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愛ターン 友ターン
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メールの着信があった。
―今晩、新橋の何時もの居酒屋で会えませんか? 端月先輩の退職慰労も兼ねて―
文末には発信主の池波さんにしては珍しく絵文字が添えてあった。Lineは交換しているのだが、いつもメールだ。飾り文字のチャットってガキっぽいでしょと、いつか言っていた。
絵文字に関しても、五十を過ぎてそれはないだろうと、常に言っている池波さんだ。その彼が絵文字を添付するということは、いつもの茶目っ気たっぷりの悪だくみを思いついたか。無論、彼はそれをサプライズですと満面の笑みで茶化すのだが。それとも純粋に、哀れな早期退職者の私を労ってくれるつもりなのか。
早々に仕事を切り上げ、社を出た。得意先への挨拶回り、後任部長への引継ぎ等もあらかた終えた今、仕事らしい仕事はほとんどない。後は退職を待つのみの日々である。社内での送別会も今日までに二回ほど開いてくれていた。
ウイークエンドの新橋はいつもどおり込み合っていた。四時過ぎに勢いよく降った雨も今はあがっているが、夕方とはいえ夏の気温は未だ下がらず、焼けたアスファルトは湿気を伴った雨の匂いを放出し、容赦なく道行く人に投げつけていた。
家路を急ぐのか、疲労の滲んだスーツ姿の男達。声高に話しながら先を急ぐ若者のグループ。雑踏は沈んだような、浮ついたような、週末独特の雰囲気の中にあった。
池波さん指定の居酒屋の暖簾をくぐる。ほぼ満席。店内を見回す。二人掛けのテーブル席の一番奥で池波さんが大きく手を上げ、こっちこっちと招く。
悪ガキがそのまま齢を喰ったような笑顔で「先輩、ご苦労さんです。いつものように生ビールからいきますか。私は先にやっていました」ほぼ空になったジョッキを持ち上げ、私の返事も待たず「生中二つ。フィッシュカツにスダチ添えて二皿。それと竹チッカもスダチつけてね」勝手に注文する。
この居酒屋は「阿波屋」といい、オーナーが徳島県出身で、私や池波さんにとっては懐かしいメニューが揃っている。
フィッシュカツは徳島県民のソールフードといってもいいもので、白身魚のすり身をカレー粉などの香辛料で味付けし、薄く延ばしパン粉をつけて揚げたもの。竹チッカとは竹輪のことで、青竹に魚のすり身を巻き付けて焼いたもの。ほんのりと青竹の香りがし、何とも郷愁を誘うのだ。オーダーもこの店ではチッカで通る。現にお品書きには竹輪と書いた横に括弧で括って竹チッカとある。
これらの品にスダチとくればもう何も言うことはない。
若い頃にはスダチなどどこの店にもなく、レモンかカボスだったし、スダチという名前も知らない人が大半だった。
この店は池波さんが若いころ開拓した。
「端月さん。徳島のフィッシュカツ食える店見つけました。スダチもありました。今晩空いていたら御一緒にどうですか。蕎麦米汁も食べられますよ」
営業で来社していた池波さんは私をつかまえて、さも世界的な大発見でもしたかのように言った。
池波さんと最初に顔を会せたのは私が入社四年目の夏だった。
そのころ私は企画部設計課に席を置いていた。会社は主にマンション等の集合住宅の企画開発を行う上場企業だった。
池波さんは徳島県に本社工場を持つ中小企業の、東京営業所の若手であった。
八幡金属工業という池波さんの会社は、マンション、アパート等の防火玄関扉、ホテルの客室用防火扉を得意としており、大手総合サッシメーカーと競合していたが、集合住宅用玄関ドアのシェア拡大を狙っていた。
私も池波さんの会社は以前から知っていた。故郷徳島の実家の近くに在ったからだ。ただ、その頃は大手建材メーカーの下請け企業だろう、くらいの認識しかなかった。
「御社へは初めてお伺いしたのですが、提案営業の一環として企画・設計段階から弊社のドアを織り込んで頂ければと思い、お伺いいたしました」こういう試みは今回が初めてなのですがと、彼は言った。
今までは商社、ゼネコン、デベロッパーなどの購買部を通した販売ルートだった。自分の提案が営業会議で採り上げられ、ひとりで設計事務所等に営業をかけているのだという。
池波さん曰く、以前は製品のほとんどがOEM(相手先ブランド名による製造)だったのだが、今では製品の八十パーセント強が自社ブランドで、今後その割合を高めていく会社方針だという。
その時は「一応、上司には話を上げておきます。余り期待されても困るのですが」と、遠回しにお断りしたのだが、池波さんはそれからちょくちょく顔を見せるようになった。いつの間にか彼の窓口は私ということになった。
やはり、月に一回顔を会せる人よりも、頻繁に顔を見せる営業マンのほうに情が湧くというものである。
小さな物件で二回ほど、大手サッシメーカーの下請けという形ではあったが、八幡金属工業を使ってみた。評判は悪くはなかった。
