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3話 『聖女』マリア

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 修道院は思っていたより広く、そして私にとっては場違いもいいくらい清々しい場所だった。
「ここがアルマージュ修道院。そして、わたくしはマリアと申します。以後、お見知りおきを」
 赤毛赤目の少女は白いシスター服に身を包み、異世界からやった来た私を出迎えてくれた。
「彼女は幼馴染のマリア。彼女も女神『』様からお告げがあって、『』の肩書きを貰っているんだ。マリア、この子はジュリア。異世界からやって来た僕の未来の花嫁さ」
 おいおい、紹介が間違っていますよ、勇者ロランさん。いつ、私が結婚を承諾したのかな?
「花嫁は違うわよ、ロラン。一週間の約束でしょ」
「あらあら。何やら複雑そうですね。でも、貴女が何者であろうと、ごゆるりとお過ごしくださいまし」
 『聖女』と言われるだけはある、後光が射すかのような笑顔に聖母のような優しい声。このマリアという少女にはとてつもなく神々しいオーラがあった。
「貴女に女神『ディス』様のご加護のあらんことを」
 手話のような祈りを私に向けて行うと、マリアは早速私を修道院内の様々な場所を案内してくれた。
 食堂、礼拝堂、風呂場、庭、談話室、そして私が泊まる部屋へ辿り着いた時、窓の外は夕暮れになっていた。
「ここがジュリアさんの部屋です。少し埃があるかもしれませんが・・」
「そんなこと、全然気にしないよ。凄く良いお部屋。ベットもあるし、十分すぎるよ」
「それは良かったです。これから夕食に致しますので、食堂へ向かいましょうか」
 食堂へ向かう途中、私は気になっていた疑問を聞いてみることにした。
「あの、マリア様はロランと幼馴染なんでしょ?」
「マリア、でいいのですよ。彼と私は孤児なので幼い頃からこの修道院で一緒に暮らしてきました」
 孤児。孤児って確か、親がいないってことよね。悪いこと聞いちゃったかな。
「そんな顔、なさらないでください。孤児の人間はこの修道院に沢山います。それに私達はそれを不幸とは思っていません」
「ごめん。私、失礼な態度だったかな。孤児の人とか私のいた所では近くにいなかったから」
「それは・・とても素晴らしい世界なのですね、ジュリアさんのいた異世界は」
 私は今までの人生を振り返ってみる。私の住んでいた東京では人が多くて、私にはお母さんとお父さんとお兄ちゃんがいて。
 今になって気づく。当たり前だと思ったことが本当は凄く幸せなことなのだと。
「そうだね。マリアの言う通りだよ。私には勿体ないくらい」
「・・・。あ、食堂着きましたね」
「ジュリア!さぁさぁ、僕の隣が空いているよ♪」
 ああ、このポジティブ勇者様は空気を読むということができないのかしら。
「はいはい。隣に座るくらいならいいわよ」
「あら、仲が宜しいのですね」
「良くない!良くないから!」
 夕食はクリームシチューのような物と私がいた世界で見たことがあるような野菜のサラダにご飯だった。
「お口に合いますでしょうか?」
「凄く美味しいです!このサラダってトマトとレタスですか?」
「はい。それはトマトとレタスですよ」
 良かった~!異世界にもトマトとレタスは在ったよ、お母さん、お父さん!
「良かった~!ジュリアが笑顔になってくれて」
「へっ?何言ってんのよ」
 本当に何言ってくれてんの、このイケメン勇者様は。そして、なにを照れている私!
「あの、本当に後片付けとか手伝わなくていいの?」
「ええ。わたくし達に任せてください。ジュリアさんはお客様ですから」
 うう。なんか悪いなあ。でも、この天使スマイルには抗えない。
「あー極楽、極楽。お風呂までいただいちゃって、異世界とは思えない心地良さだわ」
 浴場で体を洗い、鏡で己の体の隅々を観察する。見た目は元いた世界と全く変わらない。
「でもここは別の世界なんだなあ。私、これからどうなっちゃうんだろう」
 一週間。その間に私は結婚か牢屋行きかを選択しなければいけなくなる。
「イケメンはイケメンだけどさー。結婚とかは流石に無理でしょ。でも牢屋なんて考えただけで背筋がっ!」
 とにかく、どうにかしなくては。 
 私は結局、風呂場から自室に戻っても、具体的な解決案が思い浮かばず、一人悩んでいた。
 コンコン。ノックの音がする。
「どうぞ」
「夜分遅くにごめんなさい。マリアです」
「マリア、どうしたの?何かあった?」
 ここに来た理由を尋ねるとマリアは暫し逡巡した後、私に向き直り言う。
「あの、異世界のお話、もっと聞かせて貰えますか?」
 日は暮れている。窓の外には月が見える。私は所在無さげのマリアの両手を取って部屋へ招き入れる。
「いいわよ。その代わり、私にもこっちの世界のこと教えてくれる?」
「は、はい!喜んで」
 それから私達は色んな話をした。私のいた世界のこと、マリア達の世界の女神様や国やこの街のこと。
