異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第1章:目覚めと始まりの日々

第1話:寝込んで記憶が戻るというベタな展開

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 レイは長い長い夢を見ながら、それが夢だと気づいていました。誰にでも一度くらい、目の前にある風景が現実のものでないことがわかる場合があるでしょう。これまで会ったことのない人たち、見たことのない風景、経験したことのない出来事。夢にはそのようなものまで現れます。
 夢とは、経験の断片をつなぎ合わせて作られた、まるでモンタージュ写真のようなものだと言われます。そのため、時間や場所、あるいは人間関係などについて、つじつまが合わないことがよくあります。レイが見ている夢は、まさにそのような夢でした。
 その夢の中では、レイには弟と妹がいました。実際のレイは男三人の三男なので、それだけを考えても、これが夢だと理解できます。
 そして、隣家にはサラという名前をした、同い年の幼馴染がいました。年齢のわりに背が低いのですが、愛嬌のある顔をしています。彼女の妹と弟も含め、六人が兄弟姉妹のように過ごしていました。
 現実では、レイの隣にはサラという名前のメイドが常に控えています。彼女は八歳の時にこの屋敷に引き取られてきました。それからずっとレイの専属メイドをしてます。だからレイにとっては幼馴染と呼べなくもありませんが、いつも澄ました顔をしていて、あまり愛想はよくありません。夢の中のサラと似ているのは名前と身長くらいのもので、それ以外で似ている部分を探すのは難しいでしょう。
 夢の中にいるレイとサラは、少しずつ成長していきます。幼馴染とは近くて遠い存在です。ずっと一緒にはいられません。大きくなるにつれて自然と距離ができ、いつしか年に一、二回しか会わなくなりました。
 そんなある日、仕事で国外にいたレイのもとに、突然サラの訃報ふほうが届きました。しばらくして帰国した彼はサラの実家を訪れ、亡くなった経緯について家族から話を聞くことになります。

 レイが見ていたのはそのような夢でした。それでも夢というものはいつかは覚めるものです。目の前がぼんやりと明るくなり始めました。どうやら現実に引き戻されるようだとレイは気づきます。
 夢から覚めつつあることが理解できたと同時に、レイは体調の悪さも自覚してしまいました。どうやら頭が重いようですね。風邪でもひいたのかもしれません。
 レイは寝る前に何をしていたのかを思い出そうとしましたが、記憶の欠片かけらすら出てきませんでした。それならと、まず状況確認から始めることにしました。
 最初に見えたのは天井です。「知らない天井だ」と、ベタなセリフは口にしませんでした。なぜなら知っている天井だったからです。
 次に頭と目を少し動かすと、白い壁、そして茶色い扉が見えました。見慣れた自分の部屋のはずなのに、レイは自分がこの部屋にいることに違和感を覚えました。

「レイ様、お目覚めですか?」

 レイが頭を動かしたからでしょうか、横から控えめに声がかけられました。

「ん~、少し頭が重い気がする」

 ベッドのすぐ横に椅子を置いて座っていたサラに向かってレイは答えました。ところがそのサラを見て、レイは先ほどと同じような違和感を覚えました。

「なあ、サラ……だよな?」
「はい、もちろんです。ひょっとして、誰か他の女性とお間違えですか? それとも、熱で頭の中が沸いたのですか?」

 確認のつもりで声をかけたレイでしたが、返ってきた返事は氷点下の冷たさを持っていました。

「いや、沸いてないはず……」

 夢と現実がごちゃ混ぜになったような、スッキリしない頭のまま上半身を起こしたレイは、もう一度部屋の中を確認することにしました。
 自分がこれまで寝ていたベッド。その隣に座っているサラ、その頭にある見慣れたポニーテール。ここまでは問題はありません。少し離れた場所に目を向けると、窓際には普段使っている机と椅子と本棚が置かれていました。壁際には服が入っているクローゼットもあります。
 部屋の中央には休憩のためのテーブルと椅子があり、そしてテーブルの上には燭台も見えます。別の壁の近くには、サラ用のベッドやクローゼット、そして小さな机と椅子がいつものようにまとめて置かれていました。
 これまでずっと使ってきた自分の部屋に間違いありません。どこに違和感の原因があるんでしょうか。いつもの部屋と何も変わっていないはずなのに、どうして今日に限って違和感があるのか、まったく理由がわかりません。