「池波君っていうの? 八幡金属の営業マン」ある日、課長に言われた。
「彼、若いけどなかなか熱心じゃない。それに八幡金属工業、最近評判が良いみたい。シェア伸ばしている。ゼネコンの購買部に知り合いがいて聞いたのだけれど、田舎の小さな会社だが、商品の企画力が良い。それと、大手と比べ小回りが利くそうだ」
少し大きな物件で使ってみてはどうだろう。もちろん大手の下請けではなく八幡金属のナショナルブランドで。企画会議にあげてみたら。購買部には私が話を通しておく。もちろん君が担当ということでと、最後に念を押すのは忘れなかったが、課長は私の肩を叩いた。
八幡金属工業の評判は上々だった。特に施工現場からの評判が良かった。
物件の施工は一〇〇パーセント出資の関連建設会社が九割がたを行っていたのだが、現場の所長からの信頼は絶大で「とにかく小回りが利く。大手ではああはいかない。これからもどんどん使って欲しい」そんな声が連絡会議の席上で上がっていた。
また企画部企画課からは、商品のデザインが優れているし、こちらの要望も出来るだけ形にしてくれる。田舎の中小企業と馬鹿に出来ないレベルだ。そんな意見が上っていた。
購買部は購買部でコストパフォーマンスに優れている。これからもっと使えばとの意見だった。当然、購買部のコストパフォーマンス云々という話は叩きに叩いての値段のことだろうから、話半分と聞き置くべきだろうが。
池波さんとの関係が密になった頃、彼に聞かれた。
「前から聞こうと思っていたのですが、端月さんって出身は関西ですか」
「どうして?」
「図星ですか。イントネーション。僕は徳島出身ですから。徳島弁って関西弁に近いでしょう。時々、君、大阪出身って聞かれます。僕も大学は東京なので標準語を喋っているつもりなのですけど」
大学時代四年間、入社して四年強、都合八年間。私自身、ほとんど完璧な標準語を操っているつもりだったのだが、聞く人が聞けば分かるらしい。
「残念ながら図星ではない。私も君と同じ徳島出身なのだよ」
「そうなんですか!」びっくりしましたと、大げさな顔で言う。
「それじゃー、僕たち二人は運命の赤い糸で結ばれていたのですね。端月さんと僕は最初から結ばれる運命だったのだ!」悪童顔が笑った。
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「あの若い頃とかバブルの頃とかは、忙しかったけど面白かった」池波さんは思い出をなぞるような目をして私の顔を見た。
「バブルの頃、六日間連続で会社に寝泊まりしたことがある。徹夜なんて当たり前。帰れるのは日曜日の朝。そんな日が一年以上続いたかなー。今にして思えば、若かったとはいえ、よく身体がもったものですよ。妻や子供には迷惑をかけたし」私はビールジョッキを持ち上げる。
「私なんか現場事務所に監禁されましたから」池波さんが思い出し笑いをする。
彼には有名な武勇伝がある。
あるホテルの建設物件で扉の搬入が間に合わなくなった。搬入予定日に現場事務所へ謝りに行った。相手が悪かった。下請けだか孫請けだかの工事業者はヤクザ系の業者だった。平身低頭して謝ったが許してくれるわけもなく「お前さんはドアが搬入されるまで人質だ」そう、親方に言われた。
慌てて電話を借り本社工場に連絡を入れた。「早くても明後日の到着になる。申し訳ない」工程課長の返事は無情だった。腹を括るしかなかった。
現場事務所では親方を含め人相の悪い面々がたむろしていた。親方以外の五人は奥の三畳ほどの畳を敷いた部屋で花札に興じていた。親方は夏の甲子園大会の野球中継を見ていた。ドアが届くまでは仕事ができないのだから、これはこれでいたし方ない。
「八幡金属工業って徳島県の会社なんだろう。兄ちゃんも徳島出身かい?」テレビを見ていた親方が聞く。
「そうです。僕、Ⅰ高校の出身なんです」
当時、高校野球では全国的に勇名を馳せていた県西部の高校名をあげた。嘘である。
親方が熱心に中継を見ていたので少しでも場が和めばとの思いだった。
「ほおー、Ⅰ高校。あんた良い体しているけど、まさか野球部だったとか」親方が言う。
「判りますかぁー。僕〝さわやかイレブン〟の後輩なんですぅー」
口から出まかせ。何年か前にⅠ高校は僅か十一人の部員で準優勝をしてしまったのだ。個性的な監督のキャラもあいまって、これで一躍有名になった。
親方は余程の高校野球ファンらしく話が弾んだ。池波さんは面白おかしく虚実取り混ぜて話をした。
「誰それはコーチの娘を妊娠させたのでレギュラーを外された。これは地元では有名な話です」「ジャイアンツに行ったあのピッチャーの兄貴は、地元新聞の運動部の記者をやっている」「ホークスにスカウトされたあの子の実家は団子屋で、地元では美味いと評判です」「優勝した時のあのピッチャーはリトルリーグの時から剛腕で、何でも小学校五年の時、県内一の高校野球のスラッガーを.三回続けて三振に打ち取ったそうです」「ホームランを何本も打って恐れられたあの驚異の九番バッターは中学校ではサッカーをやっていた」
