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第十一部:家族がいるということ
醸造所と樽(二)
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「それでだ……」
俺はそこで一呼吸入れた。
「この秋に仕込む一部を、これくらい中を焼いた樽を使って熟成してくれないか? それが完成したら全て買い取りたい。価格は言い値でいい」
俺がそう言うとオーギュストは一度下を向くいた。そして一〇秒ほどして顔を上げた。
「分かりました。身内に樽職人がおります。これくらいの樽を作らせてワインを作りましょう。その値段ですが……」
「どれくらいになる?」
俺の質問にすぐには答えず、俺の目をじっと見た。そしてゆっくりと口を開いた。
「ここを買い取ってもらえませんか?」
「ん? 買い取ってもいいのか?」
いや、迷惑をかけないように一部だけと思ったんだけどな。
「かまいません。公爵様の持つ知識でワインを仕込めばどれほどのものができあがるか。できる限り多くのワインでそれを確認してみたいと思います」
そう言ってくれるのは嬉しいけど、いきなり買い取るのもなあ。いや、買い取った方が色々と楽にはなると思うけど、そこまでは考えてなかったからな。
「それなら醸造所としては独立したままで、うちとの専属契約という形にしないか?」
子会社ではなく関連会社として傘下に入る形だ。庇護下にあるということだ。
「公爵様がそれでよろしいのでしたら私としては問題ありません。より香り高く懐の深いワインを作るというのがうちの方針ですから」
話は決まった。でも万々歳というわけじゃないと分かったのは、腰を落ち着けてあらためて話を詰め始めた時だった。
◆◆◆
「問題があるとすれば、うちはあまり大きくありませんので、それほど量ができないことです」
「それなら樽の種類を増やすのは難しいか。実は三種類ほど試してほしいと思ったんだが」
さっき見せたのは一番浅いトースティングだ。全部で三種類用意した。
「うちだけでは難しいのですが、実はそろそろこの仕事をやめようというブドウ農家があります。そこに提携というか、買収を持ちかけてみようと思います。この話を聞けばきっと喜んで協力してくれます」
「農家をやめるのか。それは後継者不足とか資金不足とか、そういう理由か?」
「いえ、人間関係といいますか、何といいますか」
オーギュストが説明してくれたのは、力の弱いブドウ農家が脅されるという話だった。
ヴィクトリーヌ醸造所はブドウの栽培も醸造も販売もしている。でもワインのためのブドウ栽培のみで生計を立てている農家はいくつもある。ブドウを作って卸すわけだ。豊作ならいい。不作の場合は品薄で価格が上がりそうだけど、そう簡単にはいかない。そこには色々な思惑が絡んでくるからだ。
ワインのためのブドウ栽培を専業にしている農家があるなら、醸造のみを仕事とする醸造所もある。問題は貴族が持つ醸造のみの醸造所が、ブドウが不作の場合に何をするかということだ。
ブドウ農家は高く売りたい。醸造所はあまり高いと困る。でもブドウが不作なので手に入りにくい。それなら力と金に物を言わせて半分脅しのように注文が入ることもある。ヘタに逆らうと潰される可能性がある。だから取り引きのある他の醸造所に頭を下げることもある。そういうことに疲れ果てたブドウ農家もあるということだ。
この国で最も有名な銘柄のいくつかは、貴族の持つ大手ワイン醸造所で作られている。このヴィクトリーヌ醸造所のように貴族と関わりのない醸造所なら取り引きの話がしやすいと思ったけど、色々な意味で正しかった。
ブドウが不作の時に自分の醸造所でワインを作るために金を使ってブドウを掻き集める。だから高くなるのは当然だ。高い分だけ美味いのは間違いないけど、それではブドウとワインと醸造家に失礼だな。
「分かった。無理のない範囲で広げてもらってかまわない。それでより良いワインを作ってくれ」
「畏まりました」
「もし何かあれば俺の名前を出してくれてかまわない」
俺はラヴァル公爵家とコワレ商会の名前を刻んだプレートをオーギュストに渡した。
◆◆◆
シュウジが帰るとオーギュストは早速再従弟のアンドレのところに出かけた。身内の樽職人とはこのアンドレのことだった。そのアンドレに向かってオーギュストは、シュウジから渡された三つの樽を見せて説明していた。
「そんな焼き方でか?」
これまで樽を作ってきたアンドレはもちろんそれを疑った。自分が父親から教わったやり方だ。今さら違うといわれても、「はいそうですか」と納得はできない。
「俺も最初は疑問だった。でもこの話が嘘と思うならこれを飲んでみろ」
「白ワインか……ッ‼ 何だこりゃ⁉」
「な?」
オーギュストはシュウジから何本かワインを預かっている。それは日本のスーパーで簡単に手に入る価格帯のワインばかりだったが、それでも二人は目を剥くほどに驚いた。二人が見たこともないような浅い焼き方をした樽から作られたワインに。
シュウジは作りかけでまだ中を炙っていない樽をいくつか購入して組み立て、ワインに適した具合に内部を炙った。内部の全面が焦げて黒いのではない。火で炙られた部分があるのが分かるというくらいのうっすらとしたトースティングから、少し強めのトースティングまで、三種類用意した。
ワイン樽のトースティングは七種類、あるいはそれ以上ある。だがいきなり細かく分けすぎても技術的に難しいかもしれない。だからとりあえず三種類に絞った。この三種類で仕込めばどうなるか。ワインは熟成させるものだ。すぐに結果が分かるわけではない。だが仕込んで一年後、翌年の秋にテイスティングしたオーギュストとアンドレは、さらにブドウ畑を広げるべく、他のブドウ農家に提携を呼びかけることになる。
