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5巻
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しおりを挟む1 ねこのしっぽ亭の慰安旅行
「旅行がしたいです!」
茹だるような暑さも終盤に差し掛かった、夏のある日。ねこのしっぽ亭の店長であるメオの一言が、夕方の店内に響きわたる。
あまりに突然の発言に、仕込みをしていたマスターの佐藤恭一郎も、酒瓶を片手に持った宿泊客のアイジャもすぐには反応できなかった。
「……旅行、ですか?」
包丁を振るう手を休め、恭一郎はぴーんと手を挙げているメオに身体を向けた。耳もしっぽもまっすぐに立ったメオを、布巾で手を拭きながら見つめる。
「はい。しっぽ亭のみんなで、慰安旅行に行きましょう!」
ふんふんと興奮気味のメオ。
恭一郎とアイジャは顔を見合わせた。旅行が嫌なわけではないが、急にそんなことを言い出した理由が分からないからだ。
「前から私、気になってたんですよ。恭さんもリュカちゃんもヒョウカちゃんも、みんな頑張って働いてくれてるから、何かしてあげたいなって」
メオは「いいことを思いつきました」と言うように、平たい胸を前に出す。
話を聞いてみれば、どうもねこのしっぽ亭の売り上げがかなり良いらしい。どうせなら従業員に還元したいと、メオは店長としての意見を話していった。
常連客のリュートから預かっている妹のリュカも、恭一郎が虐待から救った奴隷身分のヒョウカも、今や家族同然で、よく働いてくれている。
「いいと思いますよ。楽しそうですし」
「でしょう!」
恭一郎も、特に異論はない。もう一つの勤め先であるホテルグランドシャロンの仕事は休暇を申請しなければならないが、おそらく却下はされないだろう。
「あたしも別に構いやしないが、どこに行くつもりだい? あんまり遠いと、ちょっと困るんだが」
アイジャは、前向きながらもメオに質問する。この世界初の電灯を発明し、運営を始めたばかりのアイジャは、今はあまりエルダニアの街を離れられない。数日くらいならばとメオに旅の予定を聞いてみた。
「そうですねぇ。恭さんもホテルの仕事がありますし。隣り町なんかどうですかね?」
「ニルスですか。ああ、それなら近くていいですね。俺、実は行ったことありませんし」
隣り町ニルス。ここエルダニアの東に位置する、港町だ。新鮮な海鮮が有名で、それのおかげで最近観光地として栄え始めた町である。その隣り町に奪われた観光客を呼び戻すために、恭一郎は過去にピッツアとサンドイッチのレシピを、エルダニアの商業組合に街の名物料理として寄贈していた。
「私も、小さいときにお父さんと行ったきりなんですよ。楽しかったですぅ」
メオが幼き日の思い出に目を細める。
恭一郎はニルスに行ったことはないが、見知らぬ土地では新しい食材との出会いがありそうだ。何か面白いものがあるかもしれないと、恭一郎はわくわくしながらアイジャの方を振り向いた。
「いいですね。どうです、アイジャさんは?」
「どうだろね。ニルスなら、馬車を使えば二日もあれば着く距離だけど。向こうに二日いるとしたら、一週間近くはかかっちまうさね」
うーんと日程の確認をしているアイジャの言葉に、恭一郎は軽く驚く。
言われてみれば、この異世界にトリップして最初にエルダニアへ辿り着いたときも、丸二日はかかったのだ。車も電車もないこの世界では、旅行は日本育ちの恭一郎が考えているよりも遥かに大がかりな行事である。
「い、一週間ですか。……休み取れるかな」
一つ目の可愛らしい上司の微笑みを想像して、恭一郎の背筋が冷たくなった。物凄くいい笑顔で、「だめです」と言われそうだ。
「うにゃぅ。そっか、移動にも時間かかりますもんね……」
話を聞いていたメオが、しょんぼりと尻尾を垂らす。いい案だとは思うが、仕事を抱えている恭一郎たちは身動きが取りづらい。行けるにしても、明日出発というわけにはいかないだろう。
