異世界コンシェルジュ ~ねこのしっぽ亭 営業日誌~

天那 光汰

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6巻

6-3

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 一方、突然出てきた単語に、美希の目が見開かれた。

「神様?」
「そう、土地神様。今はのんびりしてるけどね。こう見えてもこの街の守護神なんだよ、ヒョウカは」

 優しげにヒョウカを見つめる恭一郎の様子から、嘘は言っていないと分かる。
 そして、美希がヒョウカへと視線を戻した瞬間、しっぽ亭はきらめく閃光に包まれた。

「ジャジャーン!! 呼ばれて飛び出て我登場!!」

 薄目を開けて光を見つめた美希の耳に、元気のよい口上が飛び込んできた。驚いた美希はあんぐりと口を開ける。

「ひょ、ヒョウカっ!?」
「ふふふ、お久しぶりですご主人様。ここは我にお任せください」

 光がすっかり消える頃、そこには女神へと変身したヒョウカが、これ以上ないドヤ顔で降臨していた。
 伸びないように、ヒョウカがTシャツを脱ぎ捨てる。あらわになったヒョウカの身体を、美希は唖然あぜんとして見つめた。
 途端に、ヒョウカの身体を氷のドレスが覆っていく。そして、みるみる広がる氷の翼。いきなり鼻先をかすめてきた翼の先端を、メオは咄嗟とっさに避けた。

「我こそが、エルダニアの守護神にしてご主人様の娘!! 氷の女神、ヒョウカ様ですッ!!」

 ビシィと、ヒョウカは自分が考え得る限りの格好いいポーズで美希へと宣言した。
 美希はぽかんと口を開けて見つめながら、恍惚こうこつとした表情で語り始めたヒョウカへと質問する。

「え? ひょ、ヒョウカちゃん? か、神様って……え? 娘?」
「ふふふ、その通り。そしてこのお方が我の大事なご主人様ですっ」

 理解が追いつかないうちに、ヒョウカのオンステージは進んでいく。誰も止めることができないまま、ヒョウカはここぞとばかりに恭一郎へ抱きついた。

「あっ! ちょっと! 神様がそんなことしていいんですかっ!?」
「神が人に恋して何がいけないというのです。先輩もそう言ってました」

 メオの尻尾が逆立ち、ヒョウカが唇をとがらせる。うぐぐとメオが拳を握るのを確認して、ヒョウカは恭一郎にしなだれかかった。
 ぐいぐいと胸を腕に押しつけながら、ヒョウカはちらりとアイジャをうかがう。

「ほら、ご主人様。大きすぎるのもいけませんよ。あんなおっぱいお化けよりも、我くらいのほうが丁度よいと思うのですが」

 上目遣いで恭一郎を見つめるヒョウカに、アイジャも流石さすがに頬をひくつかせた。つかつかと歩み寄って、ヒョウカから恭一郎を引き剥がす。
 ぎゃあぎゃあと騒がしくなるしっぽ亭の女性陣を、美希は呆然と眺めていた。
 そして、つい、くすりと笑ってしまう。

「あんたも大変そうね」

 ようやく逃れてきた恭一郎に笑いかけながら、美希は愉快そうに言った。
 まさか恭一郎がこんなことになっているとは。まぁそれでも、なんとなく原因は分かるというもの。

「だめよー、ちゃんとしないと」
「き、肝に銘じておきます」

 面目ないと頬を掻く恭一郎へ、美希は呆れたように微笑むのだった。



 2 異世界と、金属の動く箱


『そうだ。美希、お前の荷物持ってこないと』

 思い出したように恭一郎が手を叩いてから一時間後、アイジャを含む三人は美希がやってきた例の茶畑におもむいていた。
 もう夜なので翌日でもいいかという気もしたが、誰かが発見して騒ぎになっては困る。恭一郎としては、最低限、中の荷物くらいは回収しておきたかった。
 美希の個人的な荷物の回収もそうだが、最大の狙いはなんといっても目の前の物体だ。これを、アイジャに見てもらいたかった。

