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本編
31・星屑のスパンコール
しおりを挟むどうして私はこんなにも、ばんばんが好きなんだろう。
ダンス、歌、お芝居、ラジオ、雑誌、色んなお仕事を追いかけて、ファンレターを送って、でもそれは自分が幸せな気持ちになる為で、エゴでしかない。アイドルというお仕事をしているばんばんに、元気にしてもらってるだけだと思ってた。
ファンとして節度を持って応援している。
それが私の自負であり、逃げ道だった。
仕事をしているのに、集中できなくて、いつもよりキーを打つ手が疎かになっている。
気がつけば、この前のウィンクが脳裏をよぎるし、芋づる式に記憶が蘇るのだ。
優しい手や、抱きしめられた時の温もり、キスしたこと、一緒に食事をしたこと、着せ替え人形にしたこと、されたこと、偶然再会したこと、助けてもらったこと…両手に乗せきれない程ある、幸せな思い出。大好きな人と過ごすことが出来た時間が、何度も何度も私を引っ張って連れ戻そうとしてくる。
立て、覚悟を決めろ、本当は分かってるんだろう?
そう言って、強く引っ張るのだ。
「菜果音ちゃん、お熱でもあるの?顔真っ赤だよ。」
咲ちゃんが眉を下げてこちらを見ている。
「…さきさき、心配してくれてありがとう。もし熱があるとしても、知恵熱だから大丈夫。」
「そうなの?あんまりにも悩んで辛い時は、言ってくれたら飲みに行くからね!」
「優しいねえ、ありがとう。」
声をかけてくれることが嬉しいから、ちょっと気持ちが上向きになりそうな気がした。
「今はアルコール飲めないから、チョコあげる。」
「あーん!ありがとうー!」
受け取ったチョコをモグモグしたら、元気が出てきたから現金なものだ。
デスクの周りの生写真を見て、ため息をつく。
「菜果音ちゃん、この前見てきたんでしょ?楽しかった?」
「うん、めっちゃ楽しかったー!やばかったー!」
「何がやばかったん?」
興味を持って聞いてくれるから、本当に咲ちゃんは優しい。
「ばんばんがセクシーシェフなんだけど」
「セクシーシェフ!ウケる!」
「うん、セクシーシェフがね、観客をナンパするんだよ。」
「きゃー!何それ?菜果音ちゃんナンパされた?」
「ううん、その席にいないから、されてない。ただ、次に行く日がその辺りの席で…怖い。」
死んでしまう。
「えー!いいじゃーん!好きな人がナンパしてきてくれるんでしょ?私だったらついてく!キュンキュンしちゃうじゃん!」
頬を両手で押さえて、きゃぴっと喜んでいる。そうか、普通はそういう反応なのか。咲ちゃん素直でいい子だもんな。
私、全然素直じゃないし強情だし、咲ちゃんみたいに言いたいこと言えたらいいのに。
「…そうだねえ。」
「好きなのに、嫌なの?」
「嫌じゃないよー。好きすぎて死んじゃうだけ。まだ死にたくないっていうか。」
「難しいんだね!色々あるんだね!」
何を言っても受け止めてくれる咲ちゃんの懐の深さよ。
「さきさき見習って生きていきたいわー。」
「やーん、ありがとう!大したこと言ってないけど!」
お礼にとチョコを渡され、また食べる。甘くてとろけて幸せ。
それに比べて、素直になるって難しい。
仕事の集中力は切れまくり、一人になると叫び出したくなり、部屋で引きこもっては実音々に心配され、1週間を過ごした。
とうとうやって来てしまった、3回目の現場、千秋楽。
震える足を叱咤して、劇場にたどり着いた。
また、ばんばんとガッツリ目が合うのだろうか。三列目の通路席、どう考えても向こうから丸見えだし、すぐに分かってしまうだろう。
そしてそれを、嬉しいと思ってしまう、浅ましい自分がいる。
ぐちゃぐちゃと考えて淀んで、濁りきった心を捨ててしまいたい。澄んだ気持ちで、ばんばんを見たいのに。
今日はそんな心で選んだからか、柄に柄を重ねる、ばんばん風コーデになってしまった。誰が見てもばんばん担だと分かる服装。ちょっと恥ずかしい。普段こんな主張するような組み合わせで、現場に来たりしないのに。
ファンレターは書いて来なかった。何を書いたら良いか分からなくなってしまったから。
劇場ロビーを抜けて指定席に座る。
すごくステージが近い。頑張れば汗や毛穴も見えそうだ。うん、見たい。
心臓が跳ねて仕方ない。苦しくて、息が浅くなる。
「ご来場のみなさま、こんばんは。ご機嫌麗しゅう。当レストランのシェフでございます。」
キャー!と歓声が上がる。
「本日も、愛らしいお嬢様、美しいお姉様、選り取り見取り…おっと失礼、厄介な奴が来ました。」
「厄介な奴って、誰だよ。ちゃんと諸注意をお伝えしろ。」
「はいはい、分かりましたよ。」
か、掛け合い…!やばい!テンション上がる!