「ここは……俺の部屋……だよな?」
「————え?」

 レイの口から漏れた小さなつぶやきを耳にしたサラの目が、猫の目ように縦に大きく開きました。

「実家じゃないよなあ。どう見ても日本じゃないし、シアトルでもないし。そもそもベッドが豪華すぎるよな」

 レイはそうつぶやきながら、自分の住んだことのある部屋を思い出そうとしました。実家のベッドではありません。中野やシアトルで借りていたアパートのベッドでもなさそうです。
 出張で泊まったホテルのベッドでもないでしょう。これほど立派な部屋なら、一泊するのにどれくらいかかるのでしょうか。メイドの付くような部屋なら、なおさらです。そもそも、こんなベタな服装をしたメイドがいるとは思えません。

「レイ様……ひょっとして日本の記憶が戻られたのですか?」

 レイのつぶやきを聞いたサラは、まだ首をひねっているレイに恐る恐る声をかけました。

「え? ニホンって……ん? あれ? ちょ、ちょっと待ってくれ」

 レイはサラに問いかけられて混乱しました。自分でニホンやシアトルと口にしましたが、それが一体どこの場所のことなのか、わからなかったのです。そのような町や国の話は見たことも聞いたことがないのに、自分が日本で生まれ育ったことは理解できました。同じ音なのに、なぜかつながりません。
 レイは腕組みをしたまま考え込んでいましたが、彼の頭の中で何かがじわりと、まるで乾いた土に水が染み込むかのように脳全体に行き渡っていきました。するとある瞬間、途切れていた記憶が少しだけつながった気がしました。

「あ、なんか……戻ったというか混ざったというか、とりあえずここが日本じゃないことだけは理解できた。ていうか、サラは日本を知ってるのか?」
「はい、私にも日本の記憶があります。レイ様、隣の家に同い年の超絶美少女が暮らしていませんでしたか?」
「超絶美少女ってなあ。たしか隣には……四谷よつやって——うおっとおっ」

