コマンド探偵K&W

なべのすけ

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第6章 火の玉

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「つい先ほど、大阪のアポロン工業社で爆発事件が起こりました」
 四日後、探偵事務所を訪問してきた小林が最初に放った言葉が、これであった。
「ダメだったか」
「はい、わが社としても全力を尽くしましたが、阻止には及びませんでした」
 アポロン工業社は、アークランドグループがその技術力を背景に日本へ進出するために設立した会社であり、日本におけるアークランドグループの地位獲得に貢献した企業だ。
 FIRE HAMMER事件による四菱社の信用失墜の間隙を縫って台頭した、という背景がアポロ工業社にはある。なので、この四日間は他のどの企業よりも警戒を払っていた、と小林は語ったが、実際、どんな警戒だったのかは非常に疑わしいものである。
「国際警察、地元警察、そしてあんたらの横の繋がりを以ってしても、暴けなかったとはな」
「まことにお恥ずかしい限りです。しかし、あなたの正しさは証明されました」
 死傷者五十二名。うち死亡二十二名、重傷十名、軽傷二十名。行方不明者四名。死亡者は今後も増加する見通しである。
 ビル一つがまるごと崩れると、こうなる。まさに大惨事だ。逆に言えば、ビル一つをまるごと崩すような爆弾を、四日間もかけて見つけられなかったという事になる。
 国際警察、地元警察、世界を股にかける大企業。この最強の組み合わせが四日も時間をかけて、たかだか七階建てのビルに仕掛けられた爆弾を見つけられなかった。
 捜索対象が非常に多かったことは認める。今や日本にもアークランドグループ関連施設は多い。だが、アポロン工業社の事情を鑑みるに、FIRE HAMMERが標的にしそうな日本の施設としては、かなりランキング上位に位置していたはずだ。
 だが、見つからなかった。
「ああ、やっと証明されたな」
 幾分か怒りを含んだ声色で、Kは小林に応えた。
 Kは正しかった。世界地図に刻まれるメッセージと、次なる標的が日本であった事。全て真実であった。
 だが、国際警察、地元警察、アークランドグループ自身、このどれかが、それを信用しなかった。誰かが、もっともらしいことを述べて、彼の説を一蹴したのだ。
「しかし、遅すぎました」
 小林が視線を伏せる。その先には、机の上に広げられた世界地図と、そこに書かれた、完成した『FIRE HAMMER』の文字。その文字の歪みと傾きは、目の前にいる二人を踊りながら嘲るか、またはあまりの滑稽さに身を捩って笑い転げているように見えた。
「実に、不愉快だ」
 Kは世界地図を持ち上げると、眼前でゆっくりと裂いていく。
 予測はしていたとは言え、やはり不快だった。自分が信用されなかったこと。十分な対策がとられなかったこと。FIRE HAMMERのメッセージを易々と完成させてしまったこと。
 そして何よりも、FIRE HAMMERそのものに対する怒りが、彼を不愉快にさせた。
「で、今回はどんな仕掛けだったんだ?」
 毎度毎度凝った仕掛けの爆弾が作られている今回の事件。今度の物は、どんな爆弾なのか。FIRE HAMMERの人柄を探るため、彼の作った爆弾がどんなものなのか、ちゃんと知っておきたいのだ。
 つまり、彼らはまだ戦うつもりなのだ。
「はい、今回の事件は、三階のトイレと支柱付近の床下に仕掛けられた指向性爆弾によるもので、三階の支えを失わせ、上からの重みによって全体を崩すための爆弾でした」
 縦長のビルを崩す方法として最も容易なのが、ビルの中間だけをピンポイントで壊す手段だ。脆くなった中間の支えは上からの重みに負け、上が崩れる勢いは中間より下の部分をも連鎖的に破壊する。小さなコストで大きな被害を叩き出せるこの手段は、今回の一連の事件でも好んで使われていた。
「起爆装置は、三階会議室の通気口付近に、音声読み取りの装置が取り付けられていたのが、現場の残骸から確認されています。受け取った音声を文字に変換して認識する装置です」
 確定してはいないが、その装置が起爆装置に何らかの関わりがあると国際警察は見ている、と小林は付け足しながら机の上にテープレコーダーを置いた。どうやら、持参してきたもののようである。
「これは?」
「社内アナウンスの記録に残されていました。時刻は九時二十九分四十五秒。時間が来れば、社内アナウンスを一時的にジャックして、これが流れるようになっていたようです」
 小林はテープレコーダーの再生スイッチを押し込んだ。テープが巻かれ始め、微かな雑音が最初に入る。
 しかし五秒も経つと、ノイズに塗れながらも、しっかりと聞こえる鮮明さで声が聞こえた。

