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回想~ヘイツ救出話~

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 大量の枯れ葉でカモフラージュしたロープを太い木に巻き付けてしっかり括り、もう一方の先端を自分の左腕に巻き付けて、ロープを地面に這わせるように置き、所定の木の影に隠れる。
 フードをかぶって髪を中に入れ、深呼吸。足音に耳をすませるが、まだ聞こえない。

 時計を確認。あと三十秒だ。
 目を閉じて十秒。目を開けて十秒。

 落ち着いてゆっくり十秒。

 すると後ろから突風が吹く。

 周囲の枯れ葉が舞い上がり、どこからかリボンが飛んでくる。
 
 軽い足音……ヘイツだ。

 私は、駆けてくるヘイツの姿を手鏡で確認し、崖の際にしゃがんだ。
 もう見なくてもわかる。
 五……四……三……崖の上に飛びあがろうとするリボンに手を伸ばしたヘイツが足を踏み外ーー

 今だ!

 私は、モフモフマリモと合体して崖から飛び降り、岩肌を蹴ってスピードをつけながら、ヘイツを空中キャッチした。

 全身に走る衝撃っ。

 唇を噛みしめて声を殺し、両腕に力を入れる。
 もうこれで何度目か、今度こそ彼を落としはしない。

 気合を入れて短く息を吸い込み、次の動作に移ろうとした瞬間。
 アイスブルーの瞳が、朝焼けの水面のような輝きで、私を映した。

 大丈夫。あなたは死なない。

 私はロープを握りしめ。自分でも信じられないような脚力で岩肌を駆け上がり、崖上に辿り着いた。
 地面に両足を付けた途端、モフモフマリモが体から飛び出して消える。

 数秒程度の合体なら体への負担が少ないとわかり、崖下での待機時間が比較的短くなる方法として、振り子の原理と変身時の脚力を利用して空中キャッチするという漫画みたいな方法を取ったわけだが。

 何度やっても死ぬほど怖い。もうやりたくない。ほんと二度とやりたくない。ここまでの道程だって、リリファリアの体力では相当きつかったし。これで最後にしたい。
 
 沸き起こる喜びを嫌な記憶で相殺。気持ちを落ち着け、ヘイツを引っ張って木の影に隠れる。

「っくそ! 落ちやがった」

 ヘイツを追いかけて来た監視の男が、慌てた様子で崖下を覗き込み、悪態ついて施設のある方へ戻って行った。

 今のうちだ。
 ヤツが他の仲間を連れてくる前にここを離れなければ。

「ロープ回収してくるから待っててくれる? えっと私は怪しいものではなく……」

 言い切る前に頷くヘイツ。

「あ……じゃあよろしく」

 予想外の素直さに不安を覚えたが、まあいい。
 踵を返してロープを取りに行こうとして……

「回収してまいりました」

「っ!?」

 口を両手で押え見上げると、フスタフの使妖精がすぐ傍に立っていた。

「っくりした。下で馬見張っててって言ったよね?」

「馬は大丈夫です。奴らが来る前にさっさと下山しましょう。上ったときと同じように私があなたを背負って走りますので」

「あ……」

 そんなに高い山じゃないと意気揚々山登りしようとしたら、途中でへばってしまい、使妖精に背負って貰うという、姥捨て山的な絵面でここまで来たわけだが。思えば下山のことまで気が回ってなかった。なにせなかなか成功しないもんで。

「来てくれて助かった……けど」

 使妖精の登山スピードはものすごく早い。このほそっこいヘイツがついてこれるとは思えない。

「あの。先にヘイツを背負って降りて貰えたらありがた……」

「妖精の道は?」

 私を無視してヘイツに問う使妖精。
 ヘイツは、使妖精とろくに目も合わせずにコクっと頷いた。
 
「では下で落ち合いましょう」

「え? ちょっと何? 下でってふおっ」

 何のことかと聞こうとしたら使妖精に両手を引っ張られ、あっという間に来た時と同じように背負われた。

 回線を切っていることが原因なのか、フスタフの使妖精はたまに強引なときがある。私が言う前に勝手に動くっていうか……今はそんなのどうでもよくて。

「いやあの私はいいんだけどヘイツがねっ」

 使妖精の背中の上からヘイツに手を伸ばしたら、ぎゅっと両手で握り返された。
 なんとも恭しいその態度に戸惑った瞬間。

 私を見上げるヘイツの姿がまるで蜃気楼のように消えた。

「ええっ?」
 
「では私たちも行きましょう」

「えっ? うわっ」

 私は何が何だかなすすべもなく。
 揺れる使妖精の肩にしがみついた。




『妖精の道というのは、妖精と妖精一族しか使えない、風のごとく移動できる便利な道のことだよ』




 という感じのことを道半ばハムスターに教えて貰ったが、そんなことが出来るなら、ヘイツはいつでもここから逃げられたはずじゃないかという疑問が沸き起こった。

 どういうことか本人に聞けば答えてくれるかな。
 たまに常識の範囲内のことを聞いてしまって不審がられることもあるから、この世界の人になぜ? って聞くのも難しいとこなんだよね。