「へぇ、これが……」

 白い指先がピンク色の金属の表面をついとなぞる。あまりにも滑らかな感触に、アイジャは驚いたように指を引っ込めた。

「……はは。ちょっとこれは。凄すぎるねぇ」

 車の周りを歩きながら、アイジャは指先から車体へと微細な魔法を飛ばしていく。ほんのわずかな電気の余韻。アイジャは顔を困ったように歪ませた。

「どうです? 分かりますか」
「うーん。難しいね」

 畑のタイヤ痕を苦々しく眺めていた恭一郎が、くるりと顔をアイジャに向ける。
 アイジャはがしがしと前髪をかき乱した。

「正直、まったく分からん。高度すぎるね、これは。電気で動いてるのかい?」
「あー。言われてみれば、どうなんでしょう。電気も使いますけど、動力的には……ガソリン、燃える液体ですね」

 恭一郎は、唇に指を当てて考える。多少発電しているし、電気も色んなところに使っているのだろうが、詳しい車の機構なぞちんぷんかんぷんだ。
 恭一郎は、アイジャの様子を興味深げに見ていた美希に視線を向けた。美希も、私に分かるわけがないと首を振る。

「すみません」
「いやぁ、そりゃあそうだろ。技術者じゃないんだ、仕方ないさ。……まぁ、これを作るのは無理にしてもだ。何か使えるところがないか調べてみたい」

 そう言って、アイジャは美希の方へ身体を向ける。大きく揺れた胸に目を奪われていた美希は、きょとんとした顔でアイジャの瞳に視線を上げた。

「これ、あたしに売ってくれないか?」

 にかりと笑うアイジャに、美希はどうしようと眉を寄せて恭一郎に助けを求めた。


「おお、色々入ってるじゃん。全部持って行こうぜ」
「あっ、ちょっと。人の荷物勝手にいじらないでよっ」

 がさごそと、美希と恭一郎は車の中をあさっている。美希はいまいちピンときていないらしいが、日本の品々はこの世界では貴重だ。何でもないようなものでも、大切に保管しなければと恭一郎は目を光らす。

「ていうか、車でねこのしっぽ亭まで行けばいいんじゃないの? 運ぶ手間省けるし」

 免許証を睨みつけていた美希が首を傾げる。

「いや、無理だろ。自警団飛んでくるぞ」

 恭一郎は後部座席を確認しながら、即座に却下した。こんなものがエルダニアの街に進入してきたら、皆、何と勘違いするか分からない。それに、車はあまり動かさないほうがいいとも思っていた。
 どうやらガソリンは満タンに近いようだが、それでも限りがある。不用意に使うべきではない。そう思い、恭一郎は外で車を調べているアイジャに窓から声をかけた。

「この車、会社まで持って行きますか?」
「そうだねぇ。本当はあたしの部屋に持っていくのがいいんだが、そりゃあ無理か」

 アイジャと顔を見合わせて、恭一郎は流石さすがにそれはと苦笑した。店の壁を壊してこれを入れようものなら、さしものメオも怒るだろう。

「って、おおっ! 食料があるっ!」
「ん? あー、わたし買い物帰りに事故ったからさ」

 座席で見つけたスーパーの袋に、恭一郎は歓喜の声を上げた。後ろからのぞき込んだ美希が、それがどうしたのと恭一郎を見下ろす。

「ばっか。これ、すげぇお宝だぞ。……わぁ、カップ麺だ。久しぶりに見た」
「ふーん。まぁ、わたしにはよく分かんないし。恭一郎にあげるよ」

 ぽとりと落ちた美希の言葉に、恭一郎が驚いて振り返る。くれるんですかと、女神をあがめるように美希を見つめた。

「何よ、あげるわよ。そんなにケチな女じゃないっての」
「美希っ!!」

 恭一郎に抱きつかれてぎょっとした美希は一瞬顔を赤らめるが、テンションが上がりきっている恭一郎を見て呆れ、表情を戻していく。
 嬉しそうに買い物袋をまさぐる恭一郎に、美希はくすりと笑って腰に手を当てた。

