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二章・私は那月昴
十八話「死にそうなぐらい」
しおりを挟む私の今の悩みごと。その一、先生が可愛すぎて心臓がもたないこと。その二、献立のバリエーションが少なすぎること。その三、慶壱とのこと。
そして、その四。
「小説って……どうやって書けばいいんですか?」
先生の部屋のテーブルでぐったりしてる。同じテーブルでパソコンいじってる先生の邪魔しちゃいけないのはわかってるんだけど……先生以外に聞ける人がいない。
「とりあえず、ルールとか流れとか全部無視して書きたいもの書いてみなよ」
書きたい気持ちはある。毎日小説のことを考えて、読んだり書いたりしてる先生を見てるから触発はされてる。はずなんだけど……いざ書こうとすると一文字も思いつかない。
「僕も一時期書くの辛かった時期あるけど、書いてればなんとなかったよ」
「先生にもそんな時期あったんですか?」
「……美本に言うか悩んでた話なんだけど、話してもいい?」
「もちろんです」
私に言うか悩んでた話? どんな内容の話かは見当つかないけど、そんなこと言われたら気になっちゃう。
「僕が年齢不詳なわけは話したでしょ?」
「はい」
「それと関わりのある話なんだけど……二作目、美本が好きって言ってくれてるせんたく。あのお話、実は僕が書きたい作品じゃなかった。当時の担当編集だった茜に言われるがまま書いた作品なんだ」
「……先生、言葉選ばなくていいです」
何となく先生が言いたいことはわかった。
「私は、先生が感じたままを聞きたいです」
私がこう言った方が絶対に先生は楽に話してくれる。私に気を使って言葉を選びながら話すより、思ったままに話してくれた方が楽に決まってる。
「……辛かった。あの作品を書いてる時は楽しくなかったし苦しかった。発売されてからも売上げがあんまり伸びなくて、茜も僕に申し訳ないって顔を合わせる度に言ってきた。正直に言うと、せんたくだけは発売されてから読み返せなかった」
私は一瞬だけだけど、小説家を目指した。
素人ながらに小説の書き方もどうやったら小説家として生活できるかも、たくさんたくさん調べた。私の知ってることのどこまでが本当かはわからないけど、売上げが伸びない。その事実がどんなに作者を精神的にも金銭的にも苦しめるのか。想像するのは難しくない。
「茜が僕のためにせんたくを書いてって言ってくれたのも知ってるし、その当時は付き合ってたから、そんな茜を苦しめてるのも精神的にきつくて……あの時はもう書きたくないって筆を折りそうになった」
先生の苦しみを聞くのは辛い。好きな人が苦しんでるなんて、過去の出来事だとしても聞きたくもない。
だけど、先生の苦しみの一つは当時の彼女を苦しめたいうもの。それが先生のことが好きな私をどれだけ傷つけてるか。今の私がどれだけ苦しいか。わかってほしいって思っちゃう。ただの私の嫉妬なのに抑えられない。かっこ悪いし悔しいし……辛くてたまらない。
「でも、やめられなかった。どれだけ書くのが辛くても、やっぱり僕は小説を書かないと死にそうなぐらい苦しくなっちゃって。どっちにしろ嫌な思いをするなら、書いて嫌な思いになりたいって思って書いたのが空が崩れても飛び出る穴はある。あの話は僕の好きをぎゅっと詰め込んだ自己満足の塊だったけど、たくさんの人に評価されて救われた」
「空が崩れてもが自己満なんですか……? あんなに素晴らしいお話が?」
「そう。あれは僕が好きな李氏朝鮮の王様をモデルに書いたお話だからね。もうこれでもかーってぐらい、好きだけを詰め込んで書いた」
才能って言葉で全部を表現したくはない。才能があるから、その一言はその人の努力を全部元からあったもののように表現してしまうから好きじゃない。
それでも、好きを詰め込んで書いた作品が代表作と言われる先生のすごさに、才能以外の言葉が見つからない。
「だからね、僕も茜もせんたくって作品にあまりいい思い出がないんだ」
「でも、私の一番がせんたくに変わりありませんよ」
「本当にごめんね。好きな作品がこんな生れ方してるって教えちゃって。それとね、心の底からありがとう」
ごめんね、と言われるのはわかるんだけど……ありがとうってのはなんだ?
「そんな作品のこと好きって言ってくれて、僕も茜もとてつもなく救われてる。美本が帯のうたい文句を見て買ったって言ったでしょ? あのうたい文句を考えた茜が美本の話を聞いて声をあげて泣いたのがその証拠。三十のいい大人があれだけ泣くんだから、茜は美本に感謝してもしきれないと思うよ。当然僕も同じ気持ち」
「……でも、私、好きって言っただけですよ?」
「書いたり関わった作品を好きって言ってもらえるだけで、どれだけ嬉しくて救われるのか、好きの一言でどれだけ作者が喜ぶのか。美本も僕と同じ経験したことがあるから、小説を書いてたんじゃないの?」
私の作品を一番に読んでくれた人。面白いって言ってくれた人。応援するって言ってくれた人。
私が小説家を目指したきっかけは先生だけど、二年もその夢を追いかけられたのは……慶壱のおかげ。
夢を諦めたきっかけも慶壱だけど、恨みよりも応援してくれた感謝の方がずっと大きい。
「そうです……私、あいつの一言で頑張れたんです」
先生、こちらこそ本当に心の底からありがとうございます。
私ももう逃げないし、慶壱を逃がすつもりもありません。ヘタレてるならぶん殴ってでも正面向かせます。
私には、どうしても慶壱が必要なんです。
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