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公爵令嬢vsシリーズ
公爵令嬢vsその後
しおりを挟むロザリアの振り下ろした片刃がシャルルの頭蓋を斬る直前、彼の姿が掻き消えた。
(何ッ!?)
ロザリアは振り下ろした刃の勢いを緩めることなく軌道を変えることで鞘に収め、一瞬にしてその場から頭上に高く飛び上がった。
彼女は闘技場全体を鋭く見下ろしながら、掻き消えたはずのシャルルの魔力の残滓を感じ取った。
(あそこか! ……ッ!?)
闘技場の片隅に、シャルルを抱えた黒い騎士の姿があった。
黒い騎士は兜をつけておらず、金糸のような鮮やかな髪が風に吹かれてたなびいている。
憂いを帯びた儚げな視線は、ロザリアを見ていた。
自然、ロザリアからも黒い騎士の端正な顔が目に映る。
(まさか、こいつが決闘に横槍を入れてくるとはな……。いや、こいつだからこそ、か……!)
ロザリアは綺麗に着地すると、すぐさま臣下の礼を取った。
決闘に横槍が入ったのは許せなかったが、かと言って逆らうという方法は取れない。
なぜならその黒い騎士は、王位継承権第二位のシャルノス・アークハイル第一王子だったからだ。
彼の母は王の側妃であり、正妃の子であるシャルルより下の位であるとは言え、王族には違いない。しかも、シャルノスにはシャルルよりも王者の気配があると宮中でも専らの噂であった。
もっとも、シャルノスには王位に興味はなさそうであり、シャルルの補佐をすると喧伝しているようではあるが。
「シャルノス殿下、お久しぶりでございます。確か、ミハイル小国家連合に留学中のはずでは?」
ロザリアは頭を下げながらも、『よくも決闘に横槍を入れてくれたな』という不快さを口調に滲ませて言った。
シャルノスはそんな彼女の思惑を知ってか知らずか、口元に笑みを讃えながら言う。
「我が弟とロザリア嬢が決闘をすると聞いてね。居ても立っても居られずに国に戻ってきてしまったのだ」
彼は頭を下げ続けている彼女のつむじから目を離し、両腕で抱えているシャルルの顔をそっと眺めた。
そして無詠唱で回復魔法を掛けると、シャルルの顔色が次第に良くなっていく。
「シャルルはまだ、生きている……私が来なければ、死んでいたな」
「決闘ですから」
ロザリアはこともなげにのたまう。
彼女の言い方には湿っぽいところも言い訳染みているところも欠片もなかった。ただただ事実を端的に述べたにすぎない程度の淡々とした口調であった。
そこに一片の感傷すら含まれていないことに、シャルノスは心の内で感嘆した。
「そうだな……。決闘に負けた罰として、弟には王としての教育をより徹底的に、より厳しく行うこととする。それで構わないな?」
「はい。シャルル殿下もお喜びになりましょう」
ロザリアは姿勢も口調も崩さない。その硬い態度はシャルノスへの敬意とも取れるが、心を許していないという意思が含まれているとも取れる。
「決闘の敗者たるシャルルには罰を与える。となれば、決闘の勝者であるロザリア嬢には褒美を与えなければならないな」
「シャルノス殿下、これはあくまで私人の決闘でございます。シャルル殿下におかれましては、王族としての教育を見直す必要があることは否定しません。ですが、私に対する褒賞などは無用でございます」
「いや、ロザリア嬢よ。これだけ圧倒的で素晴らしい戦いの勝者には、褒美を与えなければならないだろう。敗者に罰を与えたようにな……謹んで受け取ってはくれぬか?」
シャルノスは闘技場に響くような大きな声で、ロザリアに語りかける。まるで舞台に立つ役者のように。
自然、ロザリアもシャルノスに合わせて大きな声で話さざるを得ない。闘技場の空気が、観衆の心が、シャルノスによって操作されている感覚をロザリアは感じ取っていた。
「……私のような者に、身に余る光栄でございます」
「よろしい! 皆の者、偉大なる決闘の勝者に大きな拍手と歓声を!!」
闘技場は沸いたような大歓声に包まれた。
何に対しての歓声か?
