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第3章
032 > 伝説の姿
しおりを挟む「ふうっ、間に合ったようだな」
「お疲れ様です」
そこは青コーナーに至近距離のリング下で、リングに最も近い特等席。
滑り込むように巨体の石清水の隣席に座った痩躯の紳士が呟いた。
「フフ……アレはあの姿の方が素晴らしい。お前もそう思うだろう?」
「は……」
岩清水は口籠る。人の姿をしていない実の息子を──獣化した人であるはずの息子を──『人の姿ではない方がいい』と言い切るこの男には怖気がする。
「オッズはどれくらいだ?」
「赤が50、青が3ですね」
「まぁ仕方ないか。どちらかというとベッティングはおまけだからな」
「……今のところ負け知らずですし」
「無敗か……負けたところで、私のコレクションが増えるだけだが……そうだな、絨毯より……アレは剥製にした方が映えそうだ」
酷薄な笑みを口元にたたえて、獣の実の父親が宣う。
その言葉を、本人が人の姿の時に聞いたなら、この男は殺されるかもしれない。だが
〝まだ、実徳さんがいる〟
康樹がこの獰猛な獣を飼い慣らせているのは彼のアキレス腱とも言える人物が2人いたからだ。それを知っているからこそ、康樹は残忍であればあるほど、末の息子に儀式を強制した。
『託宣』といい、『ゲーム』といい、岩清水はこんなショーが本当に必要なのかどうか疑問に思い、半ば呆れていた。
だが、執行部の経理統括によると、このショーの収益は──一番安い遠くの席でも1席300万円を下らず、会場入り口に入る手前の賭場であるカジノでは万札を持ち歩くにも荷物になるため、この場所でのみ使用可能な1枚100万円のコインが流通している──滝信会の中でも1晩で数千億が動く最も利益率の高い極上のシノギなのだ。
〝金と暇を持て余した人間ほど悍ましい生き物はいないだろうな……〟
この裏社会で生きのびるだけで十分儲けものだが、彼らの浅ましい欲望剥き出しの顔を見ても石清水は羨ましいとは思わなかった。その感覚が人として正しいのかもしれない。だが、康樹の中身は人ではない。だからこそ──なのだ。
巨大な虎──辰樹──は、何事にも酷薄な人間である康樹が感嘆するほど、美しく成長した。
3メートルの体の全身を覆う大部分の体毛が、通常の虎のように黄色ではなく──金色に輝いて光っている────
全身を覆う体毛の下には、それとわかる筋肉が隆起し、漆黒の縞模様が虎である証左となるも、その模様がさらに彼の姿を雄々しく猛々しく美しく彩っていた。
辰樹が最初に獣化した時、康樹は残念そうな顔をして虎の仔となった自分の末息子の眉間に銃を当てながら呟いた。
『白虎会でもないのに虎になってどうするんだお前……』
それを止めたのは岩清水より5つ年上で彼より滝信会の在籍が長い野上だった。この頃はまだ岩清水は服役中であり、康樹の下についていて生き残っている者としては一番長く、当時すでに7年仕えていた。
『オヤジ! 坊はまだ子供です! 見切りをつけるのは早すぎ……ぐあぁぁああっ!』
そう言い終わる前に、野上の舌は血飛沫を上げながら宙を舞っていた。
康樹が自分に意見する者、歯向かう者、抵抗する者に容赦しないのは昔からだ。そうやって彼の帝国は築かれ、ジャパニーズマフィアとして世界に知られることになったのだ。
ラットのせいで、観客の大部分の目は充血して血走っている。中にはそうでないものもいるが、辰樹の強烈なΩのフェロモン臭もこのショーが金持ちを惹きつける一つの原因でもある。
辰樹のフェロモンは、登場してすぐから会場全体に蔓延していた。
「ワニと、トラっ?!」
「変異性体だよ」
赤いロングドレスを着た女が叫ぶ。
αにとって、性的欲望──強烈な快楽──を爆発させることが許される、闇社会が管理する場所。
相手が獣であることから人として一欠片の理性を総動員してその欲求を抑える。そのための薬もここでは高額で取引されている。
観客全員が辰樹の強烈なΩのフェロモンに当てられ、ラットによる興奮・酩酊・享楽状態を維持しながら、闇闘技場のリングでは獣人同士の殺し合いを眺めるという、彼らにとって極上の──一般人にとって眉を顰めたくなるような──エンターテイメントだ。
それはある意味、暇を持て余した金持ちが自ら手を下すことのない、凶悪な欲望の抑止にもなっている。
「な、なに? へんいせいって?」
「お嬢さんは聞いたことがあるかね? 『暗渠にはあることがきっかけで、人間でなくなったモノたちが棲んでいる』という話を」
「!? あ、あれって、都市伝説じゃなかったの?!」
「違うよ。アレがそうだ」
「! じゃあ、あれは……」
「人間だよ、2頭とも。人間だった元の姿形は一切謎だけどね」
指し示す先には2頭の獣がいる。
虎はほぼ完全に虎のような姿形をしているが、確かにワニは奇妙だった。
特に顔が、完全なワニの顔面ではない。少ししゃくれたような、鳥のような、トカゲのような形をしている。
「あの一頭は……宇宙人みたい」
「そうそう。レプティリアン? アナウンスでも言ってたけど爬虫類型は珍しいよ。でも個体差かなぁ、ちいさいなぁ」
「そうだな、大きさは強さに直結する。今日もドラゴの勝ちだな」
「オッズは?」
「赤が50、青は3」
「まぁ、そうなるかぁ」
会場の観客はほぼαである。しかも、3年前から1試合の観覧料兼入場料が跳ね上がった。それもこれも
「ドラゴは強くて美しいからな」
言われてその理由となった個体を眺めやる。
虎なのに──虎というより──伝説の獣の姿に見える。
金色の体毛に真っ黒い縞が巨大な体を滑るように走り回り、瞳までもが金色に光っていた。
「ドラゴはこのゲームに出るようになってから3年かな。不動の人気だ」
「ゲーム……」
「我々のように選ばれし者しか参加資格のないゲームだよ。ラットの興奮の中で味わう、バトルあり、ギャンブルあり、バイオレンスありの」
「バイオレンスって……」
「どちらか、あるいは両方死なないと終わらない本来の意味でのデスマッチだ」
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