話の半分は地元で仕入れたネタで、おおかたは真とも嘘とも判断しかねる話だったが、親方はそういう話を喜んだ。野球中継の第三試合が終わる頃にはすっかり打ち解けていた。
「人質なので今晩はここに泊まってもらうけど、俺と焼肉でも食いに行こう。あんた酒は飲むかい」親方は相好を崩した。
翌日の夕方に解放された。本社へ電話をかけ、親方に電話を代わってもらい、トラックの出発を確認した。
「また何処かの現場で会うかも知れんな。あんた度胸座っとる。本来なら損害賠償を請求するところだが、あんたの面白い話と度胸に免じて今回は目をつむる。さすがⅠ高野球部。いやー面白かった。うちへ来ないか。給料、今の倍出すぞ」親方は笑った。
「まあ、そうゆう苦労をいっぱいしてきて今があるわけですから。お互い出世もしたし」池波さんが言う。
「石の上にも三十数年ですからね。でも私なんかもうじき部長でもなんでもなくなるわけだから。サラリーマンなんて会社から離れればただの人」
「でも端月さん希望退職でしょう」
「そうなのですけど―。今回は管理職対象の早期退職募集でね。体の良いリストラですよ。取締役もかなりの人数が退陣してね。そうゆうムード充満って雰囲気だったからね」
私の声が湿り気味だったのか、池波さんが気をきかし話を若い頃の出来事に振った。ひとしきり思い出話で盛り上がった。
飲み物がビールから焼酎の湯割に代わった。二杯目を注文し、池波さんが改まった口調で言った。
「ところで今後どうなさるのですか」
「当分は失業保険。自己都合の退職じゃないからすぐに貰える。その間に考えようと思っています。今の会社からも、関連会社への再就職を望めばやってくれるらしい。ただ……」言いよどんだ。
今回の退職を機に、妻のかねてからの夢を実現させてやっても良いのではと思っているのだ。
妻の和美はかなり以前から田舎暮らしに憧れている。
東京生まれで東京育ちの和美が、どういった経緯でそういった考えに至ったかは、おぼろげながら分からなくもない。多分、自家農園で野菜を作りたいのだ。今でも自宅マンションのベランダで色々な野菜やハーブをプランター栽培している。
和美は料理が得意だった。別に料理教室へ通ったわけでもなく、レシピ本を買い込むわけでもなかった。彼女が本来持ち合わせたセンスのようなものがあるのだろうと思う。
ベランダ栽培で最初にトマトと胡瓜を収穫した時、彼女は言ったものだ。「全然味が違う。スーパーの胡瓜なんて農薬臭くてもう食べられない。トマトだって完熟だよ。凄く美味しい」
私にはその微妙な違いは分からなかった。和美のような味覚もセンスも持ち合わせがなかった。
ある時、和美から東京近郊の貸農園の話が出た。交通の便もあり結果的には断念したのだが、彼女は借りたがっていた。
そういったことを考えると、東京近郊で土地付きの古い一軒家を借りるか、買うか。そういう選択肢もあるのではないか。
私自身はまだご隠居を決め込むには早すぎるし、あと数年は働きたい。自分の再就職も視野に入れれば、通勤時間は長くなるかもしれないが、それもひとつの方法ではないかと思う。
「この前うちの営業所へ挨拶にいらっしゃった時、そういったこと言っていましたよね」池波さんは天麩羅の盛り合わせの皿から徳島産のハモを箸で摘み口に運ぶ。
八幡金属工業東京営業所を後任の部長を伴って訪れたのは一か月前であった。その時、池波さんにそういったことを少しだけ話したのを覚えている。
「端月さん出身はうちの本社工場があるP市でしたよね」
「ええ、中心部からは少し外れますが、八幡金属とは近い所です。親父が生きていた頃は酒屋を営んでいたのですが、弟が跡をとって今はコンビニに衣替えしている」
「ご母堂は?」池波さん、顔に似合わず古風な言い方をする。
「母は元気ですよ。老人会やら旅行やらで余生を楽しんでいるみたい」私は鳴門金時を使ったイモの天麩羅を小皿に取る。
少しの沈黙が二人の間に流れた。ややあって池波さんが口を開いた。
「ところでね先輩。今日のサプライズなんですけど―」言葉を切り焼酎の湯割りを一口飲んだ。
やはりきた。彼の得意技。本日のサプライズだ。サプライズされないように心を引き締めなければ。
「端月さん。八幡金属工業へ来る気ありません?」さらりと言う。「設計部次長の椅子が用意できます。大企業の部長をやった人に、片田舎の会社の次長職というのも甚だ失礼かとは思ったのですが―」言葉を切り私の顔を窺う。「勤務は徳島県P市になります。もちろん田舎の中小企業ですから給料は今のようには出せませんが」
設計部は営業部門に属するそうで、彼の職責の範疇なのだと言う。池波さん、こう見えても八幡金属工業株式会社取締役営業本部長兼東京営業所長なのだ。齢をとっても悪ガキみたいな顔をしてはいるが。その悪ガキが言う。
