ハリネズミたちの距離

最上来

文字の大きさ
上 下
53 / 61
四章・私にしかできないこと

五十三話「玄雅にとって知世ちゃんは」

しおりを挟む

 今日も先生は相変わらず。作業してて私のことなんて全然気にしてくれない……先生との距離がどんどん遠くなってる気がする。
 全部私のせいだから文句を言える立場じゃないけど、やるせない気持ちがぐるぐる。

「やっほー知世ちゃん」
「……こんにちは」

 まだ約束の一時じゃないのに、東さんは人の家の前にあぐらをかいて座り込んでる。

「暑くなかったですか?」
「暑かった。知世ちゃん早く帰って来ないかなーって待ちわびてた」
「それなら連絡くださいよ」
「どうせ玄雅のとこ行ってたんでしょ?  知世ちゃんってば真面目だよね」

 相変わらず東さんは苦手。嫌いとは思わなくなったけど、確実に苦手。好きにはなれない。
 どうぞ、と部屋に案内するとずかずかと部屋に入り込みテーブルの前にどすんと座り込む。何回も私の部屋に来てるとはいえその態度はどうなのよ。

「麦茶と緑茶どっちがいいですか?」
「緑茶がいいな」

 私がお茶を淹れてる間に東さんはテーブルになんかいっぱい広げてる。紙?  なんか文字がびっしり書いた紙が綺麗に置いてある。

「お茶置けないじゃないですか、もっとまとめて……えっ」

 見たことのあるタイトルと見覚えのある文章が書かれた紙。

「お茶ありがとう」

 東さんは固まってる私なんて気にすることなく、お茶を一気に飲み干す。

「那月昴先生」

 どくん、嫌な音がする。
 どくんどくん、嫌な音は止まるどころかどんどん大きくなる。大きく大きく、私の思考を奪うぐらいに体中に響き渡る。

「今回の大賞は猫の目に映るに決まった。大賞は書籍化されるってわかってるよね」

 予感はあった。
 東さんが先生って呼んだ時にもしかして、とは思った。

「正式な発表はまだだけど、知世ちゃんには先に伝えようと思って」
「で、でも……私は」
「そう言うと思ってたから、俺は知世ちゃんを説得するためにここに来た」

 嫌な音はまだ聞こえてきてる。
 嬉しい?  そんな感情は一切ない。応募した時は中間に残れたらいいな、そんなことを思ったけど中間発表のことすらすっかり忘れてた。
 応募したあとに先生はすぐ倒れて、私は生きるのに必死で、今は先生の小説が一番大事で。
 今の私に自分の小説なんて必要ない。

「玄雅のこともあって時間的にも忙しくて、精神的にも余裕がないとは思う。それでも俺は」
「嫌です」

 東さんの話を聞く気はない。何を言われても、どう思われても、どれだけ迷惑をかけたとしても、私は自分の小説を書く気はない。

「応募したのに大変申し訳ないとは思ってます。けど、辞退させてください」

 高校生の時の夢だった小説家。その職業になれるチャンスかもしれないのに、実家を飛び出してまでなりたかったのに、なんで今なの?  なんで、なんでこのタイミングでこんなことになるの?

「私は今先生の小説を第一優先したいんです。先生はリハビリをものすごく頑張ってて、少しならひらがなも読めるようになってて……」
「わかってる。今玄雅は頑張ってて、知世ちゃんはそれを一番大事にしたいってことはわかってる。それでも、俺はこの話にも向き合ってほしい」

 東さんもこんな顔をするのか。真面目で真剣で、真っ直ぐな目で私を見つめる。
 いつものチャラついた東さんはどこにもいない。私の前にいるのは、間違えなく編集者の東さん。

「玄雅がなんであんなに知世ちゃんに小説を書いてほしかったかわかる?」
「……わかりません」
「玄雅はね、恩返しをさせてほしいって言ってたんだ」

 恩返し?
 恩があるのは私の方で、今となっては罪もあって。一生かけたって私は先生に恩を返せる気も罪が許される気もしない。

「せんたくの話は聞いたでしょ?  茜さんがーみたいな話」
「聞きましたけど、」
「その話を聞いた時の知世ちゃんの言葉。あれね、知世ちゃんが思ってるのの数倍は玄雅に響いて、そして救ってあげた言葉なんだよ」
「でも……私は好きって伝えただけなんです」
「そう。それだけ。その一言で玄雅は救われた」

 東さんは私が書いた文字を指さす。

「知世ちゃんの文字、なーんか見たことあるなって思ってたんだ。最近思い出したけど、玄雅にファンレター書いたことあるでしょ?」
「あ、りますけど……何年も前に一度だけですよ」
「やっぱり。玄雅が大事に取ってあって定期的に見てたから印象に残ってた」
「せん、せいが?  私の手紙を……大事に?」
「うん。俺にも何回も見せてきてた。俺が気づくんだから玄雅はもっと前から気づいてたと思うよ」

 せんたくを読んだあとに勢いで書いた感想を大事に取ってある恥ずかしさと、先生が昔の私の手紙を持っていてくれてる嬉しさと、なんて表現すればいいかわからない。

「当時の玄雅はあの手紙に救われたってよく言ってた。その救ってくれた人に出会えて、その人が相変わらず好きでいてくれて。それって奇跡だと思うよ。玄雅にとって知世ちゃんは奇跡そのもの……俺の勝手な憶測だけどね」

