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第二部

上弦の月・10

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午後は仕事をこなして、なんとか頭の中からスキャンダルを追いやることに、尽力を注いだ。
終業後、帰ろうと支度をしていると、そんなに仲良くないけれどたまに話す先輩に声を掛けられた。
「林さん、見たよネットニュース!ファンやってると、大変だねえ。私も衝撃だったよー。」
慰めに来たのか、興味本位で来たのか、そんなのはどうでもいい。
が、今この世で一番衝撃を受けて、傷ついているのは、この私なので気軽に話しかけないでもらえますか?
っていうか、ばんばん担はみんな死ぬほど傷ついてるから、そういう風に話題にするの、全世界でやめて。
傷口に塩を塗ってるからね?
一つも慰めになってないからね?
まじで余計なお世話だからね?
ばんばんのこと何も知らないくせに、わざわざばんばん担に振らないで?
殺意沸いてるの察してくれる?
この人に聞かされる前に、実音々が教えてくれて良かった…心持ちが違った。
「そうですね。じゃ、お疲れ様です。」
心を鎮めて、出来るだけ感情を出さないように挨拶をすれば、鬼の所業をされる。
「え?そんなもんなの?軽いんだね。」
殺すぞ、お前。
「お疲れ様です。」
三度めはないぞ、と笑顔で応えて家路を急ぐ。
あいつとは、もう今後一切喋らぬ。
スキャンダルやネガティブなニュースが出ると、ああやって話題を振ってくる奴らはなんなのか。
お前らより傷ついてるのは、こっちなんだよ。うるせえ、黙れ。
だったら黙って見舞金よこせ。その見舞金で生写真を買って自担に貢いでやる。
つらい、つらい、つらい、むり、むり、むり、つらい…
頭がぐるんぐるんして、何も手につかない。
どこを歩いたか覚えていないのに、いつの間にか家に着いていた。
「お姉ちゃん!大丈夫?!」
廊下をバタバタ走ってくるマイプレシャス。
「…ギリギリで生きてる。」
「ばんばんと、連絡取った?」
ぐっと胃からせり上がってくるものを、押し留める。
「…まだ…してない…怖くてできない。」
震え始めた手を、実音々がぎゅっと握った。
「分かるけど、今ね、この世界で自担の真実を知ることが出来るのは、お姉ちゃんだけなんだよ。他のファンは、知りたくても知れないまま、このスキャンダルを胸にしまって、モヤモヤしたまま、応援し続けるんだよ。」
そうだ…その通りだ…
スキャンダルが出ても、本人たちは否定なんてしない。もちろん、肯定もしない。
だから、ファンは自分の信じたい物を真実として信じるしかないのだ。
それでも、不安でモヤモヤし続ける。時が経って、風化して忘れるまで、信じ続けるしかないんだ。
スキャンダルが出た直後の、現場の辛さ…計り知れない…
「…やっぱり、湯畑さんが好きだから、別れようって言われたら…」
自分で別れようって言うかもしれないって思ってたくせに、きいくんに言われるのは嫌だなんて、身勝手すぎる。あんなメッセージも送って、わざと嫌われるようなことをして。だから私は、私が嫌だ。こんなの、メンヘラじゃん。全然プロ彼女じゃない。
既に泣き出している私の肩を、実音々が揺さぶる。
「そんなこと言ったら、私の全力で社会的制裁するから安心して。」
「それはだめー!」
「お姉ちゃん、ちゃんと話して。もし一人で電話するのが怖いなら、私が離れたところでお姉ちゃんのこと見てるから、ね?」
こくりと頷き、スマホを実音々に渡す。
「着替えてくるから、持ってて。怖くて持ってられない。」
「分かった。」