 そして、私は話した。向こうの世界で死んでしまったこと、気づいたら空中にいたこと。ロランに姫抱っこされたこと。一週間以内に結婚を迫られていること。
「それは、とても大変でしたね」
「そりゃあもう大変、大変過ぎてもう逆に冷静になってきたっていうか」
 マリアはそう言って笑う私をぼんやりと見ていた。
「とても辛かった、ですね」
 そう言うのと同時に、マリアは私を背中から抱き締めていた。
 ぎゅっと、背中からマリアの体温が伝わってくる。
「・・・うん。・・・っ・・う、ん゛」
 涙が、絶対に流すまいと思っていた涙がとめどなく溢れてくる。
「あ゛あ゛、・・・ひっく、・・」
「いいんですよ、泣いて。私がこうしていますから」
 私はマリアの思ったよりも大きな胸に埋まって泣いた。子供のように、みっともないくらいに。
 だって、ずっと悲しかったのだ、死んだことが。受けとめきれなかったのだ、私を誰一人知らない異世界にいきなり放り出されたことが。
 その夜、私が疲れて泣き止み眠るまで、マリアはずっと私を抱き締めてくれていた。
 マリアが『聖女』と言われる意味が今、分かった。
 意識が、深い深海へと沈んでいくような感覚の中、【おやすみなさい】というマリアの声が聞こえた気がする。
『ようこそ、ジュリア』
 声が。あのインチキ占い師の声がする。私は目を開ける。
 白くて、何も無い空間に私は座っていた。
『このラウンドバードで、貴方はもう既に運命の人達と出会いましたね』
『ちょっと、このインチキ占い師!私、いきなり死んで、異世界に転生?しちゃったんだけど?!』
『フフ。それはそうなる運命だったのです』
『それじゃあ、あのイケメン勇者様と結婚するのも運命だって言うの?!』
『それは、貴方が決める事。それより今は一つ、助言をしましょう』
『助言?』
 姿の見えないインチキ占い師はフフ、と笑ってその続きを言う。
『【マリア】。あの子には気をつけなさい。なにやら邪気を感じます』
『マリアに【邪気】?!あんなに良い子の悪口なんて許さないわよ!』
『助言はしましたからね。これからも見ていますよ、この【ディス】が』
「なによ、【ディス】ってこの世界の女神と同じ名前じゃない!って・・」
 起き上がった時には翌日の朝になっていて。インチキ占い師の声は消え、マリアの姿は私の部屋にはなかった。
 夢だったのか、と思って己の顔を鏡で見て悟る。夢じゃない。鏡には目元が赤く腫れた情けない自分の姿が映っていたのだ。
「でもインチキ占い師は夢だったかも・・」
 朝食を食べている時、さも当然のように隣の席に座るロランに「目が腫れている」と心配されて。
 洗濯や掃除をしようかと申し出てもマリアは天使の微笑みで丁寧に断ってきて。
「なにか、すること無いかなー」
 そういえばロランはいつも何をしているのだろう。昨日は噴水広場にいたことは知っているけど。
「マリアに聞いてみようかな」
 ロランが何をしているか等、ただの口実にすぎない。私はマリアが好きだ。
 たぶん、この異世界で唯一信頼できる人物と言っても過言ではない。
「ここがマリアの部屋か」
 コンコン。ノックをしてみる。1分ほど待ってみたが何の反応も無い。部屋にはいないのだろうか。
「しょうがない、外でも行って・・アレ?」
 マリアの部屋のドアの下、僅かな隙間に何かが挟まっている。
「うーん、と。なんだろ、コレ」
 ドアを開けて挟まっていた物の正体を確かめると、それは紺色のハンカチのような物で、よく見ると見慣れない文字や紋章が刺繍されていた。
 なんとなくだが、紋章と文字がやや禍々しい雰囲気を醸し出していて、神聖そうなマリアのイメージから遠く離れていた。
「まさか、ね」
 勝手に物を物色してはいけないと思い、マリアの部屋の机の上にハンカチを置くことにした。
 そして、これはただの私の勘だが、このハンカチをマリアに手渡したらいけないような気がしたのだ。
「思ったよりシンプルっていうか、もっと女の子っぽい部屋かと思ったけど」
 悪いとは思いながら、私はマリアの部屋を見渡す。
 机にベットに本棚。どこか殺風景と言えば殺風景だ。
「あら。ここにいらしたんですか」
 ビクッとしてドアの方へ顔を向けると赤毛のマリアが天使の微笑みで立っていた。アレ?足音聞こえたっけ?
「ジュリアさん。昨日から何か自分にできる事はないか、と仰ってましたよね」
 天使の微笑みを崩さないマリアはゆっくりと私に近づいてくる。
「では、ロランと結婚して頂けませんか。今すぐに」
「えっ?」
 マリアは相変わらず微笑を浮かべたままの表情だ。でも何故だろう、背中が寒い。
 壁を背にした私をじりじりと追い詰めるように迫ってくる。
 シャキンッ、シャキンッ
 にっこりと笑って、どこから出したのか大きな銀色の鋏を右手に持ち、私の喉元へ突き付けてきた。
「どうかわたくしのために、あの❝馬鹿❞なロランと結婚してくださいませんか」
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