上 下
34 / 36

もう床ドンはお腹いっぱいです

しおりを挟む
「もう帰ってこない。この部屋には誰も帰ってこない」

 その一言が、小さなころのヘイツと重なった。何もいらないと言いながら、何かを求めているようなあの顔。

 私は、思わずヘイツの腕を掴んでいた。

「本当はそんなこと思ってないでしょ」

 ヘイツはよく、ないという言葉を使った。
 何もない。いらない。わからない。

 自分の気持ちを拾うのが苦手なのか、いつからか諦める癖がついたのか。

 そんな彼がきちんと望めたのが、私と一緒に居るということだったのだとしたら。
 私は……。

「っ!?」

 一瞬の隙に足元を払われ、背中をうちつけた。
 息が出来ずに悶えていると、ヘイツにマウントポジションを取られてしまい。

 凍てつく瞳に捉えられた。

「フスタフと一緒になりたいから俺に他の女をあてがおうとしてるんだろうが。それは無理な話だ。アンタは、妖精の器が大きすぎる。優秀な妖精一族の子を産むには最適なんだよ。つまりあの無能兄じゃアンタの相手としては務まらないってわけだ」

「へえ」

 何かこう。
 話が全然頭に入ってこない。
 それは、ヘイツが私の首筋に顔をうずめてワサワサなにかしてることと。太もも辺りをこう……ワサワサされていることとは関係ない……はずない。

 殺されるかと思ったけどなんか違うみたい。

 コレあれだわ。コレ……あれだわ。いきなりとんでもない展開だわ。
 こんなのはヘイツじゃない。ヘイツなはずない。ヘイツは……。

「ここはあんたの居る場所じゃない。でも俺に追い出す権利はない。となると出て行きたくさせるのが一番だよなぁ」

 バリっと
 音がした。
 たぶん服が破れた音だ。

 フスタフがくれた服が破れた音。

 どこが破れたんだろう。胸元の火傷跡が見えてたらアウト……肩口みたいだ。なぜあえてそこを破る? 脅しか?

 私は不思議と冷静だった。冷静というか、もうほんと、こんなときに申し訳なさすぎるけれど、これ以上衝撃を受けたら、お手洗いへの欲望が大惨事になりそうで、それどころではなかった。

 一刻も早くこの状況を抜け出さなければ。生き恥をさらすことになる。

 両手は頭の上にまとめ上げられていて使えない。足は少し動かせるが、密着しすぎていて攻撃しずらい。

 となると人を呼ぶ……と……先がなくなる気がする。

 ヘイツよ。なぜにことあるごとに人を押し倒す。他にやることないんかい。こんなことしか考えられないようなクソ男に育てた覚えは……育ててはないです……はい。

「あの……すっごい不快なんですけど」

 私はもう、彼の矜持を削るしかないと思った。あまり考えたくはないことだが、そっちの方へことを運ぼうというのなら、そっちの矜持を削ってやる気をなくさせるしかない。彼が言う、出て行きたくさせるってのとたいして変わらない気もするが、仕方ない。

「……」

 下着にかかった手が止まった。

 よかった。私下着まだ履いてます。大事なところは上下とも死守しています。

 ほっとしつつも、出来る限り想像力を働かせた。男がガッカリする発言とは何か。

「吐きそうなんですけど。なんか臭い気もする」

「嫌がらせだからな。嫌がられて上等だ」

 ヘイツの声音は普通だ。全然堪えてない。いや。答えただけマシってことにしよう。

「あ~~嫌がらせね。男ってほんと。口で勝てなきゃ力ずくって……。あ。ちなみに私こういうの慣れてるんで。暴力とか慣れっこです。だから何されてもここから出て行きませんよ。居座ります。それであなたは出禁にします。マジで」

「ほぉ」

 よし。食いつて来た。ってことにしよう。

「あの場所に戻るよりはここの方が断然いいんで。ヘイツ様って妖精一族のくせに、やることあいつらと同じなんですね。ああガッカリ。それとも、あいつらよりはヨくしてくれるんですか?」

 私は、頭の中に居る私をボコボコに殴る。 
 それぐらいの精神的ダメ―ジを負いつつ、この台詞を吐いた。

 こんなことぐらいじゃ心折れませんぜ。私は様々な苦難を乗り越えた打たれ強い女ですぜ。という設定にいつの間にかなっていったってだけで、この後どうするとかわからないけれど。