『ただいま留守にしています、メッセージをどうぞ』

 聞き慣れた電子音がし、テープは終わった。たったのこれだけが、テープの内容であった。
 声色は、恐らく中年男性。流暢な日本語だった。
「この直後、爆弾が爆発しました。音声は、FIRE HAMMER――鳥山孝蔵――のものであるという確認がとれています。ノイズが意図的に入れられているため、録音された場所はまだわかりません」
「なるほどな」
 Wは大きなため息をついた。その様子をうかがいながら、小林は背筋を伸ばす。
「これらの資料は差し上げます。そして、依頼について、ですが」
 FIRE HAMMERの仕掛けたメッセージは完成した。それは目的の完遂であるようにも見えるが、それが、もう犯行をしないという保証にはならないし、この事件でアークランドグループの信用は一気に下降線を辿った。
「私どもと致しましては、現状のまま続行、という形にしたいのですが」
 この失われた社会的信用を少しでも回復するためには、一刻も早く事件を解決し、各方面を安心させなければならない。小林の語調には、若干の焦りが見てとれた。
「続行、ね」
 小林の表情を眺め、彼の言葉を値踏みするように呟く。だが、Wの答えは既に決まっている。
「いいだろう」
 静かな怒りが、Wの心の内で燃えていた。挑戦心や闘争心とも言えるかもしれない。彼自身も、FIRE HAMMERを明確な敵と認識し始めているのだ。
 FIRE HAMMERを探し出し、無力化する。その依頼は続行という形となった所で、小林は足早に事務所から出て行った。
「やっぱしダメだったかぁ」
 作業着のツナギという出で立ちのKが、隣室から二枚のトーストを持って出てきた。トーストには両面焼きのベーコンエッグが乗っている。
「FIRE HAMMERは、どうやら思った以上に狡猾な男だったようだ」
 Wは少し乱暴に、資料とテープレコーダーを机の端に寄せる。勢い余って数枚の資料が落ちたが、拾おうとも見遣ろうともしない。
「警察関係の動きは調べられたか?」
「ああ、ばっちり」
 得意そうに答えながら、Kはトーストを空いた机の上に並べる。薄っぺらいベーコンの脂が、卵の白身の上に滴り、光を反射させていた。
「どうだった?」
「パースでの事件の後、オーストラリアの各空港のチェックに殆どの労力が割かれてるな。FIRE HAMMERをオーストラリアに閉じ込めるつもりだったらしいけど、起爆装置の電源は携帯電話の構造と直結してて、遠隔操作が可能だったらしい。つまり、犯人は国外から起爆装置の電源が入れられたってことで、それがわかったのがつい昨日」
 セオリー通りの動きをした警察は、FIRE HAMMERに裏をかかれた、ということである。事前に爆弾を仕掛けて起爆装置の電源は切ったままにし、国外に悠々と脱け出してから起爆装置の電源を入れる。
 言われれば、笑えてしまうぐらい単純な作戦だが、警察はその動きを捕捉できなかった。もっと前に仕掛けられていた爆弾を、事件前日の夜に仕掛けられた、と判断してしまったのだ。
 とは言え、次にどこが狙われるのかわからない以上、爆弾が仕掛けられるのを阻止するのは不可能に近い。それに加えて、世界中をこれほどの早さで駆け回られては、追い縋ることも難しい。
 だが、それでも警察のやり方は変わらない。警察が警察であるが故に、KとWの突き止めた真実を無視したのだ。警察が警察のままであるために、探偵とは言え民間人の言葉を信用するわけにはいかなかったのだ。
 だからこそ、こんな単純な陽動に引っかかった。いると見せかけていない。前日の夜に仕掛けるしかない奇抜な起爆装置の仕組みを前面に押し出し、その裏に、起爆装置の遠隔操作機構を巧妙に隠す。
 こうして、遠隔操作機構の存在に気付かれるまでの間に、FIRE HAMMERは日本で仕事を済ませたのだ。見事な作戦と言えるだろう。FIRE HAMMERは、自らの異常性をも犯罪の計画に利用したのだ。
「で、日本州内での動きに関しちゃ、アークランドグループの要請に対してあくまで形式的に応える形で、州警察に申し訳程度の協力要請をしてるな。だが、国際警察の人員は誰一人として派遣されてない。州警察も事態を重く見ちゃあいなかったみたいで、各アークランドグループの関連施設を巡査に訪問させ、異常があるかどうか、警備状況はどうなのか、を聞いただけみたいだな」
 どうやら、KとWを信用しなかったのは国際警察のようだ。国際警察が、もっと真剣に州警察に協力を要請し、相応しい人員を派遣し、日本州に協力の交渉を行ったなら、爆弾は発見され、事件は未然に防がれただろう。
「まるでなっちゃいない」
 再び、静かな怒りを滾らせるK。FIRE HAMMERのプロファイルがまるでなっていない事に対する怒りだった。これは、国際警察の、犯人に対する無知が招いた結果だと彼は思っていた。