 ベッドで上半身を起こしたレイにサラが抱きつきました。レイは慌てて受け止めようとしたものの、勢いでそのまま後ろに倒れてしまいました。

「やっぱりあのレイだよね⁉」
「さっきの質問にその話し方、顔は違うけど、お前あのサラだな?」
「そうだよ。隣に住んでた」

 ◆◆◆

 話は日本で二人がまだ子供だったころまでさかのぼります。
 レイとサラは家が隣同士でした。幼馴染といえる間柄で、まるでマンガやアニメのように、窓からお互いの部屋を行き来していたほどです。そうはいっても、サラが勝手にレイの部屋に入っていただけでしたが。
 二人が中学生になる少し前あたりから、サラに中二病の症状が現れ始めました。他の多くの患者に比べると、やや発症が早かったでしょう。「鎮まれ、私の右手に眠るよこしまなる存在よ……」と言いながら右手を抱え込んだかと思えば、「くっ、また暴れだしたか……」と額を触ってうずくまることもありました。そのせいで男子たちには人気がありましたが、クラスの女子たちを大いに困らせたものでした。
 顔は可愛い系で、クラスの男子が作ったランキング表では、二〇人いる女子の中で四位か五位かで意見が分かれました。背は学年の女子では一番低くて、一四〇センチ台でした。健康診断当日になると、靴下のかかと部分に、靴の中敷きを加工したものをこっそりと何枚も入れていました。
 運動神経はかなりよくて、体育系クラブの助っ人に駆り出されることもありました。学校での成績は上の下から中の上あたり。家族との仲も良好。それだけを聞けば、ごく普通の女の子だと思うでしょう。ところが、いきなり何を言い始めるかわからないところがありました。その中で一番レイの印象に残っているのが「侍」についての会話です。

 ~~~

侍女じじょ女侍おんなざむらいって似てない? すごくない?」

 中学生になったある日、サラはいつものように窓から勝手にレイの部屋に入ると、いきなりレイの頭をつかんで自分のほうに向けました。レイの首から「グギッ」という音がしたことにサラは気づきません。
 レイは首をさすりながら、一体どこが似ているのかと考え始めましたが、使われている漢字が同じだと気づくまでに三〇秒ほどかかりました。頭の中で「じじょ」を漢字に変換できなかったからです。

「はいはい、漢字は一緒だな。意味もまあ似たようなものか」

 侍は「従う」「仕える」という意味の「さぶらふ」や「さぶらふ」が元になっているので、「侍女」は「付き従う女性」という意味になります。
 それはいいとして、女性で侍というのはゼロではないでしょうが、非常に珍しかったのではないかとレイは想像しました。現代の話ではなくて平安時代から江戸時代の間あたりなら余計にそうではないのかと。

「だから私はメイドもできる侍になるよ!」
「その頭ん中には粘土でも詰まってんのか?」

 レイには意味がわかりませんでした。いきなり現れて「メイドもできる侍になる」などとこの幼馴染は言い始めました。
 メイドは使用人だから仕える相手が必要でしょう。それなら金持ちの家にでも雇われるしかありませんが、サラに身分の高い知り合いがいるなどとは思えません。それなら秋葉原でそういうバイトでも探すしかないでしょう。近所にはメイド喫茶など、一つもないからです。
 さらに、どうすれば侍になれるのか、レイにはまったくわかりません。そもそもこの時代に侍になれるのかどうか。なれるとすればどうすればいいのか。
 刀を持てばOKというわけでもないでしょう。それに銃刀法も心配です。刃の付いていない模造刀でも、そのまま持ち歩けば、「ちょっと話を聞かせてもらってもいいかな?」と警察官に呼び止められることがあるとレイはニュースで見たことがありました。
 とりあえず、着物を着させて袴を穿かせて木刀でも持たせれば、見た目だけは侍になれるかもしれません。
 侍といえば丁髷ちょんまげというメージがありますが、あれは江戸時代あたりから流行ったとレイは聞いたことがあります。それならなくても問題ないでしょう。一度映画村か時代村にでも連れていけばいいかもしれません。コスプレ体験くらいできるでしょう。

「そもそも、どうして侍になりたいんだ?」
「だって攻撃魔法が使える剣士ってカッコいいじゃん。全体攻撃とかドカーンと」
「なんで侍が魔法を使えるんだ?」

 やはりレイには意味がわかりません。侍とは武士のことです。どうしてそれが魔法を使うのかと。サラの言っている侍とは何のことなのか、レイにはそれが理解できませんでした。彼はゲームにはあまり詳しくなかったのです。

「レイはそこから覚えないと。だからダメなんだって」
「そこってどこだ? そもそもお前にダメなんて言われたら終わりだろ?」

 このようにサラはいきなり意味のわからないことを言い始めて周り——主にレイ——を混乱の中に蹴り落とすが多かったのです。それでも、主にレイに大きな怪我や被害はなく、少々疲れたで済む程度で済んでいました。

 ~~~

「この話し方は久しぶりだね」
「そうだな。ようやく思い出したっていうか、あっちとこっちがつながってきた」

 先ほどまでは、領主の息子であるレイの頭の中に、日本人としてのレイの記憶が染み込んでくるような感じがしていました。それが落ち着き、ようやく頭の中で記憶が整理できつつあります。

「そういえば、サラはこっちじゃいつも真面目な話し方で、たまに刺々しい言い方をしてたよな」
「もし私の知ってるレイだとしたら、何かキッカケでもあれば思い出すかなって思ってね。昔いっぱい言われたじゃん」
「ああ、よく言ったな。でもあれはお前のせいだろ?」

 先ほどの「頭の中が沸いた」発言でだけではなく、たまにチクチクと刺さるようなことを自分に言ってきたのはそのためだったのかと、ようやくレイは腑に落ちました。
 日本人時代、たしかにレイはサラに向かって「頭に唐揚げでも詰まってんのか?」「脳みそ家に忘れんなよ」などと言ったことがありました。もちろんサラの発言や行動がおかしかったからではありますが。

「そうだ、になりたいって言ってたけど、本当にサムライなったんだな」
「そうそう。しかもレイはロード。私が仕える主人。この喜びをようやく分かち合えるね」
「その瞬間に記憶が戻ってなくて悪かったな」
「それは仕方ないって。でもこうやってまた話せるだけで十分だよ」

 二人で昔話をして頭が少しはっきりしてくると、レイは少しずつ状況が理解できるようになりました。自分の身に起きたのが、剣と魔法の世界への転生だと。
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