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俺が最初に好きだったんだ

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 海が好きなのだと彼女は言った。

 休みのたびに海に通うのだと。カラフルなサーフボードを何枚も持っていた。
 自分で描いたと言う魚の絵はディフォルメされていたが生き生きとした楽しさを感じられた。真っ当で真っ直ぐで明るい人間だった。

 そんな彼女は数度目に会った時、賑やかなカフェで不安げに下げていた顔を上げ重い口を開いた。

「…子供が出来たんだ」
「………」
「その…思い当たるのが、…貴方しかいなくて」
「好きだ。結婚しよう」

 するりとその言葉が、出た。驚いた顔を見ながら思う。

 結婚なんて、家族なんて、自分が持てるなんて考えていなかった。

 いや、家族なんて作っちゃいけないと思っていた。

 でも、もういいんじゃ無いだろうか?
 もう、父親の事も、母親の事も忘れて、この呪縛から、解放されてもいいんじゃ無いだろうか?

 逃げたかった。何でもいい、逃げたかったんだ。

「…よかった」
「……」
「うん!結婚しよう!」

 彼女は安心したように笑った。罪悪感で少しだけ心が痛んだ。
 この後に及んでも叶が思い出すのは、小っちゃいてっちゃんと、ダメ人間輝の笑顔だった。


 決まってからは早かった。
 彼女の両親に挨拶をし、式場を決め、祖母を紹介した。祖母は我が事のように喜んでくれて他界した祖父に報告していた。
 複雑な叶の家庭環境にも彼女は理解を示し、深く聞く事はなくただ優しく叶の側に寄り添ってくれた。
 自分には勿体無い人間ひとだと、今更ながら思った。

 初めて叶の中で迷いが生じたのは友人に対しての招待状を出す段階になってからだった。

 伊東、輝。

 彼だけは、どうしても呼びたくなかった。

 きっと彼は、はしゃいで嬉しそうに叶を祝ってくれるだろう。馬鹿なクズだが、純真で単純とも言い換えられる。
 祝いの場など殆ど呼ばれることのない彼はそれはもう喜ぶ事だろう。楽しそうに。笑顔で。

 絶対に、嫌だった。
 満面の笑みで「おめでと!」なんて言われたら

 シャンパンのボトルで殴って

 その辺のカトラリーを突き刺して

 キャンドルトーチで火をつけるだろう

 耐えられない。憎しみが爆発しそうだ。

 まぁ、そんな叶の複雑な心境など想像も出来ないあの単純馬鹿は今頃年上の女に甘やかされて悠々自適に自堕落を楽しんでいるのだろうが。

 バキッと音がして握り折ってしまった筆ペンが手のひらに刺さる痛みに叶は我に返った。
 インクが伊東輝の文字を塗り潰していく。
 ハガキを1枚駄目にしてしまった。入念にぐちゃぐちゃに丸め潰してゴミ箱に捨てようとしたが、満足出来ずに灰皿に入れ、ライターで火をつけた。

 燃えていく紙を見つめながら、この感情も一緒に灰になればいいのに、と願った。




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