「端月さん私と知り合った頃、設計やっていましたよね。それを思い出しました。それと前にちらっと聞いた奥さんの田舎に住んでお百姓をしたいという希望。両方クリアできる。家を買うにしても土地を買うにしても、東京と比べれば徳島は、特にP市はただみたいな値ですから。気になったのは奥さんの意向なのです。東京生まれで東京育ちの人は東京近郊がやはり良いのかなーとは思ったのですが。それと奥さんの親戚の関係とか」
やはりサプライズだ。本日のサプライズはでかい。
「まさか池波さんがそこまで気にかけていてくださるとは」私は大真面目に頭を下げた。
「妻に聞いてみなければわかりませんが、多分、今迄の言動から推測すると東京近郊でなけりゃあというこだわりはないと思います。それと妻の両親は既に亡くなっていましてね。縁者も居ないし。弟がひとりいるのですが、アメリカで暮していて向こうで結婚しています。今のところ日本へ帰る気はないみたいだし。早速妻に話してみます」
「息子さんは?」私にはひとり子供がいる。
「神戸の会社に就職しています。転勤のない会社なので徳島からだと今よりも近くなります」
私の言い終わるのを待ち、池波さんはいたずらっぽい顔になり少し声を落とした。
「それとこのお誘いには少々含むところがありまして―」柄にもなく遠慮がちに言う。
「皆まで言わないでください」私は顔の前で手を振る。池波さんの言わんとすることは容易に想像できた。
「わかっています。私に、御社と弊社のパイプ役になれということでしょう」
ここらへんは阿吽の呼吸というやつである。二人とも伊達に齢は喰っていない。
「事が事だけに、直ぐには結論は出ないと思いますが、奥さんとも相談なさってじっくり考えてください。私も我が社も大歓迎ですから」
「有難うございます」私は頭を下げる。
「ひとつ前向きに善処願います」池波さんも笑いながら頭を下げる。
「可及的速やかに検討させていただきます」私は笑顔でもう一度頭を下げた。
「いやいや、急がなくていいですから。じっくり考えてください」
私と池波本部長は声を揃えて笑った。
3
妻の和美はいちもにもなく了承した。念願の田舎暮らしができるとあって、私よりも入れ込んでいるくらいだ。
グーグルMAPのストリートビュウでP市周辺を調べたり、徳島県の不動産情報を収集したりしている。
徳島弁の練習だと称して「何でやねん!」「そんな阿保な」「君とはやっとれんわ」「儲かりまっか。ぼちぼちでんなー」「ほな、さいなら」「堪忍どすえ」などと、掃除機をかけながら、料理を作りながらひとりで騒いでいる。厳密にいえばそれは徳島弁じゃないのだが。
八月三十一日が最後の出勤日だった。八月に入ってから、後任者への引継ぎが終わった時点で、お盆休みを挟んで有給休暇をとっていた。久し振りの出社だった。
後任部長と多分に儀礼的な引継式を行い、その後女子社員から花束を渡され、部員全員からだという記念品を貰った。それだけだった。あっけなく私の最後の出社は終了した。
多少の悲哀と名残惜しさは胸に去来した。でもまあ、こんなものだろうなあー。そう思った。
次の職場、八幡金属工業へは九月第二週からの出社と決まっていた。
池波部長が本社総務部に指示し、会社に近く、比較的築年数の若いアパートを手配してくれていた。私が運転免許を持っていないので、徒歩か自転車で通勤できる距離に絞ったのだという。
池波さんの話では、公共交通機関を利用するにしてもJRか路線バスしかなく、通勤通学時間帯を除けば、どちらも運行は一時間に上下便合わせて二本程しかないらしい。
私もかつて高校へ通学していた時はJRを利用していた。その頃はもっと本数が多かったように思う。
「東京のように三、四分待てば電車が来るという環境じゃないですから。田舎はマイカーがないとね、かなり不便なんです。P市を車で走ったら気づきますが、何とかマークを付けたお年寄りの軽自動車がやたら目につく。九十近い婆ちゃんでも運転していますから」
市の中心部にはもっと良いマンションもあるそうだが、取り敢えずはそのアパートで辛抱して、落ち着いたら一戸建てなり畑なり、奥さんの条件に合うところ探してくださいとのことだった。
「アパートからはJRの最寄り駅へも五分ほどですし、会社へも端月さんの実家のコンビニ店にも歩いて行ける距離だと総務の者から聞いています」池波さんは言った。
「有難うございます。何から何までお手数かけて」私は頭を下げた。
「いえいえ、お安いご用ですよ。私とあなたの仲じゃあないですか。私も今月末には本社へ行きます。ちょうど三ヶ月に一回の役員会議でね。飛行機での日帰りですが」
「私は最小限の引っ越し荷物を纏め、一週間前には徳島に入ろうと思っています」
「奥さんはどうされるのですか」
「妻はしばらく残り色々と残務整理ですね。自宅マンションを売りに出したりとか。それまでに徳島で目ぼしい物件をあたってくれとは言われているのですが。まあ家とか土地の件は弟にも頼んではあるのですがね。地元だから私よりは詳しいし」
