MLG 嘘と進化のゲーム

なべのすけ

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第3章 豹変

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   数秒後、彰はカプセルに横たわっている自分に気がついた。
 起き上がり、何度か確めるように両手を握り締める。
「クリア……したんだな」
 正直実感が湧かなかった。ゲーム中はとにかく必死で、自分でも何がなんだか分からないまま解答を導き出していた。
「結局、このゲームは最初から答えが示されてたんだな」
 この第二のゲームで重要だったのは、天使が何故悪魔と戦っているのかの一点に尽きた。実際に天使には悪魔と戦う理由がない。悪魔は天使の自由のために戦っているのだから、天使がそれを邪魔する理由などどこにも存在しないのだ。なら何故戦うのか? それは神に命令されたからだ。最初からはっきりと言われていた、天使は神には逆らえない、と。ならば天使のリーダーたる自分がいくらあそこで悩もうとも、実際には悪魔を殺す以外の選択肢などなかったのだ。感情でいくら拒否しようとも、天使は神に逆らえないのだから。
「どんな嫌な命令でも絶対に逆らえない、か。まるで今の俺達だな」
 例えどんなに怖くても、死の危険があったとしても、この史上最低なゲームに参加しなければならないプレイヤー達。そんな皮肉が、このゲームには込められていたのかもしれない。
 彰はクリアした時の、悪魔を殺した時の感覚を思い出し、胸を押さえた。
 感触がなかったとはいえ、あの血、あの表情。とても忘れられるものではない。
 胃から喉元に何かが込み上げて来るのを感じ、彰はそれを盛大にぶちまけた。
 床が吐瀉物で汚れるが、彰にそんなことを気にしている余裕はなく、嫌悪と気持ち悪さから胃の中の物を吐き出し続ける。
 死に際の悪魔の表情、力なく震えて動かなくなる身体、大量の血しぶき、それらのグロテスクな映像が網膜に焼きついて離れない。
 拒否反応ともいうべき身体の反射で、彰はその後一分ほど吐き続けた。
 ようやくそれが収まると、ポケットに入れておいた紙で口元を拭き、ばつが悪くなって頭を掻く。
「床、汚しちゃったな。まぁカプセルに座ってたから服は汚れなかったし、結果オーライか」
 すっぱい臭いと口内に残る感触に顔を顰め、彰はカプセルから出て扉に向かった。
 カードキーを差し込んで扉を開けると、長い廊下が続いていた。そこをしばらく歩いていき、第一ゲームと第二ゲームの部屋の間にもあった、休憩所と同じ作りになっている部屋に辿り着く。置いてある物も殆ど同じだ。
 部屋の中には数人の男女がいた。その中には武長もいる。だが、琴音も秋もいなかった。
 彰は誰に声を掛ける事もせず、洗面台へ向かった。
 吐瀉物で汚れた口をゆすいで顔を洗う。
 不快感が完全にはなくならないまでもいくらか軽減し、どこかに腰を下ろそうと辺りを見渡したところで、武長が近付いてきた。
「やぁ彰君。君もゲームをクリア出来たようだね。まぁ君ならば、あの程度のゲームは軽くクリアしてくるだろうとは思っていたよ」
「……どういう意味だ」
 横目で武長を睨みながら、彰は言った。
 それに動じることなく武長は笑う。
「何事も合理的に判断し、時には自分に味方する者さえも容赦なく斬り捨てる。それくらいの判断、君なら簡単にやってのけると思っていただけさ」
「なっ、このっ……!」
「あんた達、そういうのやめてくれない」
 武長の挑発に叫び返そうとした時、横合いから彰の声を遮り割って入る者がいた。
「こんな所で怒鳴り合ったりされたら私達が迷惑なのよ。うざったいだけだから、静かにして」
 女子大生らしき女が、眉間に皺を寄せて二人を睨みながら文句を言った。
 武長はそれに反論するでもなく肩を竦めると、素直に謝罪する。
「それは悪かった。こんな状況だからつい言葉に棘がついてしまったのかもしれない。彰君にも、悪いことを言ってしまったかな?」
「いや……」
 武長が心にもないことを言っているのが分かっていたので、彰は必要以上に語らず黙り込んだ。
 武長はじゃあまたね、と言ってあっさりと去って行った。彰はそれを見届け、隣にいる女に視線を向ける。
「あんた確か、第二ゲームで秋に毒見をさせようとしてた女だよな」
「初対面の女性に向かってあんたとは随分な言い草ね。高校生ならもう少し紳士的になったらどうなの? 目上の者には敬意を払うものよ」
「なんの用だ」
 文脈を気にせず愛想などまるで含ませない声で問う彰に、女は気分を害したとでも言うように眉間に皺を寄せ、彰を見る瞳に力を込める。
「本当に可愛くないガキね。そんなだからあんな男に絡まれるのよ」
 敵意を隠そうともせずギロリと彰に睨まれ、女はやれやれと手を上げた。
「私は三島莉緒奈(みしまりおな)。あのチビ助にリンゴを食べさせようとしたピチピチの二十二歳。仕事は介護福祉士よ」
「介護福祉士? 似合わないな」
 意外な言葉に、彰の睨みが一瞬弱まる。女子大生だと思っていたのもそうだが、それ以上に目の前の女と介護福祉士の仕事が全く噛み合っているようには見えなかった。
「そんな事、言われなくても分かってるわよ。私も単に需要があったからなっただけだもの」
「随分と打算的な生き方をしてるんだな」
 彰は愛想笑いすらする事なく、三島の言葉に淡々と応対した。三島への警戒心を隠そうともしないのは、秋に対しての行いを考えれば当然といえる。
「そうよ。夢なんて持ってたら、この世知辛い世の中生きていけないもの」
 人生を諦観しているような三島の言葉を聞いて「俺とは逆だな」と彰は思った。
 彰は夢を持っている人間が羨ましかった。なまじ親のせいで将来が決まっている分、彰には夢に向かって歩いていける人間が輝いて見えた。
 しかし、人それぞれ価値観が違うことを知らないほど彰も子供ではない。勿体無いとは思うが、三島の生き方も人生の一つであることは確かで、彰にとやかく言う資格もなければつもりもない。
「それで、あんたはなんで俺に話し掛けてきたんだ? まさかあいつを止めてまで世間話をしたかった訳じゃないだろう」
 彰の言葉に、三島はニヤッと邪悪な笑みを浮かべる。
「へぇ、良く分かったわね。賢い子供は好きよ。――じゃあ単刀直入に言うけど、あんた私と組まない?」
「なに?」
 予想外の言葉に彰は眉を顰めた。それを気にする事なく三島が続ける。
「あんたの第二ゲームでの行動は見事だったわ。誰よりも早くゲームクリアした上に、私達を騙した頭の回転も凄いと思う。だから私は、あんたとなら組んでも損はないって判断したの」
 偉そうに上からものを言ってくる三島の態度に、彰は不快の感情を隠そうともせず顔をしかめた。
「断る。あんたと組んでも、俺にメリットはない」
「あるわよ。少なくともあのお嬢ちゃんやチビ助君といるよりは、ね」
「っ」
 間髪入れず答えた三島の言葉に、彰は唇を噛んだ。そんな彰に追い打ちをかけるように、三島は続ける。
「あの二人はあんたの足を引っ張るだけで実際には何もしてないわ。それなら私と手を組んで、攻略のために知恵を絞っていった方がよっぽどゲームクリアの可能性は上がるはずよ」
 三島が言っていることは間違っていなかった。確かに第一ゲームや第二ゲームで、琴音と秋は実質的に何もしていない。これからもゲームクリアに有益なアイディアや行動を思いつくかと聞かれれば、首をかしげざるを得ないだろう。だがあの二人が彰の役に立っていないかといえば、そんなことは絶対にない。例え有効な作戦なんてものが思いつかなくても、それだけは決してないのだ。
「あんたには関係ないことだろう。それにどんなメリットがあろうと、俺はあんたと組むつもりはない」
 はっきりと断言された三島は、彰の目をじっと見つめた後、急に興味を失ったように溜め息をついて彰に背を向けた。
「少しは役立つかと思ったけど、やっぱり甘ちゃんなのね。覚えときなさい、あんたは私の誘いを断ったことを必ず後悔することになるわ。必ず、ね」
 彰は内心誰が後悔するかと毒づき、壁に身体を預けて座り込んだ。
 その後しばらくは何もせず、そのまま部屋の隅に座っていた。早く次のゲームに行きたかったが、全員揃うまでドアは開かないと端末を通じて通知されていたので待つしかなかった。
 数分後、ドアが開いてプレイヤーが入ってきた。
 その小さい姿に彰は目を見開き、名前を呼びながら急いで駆け寄った。
「秋!」
 彰に気付いた秋は笑いながら手を振ってくる。
「秋、大丈夫か? ゲームクリアしたのか?」
「うん。なんかね、ベッドに寝たらパァって光って、空飛んでたんだ」
 無邪気に笑う秋を見て彰は安堵したが、念のためゲームのことについて訊いてみる。
「それで、問題にはなんて答えたんだ?」
「神様の言う通りするーって言ったよ。お母さんに神様は偉いって言われてたから、言うこと聞かなきゃ駄目だって思って」
「そうか……」
 彰は安心して秋の頭を撫でた。心地良さそうに秋が満面の笑みを浮かべる。視界の隅に壁際にいた三島がこっちを睨んでいるのが見えたが、無視を決め込む。
「ねぇ、お姉ちゃんはどこにいるの?」
「お姉ちゃんは、まだ来てないんだ」
 彰の顔が曇ったのに気付かず、秋はそうなんだと少し残念そうな顔をした。
 それからしばらく秋と一緒に待っていると、不意にドアが開いて数人のプレイヤーが出て来た。
 そのプレイヤー達の表情は一様に感情を映しておらず、彰の背筋に恐怖ともつかない冷たい悪寒が走る。
 最後に入ってきたプレイヤーを見て、彰は目を見開いた。
「琴音!」
 名前を呼ばれた琴音は、ゆっくりとこちらを向いた。その瞳に、感情の色はない。
「こと…………ね……?」
 雰囲気が豹変していることに気付いて、彰は戸惑いながら琴音と目を合わせる。
 琴音は数秒間彰と秋を無表情に眺めていたが、やがて顔を背け、彰達とは別の方向に歩き出した。
 彰はその姿を、ただ見ていることしか出来なかった。
「お兄ちゃん。お姉ちゃんどうしちゃったの?」
 彰には答える余裕がなかった。それほどまでに、琴音が自分に向けた瞳は衝撃的だった。
『プレイヤーが全て揃いました』
 ポケットに入っている携帯端末からいきなり機械的な声が響く。どうやらこちらが着信に応じなくても通話は繋がるようだ。
 今この部屋にいるプレイヤーは、自分達や琴音を含めて八人。第二ゲームは失敗しても進めるゲームだったので、つまりあのゲームで脱落したプレイヤーは五人いたということになる。
 毒リンゴの数は一つだった。それなのに脱落したプレイヤーが五人もいるという事は、リンゴを食べなかったプレイヤーが五人もいたということなのか、それとも……。
 彰は浮かんできた嫌な考えを、頭を振ることで否定した。
 そんなことあるわけない。リンゴの争奪戦の末、プレイの続行が不可能になったプレイヤーが、五人も出たなんて……。
 しかし彰の考えに反して、この場にいる全員、左右の五指は全て揃っている。
『次のゲームについての説明をさせていただきます。一人ずつ扉の中へにお入り下さい』
 思考している暇もなく、声が移動を促す。
 その言葉に、全員が文句もなく扉に向かって歩き出す。その中には、勿論琴音もいた。
 彰も秋を連れて扉の中へと入る。
 扉の先は今までの簡素な部屋とは違い、賑やかで色鮮やかな部屋だった。
 ルーレットや麻雀卓。トランプや花札が並べられたテーブルが数多くある。他にもスロットやメダルが散らばっているテーブルもあった。
 数多くの賭博ゲームを集めた部屋。
 多少麻雀などのそぐわないギャンブルゲームもあるようだが、漫画の世界でよく見るカジノの風景が、そこにはあった。
 そして最も驚くべき事は、そこには人がいた。プレイヤーではない、ルーレットやカードゲームのディーラーが存在しているのだ。しかしそのディーラーは幽霊のように生気がなかった。
『ここでのゲームはギャンブルです。まずは正面カウンターで自分のカードキーを渡し、コインと交換してください』
「カードキーを?」
 どういうことだろうか。カードキーがなければ、たとえゲームにクリアしても次の部屋には進めない。
『カードキーを手放せないと言うプレイヤーがいらっしゃるならば、そのままで結構です。しかし、このゲームへの参加権は剥奪されます』
 こちらの心を読んだ様に声が告げる。
 仕方なく、彰は秋の分も合わせてカードキーをコインと交換した。コインは一人十枚ずつ支給されるようだ。
『ではこれよりゲームの説明をいたします。このゲームのクリア条件は、今交換したカードキーを取り戻すことです。カードキーはコイン二百枚と交換することが出来ます』
「二百枚って、貰ったコインの二十倍じゃないか。まさか……」
 誰かが驚愕の声を上げる。
