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本編

30・Pheromone

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「わお、可愛いお嬢さん。その唇、触れたらどんな味がするのかな?俺に料理されてみない?(顎クイ)」

「うーん、そそるなあ…どんな材料よりも艶めいている君の肌、味見させてくれない?もちろん、その服の中も。(手を握られる)」

「そうだ、今日のメインは君にしよう。もちろん、食べるのは俺だよ。構わないだろう?(頭を撫でる)」

検索すれば、出てくる出てくるシェフ語録。
これ、アドリブなんでしょ?
こんなセクシーなこと言えるポテンシャルがあったなんて、素直にすごい!
きっといっぱい練習したよ…うげんちゃんあたりにからかわれながら、はい今言ってとか無茶振りされて、言わされる光景が見えるようだよ。
可愛い…もはや存在そのものが可愛い…
待って…遠くから言うのを見てるのは良いけど、言われるの無理。知ってる、無理って分かってる。だからSNS検索してるんだけど、でも無理。
なにこのセリフ、無理。
シェフ、客のこと抱く気満々じゃん!!!っていうか、お触りダメだから!!!無理、触らないで!無理!死ぬ!
「うぐぐぐ…」
「お姉ちゃんの断末魔が聞こえる。」
「ナンパレポに殺される。」
「これはしんどいな…。」
実音々も私のスマホ画面を見て悶えている。
「サンキュウ!担って、こういう演出されて炎上したりしないの?」
「…しないねえ。いや一部の人はずるい!とか思ってるかもしれないけど、大部分の人はそう思ってないと思うよ。遠くから見て面白がって、いいぞもっとやれー!みたいに煽ってる方が多いかな。」
不遇の時代が長かったから、サンキュウ!を盛り立てようみたいなファンが多い。
「平和かよ…羨ましい。」
「実音々のところはね…人気が尋常じゃないからファン数も多いしね。」
ふう、とため息をついて、可愛い顔した妹が現実を突きつける。
「お姉ちゃん、二回目はどこ?」
「真ん中の上手…だから、シェフ被害に合う可能性はゼロ。登場シーンでもかすらない。安心安全の上手席。両側人いるし。あ、ゆーてぃの登場が近くで見られるかなって感じ。」
「シェフ被害…言い方!」
「ほんと良かった、二回目。ちゃんと見られるもん。出来るだけ地味な格好していこう。あ、コンタクトやめてメガネにしよう。」
「なにそのネガティブな備え方。」
「だって…心が保たない!」
ただでさえあんなに輝いているのに、女たらしなんて設定…!耐えられない!
ばんばんは、やり切る男なんだよ…絶対に。10年以上見てる私は、知ってるんだ。あの人は仕事への熱意と責任感が尋常じゃないから、シェフとして全うする。どうあがいても、ファンは殺される結末が待ってる。
だから、せめてフィルターかけて、ガラスを隔てて一つ向こうの世界だって、区別しないと無理なんだ。
「ま、どんなに逃げても、ばんばんは分かると思うよ。やー楽しみだなー!」
お風呂に入ると言い残し、実音々は部屋を出て行った。
…劇場、大きくないから…
向こうからも見えるだろうなって予想つくから、少しでも地味に目立たず、ばんばん担っぽくない格好を…と悪足掻きをしている。


そして、二回目がやってきた。
一応、前回の感想を書いたファンレターも持参した。
いつも通り、どこが良かったか、どれだけ格好良かったか、舞台が面白かったか、そういうことをたくさん書いたけれど、シェフ語録に関しては何も書けなかった。
その勇気はなかった。
下手出入り口から登場した時の、鴨のくだりが面白かったっていうのは、書けたけど。
服はモスグリーンのシャツにグレーのデニムジャケット、黒いパンツ。アクセサリーはシルバーのフープに見える、イヤカフだけ。メガネは…かけなかった。コンタクトの方が、やっぱり舞台を見やすいから。
おかしいくらいに心臓がバクバク脈打っていて、ふわふわしてるし、落ち着かない。ゆっくりお茶でもしようと思ってたのに、お店を通り過ぎて劇場に着いてしまった。
あー早く着きすぎたー!まだ開場の1時間前だよ…
仕方なく、近くのコンビニに入って飲み物を選んでいると、隣にやって来た背の高い男性が、色んな飲み物をカゴに突っ込み始めて、両手が塞がりガラス扉を閉められなくなっている。
「大丈夫ですか?」
ガラス扉を閉めるのを手伝い、思わず声をかけて顔を見上げれば、本番前のゆーてぃだった。
「ありがとうございます!助かりました!」
ニッコリ満面の笑顔。すごい…ゆーてぃもこの世を生きてる…。
「あっ、今日、舞台楽しみにしてます。頑張ってください。」
「わあ!見に来てくれるんですか!ありがとうございます!イェーイ!」
カゴを持ってるのを忘れて私とハイタッチをしようとして、出来なくて自分に驚いている。
アホの子、ゆーてぃ、アホの子だよお…可愛い。
「…カゴ、持ちましょうか。」
「いや、大丈夫です!ファンの子に持たせられない!」
アワアワしながらレジに向かい、支払いをしに行った。
うわー…可愛い…ゆーてぃ可愛い。
お店を出る間際、私の方を向いて買い物袋ごと、手を振ってくれた。
サンキュウ!の担当してて良かった。これからもずっと応援する。
なんて気持ちのいい人なんだろう。サンキュウ!は街中での遭遇情報も、向こうから壁を越えて来てくれる、メンバーの心の観音扉が開きっぱなし、と比喩されるくらい気さくに話してくれる様子ばかりが、SNSに上がる。
そういう人たちなのだ。アイドルだけど、生きてる男の人達なのだ。
ああ、好き。サンキュウ!が好き。
自分も飲み物と飴を購入して、ふわふわした気持ちを落ち着ける為に、その辺を散歩して時間を潰した。

