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第十一部:家族がいるということ
ナントカッソンの日常
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ここはモンタン子爵領にあるナントカッソンという町。去年までは何の特徴もない田舎町だった。
ナントカッソンはフレージュ王国の西部にある。この町からさらに西に向かえば山がある。もしこの山にダンジョンがあればもっと違っただろう。
ダンジョンはたまに暴走を起こす。その際にはそれなりの被害も出るが、それ以上に得られるものが多い。魔物の素材は普段手に入る以上の量と質のものが山のように手に入る。
ただし人的な被害は当然存在する。暴走が始まった直後は大量の弱い魔物がダンジョンから出てくる。それが落ち着いてしばらくすると数は少ないものの、かなり強い魔物が現れる。最初は量、次は質、そのように二段階で町を襲うのが暴走というものだ。
ナントカッソンはダンジョンがないのでまとまった収入もないが被害もない。結果としてこの地方でそこそこ大きな町というだけの普通の町だった。それが変わったのはシュウジがここにコワレ商会の支店を置いたからだった。
「こんなものが金になるとはねえ」
「長く生きてると色々あるさねえ」
老婆たちが町からすぐ近くにある森へ出かけて野草を摘んでいる。
「煮ても焼いても食えないのにねえ」
「私もそう思うけどねえ。でも買い取ってくれるなら意味があるんだろうねぇ」
二人は孫や曾孫に小遣いをあげるために野草を摘んでいた。このあたりには危険な魔物はいない。たまに熊や猪が現れるが、町の若い者や兵士たちが見回りをしているので被害はなかった。
「お姉ちゃん、これじゃない?」
「あ、よく見つけたわね」
姉妹が茸を採っていた。これは媚薬の材料になるものだった。
「これって食べれないんだよね?」
「食べたらお腹を壊すから絶対にダメだって。でもこれが薬になるらしいわ」
「苦い薬はイヤ」
「元気なら薬なんて必要ないわよ」
姉妹は森の中を歩き、手カゴいっぱいの茸を持ち帰った。
「イネスは元気みたいだな」
「あの子は元気だけはありましたからね。元気がないのは見たことがありませんでしたよ」
「姉ちゃんは腹が減ってなければ元気だったよ」
「そうそう。『空腹は敵だ』って言ってたからね」
イネスの実家では届いたばかりの手紙を見ながら両親と弟たちが話し合っていた。
「あなたたち、イネスのおかげでご飯がいっぱい食べられるようになったのよ」
「もちろんそれは分かってるって」
「そうそう。俺たちだって森に入って茸や薬草を集めてるんだから」
イネスは食卓の話題にも上がっていた。もちろんそれはイネスの実家だけではなかった。
「今日はいつも以上に集まったな」
「はい、依頼料をアップした効果でしょうね」
「そうだな。これで公爵様に対して面目が立つ。それにイネスにバカにされなくて済むからな」
「後者はまあ……支店長のプライドのだけの問題でしょうけど」
「……」
コワレ商会ナントカッソン支店の支店長はイネスの兄のエドガーだった。ラヴァル公爵が商会を作るのでその支店を任せたいという手紙が実家を継いでいた彼のところに届いた。金貨や銀貨と一緒に。驚いたエドガーだったが、もう一つあったイネスからの手紙には「信用できる人ということで、勝手に兄さんを紹介しました。すみません」と自分を推薦したと書かれていたので間違いはないのだろう。
これまで畑を耕していたエドガーが腑に落ちないまま支店の建物を用意して準備を始めると、王都の本店から商会の馬車がやって来て荷物を置いていった。それから定期的に王都から馬車がやって来る。エドガーはイネスやシュウジとは全く顔を合さないまま支店長に、妻のリディは副支店長になっていた。
エドガーとしてはこれでいいのかと手探り状態で支店を運営することになったが、今のところ特に問題は起きていない。そして少し前にもう少し量を増やせないかという連絡が届いた。そのため買い取り金額を一割アップすることで、集まる量が二割アップした。
薬草も野草も茸もこの町から少し行けばいくらでも手に入る。生えているものを全て採ることは不可能で、さらに数日もすればまた生える。無茶さえしなければいつまでも素材は集まる。