「俺からのお願いです。携帯電話は電源をお切りいただくかマナーモードに設定の上、お仕舞いください。劇場内でのご飲食、撮影は禁止させていただいておりますので、ご遠慮ください。それと、俺の今夜の予定…空いてるから、一緒に過ごしたい人はアピール待ってるよ!」
キャー!と笑いが半々、会場内は大盛り上がり。
「それじゃあ、最後までどうぞよろしく!サンキュウ!」
拍手喝采、指笛まで鳴らし、始まる前からカーテンコールみたいだ。
そして、ブザー音が鳴り、場内は暗転した。
シェフの登場シーン。
今回は初めから食材を隠すことなく、むしろ見せつけていた。
「俺をお探しかな?」
鹿の頭をかぶっていたのだ。
麗しいシェフの顔が見えない!
観客にヒラヒラと手を振りながら、視界が狭いであろうに、スイスイと場内を移動して行く。
ホール長に怒鳴られ、笑ってあしらいながらステージに上がり、被り物を脱ぐ。暑いのか、頬が上気していた。
ドタバタしながらいつも通りに歌い踊り調理をしてお客に提供する。
千秋楽だけれど、わざと特別感を出したりしない。サンキュウ!の舞台の素敵なところは、千秋楽を特別扱いしないところだ。
お金を払って見に来てくれるのだから、毎日全力で、常に最高を更新する。それがサンキュウ!の信念だ。
なんてかっこいい人たちなんだろう。
一幕が終わり、話に入り込んで真剣に見ていた自分に気づく。
あれ?始まる前はあんなに緊張していたのに、今は集中して舞台を見ることが出来ていた。
どうしてだろう?
その理由は、二幕の途中で分かった。
ばんばんと、一切、目が合っていないからだ。
いや、当然と言えば当然だ。普通は目が合ったりなんてしない。だって、お芝居中なのだから。
でも、私は目が合うことを期待してた。
自分が好かれてるって思って、また目が合うんじゃないかって…なんて恥ずかしいんだろう。ばんばんは、お仕事を全うしているのに。
切り替えて、話に集中する。
ハニトラにかかり情熱的な愛の歌をハッピーに歌い上げ、ホール長から愛の鞭を打たれて目が覚めたシェフは、エンディングへと進む。
ドッドッドッ…私の心臓は破裂してしまいそうだった。
一切視線の合わないシェフが、ステージを降りて通路を進む。
歌い踊り、周りに手を振るのに、私を見ることはなかった。
いや、見てはいる。アイドルの視線は面だから、エリアを見てはいるけれど、私と目が合うことがなかっただけだ。
通り過ぎて後方まで行き、中央で少し止まって踊っている。
そして、前方へ戻ってナンパタイムに差し掛かる頃、私の横を通り過ぎた。
あっ…やっぱり、私の思い上がりだった。
恥ずかしい…。
どうして私のところに来てくれると思ってしまったんだろう。
恥ずかしくて、今すぐ消え去ってしまいたい。
じわりと涙が浮かんだ瞬間、踵を返した足が目の前で止まった。
私の席に影が落ちて、見上げれば麗しいご尊顔がそこにある。
ジッと見つめる瞳と、視線が絡まり合い、時が止まったような気がした。
「俺のこと、好きになる覚悟はできた?」
真剣な目はそのまま、いたずらっぽく笑って、指先でこぼれた涙を拭われる。
「今夜、待ってるよ…」
涙を拭った指先で、バーン!と胸を撃たれた。
ステージに戻ったシェフは、一切こちらを見ることなく、笑顔でカーテンコールを迎える。
ぼたぼたとこぼれ続ける涙を心配して、隣の多分うげんちゃん担当のお姉さんが、ポケットティッシュをくれた。
きっと彼女は、私のことを熱烈なばんばん担だと思ったことだろう。
間違っていないので、それでいい。
劇場を出て、煌びやかな街を歩く。
いつまでも涙が止まらなくて、より一層、キラキラして見えた。
でも、ばんばんには負ける。
あの人は、わざと私を見なかった。
必殺仕事人だった。
目が合うことより、きちんと仕事をしている方が好きだって、ファンが思っていると知っているから。
そう、私もそう。なのに浮かれて忘れてた。
ばんばんが、俺を見ていてと言っていたのは、そういうことだったんだ。俺は覚悟を決めたよ、ってあの目が言っていた。
私も、覚悟を決めなきゃいけない。
ばんばん担に降りたあの日から、ずっと変わらない瞳…ううん、美しく変わり続けている輝く瞳が、私を捕らえて離さない。
私は、伴喜一が、好きだ。
止まらない涙を手の甲で拭って、やってきた地下鉄に乗り込んだ。
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