「早く良い所が見つかるといいですね」池波部長が笑った。
―今晩、新橋の何時もの居酒屋で会えませんか? 端月先輩の退職慰労も兼ねて―
文末には発信主の池波さんにしては珍しく絵文字が添えてあった。Lineは交換しているのだが、いつもメールだ。飾り文字のチャットってガキっぽいでしょと、いつか言っていた。
絵文字に関しても、五十を過ぎてそれはないだろうと、常に言っている池波さんだ。その彼が絵文字を添付するということは、いつもの茶目っ気たっぷりの悪だくみを思いついたか。無論、彼はそれをサプライズですと満面の笑みで茶化すのだが。それとも純粋に、哀れな早期退職者の私を労ってくれるつもりなのか。
早々に仕事を切り上げ、社を出た。得意先への挨拶回り、後任部長への引継ぎ等もあらかた終えた今、仕事らしい仕事はほとんどない。後は退職を待つのみの日々である。社内での送別会も今日までに二回ほど開いてくれていた。
ウイークエンドの新橋はいつもどおり込み合っていた。四時過ぎに勢いよく降った雨も今はあがっているが、夕方とはいえ夏の気温は未だ下がらず、焼けたアスファルトは湿気を伴った雨の匂いを放出し、容赦なく道行く人に投げつけていた。
家路を急ぐのか、疲労の滲んだスーツ姿の男達。声高に話しながら先を急ぐ若者のグループ。雑踏は沈んだような、浮ついたような、週末独特の雰囲気の中にあった。
池波さん指定の居酒屋の暖簾をくぐる。ほぼ満席。店内を見回す。二人掛けのテーブル席の一番奥で池波さんが大きく手を上げ、こっちこっちと招く。
悪ガキがそのまま齢を喰ったような笑顔で「先輩、ご苦労さんです。いつものように生ビールからいきますか。私は先にやっていました」ほぼ空になったジョッキを持ち上げ、私の返事も待たず「生中二つ。フィッシュカツにスダチ添えて二皿。それと竹チッカもスダチつけてね」勝手に注文する。
この居酒屋は「阿波屋」といい、オーナーが徳島県出身で、私や池波さんにとっては懐かしいメニューが揃っている。
フィッシュカツは徳島県民のソールフードといってもいいもので、白身魚のすり身をカレー粉などの香辛料で味付けし、薄く延ばしパン粉をつけて揚げたもの。竹チッカとは竹輪のことで、青竹に魚のすり身を巻き付けて焼いたもの。ほんのりと青竹の香りがし、何とも郷愁を誘うのだ。オーダーもこの店ではチッカで通る。現にお品書きには竹輪と書いた横に括弧で括って竹チッカとある。
これらの品にスダチとくればもう何も言うことはない。
若い頃にはスダチなどどこの店にもなく、レモンかカボスだったし、スダチという名前も知らない人が大半だった。
この店は池波さんが若いころ開拓した。
「端月さん。徳島のフィッシュカツ食える店見つけました。スダチもありました。今晩空いていたら御一緒にどうですか。蕎麦米汁も食べられますよ」
営業で来社していた池波さんは私をつかまえて、さも世界的な大発見でもしたかのように言った。
池波さんと最初に顔を会せたのは私が入社四年目の夏だった。
そのころ私は企画部設計課に席を置いていた。会社は主にマンション等の集合住宅の企画開発を行う上場企業だった。
池波さんは徳島県に本社工場を持つ中小企業の、東京営業所の若手であった。
八幡金属工業という池波さんの会社は、マンション、アパート等の防火玄関扉、ホテルの客室用防火扉を得意としており、大手総合サッシメーカーと競合していたが、集合住宅用玄関ドアのシェア拡大を狙っていた。
私も池波さんの会社は以前から知っていた。故郷徳島の実家の近くに在ったからだ。ただ、その頃は大手建材メーカーの下請け企業だろう、くらいの認識しかなかった。
「御社へは初めてお伺いしたのですが、提案営業の一環として企画・設計段階から弊社のドアを織り込んで頂ければと思い、お伺いいたしました」こういう試みは今回が初めてなのですがと、彼は言った。
今までは商社、ゼネコン、デベロッパーなどの購買部を通した販売ルートだった。自分の提案が営業会議で採り上げられ、ひとりで設計事務所等に営業をかけているのだという。
池波さん曰く、以前は製品のほとんどがOEM(相手先ブランド名による製造)だったのだが、今では製品の八十パーセント強が自社ブランドで、今後その割合を高めていく会社方針だという。
その時は「一応、上司には話を上げておきます。余り期待されても困るのですが」と、遠回しにお断りしたのだが、池波さんはそれからちょくちょく顔を見せるようになった。いつの間にか彼の窓口は私ということになった。
やはり、月に一回顔を会せる人よりも、頻繁に顔を見せる営業マンのほうに情が湧くというものである。
小さな物件で二回ほど、大手サッシメーカーの下請けという形ではあったが、八幡金属工業を使ってみた。評判は悪くはなかった。
「池波君っていうの? 八幡金属の営業マン」ある日、課長に言われた。
