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四章・私にしかできないこと
五十五話「傷つける距離」
しおりを挟む『んで、どうする? 俺的には結構いいと思ってるよ』
「……それって脅しですよね」
『恨むなら慶壱を恨んでよ。彼、猪突猛進って感じで面白かった』
俺に任せろ、なんて豪語してた慶壱は東さんと直接会って話したらしい。
内容については詳しく聞いてないけど、二人的には話はまとまったらしい。当事者のいないところで勝手に話をまとめられて、甚だ遺憾であると抗議したところ、東さんに間違った意味の言葉を使うなと怒られた。
『書籍化するなら玄雅には黙っておく。書籍化を辞退するなら玄雅に言う。さて、知世ちゃんはどっちを選ぶ? もうあんまり時間ないから決めてほしいところなんだよね』
先生に伝えられたら結局のところ先生を困らせてしまう。先生に伝えなかったら先生は困らないけど、私は改稿しなきゃいけない。
「それって、結局のところ選択肢は一つだけじゃないですか」
『そうとも言えるね』
ちらりと時計を見るとまだ朝の九時前。先生に話したいことがたくさんあるから早めに家を出たけど、これはさすがに早すぎた。
『慶壱はどうしても知世ちゃんに小説を書かせたいの一点張り。どうするかの具体例とか全く考えてないのに、ただただ真っ直ぐな目で知世ちゃんの小説が読みたいんだって』
「慶壱は見た目そのままの脳筋ですから。何にも考えてないですよ」
『何にも考えてない慶壱は、ただ必死に知世ちゃんの小説を読みたいって気持ちだけで俺に連絡してきた。嬉しいね』
電話越しでもわかる。
今の東さんは絶対殴りたくなるぐらいニヤついてるはず。
「……わかりました。書きます」
『よっし! 待ってました』
「約束は守ってくださいよ」
『任せといてよ、那月昴先生』
何が任せてといてだよ。何にも任せられない。
ぶちりと電話を切って深呼吸。これからの多忙は確定した。もう後戻りはできない。
先生の小説と自分の小説と仕事。三つだけでも精一杯なのに、それ以上のことを抱えられないし悩んでもいられない。
「……うっし、言うぞ」
言いたいことは書いてきた。頭の中で何度もシュミレーションした。
今日はそれをただ言うだけ。それだけでいい。
*
沈黙に負けてやるものか。
心の中ではそう何度も意気込んでるのに口は全然動いてくれない。
先生は豊見親の作業中。邪魔はしたくないんです。全力で小説に向き合ってほしいと思ってるんです。でも、少しだけ私の話を聞いてほしい。少しでいいから私のことを気にしてほしい。
ネックレスをぎゅっと握りしめて、ふっと短く息を吐く。
美本毎日忙し?
話そう、と思って開けた口を何にもなかったかのように急いで閉じる。
倒れてから半年以上、先生自身の懸命なりハリビりのおかげで綺麗とは言えないけどひらがなを少しづつ書けるようになった。
「忙しいですけど、何やかんや楽しいです。こうやって毎日先生のお見舞いにも来れてますし、雇ってくれてる慶壱に感謝しないとですね」
毎日来る辛なら来辞良い。
タブレットに書かれた文字は思ってもみなかったもの。
先生の漢文もどきは何度も見た。もう慣れっこ。先生はうまく喋れなくてもどかしいかもしれないけど、私は先生の書く文字を見れば完璧にわかる自信がある。
そんな自信なかったらいいのに、どういうことですか? って聞き返せればよかったのに。
「……先生は、私に来てほしくないですか? 私といるのは辛いですか?」
大きく首を振ってくださいよ。ぶんぶんって効果音が聞こえそうなぐらい、横に大きく振って私の言葉を否定してください。
そう思ってるのに、それを願ってるのに、先生は思うような反応をしてくれない。困ったように笑うだけ。
「い、いま……の、の……ぼく、は」
先生はタブレットを置いて話す。
「……み、もと……き、ず……つ、ける……ぼく、きょ……きょり、さが、せ……ない」
「先生は私を傷つけてる、そう言いたいんですよね?」
先生は口をぱくぱくとしていたけど、諦めたようにタブレットに文字を書き始める。
今僕は美本傷作る。美本僕居と傷できる。
あぁ、先生の頑張りが本当によくわかる。
こんなにひらがなを書けるようになった。言葉も前よりも喋れるようになった。
先生が言いたいことを理解した上でそんなことを思ってしまう。
「先生は私を傷つける距離にいる。私を傷つけない距離は探せない。だから、離れたい。そう思ってるんですか? そういうことを考えてあんな態度だったんですか?」
お医者さんに難しい質問はしない。そう言われた。
例えばご飯は何が食べたい? じゃなくて白米と麺どっちがいい? という感じで大きな選択肢じゃなくて二つぐらいの選択肢だったり、はいかいいえで答えられる質問をしてほしいと言われてる。
でも、今はそんなこと構ってられない。
「なんで私が毎日ここに来てるかわかりますか?」
私の目標はハリネズミ。その意味は相手を傷つけない距離を見つけたい。その目標を何年も掲げて来たはずなのに、いつまで経っても見つけられた試しがない。
関わる人みんなを引っ掻き回して、迷惑かけて、傷つけまくって。
「罪滅ぼしと、それから下心です。親切心で来てるわけじゃないんですよ」
嘘を言う時は本当のことも言え。学生時代のバイトの先輩に教わったこと。
嘘は作りもの。その作りものを塗り重ねるためには芯がいる。その芯まで作りものだったらいつか折れてしまってぼろがでるけど、芯が本当だったら、周りが崩れ落ちても芯だけは折れない。
女遊びが激しい最低な人が言ってたんだから説得力が違う。
「何もできなかったことの罪滅ぼし。下心はそのままです。先生のことが好きです。好きだからこそ、今の先生の近くにいるんです」
先生は私の言葉を聞いても反応はなし。
私の好意に気づいてることなんてわかってた。わかりきってたこと。そんなことで動揺してやるものか。
「好きな人が弱ってる時に近くにいる。そして、小説のお手伝いもしてる。先生が元気になるまで献身的にしていたら、先生も私のこと好きになってくれるんじゃないか。それが私の下心です」
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