みはありましたが、悩んでも結果が変わらないことを悩んでも仕方がないと割り切っていました。
レイがアグネスと話している間、モーガンは何かを考えていましたが、何かを思い付いたような顔をしてレイのほうを向きました。
「出かける前に部屋に寄りなさい。渡すものがある」
「わかりました」
「そしてサラ」
「はい」
モーガンの声にサラは背筋を伸ばします。
「これまでレイの専属、ご苦労だった。使用人は終わりだ。これからこの屋敷の中ではレイの冒険者仲間として、友人として過ごしていい。食事も我々と一緒に、この席で取りなさい」
「ありがとうございます」
サラは深々と頭を下げました。これでメイドではなくレイの友人として、食事も同じテーブルで取ることができます。この屋敷の中にいる間は一緒に行動できるようにとのモーガンの配慮でした。
「サラ、おめでとう」
「今までありがとうね」
「みなさん、ありがとうございます」
レイたちが食事を終えて部屋を出ると、サラはメイドたちに囲まれました。サラは彼女たちの教師役を務めることがあったからです。
一日二四時間ずっと自分と一緒では疲れるだろうと、レイは一日に何度もサラに自由時間を与えていました。サラはその間に休憩をしたり、用事を済ませたり、他のメイドたちと話をしたり、頼まれて読み書き計算を教えたりしていました。
仲のいい同期のメイドたちからすると、サラは頭がいいだけではありません。澄ました顔をしながら、誰から何を頼まれてもやり遂げてしまうという、家政婦長以上に頼りにされているメイドでした。
たとえばブレンダは、料理長のトバイアスがメニューに困ってサラに相談した場面に同席していたことがあります。庭師が彼女に木を植える場所について相談していたのをコリーンは立ち聞きしてしまいました。ローはサラが風呂場の浴槽を直すのを手伝った経験があります。
どうして自分たちより年下のサラにそんなことができるのか、メイドたちにはまったくわかりませんでした。そんなサラはレイは同レベルで話ができていたのです。
レイは三歳になる前に読み書き計算を覚え始めると、五歳になった時には一通りの勉強を終えました。それからは家にある古くて難しい本や資料を引っ張り出して、まるで絵本のように読んでいました。
レイはそれでよかったのですが、困ったのは質問される乳母でした。乳母は乳幼児の世話は得意ですが、領内の人材活用方法の改善策を相談されても答えようがありません。モーガンに相談して早々に逃げ出してしまいました。
乳母の手を離れれば次は家庭教師を付けるのが普通ですが、なかなかレイに教えられるような家庭教師が見つかりません。どうするべきかと父のモーガンは困っていました。王都から呼んだら来てくれるだろうかと考えましたが、自分よりも教会を通したほうが話が通りやすいかもしれないと気づきました。それで教会のルーサー司教に相談したことが、レイとサラが出会うきっかけとなったのです。
~~~
「モーガン様からするとレイモンド様の成人が待ち遠しいでしょう」
「うむ。あれは私の息子とは思えん。いや、もちろん私の息子なのだが、出来がよすぎる。ただ、あれは三男だから跡取りにするわけにはいかんし、せいぜい王都でそれなりの職に就けるように手紙でも送るか、それとも……」
ルーサー司教はモーガンの相談役でもあります。領主ともなると気軽に話せる相手はそう多くありません。頭の善し悪し以前に、漏れては困る情報もあるからです。その点ではルーサーはモーガンから信頼されていました。
「モーガン様、そろそろお茶——」
「失礼いたします」
ルーサーが「お茶を新しくしましょう」と言いかけたところで一人の少女がお茶を運んできました。シスター服を着ている少女で、モーガンが見たところ、話に出たばかりの三男と同じくらいに思えました。
「ああ、サラ。ちょうど呼ぼうと思ったところだ。ありがとう」
「いえ、勝手かとは思いましたが、そろそろ淹れ直すころだと思いまして」
サラと呼ばれた少女はティーポットからカップにお茶を注ぐと二人の前に置きました。
「それでは失礼いたします」
サラは頭を下げるとそのまま部屋を出ていきます。
「幼いのにしっかりした子のようだな」
「年のわりにしっかりしています。たしかレイモンド様と同い年だったかと。あの流行病の時に両親を失ってここに預けられました」
「ああ、あの時か……」