「で、今は慌てて日本州中を探し回ってる。でもパースの時みたいに、もうこの州にゃいないでしょうね」
 結局、また振り出しってことか。と、Wはため息をついてベーコンエッグトーストに噛り付いた。
「いや、振り出しってわけでもない」
 トーストには手を付けず、Kは机の端に寄せたテープレコーダーを素早く巻き戻し、再生ボタンを押す。流れるのは、雑音の後に続くFIRE HAMMERの肉声。
『ただいま留守にしています、メッセージをどうぞ』
 留守番電話のお決まりの台詞と、その後のお決まりの電子音。この瞬間に爆弾が爆発したというのだから、悪趣味としか言いようがない。
「本当に、異常者の考えてることはわからんね」
 テープレコーダーを改めて聞いたWはそう切り捨て、黄身を避けるように二口目をかじる。
「この音声は、そんな簡単に切り捨てていいものではない。これは、奴なりの新たなメッセージだ」
「メッセージ? こんなのが?」
「快楽のための無意味な行動ではない。『ただいま留守にしています』は、自分はもうこの州にはいないという事を語っている。自分は、今ここにはいない、という主張だ」
 ここにはいない、では違うどこかにいる。しかしどこにいるのかは誰にもわからない。
 Kは説明を続ける。
「後に続く『メッセージをどうぞ』は、世界地図に描かれた『FIRE HAMMER』という文字に対する回答を求めているという意味だ。あの世界地図のメッセージは、奴個人の内面で完結するものではなく、それを読み取り、応えてくれる人物の存在を想定したものだったのだ」
 あの偏執狂じみた異常なメッセージが、実は誰かからの返答を期待したものだった。
 Wは、そんな事を語る彼は気が狂ったのかと、一瞬考えたが、彼の瞳には静かなる激情が宿りこそすれ、狂気などは微塵も見てとれなかった。
 ならば、それは真実なのだろう。彼女は、そう納得するほかなかった。
「この二つの言葉の意味を合成すれば、一つの結論に辿り着く。FIRE HAMMERは今ここにいない。では一体どこだ? 奴が用意した答えは、『どこにでもいるかもしれない』だ」
 Wの目をまっすぐ見つめるK。やはり彼は狂ってなどいない。だが、FIRE HAMMERは狂っている。そして彼は、そんなFIRE HAMMERを理解しつつあった。
「ここで、奴の居場所に対しては無限の可能性が提示されている。そしてその可能性に明確な指標が示されぬまま、奴は自分に対するメッセージを求めた。あの世界地図の文字に対する回答を要求したのだ」
 Kは狂気に囚われてはいなかったが、幾分か興奮していたのは否めないだろう。
「この要求こそ、奴の居場所を決定付けるものだ。無限の可能性を決定付ける指標が、この要求なのだ。留守番電話に何か気になる録音があれば、こちらから電話をかけるだろう? これも、それなのだ」
「それって、つまり?」
 Wは息を呑んで、Kが出した結論を待った。Kは顔をしかめ、疲れたように顔を二、三度こすると、自分自身の心を落ち着かせて結論を言い放った。
「『俺の居場所は、俺へのメッセージのある場所だ』。奴の心に届くようなメッセージを送れば、奴の方から姿を現す」
 奴の心に届くようなメッセージ。それは、普通にコンタクトを試みるだけでは足りないという事だ。
 捕まえるため、プロファイリングするための浅い会話ではない。既にメッセージを理解し、互いの人間性そのものを賭けた議論を戦わせる事の出来る相手。FIRE HAMMERは、それを欲していたのだ。
 より深く、よりあらゆるものを抉るような会話のできる相手を、彼は求め、その過程で、自らの人間性を晒すために、世界地図のメッセージを描いたのだ。
 Wは、そこまでわかっていた。それで尚、自らが未だ狂ってはいないことに、若干の驚きを覚えていた。
「メッセージって、そんなのどうやるんだよ」
「それは、恐らく奴の目的の半分だ」
 やっとトーストを手にとりながら、Kは前方を見つめた。その双眸は、もうWを見ていない。トーストを齧り、咀嚼したとしても、彼はその味を感じはしないだろう。
 無論、WはKの言葉を奇妙に思い、ただ困惑するだけである。
 しかし、探偵のはしくれとして、この事件にのめり込んでいく二人の行く末を非常に心配したのは確かであった。
「メッセージを送らねばならん。FIRE HAMMERは、既に依頼を超えた、倒すべき敵だ」
 彼はそう宣言し、ハムエッグトーストを黄身の部分に届くまで一気に頬張った。
 事件の全貌は未だ明らかになっていない。しかし、炎がいずれ燃え尽きるように、やがてあらゆる謎は消えるだろう。
 だがそれが消えた時、最後に立っているのは誰なのか。
 KとWか。
 アークランドグループか。
 ゲト一味か。
 FIRE HAMMERか。
 それとも――世界か。
 火の玉は走り、道先を夢想する。
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