 いつものごとくグルグル考えていたら。
 ついさっき消えたはずのヘイツが目の前に居た。

「あ……あれ? もう麓」

 麓のどこで待ち合わせとか、細かいことは言っていなかったはずだが。
 馬を隠している場所にヘイツの方が先に来て待っていた。

 これも妖精一族の力とか? 
 まあでも、ここまで来ればひとまずは安心だ。崖下へ降りる道とは離れた場所だし。

 あとは、ヘイツに今後のこととかいろいろ説明……の前に現状をわかってもらはなければ。

「あのねヘイツ」

「僕。戻らないといけない」

 初めて聞いたその声はまだ細く、けれど凛と響いた。
 
「戻るって……どこに?」

「山の施設」
 
「…………えっ!?」

 理解が遅れた。
 てっきりセリエンディだと思っていたので、山の施設ってなんだったっけと考えてしまった。

「それは……えっと。どうして? 理由があるの?」

 焦らず慎重に。押さえた声で聴く。

「僕が逃げたらみんなが殺されるから」

「………………………え」

 あまりにあっさりいうもんだから、また理解が遅れに遅れた。

 殺されるって……。

 幼い声から発せられた物騒な言葉の意味。

「………………えっと…………え……」

 ついさっき抱いた疑問は払拭された……されたけども……大きすぎる問題が。

 だってみんな。みんな殺されるって。みんなって施設の子ってことだよね。それ以外考えられない。それって何人……いや、人数の問題じゃない。
 死なせないために動いて誰かを死なせたら元も子もないことに。

 ドウシヨウ。

「あちらさんはヘイツが崖から落ちたと思ってる。下は激流だ。死体の確認まではしないだろう。死んだってのは逃げたということにはならない」

 使妖精が静かに、ちょっと偉そうに意見した。
 
 確かにそうだ。こっちの都合で死んだことにしたかっただけではあるが、逃げたんじゃなくて死んだのなら、他の子に影響ない……はず。死んだふり作戦も二重に生きてくる。

「それでも、僕だけ逃げるなんてできない。中には帰る場所さえない子も居る。あそこが家だって思ってる子もいるんだ。だから……一人だけ逃げるなんて出来ない。僕は見送りに来ただけで……」

 私が想像していたのと違う。物語冒頭で、己の運命を悔いて自殺するような弱弱しい王子様には見えない。

 はなから逃げるつもりなんてないから、私が何をしに来たのかとか、なぜ自分の居場所がわかったのかとか、私が誰なのかとか、聞かなかったんだ。

 ってことは彼の決意は固い。ものすごく固い。
 
 だからといってこのまま施設へ帰らせるなんて出来るはずない。




『後々ヘイツの母が、私兵を送って施設を壊滅させるよ。他の子供たちがその後どうなるかはわからないけど、殺されることはないだろうし。施設からは出られるよって教えてあげたら?』



  
 教えるっていったって、その情報肝心なところがいい加減すぎるし、それを証明する術もなにもないし。
 
「さようなら。天使様。僕はもう何もいりません。あなたがくれたコレがあるから」

 天使様ってなんぞ?

 私は疑問に思いつつ、ヘイツが差し出した物……落ちそうになってまで掴んだ例のリボンを。
 その手から奪いとった。
 コレがあるからと言われ、反射的にそうしてしまった。

 ヘイツはきょとんとした顔で私を見上げている。

 何か……何か言わねば。彼の強固な意志を曲げるような、こう……画期的な……格言的な……。

 私は、ポケットに手を突っ込み、入れていたものを取り出した。

 これは、ミーキアが書いてくれた郷への手紙だ。これを持って郷へ行けば、受け入れてくれるっていう。本来なら、ヘイツに使ってもらおうと思って、いろいろ手配してきたものだ。

 けれど。

「あのね。あの施設はもうあと数日で解体されるの」

 私は、財布を取り出してありったけのお金を出し、手紙が入った封筒に押し込んでヘイツに渡した。
 ヘイツはまだ何事かという顔で私を見上げている。

「だから子供たちはあの施設から出られる」

「でも……」

「行き場のない子は、この封筒の中に地図と手紙が入ってるから。あとお金今入れた。えっとその地図に示してある場所、この近くなの。そこに暮らしてる人が、私の知り合いの郷に連れてってくれるから。そこで面倒みてくれる。みんな地図とか読める? 引率してくれそうなしっかりした子が居たらいいんだけど、もし居ないなら」