『そうです。プレイヤーの皆様には、ここでコインを二百枚まで増やしていただきます。ゲームで勝ち取るのであればその入手方法は問いません。ルーレットでただ賭けるも良し、上客と対戦して巻き上げるも良し、はたまたプレイヤー同士で奪い合っても構いません。とにかくコインを二百枚にし、自分のカードキーを取り戻してください。行われているゲームの最中に不正が発覚し、それが対戦相手やディーラーに見つかった場合は、ペナルティとしてコイン百枚を支払ってもらいます。ゲーム以外でコインを不正に奪う行為も同様です。そしてこのゲームには、貴方達とは別のMLG参加プレイヤーが多数存在します。全員が貴方達同様、ここまでゲームを勝ち残ってきた強豪プレイヤーです。プレイヤーの総数は五十四。そして上客の総数が三十の計八十四名のゲームとなります。制限時間は三時間。それではゲームスタートです』
 行動の早い一部のプレイヤーがすぐに動き始めた。その中に琴音を発見し、彰は慌てて呼び止める。
「琴音!」
 琴音は一瞬動きを止めたが、すぐに無視して歩き出そうとする。彰は琴音の腕を掴むことで無理矢理彼女を引き止めた。
「何?」
 感情の込められていない冷たい声に、彰は思わず一歩下がりそうになった。それでもなんとか踏みとどまり、声を絞り出す。
「琴音、一体何があったんだ?」
「別に何もない。離して」
 今までとはまるで違う琴音の態度に、彰は漠然とした恐怖を覚えた。だがここで引き下がる訳にはいかない。
「このゲームは協力出来る。琴音、俺達と一緒にクリアを目指そう」
 必死に説得を試みる。彰にとって琴音は、この異常なゲームの中で見つけた、たった一つの良心。絶対に失いたくはなかった。
 だが、琴音の口から出た言葉は、彰の期待を完膚なきまでに裏切るものだった。
「関係ない。私は一人でもクリア出来る。むしろ足を引っ張られたら堪らない」
「こ、琴音……?」
 自分本位な他人を突き放す拒絶。
 最も信頼していた人からの決別の言葉に、彰は茫然自失となって立ち尽くした。手から力が抜け、琴音の腕が解放される。
 自由になった彼女は、すぐに彰に背を向け、部屋の奥へと姿を消してしまった。彰は彼女を呼び止めることも、後を追う事も出来ずにただ見送る。
「なんで……」
 信じられなかった。彼女があんな冷たい目で自分を拒絶したことが。会って間もないとはいえ、彼女が心の優しい女の子だということは分かっている。自分だけでも助からなければならないこの状況で、打算も策略もなしに正義感と善意だけで動ける人間が一体何人いるだろう? 少なくともこのゲームに参加したプレイヤーの中で、それが出来ていたのは琴音だけだった。その彼女が、今ゲームをクリアするために他人を見ようとしない。自分が助かるためには、他人を邪魔だと決めつけ切り捨てている。
 袖が引っ張られるのを感じ、彰は隣を見た。
 心配そうな表情で秋がこちらを見上げていた。
「お兄ちゃん。お姉ちゃんと喧嘩したの?」
 何も知らない秋が、首をかしげて訊いてくる。
 いまにも崩れ落ちてしまいそうな彰だったが、秋の前ではなんとか平静を保った。保とうとした。
「秋、ごめんな。お姉ちゃんとは、しばらく一緒にいられないかもしれないんだ」
 彰が今にも泣き出しそうな声で言うと、秋は眩しく笑う。
「ううん。ぼく寂しくなんかないから大丈夫だよ。だからお兄ちゃん、泣かないで」
「秋……」
 秋の言葉に、彰は瞼に涙が溜まるのを感じ、目元を押さえて必死に我慢する。
「秋、ごめん。ごめんな。……お兄ちゃん情けないから、お姉ちゃんを……引き止められなかった」
 笑いながら首を振る秋を見て、彰はその小さな身体を力一杯抱きしめた。
 秋は抵抗せず、心地良さそうに彰の肩に頭を預ける。
 腕の中から感じる温かい体温は、このゲームに引きずり込まれてから感じることが出来なかった物で、それはボロボロだった彰の心を、硬質化させたはずの決意を、温かく溶かした。
 今までこんなとんでもないゲームにいきなり参加させられながらも、命懸けのロシアンルーレットや解答不可能に見える難問を、彰は紙一重でクリアしてきた。だがここに来て唯一心を許せる存在だった琴音に拒絶されて、目の前が真っ暗になりかけていた彰にとって、このとても小さな温もりは、暗闇の中で奇跡的に巡り合えた希望の光だった。
 だが彰にとって、この光はまだ半分しか自分の道を照らしてくれてはいない。もう半分は、今まさに自分の手から離れていってしまったのだ。
 秋を強く抱きしめたまま、彰は小さな声で、それでも力強く、はっきり言った。
「秋は、俺が守る。絶対、こんなゲームクリアするから。絶対、脱落なんかしないから。だから、だから……琴音と一緒に、三人で必ず、こんな所から出ような」
 彰の真剣な言葉に、秋は抱きしめられたまま、元気良く頷いた。


 数分後なんとか立ち直った彰は、とりあえずカジノの中を散策する事にした。
 まずはどんなゲームがあるか確認し、そこから自分に合ったゲームを見つけてプレイしようと考えたのだ。
 このカジノの中には本当に多種多様のゲームがあった。
 メジャー所のスロットやルーレット、トランプを始めとするUNOや花札といったカードゲーム。そして本家のカジノでは、おおよそ考えられない麻雀やチンチロなどのギャンブルゲームまでもがあった。他にもこのカジノ独自のオリジナルゲームが幾つかあるようだが、流石に序盤からそんなにも危険な匂いの漂うゲームには手を出せない。
「麻雀なんて、コイン十枚ぽっちじゃ出来ないだろうに」
 軽く呆れながら呟き、自分でも勝てそうなゲームに目星をつけていく。
 カジノを回って気付いたことがある。自分達の様なプレイヤーじゃないディーラーや上客の人間は、おそらくプロでも犯人サイドの人間でもない。本職のディーラーだとしたら雰囲気がぎこちないし、犯人サイドの人間なら自分達を観察する様な気配があるはずだ。だがこのディーラーは、失敗しないよう最大限慎重にやっているように見える。何より彰の目を引いたのは、プレイヤー以外にギャンブルをする上客の真剣さだ。その剣呑な表情は、明らかに仕事や軽い気持ちでやっている者のものではなかった。実際に見た事はないが、甲子園の決勝戦に出た高校球児の様な並々ならぬ必死さが窺える。
「どういうことだ? 上客はプレイヤーじゃないはず……」
 思わず口に出し、そこである仮説が生まれた。
 それはある意味、自分達の状況以上に恐ろしいことで、もしかした彰自身もそうなる可能性のある、最悪の想像だった。
「これはちょっと、仕掛けてみなきゃならないかもな……」
 彰はそう呟くと、目星をつけていたテーブルに向かって歩き出した。だがすぐに思い出した様に立ち止まると、しゃがみ込んで秋と目線を合わせる。
「秋、ちょっと頼みたいことがあるんだ」
 小首をかしげる秋に、彰はこっそりと耳打ちした。
 内容を全て告げると、彰は秋に確認する。
「出来るか? 秋」
「うん。分かった」
 元気良く返事をする秋を見て、彰は満足そうに頷くと、狙いのテーブルに向かって再び歩き出した。
 目的のテーブルには、黒服の監視役と上客の男が座っていた。
 彰は座っている男に挑発的な声をかけた。
「おいあんた、暇なら俺と遊ばないか?」
「誰だお前?」
 厚顔無恥な彰の態度に、男は怪訝な顔をしながら聞き返す。
「俺は彰。あんたの名前は?」
 自分のペースを崩さない彰に、男は警戒しながら答えた。
「佐久間だ」
「じゃあ佐久間とやら、俺と勝負するか尻尾巻いて逃げ出すか今すぐ選べ。こっちは時間も限られてるんでな」
 あくまで高圧的な態度を取る彰を見定めるかの様に見ると、佐久間は笑った。
「いいぜ。やってやるよ、彰君」
 肯定の言葉を聞いて、彰はテーブルに腰をおろした。
「このテーブルに来たからには知っているとは思うが、勝負はドロー・ポーカーだ。いいな?」
「あぁ、問題ない」
 ドロー・ポーカーとは基本的に普通のポーカーだ。
 ポーカーはまず五枚のカードが配られる。その中でいらないカードの交換を一度行い、それでできた役の上下を競うゲームだ。ただし、場合によってルールが付け加えられることがあるので(カードの交換の回数など)、詳細は聞くまで分からない。
「ルールの説明は必要か?」
「当然だろう」
 佐久間はディーラーに目配せし、説明を促した。
 ディーラーは頷くと、彰の方を向いて口を開く。
「このドロー・ポーカーは、カードチェンジ一回。ジョーカーなしのポーカーです。ディーラーは交代制。参加料はコイン二枚。ベットはチェンジ前とチェンジ後の二回出来、その際の下限は二枚です。レイズの上限は相手プレイヤーのコイン枚数までとし、ディーラーが一回りするか、自分がバーストしなければゲームを抜けることは出来ません。ここまで、質問はございますか?」
 ディーラーは覚えたことを忘れないために、急いで暗唱するかの様に言った。彰は一つだけ疑問に思ったことを訊いておく。
「ゲームは一勝負事に区切られるのか?」
「はい。勝負が終わった後、次の勝負が始まるか、どちらかが席を立つかした時点でそのゲームは終了したと判断します」
「分かった。それさえ分かれば問題ない。ゲームを始めよう」
 ポーカーに限らず、ギャンブルのカードゲームには専門用語がある。ディーラーは親、バーストは破産、ベットは賭ける、レイズは賭けた金額にさらに上乗せすること、そして勝負に乗る場合はコール、降りる場合はドロップを宣言するなど、大まかに言えばこのくらいだ。
 ディーラーはテーブルにあったトランプを拾い、シャッフルしようとしたところで、彰に止められた。
「待て。それは今までプレイしていたカードだろう? 何か仕込まれている可能性があるからな、確認させてくれ」
「お前、俺がイカサマするとでも言うつもりかよ!」
「イカサマをしてないというなら別に構わないだろ?」
「くっ、早くしろよ」
 忌々しげに佐久間は言い、黒服が彰にカードを渡してくる。
 彰が一つずつカードを確めていると、隣にいた秋が覗き込んできた。
「ねぇ、ぼくこのゲーム知ってるよ」
「へぇ、じゃあこれはなんだ?」
「ハートの七」
「おぉ、正解だ。凄いな秋」
 彰に頭を撫でられて、えへへと頭を掻きながら照れる秋。そんな二人の様子を見ていた佐久間が、苛立った声を上げた。
「おい! ふざけてないで早くしろ!」
「別にふざけてなんかいないさ。秋はプレイヤーだ。今の内にカードゲームのルールくらい説明しておかきゃ、脱落は目に見えてるからそうしているだけだ。それにこれは、なんらルールに抵触してるわけでもないだろ?」
「チッ」
 佐久間は舌打ちすると、ディーラーに水を頼み時間を潰そうとする。
 その間にも彰と秋はカードを見ながら楽しそうに騒いでいた。
「これはね、ダイヤのエース」
「その通り。秋は頭がいいんだな」
 そんなこんなで、結局カードの確認が済んだのは五分も後の事だった。
「ようやく終わったか。それじゃあとっとと始めるぞ」
「あぁ。ゲームスタートだ」
 彰と佐久間は同時にテーブルの中心にコインを二枚放る。
 ディーラーから二人に五枚ずつカードが配られる。
「それでは最初のディーラーは佐久間様からです。ベットをどうぞ」
「ベット。コイン二枚」
「コール」
 彰は間髪入れずに答えた。
「ほぉ、中々強気だな。虎穴に入って虎に会わないように気をつけろよ」
「交換はあんたからだろ。早くしろ」
「分かってるよ。俺は二枚交換だ」
 佐久間がカードを二枚捨てて、ディーラーから同じ枚数貰う。
 彰は自分の手を見て少し考え込んだ後、カードを一枚手に取った。
「俺は一枚だ」
「一枚とはいい手が揃ってるのか? それとも博打に出たか?」
 佐久間の鎌掛けに、彰は無表情で答えディーラーからカードを受け取る。
「それでは佐久間様、ベットをお願いします」
「ベット。コイン四枚」
 彰はそこで手を止めた。
 コールするのを迷っているのか、わずかに眉間に皺を寄せている。
 やがてゆっくりとコインをテーブルに置いた。
「コール」
「それでは手札オープンです」
 両者のカードがテーブルに露わになる。
 佐久間はエースのワンペア。
 彰は四と九のツーペアだった。
「佐久間様エースのワンペア。彰様四と九のツーペアにより、このゲームは彰様の勝利です。場のコインは全て彰様の物となります」
 彰は両手でテーブルのコインを自分の下に引き寄せた。
「中々運が良いようだな。だが、次はそう上手くは行かないぞ」
 その後何回かディーラーが移り変わりながらゲームが行われた。
 彰のコインは最初のゲームに勝ったので現在十八枚。元が十枚だったことを考えればおよそ倍になっているが、一ゲームですぐに引っくり返される枚数でもある。
「次のゲームのディーラーは彰様です。ベットをどうぞ」
「ベット。コイン二枚」
「コール」
 佐久間もすぐにコールし、彰は手札選択に悩んだ。
 十秒程考え、彰は手札を二枚テーブルに投げる。
 ディーラーから受け取ったカードを見て、彰の眉がピクッと動くが、それは一瞬のことですぐに無表情に戻った。
 佐久間は大して考えた様子もなく一枚だけ交換した。
「それではベットです」
 彰はコインを四枚放る。
「ベット。コイン四枚」
 佐久間はチラリと彰の顔を窺った後、テーブルにコインを投げた。
「コール」
「それでは手札を……」
「待った。まだ俺のレイズが終わってない。レイズ。コイン十枚」
 彰は自分の持ち得るコインを全てテーブルに置いた。
 そこで佐久間は怪訝な表情を浮かべる。
 ここで全賭けだと? 何を考えている?