「にゃふぅ。隣り町まで、びゅーんと行けたらいいのに」
うなだれるメオがぽつりと呟き、それを聞いた恭一郎とアイジャが、待てよと顎に手をやった。何か、いい方法があったような気が……。
「ただいまー!! ごはんまだー!?」
はてと首を傾げる恭一郎の耳に、勢いよく開いた扉の音が飛び込んでくる。どてどてと尻尾を床に叩きつけながら、学校帰りのリュカが三人が集まっているテーブルへと駆け寄ってきた。
「……あっ」
「なに? みんなして集まって。なんのはなし?」
きょろきょろと皆を見渡すリュカに、三人が同時に手をぽんと合わせる。
それを不思議そうに見たリュカが、きょとんと首を傾げた。
◆ ◆
「旅行!? すごいっ! リュカ行ったことない!!」
先ほどのメオの計画を話したとたん、リュカの顔がきらきらと輝く。リュカは以前に隣り町へ行ったことがあるのだが、皆と一緒にお泊まりというのは、小さなリュカにとって何とも甘美な響きを持っていた。
「それなんだけどね。隣り町って言っても、片道二日はかかっちゃうんだ。にいちゃんたち、そんなに休み取れなくてね」
「……ぎゃうぅ。そっかぁ。キョーにいちゃん、いそがしいもんね」
さっきまでのメオと同じように、リュカがしょんぼりと下を向く。心なしか、立派な竜の角が萎れているように見えた。
「それでね。ちょっとリュカちゃんに、お願いがあるんだけど……」
「……おねがい?」
心の中で謝りながら、恭一郎はリュカへとゆっくり頭を下げる。メオとアイジャも、申し訳ないと手を合わせた。
「……ノブくんを?」
じとりと、願い事を聞いたリュカの視線が恭一郎に突き刺さる。
ドラグ・ノーブリュード。リュカの彼氏にして、天空を統べる誇り高き赤龍の一族。彼女からのプレゼントはとりあえず食べてみるという、ただいま六歳の育ち盛りなドラゴンである。
「だめ、かな?」
「いいと思うけど。ノブくん優しいから。……でも、ノブくんはリュカの彼氏であって、乗り物じゃないんだけど?」
ぷくりと膨れるリュカの頬を見て、恭一郎もそりゃそうだよなと反省する。あまりにも今回の件にぴったりすぎて思わず頼んでしまったが、考えてみれば失礼な話だ。リュカが怒るのも無理はない。
「んー、でも話してみるよ。ノブくん、一度みんなとおでかけしたいと言ってたし」
仕方なさそうにリュカは息を吐いた。今回だけだぜと、恭一郎に笑顔を向ける。
「いや、もうほんと。何から何まですみません、リュカさん」
「ぎゃうぅ。ま、いーってことよ」
頭を下げる恭一郎に対し、リュカはぐっと親指を立てて見せた。
頼りになる最年少の妹竜さまに、しっぽ亭の住人全員が賛辞を贈る。
◆ ◆
三日後、旅行日和の晴天を恭一郎は眩しく見上げた。雲のない空は快適な旅を予想させてくれる。
案外すんなりとシャロンからの許しが出て、少々拍子抜けした恭一郎である。
『ニルスに行ったことがないのですか? 是非とも行っておいてくださいまし』
驚いたように一つ目を見開いたシャロンに、そう言われてしまった。恭一郎は元は旅人ということになっているから、ニルスに立ち寄ったことがないというのは意外だったのだろう。
『あの町は、エルダニアで事業をする上では欠かせない場所です。色々と見てくるといいですよ』
シャロンに言われたことを恭一郎は思い出す。小さい港町ながらも、海の玄関口だ。今回は仕事ではないものの、しっかりと見てこようと心に刻んだ。
扉の鍵がきちんと掛けられていることを確認し、よしと恭一郎は頷く。
「恭さーん。ノブくん来ましたよー」
「今行きまーす」
メオに声をかけられ、恭一郎は自分の手荷物の最終確認をする。余裕を持ったお金と、必要最低限の小物。そして、服飾屋のアランに特急で用意してもらった秘密兵器。
準備万端であることを確かめると、恭一郎は通りに着陸している巨大なドラゴンに近づいた。
「やあ、ノブくん。今日はありがとうね、無理聞いてもらっちゃって」
「問題ないのである。余も我が君の家族とともに、一度大空を飛びたいと考えておった」