「おっ。パンツ発見」
「おいこら」

 めきょりと、恭一郎の首がひねり上がった。


  ◆  ◆


「服、ですか?」
「そうそう。わたしの服、この街じゃ目立つからさ。服を買おうと思って。着替えも要るしさ」

 次の日、美希は朝食の準備をしているメオにそう話した。メオも、美希の奇抜な格好を見て納得する。

「あぁ、ならアランさんの店に行ったらどうですかね? ちょっとお高いですけど、恭さんと行けば割り引いてくれると思いますよ」

 メオの頭に、服飾屋の羊頭の青年が親指を上げた姿が浮かぶ。頼ってばかりな感じは否めないが、美希の服装はアランも興味があるのではとメオは思った。

「そっか、ありがと。恭一郎と行ってみるよ」
「それがいいですよ。恭さん、今日はホテルも休みですし」

 感謝する美希に、メオはどうぞとミルクがゆを差し出す。それを受け取って、美希は客席に腰掛けた。

「……しかし、何か不思議だわー。恭一郎が働いてるのって」
「そうなんですか?」

 ミルクがゆを口に運びもぐもぐと食べながら、美希はぽつりとこぼして店を眺める。そんな美希の言葉を、メオは意外だと受け取った。

「恭さん、働き者じゃないですか」
「うーん。まぁ、そうだとは思うんだけど。色々あって、故郷では仕事にけなくてね」

 恭一郎があんなことになった原因の大本は、就職活動の失敗である。あのとき支えてあげられていたらとも思うが、恭一郎がこちらで成功しているというのは美希にとっては朗報だ。

「……まぁ、そりゃそうか。恭一郎だもんね」

 恭一郎とて、やり直しを望んだはずだ。それが立派に成されていることに、美希の胸はほんのりと温かくなった。
 メオはそんな美希を、複雑な表情で見つめている。耳のことで色々あったんだろうなぁと、メオはそれ以上の追及を止めた。

「ふぁ。おや、お揃いかい」

 そうこうしているうちに、アイジャが二階から下りてきた。恭一郎よりも早い起床に、メオが驚いてアイジャを見る。

「ど、どうしたんですかアイジャさんっ!? こんな朝早くにっ!?」
「おいおい。あたしだって早起きくらいするさね。……ああ、そうそうメオ。ちょいと頼みがあるんだけどさ」

 寝ぼけまなこをこすりながら、アイジャはメオに視線を向ける。メオは、何でしょうと首を傾げた。それに、アイジャが申し訳なさそうに両手を合わせる。

「すまないけど、この店ちょいとぶっ壊していいかい?」

 メオの毛が逆立ったのは、言うまでもない。


  ◆  ◆


「研究所……ですか?」

 アイジャの言葉に、メオは怪訝けげんそうな顔を向けた。その顔を、二階から下りてきたばかりの恭一郎が心配そうに見つめる。

「そうそう。研究所。それを建てようと思ってさ」

 起き抜けのミルクを飲みながら、アイジャはうんうんと頷いた。メオは、不安げな表情でアイジャの話に耳を傾ける。

「はぁ。まぁ、いいんじゃないですかね。……で、何処どこに建てるんです?」

 メオもミルクに口を付けながら、気になる部分をアイジャに聞いた。アイジャはお金持ちだ。それに研究所ならば会社にとっても必要だろうし、迷うことはないのではと思う。

「この上」

 アイジャはにっこりと微笑んで指を上に向けた。指の先を追って、メオが天井を見つめる。

「……は?」

 メオの頬に汗が流れた。ようやくアイジャの言っている意味が伝わったのか――。

「って、にゃえぇえええええええっ!?」

 メオの叫び声。それに恭一郎も驚き、アイジャを見つめた。

「だ、駄目に決まってるじゃないですかっ!? ななな、なに勝手に研究所建てようとしてるんですかっ!!」
「勝手にじゃないだろ。こうして聞いてるんだから」

 身を乗り出すメオに、アイジャが唇をとがらせる。本気ですかとメオは目を見開き、それにアイジャはあっけらかんと頷いた。

「ほら。正直この店、宿屋としての機能果たしてないしさ。屋上も使ってないし、いっそのことあたしの研究所にでも使おうかと」
「つつつ、使おうかとじゃにゃいですよぉおおお! アイジャさんの店じゃないんですからっ!!」

