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2巻
2-3
しおりを挟む「……しかし、祭りかぁ。エルダニアの祭りはあたしも初めてだね」
「えっ、そうなんですか?」
意外な事実に恭一郎は聞き返す。
窓の外。忙しさを増す街の喧噪に耳を傾けて、アイジャは季節を感じ取るように目を向けた。
「あたしも、そこまで長くこの街に居る訳じゃないからねぇ。結構楽しみだよ」
「へぇ。……まぁ、知らない街のお祭りってわくわくしますよね」
珍しいアイジャの表情に恭一郎も気分が高まる。
日本でも、土地が変われば祭りは変わる。
しかもここは異世界。そんな場所の祭りに参加するのは、きっとエキサイティングな体験になるだろう。
「エルダニアのってことは、他の街のお祭りは見たことあるんですよね?」
恭一郎は広い世界を思い描いて窓の外を見つめる。
アイジャの視線の先にある風景を、恭一郎は想像できなかった。
「そりゃあ、あるさ。都の祭りも知ってるし、田舎の小さな村の祭りも、何度も見たよ」
「村のお祭りですか。どんな感じなんですか?」
懐かしそうに微笑むアイジャに、恭一郎は目を輝かせる。
何故か都よりも村の祭りが気になった。恭一郎はエルダニアしか知らないが、エルダニアの街はオスーディアの地方都市の中でも格別に大きい。
アイジャは、そうさねぇと電子タバコを口にくわえる。
「小さいよ。ほんと、ささやかな祭りさね。ポアンと肉と、薄い果実酒。それでも皆、幸せそうに踊るのさ」
そう言って、アイジャは歌を口ずさんだ。
るぅーるぅーるぅー。
その何処か懐かしい歌声に、恭一郎は思わず聞き入る。
「……ふふ。どうだい?」
歌い終わり、アイジャは少し照れたように笑顔を見せた。
恭一郎はこくりと頷く。
「す、素敵、でした。その。……村の曲、ですか?」
たぶんそうだろう。恭一郎の脳裏にも、情景が思い浮かぶ。
アイジャは嬉しそうに目を細めた。
「村の女の子がいい子でね。器量もいいんだが、好きな子が振り向いてくれないって悩んでた」
「へぇ。なんかいいですね、そういうの」
アイジャが何故その村を訪れたのか、尋ねる気はなかった。恭一郎は、何処にあるかも知らぬ異世界の村に思いを馳せる。
「それで、どんなアドバイスしたんです?」
ポアン畑を吹く風を思い描きながら、恭一郎はアイジャに問う。初対面だろうに、女の子がそんな相談をしたのは、この女賢者に何かを感じたからだろう。
「うむ。押し倒せって。酒の勢いでやっちまえって、言ってやったよ」
「……あの。僕のさっきまでの気持ちを、返して頂けますかね」
しみじみと語るアイジャを、恭一郎はじとりと見つめる。
対するアイジャは「なにをぅ」と振り向いた。ぴこぴこと電子タバコを縦に揺らす。
「そういえばお前さん、この街以外、どこかに行く気はないのかい?」
「えっ?」
ふと、アイジャは気になっていたことを恭一郎に問いかける。この際だからと、アイジャは言葉を続けた。
「せっかくこの世界に来たんだ。エルダニアだけじゃなくて、色々と見て回りたくはならないのかい?」
「ああ、そういうことですか」
アイジャの言わんとしていることを理解して、うーんと恭一郎は腕を組んだ。正直なところ、あまり考えたことはない。
そもそも、日本に居た頃に海外旅行に出かけるタイプだったのかと言われると、そうではなかった。はっきりいって、近所のショッピングモールで十分だ。
それに、ここは異世界。飛行機もなければ車すらない。完全徒歩で目的地を目指す。そこまでして、エルダニアの外を見てみたいかと言われると、恭一郎としては疑問だった。
「都のお祭りとか、見てみたい気はしますけどね。でも、僕はこの街で充分に異世界気分を味わえてます」
そう、充分だ。そう思い、恭一郎はアイジャを見つめる。