「彼、若いけどなかなか熱心じゃない。それに八幡金属工業、最近評判が良いみたい。シェア伸ばしている。ゼネコンの購買部に知り合いがいて聞いたのだけれど、田舎の小さな会社だが、商品の企画力が良い。それと、大手と比べ小回りが利くそうだ」
少し大きな物件で使ってみてはどうだろう。もちろん大手の下請けではなく八幡金属のナショナルブランドで。企画会議にあげてみたら。購買部には私が話を通しておく。もちろん君が担当ということでと、最後に念を押すのは忘れなかったが、課長は私の肩を叩いた。
八幡金属工業の評判は上々だった。特に施工現場からの評判が良かった。
物件の施工は一〇〇パーセント出資の関連建設会社が九割がたを行っていたのだが、現場の所長からの信頼は絶大で「とにかく小回りが利く。大手ではああはいかない。これからもどんどん使って欲しい」そんな声が連絡会議の席上で上がっていた。
また企画部企画課からは、商品のデザインが優れているし、こちらの要望も出来るだけ形にしてくれる。田舎の中小企業と馬鹿に出来ないレベルだ。そんな意見が上っていた。
購買部は購買部でコストパフォーマンスに優れている。これからもっと使えばとの意見だった。当然、購買部のコストパフォーマンス云々という話は叩きに叩いての値段のことだろうから、話半分と聞き置くべきだろうが。
池波さんとの関係が密になった頃、彼に聞かれた。
「前から聞こうと思っていたのですが、端月さんって出身は関西ですか」
「どうして?」
「図星ですか。イントネーション。僕は徳島出身ですから。徳島弁って関西弁に近いでしょう。時々、君、大阪出身って聞かれます。僕も大学は東京なので標準語を喋っているつもりなのですけど」
大学時代四年間、入社して四年強、都合八年間。私自身、ほとんど完璧な標準語を操っているつもりだったのだが、聞く人が聞けば分かるらしい。
「残念ながら図星ではない。私も君と同じ徳島出身なのだよ」
「そうなんですか!」びっくりしましたと、大げさな顔で言う。
「それじゃー、僕たち二人は運命の赤い糸で結ばれていたのですね。端月さんと僕は最初から結ばれる運命だったのだ!」悪童顔が笑った。
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「あの若い頃とかバブルの頃とかは、忙しかったけど面白かった」池波さんは思い出をなぞるような目をして私の顔を見た。
「バブルの頃、六日間連続で会社に寝泊まりしたことがある。徹夜なんて当たり前。帰れるのは日曜日の朝。そんな日が一年以上続いたかなー。今にして思えば、若かったとはいえ、よく身体がもったものですよ。妻や子供には迷惑をかけたし」私はビールジョッキを持ち上げる。
「私なんか現場事務所に監禁されましたから」池波さんが思い出し笑いをする。
彼には有名な武勇伝がある。
あるホテルの建設物件で扉の搬入が間に合わなくなった。搬入予定日に現場事務所へ謝りに行った。相手が悪かった。下請けだか孫請けだかの工事業者はヤクザ系の業者だった。平身低頭して謝ったが許してくれるわけもなく「お前さんはドアが搬入されるまで人質だ」そう、親方に言われた。
慌てて電話を借り本社工場に連絡を入れた。「早くても明後日の到着になる。申し訳ない」工程課長の返事は無情だった。腹を括るしかなかった。
現場事務所では親方を含め人相の悪い面々がたむろしていた。親方以外の五人は奥の三畳ほどの畳を敷いた部屋で花札に興じていた。親方は夏の甲子園大会の野球中継を見ていた。ドアが届くまでは仕事ができないのだから、これはこれでいたし方ない。
「八幡金属工業って徳島県の会社なんだろう。兄ちゃんも徳島出身かい?」テレビを見ていた親方が聞く。
「そうです。僕、Ⅰ高校の出身なんです」
当時、高校野球では全国的に勇名を馳せていた県西部の高校名をあげた。嘘である。
親方が熱心に中継を見ていたので少しでも場が和めばとの思いだった。
「ほおー、Ⅰ高校。あんた良い体しているけど、まさか野球部だったとか」親方が言う。
「判りますかぁー。僕〝さわやかイレブン〟の後輩なんですぅー」
口から出まかせ。何年か前にⅠ高校は僅か十一人の部員で準優勝をしてしまったのだ。個性的な監督のキャラもあいまって、これで一躍有名になった。
親方は余程の高校野球ファンらしく話が弾んだ。池波さんは面白おかしく虚実取り混ぜて話をした。
「誰それはコーチの娘を妊娠させたのでレギュラーを外された。これは地元では有名な話です」「ジャイアンツに行ったあのピッチャーの兄貴は、地元新聞の運動部の記者をやっている」「ホークスにスカウトされたあの子の実家は団子屋で、地元では美味いと評判です」「優勝した時のあのピッチャーはリトルリーグの時から剛腕で、何でも小学校五年の時、県内一の高校野球のスラッガーを.三回続けて三振に打ち取ったそうです」「ホームランを何本も打って恐れられたあの驚異の九番バッターは中学校ではサッカーをやっていた」
