コマンド探偵K&W

なべのすけ

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第9章 交渉

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「バカめ」

 ――ことなど、Wには最早関係なかった。
 一本しかない利き手の人差し指でゲトを指し示し、口の両端を大きく歪めて笑む。
 細められた目の尻は吊り上り、眼光には、嘲りと狂気と喜悦が隠すにべも無く滲み出ていた。
 ゲトは、これほどまでに歪んだ笑みを見た事がなかった。彼は生まれて初めて、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
 目の前にいる男は、こんな笑い方をする人間だったか? この男は、私の知らない何かを持っているのか?
 私は、この男を見誤ったのではないか?
 あの笑み。まるで、まるで――

「オジマンディアスは言った。『ダン、私を昔の漫画の悪役か何かと勘違いしてないか。妨害される可能性があるのに、計画を明かすと思うかね?』」
 突き出した右手をゆっくりと懐へ差し入れ、同じ速度で銃を抜く。
 明らかな敵対行為。しかし、ゲトもボディガードも、突如変貌した彼の雰囲気に圧倒され、自らの銃に手をかけることすら出来なかった。

「『三十五分前に実行したよ』」

 銃声が響き渡り、ゲトの車椅子を押していた従者が倒れた。血溜まりが広がり、パラ・オーディナンスの銃口から硝煙が立ち上る。
「どういう、つもりだ」
 ゲトの声は、苦しげに呻く重傷患者のように、弱々しかった。
 ゲトは、Wが絶望の表情を見せると思った。彼のこれまでの経験上、そうでなくてはならなかった。目の前の男は、生き延びるため、金を得るために、自分を呼びつけたのでなければならなかった。
 しかし、それは誤りであった。
「小林の証言を録音したデータ。株価推移表。火事の警察記録。小林の現住所」
 銃口を、今度はボディガードの方へと向ける。そこで、ようやく気を取り直したのか、慌てて銃を取り出そうとする。が、既に気を呑んでいたWに、速さと冷静さに於いて勝てるはずも無い。
 再び銃声がすると、また一つ、物言わぬ死体が増えた。
「これらを、既に『ビリー』へと流した。流石に三十五分前にとはいかなかったが、マスコミの中にも、『ビリー』を利用する者は、多い。圧力をかけて、押さえ切れるものではないだろう」
 明るみに出る。
 アークランドグループとゲトが、やってきた事。
 今回のFIRE HAMMER事件の真相。
 全てが、白日の下に曝される。
 それが意味するものは、ただ一つ。破滅だ。
 Wはこの倉庫に来る前に、既に全てを、『ビリー』に、世界に向けて告げていた。その上で、ゲトと会いにここへ来た。
「何故、そんな事をする。お前は、何を得る。お前の、目的は、なんだ!」
 年甲斐も無く声を荒げるゲトだったが、その声色には、怒りではなく恐れが含まれていた。六十年以上使ってきた秤が、全く通用しない。そんな相手を前に、彼は怯えていた。
 Wは笑顔を消し、感情の無い表情と冷ややかな視線を向ける。
「俺の目的は、常に一つだ。何があろうと、依頼を達成する。それだけだ」
 それはいつもの顔だった。しかし、それすらも既にゲトにとって恐怖の対象であった。
「依頼人を、ないがしろにしてか」
「依頼人という存在を、俺は重視しない。俺は自分の仕事にのみ真摯に対応する。加えて、今回の依頼は『FIRE HAMMERを無力化すること』だ。アークランドグループやお前を守る義理など、元より存在しない」
 銃を下げ、歩き出す。ゲトの方へ向かって。
 ゲトは殆ど気圧されていたが、まだ、倉庫の周囲は彼の手勢が固めている。その一点でのみ、彼はかろうじて有利であった。
 そして、その事実がギリギリの所で、ゲトの精神が萎えるのを防いでくれていた。
「そうか」
 静かな声とは対照的に、その体は打ち震えている。その震えの正体は、ゲト自身も分からなかった。
「やはり、お前は今ここで殺しておくべきのようだ」
 そして、ゲトは可能な限りの速さで懐に手を突っ込み、老人の萎びた腕でも扱えるような、小さな銃、コルト25ポケットを引き抜いた。弾の代わりにポークビーンズでも飛び出しそうな、Wにしてみれば玩具のような銃であった。
 それをWの顔面へ向け、引き金に指をかける。これを撃って、倉庫を囲む部下たちに大声で命令する。それで、Wは死ぬ。彼はそう信じていた。
 Wは歩みを止めない。視線も逸らさない。回避行動や、構えたりするような素振りもない。利き手に握る銃を、持ち上げようとすらしない。Wは何一つ変わっていない。
 ゲトは、知っているだろうか。自分でも見た事ないほど、己の表情が、必死の決断を迫られている時のそれであることを。
 一人の人間を殺すのに、これだけの覚悟を必要としたのが、人生で初めてであることを。
 Wを怪物のように思いながら、その怪物は実は自分と同じ人間である、ということに戦慄している己のことを。

