57 / 194
第二部
上弦の月・10
しおりを挟む午後は仕事をこなして、なんとか頭の中からスキャンダルを追いやることに、尽力を注いだ。
終業後、帰ろうと支度をしていると、そんなに仲良くないけれどたまに話す先輩に声を掛けられた。
「林さん、見たよネットニュース!ファンやってると、大変だねえ。私も衝撃だったよー。」
慰めに来たのか、興味本位で来たのか、そんなのはどうでもいい。
が、今この世で一番衝撃を受けて、傷ついているのは、この私なので気軽に話しかけないでもらえますか?
っていうか、ばんばん担はみんな死ぬほど傷ついてるから、そういう風に話題にするの、全世界でやめて。
傷口に塩を塗ってるからね?
一つも慰めになってないからね?
まじで余計なお世話だからね?
ばんばんのこと何も知らないくせに、わざわざばんばん担に振らないで?
殺意沸いてるの察してくれる?
この人に聞かされる前に、実音々が教えてくれて良かった…心持ちが違った。
「そうですね。じゃ、お疲れ様です。」
心を鎮めて、出来るだけ感情を出さないように挨拶をすれば、鬼の所業をされる。
「え?そんなもんなの?軽いんだね。」
殺すぞ、お前。
「お疲れ様です。」
三度めはないぞ、と笑顔で応えて家路を急ぐ。
あいつとは、もう今後一切喋らぬ。
スキャンダルやネガティブなニュースが出ると、ああやって話題を振ってくる奴らはなんなのか。
お前らより傷ついてるのは、こっちなんだよ。うるせえ、黙れ。
だったら黙って見舞金よこせ。その見舞金で生写真を買って自担に貢いでやる。
つらい、つらい、つらい、むり、むり、むり、つらい…
頭がぐるんぐるんして、何も手につかない。
どこを歩いたか覚えていないのに、いつの間にか家に着いていた。
「お姉ちゃん!大丈夫?!」
廊下をバタバタ走ってくるマイプレシャス。
「…ギリギリで生きてる。」
「ばんばんと、連絡取った?」
ぐっと胃からせり上がってくるものを、押し留める。
「…まだ…してない…怖くてできない。」
震え始めた手を、実音々がぎゅっと握った。
「分かるけど、今ね、この世界で自担の真実を知ることが出来るのは、お姉ちゃんだけなんだよ。他のファンは、知りたくても知れないまま、このスキャンダルを胸にしまって、モヤモヤしたまま、応援し続けるんだよ。」
そうだ…その通りだ…
スキャンダルが出ても、本人たちは否定なんてしない。もちろん、肯定もしない。
だから、ファンは自分の信じたい物を真実として信じるしかないのだ。
それでも、不安でモヤモヤし続ける。時が経って、風化して忘れるまで、信じ続けるしかないんだ。
スキャンダルが出た直後の、現場の辛さ…計り知れない…
「…やっぱり、湯畑さんが好きだから、別れようって言われたら…」
自分で別れようって言うかもしれないって思ってたくせに、きいくんに言われるのは嫌だなんて、身勝手すぎる。あんなメッセージも送って、わざと嫌われるようなことをして。だから私は、私が嫌だ。こんなの、メンヘラじゃん。全然プロ彼女じゃない。
既に泣き出している私の肩を、実音々が揺さぶる。
「そんなこと言ったら、私の全力で社会的制裁するから安心して。」
「それはだめー!」
「お姉ちゃん、ちゃんと話して。もし一人で電話するのが怖いなら、私が離れたところでお姉ちゃんのこと見てるから、ね?」
こくりと頷き、スマホを実音々に渡す。
「着替えてくるから、持ってて。怖くて持ってられない。」
「分かった。」
自室で着替えてリビングに行けば、テーブルの真ん中にスマホが置いてあった。
実音々はキッチンから私に手を振る。
「お姉ちゃん、見守ってるから!」
「…うん。」
深呼吸をして、スマホの画面をつけると、ものすごい数のメッセージと着信がついていた。
「みねねー…きいくんからの連絡の量が半端ないんだけど…」
「そりゃそうでしょ、愛する彼女に言い訳くらいしたいでしょ。」
そうなのかな…まだ私のこと好きでいてくれてるのかな…
切っていた通知を元に戻して、ざっとメッセージに目を通せば、連絡を取りたいという旨を、色んな表現で送ってきていた。
きいくんは忙しいのに、私のせいで迷惑をかけてしまった…やっぱり、彼女失格だよ。
「お姉ちゃん、がんばれー!」
「うん…」
深呼吸を繰り返して、一際深く息を吐いた時、テーブルの上のスマホが揺れた。
「わっ!…きいくんだ…」
