元ロクデナシで今勇者

椎井瑛弥

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第九部:教えることと教わること

べランジェール

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 べランジェール・ゴダン、愛称ベラが俺の妻になったのは俺のうっかりが原因だった。彼女が確認しなかったせいでもあるけど、ほとんど俺が悪いんだろう。
 先日社会政策省のメンバーが集まって会議をする前、俺は挨拶に来たべランジェールに秘書を頼むことにした。
 聞いたところ彼女は会議の間は常にメモを取り、少しでも分からないことがあれば質問するような真面目な性格だそうだ。表情の変化が乏しくて面白みのある性格ではないけど、秘書向きだと思った。キリッとクールな秘書だ。
 俺は毎日王宮に来るとは限らない。普段は副大臣のシプリアンにまとめ役を頼み、何があったかはべランジェールにまとめてもらった資料を読もうと思っていた。
「べランジェールには秘書を頼む」
「私が秘書でいいのですね?」
「ああ。俺はいつも王宮にいるわけじゃないからどうしても秘書が必要だ。俺が王宮にいる間は近くにいてくれ」
「はいっ。いつお声かけいただいてもいいように、常にお側に控えます」
「いや、そこまで気負わなくてもいい」
 後になって考えればこのやり取りがマズかった。そして数日後に彼女が父親のロジエ男爵を伴って屋敷に現れた時にはすでに手遅れだった。

 ◆◆◆

「ラヴァル公爵、末永く娘をよろしくお願いします」
 綺麗な白髪をしたロジエ男爵が俺に向かって頭を下げた時、俺はどこで何を間違えたのかと考えた。でもその答えは出なかった。
「ロジエ男爵、話を進める前に聞きたい。べランジェールからどう話を聞いたんだ?」
「はい。娘をお側に置いていただけると聞きましたが……ひょっとして違いました……か?」
 俺の質問に男爵も違和感を感じたんだろう、べランジェールの方を向いた。
「わ、私は秘書として近くにいてほしいと」
 彼女も戸惑っていた。三人ともだ。
「俺は秘書をしてほしいと言っただけのはずなんだが」
 あの時俺が「秘書を頼む」と言ったら「秘書ですね?」と確認された。
「公爵の言うというのはどのような相手なのですか?」
 男爵のその質問を聞いた瞬間、俺は自分の間違いに気づいた。
「ひょっとして秘書という言葉の意味が違う? ここではどういう意味で使われているんだ?」
 俺は言葉が通じるから気にしてなかったけど、意味が違った可能性がある。今さらそれに気づいた。
「少し古い言葉ですので若い人が使うことは少ないかと。元々はという意味がありました。そこから意味が変わってになり、今では単に交際相手や結婚相手を表します。あまり使う言葉ではありませんが」
「どうして知られないようにするんだ?」
「家の格によっては横槍が入りますので」
 貴族は面倒なこともあるようだ。それはそうと俺はあの時ベランジェールに「俺の女になれ」って言ったわけか。
 ……。
 …………。
 やってしまった。
「俺の言いたかった秘書というのは、上司の仕事の予定を管理する助手のことなんだが」
「屋敷でいうところの従者や侍女のような仕事ですね?」
「そうだな。そう言った方が分かりやすかったか。だが使用人ではないから俺の知っている秘書という言葉を使ってしまった。ちなみにスクレテールという言葉はあるか?」
「手伝いのことですね。最近はその言葉を聞くようになりました」
「俺の国では秘書とはそのスクレテールのことだ」
「なるほど、元の意味のままなのですね」
「そういうことだな」
 スクレテールっていうのはフランス語で秘書や助手のことだ。英語ではセクレタリー。スクレテールは通じるのにどうして秘書は通じないんだ? 翻訳がおかしくないか?
 俺と男爵の話を聞いていたべランジェールはうつむいたまま顔を上げなくなってしまった。俺の失敗だけど、ベランジェールも俺に確認してほしかった。仕事の話をしながらいきなり「俺の女になれ」っておかしいだろ?
 女を泣かすのは趣味じゃない。……ああ、俺は女を食い物にしたこともあったけど泣かせたことはない。もしかしたら一人だけ泣かせたかもしれない。でもそれ以外は円満に別れた。俺よりもいい男を見つけろよって送り出すのが俺のやり方だった。
「男爵、べランジェールは俺が見たところかなりの美人に思えるが、これまで縁がなかったのか?」
 俺がと口にした瞬間にべランジェールの肩がピクッと震え、でもう一度震えた。
「見てお分かりのように、ベラの母親のマイリスはエルフです。私は種族や身分についてはあまり気にしないのですが、エルフもハーフエルフも長命です。ベラが社交に出るようになって、相続が絡むと敬遠される傾向があることを初めて知りました」
「相続?」
 貴族で長命種を配偶者に持つことは珍しいらしく、結婚当初は気づかなかったそうだ。でもべランジェールが生まれた後、彼女の嫁ぎ先を探したところ、色よい返事が貰えなかった。ハーフエルフだったことが理由だ。
 貴族の跡継ぎは基本的に長男がなる。正室の長男と側室の長男なら正室の長男が継ぐ。これはルールだ。でも正室に男児が生まれなかった場合、側室の長男に相続権が移ることがある。男児が優先されるからだ。この場合は正室が入れ替えられる場合もある。
 さらにエルフは寿命が長く、人間よりも子供を産める期間も長い。正室に男児が生まれない場合でもエルフの側室なら何人も男児が産める可能性がある。ハーフエルフでも状況は同じだ。
 要するに側室が子供を産める期間が長いと正室の立場が脅かされる可能性があるというのが理由だ。妻を子作りの道具と考えているようで気分は良くないけど、貴族とはそういうものらしい。
 それなら正室にしてはどうかというと、夫が亡くなってもずっと屋敷にいるわけだ。そうするとそれ以降の当主は院政を敷かれているように感じるだろう。でも邪険にできない。
 そういう理由から長命種は貴族の妻にはなりにくい。獣人が側室になることが多いのは、体が丈夫なこと、そして寿命が人間と同じくらいだからだ。
「ベランジェール」
「……はい」
 今にも泣きそうな声が聞こえた。
「俺の知識不足からお前には悲しい思いをさせたかもしれない。今でも俺の妻になりたいという気はあるか?」
 俺がそう聞くと彼女は顔を上げた。その目には涙が浮かんでいた。やっぱり泣かせてしまったか。
「……はい」
「俺は勘違いでお前に求婚したような形になった。そんな状況だと知っても、俺の妻になりたいと思うか?」
「はいっ」
 目には涙が浮かんだままだったけど、ハッキリと返事が聞こえた。俺が言いたいことが分かってきたんだろう。
「あの時点では俺はお前を妻にするつもりはなかった。だからまだ好きか嫌いか、それは分からない。だがさっきも言ったようにお前は美人だ。妻にしたくない理由は一つもない」
 ベランジェールの目には理解の灯がともった。男爵も肩の力を抜いたようだ。
「こんな俺でよければ妻になってほしい。お前を妻として愛することができるように努力をしよう」
「ッ‼ ふつつか者ですが、よろしくお願いします。私の生涯を閣下に捧げます」
「もう少し肩の力を抜いてくれ」
 あまりテンションが高くないのに勢いがあった。

