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本編

24・時代

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舞台やコンサートの時は自分でヘアセットをする、というのは有名な話。
何十年とやり続けてきたであろうその手は、美容師さんのように器用に動いていた。
櫛とスプレーだけじゃなく、コテまで持ち出された時は、さすがアイドル!って驚嘆したけれど、サンキュウ!でそんなこと出来るのは、ばんばんだけだろうな。

それにしても、ゾクゾクする。
美容師さんに髪をカットされたりアレンジされるのは何とも思わないのに、ばんばんに髪を触られただけで、まるで神経が通っているように感じられた。
地肌に指が触れた時なんて!!ちょっと体が震えたよね!!
ばんばんにこんなこと思うなんて、とんでもなく失礼なんだけど、くっそエロいです!!
ひえーん、毎回毎回ずっと思ってるけど、いい加減死んじゃうよお。何で私、生きてるの?
スプレーが目にかからないように、ばんばんの手のひらが視界を覆っている。指先が前髪を整えて、離れた。
「できたよー!」
鏡を渡されて覗き込めば、人生でやったこともない、ゆるめの編み込みが頭をくるっと回っていて、コテで巻かれてふわーんとした感じになっている。
「か、かわいい…なにこれ…すごい。」
「ふふふー!似合うと思って。」
カアアッと頬が火照る。
「きいくん…すごい…」
鏡越しに目が合って、ウィンクされた。
はーもう無理、無理です。なにそれ、なんなの、ドラマじゃないんだから。はい死んだ。
後ろ毛を手で梳かれて、指先が首筋に当たった。
「…ひゃっ!」
「あ、ごめん。」
うっかり変な声が出てしまったー!やばいー!!
「こちらこそ、本当に申し訳ございません。」
「なかちゃん、首が弱いの?」
いたずらな顔で、また髪を梳かれる。首に当たらないように、気をつけられているんだと思うけれど、髪を動かされているだけでゾクゾクが止まらない。
「えっ…と…くすぐったがりなんです。」
「そうなんだ、背中とか脇も?」
「あっ、はい。笑っちゃってダメです。」
「有現みたいだね。アイツも触ると大笑いで、やり過ぎると怒られるよ。」
かわいいー!そうだね、うげんちゃんもくすぐったがりだったよね。
「うげんちゃん…!かわいい!」
するりと指が首筋を撫でた。
「ひょわあっ!」
「本当だ、弱いね。なかちゃん、可愛い。」
首筋から耳の裏辺りを、ゆるゆるとくすぐられて、ビクビクっと肩が揺れてしまう。
「ひゃっうっ!き、きいくんっ!やめっひょわああっ!あっ!」
ピタッとくすぐる指が止まり、髪を整えてばんばんが離れた。
良かった…めっちゃくすぐったくて、危うくばんばんを押してしまうところだった。
自分からばんばんに触るなんて言語道断である。
「ごめんごめん。弱い人見ると、くすぐりたくなっちゃうんだよね。」
うるりとした瞳が鏡越しに見えて、果てしなく可愛いから全て許すわ…。いくらでもくすぐってくれよ。
「いえ、大丈夫です。きいくんなら耐え切ってみせます。」
担当として、耐え切ってみせる。
「本当に?」
耳元で囁かれて、吐息が当たる。視線を上げれば、流し目で見つめられた。
「は…はい。」
「楽しみにしとくね。」
うっ…なんか、答え間違った気がする。脳に衝撃が来るほどの色気を放ったばんばんの視線が、瞬きと共に消えた。
「なかちゃん立ってー!」
手を差し出されて、まるで王子様みたいなばんばんに捕まり、隣に立つ。この奇跡、噛み締めておくよ。いつ死ぬか分かんないから。
上から下まで眺められて、何か思いついたのか、クローゼットを開けて探している。
「あっ、これだ。」
手にしているのは革を編んであるベルト。私の前に立って、抱きしめるように腕を背中に回して、ベルトを締められる。
全く身動きが出来ない。なんなら息も出来ない。
ドキドキがマックスで、変な汗かく。
「なかちゃんは、ウエストを強調した方が、可愛いよ。」
「あ…ああ…ありがとうございます…」
どうして、どうしてこんなことに…。ばんばんは、こんな私の何を気に入ってくれたんだ…。
良いところ、一つも見せてる気がしない。しかも10年以上担当やってるって言っちゃったし、地雷を踏みまくってる気がするし。
ただの、ファンなのに…
手を引かれて姿見の前に二人で並ぶ。
「ほら、すっごく可愛い。」
顔が小さくて、スタイルが良くて、アイドル体型だけど細過ぎるわけじゃなくて、男の人らしいかっこよさがあって…
お顔は可愛いしかっこいいし、性格まで良くて、慈愛があって分け隔てなく優しくて、仕事は一生懸命だし、みんなから好かれて、いつもニコニコ笑ってて、こんな素敵な人に会ったことがない。
好きで好きで大好きで、憧れの人が隣で笑っていて、感謝と感激で涙が出そうだった。
アイドルやっててくれて、ありがとうございます。
「あの、本当に、よくしていただいて、ありがとうございます。このご恩は絶対に、お返ししますので…」
「じゃあ、今返してくれる?」
髪をかき分けて、ゆっくりと指先が後頭部に触れる。
ドッドッドッと心音が大きくなって、妙に周りが静かに感じた。
ばんばんの大きくて強い瞳が、私をじっと見つめる。