レイが生まれた年の秋から翌年の年明けにかけて、例年にないほど季節風邪が流行りました。このギルモア男爵領だけでも死者はおよそ二万人、当時の人口の七パーセント近くになったのです。薬も魔法もある世界ですが、それだけでは伝染病は防げなかったのです。
両親を失った子供は親戚などに預けられることが多いのですが、親戚がいない場合や連絡がとれない場合は、教会に預けられることもあります。サラもそのようにしてここにやってきました。
「あの子は非常に頭がよく、五歳で読み書き計算ができるようになりました。今でも暇があれば本を読んでいるくらいでして」
「うちのレイも同じようなものだな。今では私でも読まないような古い本を引っ張り出して読んでいる」
「ひょっとするとレイモンド様と気が合うかもしれませんね」
「ふむ……」
そこでモーガンは考えます。レイと同い年ならちょうどいい話し相手になるのではないかと。それに将来成人して、もし商会で働きたいと言えばそちらで働かせればいいのではないか。幼いうちから読み書き計算ができる人材は貴重だからです。
「司教、先ほどのサラという少女をうちで雇うことはできるか?」
「よろしいのですか?」
ルーサーはそのようなつもりで言ったのではありませんでしたが、ここにいるよりも領主の屋敷で働くほうが将来のためになるだろうと思いました。
「息子自慢ではないのだが、レイは頭がよすぎてな。それで乳母が逃げた。ここ何年も教えられる者が見つからず、王都から家庭教師を招くことはできないだろうかと相談しようと思って来たわけだ」
「あれから直接お目にかかってはおりませんが、それほどなのですか?」
領主であれ農民であれ、教会の世話になる機会は何度もあります。まずは一歳になった年の〝洗礼式〟。これは無事に産まれたことを神に感謝し、神の加護があるようにと祈りを捧げるためです。
その次が五歳ごろの〝福音式〟。神に我が子が無事に育ったという報告をします。ここでステータスカードが出せるようになります。ルーサーがレイを見たのはその五歳の時が最後でした。
屋敷に礼拝堂がありますので、レイは週に一度はそこで祈りを捧げていて、教会に足を運ぶことはあまりないからです。
「ああ。今では私が書いた手紙を見せ、おかしなところがないかチェックしてもらうありさまだ。知識神の落とし子ではないかと思っているくらいだ」
息子自慢ではないと言いながらも、モーガンの鼻の穴はずいぶんと膨らんでいました。
「それでしたらサラをよろしくお願いします。あの子も今では聖典を諳んじることができます。ですが、残念ながら女の身。頑張っても司祭にはなれませんので」
「よし。それならいつでもいいので屋敷に来るように伝えてくれ」
それから五日後、サラが屋敷に到着しました。
「レイ、お前に付ける専属メイドのサラだ」
「よろしくお願いします」
案内された部屋で、サラはレイに向かって頭を下げました。
「こちらこそよろしく」
彼はそう言いながらサラに右手を差し出します。サラは意外に思いながらもその手をとりました。貴族は恩知らずだと聞かされていたからです。ただし、ここの領主の家族はいい人たちだとも聞いていました。どちらが本当かはわかりませんが、握手を求められるとは思っていませんでした。
「ここが僕の部屋。あっちにサラが使うものは一通りそろえてもらったから」
「あんなによろしいのですか?」
「まさか床で寝させるわけにもいかないだろ?」
小さなものばかりですが、サラのためのベッドや机などが用意されていました。
「それでは本日よりお側に控えさせていただきます」
「よろしく。とりあえず昼間は話し相手になってほしい」
「話し相手ですか」
「そう。父上くらいしか話ができる人がいなくてね」
父親のモーガンも非常に頭がいいので、レイが話をしたいと言えば時間をとってくれるでしょう。でも、それでは仕事の邪魔になってしまいます。幼いながらもそのことがわかっていました。
長兄のトリスタンは父親の手伝いのかたわら、訪問客の相手をすることもあります。次兄のライナスにも勉強があるので迷惑はかけられません。これまでは一人で黙々と本を読むしかなかったのです。
本を読むのに飽きると庭に出て短剣を振り、たまに守衛の誰かに戦い方を教えてもらっていました。
「私でよろしければ」
「頼むよ」
~~~
「これからは『サラ様』と呼ばないとね。もしかしたら『サラ奥様』とか呼んじゃうかも」
「やめてくださいしんでしまいます」