 徐々に慌てボルテージが上がってきていることを自覚しつつ、恐る恐るヘイツを見上げる。

 と。

「…………」

 なぜか、さっきまでの怒りが嘘のように消えていた。
 瞳に宿る残虐な光がさっぱりと、凪いだ湖のような、美しいアイスブルーになっている。

「あんた……嘘が下手だ」

 ポツリと呟くヘイツ。

「下手すぎる……」

「う……嘘じゃありません」

 声が上ずってしまう。

「嘘じゃない?」

「はい。本当のことしか言ってません」

 また上ずった。

「へぇ」

 今度はどことなく楽しそうに目を細めるヘイツ。
 彼はこんなにクルクルと表情を変える子だっただろうか。

「本当です」

 何か主旨が違ってきている気が……。
 けれど、修正点がわからない。軌道修正が出来ない。

「じゃあ誰にひどい目に遭わされた? どんなふうに?」

 どうしよう。なんか詰めて来たぞ。そのあたり適当言ったのに。

「いやまあ。そんなの言いたくないですし」

 私は、自分の意志とは裏腹に、おもいっきり顔を逸らしてしまった。
 こんなの。嘘ですって言ってるようなものだ。

 駄目だ。一体どうすれば。怒ってないしわさわさもしてこないけど。どうすれ……。

 フっと首筋に暖かい吐息を感じた。

 全身が暖かい。
 距離がゼロに近い状態なのかもしれないが、怖くて目視できない。

「じゃあ……俺がヨくしてやろうか?」

 ザラっとした低音が溶けて耳の中に入り、直接心臓を攻撃した。
 一瞬にして鼓膜が鼓動に支配され、顔に熱が集まる。

「いえ。結構です」

 口だけは動いたが、頭の中は真っ白だ。

「どうして?」

「どうしてってどうしてです?」

「やり方変えようかな」

「やり方?」

 ほぼおうむ返し。
 ヘイツは、私の二の腕辺りをツツっと撫でた。

「嫌がらせして追い出すのが無理なら。ドロドロに溶かして俺の言うこと聞くようにした方がいいかな」

 ドロドロって。
 



 ようやく出て来たハムスターが、泥で汚れたシャツをたらいで洗っている。
 ものすごく必死に汚れを取ろうとしている。どうやら私同様、混乱しているようだ。




「溶けません。あの……だってあれほら私人間なんで。あ。汚れは落ちるかも」

「っ…………」

 風が起こるほどの勢いで熱が離れた。

「…………?」

 居なくなった。圧迫感がなくなった。

 私は、恐る恐る視線を動かした。本当は見たくないけれど。見るしかない。

 どうしよう。今度はどんな顔してるんだろ。何言われるんだろ。こわ。

 などと慄きながらもなんとか、首を正面に向けた。
 すると。

 ヘイツは、中腰で私を見下ろしたまま、固まっている。心なしか……いや、あきらかに顔が赤いのはなぜだろうか。

 今の会話にキラーフレーズがあったの? どこ? 
 汚れが落ちる……で汚い女だと思われたとか…………?。
 うん。まあ。どうしたのかとかもうどうでもいいや。とにかく今のうちに体勢を立て直そう。

 私は、なるべく音をたてないように起き上がり、服の乱れを治し。ちょっとずれかけたパンツを、服の上から直し。
 情けない気持ちになりつつ、立ち上がった。

「あのヘイツさっ」

「アンタはおかしい」

 きっぱり断言された。その言葉。そのままバットで打ち返してやりたい。

「いや……おかしいのは俺か?」

 打ち返せた。気付かぬうちに打ち返せてた。
 っていうか自問自答してるようだ。

 ヘイツは瞬きもせず、どこか虚空を見つめ、ボソボソと独り言みたいなのをつづけた。

「もうこの世界にしか居られないのに」

「え?」

「居なきゃいけないって…………ずな……のに……俺」

 かなり早口で、聞き取りにくい。

 独り言だろうけれど、様子が変だ。ずっと変だけど。かなり変だ。

「ありえない。俺は無理やりここに……ここは地獄だ……彼女が連れて来た……俺の場所」

 体調が悪いわけじゃなさそうだが。ほおっておいていいようにも見えない。

「俺は……僕は……」

 何といっていいものか考えていると、ヘイツは動かなくなってしまった。

 数分待ってみたが、動かない。声をかけても反応しない。

 これは……大丈夫かな。

 と数十回思って。いったん伸びをして落ち着き。我慢出来なくてお手洗いに行って帰って来て。それでもまだ微動だにしていなかった。

 ので。
 思い切って使妖精を呼び、ヘイツを自室へ連れて行って貰うよう頼んだ。

 使妖精は二つ返事。ヘイツの背中をそっと押し、部屋から出て行った。

 出て……行った。出て行ってくれた。何事もなく。袖ちょっと破れたけど。ほぼ無傷で。

「よ……っし」

 もう駄目かと思った。割と駄目だったけど。まあギリギリ貞操は守れたからいいか。いやいや貞操って……いや、そんなんじゃないかもしれないじゃない。ヘイツがまさか。ないないないないな……。

 ああなんか無理。私は一体どうすればいいのでしょうか。ハム様。神様。仏さま。



『あなたが落としたのは銀の……』



 はい。おっけーです。



 湖の真ん中にて、古代ギリシャ人的な恰好のハムスターは、最期まで聞いてもらえなかったショックにより、ピシピシと固まって石像となり、やがて両耳から水を噴出す噴水となった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