イネスが王都の周辺で素材を集められなかったのは、そもそも王都の近くにはあまり生えていないものが多いこと、そして生えていても他に採取していく冒険者がいることが理由だった。だから手に入るものだけは自分で集め、それ以外のものは購入した結果、庶民には手に出せない価格になってしまった。それもシュウジの力によって状況が変わりつつある。
先ほど王都から馬車が来て集めた素材を回収し、帳簿を確認して必要な資金をリディに渡し、必要に応じて商品の補充も行って王都に帰っていった。エドガーはその商品の一つを手に取った。
「これって前にイネスが作ってた美容液なんだよなあ」
「これを使ったら本当に肌がプルプルになりますね」
「買うと高かったんだな」
エドガーはボソッと呟いた。安定して素材が手に入るようになったため、美容液の値段は若干だが下がりつつあるがまだまだ高価だ。いずれはもっと少し気軽に買えるようになるだろう。そうなると商会の収入は減ることになるが、購入者が増えれば相対的に利益は上がる。今は時間をかけてコストを下げつつ潜在的顧客を発掘しようと調整している段階だった。
ここでいきなり値段を下げないのがコワレ商会の手法だった。今は貴族や裕福な平民が購入者の中心になっている。そこの値段は下げず、廉価版の販売を行うのが目的だ。かつてイネスが値段を分けて販売していたのも同じだった。もっとも高い方は高すぎて全く売れていなかったが。
「あなたは私の肌がプルプルなのとカサカサなのとどちらがいいのですか?」
夫をジロリと見ながらリディは問い詰めるように質問した。
「そ、そりゃもちろんお前の肌が綺麗な方がいいに決まってるじゃないか」
「それなら頑張ってお仕事してくださいね」
「お、おう」
この時点でイネスがラヴァル公爵であるシュウジの女になっていることは伝わっていない。伝わっていたらエドガーはひっくり返って泡を吹いていただろう。あの恋愛に全く興味がなく、山に入って植物を集め、それを使って美容液を作って配ることばっかりしていたイネスが、まさか侯爵の女になったとは普通は想像できない。
「それで、本店は何か言ってきたのか?」
「いえ、このままの調子で頑張ってくれと。資金の追加も届きましたので、これで当分は問題ありませんね」
「そうだな。まあイネスが繋いでくれた縁だ。これを途切れさせないように頑張ろうか」
「はい、頑張りましょう」
イネスがシュウジと肉体関係を持っていると知ってこの夫婦が驚くのはもう少し先のことだった。
ナントカッソンはフレージュ王国の西部にある。この町からさらに西に向かえば山がある。もしこの山にダンジョンがあればもっと違っただろう。
ダンジョンはたまに暴走を起こす。その際にはそれなりの被害も出るが、それ以上に得られるものが多い。魔物の素材は普段手に入る以上の量と質のものが山のように手に入る。
ただし人的な被害は当然存在する。暴走が始まった直後は大量の弱い魔物がダンジョンから出てくる。それが落ち着いてしばらくすると数は少ないものの、かなり強い魔物が現れる。最初は量、次は質、そのように二段階で町を襲うのが暴走というものだ。
ナントカッソンはダンジョンがないのでまとまった収入もないが被害もない。結果としてこの地方でそこそこ大きな町というだけの普通の町だった。それが変わったのはシュウジがここにコワレ商会の支店を置いたからだった。
「こんなものが金になるとはねえ」
「長く生きてると色々あるさねえ」
老婆たちが町からすぐ近くにある森へ出かけて野草を摘んでいる。
「煮ても焼いても食えないのにねえ」
「私もそう思うけどねえ。でも買い取ってくれるなら意味があるんだろうねぇ」
二人は孫や曾孫に小遣いをあげるために野草を摘んでいた。このあたりには危険な魔物はいない。たまに熊や猪が現れるが、町の若い者や兵士たちが見回りをしているので被害はなかった。
「お姉ちゃん、これじゃない?」
「あ、よく見つけたわね」
姉妹が茸を採っていた。これは媚薬の材料になるものだった。
「これって食べれないんだよね?」
「食べたらお腹を壊すから絶対にダメだって。でもこれが薬になるらしいわ」
「苦い薬はイヤ」
「元気なら薬なんて必要ないわよ」
姉妹は森の中を歩き、手カゴいっぱいの茸を持ち帰った。
「イネスは元気みたいだな」
「あの子は元気だけはありましたからね。元気がないのは見たことがありませんでしたよ」
「姉ちゃんは腹が減ってなければ元気だったよ」
「そうそう。『空腹は敵だ』って言ってたからね」
イネスの実家では届いたばかりの手紙を見ながら両親と弟たちが話し合っていた。