「わたしが」

 使妖精が胸に手を当てて頷いた。

「使妖精さんが助けてくれるって。それにもしかしたらだけど、施設を解体した人たちがちゃんと考えてくれるかもってのもあるし。えーっと見捨てたりしないから大丈夫。最悪戻……じゃなくてとにかく大丈夫」
 
 慌てていろいろ言ったら、わかりにくい感じになってしまった。大丈夫という部分だけ協調して、うさん臭かったかもしれない。
 信用を得ようとしてお金を出すという、毎度コレしか思いつかない私って一体。

 内心動揺しまくりなのが顔に出なくて助かった。

 ヘイツは黙ったまま、じっと私を見ている。その表情からは、何を考えているのかまったく読めない。

 やっぱりお金じゃ駄目か。
 ってことは……。

「ヘイツは、あそこが家でいいと思う? いくら行き場がないからって、あそこが帰る場所でいいの? ずっとそれでいいと思ってる? 私を信じて。私と一緒に来てほしいの。生きてほしいの」

 飴と鞭的なことをしようとして、意地悪な質問の後すぐ正義感バリバリな言葉を並べ立てた。

 怒らせてしまうかもしれないけれど、この見ず知らずの女にかけてみた方がマシなのではないかと思わせる作戦……。

「いいの?」

「……へ?」

 私が渡した封筒を己の胸にあて、アイスブルーの瞳を輝かせるヘイツ。

「あなたと一緒に生きてもいいの?」

 今の言葉を信じてくれたのだろうかとか疑う余地もなく、その瞳からは信頼を越えた何かが溢れ出んばかりにキラキラと……キラキラの奥に少しゾッとする気配も感じたが。
 
 信頼っていうか信仰っていうか。
 なんだろうこの全幅な感じは。
  
 っていうか納得するの早くないかな。会話の主導権……奪われてないよね。

 まさか、さっきの変身見られてた? 髪は隠したし、背中は見られないようにしたし。人外のものだと思われてるってことないよね。天使とか言ってたけど。

「いいんだよね?」

「うっ……うんっ」

 私は、いろいろ考えなかったことにして頷いた。
 なんだか今はその方がいいと思い、強めに頷いた。

 ヘイツも、ギュっと封筒を握りしめ、頷き返してくれた。小声で、あなたと一緒に行く……と呟いて。それが少し可愛くて胸がキュっとなった。

 まだ殆ど説明出来てないんだけど。
 まああれだ……気が変わらないうちに。

「じゃ……」

「じゃあコレ届けてくる」

 先にじゃあされた。

「いやいやいやっ戻ったら駄目だって」

 私は、ヘイツの服をひっぱり、消えられないよう全身で、ほとんど抱きしめる感じで引き留めた。

「…………」

 腕の中、キラキラした瞳で私を見上げるヘイツ。

 っていうか。忘れてたわけじゃないけど。流れでこうなったんだけども。

 これをどうやって施設に居るヘイツと同じような境遇の子たちに届ければいいの? 
 あと、これを渡してしまったらヘイツをどこへ匿えばいいの?

 じわじわにじみ出る焦りをハムスターが必死に拭き取っているが、全然間に合わない。

 考えなきゃ。なんとかして考えなきゃ。
 
 そうだ。オルレシアンの知り合いのところに暫く預かって貰って、その間にミーキアにもう一度郷に連絡と手紙を書いてもらって。
 いや……でもオルレシアンの知り合いに今すぐ預けに行っても迷惑か。案内しか頼んでないのに。もう手間賃とかもないし。

 お金。なし。考えなし。

「と……取りあえず私が届けて来るから」

 どうやって? と思いながらも、ヘイツから体を離したら、横からニュっと伸びた手に、手紙を奪われた。

「私がこっそり届けてきます。お二人は馬で先に戻ってください。ヘイツ、馬乗れるな?」

「ああ」

 さっきまでのキラキラはどこへやら、不愛想な返事をするヘイツ。

「え? でもあなたはどうやって戻るの?」

「私は妖精ですから。道を使えます」

 あ。
 じゃあ届けるのも簡単……ってことだろうか。

「じゃあ……あの……お願…………」

 すでにありとあらゆることを頼みまくっているが、これは丸投げするみたいで気が引ける。
 しかし今はこれしか方法がないのも確かで……。

「お願いします」

 頭を下げた。

「了解しました」
 
 使妖精が、ふっと笑った。思わず漏れたようなその笑みは、どこかで見た覚えがあるようなないような。
 安心感を覚える笑みだった。

 私は、いっきにほっとして、ヘイツを見た。

「ヘイツも、それでいい?」

「うん」

 ヘイツも納得してくれたし、これでなんとか……なんてこともなく、その後良案浮かばず。
 一緒に行くと約束したんだと嬉しそうにするヘイツの様子にも逆らえず、結局セリエンディの自室に連れて帰るという危ない橋を渡ることになってしまった。
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