【完結】死がふたりを分かつとも

杜野秋人
恋愛
「捕らえよ!この女は地下牢へでも入れておけ!」  私の命を受けて会場警護の任に就いていた騎士たちが動き出し、またたく間に驚く女を取り押さえる。そうして引っ立てられ連れ出される姿を見ながら、私は心の中だけでそっと安堵の息を吐く。  ああ、やった。  とうとうやり遂げた。  これでもう、彼女を脅かす悪役はいない。  私は晴れて、彼女を輝かしい未来へ進ませることができるんだ。 自分が前世で大ヒットしてTVアニメ化もされた、乙女ゲームの世界に転生していると気づいたのは6歳の時。以来、前世での最推しだった悪役令嬢を救うことが人生の指針になった。 彼女は、悪役令嬢は私の婚約者となる。そして学園の卒業パーティーで断罪され、どのルートを辿っても悲惨な最期を迎えてしまう。 それを回避する方法はただひとつ。本来なら初回クリア後でなければ解放されない“悪役令嬢ルート”に進んで、“逆ざまあ”でクリアするしかない。 やれるかどうか何とも言えない。 だがやらなければ彼女に待っているのは“死”だ。 だから彼女は、メイン攻略対象者の私が、必ず救う⸺! ◆男性(王子)主人公の乙女ゲーもの。主人公は転生者です。 詳しく設定を作ってないので、固有名詞はありません。 ◆全10話で完結予定。毎日1話ずつ投稿します。 1話あたり2000字〜3000字程度でサラッと読めます。 ◆公開初日から恋愛ランキング入りしました!ありがとうございます! ◆この物語は小説家になろうでも同時投稿します。

目が覚めたら夫と子供がいました

青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。 1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。 「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」 「…あなた誰?」 16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。 シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。 そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。 なろう様でも同時掲載しています。

転生したら攻略対象者の母親(王妃)でした

黒木寿々
恋愛
我儘な公爵令嬢リザベル・フォリス、7歳。弟が産まれたことで前世の記憶を思い出したけど、この世界って前世でハマっていた乙女ゲームの世界!?私の未来って物凄く性悪な王妃様じゃん! しかもゲーム本編が始まる時点ですでに亡くなってるし・・・。 ゲームの中ではことごとく酷いことをしていたみたいだけど、私はそんなことしない! 清く正しい心で、未来の息子(攻略対象者)を愛でまくるぞ!!! *R15は保険です。小説家になろう様でも掲載しています。

使えないと言われ続けた悪役令嬢のその後

有木珠乃
恋愛
アベリア・ハイドフェルド公爵令嬢は「使えない」悪役令嬢である。 乙女ゲームの悪役令嬢に転生したのに、最低限の義務である、王子の婚約者にすらなれなったほどの。 だから簡単に、ヒロインは王子の婚約者の座を得る。 それを見た父、ハイドフェルド公爵は怒り心頭でアベリアを修道院へ行くように命じる。 王子の婚約者にもなれず、断罪やざまぁもされていないのに、修道院!? けれど、そこには……。 ※この作品は小説家になろう、カクヨム、エブリスタにも投稿しています。

すべてを思い出したのが、王太子と結婚した後でした

珠宮さくら
恋愛
ペチュニアが、乙女ゲームの世界に転生したと気づいた時には、すべてが終わっていた。 色々と始まらなさ過ぎて、同じ名前の令嬢が騒ぐのを見聞きして、ようやく思い出した時には王太子と結婚した後。 バグったせいか、ヒロインがヒロインらしくなかったせいか。ゲーム通りに何一ついかなかったが、ペチュニアは前世では出来なかったことをこの世界で満喫することになる。 ※全4話。

悪役令嬢が死んだ後

ぐう
恋愛
王立学園で殺人事件が起きた。 被害者は公爵令嬢 加害者は男爵令嬢 男爵令嬢は王立学園で多くの高位貴族令息を侍らせていたと言う。 公爵令嬢は婚約者の第二王子に常に邪険にされていた。 殺害理由はなんなのか? 視察に訪れていた第一王子の目の前で事件は起きた。第一王子が事件を調査する目的は? *一話に流血・残虐な表現が有ります。話はわかる様になっていますのでお嫌いな方は二話からお読み下さい。

悪役令嬢に転生したら手遅れだったけど悪くない

おこめ
恋愛
アイリーン・バルケスは断罪の場で記憶を取り戻した。 どうせならもっと早く思い出せたら良かったのに! あれ、でも意外と悪くないかも! 断罪され婚約破棄された令嬢のその後の日常。 ※うりぼう名義の「悪役令嬢婚約破棄諸々」に掲載していたものと同じものです。

処理中です...