 佐久間からすればそれは当然の疑問だった。まだゲームは一ゲームしか行われていない。勝負所には早過ぎる。
 彰を見ると、机に肘を突いて身を乗り出しながらこちらを見ていた。テーブルに隠れてカードは見えないが、絶対の自信があることを態度が証明していた。
 よっぽど手が良いのかと考えたが、目の前の男はカードを受け取った時、それほどいい反応はしていなかった。勿論フェイクだとも考えられるが……。
 さてどうするか。コールをすれば自分もかなり大きいリスクを負うことになるが、このままみすみすコイン八枚を取られるのも懸命な判断とは言えないだろう。MLGの第四ゲームが始まってまだ間もないため、佐久間のコインも彰同様かなり少ない。
 そういえばこの男、カードの交換が二枚だったな。ということはその時点でワンペアかスリーカードの役ができていたという事だ。対してこちらは交換一枚……。
 佐久間はここで気がついた。
 目の前の男は、一枚交換したので自分の手がツーペアだと思っているのだ。ツーペアからフルハウスになる可能性は限りなく低い。対してこの男はきっと、ワンペアから一枚同じカードが来て、スリーカードの役ができた。それか何も来ずにやはりスリーカードの役ができていたのだろう。だから勝てると確信している。だが自分はツーペアなどでは無い。一枚交換で博打を打ち、見事フラッシュの役が手札には揃っているのだ。
 相手の手は分かった。俺が負ける道理は無い。
 佐久間は勝利を確信して高らかに宣言した。
「コール!」
 彰は余裕の表情でそれを見ている。
(ふん、馬鹿め)
 心の中で彰を罵り、佐久間は笑った。
「それでは手札オープンです」
 テーブルに表向きで出される十枚のカード。
 佐久間の手はダイヤのフラッシュ。
 彰の手は、七のフォーカード。
「な……に?」
「佐久間様ダイヤのフラッシュ。彰様七のフォーカードにより、この勝負は彰様の勝利となります」
 彰が場のコインを全て自分の元に引き寄せる。
 佐久間は信じられないといった表情でテーブルのカードを凝視していた。
 彰はそんな佐久間を無視して、ディーラーに訊ねる。
「なぁ、俺はもうこのゲームをやめたいんだが」
「えぇ結構です。佐久間様もよろしいですね?」
 佐久間はカードから目を離さず答えなかった。
 彰はそれを肯定と受け取って席を立つ。
 立ち去ろうとし、あっと何かを思い出したように声を上げて振り返った。
「忘れてたよ。これ、返しとくな」
 彰はそう言うと、彰は四枚のカードをテーブルに放った。
 佐久間は呆然とそれを見て呟いた。
「なんだ、これ?」
「見て分からないか? カードだよ」
「お前、イカサマをしたのか!」
 佐久間が机を叩いて立ち上がった。
 それに対して彰は悪びれずに答える。
「あぁ。それがどうした?」
「テメェ……こんなゲームは無効だ! コインを返せ!」
「おや、そいつはおかしいな」
 佐久間が怒鳴り声を上げて怒りの形相で睨んできたが、彰は自分のペースを崩さず黒服に話し掛けた。
「確かこのゲームは一ゲームごとに勝負が区切られるはずだ。それなら俺が席を立った時点でゲームは終了し、異議は認められないはずだぜ。不正行為も、ゲーム中(,,,,)に(,)発覚(,,)した(,,)場合のみペナルティが発生するんだったよな」
「そんな屁理屈……」
 佐久間がテーブルを飛び越えて彰に飛び掛ろうとしたが、ディーラーによってそれを止められた。
「彰様の言う通りです。もはやゲームは終了しています。ここで暴力を振るうようならルール違反とみなし、佐久間様にはペナルティが課されますが、よろしいですか?」
 ペナルティという言葉に、佐久間が動きをピタリと止めた。ディーラーから手を離し力なく膝をつくと、四つん這いになって拳を床に叩きつける。
「チクショー。チクショーー!」
 悲痛な声で絶叫する佐久間。その様子を見て、彰はディーラーに疑問の目を向けた。
「おい、こいつは何でこんなに悔しがってるんだ?」
 ディーラーが躊躇いがちに、さっきまでの敬語を使わず、自分本来の口調であろう言葉遣いで話し始めた。
「俺やこいつ、プレイヤーじゃないここの上客やディーラーは全員、かつてのMLGで脱落した元プレイヤーだ」
「やっぱりか」
 自分の予想が最悪の形で当たったのを知り、彰は主催者サイドへの嫌悪がより一層強くなるのを感じた。
 つまり自分達もゲームに脱落すれば、他のミッシング・リンクのゲームに利用されることになるという事だ。そして既に、幾多のプレイヤーがゲームを脱落している。
 彰は頭を左右に振って、もはやどうしようもない思考を頭から追い出すと、ディーラーに再度質問した。
「お前らはここで二つの役割に分かれてるよな。ゲームの進行役と、実際にゲームをプレイする役の二つに。それはどうやって決めたんだ?」
「主催者側からアンケートみたいなのがあったんだよ。ゲームに参加する奴はコインを三十枚渡されて、それを二百枚にすれば解放される。逆に俺達みたいな進行役は、仕事を完璧にこなせば解放に必要なポイントをいくらか貰える。参加する奴はコインが最初より少なくなったらポイントを減らされるらしい。まだゲームは始まったばかりだからな。上客役もコインは少ない。きっとあの佐久間とか言うやつは、もうゲームを続けるだけのコインがないんだよ」
 ディーラーが親指を立てて四つん這いで蹲っている佐久間を指す。
 俺とのゲームが初戦だったのなら、佐久間の今のコインは残り四枚。確かに立ち上がりは最悪だが、まだ取り返せない枚数ではない。
 そんな彰の疑問に答えるように、ディーラーが言った。
「あいつギャンブルはドロー・ポーカーしか出来ないらしい。お前に奪われて残りのコインは四枚。このポーカーは最低六枚のコインが必要だから、もう残ったコインはルーレットにでも賭けるしかないってわけだ」
「なるほど……」
 憐れみの目を佐久間に向けるが、彰は後悔をしてはいなかった。赤の他人を気遣って生き残れるような状況じゃない。彰も負ければ、同じ末路に陥るのだから。
 弱肉強食、優勝劣敗、適者生存。このゲームでは、どんなことをしてでも勝ち上がらなければ、他のプレイヤーに食われるだけだ。
「お前らがプレイヤーだった時は、どんなゲームをやってたんだ?」
 彰は最も気になっていた、かつてのMLGのことについて訊いた。だがそれに対するディーラーの返答は、期待に添うような物ではなかった。
「悪いがそれは言えないことになってるんだ。言ってしまえば今までのポイントを全て消された上で、永久にここから出られなくなる」
「っ、そうか……」
 思わず歯軋りをした彰だが、聞きたい情報は全て聞き出したので、踵を返すとその場から立ち去った。
「お、おい……」
 残されたディーラーは、あまりに唐突に去っていく彰を呆然と見送った。
 彰が少し歩いたところで、隣にいた秋が彰の袖を引っ張り、輝いた目を向けてきた。
「ねぇお兄ちゃん。ぼく言われた通りに出来たでしょ?」
 褒めてもらえると期待した眼差しを向けて来る秋に、彰は笑顔で答えた。
「あぁ。秋のおかげで助かったよ。ありがとう」
 軽く頭を撫でると、秋が嬉しそうに笑った。
 彰が秋に頼んだことは三つ。
 一つはトランプを確認する時彰に話しかける事。二つ目はそこで同じ数字のカードを四枚抜き取ること。そして最後に、自分がレイズと言ってカードを机の下に隠したら、抜き取った四枚のカードと自分のカードを交換すること。これだけだった。秋が言われたことを全て忠実にこなしてくれたため、彰はゲームに勝つことが出来た。
「また何か頼むかもしれないけど、その時はよろしくな、秋」
「うん!」
 元気のいい秋の返事に、彰は思わず笑みを零した。秋の無邪気な反応を見ると、自分でも意外な程心が落ち着く。
 秋の頭から手を放し、彰は目星をつけていたもう一つのテーブルに向かった。
 少し歩いたところで、いつの間にか秋が自分の側にいない事に気付く。
「秋?」
 周りを見渡すが、秋の姿はどこにもない。
 彰は慌てて来た道を戻って秋を捜した。
「秋、どこだ!」
 走り回るが中々見つからず、彰の焦りと不安が急速に膨らむ。
 もしかして、他プレイヤーにカモにされているんじゃ……?
 最悪の想像が頭の中を支配する中、彰は必死で秋の名前を呼び続けた。
 そこで視界の隅に、テーブルの前に座っている小さな背中を彰は見つける。
 間違いない、秋だ。
 彰は駆け足で秋のいるテーブルに向かった。
 秋の肩に手をかけようとしたところで、秋が何かをやっていることに気付き、それと同時にディーラーに注意される。
「ゲーム中ですので、プレイヤーに触れればペナルティとなります」
「ゲーム中?」
 彰は横に移動し、テーブルの上を見る。
「これは……」
「残り三十秒です」
 ディーラーが秋に告げた。
 見ればタイマーが向かい側に置かれている。
 秋が行っているゲームはトランプタワー作りだった。
 作られている土台を見たところ、四段のタワーだと分かる。
 秋は二段目のラストに取り掛かるところだった。元の設定時間が何分かは分からないが、もう残りは二十秒しかない。
 彰は応援しようと口を開いたが、秋の集中力を削いではいけないと、無言で見守る。
 残り五秒になった時点で、トランプタワーがあと一段というところまで差し掛かった。
 だがここで焦ってしまえば、トランプタワーは無情にも瓦解して崩れ去るだろう。
 見ている彰が緊張で冷や汗をかかせている事など知らず、秋は遊んでいるかの様な気軽さでトランプを立たせた。タワーは揺れることなく綺麗なピラミッドの形を取る。
 その瞬間、タイマーの表示が零を示した。
「終了。ゲームクリアです」
 ディーラーの言葉が彰の緊張の糸を解いた。秋は無邪気にトランプタワーが出来たことを喜んでいる。
 彰はわずか数十秒で鉛の様に重くなった身体を何とか支えながら秋を見た。
「良かった……」
「えへへ。ぼくこういうのは得意なんだ」
 照れて笑う秋。彰はその笑顔を再度見ることができて、心底安堵する。
「秋様、ゲームの懸賞金でございます」
 ディーラーがコイン二十枚を秋に渡す。それを見て彰が疑問だったことを訊いた。
「秋、これってコイン何枚で参加できたんだ?」
「十枚だよ。出来なかったら払わなきゃいけないんだって」
 それを聞いて彰はぞっとした。
 つまり秋はこのトランプタワー作りに成功していなければ、ゲームを脱落していたことになる。その危険を思い出し、彰の顔が険しいものとなる。
「秋、なんでこのゲームに参加したんだ?」
 彰は多少語気を強めながら問い詰めた。その姿は、夜遅くまで帰って来なかった子供を叱る親に似ている。
 秋は彰の様子に少し怯えて、小さな声で言った。
「だって、楽しそうだったから……」
「失敗したらどうする!」
 思わず彰は怒鳴っていた。もし秋が脱落していたらと思うと、恐怖で頭がおかしくなりそうだった。
「ごめんなさい……」
 首を縮こまらせながら謝る秋。秋からすれば、何故怒られたのか分からないだろうが、子供は怒られると反射的に謝ってしまうものだ。
 そんな心境を察する余裕すらなく、彰は秋の肩に両手を置いて強く言った。
「秋、もう二度と勝手にいなくならないでくれ。お前までいなくなったら、俺は……」
 続きを口にする事が出来ず、彰は秋の肩に頭を乗せた。
 秋は怒られているにも関わらず、彰の頭を優しく撫でた。
「ごめんなさい、お兄ちゃん。だけどぼくは絶対いなくならないよ。だから泣かないで、お兄ちゃん」
 泣かないで、というのは、おそらく秋自身が母親に何度も言われた台詞なのだろう。この十数分程度の間に二回も言われ、彰はなんとなく頭の片隅でそう思った。
 秋のおかげで冷静な思考を取り戻してきた彰は、負の感情を振り払う様に勢い良く立ち上がると、打って変わって秋に笑い掛けた。
「それじゃ行くか。何はともあれ、結果オーライだったしな」
「うん!」
 二人で再び目的のテーブルに向かって歩き出した。
 その途中、所々で歓喜と絶望の悲鳴が聞こえてくる。この短時間でもう何人のプレイヤーがゲームオーバーになったのだろうか。そう考えると、胸の奥に微かな痛みが走った。
 数分後、二人は目的のテーブルに辿り着いた。
 そこにはディーラーが一人、元プレイヤーの男と女が一人、そして自分と同じプレイヤーの女が二人いた。
「混ぜてもらっていいか?」
 物怖じせずに彰は言う。秋や琴音以外の他プレイヤーに接する時は、舐められないように高圧的態度を取る事に決めていた。
 テーブルに座っていた四人と黒服は、一様に彰に怪訝な視線を送る。
「貴方誰?」
 見覚えのない女プレイヤーが眉をひそめながら訊いてくる。
「俺は彰だ。……で、このゲームには参加できるのか?」
 彰の質問に対して黒服が答えた。
「はい。まだゲームが始まる前でしたので、希望されるのでしたら席にお座りください」
「じゃあ参加させてもらおうか」
 空いてる椅子に彰は堂々と腰掛けた。
「それではルールの説明をさせて頂きます。このテーブルで行うゲームは、インディアン・ポーカーです」
 インディアン・ポーカー。それは普通のポーカーとは全くルールの異なるポーカーだ。
 まず一人が親となり、それ以外のプレイヤーは子となる。親になったプレイヤーは勝負に降りることが出来ないが、その代わり掛け金を釣り上げていく事も、すぐに勝負を始める事も出来る。流れはというと、インディアン・ポーカーという掛け声と共に、プレイヤーは自分に配られたカードを他プレイヤーに見えるよう額に当てる。この時自分のカードを見る事は許されない。自分の持っているカードが相手より高ければ勝ちになるが、負けていると感じた場合や、自分の手持ちのコインを考慮して勝負したくない場合はその時点で降りてもよい。カードの強さは、エースが一番弱くキングが一番強い。マークの優劣は上から順に、スペード、ハート、ダイヤ、クラブとなる。
「ディーラーは交代制。参加料はコイン二枚、賭け点の上限はコイン十六枚までとしますが、人数が二人になった時点で六十四枚にまでつり上ります。途中離脱は自由。以上です。よろしいでしょうか?」
 彰を含む全員が頷く。
「それではゲームを開始します。参加料をお支払いください」
 チャリンと十枚のコインがテーブルの中心に投げられる。
「親は雫(しずく)様です」
 雫と呼ばれた女のプレイヤーは、ディーラーからカードを受け取り、一枚ずつプレイヤーに配っていった。進行役ではなく親に配らせるのは、イカサマはばれなければしても構わないという、主催者側の意図なのかもしれない。
 雫はカードをシャッフルすると、一枚ずつ丁寧にプレイヤーに配った。
「それじゃあ行くわよ。インディアン・ポーカー!」
 全員が一斉にカードをめくって額の前にかざす。
 彰から見るに、不良っぽい上客の男がハートの五、OLらしきプレイヤーの女がダイヤの三、元プレイヤーの主婦がダイヤのクイーン、そして親である雫がクラブのジャックだった。
 全員の手を見た時点で、彰は心の中で舌打ちした。勿論表情や態度に出すような莫迦な真似はしない。
 ルール上親は必ず勝負をしなければならないので、少なくとも自分の手が十一以上のカードでなければ負けてしまう。
(ここは手堅く勝負を降りるか? それとも賭け金が釣り上がらないのなら、勝負して自分を無能だとアピールするのもいいかもな)
 彰は賭けとなると冷静に確率と心理戦で勝負をするとタイプだ。ブラフも使うが、基本的に分の悪い賭けは早めに降りる。
「それじゃあダブルダウン。コイン四枚」
 インディアン・ポーカーの場合、賭け金の釣り上げは二倍で行わなければならない。つまり二枚の次は四枚、その次は八枚、十六枚といった具合だ。倍賭けをする時に言う用語をダブルダウンと言う。勿論普通にレイズと言っても構わない。
「俺はドロップする」
彰はカードを裏に伏せてそう宣言した。無理に勝負するには、手持ちのコインが少なすぎる。
 カードを裏にしてテーブルに置いたのは、もはや見る必要がないからだ。たとえ自分の手がキングだったとしても、所詮それは結果論であり、彰の勝負はもう終わっている。
最初のベットでは彰以外に降りる者はいなかったようで、勝負は続いていった。
「さらにダブルダウン。コイン八枚」
 淀みなく雫が言った。どうやら自分の手が強いことに気付いているか、主婦が降りる事を確信しているらしい。主婦さえ降りれば、あと残っているカードは五と三だけ。勝率はかなり高い。
