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第十六部:領主になること
領地の使用人たちとの顔合わせ(一)
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「他にはワインだな。これはショムニーのヴィクトリーヌ醸造所と提携してやっていきたい」
「提携でございますか?」
「そうだ。あの醸造所は俺が知っている中で一番いい。この領地でもワインが作られているが、もう一段階二段階上を目指せるはずだ」
俺はヴィクトリーヌ醸造所の赤ワインを取り出してグラスに注いだ。
「試してみてくれ」
「では頂戴いたします」
エルネストは香りを確認してから一口含むと、一つ頷いた。
「たしかに美味しゅうございますね」
「そこからもう一段階上がればここまで辿り着けるはずなんだ」
俺は日本の赤ワインをエルネストに勧めた。一番安いやつだ。すると口に含んだ瞬間に眉毛が動いた。
「こ、これはまたスッキリしているのに懐が深いと言いますか……」
「何が違うかはヴィクトリーヌ醸造所には伝えている。最後に口にしたワインの作り方でやったらどうなるか、今年のブドウで作ってもらうことになっている。そのノウハウをこっちでも試したい。今年はもう無理だが、来年には可能だろう」
「急に色々なことが変わりそうですね」
「そうか? 気になるところがあっても、すぐに変えられるわけではないな。変化が大きすぎると誰も付いてこない」
「では麦やワインはどういうことでございますか?」
麦とワイン。パンとワインとは関係ないけど、どちらも暮らしに必要なものだ。ワインは貴族だけじゃなくて庶民も口にする。そして出来の悪いワインは安価で売ったり、そのまま発酵させて酢にしたりする。
酢があれば食材を漬け込んで長持ちさせることができる。実はワインは庶民の生活にもある程度は必要なものだ。
「俺の知っている言葉に『衣食足りて礼節を知る』というものがある。元は『倉廩実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る』という言葉だ。人は倉庫がいっぱいになるほどの収穫物があって初めて礼儀をわきまえるようになり、衣食が十分にあってこそ何が名誉で何が恥かを理解できるものだと」
「食料が十分でないと他人のものを盗む。盗むことを恥だと思うような考えにすら至らない。そういうことですね?」
「そうだ。俺はどんどん娯楽を与えようとか金をばら撒いて喜ばそうとか、そういうことを考えているわけではない。そのような与えられた幸福は、与えられなくなった瞬間に恨みに変わる」
何でも与えられて全く生活に困らない状態。それが当たり前になれば、何か一つでも与えられないだけで不満を持つようになる。チヤホヤされて育った結果、少しでも不満があると癇癪を起こす。それと近い。そうならないためには真面目に働き、働けばそれだけ豊かになれる、それを伝えることだ。
これまでは働きたくても場所がなかった。その場所を与えるだけでも変わるだろう。それが麦畑や田んぼだ。
正直なところ、よくこれまで問題にならなかったなと思う。社会政策大臣を経験してからは国を見る目がたしかに変わった。最初にこの国に来た時、国王よりも上だと言われてふんぞり返っていたら、いずれとんでもない暴動にでも巻き込まれたかもしれない。
◆◆◆
今日は特例ということにして、使用人たちと一緒に食事をすることにした。門番たちにも門を閉めさせ、小ホールに俺とララとロラの三人、そしてエルネスト以下一八人の使用人たちが揃った。荷運びの少年が二人、馬番の夫婦、歳を取った門番が五人、まだ若いメイド長が一人、そしてそれよりも若いメイドが七人。偏りすぎだ。
料理はメイドの中で料理が得意だというシビーユとシモーヌという従姉妹の二人と一緒に作った。ここしばらくは二人がみんなの料理を作っていたらしい。手際は悪くないけど、それ以外は全然だった。単なるメイドだったわけだから仕方ないけど。そこで俺は二人に「焼く」と「茹でる」意外に「蒸す」「炒める」「揚げる」「蒸らす」というのを教えた。
「シビーユ、それじゃこれを頼む」
「はい」
俺はシビーユに肉野菜炒め的なものを作らせる。その間に別のものを作ろ——⁉
「ちょっと待て」
「はい?」
「どうして炒めない?」
「炒める、ですか?」
言葉が通じない。いや、炒めたことがないのか?