 メオの尻尾がぼんと膨らむ。瞳を細くして珍しく猫化全開のメオに、恭一郎はおおと腕を組んだ。

「まぁまぁ。そりゃあ、ただで使おうだなんて、あたしも思っちゃいないさ」
「にゃう?」

 うなるメオの肩を、アイジャがぽんと叩く。
 そして胸の谷間から一枚の皮紙を取り出し、メオにほらほらと手渡した。

「場所の借り賃として、月にこれくらい。もちろん、施工費はあたし持ちだよ」
「あのですねぇ。いくら出されても、お店を売るわけに……にゃっ!?」

 眉を寄せ、怒ったように紙に目を落としたメオは、そこに書かれていた内容を見て驚愕きょうがくした。

「……え、えと。そそそ、そうですね。あの、その……」

 たらりと、メオの額を汗が流れる。
 恭一郎のおかげで軌道に乗った店の経営だが、その実、従業員が増えたために家計は厳しくなってきた。

「……屋上、だけですか?」
「うん。屋上だけ。あとはちょいと、あたしの部屋から梯子はしごでも付けさせてもらえたら」

 振り向いたメオに、アイジャがにんまりと笑みを浮かべた。メオの頭の中で、色々な感情がせめぎ合う。

「……店の営業なんかには……」
「工事中はちょいとあれかもしれないけど、その後は特に迷惑はかけないよ。騒がしいことは、会社の方でやるから。ほれ計画書」

 アイジャはメオにもう一枚の紙を手渡す。それを見たメオが、うぐぐぐと喉を詰まらせた。正直この金額は魅力的だが、仮にも恋敵の居城を店の上に構えさせるのは、いかがなものか。
 笑みを浮かべたアイジャは、ほれほれとメオの頬に書類を押しつける。そこに書かれた金額をちらりと見て、メオはくらくらと頭を揺らした。

「……や、やっぱりだめですぅううっ! いくらアイジャさんでも、しっぽ亭に手は出させませんんんっ!!」

 結局、メオは両腕を突き出した。押し返された書類がアイジャの顔に当たって落ち、アイジャはため息をついてそれを拾い上げる。

「うーむ。そこまで言われちゃあ、仕方がないね。すまないねメオ」
「にゃぅう。こちらこそですぅ」

 力になれず申し訳ないと、メオはアイジャに頭を下げた。そんなメオに、いいさとアイジャは返す。

「他に当てがないわけじゃないんだ。そっちを当たるさ」
「そういえば、会社は順調なんですか?」

 足を組むアイジャに、恭一郎が横から声をかけた。電気の売上は順調に伸びていると聞くし、研究所を建てようとしていることからも上手くいっているのだろう。

「今のところはいい感じだね。……まぁ、ちょいと手強いお嬢様相手に色々とやらなきゃならなくなったが」
「あっ、なるほど」

 少し困ったように目をらすアイジャの言葉を聞き、恭一郎は得心がいった。
 アイジャの会社のことは知り合いに宣伝しておいたが、その中にはもちろん、恭一郎の上司のお嬢様、シャロンも入っている。

「ノルマを厳しく課せられてね。その分出すものは出してくれるんだが。……あの子、普段と性格違いすぎないかい?」
「あはは。僕からはノーコメントで」

 シャロンちゃんおっかないからなぁと、恭一郎はわざとらしく頬を掻いた。
 とはいうものの、あの子が話に絡んできたのなら一安心だ。やり手の大貴族であるシャロンなら、電力会社をうまく盛り立て、いい意味で利用してくれるだろう。

「あっ、ねぇねぇ恭一郎。服買いに行きたいんだけどさ。暇なら付き合ってよ」

 アイジャと恭一郎の話をぼけっと聞いていた美希が、恭一郎に向かい手を挙げる。振り向いた恭一郎は、言われてみれば美希が日本の格好のままだと気がついた。

「そうだな。美希も服は要るし。俺もちょうど、アランさんに用事あったんだよ。昼になったら行ってみるか」
「ほんと? やったー!」

 嬉しそうに声を上げる美希を、羨ましそうにメオが見つめる。なんだかんだで、恭一郎との二人の時間はあまり取れないメオである。
 朝ご飯のミルクがゆを口に運びながら、恭一郎はふと思い出してアイジャに話を切り出した。

「そうそう。今度、アキタリア皇国のサリア皇女がまたこっちに来るんですよ。エルダニアの貴族の方たちと商談しに来るんですけど、それをグランドシャロンの宴会場でやることになって」

