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第七話

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 女性たちが去って数分。私は未だ彼の腕の中だ。

『お前……目が悪いのか?』

もの凄い至近距離で、彼が何か言った。

「あのーもう大丈夫なので。その。降ろしてもらってもいいですか? って言ってもダメか……」

 足をパタッと控えめにバタつかせると、彼は無反応で、けれど腕の力が緩んだので、ストンと地面に足が着いた。距離がすごく近いままだけど。

『その言葉……山域の者か? だとしたらなおの事、異種族間の子を嫌うはず……。おまえ、どういうつもりかわからんが、王妃に目をつけられたぞ』

 あれ? クレームつけられてる? どうしよ。お礼が足りない?

 私は、彼からやんわり体を離し、精一杯頭を下げた。

『ありぅがとうござぁいますた!』

 そーっと顔を上げると、彼は、なんとも言えない、微妙な顔をして固まっていた。

 どうしよ。これじゃなかった?

 私は迷った。 『僕がやる! 』 は違う。『こんにちは! 』 も違う。『ありがとう』 は二回言ったけど、ご納得頂けてない。

 ちゃんと言えそうな言葉はあと二つだけしかない。そのどちらかを言うとしたら……。

『たわしの、にゃまえは、フクでぇいす。よろしこー』

 この世界の正しい自己紹介は、こう言いながら両手の平を差し出し、その上に相手が手を乗せてくれたら、それを自分の鼻先をつけるという、スキンシップ過剰な外国スタイルだ。今までは、ハミグとうさ耳さんとフラミアさんという、女性と子供にしかやったことがないため、彼のようなイケメンにやるのは恥ずかしいが、やるしかない。

『まさか……言葉……殆どわからないのか? そんなんでどうやってここへ……』

 彼は何か呟いて、眉間に皺を寄せ、私の手の平の上に、黒い鱗のついた大きな手を、出すには出したが、なかなか乗せてくれない。

 これはどういう意味? 紳士の礼儀とか? 待つの? こっちからいくの? いやでも待つとしても間が持たない。

 一か八か!

 私の方から取ってみた。

 何も言わず、私の事を見下ろしたまま、口だけ薄っすら空けて、動かない彼。

 何も言わないってことはコレで良いと?

 私は、彼の手をそっと持ち上げて鼻先をチョンとつけたものの、慣れない恥ずかしさで照れ笑いしながらすぐにその手を解放した。

 出来たかな?

 期待を込めて見上げると、彼は、目を逸らし、頭を掻いて、肩を落とし、うなだれたかと思いきや、顔を上げた。

『俺の名は……名前は、リリョス……でぃす』

 心なしか、棒読みのような。けれど、ゆっくりと名前を発音してくれた。

「りりょっリリョス!」

 私は、自己紹介が返ってきた喜びと緊張で、彼が手の平を出す前に、手を突き出し、弾んだ声でその名を呼んでしまった。

 やってしまったー! ということに瞬時に気づいたものの、もう引っ込められない。

 恐る恐る目の前の彼、リリョスさんの顔色を伺うと。

 眉間の皺は消え、近寄りがたさ……というか、カリスマ、色気……纏っていた何かが霧散したような、とても無防備な表情に見えた。

 私は、何か……言い知れぬ不安、味わったことのない衝動、よくわからないものを胸の奥に感じて……どうしようもなくて、ほとんど無意識に足踏みした。

『ああ』

 リリョスさんは、たぶん私が作法を間違えたのと、足踏みで催促したみたいになったせいで、手の平を出さず、私の手を無造作に取って自分の鼻先まで持って行こうとしたが、二人の間に距離があるわ、彼の背が高いわで届かなかった。

 私はもう自らの失態続きに顔が熱くなり

「すみませっえ!?」
 
 諸々謝って前に出ようとしたら、リリョスさんが跪く方が早かった。

 少し前、同じ事をされて、罠に嵌ったからか、リリョスさんの燃えるような赤い瞳に魅了されているからか、また体が動かない。

 私の手が、ゆっくりと彼の鼻先へ近づいていく。

 心臓がバクバク高鳴る。

 私は、緊張のあまり、手に力を入れまくった。

 すると、触れる直前で

『……』

 ポイッと手を離された。

 あれ? 鼻先当たったかな? よろしくできた? もしかして当てるフリが正しいの? よく考えたら鼻の油気になるし……ありうる? でもハミグもフラミアさんも……当ててたよね。やっぱり私がいろいろやらかしたせい?

 首を傾げながら見上げると、リリョスさんは深いため息をついた。

『おまえ、そのままじゃ悪い奴につけ込まれていいようにされるぞ……まぁこの小屋に居る時点でなんかあったんだろうが……って言っても無駄か』

 どーしよーなんか言ってるけど。もう持ち合わせ言葉がない。
 
『その不安そうな顔もやめておけ……』

 私は、今日までのコミュニケーションを必死に思い返した。

 私の返事を待っているのか、リリョスさんは、また眉間にしわを寄せ、じーっと私のことを見ている。

 睨まれてる。

 そういえば、魚のおばさんもはじめはすごく睨んできてた。けど、挨拶したら飴玉くれて……あれは結局大事にしすぎて食べ損ねた。女子寮の枕の下に入れたままだ。

 おばさんどうしてるだろ。お別れも言えていないし。お別れ……。

 私はピンと来た。

『じゃあまたぬぇ。リリョス』

『……ん?』

 これはたぶん別れ際に言う言葉のはずだ。

 話途中にばいばーいと言われたら……いい気はしないだろうけれど、笑顔で言えば、用事があるから、そろそろお暇しますわ、に見えるかもしれない。

『またーねぇ』

 もう一度、満面の笑みを心がけて言うと、彼は、何度か小刻みに頷いて 『ああ。……だな』 とか曖昧な返事で、背を向けて渡り廊下に向かって歩き出し、一度立ち止まって……額を抑え、去っていった。

 どうやら、空気を察してくれたようだ。表情は険しいばかりだけど、いい人かもしれない。

 私は、深呼吸してから、彼がいた場所に落ちていた葉っぱを拾った。
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