「炒めるとはこうやって油が回った食材を混ぜながら火を通すことだ」
「そ、そんなことは初めてしました」
「は?」
いや、ビックリしたぞ。フライパンのような浅めの鍋に食材を放り込んだらそのままだった。当たり前だけどそのままにすれば焦げる。
炒めるやり方を見せながら聞いたところ、肉や魚を焼くことはあっても、サッと炒めるようなことはしたことがなかったそうだ。そもそも野菜を炒めた経験がなかった。彼女たちの中では野菜は茹でるもの。茹でで柔らかくなったらお湯を切って皿に盛り、酢をかけて食べる。イギリスだってそこまでひどくないはずだ。
塩やコショウは高いから、領主不在の間は使用人には勝手には使えない。だからほとんど酢だけだった。酢は古くなったワインを置いておけば発酵してできるので一番簡単に手に入る調味料だった。塩はほんの少しだけ。それを聞いた時は危うく涙が出そうだった。
エルネストは王都での暮らしも長いので料理については詳しい。でも郷に入りては郷に従え。地方ではそういうものだと分かっていたので何も言わなかったらしい。
「シモーヌはこれくらいの色になるまで待って、それからこれを使って油から出してくれ」
「分かりました」
シモーヌには揚げ物をさせてみた。その際にはお湯と違ってボコボコ泡が出ないけどお湯よりも高温なことを伝え、けっして顔を近づけないようにと伝えた。
「旦那様、これくらいでいいですか?」
「それで大丈夫だ。そしたらその網の上に乗せる」
「はい、分かりました」
揚げ物があまり一般的ではないから紙を敷くというのはあまりない。だから網に乗せて油を切る。皿にはそのまま盛る。紙はあるけど手紙を書くために使われるもので、揚げ物の油を切るために使うことはほとんどない。パーティーでは使ったけどな。
「提携でございますか?」
「そうだ。あの醸造所は俺が知っている中で一番いい。この領地でもワインが作られているが、もう一段階二段階上を目指せるはずだ」
俺はヴィクトリーヌ醸造所の赤ワインを取り出してグラスに注いだ。
「試してみてくれ」
「では頂戴いたします」
エルネストは香りを確認してから一口含むと、一つ頷いた。
「たしかに美味しゅうございますね」
「そこからもう一段階上がればここまで辿り着けるはずなんだ」
俺は日本の赤ワインをエルネストに勧めた。一番安いやつだ。すると口に含んだ瞬間に眉毛が動いた。
「こ、これはまたスッキリしているのに懐が深いと言いますか……」
「何が違うかはヴィクトリーヌ醸造所には伝えている。最後に口にしたワインの作り方でやったらどうなるか、今年のブドウで作ってもらうことになっている。そのノウハウをこっちでも試したい。今年はもう無理だが、来年には可能だろう」
「急に色々なことが変わりそうですね」
「そうか? 気になるところがあっても、すぐに変えられるわけではないな。変化が大きすぎると誰も付いてこない」
「では麦やワインはどういうことでございますか?」
麦とワイン。パンとワインとは関係ないけど、どちらも暮らしに必要なものだ。ワインは貴族だけじゃなくて庶民も口にする。そして出来の悪いワインは安価で売ったり、そのまま発酵させて酢にしたりする。
酢があれば食材を漬け込んで長持ちさせることができる。実はワインは庶民の生活にもある程度は必要なものだ。
「俺の知っている言葉に『衣食足りて礼節を知る』というものがある。元は『倉廩実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る』という言葉だ。人は倉庫がいっぱいになるほどの収穫物があって初めて礼儀をわきまえるようになり、衣食が十分にあってこそ何が名誉で何が恥かを理解できるものだと」
「食料が十分でないと他人のものを盗む。盗むことを恥だと思うような考えにすら至らない。そういうことですね?」