「まずは、今回のお祭りを楽しみますよ。みんなとの、初めてのお祭りですし」
にこりと恭一郎は微笑んだ。アイジャがそうかいと言って笑みを浮かべる。
「ほんと、あたしも楽しみだよ。……好きな男と祭りを回るのなんて、考えたこともなかった」
「……えっ」
動きを止めた恭一郎に、くすりと笑ったアイジャが一歩近寄る。
不意打ちの流し目に、恭一郎は思わず顔を赤くした。
それを見たアイジャが、ぐいっと身体を前に出す。
少しだけ、近づいた身体。優しげに向けられる笑顔に、恭一郎は目を留めた。綺麗だと、今更ながらに感じてしまう。
「予約、しといたからね」
そう言って、アイジャはいつもの表情でにかりと笑った。
どきっとしてしまった恭一郎を見やり、けたけたと満足そうに笑い声を出す。
その笑顔が眩しくて、恭一郎は少し悔しくなって頬を掻いた。
卑怯だなぁと思いながら、妖艶なエルフを見つめくすりと笑う。
ちらりと見た窓の外には、いつもよりほんの少し大きな二つの月が浮かんでいた。
異世界の祭り。近づいてくるその足音に、恭一郎の心は躍り始めた。
◆ ◆
「これでいいですかー?」
よいしょっと、肉屋の娘である犬の獣人レトラは大きな油壺を床に置いた。消臭処理をされていない油の独特な香りが台所に漂う。
「うん。ごめんね、レトラさん。運ばせちゃって」
恭一郎が申し訳なく思って頭を下げると、レトラは快活に笑い飛ばした。
「ふふ、かまいませんよー。力仕事は私たち獣人の専売特許ですから」
そう言って、レトラは油壺を次々に壁の隅へと並べていく。
レトラの腰ほどもあるそれは、中身と合わさってとんでもない重量だ。
恭一郎は女の子に運ばせるわけにはいかないと持ち上げようとしたが、ぴくりとも動かなかった。
「うぅ、ごめんね。情けないなぁ、ほんと」
男のプライドにかけて何としても自分が運びたかったが、持ち上げるどころか押すことさえ難しい。
実のところ、レトラの言う通り獣人の力は強い。メオは獣人との混血である亜人だが、それでも恭一郎は、腕相撲でメオに勝てたことがない。
「もう、落ち込まないでくださいよ。種族差は仕方ありませんって」
はぁと溜息をついて肩を落とした恭一郎に、レトラが優しく微笑む。
確かにそうなのだが、雄としての矜持も大事にしたい恭一郎であった。
(ぐっはあああああ! エルフゆえの非力さに落ち込む恭一郎さんもえええええええええ!! もうなに! なんでこんなに可愛いのこの人はぁああん!!)
レトラは壺を動かし終わると、ごそごそと胸元から伝票を取り出した。恭一郎の視線が、ちらりと毛の薄くなっている部分に注がれ、すぐに外される。
(いやあぁああん、胸元見た! 一瞬! ガン見してもいいのにぃいいい!! ぐっふ、やべぇ。襲いてぇ。恭一郎さんお持ち帰りぃ)
まだまだ暑いですねぇと舌を出して、レトラは息の乱れをごまかした。
そうですかと恭一郎は首を捻るが、レトラは暑い暑いと服の胸元を広げる。
「そういえば、こんなにたくさんの油どうするんです? 調理にこんなには使わないでしょう?」
ひとしきり恭一郎の赤面を堪能した後で、レトラは油壺に視線を向けた。実際、食用油を二壺も一度に頼まれたのは初めてだ。
「ああ、それはちょっと祭り用の新メニューに使おうと思いまして。というか、案外安いんですね、油。もっとかかるのかと思いましたよ」
恭一郎も渡された伝票を見て軽く驚く。
相変わらず文字はちんぷんかんぷんだが、何とか数字とお金の単位くらいは読める程度には成長した。
伝票には、想像していたよりも一つ桁が少ない額が表示されている。
「ああ、ここらへんは畜産でギトルを飼ってる方も多いですからね。油は安いんですよ。そりゃあ、貴族様のお化粧用とかになれば話は別ですけど。私たちの口に入れる程度の質でいいなら、ギトルで十分ですしね」
肉屋の娘であるレトラは、この辺りの畜産にも詳しいらしい。