ブレンダの言葉にサラは本気で嫌がります。レイと一緒にいられるのは嬉しいのですが、自分が「サラ様」などと呼ばれる立場に向いていないことは自分が一番よくわかっています。今でもかなり気をつけていますが、うっかりすると「やめてよね」と言いそうになります。もちろん屋敷の中でそんな話し方をしたことはこれまで一度もありませんでした。
「でもレイ様の子供はできなかったの?」
ブレンダの質問を聞いて、なぜいきなり子供の話になるのかと、サラの頭の上にはクエスチョンマークが浮かびました。
「子供ですか?」
「そうよ。ずっと一緒だったでしょ?」
「ええっと……ああ!」
メイド仲間たちから自分がどう見られていたのか、サラはようやく理解しました。理解はしましたが、彼女たちの好奇心を満たすことはできそうにありません。
「何もされていませんので」
「「「え⁉」」」
メイドたちが一斉に驚きました。
「何もって……一緒にお風呂にも入ってたのに?」
「はい。レイ様の体を洗うだけでした。それから自分の体を洗って、二人でゆっくりお湯に浸かって、レイ様の体を拭いて、自分の体を拭いて、それで終わりです」
「キスとかは?」
「一度もありません。指一本触れられていません」
「「「……」」」
今さらメイドたちはレイとサラのことに驚きます。レイは乳母が逃げ出すほどに頭がよく、モーガンですらレイに意見を聞いたり手紙の文面をチェックさせたりするくらいです。そして、サラもレイと同じくらい頭がいいからと、ここの屋敷に呼ばれたのです。二人とも大人びているだろうと。昼は昼でいろいろな勉強や訓練をし、夜は夜で激しい大人の勉強をしているだろうと。ところが、そのような事実は一切ありませんでした。
自分たちよりも年下なのに自分たちがまったく理解できないことを平気で話し合う二人のことを、メイドたちは似た者同士でお似合いの変わり者だと思っていました。ところが、単なる変わり者ではなく、とんでもない変わり者だということがわかったのです。
「それなら今後?」
「そうですね、レイ様がお望みなら嫌とは言いませんが」
サラは常にレイと一緒にいるので、他のメイドたちとは生活時間が少し違っています。サラに普段どんなことをしているのかと聞くことを、メイドたちは控えていました。
専属メイドというのは、場合によってはひどいことをされると聞いたことがあるからです。殴られたり蹴られたり、場合によってはペンやナイフなどで顔に傷をつけられることもあると。望まない妊娠をすることもあり、子供ができれば無一文で放り出されることさえもあると。
もちろんメイドたちが聞いた話は一番ひどいパターンにすぎません。ところが、ひどい話というのは、まるで事実であるかのように広まっていくことがあります。ブレンダたちはサラに「ひどいことされてない?」などと、間違っても聞くことはできなかったのです。
レイが善人であることはメイドたちにもよくわかっています。自分たちにも丁寧に接してくれるからです。悪い話は聞いたことがありません。そうだとわかってはいますが、二四時間一緒にいて何もないほうがおかしいと、年頃の少女たちは顔を赤らめながら想像していていました。それなのに、まさかキスすらなかったとは。
この話の間、サラは澄ました顔をしながらも内心はドキドキしていました。ポロッと余計なことを口にしてしまわないかと。その緊張は昼食の時に、もう一度強いられることになります。
レイの兄のライナスは、夏から王都の通信省の役人になることが決まっています。手紙を配達する部門なのは間違いありませんが、走ったり馬に乗ったりして届けるわけではありません。もちろんそのような職員もいますが、ライナスは鳥を使います。彼は鳥使いというジョブを持っているのです。
この鳥使いは鳥と契約し、自分の知っている場所やその鳥が知っている場所に物を届けるさせることができます。通信省には鳥使いが何人もいますが、欠員が出たことを知ったモーガンが、ライナスを押し込んでくれるようにと頼んでいたのです。
このように、セールスポイントがあれば仕事を得やすいでしょう。ところが、レイもサラも成人したばかりです。ロードもサムライも優秀な魔法剣士ですが、探せば代わりが見つかるからです。
そのような事情もあり、昨日の話し合いの結果、二人は冒険者稼業を始めることを決めました。どうせ生まれ変わったのなら日本では絶対にできないことをしよう。それなら冒険者だろうと。
貴族も日本では考えられない職業ですが、レイは三男なので爵位を継ぐことはありません。跡継ぎでない場合、息子がいない貴族の娘と結婚してその家を継ぐというパターンがあります。当然ながら誰でもそう考えるので、そのような令嬢の競争倍率は高くなります。レイはそんな幸運に恵まれることを期待してはいませんでした。