 宴会場と聞き、アイジャが目を細める。思えば、アイジャと恭一郎がそこで結婚式を上げたのも随分前だ。

「ああ。完成してたんだね。……思い出すよ、キョーイチローとの結婚式」
「えっ?」

 アイジャの呟きを聞き、美希が驚いて恭一郎を見つめる。

「いや、その。……色々あって。あとで話すよ」
「ほんと、何してんのよあんた」

 話せば長くなる。呆れたような美希の顔を見て、恭一郎は面目ないと頬を掻いた。

「今回は、お茶を売り込もうと思いまして。頑張りどころなんですよ」
「えっ。お茶って、葉汁はじるのことですよね? ……あ、あれを皇女様に出すんですか?」

 本気ですかと、メオが心配そうな表情を浮かべる。どうも最初の印象が悪すぎたのか、メオは葉汁はじるに半信半疑である。恭一郎は苦笑し、ふと美希の方に話を振った。

「美希も一度ホテルに来るか? 確かアランさん、内装の仕事で今日はホテルだったと思うから」
「えっ? わたしも?」

 何となくでしか話が理解できていない美希は、恭一郎の声にぴくっと反応した。先程の話からすれば、恭一郎の仕事場だ。「邪魔になるからいいよ」と、美希は両手をぶんぶんと振った。

「んー。別に、待っててくれてもいいし。それに……」

 そこまで言って、恭一郎は美希の全身を改めて眺めた。買い物袋の中にあったのだろうか。昨日とは違う服だ。その色鮮やかな布を見つめて、うんと恭一郎は頷いた。

「たぶん。アランさん喜ぶと思うし」

 そう言った恭一郎に、美希はわけも分からず頷くのだった。


  ◆  ◆


「……はい?」

 ホテルグランドシャロンのエントランスで、アランの目が面白いほどに見開かれる。それを、恭一郎はにっこりとした笑みで見つめていた。

「えっ。……あの、このお嬢さんは?」

 ふらふらと視線を彷徨さまよわせながら、アランは美希を見る。そして、すがるように恭一郎の方へ顔を向けた。

「わたし、渡辺美希と申します。初めまして、アランさん」

 恭一郎がアランの言葉に反応するよりも早く、美希がぺこりと頭を下げる。ゆらりと揺れた茶髪にアランが驚き、しかしその視線は美希の身体に固定されていた。
 もっと具体的に言うならば、身体の表面。覆っている、その服に。
 しかしアランは、はっと気を取り直すと姿勢を正した。うやうやしく礼をし、緊張した面持おももちで美希に相対する。

「は、初めましてっ。私、エルダニアで服飾屋を営んでおります、アラン工房のアランと申します。失礼ですが……何処どこかの国の、お姫様で?」
「えっ?」

 予想だにしなかった言葉で、美希の口から声が漏れた。その会話を聞いていた恭一郎が、思わず口を押さえる。

「えっ、お、お姫様なんて。ち、違いますっ」

 わけも分からず、美希はぶんぶんと両手を振って否定した。「お姫様ですか?」なんて言われたのは、初めての経験だ。どういうことなのと、美希は恭一郎に助けを求めた。

「ぷっ。あはは。いいじゃないか、お姫様。……アランさん、こいつは僕の故郷の者でして。僕を頼って、エルダニアまでやってきたんですよ。今日やるべき用事が終わったら、服を買いに行こうと思ってるんです」
「そ、そうなんですか? いや、しかし……」

 恭一郎に説明されても、アランは半信半疑で美希を見つめる。どう考えてもおかしい。アランは恭一郎の腕をぐいと引っ張った。
 壁際まで連れて行かれた恭一郎は不思議に思い、アランに顔を向ける。美希に聞こえない距離まで移動すると、アランは小声で恭一郎に問いかけた。

「絶対誰にも言いませんから、こっそり教えてくださいよ。あのお方、何処どこぞの国の王族でしょう?」
「美希がですか? はは、そんな馬鹿な」

 アランの真剣な表情に、恭一郎はくすりと笑う。しかしアランは、僕の目は誤魔化ごまかせませんよと、美希をこっそり見やった。

「あんな服、庶民が着れるわけない。というより、何処どこの国の服なんですか? 都の貴族でも、あんなもの着てる人いませんよ。……王族でなかったら、貴族か豪商の娘さんでしょう?」

 さぁ白状しなさいと、アランは恭一郎を見つめる。普段は決して深入りしないアランだが、今回ばかりは話が別だ。美希の服を見てビジネスに繋げられないようでは、そいつはもう服飾屋ではない。

「……うーん。流石さすがにアランさんの目は誤魔化ごまかせませんね。終わったら、店でお話ししますよ」
「ほんとですかっ!? ……そうですね。人払いができるところで」

 ぱぁとアランの目が輝く。どうやらアランは勘違いしているようだが、それも仕方ないことだろう。あとでどう説明したものかと、恭一郎は頭を抱えた。

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