 そして、彼の人差し指に力が込められたその瞬間、彼の後方――倉庫の入口の外――で、凄まじい爆音と閃光が炸裂した。

 衝撃波は風となって彼の背中を打ち、爆音は振動となって彼の鼓膜と臓腑を振るわせた。
 すぐさま驚愕と共に振り向くと、そこには、倉庫の外で轟々と燃え盛る車と、火だるまになりながら悲鳴をあげる部下の姿があった。
 直後、連続した爆発音が、ぐるりと倉庫を囲むように次々と発生した。爆発は倉庫を完全に包囲し、それが治まった後は、燃え上がる炎の轟音と、悲鳴が響く。
 それらの炎が生み出す光は、開けっ放しの入口や窓から差し込み、倉庫内部の様子をおぼろげながら映し出す。
 炎に照らされたゲトが狼狽していたことは、それこそ火を見るより明らかだった。何が起こったのか、全くわけがわからない。そのような、表情であった。
 もしかして、自分の配下たちは一瞬のうちに壊滅したのか? 倒れ伏し、異様な臭気を振り撒きながら燃える部下を見て、ようやく少しだけ事態が呑み込めた。
 と、その瞬間――
「お前の負けだ、ゲト」
 その言葉で、敵の存在を思い出し、即座に振り向く。
 だが、その時にはもう、Wはゲトの目の前まで迫っていた。
 再び銃をWに向け直そうとしたとき、視界が傾き、全身を奇妙な浮遊感が包んだと思ったら、頬が地面に叩きつけられていた。
 Wが、車椅子を蹴り倒したのである。転倒し、車椅子から放り出されたゲトは、無様に這いつくばった。
「情報を『ビリー』に流すとき、ついでにメッセージも付けた。奴がどれだけの頻度で『ビリー』を活用してるかは判らんが、この街に長く滞在していたのなら、その存在を知ってても不思議じゃあない。これだけ早いとは、正直、思ってなかったがな。恐らく、誰かからメッセージが来ると信じて、各情報機関を逐一チェックしてたんだろう」
 倒れたゲトを一旦放って、Wは、撃ち殺したボディガードの死体へ歩み寄っていく。そして、既に中身の無い半開きのブリーフケースを左手で持つ。閉めないままで。
「ゲト、お前をここに呼びつけた理由を、まだ言っていなかったな。お前は、死ぬためにここに来たんだ。奴を誘き出す餌としてな」
 再び、ゲトのもとに歩み寄りながら、話す。それを聞いて、ゲトの顔から血の気が引いた。怒りも高揚感も狼狽も消えうせた。そこには、純粋な恐怖だけがあった。
 W以上に、ゲトが今この世で最も会いたくない人物。最近、自分に暗殺を恐れさせた存在。人というより災厄に近い存在でありながら、それでも決定的に人である、という恐ろしさを具えた、奴。
「まさか、お前」
 勢いを増す轟音。爆発音。火炎。
「FIRE HAMMERが来た。多分、ついさっきな」
 倉庫を包囲させる時間を稼ぐための、ゲトの芝居。それに乗ってやっていたのは、時間を稼げば稼ぐほど、ゲトは勝利ではなく敗北に近づいているのだ、ということを知っていたからだ。
 メッセージを送れば、奴は必ず現れる。そう確信はしていたが、ここに来るまでの間は、時間を稼がねばならない。
 故に、ゲトに乗せられていい気になって喋っている、という演技をWはしていたのだ。
「ゲト、いくら儲けた?」
 地面に這いつくばって呻く老人を冷酷に見下す。だが、老人は呻くばかりで、答えられない。
「一千万ドルは超えてるだろ? 十臆ドルくらいか? それとも、百臆ドル届いたか? なんにしても――」
 老人の腹を蹴り上げ、仰向けにさせる。しわくちゃの顔は、悲痛であった。
「――大損だな」
 ゲトは全てを失った。地位、金、部下、組織。
 そして、これから命すらも失おうとしている。
「しかし、これでFIRE HAMMERを誘き出せた。せめて、お前が恐れたFIRE HAMMERだけは無力化してやるよ」
 ゲトが落とした、コルトを拾う。これで、ゲト自身の武力も失われた。