それは、決闘の決着に対する歓声である。
それは、決闘の勝者に対する歓声である。
そしてそれは、シャルノスの帰国と彼の持つカリスマに対する歓声であった。
「ロザリア嬢よ。褒美の内容に関しては後日伝える。それまでは自宅にて療養されよ」
「……はい。畏まりましてございます」
ロザリアは頭を下げながら、心の中で盛大に舌打ちをし、シャルノスに罵声を浴びせていた。
「母上、私はこの国を出ます。つきましては、私を公爵家から追放して下さい」
「突然何を言うのです、ロザリア」
その日の夜。場所はシュベルクハウト公爵家の書斎である。
ロザリアは母親であるシュベルクハウト公爵の前に立っていた。
数日分の食糧と着替えが入った鞄を持ち、マントを着、特別に鍛えさせた片刃の剣を佩いている。
彼女の恰好は、旅支度のそれであった。
「私はこの国の第二王子に決闘を申し込み、そのうえ瀕死にまで追い込みました。完全にやりすぎであるため、公正なる罰が必要です。国外追放が妥当かと」
ロザリアはちっとも反省していない様子で、むしろ誇らしげに胸を張って堂々とのたまった。
公爵は額に手を当てながら、ため息をついて聞く。
「……本音は?」
「弱い癖に権力ばかり行使する王侯貴族に、これ以上付き合ってられん」
どうしようもなく自己中心的な台詞であった。
公爵はため息を幾度もつきながら、心の中で嘆息していた。
「私とシャルルの婚約は破棄されたのは計画通りでしたが……シャルノスが戻ってきたのは本当に計算外でした。あの妾腹は、必ず私を王家に組み込むべく画策しているでしょう」
ロザリアの視線が、書斎机の上に向かう。
そこには一通の手紙と封筒が置いてあり、封筒には王家の封蝋が押してあった。
「貴女に隠し事はできないわね……。先刻、シャルノス殿下から手紙が届いたわ。『褒美は三日後、王宮にてお渡しする』とね。恐らく、貴女を飼い殺しにする策でも考えたのでしょう」
「母上、申し訳ありませんが私の代理として王宮に出向いていただきたい。公爵家当主が出てくれば、王家も無下にはできないでしょう」
「貴女はどうするつもり?」
「公爵家は三男のネルソンに継がせ、フルートを娶らせるのがよろしいでしょう。秘密裏に調査したところ、フルートはアーデルハイド侯爵の隠し子でしたから、血筋にも資質的にも全く問題はありません」
ロザリアは母親の問いに答えず、これから先の公爵家の後継者について答えた。
それは間接的に、彼女が家から出て行くと宣言したようなものであった。
そのことを理解した公爵は、諦めたような疲れたような笑みを浮かべた。
「まったく、貴女って子は……昔から人の話を聞きませんね……」
「シュベルクハウト公爵様、今までお世話になりました。この御恩は、死ぬまで忘れません」
「……もう、行ってしまうの?」
「ええ。王家の監視が最も手薄である、今夜しかチャンスはありませんからね」
ロザリアは左手の小指に嵌めている。指輪に目をやった。
それは空間転移の指輪であった。
魔法が盛んなこの国であっても、全くお目に掛かれない代物である。
何故ならこの指輪は、彼女の魔導具の試作品であったからだ。当然市場に出回っている筈が無く、王立魔法研究所においてもそういった常識外れの品は作られていない。精々が中級の攻撃魔法を撃てたり、身体強化を掛けたりといったレベルの品ばかりだ。
魔法の発展に力を入れていると有名なアークハイル王国の魔法研究所ですら想定していないレベルの高位魔導具製作技術は、明らかに異端であり異常であった。
そして、ロザリアは自身の異常さを誰よりも良く理解していた。
次いで、母親も理解していた。
自分の娘は、国に納まってしまえるような、小さな器ではないことに。
「偶には顔を見せなさいね」
「母上、そこは『手紙を出しなさいね』と言うところでは?」
「貴女、昔から筆不精じゃないの」
公爵はころころと笑いながら、目尻から涙をこぼした。
東の空から陽がゆっくりと昇ってくるが、山の麓はまだ寒い。
陽の光は峻嶮な山々に遮られ、冷たい空気が辺りを漂う。
白い空気を吐きながら、一人の老兵はその少女を心配そうに見る。
「お嬢ちゃん、本当に一人で国境の山脈を抜けるつもりなのかい?」
「ああ、そのつもりだ」
「言っちゃあなんだが、お嬢ちゃんにはちょいと厳しいぞ? 手練れた冒険者の護衛を連れて行くことを、俺だったら勧めるね」
「心配は要らん。こう見えて、私も冒険者だ」
少女は冒険者カードを取り出して、老兵に見せた。
冒険者カードには所持者の魔力が刻まれていて、所持者以外がカードを持っても意味が無い。カードに刻まれている魔力が所持者の魔力と反応して初めて、記載情報が浮かびだすようになっているためだ。所持者が手にしていない限り、それはただの硬い金属板でしかない。
そして、証明書に書かれている名前とランクが冒険者の名誉を担っているため、冒険者の義務としてカードの保持は絶対とされている。紛失した時点で、冒険者ではなくなるのだ。
「名前はローズマリアか。ランクは……なっ!? 4ランク!? 信じられん! その若さでか!?」
老兵は仰天してカードと少女を何度も見比べる。
「問題は無かろう?」
「あ、ああ……問題はない。だが、気をつけろよ? 世の中、何が起こるか分からんからな」
「ああ、忠告感謝する」
少女は老兵の肩をぽんぽんと親しげに叩くと、力強い足取りで山に向かった。
「さて、当分の間は山歩きか。熊とか出てきてくれたら、しばらく食料には困らないんだがな」
ロザリアは険しい山道を苦も無く歩き続ける。
その足取りは軽く、道の険しさなどあって無きが如しである。
これから先の道も決して楽なことはないだろう。
だが、彼女は来たる艱難辛苦のことごとくを、不敵な笑みを浮かべながら傲岸不遜に粉砕していくに違いない。
そしていつの日にか、世界にその名を轟かすことになるだろう。
若き英雄、ローズマリアとして。
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