 雫の思惑通りか、あまりに迷いのないベットに主婦が悩んだ末カードを裏向きに置いた。
「ドロップします」
 今勝負を降りれば損害はコイン六枚。自分の手を知らないのだから、親の好カードに勝負を挑まない賢明な選択だ。
 雫は最初のゲームで冒険する気は毛頭無かったのか、ここで賭け金を釣り上げるのをやめ、勝負に出た。
「それでは勝負です」
 カードがテーブルに公開され、雫の勝利が明らかになる。
 場にあったコイン三十枚が雫の懐に入る。多く賭けた者でも一人当たり八枚なのに、この枚数はかなりの物だ。勝てば大幅にゲームクリアに近づける。
 彰は二枚しか賭けていなかったので、まだ手持ちに余裕はあるが、早い内に勝負しなければ、じり貧となって負けてしまうだろう。かといって焦って勝負に出れば勝てないのが、ギャンブルの醍醐味だ。
「それでは親が入れ替わり、第二ゲームを開始します」
 親は左のプレイヤーに入れ替わるので、次の親は不良っぽい元プレイヤーの男だ。
「まずは参加料を払いな」
 十枚のコインがテーブルの中心に集まる。
 それを見届けた男がカードを配る。
「行くぜ、インディアン・ポーカー!」
 五人がカードを額に当てる。
 雫とかいう女がスペードのニ、OLの女がダイヤの九、主婦がクラブの八、そして親である男がハートの六だった。彰から見る分にはマークが見事にバラバラだ。
 他プレイヤーの視線が一瞬彰に集まった。目はこれでもかと言うほど真剣だ。
 それを見て彰は、自分のカードがかなり高い数字であると確信する。人は警戒する物ほど視界に入れておきたいと本能的に考える生き物だ。
 ただ気になったのは、雫がこちらを殆ど見なかったことだ。彼女は全員のカードを満遍無く一度見ただけで、もう興味がないとばかりに目線をテーブルに落としている。
「レイズ。コイン四枚だ」
「ドロップ」
 先程の彰と同じ様に、雫は即座に勝負を降りた。それはまるで自分の手が弱いことを分かっているかの様な立ち振る舞いだった。
 彰はそれに表面上はなんの反応も見せず、内心雫の警戒度を最大まで高めていた。
 あの迷いのない決断は明らかに、勝負すれば負けると分かっている者だけが出来るものだった。それならば雫は、なんらかの方法で自分の手が弱いと知ったことになる。
 彰の手が強いせいか、男はこれ以上賭け金を上げることなく勝負に出た。
「ここら辺で勝負だ。手札オープン」
 彰のカードはクラブのクイーンだった。絵札は彰だけなので、当然彰のカードが一番大きい。
 彰のコインを差し引いて、プラスとなるコイン十四枚が彰の物となる。
 先程のドロー・ポーカーの分も合わせて、彰のコインは合計三十八枚。余裕を持ってプレイできるくらいのコインは確保出来た訳だ。
「それでは親は彰様となり、第三ゲーム開始します」
「参加料を払え」
 彰は即座にゲームを進行させた。
 プレイヤーは誰も抜けることなくコインを払った。
 彰はすぐにカードを配り叫ぶ。
「インディアン・ポーカー!」
 今回は男がダイヤのジャック、OLの女がクラブのキング、主婦がダイヤの七、そして雫がハートのジャックだった。
 中々のハイカードが揃っている。
 彰はこれを見るや間髪入れずに賭け金を釣り上げた。
「ダブルダウン。コイン四枚」
 すぐにコールをする者はいなかった。皆相手のカードが高いので迷っているのだ。全員が他プレイヤーの様子を窺う中、主婦が諦めてカードを置いた。
「ドロップします」
 主婦から見れば、少なくとも彰のカード以外は絵札なのだから当然の判断だろう。これで絵札を持っている三人がどう動くかだが、実際に彰がこの三人より高いカードを持っている可能性は限りなく低い。それでも彰には勝てる自信があった。
 この勝負での絵札が主婦のキング一枚だけだったら負けてたな。
 実際にこの三人は今、硬直状態になって動けないでいる。その胸中は不安でいっぱいのはずだ。
 そんな中雫が動いた。
「コール」
 コインを四枚放って宣言する。
 彰はやはり、と内心思う。
 明らかにこの雫とかいう女だけ、ルールを知ってるだけの他プレイヤーとは違い、このゲームを理解し、勝ちに繋がるまでのプロセスを頭の中で作り上げながらプレイしている。相手の表情や目線を読み、相手のカードの強弱だけでなく、自分のカードの強さまで読んで勝負する。本来のインディアン・ポーカーでの戦い方ではあるが、その決断の速さや思考の深さは、一朝一夕で身に付くものではない。勝負事に慣れていなければ不可能だ。
 最後はこいつと戦う事になりそうだな。
 雫が動いた事により、他の二人もアクションを起こした。
「コール」
「俺もコールだ」
 二人が慎重に呟いたのを聞いた次の瞬間には、彰は声を上げていた。
「さらにダブルダウン。コイン八枚」
 明らかに驚愕の表情を浮かべ、OLの女と不良男が彰を見た。ただひとり、雫は無表情。彰は素知らぬ顔で秋の髪をいじって遊んでいた。
 そこで二人のプレイヤーは彰に対して疑問を抱いた。
 あの子供がカードを教えているのではないか、と。
 疑惑の目が彰を突き刺す中、それに気付いてるのか気付いてないのか、彰は秋とじゃれ合って遊んでいた。
 二人のプレイヤーが疑惑と不安で悩んでいる内に、雫がまた動いた。
「コール」
 あまりに自信満々な発言に、OLの女と不良男はさらに途惑った。そしてそれと同時に新たな疑惑も湧く。
 もしかしたら彰と雫は組んでいるのではないか、という疑惑が。
 疑心暗鬼がプレイヤーの心を揺さ振る中、彰はさらに追い打ちをかけた。
「早く決めてくれよな。時間は有限なんだ。コール・オア・ドロップ?」
 のるか反るかを促し、彰は相手の不安を増長させた。冷や汗一つかかず自信たっぷりに言うことで、こいつは自分が勝てることが分かっているんじゃないだろうか、という疑惑を植えつけたのだ。
 しばらくして、不良男が静かにカードを置いた。
「ドロップだ」
 それに連動したかの様にOLの女もカードを置く。
「私もドロップするわ。こんなのやってられないわよ」
 二人が降りたことによって、ゲームは彰と雫の一騎打ちになった。
「二人だけになったな。お前は降りなくて良いのか」
 こんな奴らとはやってられないとばかりに、OLの女と不良男、そして主婦はもうテーブルから離れていた。つまり事実上今後のゲームは全て、この二人の戦いである。
「私からすれば予想通りの展開よ。それに貴方こそいいの? かなり低いカードだけど」
「上等だよ。お前こそ降りなくていいのか?」
「コール、と宣言したはずよ」
 余裕を含ませた笑みで雫が答えた。
 彰はこれ以上引き伸ばしても無駄だと感じ、勝負をすることにした。
「ぞれじゃあ手札オープン」
雫のハートのジャックに対して、彰のカードはスペードの五だった。
「だから言ったのに。私の勝ちね」
 馬鹿にした様に笑い、雫はテーブルにある二十六枚のコインを持っていった。自分が払ったコインを抜かしても、十八枚のプラスだ。今までの勝負と合わせて計算するに、彼女は合計四十六枚のプラス。元々のコインが二十枚だったとしても、もはや六十六枚。対して彰は今の勝負で手持ちが三十四枚。最高レイズ金額まで賭け金を釣り上げられたら、到底払えない。
 だが彰はゲームを降りようとはしなかった。
「それでは親が雫様となり、ゲーム開始です」
 それから何回か親が入れ替わってゲームが行われたが、結果は意外にも彰の押し気味で進んでいった。
「貴方中々強いわね。高校生のくせしてやるじゃない」
「お褒めに与り光栄だな」
 馬鹿にした彰の答えに、雫は余裕を持って応対した。
「そんな態度とっていいのかしら?」
「どういう意味だ」
「二人きりになってからの勝負では多少貴方が勝っているとはいえ、その前の勝負では私が大幅に勝っているのよ。そのコイン差で、貴方は最大まで釣り上げた賭け金を払えるのかしら? 私が少しでも賭け金を上げようとしたら、すぐに降りてばかりいる貴方が」
 図星を突かれ、彰は黙った。
 勝っているとは言っても、合計ではたったコイン十二枚のプラス。彰の手持ちは四十六枚しかないのだ。最大までレイズされれば払いきれない。だが彰は、十二枚のコインを失った雫ももはや、最大までレイズする事は出来ないと踏んでいた。しかし今の発言を聞くに、はったりでなければ彼女はまだまだコインに余裕がありそうだ。
 それでも強気の態度を崩さずに彰は言った。
「やってみればいいだろう」
「クスッ、強情な子ね。勝負の世界で見栄を張ることが、どれほど愚かなことか教えてあげるわ」
 次の勝負の親は雫だ。コインがあるなら、賭け金を最大まで上げられる。
 カードが配り終わり、勝負が始まる。
「インディアン・ポーカー!」
 二人は同時にカードを額にかざした。
 雫のカードはハートの五。その数の低さから、高確率で彰に軍配の上がるカードだった。
 だが雫は自分のカードはおろか、彰のカードさえ気にせず賭け金を釣り上げていく。
「ダブルダウン。コイン四枚」
「コール」
「ダブルダウン。コイン八枚」
「……コール」
「さらにダブルダウン。コイン十六枚」
 彰はここで黙らざるを得なかった。明らかに雫は最大までレイズして、戦わずして勝つつもりだ。彰の手持ちは四十六枚。最大までレイズするには十八枚程足りない。
 それでも彰は雫の誘いに乗った。
「コール」
「本当にそれでいいの? ダブルダウン。コイン三十二枚」
「…………コール」
「最後よ、ダブルダウン。コイン六十四枚」
 沈黙する彰に、雫が白々しく言う。
「どうしたの? ここまで来てコールしないのかしら?」
 勿論雫は彰のコインが足りないことに気付いている。だからこそカードの強弱を度外視にしてレイズをしまくったのだ。
 実際に彰のコインは足りていない。このままでは勝負を降りるしかないのだから、雫の戦略は正しいと言えるだろう。
 だが雫には二つのミスがあった。一つは遊んで彰のコインを多少なりとも増やしたこと。もう一つは、確実に勝てるゲームで勝負に出なかった事。その二つのミスは、彰に好機を生み出した。彰がコールし続けたのを、雫は単なる意地だと思っているのだろうから、それも仕方のない事かもしれない。だがその詰めの甘さは、勝負において致命的な隙と成り得る。
 彰は横を向くと、秋に向かって手を広げた。
「秋。お前の持ってるコインを、俺に貸してくれ」
 雫が彰の言葉に、驚愕で目を見開いた。対して秋は素直に頷く。
「うん、いいよ」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。そんなのはルール違反よ!」
 コインを渡そうとする秋を、慌てて雫が止めた。
「何故だ?」
「なぜって……コインはギャンブルで勝ち取ると決まってるの。そんなインチキ認められるはずないわ」
「そんなことは知ってるさ。だから俺は貰うんじゃなくて、コインを借りるんだよ」
「屁理屈よ!」
「屁理屈だろうがなんだろうが、ルール違反にはならないはずだ。なぁ黒服さん」
 いきなり話を振られた黒服は、途惑いながらもしっかりと答えを返した。
「はい。コインの貸し借りは原則的に自由です。ただし貸した方は自己責任となり、もし借りた方のプレイヤーがバーストしコインが戻って来なくても、差し戻しは不可能です」
 ディーラーの言葉を聞いて満足気に頷くと、彰は勝ち誇った笑みを浮かべた。
「分かっただろ。これで俺はコールできる」
 秋からコインを受け取った彰は、コインをテーブルに投げて堂々と宣言した。
「コール」
 雫はその宣言を聞いて、カードを持ってないほうの拳を握ったまま固まっていた。
 信じられないといった表情で、呆然とテーブルの上にあるコインを見つめる。
「さぁ、早く決着をつけようぜ」
 彰は自信たっぷりに挑発した。
 それに対し雫はしばらく黙ったままだったが、やがてフフフと無気味な笑みを零した。
「それで勝ったつもり?」
 不敵な笑いに、彰は怪訝そうに眉を顰める。
「なに?」
「手札オープン」
 彰の疑問の声を無視して、雫はカードをテーブルに置いた。彰も訝りながらもカードを置く。
 そのカードを見た瞬間、彰は驚愕に目を見開いた。
「なんだと……」
 彰のカードは、ダイヤの三だった。
 雫のカードはハートの五。普通の勝負ならかなり弱い、だが彰の数字よりも確かに大きい数。
「これで私の勝ちね。コインは頂くわよ」
 雫はテーブルのコインを全て両手で引き寄せる。
「彼がバーストしたのだから勝負は終わりね。それじゃあ私は失礼するわ」
 席から立って去ろうとする雫。
 だが彰はまだテーブルにあるカードを見て、ある事に気がついた。
「待て雫!」
 足を止め、雫は振り返った。
「何かしら? 年上には敬語を使ってほしいものね。それでなくても敬称くらいはつけるべきだわ」
 雫の文句に取り合うことなく、彰は睨みを利かして言った。
「お前、イカサマをしたな」
「失礼な事言わないで。負け惜しみは見苦しいわよ」
「じゃあこれはなんだ!」
 彰は場に出ているカードを指差した。
「お前の手であるハートの五と、俺の手だったダイヤの三は最初のゲームで登場している」
 確かに、それは第一ゲームで不良男とOLが持っていたカードだった。
「へぇ、良く気付いたわね。だけどそれがなんなの?」
「ふざけるな! 最初のゲームでお前は親だった。その時カードを集めるふりをして、マーキングをしたんだろう!」
 マーキングとはカードに目印をつけるイカサマの一つだ。爪で傷をつけるなどして、カードの表を見なくても数字とマークを識別できるようにすることをいう。
 つまり雫はそのイカサマテクニックを使って、彰に自分の手より低いカードを渡したのだ。
「確かに私はマーキングが出来る状況だったみたいね。でも、それがなんだと言うの?」
「……なに?」
「私がマーキングしていたという確たる証拠があるの? いえ、もしあったとしても、このゲームはもう終わっているのよ。ゲームの最中に気付いたのならともかく、ゲームが終了した後でそんないちゃもんをいくらつけたところで、負け犬の遠吠えにしか聞こえないわ」
 彰は唇を噛んで黙った。
 雫の言う事は正論だ。ドロー・ポーカーで佐久間相手に同じ事をした自分に、ここでとやかく言う資格はない。
「分かった様ね。それじゃあ私はこれで失礼するわ。コインも溜まったことだし、次のゲームに進まなくちゃいけないから」
 歩き去る雫を見る事もせず、彰は自分の不甲斐なさに、俯いて唇を噛み締めていた。
 彰はコインを失った。それはゲームの脱落を意味する。秋のコインを借りることまでしたのに、彰は負けてしまったのだ。
 もはや借りたコインを秋に返す事すら出来ないという事実を悟った彰は、絶望で目に涙が溜まるのを感じた。
 もう二度と、陸斗や奏にも会えない。それどころか学校にも家にも帰れず、暖かい太陽の光を浴びる事も、美しい空を見上げる事も叶わない。
 今まで俺を無条件で受け入れてくれていた日常は、もはや手の届かないところへ行ってしまったのだ。
 蹲って溢れ出る涙を零す彰に、秋が心配そうに声を掛けてくる。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
 彰にはもう、その声すら聞こえていなかった。
 希望を砕かれた彰は、ただその絶望に心を引き裂かれ涙を流す。
「ねぇお兄ちゃん。ねぇってば」
 返事をしない彰に、秋は必死に呼びかけた。それでも彰はピクリとも動こうとしない。
 何を言っても反応を示さない彰に、秋は何を思ったのか、ポケットの中から何かを取り出してそれを彰に見せた。
 それは秋の残り十二枚のコインだった。
「これでしょ。これがあれば、大丈夫なんだよね? これあげるから元気出してよ、お兄ちゃん」
 彰は虚ろな瞳で、そのコインを見た。もう自分は手にする事が出来なくなったコインを。
 秋は持ってるんだよな……
 そう思った時、彰の頭に悪魔の考えがよぎった。
 このコインを奪えば、またゲームに参加出来る。
 思わず彰は唾を飲み込んだ。
 これさえあれば、戦える。陸斗や奏に会える……。
 何かに操られた様に、あるいは希望に縋る様に、彰は秋のコインに手を伸ばす。だがそれと同時に、幼い秋の顔が視界に映った。
 少し赤い頬。半開きになった唇。心配そうにこっちを見てくる瞳。あどけない表情。
 俺は今、何をしようとした……?