「そうだ。俺はどんどん娯楽を与えようとか金をばら撒いて喜ばそうとか、そういうことを考えているわけではない。そのような与えられた幸福は、与えられなくなった瞬間に恨みに変わる」
何でも与えられて全く生活に困らない状態。それが当たり前になれば、何か一つでも与えられないだけで不満を持つようになる。チヤホヤされて育った結果、少しでも不満があると癇癪を起こす。それと近い。そうならないためには真面目に働き、働けばそれだけ豊かになれる、それを伝えることだ。
これまでは働きたくても場所がなかった。その場所を与えるだけでも変わるだろう。それが麦畑や田んぼだ。
正直なところ、よくこれまで問題にならなかったなと思う。社会政策大臣を経験してからは国を見る目がたしかに変わった。最初にこの国に来た時、国王よりも上だと言われてふんぞり返っていたら、いずれとんでもない暴動にでも巻き込まれたかもしれない。
◆◆◆
今日は特例ということにして、使用人たちと一緒に食事をすることにした。門番たちにも門を閉めさせ、小ホールに俺とララとロラの三人、そしてエルネスト以下一八人の使用人たちが揃った。荷運びの少年が二人、馬番の夫婦、歳を取った門番が五人、まだ若いメイド長が一人、そしてそれよりも若いメイドが七人。偏りすぎだ。
料理はメイドの中で料理が得意だというシビーユとシモーヌという従姉妹の二人と一緒に作った。ここしばらくは二人がみんなの料理を作っていたらしい。手際は悪くないけど、それ以外は全然だった。単なるメイドだったわけだから仕方ないけど。そこで俺は二人に「焼く」と「茹でる」意外に「蒸す」「炒める」「揚げる」「蒸らす」というのを教えた。
「シビーユ、それじゃこれを頼む」
「はい」
俺はシビーユに肉野菜炒め的なものを作らせる。その間に別のものを作ろ——⁉
「ちょっと待て」
「はい?」
「どうして炒めない?」
「炒める、ですか?」
言葉が通じない。いや、炒めたことがないのか?
「炒めるとはこうやって油が回った食材を混ぜながら火を通すことだ」
「そ、そんなことは初めてしました」
「は?」
いや、ビックリしたぞ。フライパンのような浅めの鍋に食材を放り込んだらそのままだった。当たり前だけどそのままにすれば焦げる。
炒めるやり方を見せながら聞いたところ、肉や魚を焼くことはあっても、サッと炒めるようなことはしたことがなかったそうだ。そもそも野菜を炒めた経験がなかった。彼女たちの中では野菜は茹でるもの。茹でで柔らかくなったらお湯を切って皿に盛り、酢をかけて食べる。イギリスだってそこまでひどくないはずだ。
塩やコショウは高いから、領主不在の間は使用人には勝手には使えない。だからほとんど酢だけだった。酢は古くなったワインを置いておけば発酵してできるので一番簡単に手に入る調味料だった。塩はほんの少しだけ。それを聞いた時は危うく涙が出そうだった。
エルネストは王都での暮らしも長いので料理については詳しい。でも郷に入りては郷に従え。地方ではそういうものだと分かっていたので何も言わなかったらしい。
「シモーヌはこれくらいの色になるまで待って、それからこれを使って油から出してくれ」
「分かりました」
シモーヌには揚げ物をさせてみた。その際にはお湯と違ってボコボコ泡が出ないけどお湯よりも高温なことを伝え、けっして顔を近づけないようにと伝えた。
「旦那様、これくらいでいいですか?」
「それで大丈夫だ。そしたらその網の上に乗せる」
「はい、分かりました」
揚げ物があまり一般的ではないから紙を敷くというのはあまりない。だから網に乗せて油を切る。皿にはそのまま盛る。紙はあるけど手紙を書くために使われるもので、揚げ物の油を切るために使うことはほとんどない。パーティーでは使ったけどな。
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