 ゲトは、泣いていた。彼にとって、世界は金であり、金は世界だった。だから、金を稼いで世界を手に入れるという己の野望は、至極理に叶っていると思っていた。
 だが、K&Wは金ではなかった。FIRE HAMMERも金ではなかった。彼らは、ゲトの世界に於いては狂人の類であった。
 ならば、金しかないゲトが彼らを思い通りに出来ないのは、当然の事であった。それを、見誤った。見誤ったばかりに、何もかもを失う破目になった。
 そんな彼に最後に残されたのは、悲しみ、悔しさ、そして、捨て台詞だけであった。
「FIRE HAMMERを、無力化、だと。依頼のため、だと。そんな、ごまかし、でたらめが、通用するか」
 切れ切れながらも、言葉を紡いでいく。しかし、糸屑のような言葉をいくら縫い合わせたとて、出来上がるのはボロ雑巾以下の作品でしかない。
「FIRE HAMMERという、一個の存在に、固執し、そのためだけに。お前自身の、ちっぽけな自尊心と、好奇心と、満足感のために、アークランドグループを、世界経済の柱を、壊した。自分が、何をしたのか、わかっているのか」
 だが、その言葉は存外に的を射ていた。
 FIRE HAMMERを倒す。そのためだけに、依頼主であるアークランドグループを潰した。自分をコケにした奴を、断じて許さない。世界にとって、そんなWの信条は知ったこっちゃなかったが、その信条に拠って行動するWが目標へ向かう過程で暴き立てたスキャンダルで、世界経済はかつてない危機に陥るのだ。
 しかし、Wにとっても、そんな事は知ったこっちゃなかった。
「自業自得だ。FIRE HAMMERという、今世紀最大の爆弾。それを擁する企業を受容した、世界の責任だ。民主制とは、そういうものだ」
 ゲトを見下しながら、利き手を僅かに動かす。それだけで、銃口はゲトの眉間に向けられた。
 ゲトの涙、ゲトの恐怖が止まった。代わりに、彼の顔には怒りが張り付いていた。
 彼の心の中にも、まだ社会的正義という価値観が残っていたのか。それとも、少しでもこの目の前の敵を負かしてやりたい、という心理が、その義憤を呼び起こしたのか。
「貴様は、FIRE HAMMERと、同じだ」
 搾り出すような声であった。
「自分のこと以外には、全く無関心。それでいて、平気で世界を傷つける。破壊すること以外、能が無い、社会のゴミだ」
 殆ど、捨て台詞のようなものだった。
 吐き捨てるように言い放たれたそれを聞き、Wは首だけを動かして、天を仰ぐように上を向く。
 そして、大きく深呼吸。その動作は、自分の心を落ち着けているようでもあったが。
「何、バカなこと言ってやがる」
 再びゲトを見下ろした彼の顔は、怒りに歪んでいた。
「テメェがFIRE HAMMERを金儲けの道具にするなんてバカな考え起こさなきゃ、こんな事にゃならなかったろうが。結果だけを捉えたその物言い。社会なんていう曖昧な価値観の虚像を持ち出して自身の正当性を主張し、民主的詐欺によって相手を叩きのめそうとする性根。ゴミはテメェだ。一人相撲でこれから死のうとしてることも、他人のせいにするつもりか」
 Wの怒りは、かつてFIRE HAMMERに向けたもの以上であった。
「金を見すぎて、目が潰れたか? それとも、脳までゴールドに置き換わっちまってるのか? ヤク中のポン引きでも、テメェよりマシな倫理観を持ってるぜ」
 反論は、出来なかった。倒れている老人は、もうただただ悪態をつくばかりであった。こうなると、もう単なる感情であった。
 ゲトは、これで捨て台詞すら失った。Wにとって、死体となんら変わりない存在となった。
 そして、それを本物の死体にするために、人差し指に力を込める。
 その瞬間であった。
 入口で轟々と燃えている炎の奥から、野球ボール程の大きさの何かが投げ入れられた。
 それは、断熱紙に包まれた何か。誰もが、初めて見るものだった。だが、誰もが、それを見た瞬間、それの正体が理解できるものであった。