「なかちゃんのことが好きなんだけど、俺と付き合ってよ。」

「へ?」

空耳かと思った。
いや、うん、いやアレ…部屋に連れてこられたり、朝から色んなことされたり…
俺とキスしたこと考えてって言われた辺りから、ほんのちょっと…調子乗らないように、ほんのちょっとだけ期待しちゃったけど、ありえないと思ってた。

「なかちゃん、好きだよ。」

私の大好きな人が、ずっとずっと大好きで憧れて、大切な自担が…私のこと…好きだって…
鼻の奥がツンとして、じわりじわりと視界が歪む。
全身が心臓になったみたいにバクバクしていて、呼吸するのも苦しい。

「…私も…ばんばんが…大好きです。」

大好きだけど、だからこそ…

「付き合えません…ごめんなさい。でも、ずっと…好きです。ごめんなさい…好きでごめんなさい。でも…大好きです。」

ファンとアイドルは、一緒にいちゃいけない。
私が、ばんばんの為になることなんて、一つもない。

「どうして?お互い好きなのに、ダメなの?」

涙が止まらなくて、ばんばんの顔が見えない。

「私じゃ…ばんばんのお仕事の邪魔になるから…」

「嫌だ。だって、なかちゃん俺のこと好きなんでしょ?」

「はい、好きです。」

嘘偽りなく。

「泣かないでよ…」

柔らかくて温かいものが、口を塞ぐ。
涙で鼻が詰まって苦しい。
息を吸う為に空いた隙間から、ぬるりと甘い感触が入り込んだ。
強い力で抱きしめられて、何度も唇を奪われる。
「んぐっ!ふっ!」
やっと離れた頃には、酸欠になりそうだった。
「どうしても、ダメなの?」
「…はい。」
頬を伝う雫を、優しい指が拭う。
嬉しいのに苦しくて、悲しくて、申し訳なくて、後から後から止まらない。
もう一度、抱きしめられると、額にキスされた。
「分かった。今日は、ダメね。」
「へ?」
もう一度、今度は鼻にキスをされる。
「明日はオッケーかもしれないでしょ?」
「いやっ、ダメですよ。」
「そんなの、分かんないよ。」
鼻同士を擦り合わせて、触れ合うだけのキスをする。
「なかちゃん、知ってるでしょ?俺が諦め悪いの。」
知ってるけど…!
「でも…」
「10年以上、俺のこと大好きなんだもんね?」
そうです…めっちゃ好きです。
その強気な性格も、熱いところも、諦め悪くて食い下がるところも、全部好き。
「だけど…ダメです。」
「そういう強情なところ、すげー好きなんだよね。」
ダメだといいながら、この腕から出られなくて、されるがままにキスをして、私は…ファン失格だ。
ぐっと肩を押して、体を離す。
「ダメです。」
温もりが離れて、空気がひやりとする。
涙が止まって、見えたばんばんの顔は、踊っている時に見る様な、強くてたくましい表情だった。
キラキラと光る瞳は、諦めることを知らない。野心と情熱の塊を宿している。
私は、この瞳を、随分前から知っている。

「俺のこと、見ててね。しがらみを全部捨てたくなるくらい、好きにさせて見せるから。」


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