 奇跡そのもの。私が?  ただの一般人の私が先生にとって奇跡?
 馬鹿らしいと鼻で笑って吹き飛ばしたい。けど、そうであったらなって願う私もいる。

「そんな奇跡が諦めてた夢を自分の影響でまた追いかけ始めて。玄雅は俺と会う度に豊見親とぅゆみゃより知世ちゃんの話をするもんだから、何回ぶん殴ったか」
「……でも、なんて言われても」

 東さんのよく回る口に惑わされるな。
 今の私には優先順位がある。たくさんのものを一気に抱えられるほど私は器用じゃない。
 一つのものを落とさずに抱えるのが精一杯なの。欲張ったら全部だめになる。

「今日じゃなくていい。ゆっくり考えてから答えは出してよ。まだ発表まで時間はあるからさ」

 考えるまでもない。
 今この場でこの話は終わり。もうこれ以上東さんと話すことなんてない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

旧・革命(『文芸部』シリーズ)

Aoi
ライト文芸
「マシロは私が殺したんだ。」マシロの元バンドメンバー苅谷緑はこの言葉を残してライブハウスを去っていった。マシロ自殺の真相を知るため、ヒマリたち文芸部は大阪に向かう。マシロが残した『最期のメッセージ』とは? 『透明少女』の続編。『文芸部』シリーズ第2弾!

夫を愛することはやめました。

杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。

デッドライン

もちっぱち
ライト文芸
破壊の先に何があるか 国からの指示で  家電や家の全てのものを没収された とある村での話。 全部失った先に何が出来るか ありそうでなかった リセットされた世界で 生きられるか フィクション ストーリー

【完結】のぞみと申します。願い事、聞かせてください

私雨
ライト文芸
 ある日、中野美於(なかの みお)というOLが仕事をクビになった。  時間を持て余していて、彼女は高校の頃の友達を探しにいこうと決意した。  彼がメイド喫茶が好きだったということを思い出して、美於(みお)は秋葉原に行く。そこにたどり着くと、一つの店名が彼女の興味を引く。    「ゆめゐ喫茶に来てみませんか? うちのキチャを飲めば、あなたの願いを一つ叶えていただけます! どなたでも大歓迎です!」  そう促されて、美於(みお)はゆめゐ喫茶に行ってみる。しかし、希(のぞみ)というメイドに案内されると、突拍子もないことが起こった。    ーー希は車に轢き殺されたんだ。     その後、ゆめゐ喫茶の店長が希の死体に気づいた。泣きながら、美於(みお)にこう訴える。 「希の跡継ぎになってください」  恩返しに、美於(みお)の願いを叶えてくれるらしい……。  美於は名前を捨てて、希(のぞみ)と名乗る。  失恋した女子高生。    歌い続けたいけどチケットが売れなくなったアイドル。  そして、美於(みお)に会いたいサラリーマン。  その三人の願いが叶う物語。  それに、美於(みお)には大きな願い事があるーー

COVERTー隠れ蓑を探してー

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
潜入捜査官である山崎晶(やまざきあきら)は、船舶代理店の営業として生活をしていた。営業と言いながらも、愛想を振りまく事が苦手で、未だエス(情報提供者)の数が少なかった。  ある日、ボスからエスになれそうな女性がいると合コンを秘密裏にセッティングされた。山口夏恋(やまぐちかれん)という女性はよいエスに育つだろうとボスに言われる。彼女をエスにするかはゆっくりと考えればいい。そう思っていた矢先に事件は起きた。    潜入先の会社が手配したコンテナ船の荷物から大量の武器が発見された。追い打ちをかけるように、合コンで知り合った山口夏恋が何者かに連れ去られてしまう。 『もしかしたら、事件は全て繋がっているんじゃないのか!』  山崎は真の身分を隠したまま、事件を解決することができるのか。そして、山口夏恋を無事に救出することはできるのか。偽りで固めた生活に、後ろめたさを抱えながら捜索に疾走する若手潜入捜査官のお話です。 ※全てフィクションです。 ※小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

思い出を売った女

志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。 それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。 浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。 浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。 全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。 ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。 あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。 R15は保険です 他サイトでも公開しています 表紙は写真ACより引用しました

螺旋邸の咎者たち

センリリリ
ライト文芸
後ろめたいことを抱えてる、悪人じゃないけど善人でもない、 そんな『咎者(とがもの)』たちが集まればーーーー。 工場の事務職の傍ら、亡き母の面影を追ってジャーナリストをひそかに目指していた、沖津棗(なつめ)。 突然の失業を機に、知人の週刊誌記者、堀田に『潜入ルポ』を勧められ、いわくのある家に住み込みで勤めることになる。 <表紙> 画像→photoAC タイトル文字→かんたん表紙メーカー

ふたりぼっちで食卓を囲む

石田空
ライト文芸
都会の荒波に嫌気が差し、テレワークをきっかけに少し田舎の古民家に引っ越すことに決めた美奈穂。不動産屋で悶着したあとに、家を無くして困っている春陽と出会う。 ひょんなことから意気投合したふたりは、古民家でシェアハウスを開始する。 人目を気にしない食事にお酒。古民家で暮らすちょっぴり困ったこと。 のんびりとしながら、女ふたりのシェアハウスは続く。 サイトより転載になります。

処理中です...