恭一郎は、先ほどからレトラが口にしている耳慣れない単語を聞き返した。
「ギトル? 動物ですか」
この世界にも、もちろん動物と呼ばれる生命は存在する。恭一郎がこの世界に来た直後、森で襲われたドラゴンモドキなども、実は人々の暮らしを縁の下で支えているのだ。
「そりゃそうですよ。あ、そうか。恭一郎さん、ここら辺の生まれじゃありませんもんね。ギトルっていうのは、油専用の家畜ですよ。肉はまずくて食えたもんじゃないですけど、身体のほとんどが脂肪なんです。刃物で刺したら、どばぁって油が出るくらい」
レトラが身振り手振りでギトルから油を抽出する作業を教えてくれる。
どうも、豚をさらに何倍もぶよぶよに太らせて肥大化させたような生き物らしい。
想像するだけで気持ち悪くなって、恭一郎は軽く口元を押さえた。
「なんでも食べますし、すぐ増えますし。ほんと良い子たちですよ。ろくに動かないんで、飼うスペースすらいりませんしね」
レトラはギトルの魅力を親切心から教えてくれているのだろうが、恭一郎としてはそんな生き物の存在をにわかには信じられなかった。かといって、確かめに行く気なんてもちろんない。
「なので、エルダニアでは油は使い放題なんですよ。夜に街灯付けてる街なんて、ここくらいでしょう?」
レトラが恭一郎に、きらきらとした目を向けてくる。それが旅人としての自分に向けられた視線だということに気づいて、恭一郎は慌てて口を開いた。
「そ、そうですね。確かに、どこも夜は暗くて。こんなに明るいのはこの街くらいですよ」
適当に言った言葉に、レトラが「でしょう」と微笑んだ。
その目の輝きに罪悪感を覚えるが、レトラの口振りからしてギトルの油というのはエルダニアの隠れた名産なのだろう。恭一郎は、頭の中の不細工な生き物に少しばかりの賞賛を贈った。
「でも確かに。油が安いってのは大きいですね。……他の地方では飼ってないんですか?」
「そうなんですよ。どこでも飼えたらいいんですけど。あの子たち、ああ見えて繊細なんで。水が悪いのか空気が合わないのか、他の土地だとすぐに病気になっちゃうんですよねぇ」
恭一郎は黙ってレトラの説明を聞いていた。
本当だとすれば、とんでもないアドバンテージだ。恭一郎はギトルを一目見たい気持ちになってきた。
「このエルダニアの発展だって、元々はギトル畜産やポアン粉栽培で得たお金のおかげなんですよ。それなのに、街が発展したからって畜産農家の人を端に追いやって。そりゃあ、華々しくはないですけど。今でもあの人たちがいないと、この街は成り立っていきやしないのに」
そう話すレトラの顔は、普段とは違って険しい。肉屋として生計を立てる彼女からすれば、色々と今の街の方針に思うところがあるのだろう。
街の人々の種族の多様さに目を奪われがちだが、もちろんそれと同じか、それ以上に様々な職業の人たちが住んでいるのだ。その生活の不公平さが問題になるのは、どこの世界でも同じだろう。
浅い考えでギトルを気持ち悪く思った自分に腹が立ち、恭一郎は心の中でまだ見ぬ縁の下の力持ちに謝った。
「……それにしても、レトラさんは立派ですね。僕よりずっと若いのに、しっかり考えて。素敵です」
そして、目の前のレトラを素直にすごいと恭一郎は思う。
まだ十四歳の女の子が、こうしてしっかりとした考えを持って生きているのは、ひとえに働いているおかげだろう。
十四歳の頃の自分と彼女を比べると、なんだか少し落ち込んでしまった。
自分は食卓に上る豚肉に考えを巡らせたことなんてなかったはずだ。
「えっ!? そ、そんなことは! すすす、素敵だなんて!」
いきなり誉められて、レトラが顔を真っ赤にして舌を出した。へっへっへと、熱を放出する舌を引っ込めることができない。
(ななな、なに!? どういうつもり!? いいの、これやっちゃっていいの!? ぐひょおおおお! き、きたあああああ! 恭一郎さんの子種ぇええええ!!)