自室で着替えてリビングに行けば、テーブルの真ん中にスマホが置いてあった。
実音々はキッチンから私に手を振る。
「お姉ちゃん、見守ってるから!」
「…うん。」
深呼吸をして、スマホの画面をつけると、ものすごい数のメッセージと着信がついていた。
「みねねー…きいくんからの連絡の量が半端ないんだけど…」
「そりゃそうでしょ、愛する彼女に言い訳くらいしたいでしょ。」
そうなのかな…まだ私のこと好きでいてくれてるのかな…
切っていた通知を元に戻して、ざっとメッセージに目を通せば、連絡を取りたいという旨を、色んな表現で送ってきていた。
きいくんは忙しいのに、私のせいで迷惑をかけてしまった…やっぱり、彼女失格だよ。
「お姉ちゃん、がんばれー!」
「うん…」
深呼吸を繰り返して、一際深く息を吐いた時、テーブルの上のスマホが揺れた。
「わっ!…きいくんだ…」
「早く!早く出て!切れる前に!!」
「…うん…」
通話ボタンをタップする。
「も…もしもし…」
「なかちゃん!?本当になかちゃん?!」
「はい、そうです。」
「……良かったあ…やっと声が聞けた…良かった…もう出てくれないかと思ってた…」
ものすごく、心配をさせてしまっていた。電話口の声が、今まで聞いたことないくらい、力がない。
「ごめんなさい。」
「謝らなくていいから、なかちゃんは、何にも悪くないから。」
「…でも」
「心配させて、ごめん。全部、俺のせいだから。本当は会ってちゃんと話したいんだけど、事務所から出たら、週刊誌の記者につけられてて…なかちゃん家に行けなくて…本当にごめん。」
ああ、そうだよね。あんなニュース出たら、記者に質問されたりするよね。
「なかちゃん、もう見たと思うけど。あれ、違うからね。まず、二人じゃないから。ドラマの共演者だけで飲みに行ったんだ。あれは湯畑さんが酔って具合悪かったから、タクシー呼んで見送っただけなんだよ。その後、店に戻ったし、河内さんと大森さんと飲んでたから…だから…信じて欲しい。今まで一度も湯畑さんと二人になったことはないよ。」
そうか、きいくんは…またあの優しさを発揮したんだ。ファンであることを誇りに思う、あの気高い優しさを。私と初めて出会った時と、同じ優しさを。
でも、彼女になると、その優しさが辛いこともあるんだね。
初めて知ったよ。
「…本当?」
声が、震えてしまった。
疑ってる訳じゃない、だけど辛くて苦しい。
でも、束縛したくない。
「俺、なかちゃんには、本当のことしか言わない。絶対に。」
「…うん。」
きいくんが、私に嘘なんてついたことない。
「だから、俺から離れていかないで…お願いだから、そばにいて…なかちゃんには、辛い思いばっかりさせちゃうけど、俺ばっかり幸せで…ごめん…ごめん。だけど、なかちゃんがいなくなるのは、嫌だ…やだよ…」
きいくんが、泣いてる。
向こう側でグズグズと鼻をすする音がした。
私が、きいくんを、泣かせてしまった。
泣き虫の私が泣くのとは、訳が違う。
「きいくん、ごめんね…ごめんね…」
嗚咽が漏れそうなのを、堪える。
「やだ…なかちゃんが、俺のこと好きじゃなきゃやだ…」
「ごめんね…」
「ごめんて言わないで…別れるのやだ…」
どうしようもなく、愛しかった。
ちゃんと、話をしようとしなかった自分に、後悔した。
「違うの、そうじゃないの。私が、悪いの。きいくんと一緒にいられなくなるなら、嫌われた方が楽になるなんて、最低の選択をした、私が悪いの。きいくんを、傷つけて、酷いことして、私が悪いの…」
「ちがう、俺の自衛が出来てなかったから…なかちゃんを我慢させてるのは…俺なんだ…なかちゃんに負担をかけて、不満も言わせてあげられない、俺が…俺のせいだから…」
お互い、自分のせいだと思っていた。相手のことを思う余り、相手の気持ちが見えていなかったんだ。
「きいくん、好き…」
「俺も、なかちゃんが…好き…今すぐ会いに行きたい…」
「それはダメ…きいくんが大変になるからダメ。」
「…わかった。でも、明後日来て。ちゃんと、話したい。」
行って、大丈夫なんだろうか。
会いたいけれど、またスキャンダルになったりしないのだろうか。
「行って平気なの?」
「大丈夫。今週はずっと悠斗の家にいるから。」
えっ?!今、ゆーてぃの家で電話してるの?!
「あっ、今は悠斗いないから、安心して!」
そっか、良かった。恥ずかし過ぎる。
「うん、会いに行くね。ちゃんと、お話する…」
「絶対だよ。」

電話を切ってキッチンを見れば、実音々の姿はなかった。
きっと、大丈夫そうだと判断して、部屋に移動してくれたんだろう。
実音々がいなかったら、きいくんと話し合うことは出来なかった。
私の一番の味方は、実音々だ。
アイス、たくさん買ってこよう。

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