 視界の端でそれを捉えたWは射撃を中断し、即座に飛びのく。
 無論、それでは不十分。なので、更に跳躍しつつ、転がって素早く距離をとる。
 何かは、放物線を描くような軌道で、ゲトへ向かっていたのだ。
 急遽距離を置く動作を見せたWに目を丸くしていたゲトだったが、飛来する何かを見て、改めて戦慄した。だが、もう遅い。
 気付いたときには、既にそれはゲトの頭上に差し掛かっていた。
 ゲトの悲鳴は破裂音によって途切れ、惨劇の瞬間は爆煙によって遮られた。
 全てが終わった後、そこには、下顎から胸部にかけてをざっくりと抉り取られたような、焼け焦げたゲトの死骸だけがあった。
 瞬時に回避行動を取り、距離を置いたWは掠り傷一つ負っていない。どうやら、爆破領域を狭めた代わりに殺傷力を上げた、手製の手投げ弾だったようだ。
「じゃあな、ゲト」
 ゲトへの祈りは、それで終わりだった。Wはブリーフケースを左手で持ち直すと、立ち上がりながら倉庫の入口の方へと視線を移す。
 既に、倉庫の周囲から響いていた悲鳴も途絶え、炎だけが、音という概念に於いて、この場を完全に支配していた。
 そして、入口より更に向こうの、炎の奥から、一つの人影が現れた。
 炎をかき分け、炎の逆光を背負いながら倉庫入口に向かって来るその人影は、Wが思っていたよりも小さく、しかし存在感があった。
 あれが、待っていた人物。
「――本名、和泉弘三。四十二歳。日本人。男。肉親、親類、外戚等一切存在せず、か……」
 人影の正体を読み上げていくW。それに構わず、人影は倉庫に向かって歩いていく。
「全世界で発生した七年前の爆破事件では、ディープパープルの曲が起爆の引き金となる爆弾で、犯行に及んだこと、その手にかかった車は、爆発炎上しながらも、道路を火の玉のように疾走したことなどから、マスコミによってこう名付けられる」
 倉庫に入り、程よく進んだところで人影は止まった。その程よくというのは、炎の光が完全な逆光にならず、体の一部が照らし出されるような場所、ということだ。
「FIRE HAMMER、と」
 遂に現した、その姿。体とは不釣合いなぐらい大きなコートは、各所で裏側から盛り上がっており、コートの裏に隠されている物体の異様さと、彼自身のシルエットの不気味さを演出していた。
 安物の革靴やズボンは煤と油で汚れきっており、白髪の混じった頭髪にとっては、斑な油汚れが白髪染めのように作用している。
 肌は浅黒く、所々に火傷の痕があったが、最も目を引くのは、彼の下顎だった。
 下顎は、全体が重度の火傷痕に包まれており、下唇などは消失して、歯茎がむき出しになっていた。それでも中途半端に復活している肌色と肩からスリングベルトで吊るしている、GP30を取り付けたAK47が、かえって傷の年季と生々しさを引き立てていた。
「俺とあんたは、一応『ハジメマシテ』と言ったところ、かな。Wとやら」
 その声は、火傷が喉にまで及んでいるのだろう、洞穴の中で反響を重ねた落盤の轟音を、そのまま引きずり出したような濁ったものだった。
 加えて、発音するのに下唇が必要な部分は、舌を一瞬だけ出し、それを下唇の代用として発音しているため、ますます人間離れした音として響いた。
「堅くするな。俺とお前の仲だ」
 物怖じせず、その姿と声に相対するW。FIRE HAMMERが異様な男であることは既に知っている。ならば、その外見ぐらい、どうってことはない。
「お前は形式を重んじる。俺もそうさ。律儀に、メッセージを送り返してくれるんだものな」
 FIRE HAMMERが懐に手を伸ばす。しかし、特に緊張感が生まれることはなかった。
 取り出したのは、小型のテープレコーダーであった。取り出したそれを軽く振ってWに注目させると、再生ボタンを中指でカチリと押す。
 すると、テープレコーダーからは、Wの声が流れてきた。