パニックになり、思わず押し倒しそうになった。しかしその直後、恭一郎の視線がそういう雰囲気ではないことにレトラは気がつく。
今にも飛びかかろうとしていた犬の脚を何とか押さえつけ、レトラは普段の笑顔で恭一郎へと向き直った。
「へへへ、その。恭一郎さんも、美味しそ、じゃなかった。素敵ですよ」
平静を装い、恭一郎の顔の前で身を屈める。ちらりと覗いた胸元は、少し先の方まで見えてしまっていた。
それが思わず目に入ってしまい、恭一郎はばっと頬を染めて横を向く。
「い、いや、僕なんて。……その、ありがとうございます」
「ふふ、どういたしまして」
(そうそう。赤くなるのは、貴方の方で良い。別に、私のものにならなくても、私は見てるだけでいいのだから)
叶うことのない恋心を胸に秘め、レトラは愛しの彼をにっこりと見つめた。
ただ、少しだけ。そんなことを言われると、ほんの少しだけ夢を見てしまう。
「ぐっひょおおおおおお!! た、たまんねぇええええ!! 私の中の乙女がぁあああ!! やっちゃう!? もうやっちゃう!? メオさんごめんなさいいいい。ぐっひょひょひょひょひょ!!」
しっぽ亭から帰ったレトラは、辛抱たまらんとベッドの上で転げ回っていた。
まーたやってるよあの子はと呆れながら、レトラの母親は娘の部屋の扉をそっと閉めたのだった。
3 異世界人はお兄さん
「リュカも自分のへやほしい!!」
ぎゃううという盛大な鳴き声とともに、リュカの口から火柱が上がる。
天井付近まで伸びた火柱に、立派になったもんだとアイジャが嬉しそうに視線を送った。
「ほしいほしいほしいぃいいい!!」
じたばたと暴れ続けるリュカに、メオと恭一郎はついにこの日が来たかと互いに目を合わせる。
「リュカちゃん、なんで自分の部屋が欲しいんだい?」
恭一郎は屈んで床の上のリュカに目線を合わせた。すると、リュカがぴたりと動きを止める。
「だって、みんな持ってるんだもん。シャロンもレティも持ってるって言ってたもん!」
あまりにも予想通りの答えに恭一郎は苦笑した。どこの世界の子供にも、こういう我が儘は共通らしい。
「リュカちゃんの学校は良いとこのお嬢さんも多いでしょうし。自分の部屋を持ってる子もいるでしょうね」
そう呟いたメオに、恭一郎は子供の部屋って普通なんですかと、視線で質問する。メオの表情を見る限り、どうやら一般家庭ではそれなりに贅沢なものらしい。
うーんと頬を掻いて、恭一郎はリュカに優しい口調で話しかける。
「でもリュカちゃん、このうちには余ってる部屋はないし。一緒に使ってるメオさんの部屋だって充分大きいでしょ?」
「あるもん! いっぱい! 二階にいっぱいあるもん!」
尻尾をびたーんびたーんと盛大に打ちつけだしたリュカに、そりゃそう来るかと恭一郎が言葉を詰まらせる。
実際、今の恭一郎の部屋も客室の流用であるだけにあまり強く言えない。助けを求めるように、メオへと顔を向けた。
「リュカちゃん、お姉ちゃんとは嫌かな? それに、二階はお客さんの泊まる部屋だから……」
「泊まってないもん! アイジャさん以外のお客さん見たことないもん! ときどき酔っぱらいが泊まるだけじゃん!」
ばたばたぎゃうぎゃうと騒ぐリュカは、痛いところを突いてくる。
確かに今のところ、しっぽ亭の宿部屋はほとんど機能していない。埋まる日なんてないのだから、リュカに一部屋与えても問題ないというのは正論だった。
「それにメオねーちゃん、夜中ごそごそうるさいんだもん。なんかずっと旅人さん旅人さんって言っ……」
「うにゃああ!! おおお、起きてたのリュカちゃん!!」
ぎゃあと、顔を真っ赤にしたメオが叫び声を上げる。おかげで後半が聞き取れなかった恭一郎が、不思議そうな表情でメオを見つめた。
「ななな、なんでもないです! ね、寝言が! 私の寝言がどうやらうるさいみたいで!」
「それにシーツもね、なんでかいっつもキョーにーちゃんの匂いがすぶぶぶぅう」
「ふにゃああああああ!! 部屋! リュカちゃんの部屋作りましょう! ほら、もうリュカちゃんも大きいですし!!」
がばっとメオがリュカの口を塞ぎ、にゃはははと抱え込む。
慌てているメオに恭一郎は首を傾げたが、まあ店長がそう言うならと怪訝に思いながらも納得した。
「もがっ、……ほんとっ!? ありがとうメオねーちゃん!」
「にゃははは。ほら、お、女の子は色々あるし。ほんと、私もそろそろリュカちゃんの部屋作んなきゃなぁって思ってたんですよ」
うんうんと頷くメオに、色々と察したアイジャが我慢できないと笑いを漏らす。
恭一郎は、訳が分からず眉を顰めるばかりである。
リュカはメオに抱かれて、嬉しそうに火の粉をぼぼぼと散らしていた。
◆ ◆
