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Chapter09 - Side:Other - C
133 > 弁護士事務所 ー05(既知の事実)
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【Side:Other】
動揺を隠せない池宮の顔には驚きの表情が浮かんでいた。
〝そうだよな……〟
だが、それも一瞬だ。
池宮は目を瞬かせて俯くと、メガネの縁に指をかけて持ち上げ、冷静さを整えた。
「そう、ですか……」
汐見にも、池宮が息を詰まらせている様子が窺えた。
〝オレなら……なぜ妹がそんなところに行くんだと詰問するな……〟
そう考えていた汐見の予想とは違い、池宮は大きなため息をついて元に戻したメガネをずらして目頭を押さえた。
数秒間の沈黙が流れ。
「いつか……いずれ、そういうことになるんじゃないかと、思っていたんです……」
「え?」
「……どういう状態で紗妃が、その……精神科に掛かったのか、伺っても?」
「あ、はい……」
〝意外に冷静だ……〟
池宮はテーブルの上に肘をついて手を組んだ姿勢で、一言も聞き漏らさないよう乗り出すように汐見に対峙した。
そして、その左手の薬指にはなんの飾り気もない銀の指輪が光っていた。
〝結婚してるよ……な……〟
披露宴で夫婦で列席しているのをちゃんと見たし(今と容貌が全然違うけれど)紗妃も兄のような幼馴染だと言っていたような気がする。けれど、あの事件以来、紗妃の言動のどこからが嘘でどこまでが本当だったのか判別が付かなかった。汐見は自分の思い込みで池宮を疑ったことを今更ながらに反省した。
「その……どこから話せばいいのか……」
「汐見さんが話しやすいところからでも……いえ、まずは端的に……手短にお聞きしたいです」
紗妃が入院した事実を逆行すると直近であった出来事を話すべきだろう。
懸念すべき事項は山ほどあるが、詳細を説明する前にまず結論に近いところから話そうと思った。
「紗妃が、その……不倫に関する事実と慰謝料請求の書面を受け取ってから錯乱して……僕を、刺して……」
「えっ?!」
「……はい……実は今、その病院の帰りなんです……」
「けっ、怪我は?! 大丈夫なんですか?!」
考えてもいなかった汐見の告白に驚きの表情をして池宮は身を乗り出した。
「ええ、もうさほど痛みはないですし、今日も検査したらまた来週検査して終わりだと……」
「それで火曜日の夜に連絡が……」
「はい。申し訳ありません……」
「いえ……こちらこそ。そんなことがあったとは知らずに無理を」
「それは大丈夫です、期日も迫っていましたし」
「……そうですね……中断させてしまいました。続けてください」
「はい。僕を刺す直前から、紗妃の様子が少しおかしくなってしまって……」
〝この人は、紗妃がああなることを知っているんだろうか?〟
「それで……僕を刺した後で、足を滑らせて頭を強く打って……僕も一緒に病院に行ったんです」
「……」
「錯乱した紗妃がその……後で詳しくお話しますが、ビデオ映像から、紗妃は……」
そこまで言って、汐見は事実を目の前にいる兄同然の池宮に伝えるべきかどうか迷った。
〝だけど、伝えなければ。そして、この人にも聞かなければならない〟
「解離性同一性障害ということになってしまって……」
「……多重人格……」
「そうです……やはりご存知なんですね……」
汐見のその問いには答えず、池宮はじっと汐見を見ているようで焦点が合っていなかった。
「正式な診断があったんだと思います。一般病棟から療養棟に移されたと今日、聞きました」
「……」
汐見の情報を頭の中で整理しているのか、池宮は微動だにせずメガネの奥の目を閉じていた。
対面で話す、二人の間に数十秒の沈黙が流れ
「あの、紗妃が……そう、だと、池宮先生は知ってたんですか?」
「……知っていた……」
「……」
「……それとはちょっと違うと思います……」
「?」
「……時折、彼女の中に何かがいるのを感じたことは……あります……」
「!」
「……ですが、それが何かまでは……」
おそらくそれは真実だろう。紗妃の別人格をはっきりと鮮明に認識したのは、汐見とてあの映像が初めてだったのだから。
「……慰謝料のお話、でしたね……紗妃の話は後で聞くとして、そちらから先に伺いましょう」
「はい。その前に、これを……」
そう言って、汐見は佐藤から借りた小柄なハンドバッグから一つの封書を取り出してテーブルに置いた。