『これが、情報。新しい情報だ。クソ溜まりの奥、傲慢者、黒服詰めの倉庫、Wから、崩れゆく世界に向けての情報だ。存分に、お前らの仕事を成し遂げてくれ』

 それは、Wが『ビリー』に情報を流すときに付けたメッセージ音声であった。一聴すると、それは情報を受け取ったマスコミ達を激励するようなメッセージである。
 だが、これはFIRE HAMMERに向けたメッセージであり、FIRE HAMMERはそれを正確に受け取った。
 アークランドグループを壊すであろう情報を提示。発信者はK&W。彼らの住まうクソ溜めの奥のような街、すすきのが発信場所。傲慢者ゲトもおり、黒服男が詰まった倉庫のような建物が待ち合わせ場所。そして、存分に仕事を成し遂げろと言う。
 FIRE HAMMERはすぐさまK&Wという言葉の意味を調べ、そのメッセージが示す所を理解し、それに基いて捜索を行ったのだ。
「思ったより、早かったな」
 素直な感想をWが述べる。この言葉には、駆け引きはない。
「ああ、俺もちょいと野暮用でこの街に来てたからな。まあ、その野暮用もこれで済んだが」
 ゲトの死体を見下ろすFIRE HAMMER。その表情は、一仕事終えた後の爽やかな解放感に包まれていた。
「いけすかない奴を殺すと、胸がスカッとする。どうしようもない、サガってやつなんだろうな、きっと」
 身を屈めて手を伸ばし、ゲトの肺に突き刺さっている爆片を一つ引き抜く。
「しかし、このサガってやつは、俺のもののように見えて、実は俺だけのもの、というわけじゃあない。あんたも、そうは思わないか?」
 爆片には血と肉片がこびり付いていたので、それらを全て舐め取って綺麗にしてから、懐へ仕舞う。
「一つ、質問がある」
 FIRE HAMMERの問いかけを無視して、Wは逆に問いかける。
「どこまで、お前の計画だった?」
 暫く、間が空いた。ただ、その間、空気は緊張も弛緩もせず、FIRE HAMMERは肉片を呑み込んでから、「あー」と呻くような声から始めた。
「壊せりゃなんだっていい、俺はな。俺はぶち壊すことしか能がない。爆弾作って、ふっ飛ばす。何をするにしても、俺にはそれしか手段がない」
 少し恥ずかしそうに頭をかいた。照れ隠しだ。
「だから、あんたみたいな奴がいてくれて本当に助かったぜ。俺一人じゃ、とても全部はぶっ壊せなかった」
 FIRE HAMMERという存在を知らしめ、その存在を人々の心の中にねじ込む。それに対し如何に処するかは人それぞれであり、Wは排除を選択した。
 そして、FIRE HAMMERを排除するために、アークランドグループを潰す。FIRE HAMMERが、それを求めていたから。FIRE HAMMERの発したメッセージへの返答は、「アークランドグループを潰す」という行動以外ありえなかったから。だから、FIRE HAMMERが自分に興味を示すよう、正解を狙った。排除するために。
 そして、それこそがFIRE HAMMERの目論んだ事であった。
 FIRE HAMMERの快楽と異常性を理解しつつ、それを排除しようとする人間。そいつにアークランドグループを破壊させる事が、狙いであった。
 Wがそこに組み込まれていた事は、彼自身も薄々感付いてはいたが、どうしても止めることはできなかった。
「お前の目論見どおり、世界はこれから燃えるわけか」
 視線を下げ、自らの手に握るパラ・オーディナンスを見るW。それは紛れもなくWの銃であり、FIRE HAMMERの銃でもあった。
「ああ、世界は混乱する。かつて弱かった者が牙を剥き、かつて強かった者がその牙にかかる。これからは、そういう時代だ」