中央の上手席は、思ったよりもステージと近い。
オペラグラスなんて必要ないくらい、よく見える。右側のホールのセットの方がより近い。
だから、シェフ役のばんばんとは距離が出来た。
残念なような、ほっとしているような。いや、やっぱり残念。だって、安全地帯ならたくさん見られる方が嬉しいもん。
「ご来場のみなさん、こんにちはー!」
「こんにちはー!」
アナウンスが始まった、今日はうげんちゃんだ。わーい!ガチャかぶらなかった!
「この世にたくさんあるエンターテイメントの中から、このステージを選んでくれてどうもありがとうございます。みなさんを楽しさの渦に巻き込んで行く所存ですので、そのつもりで見てください。」
「はーい!」
この強気で飄々とした感じ、すごくうげんちゃんだ。
「では諸注意です。スマホの電源はお切りいただくか、マナーモードでお願いします。場内は飲食を禁止させていただいておりますので、飲食されたい方はロビーにてお願いいたします。それでは、開演までしばしお待ちください。」
拍手が起こり、ワクワクのボルテージが上がる。
もう内容は知ってるから、みんながどんな演技をしてるのか見られるのが、楽しみ。
場内が暗転して、うげんちゃんが顔を出す。その様子を見つつ、出入り口をちらちら伺う。もうすぐ、ばんばんが出てくるはず。
重い扉がゆっくりと開き、スポットライトが彼を照らした。
くるりと一回転して、華やかに登場する。
「俺をお探しかな?」
きゃー!と、歓声が上がった。ファンも慣れたもので、何公演も観に来ている人が多くなっているのが分かる。
今日は隠し持っていた、うさぎのぬいぐるみを取り出し、キスをした。
ぎゃー!と悲鳴が上がる。
「おい、そのうさぎ狩ったんだろ?衛生的に大丈夫か?」
ホール長から真っ当なツッコミが飛べば、シェフが深く頷く。
「ぬいぐるみだから大丈夫!」
「メタ発言をするな!」
観客にうさぎの口で頭に触れたり、肩に触れたりして、キッスを振りまいている。すごい…なんてポテンシャルが高いシェフなんだ。
壇上すればドタバタと慌ただしく調理が始まり、歌い踊り美味しそうな品々が出来上がっていく。
ああ、今日も美味しいご飯が食べたくなるなあ。
ゆーてぃが登場して通路を通って行く。やっぱりコンビニで会ったゆーてぃと、このスカウトマンのゆーてぃが一致しない。すごい演技力。
ホール長に呼び出されたシェフが嫌そうに歩いて来る時、目が合った気がした。
アイドルは周辺を見ているのに、まるでこちらを見つめているように感じさせる特殊技術を持っている。舞台でもそれが発動するとは、さすがアイドル。
踊りながら、歌いながら、話は進んで行く。二幕のハニトラも、情熱的でハッピーに演出されていて、どんどんパワーアップしている。演技でこちらを向く度、目が合っている気がした。
まさかね、ないない。自意識過剰。
そう言い聞かせて見続けるのにも、限界が来たのは、エンディングだった。
前回見た時、通路で歌い踊るのは、中央部手前までだったのに、今日は後方近くまで移動してから、前方に戻って来た。
視線をあちこちに振りまき、ニコニコと手を振っている。通路から一番距離が近づいた時、まるで始めからここだと知っていると言わんばかりに、あのキラキラの目が私を見た。
そしてウィンクをして、通り過ぎて行く。
知ってるよ、なかちゃんが俺を見てるの。
そう言われた気がした。
シェフは前方の観客を選んで、ナンパを始める。
キャーキャーと悲鳴が上がる中、私だけ固まっていた。
エンディングが終わっても、カーテンコールが行われても、頭の中でばんばんの瞳がリフレインして、私を離してくれなかった。


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