◆◆◆
「父上、僕はサラと一緒に冒険者になることを決めました」
レイが真剣な顔でそう口にしたのは、朝食の終わりかけのことでした。
「……冒険者か。けっして楽な道ではないはずだが、お前たちが自分で考えて決めたのなら私は止めはしない」
「はい。ありがとうございます。午後にでも冒険者として登録をしてきます」
「何かあったら明日にでも戻ってきてもいいのよ」
「母上、いきなりは出ませんって」
アグネスはレイがいきなりいなくなると思ったようですが、いきなり旅に出るいうことはありません。しばらくは屋敷を拠点として使わせてもらおうと考えています。そもそも、まだ稼ぎも何もないのに生活がなり立つはずがありません。金を稼ぐ目処を立てるのがとりあえずの目標です。
冒険者になると決めたからにはそれ以上は悩みません。レイは日本時代から悩むことがあまりありませんでした。もちろん彼にだって悩みはありましたが、悩んでも結果が変わらないことを悩んでも仕方がないと割り切っていました。
レイがアグネスと話している間、モーガンは何かを考えていましたが、何かを思い付いたような顔をしてレイのほうを向きました。
「出かける前に部屋に寄りなさい。渡すものがある」
「わかりました」
「そしてサラ」
「はい」
モーガンの声にサラは背筋を伸ばします。
「これまでレイの専属、ご苦労だった。使用人は終わりだ。これからこの屋敷の中ではレイの冒険者仲間として、友人として過ごしていい。食事も我々と一緒に、この席で取りなさい」
「ありがとうございます」
サラは深々と頭を下げました。これでメイドではなくレイの友人として、食事も同じテーブルで取ることができます。この屋敷の中にいる間は一緒に行動できるようにとのモーガンの配慮でした。
「サラ、おめでとう」
「今までありがとうね」
「みなさん、ありがとうございます」
レイたちが食事を終えて部屋を出ると、サラはメイドたちに囲まれました。サラは彼女たちの教師役を務めることがあったからです。
一日二四時間ずっと自分と一緒では疲れるだろうと、レイは一日に何度もサラに自由時間を与えていました。サラはその間に休憩をしたり、用事を済ませたり、他のメイドたちと話をしたり、頼まれて読み書き計算を教えたりしていました。
仲のいい同期のメイドたちからすると、サラは頭がいいだけではありません。澄ました顔をしながら、誰から何を頼まれてもやり遂げてしまうという、家政婦長以上に頼りにされているメイドでした。
たとえばブレンダは、料理長のトバイアスがメニューに困ってサラに相談した場面に同席していたことがあります。庭師が彼女に木を植える場所について相談していたのをコリーンは立ち聞きしてしまいました。ローはサラが風呂場の浴槽を直すのを手伝った経験があります。
どうして自分たちより年下のサラにそんなことができるのか、メイドたちにはまったくわかりませんでした。そんなサラはレイは同レベルで話ができていたのです。
レイは三歳になる前に読み書き計算を覚え始めると、五歳になった時には一通りの勉強を終えました。それからは家にある古くて難しい本や資料を引っ張り出して、まるで絵本のように読んでいました。
レイはそれでよかったのですが、困ったのは質問される乳母でした。乳母は乳幼児の世話は得意ですが、領内の人材活用方法の改善策を相談されても答えようがありません。モーガンに相談して早々に逃げ出してしまいました。
乳母の手を離れれば次は家庭教師を付けるのが普通ですが、なかなかレイに教えられるような家庭教師が見つかりません。どうするべきかと父のモーガンは困っていました。王都から呼んだら来てくれるだろうかと考えましたが、自分よりも教会を通したほうが話が通りやすいかもしれないと気づきました。それで教会のルーサー司教に相談したことが、レイとサラが出会うきっかけとなったのです。
~~~
「モーガン様からするとレイモンド様の成人が待ち遠しいでしょう」
「うむ。あれは私の息子とは思えん。いや、もちろん私の息子なのだが、出来がよすぎる。ただ、あれは三男だから跡取りにするわけにはいかんし、せいぜい王都でそれなりの職に就けるように手紙でも送るか、それとも……」
ルーサー司教はモーガンの相談役でもあります。領主ともなると気軽に話せる相手はそう多くありません。頭の善し悪し以前に、漏れては困る情報もあるからです。その点ではルーサーはモーガンから信頼されていました。