「あなたたち、イネスのおかげでご飯がいっぱい食べられるようになったのよ」
「もちろんそれは分かってるって」
「そうそう。俺たちだって森に入って茸や薬草を集めてるんだから」
イネスは食卓の話題にも上がっていた。もちろんそれはイネスの実家だけではなかった。
「今日はいつも以上に集まったな」
「はい、依頼料をアップした効果でしょうね」
「そうだな。これで公爵様に対して面目が立つ。それにイネスにバカにされなくて済むからな」
「後者はまあ……支店長のプライドのだけの問題でしょうけど」
「……」
コワレ商会ナントカッソン支店の支店長はイネスの兄のエドガーだった。ラヴァル公爵が商会を作るのでその支店を任せたいという手紙が実家を継いでいた彼のところに届いた。金貨や銀貨と一緒に。驚いたエドガーだったが、もう一つあったイネスからの手紙には「信用できる人ということで、勝手に兄さんを紹介しました。すみません」と自分を推薦したと書かれていたので間違いはないのだろう。
これまで畑を耕していたエドガーが腑に落ちないまま支店の建物を用意して準備を始めると、王都の本店から商会の馬車がやって来て荷物を置いていった。それから定期的に王都から馬車がやって来る。エドガーはイネスやシュウジとは全く顔を合さないまま支店長に、妻のリディは副支店長になっていた。
エドガーとしてはこれでいいのかと手探り状態で支店を運営することになったが、今のところ特に問題は起きていない。そして少し前にもう少し量を増やせないかという連絡が届いた。そのため買い取り金額を一割アップすることで、集まる量が二割アップした。
薬草も野草も茸もこの町から少し行けばいくらでも手に入る。生えているものを全て採ることは不可能で、さらに数日もすればまた生える。無茶さえしなければいつまでも素材は集まる。
イネスが王都の周辺で素材を集められなかったのは、そもそも王都の近くにはあまり生えていないものが多いこと、そして生えていても他に採取していく冒険者がいることが理由だった。だから手に入るものだけは自分で集め、それ以外のものは購入した結果、庶民には手に出せない価格になってしまった。それもシュウジの力によって状況が変わりつつある。
先ほど王都から馬車が来て集めた素材を回収し、帳簿を確認して必要な資金をリディに渡し、必要に応じて商品の補充も行って王都に帰っていった。エドガーはその商品の一つを手に取った。
「これって前にイネスが作ってた美容液なんだよなあ」
「これを使ったら本当に肌がプルプルになりますね」
「買うと高かったんだな」
エドガーはボソッと呟いた。安定して素材が手に入るようになったため、美容液の値段は若干だが下がりつつあるがまだまだ高価だ。いずれはもっと少し気軽に買えるようになるだろう。そうなると商会の収入は減ることになるが、購入者が増えれば相対的に利益は上がる。今は時間をかけてコストを下げつつ潜在的顧客を発掘しようと調整している段階だった。
ここでいきなり値段を下げないのがコワレ商会の手法だった。今は貴族や裕福な平民が購入者の中心になっている。そこの値段は下げず、廉価版の販売を行うのが目的だ。かつてイネスが値段を分けて販売していたのも同じだった。もっとも高い方は高すぎて全く売れていなかったが。
「あなたは私の肌がプルプルなのとカサカサなのとどちらがいいのですか?」
夫をジロリと見ながらリディは問い詰めるように質問した。
「そ、そりゃもちろんお前の肌が綺麗な方がいいに決まってるじゃないか」
「それなら頑張ってお仕事してくださいね」
「お、おう」
この時点でイネスがラヴァル公爵であるシュウジの女になっていることは伝わっていない。伝わっていたらエドガーはひっくり返って泡を吹いていただろう。あの恋愛に全く興味がなく、山に入って植物を集め、それを使って美容液を作って配ることばっかりしていたイネスが、まさか侯爵の女になったとは普通は想像できない。
「それで、本店は何か言ってきたのか?」
「いえ、このままの調子で頑張ってくれと。資金の追加も届きましたので、これで当分は問題ありませんね」
「そうだな。まあイネスが繋いでくれた縁だ。これを途切れさせないように頑張ろうか」
「はい、頑張りましょう」
イネスがシュウジと肉体関係を持っていると知ってこの夫婦が驚くのはもう少し先のことだった。
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