 秋の顔が目に入った瞬間、彰は不意に自分の意識を取り戻した。
 俺は、自分の代わりに、秋を犠牲に……。
 醜悪な思考を自覚し、彰は信じられない思いで自分が伸ばした腕を見た。
「あ……あ…………」
 自分のしようとした事に耐え切れず、彰が叫びだそうとした瞬間、秋が彰の顔を覗き込んできた。
「お兄ちゃん?」
 彰の喉から溢れ出たのは、わずかな呼気だけだった。
「お兄ちゃん大丈夫? 元気出してよ」
 呆然と自分を見てくる彰を、秋は健気に励ました。
 その相手が自分を犠牲にしようとした事などつゆとも知らず、ただ元気になって欲しいと必死に励ます。
 その姿を見て、絶望と自責に押し潰されかけていた彰の思考力が戻る。
 俺がこのまま自暴自棄になったら、秋はどうなる?
 自問した問題の答えは簡単だった。
 秋も自分と同じく脱落する。
 それだけはあってはいけないと、彰は咄嗟に首を振った。自分が脱落したとしても、秋にだけは絶対に勝ち上がらせなければならない。こんな所で、こんなにも純粋な子が、無茶苦茶に壊されるなんて事はあってはいけないのだ。
「ごめん、秋」
 一言だけ謝る。
 絶望の淵に座り込んでいた彰は、自分自身を奮い立たせる事でようやく、立ち上がった。
 自分の頬を両手で挟み込むように強くビンタする。
「よしっ! 悲劇のヒーロー気分は終わりだ!」
 そしてニィッと秋に向かって笑いかける。急に元気になった彰に、秋は目を丸くして驚いたが、すぐにパァっと花が咲いた様な笑みを浮かべた。
「お兄ちゃんが笑った!」
 キャッキャッと騒ぎ出す秋。彰も秋につられて笑みをさらに深めた。
 二、三分程騒ぐ秋を相手にしていた彰だったが、時間もなくなってきたため適当な所で切り上げると、早速行動を開始した。
「秋はまだコイン持ってるから、ゲームクリア目指してそれを溜めよう」
 彰はすでに、自分のコインを集める事を諦めていた。秋が助かれば、それでいい。
 分かっていないのか小首を傾げる秋に、彰は説明した。
「さっき秋はトランプタワー作ってコインを貰っただろ。あれみたいに……」
 そこで彰は気付いた。秋は自分にコインを十八枚渡した。それなのに今十二枚も残っているのは、トランプタワーを時間内に作ってコインを勝ち取ったからだ。あれは後払い制のゲームだったはずだ。ならばコインを持ってない自分でも参加可能なのではないだろうか?
「どうしたの? お兄ちゃん」
 心配してくる秋に、彰は昂揚してきた気持ちを抑え切れず早口に言った。
「秋。お兄ちゃんもトランプタワー作りたくなったから、さっきの所に戻っていいか?」
「うん」
 元気良く頷く秋。
 彰と秋は手をつなぎなら目的地へと向かった。その姿は、あまりにもこのゲームには似つかわしくない。
 テーブルに着くと、彰は挑戦する意思を黒服に告げる。
 秋も当然のように挑戦しようとしたが、このゲームは二度目の挑戦は出来ないらしく止められた。
 彰は秋の頭をポンと叩いてなだめると、一人席に着く。
「制限時間は一分。それまでに下から四段・三段・二段・一段のピラミッドを作る事が出来ればゲームクリアとなります。成功した場合はコイン二十枚が支払われますが、失敗した場合は同じくコイン二十枚を支払ってもらいます。よろしいですか?」
「ああ」
「それでは用意が出来次第声をお掛けください」
 彰は軽く深呼吸をしてテーブルを見た。
 多くのトランプがバラバラに散乱していた。数えれば二十六枚ピッタリあるはずだ。
 失敗すれば、彰に支払うだけのコインはない。つまり完全にゲームオーバーとなってしまう。だがここでそんな後ろ向きな事を考えて臨めば、不安を感じ取った指先が震え、敢えなくトランプは崩れ去ってしまうだろう。
 今度は深く深呼吸すると、よしっと声を上げ、黒服に準備オーケーの合図を送る。
「それではゲームを開始致します。よろしいですね?」
 最終確認に彰は無言で頷く。
「ゲームスタートです」
 目の前のタイマーがカウントを開始した。それと同時に彰はテーブルに散乱しているトランプを手に取った。
 慎重に、だが出来る限り速く二枚一組でトランプを立てていく。一度のミスがそれこそ地獄への落とし穴となるのを自覚し、手が汗で湿る中、彰は迅速且つ正確にトランプタワーを組み上げていく。
 土台となる四つ目の二枚のカードを立て、次のカードを取ろうとした時、彰の手が組み上げていたトランプに掠り、脆くも一組のトランプが崩れ落ちた。
 その瞬間彰の焦りが一気に倍加した。時間勝負のゲームにおいては、たった五秒の遅れであっても致命的だ。即座に崩れたトランプを元通り立ち上げ、その上にカードを床と平行になるように置く。
 二段目に差し掛かり、彰は緊張感を高めながら迅速にトランプを組み上げていく。だが一段目で失敗したという焦りが、彰の精密だった動きをわずかに阻害していた。
「残り三十秒」
 黒服の時間宣告を彰はもはや聞いていなかった。
 集中状態にある彰の世界には、音などというものはもはや存在していない。存在しているのは目の前のトランプタワーと指先の動きだけ。タイマーすら視界に入ってはいなかった。
 彰の思考は、ただカードを立ててトランプタワーを完成させる事だけに終始していた。
 三段目を組み上げ、残るはてっぺんの一組だけ。
 彰は片手にカードを一枚ずつ持ち、トランプタワーの頂上に最後の一組のカードを組み合わせた。
 タイムは?
 周りの音も景色も全て遮断するほど一心不乱にプレイしていたため、彰には時間内に終わったのか分からなかった。
 タイマーを見ようとするが、たった今完成させたトランプタワーが邪魔で数字が見えない。
 彰は勢い良く黒服を振り返った。
 黒服の口がゆっくりと開く。
「残り時間二秒。ゲームクリアです」
「や、やった!」
 全身から力が抜け、汗がどっと溢れ出した。
 クリアした……。俺は、やったんだ。
 天井を見上げ大きく息を吐いた。
 安心感と疲れで身体が動かない。
「お兄ちゃん凄い! ピラミッドがこんなに速く出来ちゃうなんて」
 秋が興奮して話し掛けてくる。彰は首だけ動かして笑いかけた。
「当たり前だろ。お兄ちゃんは、天才なんだよ」
 はしゃぐ秋を見ながら、彰は動かない自分の身体を見てさらに笑った。
 全く情けないな。たった一勝負やっただけで、こんなにも疲れが出るなんて。
 動けない彰に、黒服がコインを差し出してきた。
「ゲームクリアの懸賞金です」
 彰はそれを受け取ってさらに安堵する。
 これで、これでまたゲームに参加出来る。
 貰った二十枚のコインを強く握り締め、彰は手の中の希望を噛み締めた。
「お兄ちゃんどうしたの?」
 感動で涙を零す彰に、秋は心配そうに訊く。
 彰は頬を流れ落ちてくる涙を乱暴に拭くと、精一杯笑った。
「なんでもないよ。ただちょっと、嬉しかったんだ」
 ふーんと頷く秋。
 それから数分後ようやく席を立つと、カジノの中を歩き出した。
 まだ何のゲームをするかは決めていないが、とりあえずトランプゲームにしようとだけは考えていた。
 彰はトランプゲームにかなりの自信を持っていた。
 中学の頃、将来が決まっている人生に嫌気がさした彰は、ギャンブルにのめり込んだことがあった。その時に目をつけたのがトランプだ。トランプなら家でいくらでも戦略を立てられる上に、知らない人がいないから学校でも勝負が出来る。流石にインディアン・ポーカーなどはルールを説明したりしたが、卒業まで多くの学生と彰は勝負をしてきた。そのギャンブル行為はいつの間にか校内ギャンブルとなり、今も彰が通っていた中学には彼が形成したギャンブルシステムが残っている。その頃の経験が吉となり、彰はトランプゲームにおいての心理戦やイカサマを身につけていた。
 といっても、手持ちのコインは二十枚しかない。確実に勝てるトランプゲームなどあるはずもなく、彰が自信を持っているドロー・ポーカーとインディアン・ポーカーは既に戦略を知られてしまっている。ゲームにおいて、万が一にでも戦略を見抜かれている可能性がある勝負をするのは得策とは言えない。戦略は他にもまだまだあるのだが、コインが少ない今、あまり運に頼るゲームはしたくなかった。
 長い時間をかけて、彰はカジノの中を全て見回った。本当に多種多様のギャンブルゲームがあったが、確実に勝てると確信出来るゲームはとうとう見つからなかった。
 彰がどのゲームで勝負するかあれこれ悩んでいると、秋がスタスタとあらぬ方向に歩いて行ってしまった。
「お、おい秋」
 慌てて後を追うと、秋はトランプが置いてあるテーブルの前で立ち止まった。
 そのテーブルではまだゲームが始まっておらず、何をやるのかはまだ分からなかった。
 彰はそのテーブルの黒服に声をかける。
「ここじゃ何をやるんだ?」
「ダウトです。ルールは多少MLG用に変えられていますが、基本的には同じです」
「ダウト……」
 ダウトとは三人以上でプレイするトランプゲームだ。まずジョーカーを抜いた五十二枚のカードを均等に配り、プレイヤーが一から十三までのカードを順番に出していく。最終的には最初に手持ちのカードを全て場に出した者が勝者となるゲームである。ただしその際、カードは裏向きで場に出し、決められた数字以外のカードを出しても良いことになっている。
 だが嘘のカードを出し、それを他のプレイヤーにダウトと宣言されてしまえば、場にあるカードは全て自分の物となってしまう。それはダウトを宣言したプレイヤーも同様で、カードを出したプレイヤーが嘘をついておらず本当のカードを出していた場合、場のカードは全てダウトを宣言したプレイヤーの物となる。
 ルールは基本的にシンプルで簡単なのだが、このゲームには多数の欠点があった。場のカードを手に入れたプレイヤーが、同じカードを四枚集めてしまうと、そこで必ず安全にダウト出来るようになってしまうのだ。初めからそれを狙うプレイヤーもおり、中々終わらない事で有名なトランプゲームの一つだ。
 彰は口元に手を当てると、再度黒服に質問した。
「その変えられたルールってのを教えてくれ」
「はい。それではお座りください」
 言われるままに彰は腰を下ろした。すでにそのテーブルに座っていた三人のプレイヤーが、彰を値踏みするかのようにじっと見てくる。
 その中に、彰も見知った顔があった。
「三島、莉緒奈……」
「あんたも参加するのね。これは楽しい勝負になりそうだわ」
 三島はニヤッと邪悪な笑みを浮かべた。彰は警戒心を強めながら、余裕に満ちた声で返す。
「まさかこんなに早く、お前と戦うことになるとは思わなかったよ」
「どこかの漫画みたいな台詞ね。死亡フラグとして受け取っておくわ」
「勝手にしろ」
 吐き捨てて、彰は黒服を見た。それを合図と取ったのか、黒服は説明を開始する。
「このゲームが元来のダウトと違う点は、ダウトの宣言をされゲームが中断された場合、改めてゲームを始める時は次のカードからではなく同じカードから始める事。嘘のカードをダウトされたプレイヤー、もしくはダウトに失敗したプレイヤーは、場のカードではなく、場のカードと同じ枚数分だけ新たに空けられたデッキからカードを貰うという二つの点です。コインは各々が賭けたい分だけ賭け、一位になったプレイヤーが自分の賭けた分の二倍のコインを獲得する事が出来ます」
 彰はルール説明を聞いて納得した。
 これならばダウトの穴であったカードの独占などがなくなる。相手の心理を読む技術やポーカーフェイス、そして運だけが勝敗を決める公正なゲームになる訳だ。
「このルールを聞いて、ゲームを降りるプレイヤーはございませんか?」
 席を立つ者はいなかった。
「それではゲームを開始させていただきます。皆さんコインをお賭けください」
 彰は迷わず持っているコインを全て賭けた。他のプレイヤーもコインを場に出すが、賭ける額はまちまちで、少ない者は十枚程度、多いものは二十六枚も賭けていた。
 全員がコインを出したのを確認して、黒服がカードを配り出す。
「最初にカードを出すプレイヤーは、このテーブルに最初に着席した三島様にお願いします。それからは逆時計回りの順番で進めてください」
「あら、私からなの? それじゃあ最初は一ね」
 三島が一枚のカードを裏側で場に出す。
 続いて、左隣にいた元プレイヤーらしい体格のいい坊主頭の男がカードを出す。
 続いて自分に順番が回って来ると、彰は躊躇う素振りを見せずに即行でカードを出した。
「三」
 迷う素振りが無かった彰に訝しげな視線が送られるが、彰は素知らぬ顔で受け流す。
 結局ダウトを宣言するプレイヤーはおらず、ゲームはそのまま続いていった。
「四」
 最後に彰の左隣にいた蝶ネクタイをした男がカードを出す。
 この男がカードを出した後も、誰一人ダウトを宣言しなかった。
 一周して三島に順番が回ってくる。そしてまたも何事も無く一周した。
「十」
 そして三周目に入り、坊主頭の男がカードを場に出した時、彰は動いた。
「ダウト」
 その宣言を聞き、坊主頭の男が目を見開いて呆然と彰を見る。そんな中、黒服は一番上のカードを表にして確認した。
「工藤(くどう)様が出したカードは四、つまり嘘のカードを出していたため、場にある十枚のカードと同じ枚数だけ、別のデッキから工藤様にカードが追加されます」
「クソォ!」
 人を射殺すかの様な目で坊主頭の男が彰を睨んできたが、彰は澄ました顔でそれを受け流した。
「それでは彰様。工藤様が最後に出すはずだった十のカードから、場にカードを出してください」
「十」
 これも彰は迷い無くカードを出した。
 何の躊躇もなくダウトを宣言した彰に、プレイヤー達は警戒の目を向ける。だが最初のカードをダウトしても意味がないため、ここでダウトが宣言される事はなかった。
 そこからもゲームはゆっくりと進行していくが、場の緊張感は一度ダウトが宣言された事によって跳ね上がっていた。誰もがカードを出す時に迷い、慎重に選ぶ。そんな中、彰は無表情を装いながら内心回りのプレイヤーを嘲笑っていた。
 このプレイヤー達は、勝負の心得ってやつを知らないみたいだな。
 それは中学の時、ギャンブルにのめり込んだ彰だからこそ言える台詞だった。
 学内でやる賭けにも飽きてきた彰は、街に行って色んな人間と賭けをした事がある。そこでは平均の年齢は勿論の事、経験や技術、全てが学内とは段違いのレベルだった。ボロボロに負けて帰った彰はある日から、熟練のプレイヤーから師事を仰ぐようになった。そして彰はギャンブルとは何かとういう事を、詳しく教えてもらったのだ。
 その一例がこんなものだ。
『いいか、ギャンブルってのは学校のテストなんかと違って答えなんて物は存在しない。スポーツや殴り合いと違って、身体能力や腕っ節は関係ない。ギャンブルに必要なのは、技術と頭とポーカーフェイスだ』
 割と偏っているとも思うが、その通りだとも思う。
 目の前のプレイヤー達は、必死に何を出すか考え思考を巡らせているようだが、肝心のポーカーフェイスが出来ていない。表情を露わにするというのは、もはやカードを表にしてプレイしているといっても過言ではないのだ。それをこのプレイヤー達は分かっていない。それともう一つ、このプレイヤー達は重大なミスを犯していた。
「十二」
 三島が彰から見て左から二番目のカードを出した。
 続いて坊主頭の男が場にカードを出し、彰の順番回ってきた。
「一」
 そして次の蝶ネクタイの男は、右側のカードを見ていた視線を左に移しカードを場に出した。