しっぽ亭の前にどずーんと伏せている巨大なドラゴンに、恭一郎はお礼を言う。それを聞いたノーブリュードは、こちらこそと小さく顎を下げた。
「……家族?」
「そうである。いつも我が君が言っておる。ねこのしっぽ亭の方々は、己の家族なのだと」
「ぎゃうぅうううう!! の、ノブくんっ!?」
リュカが顔を真っ赤にしてノーブリュードの鼻を叩いた。しかし、当然ながらリュカの小さな手ではノーブリュードはびくともしない。
「リュカちゃん……。うん、そうだよ。俺は、リュカちゃんの家族だ」
感動した恭一郎は、うっすらと涙を浮かべてリュカに向き直る。
あの、初めは部屋から出てきてもくれなかったリュカが、だ。実の兄であるリュートの代わりが務まっているか自信がなかった恭一郎だが、ここに来て思わぬ嬉しい言葉を聞くことができた。
「ぎゃおおおおお!! い、いいからっ!! そういうのいいからっ!!」
しかし当のリュカは、恥ずかしさで死んでしまうと言わんばかりに、角まで真っ赤になった顔を隠してメオのもとへと駆けて行ってしまう。それを見て、恭一郎は温かな感情に包まれた。
「うーむ、怒らせてしまった。いつもはあんなに嬉しそうに話すのに。はて?」
「ふふ、ノブくん。ありがとう」
不思議そうにリュカの背を眺めるノーブリュードの鱗を、恭一郎は優しく撫でるのだった。
◆ ◆
「うにゃぁああっ! と、飛んでますっ。あわわわわっ」
数分後、一同は空の上から小さくなったエルダニアの街を見下ろしていた。
「大丈夫。大丈夫。ノブくんを信じろ。ノブくんを信じろ」
轟々と風を切って飛んでいくノーブリュードの背の上で、メオと恭一郎はガタガタ震えて抱き合っていた。
「だいじょーぶだよ二人とも」
「ゴシュジン。コワガリカ?」
二人を呆れたように見つめながら、リュカとヒョウカは顔を見合わせた。
今しっぽ亭の面々は、ノーブリュードの背に付けられた籠の中に座っている。リュカが快適に乗れるように、レティに作ってもらったらしい。確かに座席がふかふかとして気持ちいいのだが、いかんせん恭一郎にはそんなことを気にしている余裕などなかった。
(死ぬっ! 死ぬっ! これは死ぬっ!!)
一応座席にはシートベルトのように縄が張られていて、その頼りない命綱を恭一郎は手のひらが紫色になるまで握り締めていた。
「おー、そろそろ街が見えなくなるよ。さすがに速いね。この人数を、たいしたもんだ」
「アイジャ殿に言われると、光栄である。日が沈む前には着くゆえ、しばし辛抱願う」
身を乗り出して下を確認するアイジャに、恭一郎は「むがー!」と声を上げた。アイジャといえども、この高度から宙に放り出されたらどうしようもないはずだ。恭一郎は必死にアイジャの袖を引く。
「さっきからなんだい、情けない。お前さん、あっちでも空飛んだことあるんだろう?」
「飛行機とこれとは話が違いますよ!!」
一瞬、乗るんじゃなかったとさえ恭一郎は思ってしまった。乗り込むときにはまさにファンタジーな体験に胸躍らせてもいたのだが、実際に飛び立ってみるととんでもない。自殺行為以外の何物でもないと、恭一郎は涙を流し始める。
「風がっ。恭さん、風がぁああっ!!」
「うぅ。メオさぁああん!!」
唯一この場で感情を共有しているメオと、ひしと身体を抱き締め合う。
生きたまま土に足を着けたい。もう一度、母なる大地を踏みしめたい。
「ちょっと早いけど、昼にしようかね」
「あっ、キョーにいちゃん。ハムサンド食べる?」
「ニク。ヒョウカ。ニクガイイ!!」
優雅にランチを食べ始める三人に目を向けることすらできないまま、恭一郎はメオと一緒に、生きたいとただひたすらに願うのだった。
◆ ◆
「ははっ。生きてる。い、生きてる……。はははっ」
「恭さんっ、地面がっ!! 土がありますぅ。うぅ、にゃうぅ」
五時間後、そこには地面を愛おしそうに撫で上げる恭一郎とメオの姿があった。命の尊さを改めて学んだ二人は、ただただ生きていることを神に感謝する。
「お、磯の香りがするねぇ。日が暮れちまう前に宿を探そうか」