それは、あの日届いた【内容証明郵便】。
「……中を確認してもよろしいですか?」
「ええ、もちろん」
組んでいた手を解いた池宮が、置かれた封筒の送り主を確認し、封筒を開いて中の書面を取り出す。
「……通知書と夫婦間契約書と……合意書、ですね……」
「はい……」
「……これだけですか?」
「?と、いいますと?」
「いや、何か、他に連絡があったりなどは……」
「いえ。それ以外は特に、何も。……相手に……不倫相手の男の方に連絡しようと試みましたが、繋がりませんでした」
「……そうですか……」
池宮は中に入った書類にざっと目を通すと、メガネをズラしてまた目頭を押さえ、汐見を改めて見据えた。
「この内容証明を受け取ったのはいつですか?」
「受け取ったのは先週の木曜日です。でも受け取った場所が問題でした」
「というと?」
「僕の会社宛に……僕と職場結婚した紗妃が1年前に退職した会社宛に、送られてきたんです」
「!」
池宮は驚きの表情で汐見を見つめると、キュッと口元を引き結んだ。
「……先生なら、その意味がわかりますよね……」
「……あなたに知らせようとしたんですね……」
「ですよね……」
小さくため息を吐き出しながら池宮は質問を続ける。
「……受け取ったのは会社の人が?」
「そうです。おそらく受付窓口だと思います」
「……普通こういう書面は受け取り拒否するか、上に相談するものでは?」
「受付嬢が、紗妃の知り合いだったので……多分、気を利かせたか、あるいは、僕の妻だと知っている上から許可が出たんじゃないかと……」
「ああ、なるほど……」
そしてまた二人の間に沈黙が流れた。
〝重苦しい話題だ……でも……〟
ここで全てを漏れなく話してしまわないことには池宮に相談する意味が半減する。弁護士に判断を仰ぐということは、その弁護士に事実を詳らかにしなければ判断のしようがないからだ。
〝専門知識を持ってる先生に頼らないとこれは解決できない……それに……〟
「あの……池宮先生は、このこと……紗妃の、その……不倫に関して……何かご存知なんですか?」
汐見は引っ掛かっていた。電話口で自分が話す前に【不倫】という一言を告げた池宮の真意を。
「……この【合意書】は……」
深呼吸をした池宮が、持っていた【合意書】の方の書面を汐見にかざした。
「私が原案を出して、相手方弁護士との同意のもと作成されたものです」
「!!!」
動揺を隠せない池宮の顔には驚きの表情が浮かんでいた。
〝そうだよな……〟
だが、それも一瞬だ。
池宮は目を瞬かせて俯くと、メガネの縁に指をかけて持ち上げ、冷静さを整えた。
「そう、ですか……」
汐見にも、池宮が息を詰まらせている様子が窺えた。
〝オレなら……なぜ妹がそんなところに行くんだと詰問するな……〟
そう考えていた汐見の予想とは違い、池宮は大きなため息をついて元に戻したメガネをずらして目頭を押さえた。
数秒間の沈黙が流れ。
「いつか……いずれ、そういうことになるんじゃないかと、思っていたんです……」
「え?」
「……どういう状態で紗妃が、その……精神科に掛かったのか、伺っても?」
「あ、はい……」
〝意外に冷静だ……〟
池宮はテーブルの上に肘をついて手を組んだ姿勢で、一言も聞き漏らさないよう乗り出すように汐見に対峙した。
そして、その左手の薬指にはなんの飾り気もない銀の指輪が光っていた。
〝結婚してるよ……な……〟
披露宴で夫婦で列席しているのをちゃんと見たし(今と容貌が全然違うけれど)紗妃も兄のような幼馴染だと言っていたような気がする。けれど、あの事件以来、紗妃の言動のどこからが嘘でどこまでが本当だったのか判別が付かなかった。汐見は自分の思い込みで池宮を疑ったことを今更ながらに反省した。
「その……どこから話せばいいのか……」
「汐見さんが話しやすいところからでも……いえ、まずは端的に……手短にお聞きしたいです」
紗妃が入院した事実を逆行すると直近であった出来事を話すべきだろう。
懸念すべき事項は山ほどあるが、詳細を説明する前にまず結論に近いところから話そうと思った。
「紗妃が、その……不倫に関する事実と慰謝料請求の書面を受け取ってから錯乱して……僕を、刺して……」
「えっ?!」
「……はい……実は今、その病院の帰りなんです……」
「けっ、怪我は?! 大丈夫なんですか?!」
考えてもいなかった汐見の告白に驚きの表情をして池宮は身を乗り出した。
「ええ、もうさほど痛みはないですし、今日も検査したらまた来週検査して終わりだと……」
「それで火曜日の夜に連絡が……」
