ドラゴネット興隆記

椎井瑛弥

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第二章:領主二年目第一部

見知った顔

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 しばらく貧民街スラムを歩くと、半分焼けた小屋の前で人がうずくまっているのが見えた。このあたりの人が減ったとは言っても無人になったわけではないので、いても不思議ではない。

 怪我人だろうか。俺の足音が聞こえたのかもしれないが、ふとそいつが頭を上げた。頭からかぶっていた外套がずれて女の顔が見えた。俺よりも上だろうがまだ若い。その女の目が大きく開き、口を開けかけてそのまま固まった。固まられても困るけどな。

「こんなところでどうかしたのか?」
「あ、あなた……どうしてこんなところに……」
「どうしてと言われても、散歩をしていただけだが。俺を知っているのか?」
「……あたしを忘れたの?」
「そんなことを言ってくる女には気を付けろとよく言うだろう。俺は酔って朝起きたら知らない女とベッドの中にいたことはないぞ」
「そうじゃなくて、軍学校よ」
「ん? そもそも女は少なかったし、大して親しかったわけでもなかったな。それにその顔には見覚えは——」

 ん? ややキツめの表情。この顔は……ああ、そうか。一人だけ心当たりがあった。そうかそうか、はっきりと顔を見たのは一度だけだったな。話をしたのも一瞬だけか。

「あれっきり見なかったが、元気だったか?」
「あたしのこの格好を見てよくそう言えるわね」

 もちろん嫌味で言っただけだ。外套の下には汚れた服が見える。五体満足そうだし、暴行を受けたわけでもなさそうだな。

「生きてさえいれば何でもできるだろう。お前に毒を盛られた俺がそう言うんだからな」
「…………ぅ、ぅぅっ、ぅわあああーーーーん」

 ほとんど誰もいないとは言え、さすがに女を泣かせっぱなしにするのも体裁が悪い。俺は彼女に声をかけ、一度屋敷に連れて行くことにした。



◆ ◆ ◆



「あの時は本当にごめんなさい」
「本来なら笑って許せることじゃないと思うが……まあ過ぎたことだ。それほどひどくはなかったからな。それよりも、今さらどうしてこんなところに来たんだ?」

 屋敷に戻って彼女を落ち着かせると話を聞くことにしたが、見た目ががあまりにもひどかったので、とりあえず風呂に入って着替えるように言い、その間に食事の準備をした。かつて毒を盛られた相手と面と向かって食事というのもおかしなものだが、二人とも腹が減っているから仕方がない。

 彼女はヘルガと名乗った。かつて彼女が軍学校で食堂の給仕係として働いていたときにその顔を見ていた。背が高く、ややくすんだ金色の髪をしている。俺は何度も食事に毒を入れられたが、一番最初がこのヘルガの時だった。結局彼女を見たのはあれっきりで、その後は俺が怖くて逃げたのだと思っていたが。

「ある貴族の息子さんからあなたの食事に毒を入れるようにと言われて、入れたけど効き目がなかったって言ったら……」

 彼女の実家は遠方の商家だった。領主である貴族の口利きで、俺がいたあの軍学校で働き口を得てしばらく働いていたそうだ。その領主というのがあの伯爵ヒキガエルの手下の子爵イタチ、つまりうちの実家の土地の元の持ち主だった。その子爵の息子が俺と同期で、俺への嫌がらせに毒を盛ろうとして、その際に彼女を使ったらしい。

 俺に毒を使ったのに効かなかったと伝えたところ、その馬鹿は律儀に自分で試したそうだ。その毒の効き目に自信があったのに効かなかったと言われたからだろう。だがあれはきちんとした毒だった。俺が服用した経験のない物だったから[解毒]の効果もあまりなかった。だから洗面所で何度も水を飲んでは吐き出すということを繰り返しすことになった。俺ですらそうだったから、その馬鹿はかなり苦しんだはずだ。そしてそれを八つ当たりでヘルガのせいにした。彼女が自分に毒を盛ったと学校に訴えたわけだ。

 当然ヘルガは仕事を辞めさせられて実家に送り返された。彼女は自分は無実だと両親に訴えたが——それでも俺に毒を盛ったのは間違いようのない事実だが——両親からすれば自分たちが世話になっている貴族から言われたわけだ、お前の娘がうちの息子に毒を盛ったと。だからそれが事実だろうがそうでなかろうが、彼女の両親はひたすら頭を下げて謝るしかなかった。そして彼女は反省のためという理由で自宅の離れに閉じ込めらることになった。

 その彼女が家から出られたのは、その子爵イタチとその息子が戦争で死んだからだそうだ。さらにその子爵家が取り潰しになり、別の貴族が領主になった。そうなればもう大丈夫だろうと両親は彼女を離れから出したそうだ。だが彼女は自分を六年近くも家の中に閉じ込めた上に話を全く聞こうともしなかった両親を許す気にはならなかった。家を飛び出すと王都に向かい、それからは俺を探していたそうだ。

「今さらだけどきちんと謝りたくて……でもはっきりと名前を覚えていたわけじゃないから、赤い髪の貴族の男性を探して……そうしたらこのあたりだって聞いて……でもこっちに来たのはいいけど細かな場所がわからなくて……」

 路銀の残りもほとんどなかったから、やむを得ず貧民街スラムで雨露をしのいでいたそうだ。うちの屋敷は貴族の屋敷と言われなければそうは思えない程度だ。貴族の屋敷を探しても見つからない可能性はかなり高い。むしろ教会の隣のボロ屋敷と言われた方が分かりやすかっただろう。

「それで、これからどうするんだ?」
「一応謝ることができたから自分の中では整理が付いたし、これからどうしようかと。もう実家に戻るつもりもないし」

 見た限りではほとんど持ち物もなかった。どのような言い合いがあって飛び出したかまでは分からないが、家にあった小銭でも引っ掴んで、ほとんど着の身着のままでやって来たんだろう。

「行き場がないなら俺のところに来るか?」
「ええっ⁉」
「いや、そこで顔を赤らめるな。俺はその子爵イタチが死んだ戦争で手柄を立てて、この国の一番北に領地をもらったから、今は領主として普段はそちらにいる。今日はたまたまこっちの屋敷戻っていただけだ。こうやって会えたのは運が良かったな」
「じゃあ、あたしも行っていいの?」
「ああ。『偶然の出会いも運命』と言うだろう。とりあえず向こうに行って、今後どうするかはゆっくり考えたらいい」
「それならお願いします、旦那様」

 今年初めてドラゴネットに住民が増えた瞬間だった。
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