 ◆◆◆

「公爵、感謝します」
 ベランジェールが応接室を出て自分の部屋に向かった。今日からこの屋敷で暮らすからだ。そのつもりで持参金や家財道具を持ってきてたからな。もし俺が拒否していたら、彼女はあれを持って帰ることになった。おそらく相当恥ずかしい思いをすることになっただろう。
 でも可哀想だから妻にするわけじゃない。彼女は優秀だ。妻としても部下としても。それにハッキリと物を言う女は嫌いじゃない。だから妻にすることに決めた。
「いや、俺のミスだ。最初に確認すべきだった」
「ですが公爵の立場からすると、言葉の意味が違うとは思わないでしょう」
「そうかもしれないが、まだまだ勉強不足だ。このままではもっと大きなミスをしかねない」
 たしかにリュシエンヌから色々と教わった。それに社交で身に付いた知識もある。でも今回のように言葉の辞書的な意味が違えばどうしようもない。
 ステータスが高いから一度覚えればそう簡単に抜けることはないはずだけど、頭にないものはどうやっても捻り出せない。覚えるしかない。一息ついたら図書室にでも入り浸るか。
 それはそうとまた屋敷の中が賑やかになるな。過ぎたことを悔やんでも仕方がない。ここは前向きだ。とりあえずは信頼できる親戚が増えたことが一番だろう。
殿、今後は親戚としてよろしく頼む」
殿、こちらこそよろしくお願いします」
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