話の半分は地元で仕入れたネタで、おおかたは真とも嘘とも判断しかねる話だったが、親方はそういう話を喜んだ。野球中継の第三試合が終わる頃にはすっかり打ち解けていた。
「人質なので今晩はここに泊まってもらうけど、俺と焼肉でも食いに行こう。あんた酒は飲むかい」親方は相好を崩した。
翌日の夕方に解放された。本社へ電話をかけ、親方に電話を代わってもらい、トラックの出発を確認した。
「また何処かの現場で会うかも知れんな。あんた度胸座っとる。本来なら損害賠償を請求するところだが、あんたの面白い話と度胸に免じて今回は目をつむる。さすがⅠ高野球部。いやー面白かった。うちへ来ないか。給料、今の倍出すぞ」親方は笑った。
「まあ、そうゆう苦労をいっぱいしてきて今があるわけですから。お互い出世もしたし」池波さんが言う。
「石の上にも三十数年ですからね。でも私なんかもうじき部長でもなんでもなくなるわけだから。サラリーマンなんて会社から離れればただの人」
「でも端月さん希望退職でしょう」
「そうなのですけど―。今回は管理職対象の早期退職募集でね。体の良いリストラですよ。取締役もかなりの人数が退陣してね。そうゆうムード充満って雰囲気だったからね」
私の声が湿り気味だったのか、池波さんが気をきかし話を若い頃の出来事に振った。ひとしきり思い出話で盛り上がった。
飲み物がビールから焼酎の湯割に代わった。二杯目を注文し、池波さんが改まった口調で言った。
「ところで今後どうなさるのですか」
「当分は失業保険。自己都合の退職じゃないからすぐに貰える。その間に考えようと思っています。今の会社からも、関連会社への再就職を望めばやってくれるらしい。ただ……」言いよどんだ。
今回の退職を機に、妻のかねてからの夢を実現させてやっても良いのではと思っているのだ。
妻の和美はかなり以前から田舎暮らしに憧れている。
東京生まれで東京育ちの和美が、どういった経緯でそういった考えに至ったかは、おぼろげながら分からなくもない。多分、自家農園で野菜を作りたいのだ。今でも自宅マンションのベランダで色々な野菜やハーブをプランター栽培している。
和美は料理が得意だった。別に料理教室へ通ったわけでもなく、レシピ本を買い込むわけでもなかった。彼女が本来持ち合わせたセンスのようなものがあるのだろうと思う。
ベランダ栽培で最初にトマトと胡瓜を収穫した時、彼女は言ったものだ。「全然味が違う。スーパーの胡瓜なんて農薬臭くてもう食べられない。トマトだって完熟だよ。凄く美味しい」
私にはその微妙な違いは分からなかった。和美のような味覚もセンスも持ち合わせがなかった。
ある時、和美から東京近郊の貸農園の話が出た。交通の便もあり結果的には断念したのだが、彼女は借りたがっていた。
そういったことを考えると、東京近郊で土地付きの古い一軒家を借りるか、買うか。そういう選択肢もあるのではないか。
私自身はまだご隠居を決め込むには早すぎるし、あと数年は働きたい。自分の再就職も視野に入れれば、通勤時間は長くなるかもしれないが、それもひとつの方法ではないかと思う。
「この前うちの営業所へ挨拶にいらっしゃった時、そういったこと言っていましたよね」池波さんは天麩羅の盛り合わせの皿から徳島産のハモを箸で摘み口に運ぶ。
八幡金属工業東京営業所を後任の部長を伴って訪れたのは一か月前であった。その時、池波さんにそういったことを少しだけ話したのを覚えている。
「端月さん出身はうちの本社工場があるP市でしたよね」
「ええ、中心部からは少し外れますが、八幡金属とは近い所です。親父が生きていた頃は酒屋を営んでいたのですが、弟が跡をとって今はコンビニに衣替えしている」
「ご母堂は?」池波さん、顔に似合わず古風な言い方をする。
「母は元気ですよ。老人会やら旅行やらで余生を楽しんでいるみたい」私は鳴門金時を使ったイモの天麩羅を小皿に取る。
少しの沈黙が二人の間に流れた。ややあって池波さんが口を開いた。
「ところでね先輩。今日のサプライズなんですけど―」言葉を切り焼酎の湯割りを一口飲んだ。
やはりきた。彼の得意技。本日のサプライズだ。サプライズされないように心を引き締めなければ。
「端月さん。八幡金属工業へ来る気ありません?」さらりと言う。「設計部次長の椅子が用意できます。大企業の部長をやった人に、片田舎の会社の次長職というのも甚だ失礼かとは思ったのですが―」言葉を切り私の顔を窺う。「勤務は徳島県P市になります。もちろん田舎の中小企業ですから給料は今のようには出せませんが」
設計部は営業部門に属するそうで、彼の職責の範疇なのだと言う。池波さん、こう見えても八幡金属工業株式会社取締役営業本部長兼東京営業所長なのだ。齢をとっても悪ガキみたいな顔をしてはいるが。その悪ガキが言う。
「端月さん私と知り合った頃、設計やっていましたよね。それを思い出しました。それと前にちらっと聞いた奥さんの田舎に住んでお百姓をしたいという希望。両方クリアできる。家を買うにしても土地を買うにしても、東京と比べれば徳島は、特にP市はただみたいな値ですから。気になったのは奥さんの意向なのです。東京生まれで東京育ちの人は東京近郊がやはり良いのかなーとは思ったのですが。それと奥さんの親戚の関係とか」