俺はそこで一呼吸入れた。
「この秋に仕込む一部を、これくらい中を焼いた樽を使って熟成してくれないか? それが完成したら全て買い取りたい。価格は言い値でいい」
俺がそう言うとオーギュストは一度下を向くいた。そして一〇秒ほどして顔を上げた。
「分かりました。身内に樽職人がおります。これくらいの樽を作らせてワインを作りましょう。その値段ですが……」
「どれくらいになる?」
俺の質問にすぐには答えず、俺の目をじっと見た。そしてゆっくりと口を開いた。
「ここを買い取ってもらえませんか?」
「ん? 買い取ってもいいのか?」
いや、迷惑をかけないように一部だけと思ったんだけどな。
「かまいません。公爵様の持つ知識でワインを仕込めばどれほどのものができあがるか。できる限り多くのワインでそれを確認してみたいと思います」
そう言ってくれるのは嬉しいけど、いきなり買い取るのもなあ。いや、買い取った方が色々と楽にはなると思うけど、そこまでは考えてなかったからな。
「それなら醸造所としては独立したままで、うちとの専属契約という形にしないか?」
子会社ではなく関連会社として傘下に入る形だ。庇護下にあるということだ。
「公爵様がそれでよろしいのでしたら私としては問題ありません。より香り高く懐の深いワインを作るというのがうちの方針ですから」
話は決まった。でも万々歳というわけじゃないと分かったのは、腰を落ち着けてあらためて話を詰め始めた時だった。
◆◆◆
「問題があるとすれば、うちはあまり大きくありませんので、それほど量ができないことです」
「それなら樽の種類を増やすのは難しいか。実は三種類ほど試してほしいと思ったんだが」
さっき見せたのは一番浅いトースティングだ。全部で三種類用意した。
「うちだけでは難しいのですが、実はそろそろこの仕事をやめようというブドウ農家があります。そこに提携というか、買収を持ちかけてみようと思います。この話を聞けばきっと喜んで協力してくれます」
「農家をやめるのか。それは後継者不足とか資金不足とか、そういう理由か?」
「いえ、人間関係といいますか、何といいますか」
オーギュストが説明してくれたのは、力の弱いブドウ農家が脅されるという話だった。
ヴィクトリーヌ醸造所はブドウの栽培も醸造も販売もしている。でもワインのためのブドウ栽培のみで生計を立てている農家はいくつもある。ブドウを作って卸すわけだ。豊作ならいい。不作の場合は品薄で価格が上がりそうだけど、そう簡単にはいかない。そこには色々な思惑が絡んでくるからだ。
ワインのためのブドウ栽培を専業にしている農家があるなら、醸造のみを仕事とする醸造所もある。問題は貴族が持つ醸造のみの醸造所が、ブドウが不作の場合に何をするかということだ。
ブドウ農家は高く売りたい。醸造所はあまり高いと困る。でもブドウが不作なので手に入りにくい。それなら力と金に物を言わせて半分脅しのように注文が入ることもある。ヘタに逆らうと潰される可能性がある。だから取り引きのある他の醸造所に頭を下げることもある。そういうことに疲れ果てたブドウ農家もあるということだ。
この国で最も有名な銘柄のいくつかは、貴族の持つ大手ワイン醸造所で作られている。このヴィクトリーヌ醸造所のように貴族と関わりのない醸造所なら取り引きの話がしやすいと思ったけど、色々な意味で正しかった。
ブドウが不作の時に自分の醸造所でワインを作るために金を使ってブドウを掻き集める。だから高くなるのは当然だ。高い分だけ美味いのは間違いないけど、それではブドウとワインと醸造家に失礼だな。
「分かった。無理のない範囲で広げてもらってかまわない。それでより良いワインを作ってくれ」
「畏まりました」
「もし何かあれば俺の名前を出してくれてかまわない」
俺はラヴァル公爵家とコワレ商会の名前を刻んだプレートをオーギュストに渡した。
◆◆◆
シュウジが帰るとオーギュストは早速再従弟のアンドレのところに出かけた。身内の樽職人とはこのアンドレのことだった。そのアンドレに向かってオーギュストは、シュウジから渡された三つの樽を見せて説明していた。
「そんな焼き方でか?」
これまで樽を作ってきたアンドレはもちろんそれを疑った。自分が父親から教わったやり方だ。今さら違うといわれても、「はいそうですか」と納得はできない。
「俺も最初は疑問だった。でもこの話が嘘と思うならこれを飲んでみろ」
「白ワインか……ッ‼ 何だこりゃ⁉」
「な?」
オーギュストはシュウジから何本かワインを預かっている。それは日本のスーパーで簡単に手に入る価格帯のワインばかりだったが、それでも二人は目を剥くほどに驚いた。二人が見たこともないような浅い焼き方をした樽から作られたワインに。
シュウジは作りかけでまだ中を炙っていない樽をいくつか購入して組み立て、ワインに適した具合に内部を炙った。内部の全面が焦げて黒いのではない。火で炙られた部分があるのが分かるというくらいのうっすらとしたトースティングから、少し強めのトースティングまで、三種類用意した。
ワイン樽のトースティングは七種類、あるいはそれ以上ある。だがいきなり細かく分けすぎても技術的に難しいかもしれない。だからとりあえず三種類に絞った。この三種類で仕込めばどうなるか。ワインは熟成させるものだ。すぐに結果が分かるわけではない。だが仕込んで一年後、翌年の秋にテイスティングしたオーギュストとアンドレは、さらにブドウ畑を広げるべく、他のブドウ農家に提携を呼びかけることになる。
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