「ダウト」
 彰はカードが場に置かれた瞬間にはもう口を開いていた。蝶ネクタイの男がさっきの坊主頭と同じく呆然とこちらを見たが、彰は先ほどと同じく無表情でそれを受け流した。
「加藤(かとう)様が出したカードは九、つまり嘘のカードを出していたため、場にある六枚のカードと同じ枚数だけ、別のデッキから加藤様にカードが追加されます」
 絶望の表情でカードを受け取る加藤。それに構う事なく黒服はゲームを進めた。
「それでは三島様。加藤様が最後に出すはずだった二のカードから、場にカードを出してください」
 彰に更なる警戒の視線を向け、三島は慎重にカードを取るとゆっくりと場に伏せた。
「二」
 誰もがダウトすることはなかったが、全員の思考時間が長くなり、かなりゆっくりと一周してまたも三島に順番が回ってくる。
 三島は彰だけを警戒し、慎重にカードを置いた。
「六」
 ダウトの声は聞こえず、坊主頭に順番が回る。
 坊主頭は誰を警戒することなく、ただただ自分のカードだけに集中して何を出すか選ぶ。
「七」
 ここでも誰もがダウトを宣言しなかった。
 彰は自分の番が回って来ると、ほぼ迷わずカードを選択して場に出した。
「八」
「ダウト」
 予想外にも、彰のカードは蝶ネクタイによってダウトを受けた。
 内心の驚愕を押し殺し、彰は眉を軽く動かす。
「彰様が出したカードは三、つまり嘘のカードを出していたため、場にある七枚のカードと同じ枚数だけ、別のデッキから彰様にカードが追加されます」
 彰以外の三人が、トッププレイヤーだと思われていた男にダウトが成功した事で志気が高まったのか、笑みや安堵の表情を見せると、次に挑戦的なやる気を出していた。
 思わぬアクシデントに彰は心の中で舌打ちしたが、すぐに平静さを取り戻し、落ち着くよう自分に言い聞かせた。
 偶然のダウトが当たっただけだ。予定は多少狂ったが、誤差の範囲内。修正は容易だ。
 誰にも気付かれないように小さく深呼吸すると、目の前のゲームメイクに集中した。
 その後彰がダウトされたせいか、頻繁にダウトが続く中ゲームは進んでいった。
 全員の手札の残り枚数は、三島・三枚、坊主頭・二十枚、蝶ネクタイ・十四枚、そして彰が五枚となった。
 最低枚数が少なくなるにつれて、場の緊張感は高まっていく。
「四」
 三島の手札が残り二枚となる。全員の警戒が彰ではなく三島に移りかけていた。
「五」
 坊主頭がたっぷりと時間をかけてカードを出す。
 順番の回ってきた彰は、前半と変わらず一瞬の迷いすら見せずに速攻でカードを出した。
「六」
 蝶ネクタイも続いてカードを出し、再び三島のターンが回ってきた。
「七」
 三島が慎重にカードを出す。残り一枚となったが、心なしかカードを握る手が震えていた。
「ダウト」
 目敏くそれに気付いたのか、蝶ネクタイがダウトを宣言した。
 黒服が場のカードをめくる。
「三島様が出したカードは七、つまり嘘のカードを出してはいなかったため、場にある七枚のカードと同じ枚数だけ、別のデッキから加藤様にカードが追加されます」
「なっ」
 絶対の自信を粉々に砕かれ、蝶ネクタイは鳩が豆鉄砲食らったような顔をして固まった。
 やはり手の震えはフェイクだったか。
 彰はギャンブルにはまった時期、ああいった誘いのフェイクを山ほど見た。少し注意して観察すれば、本当に震えているのかそうでないのかはある程度分かる。
 だがこれで三島のカードは残り一枚となった。あれが順番的に嘘のカードでなければゲームは終わりだ。一位以外コインを貰えないこのゲームでは、惜しかっただの二位だのの言い訳は通用しない。
 彰は今日一とも言っていい集中力で三島を見た。いや、観たといった方正しいかもしれない。鷹の様な鋭い目は、得物を前にした獣を想像させる。
 三島がこちらを見そうな気配に、彰は自分の顔をカードで隠した。警戒されるわけにはいかない。
 彰はここが正念場だと感じていた。状況的にも感覚的にも、彰の経験がそれを告げている。
 坊主頭がカードを場に出す時も、彰は坊主頭には一瞥もせず三島を見ていた。
 彰の番が回ってくると、流れ的に三島も自分を見るので、様子を窺うのは中断せざるを得ない。
 だが彰はこの僅かな時間で、ある確信を得ていた。
 それは三島の手が、次で確実に上がれるカードであるという確信だった。
 三島の態度には焦りという物が見られない。確かに緊張はしているし、警戒をしているのも見て取れるが、三島の仕草や表情にはどこか安心感があった。余裕と言い替えてもいい。とにかく、三島には他のプレイヤーが持っている切羽詰った危機感みたいなものがないのだ。
「八」
 カードを場に出して、彰は頭をフル回転させ現状を打開する方法を考える。このまま行けば三島が勝つのは決定的だ。どうすればそれを防げるか……。
「九」
 蝶ネクタイがカードを出し、あとは三島が最後の一枚を捨てるだけとなった。
 三島の手がゆっくりと動く。
 三島がカードを場に出す前に、彰は大声で宣言した。
「ダウト!」
 三島がそれを聞いてニヤッと笑う。勝利を確信した、敗者を嘲笑うかのような笑みだった。
「残念ね。私のカードは……」
「誰がお前のカードと言った? 俺はそこの蝶ネクタイのカードをダウトしたんだ」
「え……」
 三島の声を遮って彰は続けた。その言葉に三島は呆然と目を見開く。
「加藤様が出したカードは九、つまり嘘のカードを出してはいなかったため、場にある三枚のカードと同じ枚数だけ、別のデッキから彰様にカードが追加されます」
 三枚のカードが彰に追加される。
「それでは三島様。加藤様が最後に出した九のカードから、場にカードを出してください」
 黒服の言葉に、三島の表情が固まる。
 それを見て、口角を吊り上げる彰。
 三島は歯噛みしながら、手にある一枚のカードを場に出した。
「九」
「ダウト」
 間髪入れず彰が宣言する。当然三島が出したカードは九ではない。
「三島様が出したカードは十、つまり嘘のカードを出していたため、場にある一枚のカードと同じ枚数だけ、別のデッキから三島様にカードが追加されます」
 親の仇でも見るような目で三島は彰を睨んだ。彰は勝ち誇った笑みで三島を見返す。
 黒服からカードを受け取った三島が、一瞬苦い顔をする。どうやらいいカードは得られなかったようだ。
「九」
「ダウト」
 カードが場に置かれると同時に三島が宣言した。自棄になった様子はないので、おそらく手札が自分の順番で出す数字の次の数なのだろう。これで坊主頭の出したカードが嘘のカードならば、三島は次の自分のターンで上がれる訳だ。
 だが彰が妨害する必要はなかった。
「工藤様が出したカードは九、つまり嘘のカードを出してはいなかったため、場にある一枚のカードと同じ枚数だけ、別のデッキから三島様にカードが追加されます」
「くっ……」
 三島は大きく舌打ちし、テーブルを叩いた。明らかな苛立ちを露わに、追加のカードを受け取る。
 そこからの三島は酷かった。やることなすことが全て裏目に出て、短時間で手札が膨れ上がり、もはや勝利する事が不可能な量にまで手持ちのカードが溜まった。
 彰はその間に手札を残り二枚にまでにしていた。
 ポーカーフェイスを崩さない彰の手札を読む事が出来ず、三人はどのタイミングでダウトすべきか決めあぐね、結局この枚数まで減らされてしまったのだ。
「十一」
「…………ダウト」
 坊主頭が躊躇いがちに宣言した。彰の手を読んだわけではなく、上がらせたくないからとりあえずダウトしたという所だろう。ダウトで一人のプレイヤーがラストに近付くとありがちな現象だ。
「彰様が出したカードは十一、つまり嘘のカードを出してはいなかったため、場にある三枚のカードと同じ枚数だけ、別のデッキから工藤様にカードが追加されます」
 その瞬間彰が微かに笑った事に、三島は気付いた。彰はこれまで、ダウトが成功しようが失敗させようが表情を崩す事はなかった。だが、彰は今確かに笑った。果たしてその意味は……。
「それでは加藤様。彰様が最後に出した十一のカードから、場に出してください」
 坊主頭がダウトに失敗した事で、彰の手札はもはや一枚となっている。次に彰の順番が回ってきた時、それが正しいカードであれば彰の勝利が決定してしまう。
 さっきとは全く逆の立場に、三島は歯痒い思いを感じながらひたすらに考えた。
「十一」
 蝶ネクタイがカードを出した。
 三島の番になるが、三島はピクリとも反応せず思考に没頭していた。
「三島様、順番になりましたので、速やかにカードをお出しください」
 黒服の催促も無視して、三島は必死に彰に勝てる方法を模索した。
 そしてふと気付く。
 今の自分の状況がさっきの彰の状況と一緒なら、彰と同じ事をすれば勝てるのではないだろうか、と。いや、勝てはしなくとも、彰の勝利を妨害することはできるかもしれない。
 彰が三島を嵌めるためにした事は。
「ダウト」
 三島はカードを出さずにダウトを宣言した。
 彰は自分の手を崩すために、適当な所でわざとダウトした。そうすることでカードの順番を狂わせ、三島が上がる事を阻止したのだ。
 三島はそれをそのまま彰に返した。彰の前のプレイヤーでダウトしては悟られている可能性があるので、三つ前の蝶ネクタイでダウトした。
 彰の無表情が一瞬だけ崩れたのを見て、三島はこのダウトが成功したのだと確信する。すぐに無表情の仮面を張りなおしたようだが、もう遅い。
 そしてとうとう彰の順番が回ってきた。
 彰は最後のカードを出さず、手を止める。
「どうしたの? 早く出しなさいよ」
 三島が挑発するように彰を促した。
 彰はゆっくりと自分のカードを場に出す。
「十三」
「ダウト」
 彰がカードを出したと同時に、三島はダウトを宣言する。
 勝者の笑みを浮かべて、三島は彰を見た。
 当然彰が苦虫でも噛み潰したような表情をしていると思っていた三島だが、目の前にいる男は自分に向かって嘲るような笑みを向けていた。
「お前、自分が勝ったとでも思ってるのか?」
「なんですって……」
 余裕を露わにした彰の言葉に、三島は眉を顰める。
「お前が俺の真似をして、だが俺に見抜かれないように、そこの蝶ネクタイをダウトする事は分かってた。俺の表情を見てお前が勝利を確信した事もな」
「どういう…………意味よ」
「もう分かってるんだろう? つまり……」
 彰は自分が場に出したカードを自ら引っくり返した。
 表に印刷されているのは、彰が宣言した通りの不吉を表す十三の文字とマーク。
「俺の勝ちだ」
 勝ち誇って、彰は高らかに宣言した。
 その瞬間、彰以外の全員が絶望のあまり三者三様の反応を示す。
 坊主頭はテーブルを叩いて絶叫し、蝶ネクタイは涙を流して失意のどん底に身をうずめた。
 そして三島は、呆然としたかと思うと、憎しみを全てぶつけるかのような凄まじい形相で彰を睨みつけた。
 そんな中、黒服が彰に声をかける。
「ゲームクリアおめでとうございます、彰様。こちらが獲得コインとなります」
 黒服が差し出してくるコインを受け取って、彰はすぐさまそのテーブルを離れた。後ろから殺気とも思える悪寒が突き刺さってきたが、振り向く事はしなかった。


 コインを四十枚にしたはいいが、ゴールにはまだほど遠い上、彰は秋の分のコインも集めなければならない。そう考えるとまだ一割のコインしか集めていない彰だったが、このコインを元手にどう稼いでいくかは、すでに考えていた。
 さっきまではゲームのルールなどに重点を置いていたから気付かなかったが、よくよく観察してみると、このカジノのプレイヤーは弱い奴と強い奴が意外とはっきり分かれていた。
 カード捌きが拙い奴や、オドオドして中々勝負に出ない奴は明らかに弱いプレイヤーだ。一方強いプレイヤーは、それぞれに独特な雰囲気がある上、余裕の態度を常に保ちながらゲームをプレイしている。絶対に負けるわけないと自信満々でいる奴は、単なる馬鹿かイカサマでもしているのだろう。
 ともかく、それさえ見分けられればあとは簡単だ。弱いプレイヤーを探し出してカモにすればいい。褒められた手とは言えない。それはむしろ完全に悪の手口だが。危険を最小限に抑えてゲームをクリアするにはそれしかない。もっともこれは、コインが多く集まっていて出来る手だ。
 少ないコインしかない場合、弱いプレイヤーががむしゃらにコインを賭けてきたら、こちらのコインが足りなくなったり、都合良くその勝負だけ相手に運が向いていたりして負けてしまう事がある。事実彰は、昔それと同じ事態に何回か遭遇し、敗北を喫している。そのもしもを考えれば、もう少し元手になるコインが欲しかったが、制限時間もある。そう悠長にプレイしている時間はなさそうだった。
 焦りながら、それでも慎重に対戦相手を探し勝負すること一時間半、彰はコインを二百二十四枚にまで増やす事に成功した。しかしその代償として、残り時間はもう三十分と少ししかなくなっていた。一人分は溜まっているが、二人分には程遠い。
 コインの大量に賭けてプレイすれば、あるいは目的の四百枚まで稼ぐことは可能かもしれないが、それには大きな危険が伴う。それに実際にプレイして気付いた事だが、どのゲームでも自信のないプレイヤーほど、多くのコインを賭けるような勝負には挑まない傾向がある。雫のようなプレイヤーは稀で、殆どのプレイヤーがコインを三十枚以上賭ける勝負は避けていた。そんな中、不足分のコインを増やすのは困難を極める。こうなれば、危険を覚悟して強そうなプレイヤーに挑むしかないかもしれない。覚悟を固めるために大きく深呼吸した時、カジノの天井に張り付けられたスピーカーから無機質な声が降ってきた。
『プレイヤー・上客の皆様。これより十五分後、部屋の中心にて特別ゲームを開催いたします。このゲームをクリアしたプレイヤーには、カードキー交換に必要となるコインの不足分が懸賞金として支払われます』
 その言葉にカジノ内が騒然となる。
『しかしもし失敗した場合、その時点でゲームオーバーとなります。五分後に詳しいルールの説明を再度放送いたしますので、各々のゲームに一区切りをつけるようお願い致します』
 それだけ告げて、声が途切れる。あまりに唐突な宣告に、プレイヤー達に動揺が広がる。かくいう彰も、ハイリスク・ハイリターンのゲーム提示に驚きを隠せなかった。
 普通に考えれば明らかに罠だ。この手のトラップは必ずと言っていいほど勝利不可能なゲームが課される。安易に一発逆転を狙う者を容赦なく叩き潰す、それだけを目的とするゲーム。
 しかし彰は、それが愚かな事だと分かっていながら、この特別ゲームの懸賞金の魅力に引きつけられていた。彰には時間がない。おそらくこのままでは、コインを集める前にタイムアップになり、MLGを脱落してしまうだろう。ならばこそ、ここでの一発逆転の誘惑は彰にとって絶大な効果があった。それが罠だと知りながらも、手を伸ばしてしまいたくなるほどに。
『それでは、ゲームのルールを説明させていただきます』
 彰の思考を遮るかのように声が割り込んでくる。どうやら、考えている内に五分が経ってしまったらしい。
『ゲーム内容は単純です。このゲームに参加される方には、一対一のドロー・ポーカーの勝負を見学してもらいます。勝負は三回行われ、その後ゲームで行われたイカサマを答えていただきます』
 つまりこのゲームは。