「はい。申し訳ありません……」
「いえ……こちらこそ。そんなことがあったとは知らずに無理を」
「それは大丈夫です、期日も迫っていましたし」
「……そうですね……中断させてしまいました。続けてください」
「はい。僕を刺す直前から、紗妃の様子が少しおかしくなってしまって……」
〝この人は、紗妃がああなることを知っているんだろうか?〟
「それで……僕を刺した後で、足を滑らせて頭を強く打って……僕も一緒に病院に行ったんです」
「……」
「錯乱した紗妃がその……後で詳しくお話しますが、ビデオ映像から、紗妃は……」
そこまで言って、汐見は事実を目の前にいる兄同然の池宮に伝えるべきかどうか迷った。
〝だけど、伝えなければ。そして、この人にも聞かなければならない〟
「解離性同一性障害ということになってしまって……」
「……多重人格……」
「そうです……やはりご存知なんですね……」
汐見のその問いには答えず、池宮はじっと汐見を見ているようで焦点が合っていなかった。
「正式な診断があったんだと思います。一般病棟から療養棟に移されたと今日、聞きました」
「……」
汐見の情報を頭の中で整理しているのか、池宮は微動だにせずメガネの奥の目を閉じていた。
対面で話す、二人の間に数十秒の沈黙が流れ
「あの、紗妃が……そう、だと、池宮先生は知ってたんですか?」
「……知っていた……」
「……」
「……それとはちょっと違うと思います……」
「?」
「……時折、彼女の中に何かがいるのを感じたことは……あります……」
「!」
「……ですが、それが何かまでは……」
おそらくそれは真実だろう。紗妃の別人格をはっきりと鮮明に認識したのは、汐見とてあの映像が初めてだったのだから。
「……慰謝料のお話、でしたね……紗妃の話は後で聞くとして、そちらから先に伺いましょう」
「はい。その前に、これを……」
そう言って、汐見は佐藤から借りた小柄なハンドバッグから一つの封書を取り出してテーブルに置いた。
それは、あの日届いた【内容証明郵便】。
「……中を確認してもよろしいですか?」
「ええ、もちろん」
組んでいた手を解いた池宮が、置かれた封筒の送り主を確認し、封筒を開いて中の書面を取り出す。
「……通知書と夫婦間契約書と……合意書、ですね……」
「はい……」
「……これだけですか?」
「?と、いいますと?」
「いや、何か、他に連絡があったりなどは……」
「いえ。それ以外は特に、何も。……相手に……不倫相手の男の方に連絡しようと試みましたが、繋がりませんでした」
「……そうですか……」
池宮は中に入った書類にざっと目を通すと、メガネをズラしてまた目頭を押さえ、汐見を改めて見据えた。
「この内容証明を受け取ったのはいつですか?」
「受け取ったのは先週の木曜日です。でも受け取った場所が問題でした」
「というと?」
「僕の会社宛に……僕と職場結婚した紗妃が1年前に退職した会社宛に、送られてきたんです」
「!」
池宮は驚きの表情で汐見を見つめると、キュッと口元を引き結んだ。
「……先生なら、その意味がわかりますよね……」
「……あなたに知らせようとしたんですね……」
「ですよね……」
小さくため息を吐き出しながら池宮は質問を続ける。
「……受け取ったのは会社の人が?」
「そうです。おそらく受付窓口だと思います」
「……普通こういう書面は受け取り拒否するか、上に相談するものでは?」
「受付嬢が、紗妃の知り合いだったので……多分、気を利かせたか、あるいは、僕の妻だと知っている上から許可が出たんじゃないかと……」
「ああ、なるほど……」
そしてまた二人の間に沈黙が流れた。
〝重苦しい話題だ……でも……〟
ここで全てを漏れなく話してしまわないことには池宮に相談する意味が半減する。弁護士に判断を仰ぐということは、その弁護士に事実を詳らかにしなければ判断のしようがないからだ。
〝専門知識を持ってる先生に頼らないとこれは解決できない……それに……〟
「あの……池宮先生は、このこと……紗妃の、その……不倫に関して……何かご存知なんですか?」
汐見は引っ掛かっていた。電話口で自分が話す前に【不倫】という一言を告げた池宮の真意を。
「……この【合意書】は……」
深呼吸をした池宮が、持っていた【合意書】の方の書面を汐見にかざした。
「私が原案を出して、相手方弁護士との同意のもと作成されたものです」
「!!!」
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