「わぁ、リュカさんも自分の部屋作ってもらったんですか。素敵ですわ」
にこにこと笑うリュカに、同級生のシャロンは一つしかない目を細めながら、自分のことのように喜んで手を合わせた。
学校の休み時間、リュカは早速友達に報告していたのだ。
「うん。昨日から一人でねてるんだよー!」
すごいでしょーと、リュカは尻尾を振って喜びを表現した。尻尾が当たってあまりに邪魔なので、リュカの椅子は特別に背もたれが付いていない。
「でもリュカんちって飯屋やろ? よく部屋なんて許してもらえたなぁ」
机に肘をつきつつ、レティが頭の皿の縁を指でなぞった。乾き具合いを確かめて、手元の水筒からじゃばじゃばと水をかけていく。
リュカの席に集まるこの少女たちは、二人とも四つも年上ではあるが、リュカに初めて出来た同性の友達だ。二人とも、所謂いいところのお嬢様というやつである。
「でもすごいですわ。もう一人で寝れるなんて。私なんて、三年前くらいまではセバスタンに添い寝してもらってましてよ」
「え? あのイケメン執事にか!? ず、ずりぃでシャロン。うちなんて、ぐわぐわ言ってるとっぽいのしかおらへんのに」
ふふふと微笑むシャロンに、レティが羨ましいと唇を尖らせた。急に首を動かしたから、せっかくの水がぽたりと落ちる。
「うちの店は宿屋もやってるからさー。使ってないへや頼んだのだ」
リュカもそんな二人を笑顔で見つめて、足をぶらぶらさせながら話を続ける。
「それは初耳ですね。……そうだ、今度お泊まりにいってもいいかしら? 興味がありますの」
「お、ええなぁ。うちの親爺も、リュカのとこ誉めてたんよ。営業行けってうるさくてなぁ。……噂のキョウイチローさんも見てみたいし」
二人の言葉に、リュカの尻尾がびくんと跳ねる。
お泊まり。なんとも素敵な響きである。考えたことすらなかった。
だが、傍らのシャロンがレティをじとりと睨み、窘めるように口を開いた。
「こらレティ。お仕事で行くんじゃありませんわよ。商人根性もかまいませんが、あくまでリュカさんの友人として遊びに行くんですからね。それと、くれぐれも恭一郎さんに迷惑など……」
「へいへーい。相変わらず硬いなぁシャロンは」
レティが胸の間に水をかけながら、シャロンの小言を聞き流す。うっすらと服が透け、レティの淡い緑色の肌にぴたりとくっついた。
はしたないとシャロンが睨むが、レティは気にしてないとばかりに首元を開けて風を送る。
「……おとまり」
そんな二人を眺めながら、リュカは呆けたように固まっていた。
◆ ◆
目の前の光景に、恭一郎は冷や汗を垂らしながら何とか笑顔を作った。
「こいつぁ、恭一郎の旦那。お噂はかねがね……。この度は、手前どものお嬢さんの急な無茶を快く引き受けて頂いたようで、真にありがとうございやす」
「お嬢さん、くれぐれも失礼のないよう。あっしたちは、別の部屋を借りて待機しておりやすんで。何かあったらすぐに」
ドスの聞いた声。タイザに並ぶほどの体躯。何より、目の光り方が尋常ではない。
彼らは河童、だろうか。恭一郎も知っているポピュラーな種族だ。
するどく尖ったクチバシ、分厚い甲羅。そして盛り上がった筋肉。相撲が強いという逸話も分かると言うものだろう。だが、なんというか……。
(ぜ、絶対に堅気の人たちじゃない……ッ!!)
「えー、何言うてんの。あんたらなんかが泊まったら、営業妨害になってまうわ。付いてこんでええ言うたのに、勝手に付いてきて。うちのことはええから、あんたらはもう帰りぃ」
必死に身体の震えを止めていた恭一郎の前で、レティが頭の後ろで腕を組みながら男衆二人に向かって口を尖らせた。
「えっ? いえ、しかしそれは……」
「ええからっ! 帰れ言いよるんが分からんのか!! ここどこやと思てんねん!! うちの友達の家やぞ!! あんまうちに恥かかすなやッ!!」
ビリビリと、とんでもない声量の怒号がしっぽ亭に響き渡る。
恭一郎は肌に触れる空気の震えに、一瞬泣きそうになってしまった。
(リュ、リュカちゃんの友達がお泊まりに来るって言うから、俺も楽しみにしてたのにっ……!)
数時間前までの、平和な時間を思い出す。
『キョーにーちゃん、レティもシャロンもね、すごく優しいんだ。いっつもリュカとしゃべってくれるんだよー。二人とも、キョーにーちゃんのクッキー美味しいっていってくれてた!』
『そっかー。だったらたくさん用意しとかないとね。リュカちゃんの初めてのお泊まり会だもん。夜は皆でクッキー食べながらお喋りするといいよ』
わーいと火を噴くリュカを微笑みながら見ていた時間が、恭一郎にはひどく懐かしい。
応援ありがとうございます!
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