『そう。特別ゲームのクリア条件は、イカサマを見抜く事です。それができれば、このステージはクリアとなります。もちろん参加不参加は自由となります。参加の意思があるプレイヤーは、十分後部屋の中心にお越しください』
 必要事項だけを告げ、煽る事も脅す事もなしに放送が終わる。明かされたルールはいたって単純であるが、それゆえに難易度が限りなく高いものだった。ポーカーには多くのイカサマがあり、それを見抜くのは容易ではない。熟練者が行うイカサマは、匠の技と言ってもいいほどの華麗さがあるのだ。
 事実、彰は中学時代、イカサマを仕掛けられている事は分かっているのに、どんなイカサマか見抜けず辛酸を舐めた事が多くある。
 その経験を踏まえるなら、この特別ゲームへの参加は愚行だ。しかしこのチャンスを逃せば、ゲームをクリアできる可能性は限りなく低くなる。強そうなプレイヤーに狙いを絞って挑んだとしても、負ける可能性が高い上、心理戦が加わる分時間も浪費する。あと三十分を切った残り時間では、コインを稼ぎ切る事はほぼ不可能だろう。どちらを取っても分が悪い賭けである事に変わりはない。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
 難しい顔で考え込む彰を覗き込むようにして秋が訊ねる。彰は思考を中断して、秋の頭を軽く撫でた。
「心配するな、秋」
 気休めにしかならない言葉を、秋は素直に信じて笑う。
 彰は天井に向けて深く息を吐くと、覚悟を決める。
「よし、行くか」
 秋の手を引いて、歩き出す。
 人波を縫うように進み、二人は入り口近くの交換所の前で止まった。彰は秋に二百枚のコインを手渡す。
「コインの利子付き返却なら、文句も言われないだろ。これでカードキーを返してもらって来るんだ」
「分かった」
 お使いを頼まれた子供のように、秋はコインを大事そうに抱えて、交換所に向かう。これで、秋のゲームクリアは確約された。
 カードキーを取り戻してきた秋と目線を合わせ、彰はベンチを指さす。
「あそこで俺が返ってくるまで待っててくれ。すぐに戻ってくるから」
「お兄ちゃんどこか行くの?」
「あぁ、ちょっとな。いいか。誰かに勝負しようとか言われても絶対受けちゃダメだ。じっとここで待ってるんだぞ」
「分かった。僕いい子で待ってる」
「よし」
 ポンポンと頭を叩き、秋に背を向けて彰は部屋の中心に向かった。
 特別ゲームをプレイする事を決めたのに、絶対的な自信があったわけではない。ただ、そっちの方がまだ可能性がありそうだったからという、実に希望の薄い予測に従っただけだ。イカサマを見抜くのは得意ではないが、観客の立場として観察できるのならまだ勝機はある。しかも必ずイカサマをしていると分かっているのだ。対面して勝負しているよりよほど、見抜ける可能性は上がるだろう。
 不安からプラスの要素だけを考えて歩いていると、彰の前進を妨害するように誰かが横合いから出てきた。
 見覚えがあるどころではない、その姿。
「こと、ね……」
 名前を呼ばれ、立ち止まって横目で彰に視線を向ける琴音。
「何か用?」
「え、いや、その……」
 咄嗟に呼び止めたはいいものの、何を言っていいか分からず口ごもる。
 そんな彰の様子を見て、先に琴音が口を開いた。
「特別ゲームに参加するつもり?」
「あ、あぁ」
「どうせクリアできないんだから、やめておいた方がいいわ。それじゃ」
 背を向けてあっさりと躊躇いなく去っていく琴音。残された彰は、いつも自分を信じてくれた琴音の、信頼などまるで感じさせない言葉にショックを受けて立ち尽くした。予測していたはずだった。ゲーム開始直後の琴音の様子を見れば、この反応はむしろ予想通りの結果だった。しかし、それでも彰は動揺を押し殺す事ができなかった。琴音の一挙手一投足、言葉の一語一句が、彰の心に刃となって突き刺さる。予想していようがどうしようもなかった。それほどまでに、琴音は彰にとって大きな存在となっていたのだ。
 唇を噛み締め、彰は再び歩き出す。ここで立ち止まっている暇はない。
 琴音の助言と言う名の警告を無視する形になるが、それは仕方ない。もうこれ以外に、彰がゲームをクリアする方法はないのだから。
 部屋の中心まで来ると、そこには三・四十人の人間が集まっていた。彼らも彰と同様、このゲームに全てを掛けるつもりなのだろう。
 先の放送から丁度十分が経ち、お立ち台に上った黒服が声を張り上げた。
「特別ゲームに参加の皆様、こちらにステージを用意いたしました。各ステージの上限は十人です。覚悟が決まった方よりお入りください」
 それだけ言って、黒服は台から降りる。その後ろには赤い垂れ幕で仕切られた入り口が五つあった。
 彰は周りが狼狽える中、迷い事なく進み出て五つの中の一つに入った。
 中にはテーブルを挟んで対面する二人の男性と、カードをカットしている黒服がいた。椅子に座る男の一人は、髪を茶色に染めたいわゆるチャラ男。もう一人は前髪を目元まで垂らした地味男。対照的であり、ギャンブルに似つかわしくない容姿の二人だった。
 彰の後ろから他のプレイヤーも入ってくる。人数は六人。
「それでは、改めてルールの説明をさせていただきます」
 ゴホンと咳払いをし、黒服が話し始める。
「放送にもあった通り、いまから一対一のドロー・ポーカーでこのお二方が勝負なさいます。ゲームは三ゲーム。ジョーカーはあり。カードの交換は一度。イカサマを見抜ければゲームクリアとなります。勝負はどの位置から見るも自由です。勝負中のお二方のカードを見ても一向に構いません。尚、この特別ゲームは一人しかクリアする事ができません。つまり、イカサマを最初に見抜いたプレイヤー一人だけが勝ち抜けるということです。解答権は一回。勝負の最中にカードに触れる行為は禁止。また、解答以外の発言も禁止します。質問はございますか?」
 全員が一様に口を閉ざす。
「それでは、まずはプレイヤーの皆様にカードの確認をしていただきたいと思います。この時点でのイカサマがないことを証明しなければ、ゲームになりませんので」
 黒服が手に持っていたカードを、一番近くにいた彰に渡す。それを受け取り、彰は入念にカードをチェックした。並びに作為はないか。カードに傷はないか。大きさは同じか。手触りに差異はないか。匂いはついていないか。一枚一枚入念なチェックを繰り返す。カードへの細工は一番ポピュラーなイカサマだ。もしわずかにでも見逃しがあれば、それだけでこのゲームのクリアはなくなる。五分以上も掛けてカードのチェックを終え、隣の男に渡す。彰が必要以上に時間を掛けたためか、男は一通りカードを見ただけですぐに隣のプレイヤーにカードを渡した。そしてすべてのプレイヤーがカードのチェックをした後、カードは再び黒服の手に戻る。
「では、ゲームを始めたいと思います」
 黒服が慣れた手つきでカードを配る。
 彰は慌てて黒服の手元を注意して見た。一番上のカードを本当に配っているか確かめる。熟練者ならば素人目には分からないさりげなさで、上から二番目や三番目のカードを配る事も可能だ。だがそれは杞憂だった。黒服がこの時点でイカサマをしている様子はない。彰は立ち位置を移動し、まずはチャラ男の斜め後ろからゲームを観察する事に決めた。チャラ男の手札は左から順に、ハートの五、ダイヤの十三、ハートの九、スペードのエース、スペードの五となっていた。
 彰が勝負している立場ならば、二枚の五のカードを残して全て交換する。強いエースのカードも残すという選択肢もあるが、ジョーカーがデッキの中に入っているこのゲームでは、少しでもそれを引く可能性は上げておきたい。チャラ男も彰と同じ考えだったのか、二枚の五のカード残して、三枚のカードを交換した。黒服から配られたカードをそのまま手札に加える。入れ替えた様子はない。加えられたカードはダイヤの八、クローバーのキング、スペードの三。役はキングと五のツーペアだ。
「それでは手札オープン」
 チャラ男は持っていた手札をそのまま表にする。
 地味男の方の役は七と四のツーペア。数字の優劣で、チャラ男の勝ちだ。この結果だけを見るなら、イカサマをしていたのはチャラ男の方となるが、いかんせん役が小さすぎる。イカサマをするのならもっと大きい役を作れるだろう。それに彰の見る限りでは、チャラ男に不自然な動きはなかった。
 逆に考えてみよう。今の勝負、地味男がイカサマをしていたという事はないだろうか? つまり、わざと負けるようイカサマをしたという可能性はないか? 何も自分が勝つように仕組むだけがイカサマではない。むしろイカサマを見抜くというこのゲームの性質上、そっちの可能性の方が大きいようにも思える。イカサマは勝つためにするもの、という先入観を利用してプレイヤーを引っ掛けているのだ。それならば、地味男の方こそ注視するべきなのかもしれない。
 彰は再び移動して地味男の斜め後ろに陣取る。言うまでもない事だが、思考の最中もカードを扱う黒服から目を逸らしたりはしていない。
 地味男に配られた手札は、スペードのクイーン、スペードの八、スペードのジャック、ハートの三、スペードの九だった。これはもう一択だろう。ハートの三を交換し、フラッシュ、あわよくばストレートフラッシュを狙う。そしてこれだけ大きい役ならば、イカサマをする可能性は充分にある。むしろここまでお膳立てされた状況こそイカサマではないかと疑いたくなる。
 地味男は彰の予想通りハートの三を交換した。黒服からカードが配られる。それを受け取り、手札に加える。一連の動作に不自然な点はなかった。地味男が受け取ったカードはクローバーの十。フラッシュは逃したものの、ストレートの役が完成した。
「手札オープン」
 黒服の合図で二人のカードが露わになる。
 地味男は八からクイーンのストレート。チャラ男はジョーカーを含めたエースのスリーカード。
 地味男の勝利だが、チャラ男の方がジョーカーを持っていたのが気に掛かる。ジョーカーというワイルドカードは非常に重要な役割を持つ。他に一つペアを持っていただけで役はスリーカードになり、先の地味男のような手札で来た場合、役はストレートフラッシュにまで大きくなる。イカサマに焦点を当てるなら、ジョーカーを見逃すわけにはいかなかった。場に出たジョーカーを注視する。特に変わっている様子はないが、目に見えない小さな傷がついていたりしたら判別のしようがない。しかし配るのが黒服である以上、イカサマは難しい。黒服との共謀の線も考えなければならないが、それはやはり次のゲームの結果次第だろう。
 彰が考え込んでいると、不意にチャラ男の後ろにいた巨漢が声を上げた。
「分かったぞ」
 静かに、だがはっきりと巨漢は断言する。
「それはイカサマを見破ったと受け取ってよろしいのでしょうか」
「そうだ」
 黒服の質問を肯定する巨漢。もしその言葉が真実なら、このゲームは巨漢男の勝利で終わりだ。彰はゲームオーバーとなる。だが宣言がなされた以上、なすすべもなく黙って成り行きを見守るしかない。
 巨漢は手を上げると黒服を指さした。
「お前がマーキングか何かをして、配る時にジョーカーのカードをこの男に渡したんだろ。そして勝利を誘発しようとした。違うか」
 迷いなく巨漢は断言する。しかし、たとえそれが真実だとして、肝心の黒服がジョーカーを見分けた手段や渡したタイミングを当てずに解答を導き出した事になるのだろうか。だがそんな彰の疑問は無駄だった。
「不正解です」
「なっ……」
「ゲームオーバーです。退室ください」
 要請と同時に入り口から黒服が二人現われ、巨漢を拘束する。
「ま、待て。嘘だ! 絶対あいつはイカサマをしてた! ふざけるな! なんで俺が敗退なんだぁ!」
 叫びながら暴れるも、あえなく連れて行かれる巨漢。これで巨漢の言っていたイカサマの線は消えた。選択肢が狭まるのはこちらとしては好都合だった。
「それではゲームを再開致します」
 黒服が場のカードを集め、シャッフルし始める。ラストゲーム、彰は黒服の正面、つまり両者の真ん中の位置からゲームを観察する事に決める。
 カードが配られ、ゲームが開始される。斜めとはいえ両者に挟まれる形なので、カードの表は見えない。しかし、彰はもうカードを見てはいなかった。両者の表情、目線を素早く動かしそれだけを凝視する。一流の勝負師なら、イカサマをする時の表情や態度はまるで変わらない。ポーカーフェイスと呼ばれるだけあって、事ポーカーの勝負においてそれは顕著だ。
 しかし、彰が最も得意とするのは相手の表情を読む事だった。一見すれば難しいかもしれない見抜きテクだが、彰が狙っているのはイカサマをしている最中の表情ではなかった。イカサマをし終わり、わずかにでも安堵した表情だ。人は何かを成し遂げた時、気が緩む。そこに気付くことができれば、逆算でイカサマを見抜ける可能性はある。彰は集中して二人の顔を睨むように観察する。しかし二人ともゲームの最中だというのに、終始どこか余裕げな表情をしていた。見抜けるわけがないと高をくくっているのか、それとももうイカサマをし終わっているのか。結局、彰は二人の表情の変化を見つける事はできなかった。
「手札オープン」
 チャラ男は九のワンペア。地味男は二のスリーカード。地味男の勝利だ。
 黒服は場に出ていたカードを回収し、周りに立っていたプレイヤーを見渡した。
「これでドロー・ポーカー勝負は終了となります。プレイヤーの皆様、現時刻から五分以内にこのゲームのイカサマを導き出してください」
 黒服が隣に置いてあったタイマーのボタンを押す。赤い数字が一秒ごとに数を一つ減らしていく。
 結論から言えば、彰はこの勝負のイカサマを見抜く事ができなかった。ゲームの最中に見抜けなかったイカサマを、ゲーム終了後にいくら考えても分かるはずはない。
 つまり、これでゲームオーバー。今後はどこかに売られでもするか、目の前の黒服のように一生MLGの駒として使われるのだろう。
 大きく息を吐く。
 雫に負けてコインを失った時とは違い、大きな絶望はなかった。ただ身体の力が抜けていき、何か込み上げてくるものが胸の辺りを苦しくさせた。
 完全に負けた。MLGというゲームに。秋を見捨てればクリアはできただろう。だが琴音を失ったいま、秋まで見捨てては、自分を保っていられないだろう。心が強いとか弱いとかそういう問題じゃない。
 人としての一線を明確に外れてしまうのだ。テレビに映る連続虐殺犯を見て、自分とは全く違うと線を引いていたように。その境界を、踏み越えてしまう。他人から違う人種だと区別されるような、そんな存在に成り下がってしまう。そんな事は、どうしたってできなかった。だからこの末路は、単なる力不足の挙句だ。俺は結局、MLGをクリアする事はできなかった。俺が最初に蹴落とした佐久間や、至る所にいた黒服のように、俺も一生奴隷みたいな負け犬人生を送ることになるのだろう。
 彰は、諦観と共に黒服を見た。
 黒服は憐みの目でこちらを見ている。もう誰もクリアできないと察しているのだろう。チャラ男と地味男は、二人とも視線をテーブルに落として椅子に凭れていた。
 それを見て、彰はどこか違和感を覚えた。
 二人の雰囲気が、カードゲームを終わらせたプレイヤーのそれとは違う気がしたのだ。二人の目的はドロー・ポーカーで勝負をし、プレイヤーにイカサマを見抜かせない事なのだから、本来の勝負を終えたプレイヤーと雰囲気が違うのは当然なのかもしれない。しかし、この違和感は本当にそれだけのものなのだろうか?
