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第1章
012 > 集中特訓
しおりを挟む〝ウソだろ……カスケード社ってたしか……〟
「『滝川性』はこの辺りでは珍しくないのか?」
「へ……」
おれはびっくりしすぎて声が出てこなかったけど、向いにいる滝川は無表情に戻ってた。
カスケード社ってのは世界的にも有名な製薬会社だ。
世界各国に製薬工場を持ってて社会コーケンもしてて、資金とかもすごくて、とにかく、世界に名だたる、ってやつだ。こんなバカなおれでも知ってるくらいの大キギョーだぞ、どんだけだよ!
おれの顔を見て何か感じたらしい滝川が静かに続けた。
「元は『滝川製薬』って会社名だったのを戦後、今の社名に変更したらしい。滝川って姓だけで騒がれるのは学校だけで十分だしな」
「……お、おま……なんで……こんな……」
〝そうだ、思い出した!〟
【滝川】っつうのは、あれだ……滝川なんちゃルンとかいうとにかくでかい会社のなんかでっかい……ようわからんが、すごい会社とか組織の名前だ。あれとカスケード社ってのがつながってるとかなんだ、それ。もう、ようわからん。
言った後、滝川が少しうつむいたせいで、ぱらりと前髪が両サイドから垂れて、そして、なんか知らんがおれを目の端で見てきた。
こいつの視線はあれだ、女子ならヤバい。流し目、っつうのか、とにかく色気がある。まつ毛が濃くて長くて、大きくはないけど切長の目で……って、本人も自覚してやってんだろ、これ。なんでおれに──
「目立つのも騒がれるのも嫌いだからな」
「……っから、クラスも……」
「そうだ。SSクラスなんかに入ったら、色々詮索されるだろう。その点……糸川だったか? あの先生ならほっといてくれそうだし」
おれは黙ってしまった。こいつ、空気読んでる。
うちの予備校で受験生が入る一番下のクラスは『基礎Aクラス』。金持ってる親がいるけど卒業すら怪しい連中がわんさかいておバカ度は『基礎Bクラス』の比じゃない。手に負えないようなのが20人と、来てるのを見たことすらないユウレイ部員みたいのが5人くらいのクラスで、先生方のサポートが手厚い。
それ以上に手厚いのが『旧帝大SSクラス』で、その下にハイレベルSクラス、ハイレベルA・Bクラス、その下にアドバンスA、Bクラス、で、うちら『基礎Bクラス』ってヘンサチ順になってて、その順にサポートが小さい。
つまりおれたちのクラスが一番放置されてる、いや見放されてる。
「にしても、なんでわざわざ……」
「わからないのか?」
「は?」
「……まぁ、いい。で、どこがわからないんだ?」
「え、……っと、あの……」
〝これって……〟
イヤな予感しかしないから、もうそれ以上聞くのはやめた。
おれは滝川のプライベートに質問しないことにして、開いた英語の教科書の質問に集中した。
3時間後────
息も絶え絶えになりながらおれはスパルタマン滝川の英語指導に耐え切った。
途中、うが~~~~!!! ってなりながらガマンしたおれ、エライ。
「弱点らしきのはわかったな。単語力不足と英文法の理解不足。中学生からやり直した方が早いな」
「……そんなん、イトカーにも言われてらぁ……」
力なく椅子にもたれかかったおれは生返事をした。今度は滝川の唇の両端が上がってた。
〝これが白石玲香だったらな~……〟
まぁ、彼女とこいつは似ても似つかない他人だけど、そう思ってしまうわけだよ。
「この分だと、暗記が苦手なのか?」
「……アンキってナンダッケ?」
「ブハッ! おまえ、それが素か!」
緊張がゆるんでついおふざけモードになってしまった。
「……そうだよ…………くそぅ……」
スカしてたはずの滝川の顔も、どこか楽しそうなものに変わってる。
「いいな……そういうの……」
「へ?」
能面みたいなイケメンが表情筋使うとハカイリョク、パネぇな。
たしかに、イケメンは同性でも潤いになるのかもしれない。同性って意識しなければ。いろいろ、嫉妬とかライバルとか考えなければ。
だけどな? ちょ~っと勉強見てもらったから、ちょ~~っと優しくしてもらったからって、滝川の細めた目のまつ毛がなんかキラキラして見えるようになったおれは相当チョロい奴なんじゃないの? と思うわけ。
そしたら英語のテキストをしまいながら滝川が聞いてきた。
「他のやつに聞いたけど、お前、元ヤンなんだって?」
「誰に……」
「幸太ってやつ」
〝あんのやろう……〟
相変わらず口の軽いやつだ。まぁ、しょうがない。今年の4月に入校したばかりの頃はナめられないようにイキッてたからな。めんどくさいし、大学受験にもひびくし、バカやってる方が楽しいからからもうやんなくなったけど。
「まぁ、ワキゲノイタリ? ってやつよ」
「なんだ、それ! 脇毛じゃないって! あっははは!」
今度こそ声を出して笑われた。
〝あれ? ワキゲじゃなかったか? なんだっけ?〟
ひとしきり笑った滝川が腹を抱えたまま言う。
「変な言い回し知ってるくせに、なんでこんななんだ?」
「おれが知りたいよ!」
こんな、の後に略された単語はおれでもわかる。バカって言いたいんだろ。バカって。おれもそう思うし、なんでそうなのか、おれにもわからんわ。
こんなに勉強しても脳みそに入ってこないのはなんだろな、ってさ。
まぁ、興味のないことは絶対に理解できんし覚えられん。
だけど興味があることに関しては人一倍集中できるし理解もできる。
ムエタイとか格闘技の技とかその辺の知識とかはめちゃくちゃ入ってくるのに、勉強に関しては脳みそがダンコキョヒしてるのが、自分でもわかる。
「ま、そういうのが後々はいいのかもしれないけどな」
「なんだよ、それ……」
この、余裕、って感じはムカつく。けど、若い非常勤講師の英語よりもわかりやすかった滝川の解説はすんなりおれの脳みそにシみてきた。なんでか知らんけど。
そしたら滝川が
「……多分……」
「? なに? なんか言ったか?」
「いや、なんでもない」
何か言いかけたような気がしたけど、そのまま引っ込めちまった。
そして、1週間の特訓の成果はというと────
英語に関しては50点満点中、(おれにしては)キョウイの30点!をたたきだした!
他の科目も軒並み10点くらいアップして、とうとうおれは初の! 4割台をゲットした!
「や、った~~~!!!」
採点済みの単元テストを配りながら、担任もびっくりしてる。ちなみにイトカーの担当教科はおれが2番目に苦手としてる社会。
「すごいな……何をやっても上がらなかったのに……どんなマジックを使ったんだ、滝川」
とはイトカーの言葉。でも隣にいた滝川は冷えた声で言った。
「弱点を把握すれば、できるんですよ。暗記を徹底したんです」
「俺も散々言ってたんだけどな? 北野?」
「い、いやまぁ、その……」
イトカーに言われても何も頭に入ってこなかったことが、滝川から言われるとなんでか入ってきた。なんだろな。
「まぁ、実際に教師から教えられるより、同等の理解レベルの学生から習う方が理解しやすいってエビデンスもあるらしいですから」
な~んて冷静に言い放ってた。エビなんちゃらは知らねーけど、おれと滝川が同等ってのはぜってぇ違うと思うけどな。
──とにかく。
そのモシに向けた集中特訓から、おれと辰樹の関係は始まった。
おれは勉強の師匠として。
辰樹は、まぁ、なんだ、色々あって。
その後のおれたちは受験生活を送りながら【友情】を育むことになったってわけ。
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