「ゴハン。ヒョウカ。オナカスイタ!」
すたすたと町の灯りを目指すアイジャ達の後を、精気の抜けた恭一郎とメオはよろめきながらついていくのだった。
◆ ◆
「おお。賑やかですね」
ニルスに到着した恭一郎たちを出迎えたのは、町全体から漂ってくる磯の香りと、それに集まる人々だった。
「そうですねぇ。前に来たときは、こんなに人はいなかったんですけど」
鼻をひくひくと鳴らしながら、メオは辺りを見渡す。
夕焼けが照らす町では、至る所で人々が酒を酌み交わしていた。店先にまでテーブルが並べられ、その上に置かれた七輪のようなもので各自が思い思いに海鮮を焼いている。
「おおお。いい町だねぇ。早く、早く飲もう」
酒の匂いに釣られたアイジャが、ふらふらと目の前の店へと進んでいく。それを、リュカが後ろからスカートを掴んで引き留めた。おかげで、思い切りお尻とパンツが見えてしまう。
「だめだよアイジャさん。最初に宿見つけないと」
「構いやしないよ。夜通し飲めば、ほら。何の問題もない」
なおも歩みを止めぬアイジャに、リュカは呆れたように声を上げる。そのまま、ずるずると引きずられて行ってしまった。
「ちょ、ちょっと! キョーにーちゃーん!?」
尻尾をぶんぶんと振り回すリュカを見ながら、恭一郎は頬を掻く。こうなったアイジャは、よっぽどのことがない限り止まらない。
「分かりました。僕たちで宿を見つけて来ますよ。アイジャさんたちは、ここで飲んでてください」
メオとヒョウカをちらりと見やり、恭一郎は提案する。アイジャはもうすでに、きらきらと光る貝をいくつか抱えて店の外の席に陣取っていた。
「あー。だったらリュカも、ノブくんの夕ご飯ここで買おうかな。持って行ってあげないと」
まったくもうとアイジャを見つめながら、リュカは空を見上げた。旅先で、ドラゴンがおいそれと狩りをするわけにもいかないだろう。
「それじゃあ、俺たちは宿を探してきますね。あんまり動かないでくださいよ」
「うーい。いってらー」
出発しようとメオたちに向き直った恭一郎に、早くも一瓶空けてしまったアイジャが手を振った。相変わらずだなと、恭一郎は苦笑する。
「ゴシュジン。ヒョウカ。イッショ!」
「よしよし。一緒に行こうな。……えーと、宿屋はどこらへんですかね?」
隣りを歩くヒョウカの頭を、恭一郎は優しく撫でた。一度来たことのあるメオに視線を向けるが、そのメオは困り顔だ。
「にゃうぅ。前に来たのは小さいときですから。確か、浜辺の方に立ち並んでた気がしますけど……」
どうやら、記憶が古くて自信がないらしい。とはいうものの、客商売の宿屋を探すには、それほど苦労はしないだろう。
「まあ、せっかくの旅行ですし。散歩がてら探しましょう。町並みを見てるだけでも楽しいですよ」
そう言って、恭一郎はニルスの町を見渡した。建物の材質はあまり変わらないものの、やはりどことなくエルダニアとは雰囲気が違う。海風から家屋を守るためか、建物の周りに積み上げられた丸石の壁が何とも言えない風情を醸し出していた。
「うわ、すごい。この壁の石、重ねてるだけですよ。職人芸だなぁ」
コンコンとその石壁を叩き、恭一郎は感嘆の声を漏らす。石壁は、土などの接着要素なしに築き上げられていた。置かれた石の自重のみで、この堅牢さを誇っているのだ。
「あっ、恭さん! 見てください! 海です海っ!!」
恭一郎が壁の技術に思いを馳せていると、隣りのメオが後ろを向いてぴょんぴょんと飛び跳ねだした。振り返ってみれば、背後には確かにちらりと海の青さが確認できる。
「おお。久しぶりに見ました。行ってみますか?」
恭一郎も、うずうずしてくる。この世界で、まさか海を眺めることができるとは。日本でも、実は海には数回しか行ったことがない。
「行きましょう! わぁ。何年ぶりだろ。楽しみですぅ」
メオも、ぱあと笑顔を咲かせる。エルダニアを一度しか出たことのないメオにとって、海は唯一の旅の思い出だ。幼き日の記憶を呼び起こし、今にも駆け出しそうに足踏みをした。
「……ゴシュジン」