「モーガン様、そろそろお茶——」
「失礼いたします」
ルーサーが「お茶を新しくしましょう」と言いかけたところで一人の少女がお茶を運んできました。シスター服を着ている少女で、モーガンが見たところ、話に出たばかりの三男と同じくらいに思えました。
「ああ、サラ。ちょうど呼ぼうと思ったところだ。ありがとう」
「いえ、勝手かとは思いましたが、そろそろ淹れ直すころだと思いまして」
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「それでは失礼いたします」
サラは頭を下げるとそのまま部屋を出ていきます。
「幼いのにしっかりした子のようだな」
「年のわりにしっかりしています。たしかレイモンド様と同い年だったかと。あの流行病の時に両親を失ってここに預けられました」
「ああ、あの時か……」
レイが生まれた年の秋から翌年の年明けにかけて、例年にないほど季節風邪が流行りました。このギルモア男爵領だけでも死者はおよそ二万人、当時の人口の七パーセント近くになったのです。薬も魔法もある世界ですが、それだけでは伝染病は防げなかったのです。
両親を失った子供は親戚などに預けられることが多いのですが、親戚がいない場合や連絡がとれない場合は、教会に預けられることもあります。サラもそのようにしてここにやってきました。
「あの子は非常に頭がよく、五歳で読み書き計算ができるようになりました。今でも暇があれば本を読んでいるくらいでして」
「うちのレイも同じようなものだな。今では私でも読まないような古い本を引っ張り出して読んでいる」
「ひょっとするとレイモンド様と気が合うかもしれませんね」
「ふむ……」
そこでモーガンは考えます。レイと同い年ならちょうどいい話し相手になるのではないかと。それに将来成人して、もし商会で働きたいと言えばそちらで働かせればいいのではないか。幼いうちから読み書き計算ができる人材は貴重だからです。
「司教、先ほどのサラという少女をうちで雇うことはできるか?」
「よろしいのですか?」
ルーサーはそのようなつもりで言ったのではありませんでしたが、ここにいるよりも領主の屋敷で働くほうが将来のためになるだろうと思いました。
「息子自慢ではないのだが、レイは頭がよすぎてな。それで乳母が逃げた。ここ何年も教えられる者が見つからず、王都から家庭教師を招くことはできないだろうかと相談しようと思って来たわけだ」
「あれから直接お目にかかってはおりませんが、それほどなのですか?」
領主であれ農民であれ、教会の世話になる機会は何度もあります。まずは一歳になった年の〝洗礼式〟。これは無事に産まれたことを神に感謝し、神の加護があるようにと祈りを捧げるためです。
その次が五歳ごろの〝福音式〟。神に我が子が無事に育ったという報告をします。ここでステータスカードが出せるようになります。ルーサーがレイを見たのはその五歳の時が最後でした。
屋敷に礼拝堂がありますので、レイは週に一度はそこで祈りを捧げていて、教会に足を運ぶことはあまりないからです。
「ああ。今では私が書いた手紙を見せ、おかしなところがないかチェックしてもらうありさまだ。知識神の落とし子ではないかと思っているくらいだ」
息子自慢ではないと言いながらも、モーガンの鼻の穴はずいぶんと膨らんでいました。
「それでしたらサラをよろしくお願いします。あの子も今では聖典を諳んじることができます。ですが、残念ながら女の身。頑張っても司祭にはなれませんので」
「よし。それならいつでもいいので屋敷に来るように伝えてくれ」
それから五日後、サラが屋敷に到着しました。
「レイ、お前に付ける専属メイドのサラだ」
「よろしくお願いします」
案内された部屋で、サラはレイに向かって頭を下げました。
「こちらこそよろしく」
彼はそう言いながらサラに右手を差し出します。サラは意外に思いながらもその手をとりました。貴族は恩知らずだと聞かされていたからです。ただし、ここの領主の家族はいい人たちだとも聞いていました。どちらが本当かはわかりませんが、握手を求められるとは思っていませんでした。
「ここが僕の部屋。あっちにサラが使うものは一通りそろえてもらったから」
「あんなによろしいのですか?」
「まさか床で寝させるわけにもいかないだろ?」
小さなものばかりですが、サラのためのベッドや机などが用意されていました。