やはりサプライズだ。本日のサプライズはでかい。
「まさか池波さんがそこまで気にかけていてくださるとは」私は大真面目に頭を下げた。
「妻に聞いてみなければわかりませんが、多分、今迄の言動から推測すると東京近郊でなけりゃあというこだわりはないと思います。それと妻の両親は既に亡くなっていましてね。縁者も居ないし。弟がひとりいるのですが、アメリカで暮していて向こうで結婚しています。今のところ日本へ帰る気はないみたいだし。早速妻に話してみます」
「息子さんは?」私にはひとり子供がいる。
「神戸の会社に就職しています。転勤のない会社なので徳島からだと今よりも近くなります」
私の言い終わるのを待ち、池波さんはいたずらっぽい顔になり少し声を落とした。
「それとこのお誘いには少々含むところがありまして―」柄にもなく遠慮がちに言う。
「皆まで言わないでください」私は顔の前で手を振る。池波さんの言わんとすることは容易に想像できた。
「わかっています。私に、御社と弊社のパイプ役になれということでしょう」
ここらへんは阿吽の呼吸というやつである。二人とも伊達に齢は喰っていない。
「事が事だけに、直ぐには結論は出ないと思いますが、奥さんとも相談なさってじっくり考えてください。私も我が社も大歓迎ですから」
「有難うございます」私は頭を下げる。
「ひとつ前向きに善処願います」池波さんも笑いながら頭を下げる。
「可及的速やかに検討させていただきます」私は笑顔でもう一度頭を下げた。
「いやいや、急がなくていいですから。じっくり考えてください」
私と池波本部長は声を揃えて笑った。
3
妻の和美はいちもにもなく了承した。念願の田舎暮らしができるとあって、私よりも入れ込んでいるくらいだ。
グーグルMAPのストリートビュウでP市周辺を調べたり、徳島県の不動産情報を収集したりしている。
徳島弁の練習だと称して「何でやねん!」「そんな阿保な」「君とはやっとれんわ」「儲かりまっか。ぼちぼちでんなー」「ほな、さいなら」「堪忍どすえ」などと、掃除機をかけながら、料理を作りながらひとりで騒いでいる。厳密にいえばそれは徳島弁じゃないのだが。
八月三十一日が最後の出勤日だった。八月に入ってから、後任者への引継ぎが終わった時点で、お盆休みを挟んで有給休暇をとっていた。久し振りの出社だった。
後任部長と多分に儀礼的な引継式を行い、その後女子社員から花束を渡され、部員全員からだという記念品を貰った。それだけだった。あっけなく私の最後の出社は終了した。
多少の悲哀と名残惜しさは胸に去来した。でもまあ、こんなものだろうなあー。そう思った。
次の職場、八幡金属工業へは九月第二週からの出社と決まっていた。
池波部長が本社総務部に指示し、会社に近く、比較的築年数の若いアパートを手配してくれていた。私が運転免許を持っていないので、徒歩か自転車で通勤できる距離に絞ったのだという。
池波さんの話では、公共交通機関を利用するにしてもJRか路線バスしかなく、通勤通学時間帯を除けば、どちらも運行は一時間に上下便合わせて二本程しかないらしい。
私もかつて高校へ通学していた時はJRを利用していた。その頃はもっと本数が多かったように思う。
「東京のように三、四分待てば電車が来るという環境じゃないですから。田舎はマイカーがないとね、かなり不便なんです。P市を車で走ったら気づきますが、何とかマークを付けたお年寄りの軽自動車がやたら目につく。九十近い婆ちゃんでも運転していますから」
市の中心部にはもっと良いマンションもあるそうだが、取り敢えずはそのアパートで辛抱して、落ち着いたら一戸建てなり畑なり、奥さんの条件に合うところ探してくださいとのことだった。
「アパートからはJRの最寄り駅へも五分ほどですし、会社へも端月さんの実家のコンビニ店にも歩いて行ける距離だと総務の者から聞いています」池波さんは言った。
「有難うございます。何から何までお手数かけて」私は頭を下げた。
「いえいえ、お安いご用ですよ。私とあなたの仲じゃあないですか。私も今月末には本社へ行きます。ちょうど三ヶ月に一回の役員会議でね。飛行機での日帰りですが」
「私は最小限の引っ越し荷物を纏め、一週間前には徳島に入ろうと思っています」
「奥さんはどうされるのですか」
「妻はしばらく残り色々と残務整理ですね。自宅マンションを売りに出したりとか。それまでに徳島で目ぼしい物件をあたってくれとは言われているのですが。まあ家とか土地の件は弟にも頼んではあるのですがね。地元だから私よりは詳しいし」
「早く良い所が見つかるといいですね」池波部長が笑った。
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