そんな、気持ちが逸る恭一郎たちとは裏腹に、ヒョウカがきょとんとした顔で恭一郎の袖を掴む。恭一郎は不思議に思ってヒョウカを見下ろした。
「……ウミ。タベレルカ?」
思いがけないヒョウカの言葉に、恭一郎とメオの動きが止まった。
◆ ◆
「……スゴイ」
目をまん丸に開けて立ち尽くすヒョウカを、恭一郎とメオはにこにこと見つめていた。最も一緒に過ごす時間の長い恭一郎ですら、こんなに驚きを表情に出しているヒョウカは初めて見る。
「ゴシュジン。ミズ。タクサン」
「そうだね。あれ全部お水なんだよー」
恭一郎の言葉に、ヒョウカは再び海へと顔を向ける。雪山の土地神だったヒョウカにとって、ここまで大量の水は初めてだ。山を流れる川は雨から作られるものだが、この水はどこから来たんだとヒョウカは不思議に思って目の前の広大な水たまりを見渡す。
「ふふ。私も、前に来たときはこんな感じでした。お父さんから聞かされてはいたんですけど、ちょっと大きなお風呂くらいかなって思ってて」
メオが、懐かしそうにヒョウカを眺める。それを聞いて、恭一郎もくすりと笑った。
「しかし、いいところですね。浜辺には誰もいないし。こんな綺麗な夕焼けは、なかなか見れませんよ」
町の外れの砂浜には、見る限り誰もいないようだった。漁をする人は港に船を泊めるし、観光地といっても海水浴の概念がなくてはこんなものなのだろう。観光客は、皆夕飯を食べに店に赴いているようだった。
そんな砂浜に赤い夕日が沈んでいき、真っ赤に照らされた海と浜辺が、きらきらとグラデーションを作って輝いている。思わず、恭一郎は美しさにへぇと声を出した。
「……きれい」
隣りで、メオがぽつりと呟く。この世界の住人であるメオから見ても、海辺の夕日の美しさは格別らしい。ぎゅっと、メオは胸の前で手を握り締めた。
そんなメオの横顔を見て、恭一郎の中でちょっとした悪戯心がわき上がる。
一生に一度は言ってみたい言葉。それを言うチャンスなのではと、恭一郎はメオの方へ顔を向けた。メオが視線に気づいて、恭一郎を振り返る。
「メオさんのほうが綺麗ですよ」
恭一郎の心臓が高鳴る。言ってしまったぞと、思わず頬が緩んだ。
ただ、嘘ではない。夕日を見つめるメオは、いつにも増して綺麗に見えた。
恭一郎の言葉に、メオの時間がぴたりと止まる。一瞬、何を言っているのか分からなかったからだ。理解した後も、何かの間違いではないかと思いながら自分の顔を指し示す。
そんなメオに、恭一郎はにっこりと頷いた。
「へ? ……え、にゃ。え? にゃえぇえええええ!?」
叫び声を上げたメオの顔が、ぼふんと真っ赤に染まる。夕日なんて目じゃないくらいに、耳の先まで真っ赤っかだ。耳も尻尾も毛を膨らませて、あわわあわわと恭一郎から距離を取る。
「な、ななな何を言って! わ、私がきれ、綺麗って! ゆう、夕日より!?」
「だって、本当ですもん。綺麗ですよ、メオさん」
もうこうなったら言ってしまえと思い、恭一郎は恥ずかしいながらも言葉を続けた。
それを聞いたメオが、半分涙目になりながら首を振る。
「そ、そんにゃ。そんにゃことないですよう。わ、私なんて」
どきどきして、メオは恭一郎の顔を見ることができない。ただ、満更でもないらしいことが伝わってきて、恭一郎は言ってよかったなと顔を綻ばせた。
一方で、アイジャを褒めたときも似たような反応をされたことを思い出す。
恋愛小説すら存在しないこの世界で、自分が思うベタでキザな台詞というものがどれほどの破壊力を持つか、恭一郎は今ひとつ理解できていなかった。
「……へへ。にゃへへへ」
メオは、ぐにゃぐにゃに緩み、ちょっと恭一郎にはお見せできない顔になっているのを自覚して俯く。
恭一郎は一向にこちらを向いてくれないメオを、どうしたのかなと不思議に思って眺めていた。
「……ショッパイ!?」
そんな二人を見向きもせず、ヒョウカは一人、大自然の神秘にその身を震わせているのだった。
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