 彰は二人の表情を見ながら、思考を放棄していた頭を再度回転させる。
 これはイカサマを見抜くゲーム。どちらか一方、もしくは黒服がイカサマを行っていた。そしてそれを、自分たちプレイヤーは見抜けなかった。だから二人は、緊迫感のある中やり切った事に疲れて休んでいる。一見おかしくはない。
 いや、違う。明らかにおかしい。
 二人のうちどちらかはイカサマをしていた。つまり、どちらかはイカサマをしていなかったのだ。ならば、二人とも疲弊しているのはどうしたっておかしい。なぜなら、どちらかはただゲームをプレイするだけでよかったはずだからだ。そこに緊張感や技術は必要ない。疲れる理由は存在しない。ならば考えられる可能性は二つ。
 二人が共謀してイカサマをしていたか、実は二人ともイカサマをしていなかったか、だ。
 前者は言わずもがなであるが、後者の場合は、二人の様子の理由は大きく違ってくる。つまり、後ろめたいのだ。イカサマを見抜くゲームでイカサマをしなかった事に罪悪感を抱き、顔を上げられない。いたずらした事を隠す子供と同じだ。後ろ暗いから、目を合わせられない。
 ならば黒服がしていたのか。それも違う。もし黒服がイカサマをしていたのなら、あんな憐みの目を向けてはこない。安堵するか、優越感に浸るか、ひたすらに表情を隠すかのどれかだろう。つまり黒服もイカサマはしていない
 もしこの考えが事実だとするならば、この特別ゲームに正答はない。イカサマをしていないのだ。イカサマを見抜けるわけがない。つまりただ単に、一発逆転を狙ったプレイヤーを脱落させるためだけのゲームだったというわけだ。もはやこの特別ゲーム自体がイカサマみたいなものなのか。そう考えると、自分の愚かさに笑いが込み上げてきた。これは希望を持たせ、その偽りの希望をもぎ取るだけの、観賞用のゲームだったのだ。
 ゲーム自体がイカサマなのにイカサマを見抜けなんて、随分と洒落が利いている。
 含み笑いを漏らしそうになり、彰はふと気付いた。ゲームがイカサマだというなら、そのイカサマを見抜けばいいのではないだろうか。つまり。
「そうか……」
 呆然と呟いた彰に、周りにいたプレイヤーや黒服が怪訝そうに目を向ける。
「分かったぞ。このゲームのイカサマが」
 その言葉に、俯いていたチャラ男と地味男も顔を上げる。
「このゲームのイカサマは、イカサマをしていなかったって事だ」
 意味が分かっていないのか、周りのプレイヤーは怪訝な顔つきで彰を見る。
「イカサマを見抜くゲームでイカサマをしていない。これがこの特別ゲームのイカサマの内容だ」
 確信を持って、彰は断言した。
 説明では常にゲームのいかさまを見抜けと言っていた。ポーカーのいかさまを見抜けとは、一言も告げていない。
 プレイヤー達は固唾を呑んで黒服を見つめる。
 黒服は静かに、タイマーを止めた。
「正解です。ゲームクリア、おめでとうございます」
 正解者が出ると思っていなかったせいか、チャラ男と地味男が愕然とした表情で固まる。
「正解者がでたので、特別ゲームは終了となります。正解者はこちらに手持ちのコインを全て置き、二百枚のコインを受け取り下さい」
 彰は言われた通り、持っていたコインを支持された場所に置いて、ゲームクリアに必要な分のコインを受け取った。そしてすぐに仕切られた特別ゲームのステージから出る。彰が退室して数秒で、叫び声や複数が暴れる音が聞こえた。それを意識的に耳から追い出し、秋が待っている場所まで急ぐ。
 勝った。これで、次のゲームに進める。
 高揚感と達成感が胸を満たす。
 いまならMLGをクリアするのも不可能でない事に思えた。
 途中コインとカードキーを交換し、彰はベンチに座っている秋の姿を見つけた。声を掛けようと口を開きかけ、ふと気付く。
 秋の前に誰かがいる事に。秋は無邪気に話してるようだが、彰の位置からでは雲霞の様な人々が邪魔になりその相手は分からない。
 漠然とした不安と焦燥に駆られ、彰は一刻も早くその人物を目視しようと足を速める。
 そんな中、秋が相手の言葉に頷いてポケットに手を突っ込んだ。
 ポケットから出てきた手に握られている物は、彰にもはっきりと分かった。カードキーだ。
「やめろ、秋!」
 彰の叫びはカジノの喧騒に吸い込まれ、秋に届く事はなかった。
 やがて秋からカードキーを受け取ったプレイヤーがその場を去って行く。数秒後、秋の元になんとか辿り着いた彰は、すぐさま秋の肩を掴み確認した。
「今のは誰だ? なんでカードキーを渡したんだ?」
「トランプを一緒にやってたお姉ちゃんだよ。見せてって言われたから、渡したの」
 彰はその言葉を聞くと、その相手が去って行った方に走り出した。そしてすぐにその姿は見つかる。
 今まさに秋のカードキーを使って出口への扉を開けようとしているのは、数時間前ダウトで勝負しコインを奪った相手、三島莉緒奈だった。
 三島はこっちに気付くと、ニィッと口の端を釣り上げて笑い、開いた扉の向こうに入って彰に向かって手を振った。
「グッドラック。次のゲームでまた会いましょう」
 彰が三島に向かって伸ばした手は、無慈悲に閉まる鋼鉄の扉によって遮られた。
 三島の姿は、扉の向こうへと消えている。
 彰は思い切り唇を噛むと、握った拳を扉に向かって叩きつけた。
 やられた。まさかこんな手で逆転されるとは、思いもしなかった。コインを奪うのではなく、返却されたカードキーを奪いに来るなんて、完全に想像の埒外だった。
 コインを集めた事で油断し切っていた自分に腹が立ち、彰は何度も拳を扉に叩きつけた。
 何故秋を一人にしてしまったのか、先に扉をくぐらせなかったのか、一緒に連れて行かなかったのか、自分の浅慮に悔やみきれない後悔の念がのしかかる。
 不意に制服を引っ張れるのを感じ、彰は振り向いた。
「どうしたの? お兄ちゃん」
 秋が不安そうな目で自分を見ていた。
 彰は思わず秋を怒鳴りつけようとして、それはお門違いだと自分をなじった。
 秋を一人にすれば不測の事態が起こるかもしれない事は予想してしかるべきだったのだ。こんなくそったれのゲームだ、何が起こっても不思議じゃない。それなのに考えなしの行動を取った自分が、秋を怒る資格などあるわけはない。
 心配そうに自分を見上げる秋の頭に手を置いて、彰は口を開いた。
「大丈夫、なんでもないよ」
 白々しい気休めだったが、秋は信じたようだ。ホッと息をついて、笑顔を浮かべる。
 そんな秋を見ながら、彰はこれからどうするか考えていた。
 もう残り時間は十分程度しかない。
 そんな短時間でこれからコインを二百枚も集めるのは不可能だ。しかも彰も秋と同様コインとカードキーを交換しているため、手持ちのコインは零なのだ。まずは手持ちのコインを手に入れない事にはどうにもならない。それにもしコインが集まったとしても、秋のカードキーはもうここにはない。三島のカードキーと交換する事は出来ないだろうから、もはやどうしたってクリアは不可能だった。
 コインを集めるのも絶望的で、たとえ集められたとしても、それと交換するカードキーがない。完璧に八方ふさがりだ。打つ手がない。
 彰はポケットに入れてあったカードキーを取り出す。
 これで扉をくぐってゲームをクリア出来るのは、たった一人。
 秋を一瞥し、彰はカードキーを差し込んで扉を開けた。
「秋、このカードキーを持ってあっちに行くんだ。お兄ちゃんもすぐに行くから」
 カードキーを差し出しながら、彰が優しい口調を心掛けながら嘘をつく。
 これで、これでいいんだ。俺なんかより、秋が生き残った方がよっぽど意義がある。
 彰はそう自分に言い聞かせ、目の前の絶望を振り払った。
 だが秋は中々カードキーを受け取らなかった。不思議に思って、秋の顔を覗き込む。
「秋?」
 次の瞬間、彰は秋に思い切り突き飛ばされ、後方に数歩分ほど吹っ飛ばされた。――扉の向こうへと。
「秋!」
 尻餅を付いてしまった彰は、立ち上がる事も出来ず秋に向かってがむしゃらに手を伸ばす。
「バイバイ、お兄ちゃん」
 秋の笑顔を掻き消すように、扉が高速で閉じられた。
 慌てて扉をしがみつき、思い切り拳を打ちつける。
「秋! 秋!」
 いくら叩こうが、秋の姿はもはや鋼鉄の扉に遮られて、どうやっても見ることは叶わなかった。
 一瞬前までの秋の笑顔が、彰の目に焼きついて離れない。
「あ。……あ…………」
 秋は気付いたのだ。彰の態度がおかしい事に。そしてこの扉を一人しかくぐれない事に。
 だから自分を犠牲にして、彰を扉の中へと追いやった。お兄ちゃんを助けようと、拙い頭で考えて。
 その事実に思い至り、自分の大切な存在を守り抜けず、守るべき存在に逆に助けられた現実を実感して、彰は絶叫した。
「うわああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 溢れんばかりの涙が、両目から零れ出した。


 どれくらいの時間が経ったのか分からない。彰が泣き崩れていると、不意に目の前の扉が開いて、誰かが中に入って来た。
 彰は緩慢な動作で顔を上ると、その人物を確認する。
「琴音……」
 琴音は泣いている彰を無表情に見下ろすと、何も言わず横を通り抜けようとした。
 だが彰に呼び止められ、仕方なく足を止めると首だけで振り返る。
「なに」
 冷ややかな声が返ってくる。だが彰にはもうそれに対して落ち込む気力すらも残っていなかった。
「秋が……。秋が、このゲームを脱落した」
 返事は無い。ショックを受けているのかと思ったが、次の言葉でその予想は完膚なきまでに砕かれた。
「それで?」
 ショックで黙っていた訳でない。琴音は言葉の続きを待っていただけだった。今の琴音は、秋が脱落した事になんの感慨も抱いてはいなかった。
 信じられない表情で、彰は琴音を凝視した。そんな彰を鬱陶しげに睨むと、琴音は淡々と告げる。
「私は自分がゲームをクリア出来ればそれでいい。他のプレイヤーの事なんてどうでもいいわ」
 事務的にそれだけ口にすると、琴音は踵を返して歩き出した。
 その背中を呼び止める事も出来ず、彰はただ呆然と、琴音の小さな背中を見送った。
 扉をくぐる背中にはなんの躊躇いも見られず、数秒後にはその場に彰だけが残された。
「どうして」
 意識せず、声が口から漏れた。
「なんで……どうして…………?」
 虚ろに、それだけを繰り返す。
 受け入れらなかった。琴音がここまで変わってしまった事が。
 あんなに優しかった琴音が、リンゴを食べさせられそうになった秋を身体を張ってまで助けた彼女が、こんなにも冷酷な人間になっていた事が、どうしても受け入れられない。
 秋を失った虚無感、守れなかった無力感、そして琴音が変わってしまった事の絶望に耐え切れず、彰はもう一度、腹の底から絶叫した。
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