「それでは本日よりお側に控えさせていただきます」
「よろしく。とりあえず昼間は話し相手になってほしい」
「話し相手ですか」
「そう。父上くらいしか話ができる人がいなくてね」
父親のモーガンも非常に頭がいいので、レイが話をしたいと言えば時間をとってくれるでしょう。でも、それでは仕事の邪魔になってしまいます。幼いながらもそのことがわかっていました。
長兄のトリスタンは父親の手伝いのかたわら、訪問客の相手をすることもあります。次兄のライナスにも勉強があるので迷惑はかけられません。これまでは一人で黙々と本を読むしかなかったのです。
本を読むのに飽きると庭に出て短剣を振り、たまに守衛の誰かに戦い方を教えてもらっていました。
「私でよろしければ」
「頼むよ」
~~~
「これからは『サラ様』と呼ばないとね。もしかしたら『サラ奥様』とか呼んじゃうかも」
「やめてくださいしんでしまいます」
ブレンダの言葉にサラは本気で嫌がります。レイと一緒にいられるのは嬉しいのですが、自分が「サラ様」などと呼ばれる立場に向いていないことは自分が一番よくわかっています。今でもかなり気をつけていますが、うっかりすると「やめてよね」と言いそうになります。もちろん屋敷の中でそんな話し方をしたことはこれまで一度もありませんでした。
「でもレイ様の子供はできなかったの?」
ブレンダの質問を聞いて、なぜいきなり子供の話になるのかと、サラの頭の上にはクエスチョンマークが浮かびました。
「子供ですか?」
「そうよ。ずっと一緒だったでしょ?」
「ええっと……ああ!」
メイド仲間たちから自分がどう見られていたのか、サラはようやく理解しました。理解はしましたが、彼女たちの好奇心を満たすことはできそうにありません。
「何もされていませんので」
「「「え⁉」」」
メイドたちが一斉に驚きました。
「何もって……一緒にお風呂にも入ってたのに?」
「はい。レイ様の体を洗うだけでした。それから自分の体を洗って、二人でゆっくりお湯に浸かって、レイ様の体を拭いて、自分の体を拭いて、それで終わりです」
「キスとかは?」
「一度もありません。指一本触れられていません」
「「「……」」」
今さらメイドたちはレイとサラのことに驚きます。レイは乳母が逃げ出すほどに頭がよく、モーガンですらレイに意見を聞いたり手紙の文面をチェックさせたりするくらいです。そして、サラもレイと同じくらい頭がいいからと、ここの屋敷に呼ばれたのです。二人とも大人びているだろうと。昼は昼でいろいろな勉強や訓練をし、夜は夜で激しい大人の勉強をしているだろうと。ところが、そのような事実は一切ありませんでした。
自分たちよりも年下なのに自分たちがまったく理解できないことを平気で話し合う二人のことを、メイドたちは似た者同士でお似合いの変わり者だと思っていました。ところが、単なる変わり者ではなく、とんでもない変わり者だということがわかったのです。
「それなら今後?」
「そうですね、レイ様がお望みなら嫌とは言いませんが」
サラは常にレイと一緒にいるので、他のメイドたちとは生活時間が少し違っています。サラに普段どんなことをしているのかと聞くことを、メイドたちは控えていました。
専属メイドというのは、場合によってはひどいことをされると聞いたことがあるからです。殴られたり蹴られたり、場合によってはペンやナイフなどで顔に傷をつけられることもあると。望まない妊娠をすることもあり、子供ができれば無一文で放り出されることさえもあると。
もちろんメイドたちが聞いた話は一番ひどいパターンにすぎません。ところが、ひどい話というのは、まるで事実であるかのように広まっていくことがあります。ブレンダたちはサラに「ひどいことされてない?」などと、間違っても聞くことはできなかったのです。
レイが善人であることはメイドたちにもよくわかっています。自分たちにも丁寧に接してくれるからです。悪い話は聞いたことがありません。そうだとわかってはいますが、二四時間一緒にいて何もないほうがおかしいと、年頃の少女たちは顔を赤らめながら想像していていました。それなのに、まさかキスすらなかったとは。
この話の間、サラは澄ました顔をしながらも内心はドキドキしていました。ポロッと余計なことを口にしてしまわないかと。その緊張は昼食の時に、もう一度強いられることになります。
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