 アークランドグループが潰れれば、間違いなく世界中で大混乱が起こる。かつての世界恐慌などとは、比べ物にならない程の混乱だ。
 それが、FIRE HAMMERの目的だったというのか。
「いや」
 Wは視線をFIRE HAMMERへと向け直す。
「そんなはずはない」
 またも、二人の間には沈黙が流れた。その間に、二人は何をしていたのだろうか。互いを凝視し、その腹を読み合っていたのか。それとも、相手の目を鏡として、自らを覗き込んでいたのか。
 およそ二分は経過した頃だろうか。この沈黙を唐突に破ったのは、FIRE HAMMERの方であった。
「チェルノブイリが、ソ連崩壊を招いた」
 この言葉の意味を、Wは即座に見抜いた。その上で、FIRE HAMMERが全ての言葉を吐き出すのを待った。
「一九五四年、グアテマラの民主政権が転覆。その際の米軍による軍事行動で二〇〇〇〇〇人が死亡。一九六三から一九七五年にかけては、東南アジアで四〇〇〇〇〇〇人を殺害。一九七七年のエルサルバドルでは、地元の軍によって七〇〇〇〇の民間人が殺害された。そして、二〇〇一年九月十一日、テロによって米本土の貿易センタービルが倒壊。死者は、三〇〇〇人」
 FIRE HAMMERは不適に微笑んだ。彼の言葉には、まさしく彼自身の全てが現れていた。
「世界を動かしているのは、数式じゃあない」
 Wは戦慄した。FIRE HAMMERの本当の狙いがわかったからだ。
 FIRE HAMMERは、己の快楽と異常性、Wの狡猾さと徹底振り、そして何よりも全人類の本性を利用して、世界を破滅に導こうとしている。
 何もかもをぶっ壊し、何もかもをぶっ殺す。それを、敢えて自分以外の人間にやらせようとしている。
「来いよW。俺の旅はここが終着だ。世界に亀裂を入れる最初の一撃は、あんたそのものだった」
 倉庫の外の業火を背に、FIRE HAMMERは呟くように言い放った。FIRE HAMMERがやるべき事は完了した。それも恐らく、完全、完璧に。
 ならば、Wのやる事は、それをぶち壊す事だけだった。完全、完璧に。
「俺は、自分の行いに正しさを求めない。善悪の是非も求めない」
 FIRE HAMMERを鋭く睨みつけながら、足を開き気味にするように腰を落とす。射撃の態勢だ。
「しかし、やかましいのは嫌いなんでな」
 初めて、二人の間に緊張感が生まれた。
 尤も、張り詰めているのは空気だけで、二人の精神は寧ろ落ち着きを保っていた。
 集中しているが、緊張はない。感覚は研ぎ澄まされているが、過敏になることはない。熱はあるが、汗はない。
 まさに、抜き撃ちをするには最高の状態だった。
 互いが、互いの挙動を完全に把握していた。
 髪の毛一本のそよぎから、肺の収縮のタイミングまで、相手の全てがわかった。
 それら一つ一つの事物を事細かに察知しながら、全体としての像も、見失ってはいなかった。
 あらゆる点を注意し、あらゆる点を俯瞰する。
 この上ない集中が、二人を包んでいた。
 とはいえ、最高の集中は持続しない。集中は、頂点を過ぎると今度は下降線を辿っていく。それが生物というものだ。
 その上、両者の集中の状態はほぼ同一。時間を経れば、二人とも同じように最高を通過し、同じように減退していく。
 あんまり悠長にしていると、警察が来てしまう可能性だってある。相手の集中力切れを待つ事は、出来ない。
 ならば、自分が最高の力を出せる時に、動き出す。
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