「早く!早く出て!切れる前に!!」
「…うん…」
通話ボタンをタップする。
「も…もしもし…」
「なかちゃん!?本当になかちゃん?!」
「はい、そうです。」
「……良かったあ…やっと声が聞けた…良かった…もう出てくれないかと思ってた…」
ものすごく、心配をさせてしまっていた。電話口の声が、今まで聞いたことないくらい、力がない。
「ごめんなさい。」
「謝らなくていいから、なかちゃんは、何にも悪くないから。」
「…でも」
「心配させて、ごめん。全部、俺のせいだから。本当は会ってちゃんと話したいんだけど、事務所から出たら、週刊誌の記者につけられてて…なかちゃん家に行けなくて…本当にごめん。」
ああ、そうだよね。あんなニュース出たら、記者に質問されたりするよね。
「なかちゃん、もう見たと思うけど。あれ、違うからね。まず、二人じゃないから。ドラマの共演者だけで飲みに行ったんだ。あれは湯畑さんが酔って具合悪かったから、タクシー呼んで見送っただけなんだよ。その後、店に戻ったし、河内さんと大森さんと飲んでたから…だから…信じて欲しい。今まで一度も湯畑さんと二人になったことはないよ。」
そうか、きいくんは…またあの優しさを発揮したんだ。ファンであることを誇りに思う、あの気高い優しさを。私と初めて出会った時と、同じ優しさを。
でも、彼女になると、その優しさが辛いこともあるんだね。
初めて知ったよ。
「…本当?」
声が、震えてしまった。
疑ってる訳じゃない、だけど辛くて苦しい。
でも、束縛したくない。
「俺、なかちゃんには、本当のことしか言わない。絶対に。」
「…うん。」
きいくんが、私に嘘なんてついたことない。
「だから、俺から離れていかないで…お願いだから、そばにいて…なかちゃんには、辛い思いばっかりさせちゃうけど、俺ばっかり幸せで…ごめん…ごめん。だけど、なかちゃんがいなくなるのは、嫌だ…やだよ…」
きいくんが、泣いてる。
向こう側でグズグズと鼻をすする音がした。
私が、きいくんを、泣かせてしまった。
泣き虫の私が泣くのとは、訳が違う。
「きいくん、ごめんね…ごめんね…」
嗚咽が漏れそうなのを、堪える。
「やだ…なかちゃんが、俺のこと好きじゃなきゃやだ…」
「ごめんね…」
「ごめんて言わないで…別れるのやだ…」
どうしようもなく、愛しかった。
ちゃんと、話をしようとしなかった自分に、後悔した。
「違うの、そうじゃないの。私が、悪いの。きいくんと一緒にいられなくなるなら、嫌われた方が楽になるなんて、最低の選択をした、私が悪いの。きいくんを、傷つけて、酷いことして、私が悪いの…」
「ちがう、俺の自衛が出来てなかったから…なかちゃんを我慢させてるのは…俺なんだ…なかちゃんに負担をかけて、不満も言わせてあげられない、俺が…俺のせいだから…」
お互い、自分のせいだと思っていた。相手のことを思う余り、相手の気持ちが見えていなかったんだ。
「きいくん、好き…」
「俺も、なかちゃんが…好き…今すぐ会いに行きたい…」
「それはダメ…きいくんが大変になるからダメ。」
「…わかった。でも、明後日来て。ちゃんと、話したい。」
行って、大丈夫なんだろうか。
会いたいけれど、またスキャンダルになったりしないのだろうか。
「行って平気なの?」
「大丈夫。今週はずっと悠斗の家にいるから。」
えっ?!今、ゆーてぃの家で電話してるの?!
「あっ、今は悠斗いないから、安心して!」
そっか、良かった。恥ずかし過ぎる。
「うん、会いに行くね。ちゃんと、お話する…」
「絶対だよ。」
電話を切ってキッチンを見れば、実音々の姿はなかった。
きっと、大丈夫そうだと判断して、部屋に移動してくれたんだろう。
実音々がいなかったら、きいくんと話し合うことは出来なかった。
私の一番の味方は、実音々だ。
アイス、たくさん買ってこよう。
3
お気に入りに追加
377
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
先生!放課後の隣の教室から女子の喘ぎ声が聴こえました…
ヘロディア
恋愛
居残りを余儀なくされた高校生の主人公。
しかし、隣の部屋からかすかに女子の喘ぎ声が聴こえてくるのであった。
気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる