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第2章 ゲームスタート
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目が覚めると、そこは見知らぬ部屋だった。周りにある物が朧気に見える程度の明るさしかない。
「どこだ? ここ……」
眠りについた時の記憶が曖昧なせいで、自分が何故見知らぬ場所で寝ているのか理解できなかった。
「確か帰ろうとして、ポケットに手を突っ込んだらチラシがあって……!」
思い出した彰は勢い良く起き上がった。
「ここは……? なんで俺は、襲われた?」
微かにだが周りは見えるので、ここがあの店の地下じゃないことは分かったが、ならば何故別の場所に運ばれているのだろう? いや、その前にこんな拉致紛いのことをしてまで運ばれた理由が分からない。彰がここに来たのは偶然だ。つまり初めから自分を狙った訳ではなく、攫う相手は誰でも良かったという事になる。考えられる理由としては、無差別な誘拐か、何かまずい所に行ってしまったからというところだろうか?
「落ち着け。いくら考えても答えなんて分かる訳ない」
とりあえず現状を確認するため、彰は部屋の中を散策し始めた。といってもあまり広い訳ではなく、置いてある物もわずかだった。四畳半程度の個室に、出口が一つ。他にはテーブルとその上に置いてあるスーツケース、それに封筒だけだった。
ポツンと置いてある封筒を見て、彰は口元に手を当てて呟いた。
「あからさまに怪しいな……」
だが、このままじっとしている訳にもいかない。彰は封筒を手に取ると、中に入っている物を抜き取った。
「これは、……手紙?」
訝りながらも、彰はその内容に目を通す。
『この度はMLG(ミッシング・リンク・ゲーム)にご参加頂き誠にありがとうございます。これから貴方にはミッシング・リンクを体験頂く為、様々なゲームを行ってもらいます。ゲームの詳細は次の部屋でご説明致します。それではまず、アタッシュケースをお開きください』
彰は手紙に書かれている通りに、アタッシュケースを開いた。
その中に入っていたのは、ナイフ、携帯端末、あとこれは……カードキー?
『ナイフ、携帯端末、カードキーの三つがプレイヤーのアイテムです。その三つのアイテムを上手く使ってゲームを勝ち抜いてください。ここでの説明は以上です。部屋を退出し、ゲームをスタートしてください』
手紙にはゲームの詳細については何の説明もされていなかった。手紙を読んで分かったことといえば、とんでもないゲームに強制参加させられてしまったという無慈悲な事実くらいだ。
彰はしばらく俯いて考え込んでいたが、顔を上げナイフを腰の辺りにセットすると、携帯端末とカードキーをポケットにしまい、出口に向かって歩き出した。
(陸斗と奏の言う通り、こんなところ来なければ良かったな)
後悔が胸をよぎる。
(それでも来たからには、ゲームをクリアしてとっとと帰ってやる)
拉致紛いのことをされたり、持ち物にナイフが混じってることからして普通のゲームでないことは確かだが、かといって逃げ出すことも出来ないのならクリアするしかない。
彰は不安で震えそうになる足を虚勢で誤魔化し、胸を張って扉を開け放った。
認識が甘かったことを、彰はこれから嫌というほど味わう事になる。
ドアの先は屋外ではなく、またもや室内だった。だが照明のおかげで部屋の中はある程度照らされており、周りがよく見えた。
暗闇に慣れていたせいで眩しさに目が眩み、彰は目を細めて部屋の中を見渡した。そこは物が何もない部屋だった。テーブルもベットも椅子も何一つない。だが彰はその部屋を見て少しだけ安堵した。自分以外の人間がいたからだ。
だだっ広い部屋に数多くの男女がまばらに散らばっていた。その大半がいくつかのグループに形成されているようだ。総数はおよそ三十といったところか。
近くにいた五人だけの少数グループが、俺の存在に気付いて視線をぶつけてきた。その中のスーツ姿の男が、彰に友好的な声を掛けてくる。
「君もこっちに来てくれないか? 今この状況について話し合っているんだ」
見知らぬ男に若干の警戒心を抱きながらも、彰は頷いてそのグループの方に歩いて行く。
彰のために開けられたスペースに座ると、先程のスーツ姿をした男が柔和な笑みを浮かべて口を開いた。
「僕は武長(たけなが)、見た目通りの会社員だ。君の名前は?」
友好的な態度を取る武長に応じて、彰も自己紹介をする。
「俺は彰っていいます。単なる高校生です」
名字を言わなかったのは、単純に嫌いだから。彰は親と同じ名字が心底嫌いで、名乗る時は常に名前しか言わないようにしている。
「そうか。よろしく、彰君」
「よろしくお願いします」
丁寧にお辞儀を返す。それを見て武長は笑顔で話し始めた。
「今僕らは、それぞれがここの事を知った経緯を話していたんだ。出てきたパターンは三つ。チラシを拾った。ネットで知った。チラシを貰った。彰君はこの三つの内どれかに該当しているかい?」
「はい。俺はチラシを拾いました」
「そうか。やはり皆チラシやネットなんだな……」
武長は彰に確認を取った後、彰を含めた全員と相談し始めた。彰はそれに耳を傾けながらも、独自に考えをめぐらせていた。
(直接的に犯人サイドとの接触があったのはチラシを貰った人間だけだ。俺もチラシを拾ったとはいえ、ぶつかった相手が犯人サイドの人間だった可能性があるな。だけどぶつかった男がチラシを貰ったか拾ったかした可能性もあるし、チラシを渡してたのはバイトの人間かもしれないんだから、そこから情報を得るのは難しいか……)
すでにここから出た後の事を考えていた彰だが、不意にギィッと言う音が背後から鳴り、思考を中断して背後を振り返った。
幾つもあるドアの一つを開いて、制服姿の可愛らしい女の子が入って来た。
「あ、あの……ここはどこでしょうか?」
女の子が途惑った声で言う。
どうやら未だに自分の状況を理解できていないようだ。
「とりあえずこっちに来てくれ。状況を確認しよう」
「は、はい」
武長がすかさずかけた言葉に、女の子は頷いてこっちに向かって来る。彰が横にずれて場所を作ってあげると、女の子はお辞儀して彰の横に座った。
「まず君の名前を教えてくれるかい? ちなみに僕は武長という会社員だ」
「私は鹿島琴音(かしまことね)って言います。中学二年生です」
「そうか。よろしくね、琴音ちゃん」
武長が彰にしたのと同じ様に挨拶する。
そこで彰は、不意に目の前の男に違和感を覚えた。口では上手く言えないが、何かおかしいという感覚で肌がざわつく。
彰の思考とは関係なく話は進んでいく。
「まず鹿島さんはどこまでこの状況について理解してる?」
「え? あの、目が覚めたらここにいたって事しか……」
途惑いながら彼女が答えた。
それを見て武長は落ち着いて聞くことを促した後、話し始めた。
「おそらくだが、ここにいる僕ら全員誘拐されたみたいなんだ」
「え?」
「皆チラシやネットを見て、ゲームに参加しようと開催地に行った時に、いきなり誰かに襲われてここに連れてこられたんだ」
呆然とする琴音を置いて、武長は話を続けた。まずは理解されずとも事実を言っておこうという事なのだろう。
彰は武長の話を聞いて、自分の中で状況を再確認した。
やっぱり皆理由は違えど、ゲーム開催地に来たところを連れ去られて、目覚めればここにいたんだな。
彰は改めて周りの人間を見渡した。
サラリーマンや主婦、ギャルや不良、そして自分や琴音のような学生、本当に多種多様な人間が集まっていた。中には小学生くらいの男の子もいる。
不意に横から服が引っ張られ、彰はそちらに顔を向けた。
見ればさっき来たばかりの少女が、自分の制服の袖を引っ張っていた。
「どうしたの? えーと、鹿島さん」
「琴音でいいです。あの、貴方のお名前は?」
そういえば名前を名乗ったのは彼女が来る前だったことに気がつく。
「あぁ、ごめん。俺は彰、高校生一年の十六歳だ」
改めて自己紹介する。
彼女はよろしくお願いしますと挨拶した後、再び彰を見た。
「あの、彰さんは怖くないんですか?」
「俺も彰でいいよ。……その怖いっていうのは、この状況についてのこと?」
「はい。もしかしたら私達、このまま殺されちゃうかもしれないんですよ」
本気でそう思っているのが涙を溜めた目から分かり、彰は落ち着かせるために出来る限り冷静に答えた。
「その心配はないよ。殺すつもりだったなら、わざわざここまで連れて来る理由がないからね」
「だけど、殺されなくても、もしかしたら人身売買っていう可能性も……」
「その可能性もない訳じゃないけど、それだったらわざわざ、俺達にカードキーとかナイフとかを渡すのはおかしいと思わない?」
「た、確かに、そうですね……」
アタッシュケースについては、確認を取っていなかったので単なる予想だったのだが、どうやら予想通り全員に配られていたらしい。自分と琴音にだけ渡されているという事はまずないだろう。
彰の言葉を聞いて多少は落ち着いたのか、琴音はホッと息を吐いた。
「彰君って凄いですね。こんな状況なのに冷静でいられるなんて。私なんかもう何が何だか分かんなくて」
「いやそんなことは……」
軽く答えようとして、彰は気付いた。武長を見ていた時に感じた違和感の正体に。
武長は場違いなほど冷静すぎるのだ。いきなりこんな状況に放り込まれたというのに、自己紹介や話し方に緊張感というものが全くといっていいほどない。実質的にこの七人のリーダー的な存在になっているが、それに対する気負いもまるで見られない。元からのリーダー体質なのか、それとも……。
「あの、どうしたんですか? 彰君」
琴音が心配そうにこちらを見てくる。考え事に没頭しすぎていて、周りを気にしていなかった。
「なんでもないよ。ただちょっと考え事をしていただけだから。それと、敬語じゃなくて良いよ。なんだかあまり敬語で話されるのには慣れてなくて……」
部活動をしたことがない彰は、誰かから敬語で話される経験というのが殆どなかった。
「う、うん。分かった」
琴音は軽く笑いながら、砕けた口調で答えた。
話が一段落すると、彰はそっと武長を盗み見た。他の人間と何かを相談しているみたいだったが、やはりその姿は自然体という感じがする。
「あの……」
琴音が何か言いかけたところで、部屋のいたる所で機械的な音が鳴り響いた。
この部屋にいる殆ど全員の人間が、ポケットから音の発信源となっている物を取り出す。
音の発信源、携帯端末から流れる音が不意に止まり、続いて誰か分からない声が端末から響き渡った。
『参加者が全員揃いましたので、ルールの説明を致します』
声は挨拶もなしにそう言った。当然、嵐のような罵倒が端末の向こうにいるはずの犯人に襲い掛かる。
「ふざけるな! いきなりこんなところに連れ込みやがって!」
「早くあたし達を家に返してよ!」
「お前のやってることは犯罪だぞ! 今すぐ俺達を解放しろ」
喚く集団に声は冷徹に返す。
『貴方達はMLGのプレイヤーです。プレイヤーにはこれから、様々なゲームをプレイしてもらいます』
声の事務的な台詞に、プレイヤー達は怒り狂って叫び出した。
「いい加減にしろ! 俺達はゲームなんかに参加しない!」
「どうでもいいから早くここから出せ!」
「なんで私達が参加なんてしなくちゃならないのよ!」
『貴方達が泣こうが喚こうが、ゲームに参加しない限りここから出ることは出来ません。一生をここで過ごしてもいいのなら不参加でも構いませんが』
脅迫じみた言葉に、プレイヤー達は口を閉ざした。こちらが何を言おうが、主導権は犯人側が握っているのだ。
『それではルールのご説明を致します。まずゲームは一つではなく複数あり、ゲームをクリアすれば、ここに来る前にお渡ししたカードキーを使って次のゲームに進むことができます。無論ゲームごとに勝利条件は異なり、基本的には端末によってそれが表示されますのでご確認ください。最終的に全てのゲームをクリアしたプレイヤーが多額の賞金を手にご自宅へ戻れます。説明は以上です。質問はございますか?』
少しの間を置いて、武長が質問した。
「これはミッシング・リンクのゲームと言ったが、ゲームをクリアすればそれを体験できるということでいいのですか?」
『はい。これはミッシング・リンクを行うためのゲームと取ってもらって構いません』
「なるほど……」
このやり取りを聞いて、彰の武長への疑心はさらに強くなった。
普通ここまで異常なゲームの説明を聞いて、あれほど落ち着いていられるものだろうか? 戸惑いもなく簡単に受け入れ、その上ゲームの意図にまで頭が回るなんて、いくらなんでも冷静過ぎるのではないか?
考えれば考えるほど、武長の言動に違和感が纏わりつく。
「彰君、大丈夫?」
気付けば琴音がこちらを見上げていた。
「大丈夫だよ。なんでもない」
「でも、凄く怖い顔してたよ」
その言葉に彰は沈黙で返した。
『他にご質問はございませんか?』
声が再度確認する。彰は目を閉じて、頭を整理してから口を開いた。
「ゲームをクリアすれば帰れると言っていたが、ゲームをクリアできなかった場合はどうなるんだ?」
周りの人間が息を呑むのが分かった。
『当然ゲームオーバーとなります』
「ゲームオーバーになった場合、そのプレイヤーはどうなる?」
彰は間髪入れずに質問した。これだけは聞いておかなければならない。
『ゲームオーバーになったプレイヤーはゲームから脱落したということなので、それ相応のペナルティを受けてもらいます』
「具体的には」
『お答え出来ません』
チッと彰は忌々しげに舌打ちした。これで何が何でも脱落は出来なくなった。
『しかし、そうですね。ゲームオーバーのペナルティもゲームクリアの賞金も分からないままでは、緊張感が足りないゲームになってしまう可能性も否めません。ならば、我々がどれほどこのゲームに対して真剣なのかを証明致しましょう』
「どういう……?」
彰の疑問が言葉になる前に、天井が開き部屋の中心に何かが落ちてきた。
「なっ……!」
殆どのプレイヤーがいきなり現れた物体に目を奪われ言葉を失う。
それはガラスケースに入れられ大量に積まれた、金塊の山だった。
眩い輝きを放つ金色が全員の目を釘付けにする。
『ゲームをクリアしたプレイヤーには成績によって賞金が支払われます。これはその最高金額です。現金に換算して五億円』
「ご、五億……」
一人の中年が喉を鳴らし、目を大きく開きながらガラスケースに近付いていく。
そして金を強引に手に入れようと思ったのか、ガラスケースを思い切り蹴り飛ばした。
しかしその瞬間!
「ぎゃああぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
中年が悲鳴を上げて倒れる。
ガラスケースに触れた一瞬に、男の身体を目に見えるほど強い電流が駆け巡ったのを、彰は視認した。男がピクリとも動かないのは気絶しているからか、それとも……。
『言い忘れていましたが、このMLGではミッシング・リンクを体験していただくためにも、常に理知的な行動が求められます。それを欠いたものは、ゲームの脱落もしくは、このような惨劇を招くことになるでしょう』
全員が一様に息を呑んで黙り込む。
男の身体からは黒い煙が上がっており、それは電撃の凄まじさを物語っていた。
飴と鞭、その両方を見せられたものの、後者の印象がより強く植えつけられたのは言うまでもない。しかし勝てば巨額の賞金を貰えることも伝えておき、恐怖と欲望、二つの感情の誘導をしているのだろう。
『他にご質問はありませんか?』
しばらく誰も口を開かなかった。
『それではゲームを開始させていただきます。王冠が描かれているドアにお入りください』
そこで端末からの声は途切れた。もう誰が何を訊いても返事は返って来ない。
それを確認した後、武長を始めとするプレイヤー達が王冠の描かれているドアに向かって歩き出した。彰と琴音も立ち上がり、自分カードキーを使ってドアをくぐる。
入った先の部屋は驚くほどカラフルだった。その原因は、壁に立て掛けられている絵のせいだ。さっきの部屋と同じくらいの広さに、いくつかの大きな絵が壁に飾られていた。そして奥には四つの扉が見える。それぞれの扉の表面には何かが描かれているようだったが、遠くて何が描いてあるかは分からなかった。
端末がまた鳴り響き、機械的な声が発せられる。
『このゲームの設定を説明致します』
設定? 一々そんなものがあるのかと、彰は眉根を寄せた。
『仲良しの動物四匹はいつも皆で遊んでいました。四匹とは、亀、鼠、兎、猫の四匹です。ある時、鼠が言いました。ねぇ、劇をやってみない? 皆はそれに賛同し、全員で劇をやることになりました。そして誰が主役になるかと言う話になった時、猫は言いました。僕に決まってるだろ。イケメンだし、頭もいい。それに兎が反論します。何を言ってるんだ、僕がやる。僕の方が二枚目だし美人だよ。鼠と亀も名乗りを上げてそれは口論に発展します。すると兎が言いました。じゃあこの中で一番頭のいいやつが主役になるってのはどう? 兎の提案に全員が了承しました。さて主役になれる一番頭のいい動物は誰でしょうか。貴方が主役に相応しいと思う動物の扉をくぐって下さい。ヒントはこの部屋にある絵です。制限時間は三十分。それではスタートです』
そこでプッツリ声が途切れた。
「冗談じゃないぞ……」
彰は歯噛みしながら呟いた。
この程度の情報でペナルティのあるゲームに参加しろというのか。
拉致紛いの方法でこんな所に連れて来られている事と、さっきの中年への仕打ちを考えれば、おそらくペナルティは碌なものではないだろう。最悪殺される事すらあるかもしれない。それなのに、この不親切さはどういうつもりなのか。
意識せず拳を握り締める。
このゲームは山勘で行けば四分の一。到底命を賭けられる確率ではないことは確かだ。
彰が固まる中、武長がグループメンバーに声を掛けた。
「とりあえずこの部屋にある絵を全て見てみよう。話し合うのはそれからだ」
各々が散らばって絵を見に行った。とりあえず彰も琴音と一緒に絵を見ることにする。
彰達が最初に見た絵は、兎が原っぱで昼寝している姿と、亀が木の根元にタッチしている姿を描いた絵だった。
「あ、これってウサギとカメだよね」
琴音が無邪気に笑いながら言った。
確かにそれはどこからどう見ても、誰でも知っている民話の絵だった。ご丁寧に、下には物語の概要まで書いてある。
この絵を見て彰は頭を捻る。
一体この絵にどんなヒントがあるというのだろうか? 途中で昼寝した兎は頭が悪いとでも言いたいのか、それとも逆に亀の頭がいいと言いたいのか。
彰は至って真面目にそう考え、とりあえず次の絵を見ることにした。
次の絵は、子供達と虐められている亀の絵だった。
「浦島太郎だ」
琴音が丁寧に口に出して教えてくれる。
さらに次の絵では、犬のおまわりさんが泣いている子猫の頭を撫でており、そして次の絵では猫が鼠を追いかけていて、後ろで多くの動物が笑っていた。
そこで彰はなんとなく嫌な予感がした。
……もしかして、ここに飾ってある絵の全部が童謡やら童話の絵なんじゃないか?
だが彰の予想は次の絵で大きく外れた。
その絵は五匹の動物が描かれている絵だった。
右には龍、左には虎、下には赤い鳥、上には亀、そしてその亀に絡みついている蛇。
その絵は他とは明らかに違い、筆使いもハイクオリティーなタッチで描かれている。
「……四神?」
聞き覚えのある言葉に記憶を揺り返す。無駄知識の多い陸斗ならすぐに出て来るのだろうが、彰にそんな無駄なスペックは残念ながらない。
とりあえず説明を詳しく読んでみた。
『右・青龍。下・朱雀。左・白虎。上・玄武。彼らは四神と呼ばれ、中国神話に登場する四方向を守る聖獣である。青龍はその名の通り青い龍の姿をしており、色は青。方位は東を司る。朱雀は鳳凰の姿をしており、色は赤、方位は南。白虎は白い虎の姿をしており、色は白。方位は西。玄武は亀に蛇が巻きついた姿をしており、色は黒、方位は北。それぞれが、東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武と言われている』
読み終えて、やはり昔何かで読んていたことを実感する。しかし、ここに書いてある以上の知識は、彰にはなかった。
この四神の絵は他の絵とは明らかに毛色が違うが、それに意味があるかはまだ分からない。とりあえず、他の絵も見て回ってから考えるしかないだろう。
そしてあとの絵をさらっと眺めていき、彰は四神の絵が例外だったことを確信した。
他の絵は全て童話や童謡の絵だったからだ。もしかしたらあの絵がこのゲームのキーパーソンかもしれないが、ただの引っかけである可能性も否めなかった。
全ての絵を確認し終えると、彰は頭の中で整理を始めた。
四神を除けば、ヒントとなる絵は、ウサギとカメ。浦島太郎。犬のおまわりさん。干支の童話。おむすびころり。この五つだ。
そのどれにも四匹の動物のいずれかが登場していた。四神も含めるなら、この六つの絵がヒントになっており、これを正しく読み解ければゲームをクリア出来る事となる。
彰達はとりあえず、自分達のグループが集まっていた所に戻った。
「それじゃあ皆の意見を聞かせてほしい。なんでもいいから、考えついたことを言ってくれ」
武長は全員に開口一番そう言った。
それを聞くと、体格のいい男が考える間もなく、いの一番に口を開いた。
「俺は亀の扉に入るべきだと思うぞ。明らかに他の動物より頭がいい」
よほど自身があるのか、男は胸を張って言い切った。
「だってよ、兎は昼寝したし、猫は迷子になってるだろ。そして鼠はその猫に追いかけられてる。それならどう考えても亀だろ。兎を出し抜いて競争にも勝ってるんだからな」
「ちょっと待ってよ。鼠はおむすびころりで悪いおじいさんを追い返してるわ。それに亀は浦島太郎でいじめられてるのよ」
中年の女が口を挟むと、男は批難されたと勘違いしたのか、語気を荒らげて反論した。
「その鼠が猫に追いかけられてるんだろ! それに亀は力がなかったからいじめられてただけで、頭が悪い訳じゃない」
「それなら鼠だって同じよ。猫に追いかけられたのは頭が悪かったからじゃないわ。むしろ頭が良かったからよ」
女は臆することなく男と言い争った。
彰は二人の意見を参考にして、自分の考えをまとめる。
(四匹の中で一番確率が低いのは兎だろうな。実際に兎が活躍している絵はない上、失敗だけをしている。頭が良さそうなのは男の言う通り亀だ。亀は兎との競争に勝ってるし、浦島太郎の絵も頭が悪いからいじめられてるわけじゃない。それなら単純にいけば亀という結論になるが……)
男の言っている事は確かに理に適っていた。だが女の言っていることも無視できない要素がある。
(鼠は確かにおじいさんを追い返してる。そして亀と同じく頭が悪いからいじめられている訳じゃない。それならこの二匹の二択になるのか? いや、それでもまだ二分の一にしかならない。考える時間はまだあるんだ。もっと分析してからでも遅くはないか……)
彰はそう考え、とりあえず話し合いに参加しようとしたが、まだ男と女が言い争っていたため出来なかった。
「だから亀が一番頭がいいだろ!」
「違うわ、鼠よ!」
「亀だって言ってるだろうが!」
「鼠だって言ってるでしょ!」
男は顔を真っ赤にして本気で怒鳴っていた。一方女は意地になってるだけの様だ。
男は痺れを切らしたのか、女に背を向けると大声で叫んだ。
「絶対に亀だ。今からそいつを証明してやるよ!」
そう言うと男はスタスタ歩いていき、亀が描かれている扉に迷わず入った。
それを見て武長がハァと深い溜め息をつく。
「あれで証明したことにはならないんだけどな。……まぁ仕方ない。僕達はもう少し考えてから行くことにしよう。時間はまだたっぷりあるんだ。焦る事は無いよ」
男が間違った扉に入ったかもしれないというのに、武長は冷静だった。
その言葉に男を心配していたプレイヤーもなんとなく流されてしまう。
「彼の言っていた事も尤もだと僕は思うんだけど、皆はどうだい? 他にも色んな意見が出ると助かるんだけど」
全員が黙る中、彰は静かに手を上げて発言した。
「意見ってほどでもないけど……」
「何かな?」
武長が笑顔で促してくる。それにわずかに眉を顰めながら彰は言った。
「鼠っておじいさんを追い返したって言っても、実際は頭を使ったわけじゃないんじゃないか?」
彰の言葉に全員が一度黙考し、なるほどと声を上げた。
そう、おむすびころり悪いおじいさんは、鼠に噛まれて逃げ出したのだ。別に鼠が智謀を巡らせて追い返したわけではない。
彰の一言により流れが変わり、亀なんじゃないかという方向に意見が傾き出した。男と言い争っていた女は不満そうにしているが、それに一々配慮していては埒が明かない。
そして十分ほど話し合った結果、グループの総意は亀が一番頭が良いというものになった。
結論が出てからは雰囲気が洋々とし、プレイヤーの中には笑みを零している者もいた。
そんな中、琴音が小声で話し掛けてくる。
「彰君のおかげで、もうクリアしたも同然だね」
「そうだな…………クリア、出来るんだよな?」
琴音が嬉しそうに笑うが、彰はまだ本心から笑えなかった。こんなにも簡単にクリア出来る程簡単なゲームなのか、という疑問が頭から離れないのだ。
「どうしたの彰君?」
「いや、なんでもない」
彰は首を振って笑った。
こんなことを考えていても、悪戯に琴音を不安にさせるだけだ。もう考えるのはよそう。
残り五分になったところで、彰達のグループは亀の扉をくぐることになった。
彰以外は全員、亀の扉をくぐることになんの不安も抱いていない様だ。
そんな中、誰かが軽い調子で言った。
「よし。とっととゴールして、こんな所からはおさらばしようぜ」
皆が歩き出し、彰もそれに続きながら最後にもう一度このゲームについて考えた。
ウサギとカメの童話では、兎は亀に負けている。つまり兎は亀よりも頭が悪いと言う構図がこれで一つ出来上がり、犬のおまわりさんでは猫は迷子になってしまっているので、明らかに賢くはないだろう。干支の童話でも鼠が兎に勝っているので、ここでも兎は鼠よりも頭が悪いということになる。ここまででもう、猫と兎の二匹はもう選択肢から外していいだろう。
残りは亀と鼠。
二匹は共に兎に勝っている。ならばどちらがより頭脳的な勝ち方をしているのか、そこに焦点を当てるべきだろう。亀は兎と遥かに能力的に差がある競争をしたのにも関わらず勝利を収めている。一方鼠は、牛を使って十二支の一位を取り、間接的にウサギに勝利している。イメージ的にどちらかと言えば亀の方が賢く勝っているように見えるのだが……。
――本当にこれでいいのか?
彰は首を捻りながらも、グループのプレイヤーと一緒に亀の扉に向かった。
考え込みながら歩いていたせいで歩調が遅くなり、彰の後ろには武長だけしか歩いていない。
チラッと見えたその顔は、笑っているように見えた。
(武長は本気でクリアを狙っていたはずだ。その男が笑ってついて来てるって事は、やっぱり亀の扉は正解なのか?)
先頭が扉にあと数歩で辿り着くというところで、彰は不意に気がついた。
(いや、違う! 武長が正解を確信しているのならば、あいつは最初にここの扉をくぐってきた時の様に先陣切って扉をくぐるはずだ。それがリーダー的立場にいた武長の役割のはず。そしてそれは当然、武長自身も分かっているはずだ。それなのに黙って最後尾からついてきているという事は……!)
彰はカードキーを差し込もうとしているプレイヤー達に向かって叫んだ。
「止まれ!」
怪訝な顔をしてプレイヤー達が彰を見る。だが彰はそれに構うことなく思考の海へと意識をダイブさせていた。
亀が違うとなれば鼠なのか? だが賢い勝ち方をしているのは亀のはずだ。なら鼠が主役になるのはおかしい。だが武長のあの態度には絶対に何かがある。あの笑い方は、まるで敵が自滅するのを嘲笑うかの様な、残虐さが隠れた笑みだった。
…………自滅?
「そうか!」
思わず彰は口に出して叫んでいた。突然叫んだ彰に、プレイヤー達が奇異の視線を向けてくる。
「正解は鼠の扉だ。その扉をくぐるな! ゲームオーバーになるぞ!」
ハァ? と、プレイヤー達は訳が分からないという目で彰を見る。そして溜め息をついて首を振ると、再び亀の扉に入ろうカードキーを通そうとする。
「待て! その扉に入ったらゲームに脱落するぞ!」
彰の叫びに、武長が後ろから口を挟んできた。
「おかしな事を言うな、彰君は。たった今、皆で亀の扉が正解だって話し合ったばかりじゃないか」
武長の言葉にプレイヤー達が賛同するのを見て、彰は完全にこの男を敵だと認めた。この男は悪意を持ってプレイヤーを蹴落とそうとしている。
「俺は考えを改めた。じっくり考えれば分かる、正解は鼠の扉だ」
「じゃあそれを説明してくれよ。納得出来れば僕達もそっちに行くさ」
武長はおそらくここで他プレイヤーを減らして、次からの勝率を高めておきたいのだ。だから正解が分かっているにも関わらず、偽の扉をくぐらせようとする。
「そんなことをしてる時間は無い。タイムリミットがもう迫ってるんだ」
端末が表示したタイマーは、もう一分を切っていた。
「それじゃ話にならないな。僕達はさっさと亀の扉に入るとするよ」
嘲笑うかのような勝利の笑みを浮かべて、武長は彰を見下ろした。それに対し、彰も負けなど微塵も感じさせない目で笑う。
「……そうか、ならとっとと入れよ。あんたが一番先に」
彰の言葉を聞いた瞬間、武長が初めて動揺を露わにした。そして彰にだけ見える範囲で歯噛みする。
「亀の扉が正解だと言うなら、あんたが一番先に扉をくぐれよ。そうすれば俺も、あんたの意見が正しかったと認めてやる」
「それはさっきも言った通り、正解だという証明にはならないよ」
「出来ないのか? 俺は鼠の扉が正解だと思ってるから、入れと言われたら迷いなく入れるぞ」
そう言うと彰は群集から離れ、カードキーを使って二つ隣の扉を開けた。
「じゃあまたな武長。お前がここに入ってくる事は分かってるから、サヨナラは言わないでおくよ。行こう琴音」
彰が扉の中に入ると、途惑いながらも琴音もそれに続いていった。
残されたプレイヤーは一様に武長を見る。彰の言葉を聞いて、どちらに入るべきか迷っているのだ。
残り時間が十秒を切ったところで、武長は勢い良くカードキーを使って鼠の扉へと駆け込んだ。
それを見たプレイヤーは、一斉に亀の扉に背を向けて鼠の扉へと押し寄せる。その様子は、まるで閉まる直前のエレベータを見ている様だ。
中で待ち伏せていた彰は、武長を前にして嘲笑した。
「騙し切れなかったみたいだな、卑怯者」
憎しみの目を彰に向けると、武長は怒り抑えた低い声で言った。
「君がまさかこんなにも厄介な存在だったとはね。これからは用心することにするよ」
捨て台詞を残し、武長は彰の横を乱暴な足取りで通り過ぎていく。
武長が離れるのを見届け、彰は軽く息を吐くと辺りを見渡した。
この部屋は驚くべきことに、今までの部屋と比べて数多く日用品があった。
冷蔵庫や食料、洗面台やトイレ(トイレには勿論仕切りがある)。ソファや椅子といった座る物は置かれていないが、それでも前の部屋とは段違いの差だ。
彰が部屋を観察していると、琴音がそういえばと声をかけてきた。
「さっきの問題って、なんで鼠が答えだったの?」
小首をかしげる琴音。彰は大してすることもなかったので、暇つぶしもかねて琴音に説明を始めた。
「さっきの問題は、単純な引っ掛けクイズみたいな物だよ」
彰はそう前置きすると、自分が鼠と亀の二択にまでなった所までの考えを詳しく教えた。
「つまり、兎には亀も鼠も両方勝ってるから、状況的にどっちの頭がいいか判断出来ない」
「ならなんで鼠の方が主役になるって分かったの?」
「そこは鼠と亀の勝ち方が問題になるんだ」
琴音に分かるように彰は丁寧に説明する。
「干支の話では、鼠は牛を使ってどの動物よりも先に神様の元にたどり着き、頭脳的プレイで勝利を勝ち取ったんだ。だけどウサギとカメの亀は違う」
じゃあここで質問、と彰が指を一本立てた。
「ウサギとカメの物語で、亀はどうやって兎に勝ったでしょう?」
「それは、ウサギさんが昼寝しちゃったから……あ!」
琴音が気付いて声を上げた。
「そう。亀は実は何もしていないんだ。たまたま兎が寝ちゃっただけで、亀は運良く兎に勝てただけ。だから亀は頭を使ったわけでもなければ、賢いわけでもないってことさ」
自信たっぷりに彰は説明を終えた。自分の論理的思考で出した結論を聞いてもらう楽しさっていうのが、今はなんとなく分かる。テレビで得意げに話す学者の気分だ。
「凄いね彰君。そんな難しいっていうか、引っ掛け問題をあんな短い時間で見抜くなんて」
「まぁ、な」
琴音が褒めてくれるのを嬉しくを感じ、だが妙に照れ臭くて、彰は明後日の方向を向いて頭を掻いた。
そうこうしてる内にポケットの中の携帯端末から着信音が鳴り、またも声が聞こえてきた。
『プレイヤーの皆さん、第一ゲームのクリアおめでとうございます』
感情の込められていない声が響き渡る。
『これより第二ステージを始めるので、奥にある扉にお入り下さい』
不服そうな顔をしながらも、全員が次の部屋へと進んだ。
次の部屋には、光源であるロウソクが、壁に一定間隔で掛けられている。しかし広さはそれなりで、中学や高校の体育館並の大きさはありそうだった。中心に、小さくも大きくもないテーブルがあり、その上にはいくつものリンゴが置いてあった。
『この中のリンゴに一つだけ外れがあります。全員が一つずつ食べ、外れのリンゴを食べた物がゲームオーバーとなります。外れのリンゴかどうかは、口に含めばすぐに判別出来るのでご安心下さい。正解を食べた者は、奥にあるドアにカードキーを差し込み次の部屋に進むことが出来ます。尚、リンゴを食べなかったプレイヤーは自動的にゲームオーバーとなるのでご注意ください。制限時間は一時間です』
いきなり声がぶつりと途切れた。
彰はそのゲームの内容を聞いて愕然とした。他にも半数くらいのプレイヤーが彰と似た反応をし、後の半数は意味が分かっていないのか首をかしげている。
琴音も分かっていなかったようで、彰の袖を引っ張って小声で訊いてくる。
「ねぇ彰君。これってどういう意味なの?」
「…………多分、あのリンゴの中の一つは毒リンゴだ。それも口に入れただけで効果が表れる即効性の」
「えっ! そんな……」
彰の言葉を聞いた途端、琴音は口元に手をやり、わずかに震え出した。
それもそうだろう。ここにいるプレイヤーは十三人。リンゴの数も十三個。つまりこの中の一人は確実に毒リンゴを食べることになるのだ。十三分の一と聞けば当たらないように思えるが、その実それは確実に誰か一人が外れに当たることを意味する。そして外れを引く一人は、自分である可能性が確かにあるのだ。
「琴音、ちょっと来てくれ」
そう言うと、彰は琴音の手を引いて部屋の隅に向かって歩き出した。
集団からある程度距離をおくと、しゃがみ込んで話し始める。
「なんで皆と離れるの?」
「あの中にいるのは危険だ」
「え?」
訳が分からないという様に琴音が首をかしげた。
「このゲームでは、リンゴは必ず一人一個は食べなくちゃいけない。そしてこのゲームで重要なのは、リンゴを一つ食べるという定義だと俺は思うんだ。琴音は半分に切ってあるリンゴを食べて、一個丸々食べたって言うか?」
「ううん。半分しか食べてないから、一個とは言わないかな」
「なら一口分だけ欠けているリンゴを食べたら、一個全部食べたって言うか?」
「それなら……言うかな。だって殆ど自分で食べてるわけだし」
「だろ。俺はこのゲームではそれが一番重要になると思う。そしてこういう異常な状況下だと、とんでもない奴が現れるかもしれない」
「とんでもない奴?」
「他のプレイヤーに毒味をさせる奴」
「嘘でしょ!」
「信じられないかもしれないけど、そういう奴は多分現れる。そしてそいつは、自分より弱そうな女や子供をターゲットにする。だからこのゲームじゃ、俺や琴音みたいな年の若い学生は、集団から離れて数人で固まらなきゃ、強引に毒味をさせられてしまう可能性が高い」
「そ、そんな……」
琴音は震えながら何度も首を振る。だがこれが現実だ。こんな状況になれば、自分だけ助かればいいと思う奴は十中八九現れる。生半可に人を助けようとすれば、道連れになって脱落するだけだ。
狂っているのだ。このMLGというゲームは。人の思考を自分本位に誘導し、それができない者は容赦なく脱落させる。人の醜い部分を露呈させながらも、自棄になって理性を失う事すら許さない。そんな中でゲームをプレイすれば、いずれ必ず精神がやられるだろう。ゲームをクリアするのが先か、壊れるのが先か。それを試されているかのようだった。
「あっ……」
「どうした? 琴音」
琴音は目を見開いて一点を凝視していた。彰もそちらに視線を向けると、女子大生風の女が小学校低学年くらいの男の子にリンゴを勧めていた。
(やっぱりか)
彰は心の中で嘆息する。
そして彰が目を背けようとして身体を反転させる前に、琴音が二人に向かって駆け出した。
「なっ、琴音!」
彰が驚き制止の声を上げるが、琴音は耳をかさずに男の子と女子大生の間に飛び込んでいった。
「あんた何よ。私はその子と話してるんだけど」
女子大生が戸惑いの声を上げた。
琴音は真っ直ぐ女の目を見返して言った。
「あなたこそ、この子と何を話してたんですか?」
琴音が男の子を守る様に両手で横から抱きしめる。
「私はその子にゲームの説明をしてあげていたのよ、まだ小さいからよく分かってないと思ってね」
「嘘です。この子にリンゴを食べさせようとしてたんでしょう!」
「なっ……、いきなり何言うのよあんた!」
女子大生の女が声を荒らげるが、琴音は取り合わなかった。
「この子には私が説明します。だからもう戻ってください」
「何わけ分かんないこと言ってるのよ。いいからそこをどきなさい!」
女が琴音を男の子から引き離そうと一歩前に出たところで、彰はその間に割って入った。
「もうやめにしといた方が無難だぞ」
「何よあんた。邪魔しないで」
「仮にあんたがこの子にリンゴを食べさせたとしても、今の口論で全員から注目を浴びてるこの状況じゃ、そのリンゴは誰かに奪われて終わりだろうな。それともあんたは、男に勝てる程の武道家なのか?」
「くっ……」
女は辺りを見渡して、自分を見る周りの野獣のような目に気付いたのか、覚えてなさいよと漫画の様な捨て台詞を吐いて立ち去った。
「あ、ありがとう。彰君」
「いいから早く隅に行こう。目立つのは得策じゃない」
「うん」
琴音は男の子を連れて壁際へと歩いて行った。彰もそれに続く。
部屋の隅に三人で座ったところで、琴音が改めてお礼を言った。
「本当にありがとう彰君。彰君がいなかったら、本当に危なかったよ」
「あぁ」
正直彰はこの状況を良しとしていなかった。
琴音一人ならまだしも、この男の子まで助けながらゲームクリアを目指すのは相当困難だ。ただでさえ学生という立場が非常に弱い身分なのに、さらに子供が増えたとなれば、絶好の標的になることは間違いない。最悪身動きを封じられ、強制的に毒味させられることもありえなくはなかった。
そんな彰の胸中も知らず、琴音は男の子の頭を撫でて楽しそうに会話をしていた。
「君の名前はなんていうの?」
「ぼく、秋(しゅう)っていうんだ」
「秋君か、カッコイイ名前だね」
二人は状況的にあまりにも場違いな会話を和気あいあいとしている。周りの殺気立った雰囲気にはまるで気付いてないようだ。
「秋君はどうしてこんなところに来たの?」
おそらくは、何故このゲームに参加しようと思ったかを訊いているのだろう。
「ぼくね、ここに来たらゲームが出来るって聞いたんだ。それでね、すっごく楽しみにしてたの」
「そ、そうなんだ……」
琴音の表情が明らかに暗くなった。
「それでね、気付いたらいつの間にか寝ちゃってて、ここにいたの。ねぇお姉ちゃん、ぼくゲーム出来ないの?」
「それは……」
琴音が言葉に詰まるのを見て、彰は助け舟を出した。
「ゲームはここから出たら貰えるんだってさ。だから今は、お兄ちゃん達と一緒にここでお話ししてようか」
「うん。分かった」
笑顔で頷く秋を見て、琴音は安心して息を吐いた。
「ありがとう彰君。助かったよ」
「いや、まだ助かっちゃいない」
「え?」
「この部屋にいるプレイヤー全員が殺気立ってる。だから今は、あまり刺激しない様に出来るだけ秋と静かにしていてくれ。――だけど秋が不審に思うのもまずいから、小さな声で会話は続けて」
「う、うん」
琴音は後ろから秋を抱きしめた。
彰は警戒しながら辺りを窺う。
「秋君は、何歳なの?」
「八歳!」
元気良く秋が答えた。その大きな声に慌てながらも琴音が会話を続ける。
「そ、そうなんだ。じゃあ小学三年生なのかな?」
「うん。ぼくあと一ヶ月で九歳なんだ」
「へぇ。じゃあ何かお母さんに買ってもらったりするの?」
「うん。新しいゲームを買ってもらうの」
嬉しそうに秋が琴音の腕の中ではしゃいだ。琴音もそれを見て笑みを零す。
「私もね、あと三週間で誕生日なの」
「そうなんだ。おめでとうお姉ちゃん」
「ありがとう秋君」
本当に嬉しそうに琴音は笑った。その笑顔を見て、彰も多少なりと安堵する。こんな状況でも笑えるのなら、それにこした事はない。
「秋は好きな子とかいないのか?」
彰も会話に混ざることにした。多分すぐにどうこうなる事態でもないだろうし、警戒しすぎて神経を使い果たすわけにもいかない。
「え? それはその……」
秋はもじもじと両手を絡ませた。子供は本当に分かりやすい。
「あ、秋君好きな子いるんだ」
琴音が楽しそうな声を上げた。
それを見て彰は学校での事を思い出した。
(あの時は陸斗が当人である奏に問い詰められて困ってたっけな)
その時の事を思い出し、彰は思わず笑みを零した。
それを目ざとく見ていた秋が指をさして笑う。
「お兄ちゃんが笑ってる」
琴音も振り向いて彰を見た。笑っている彰に琴音は驚いていたが、すぐに笑顔に戻った。
「彰君が笑ってるところ初めて見た。そっちの方が全然いいね」
秋と琴音が揃って見てくるので、彰は恥ずかしくなってそっぽを向いた。
「そう、かな……」
「そうだよ、ねぇ秋君」
ねーと秋は楽しそうに笑った。
その姿は本当の姉弟の様で、こんな状況下においても自然と笑顔になってしまうような、和やかな光景だった。
「そういえば秋君、好きな子いるんだよね」
琴音が話を蒸し返した。どうやら相当気になっていたようだ。女子が色恋沙汰を好きなのはどこも同じということか。
そういえば陸斗や奏、そして家族は俺がいなくなったことに気付いているだろうか? 眠っていた時間を少なく見積もっても、もう三時間以上は経っているはずだ。放課後だったので陸斗や奏には分からなくても、母親はいつも通りの時間に俺が帰宅していないことに気付いているだろう。それなら捜してくれていてもおかしくないが……。
そんな訳ないか。あの母親だもんな。
彰は心の中で溜め息をついた。家族が自分に対して関心がない事は知っている。おそらく彰が何も言わずに一日二日帰らなかったところで、彰の身ではなく世間体を気にするだけで何もしないだろう。それならば明日、学校に来ない彰を不審に思って、陸斗か奏が音信不通になっている彰の携帯に気付く方が早いはずだ。
それからしばらくして、琴音が小さな声で彰に言った。
「彰君って本当に凄いね。こんな状況なのにずっと冷静で、私や秋君を助けることまで考えてくれてる」
「いや、そんなことないよ。俺はただ、虚勢を張ってるだけさ」
彰は謙遜ではない本心からそう言った。
そう、俺は今まで必死に虚勢を張っていただけだ。気を抜いたら震えて立っていられそうになかったから、あの最初の部屋を出る時に決意した。どんな時でも取り乱さない。絶対にこんなゲームクリアして、陸斗や奏と馬鹿話する生活に戻る。そう決意した。だから彰は初対面の武長をずっと疑っていたし、ゲームをクリアするために秋を見捨てようとした。自分は冷静なんかじゃなく、単なる怖がりなのだ。手の平よりも大きい物を持ってしまったがために、自分も道連れになってしまうのが怖いチキンなだけ。俺もあの女子大生と同じで、誰かの道連れになるくらいなら、自分一人で生き延びようとする最低の人間だ。琴音を助けようとしてるのだって、自分の良心を保つために打算でやっているだけに過ぎない。
彰は思わず上を向いて空を見上げようとした。だが視界は無機質な天井によって遮られており、空は見えない。
「ここは空が見えないんだな……」
「え? 何か言った? 彰君」
溜め息混じりの呟きに気付いた琴音が聞き返してくるが、彰は首を振るだけで返事はは返さない。
そしてしばらくの間、プレイヤー達は誰も動かなかった。もし誰かがリンゴを食べてそのリンゴに毒が入って無いと分かれば、そのリンゴをめぐって争奪戦が起こる。誰もがそうなると分かっているゆえに、誰も動けないのだ。それでなくても、十三分の一の確率に命を掛けて挑もうという勇気あるプレイヤーは、この中には存在しなかった。
彰はノーリスクでリンゴを食べる方法を模索し始めた。プレイヤーは十三人。そしてリンゴは十三個。その中で外れは一個。おそらく即効性の毒が混入されているが、リンゴは見たところ全て何の変哲もないただのリンゴだ。
状況を整理してみたが、一向に攻略法は思い浮かばなかった。
…………いや、待てよ。
「琴音、俺ちょっとだけここ離れるけど、すぐに戻って来るから秋と一緒に待っててくれないか?」
「う、うん分かった。気をつけてね」
彰は頷いて、部屋の中心にあるテーブルに向かい、その上のリンゴを一つ一つ手に取り調べ始めた。
辺りにいるプレイヤーが、リンゴを食べるのかとこちらの様子を窺っているのが分かる。
見当外れもいいところだが、彰はあえて何も言わずに作業に集中した。
十三個全てのリンゴを調べ終え、彰はリンゴを食べる事も持っていく事もせず、琴音と秋の元へ帰って行った。
「彰君、何をして来たの?」
「リンゴに毒が混入されたなら、何かしらの跡がないかと思って見て来たんだけど……」
彰が悔しそうに歯噛みした。
「……何もなかったの?」
聞きづらそうにしながらも、琴音は確認してくる。
「いや、確かに跡はあったんだ」
だが、と彰は続ける。
「毒を混入した跡が半分のリンゴにあった」
「え?」
「つまりゲームの主催者側がリンゴを用意する時にわざとつけたんだ。そうなると、跡がない方のリンゴにも毒が混入されてる可能性が出てくる」
「そんな……」
それは結局のところ何も成果を上げていないという事だった。
いや、逆に掻き乱されただけと言っていいかもしれない。
これならもうどちらかに的を絞って食べた方が良いのか? だがそれで間違っていたら、俺だけじゃなく琴音や秋まで危険な目にあわせる事になる。
余計な情報が入った所為で、彰の頭は混乱に陥り始めていた。
犯人サイドの思惑を読み取ろうと必死に思考を巡らすが、考えれば考えるほどに裏を読まれている様で、彰には判断をするが出来ない
携帯端末をポケットから出して画面を見た。
残り時間は、十五分。
それまでに、必ずリンゴを食べなくてはいけない。
「いい加減誰かリンゴを食えよ。このままだと全員死ぬぞ!」
髪を茶髪に染めた高校生くらいの男が不意に声を張り上げた。
「だったらテメェが食えばいいだろ! 俺達に押しつけてんじゃねぇよ!」
こちらも柄の悪い大人の男が怒鳴り声で応じる。
「なんだとコノヤロウ!」
「テメェだって怖くて食えねぇくせして、俺達に食わせようとすんじゃねぇよこのチキン野郎!」
「誰がチキンだコラ! 死にてぇのか!」
「上等だかかって来やがれニワトリ野郎!」
一触即発の雰囲気に、琴音が震え出した。
「怖いよ、彰君……」
震える琴音を見て、彰は限界だと感じた。このままじゃ立場の弱い自分達はいずれ誰か毒味をさせられてしまう。そうなれば、ゲームオーバーは確実だ。
彰は琴音の肩を掴み、真剣にその眼を覗き込んだ。
「琴音、俺にお前の命を預けてくれないか?」
「え? どうするつもりなの、彰君」
「リンゴを食べる」
驚愕で琴音の目が限界まで開かれる。
「今動かないと、確実に俺達は毒味させられる。それなら十三分の一の確率にかけて、リンゴを食べてしまったほうが生き残れる可能性が高いんだ」
「……で、でも、跡がついてるのとついてないの、どっちを食べるの?」
「それはもう気にしない。あれは多分攪乱のためだけにつけられたものだ。それなら気にせずに、十三分の一に賭けた方がまだ助かる可能性がある」
三人で何も考えずにリンゴを食べた場合、外れを引く確率は十三分の三に見える。しかし順番に食べ誰も外れを引かなかった場合、確率は十三分の一、十二分の一、十一分の一となる。
逆に跡の有無で判断した場合、まずは二分の一の選択をすることになる。そして次に外れが選んだ方にあった場合、七個あるほうであっても、七分の一、六分の一、五分の一となる。これも全員で一度に食べれば七分の三だ。
これだけ考えれば、七分の三を二倍した確率である十四分の三の方が良いと思えるが、実際には六分の一の倍である十二分の一の確率もあるし、もし二分の一で外してしまった場合、外れを引く確率が跳ね上がってしまう。こう考えた場合、十三分の一の確率に賭けた方が生き残れる可能性がある事になる。全て単なる言葉遊びでしかないが、それでも気休めは必要だった。
しばらく琴音は口を開かなかった。悩んでいるのだろう。たとえ十三分の一の少ない確率でも、命を掛けるのには相当のリスクを背負わなければならない。正直に言えば彰にだって、こんな状況でなければ絶対に出来ない選択だ。だが、ここで臆病風に吹かれているわけにはいかない。
「頼む、琴音……」
琴音は秋を強く抱きしめて、動かなかった。やっぱり駄目か、と諦めようとした時、琴音は顔を上げて彰を見た。
「……分かった。彰君を信じるよ」
「ありがとう。琴音」
彰は嬉しさのあまり涙を零しそうになったが、今ここで泣いている暇はない。
「だけどどうするの彰君。今リンゴを食べたらすぐに他の人に盗られちゃうよ」
「大丈夫。俺に作戦がある」
そう言うと、彰はポケットから何かを取り出した。
「彰君、それ何?」
「最初の部屋に置いてあった手紙だよ。念のためとっておいたんだ」
「そんなの出してどうするの?」
「こうする」
彰はその紙を三つ折にし、口の中に入れ出した。丸めないように気をつけながら、ゆっくりと。
すっぽりと紙を口の中に入れると、彰はおもむろに部屋の中心に歩き出し、テーブルの上にあったリンゴを手に取る。
その光景に、さっきまで言い争っていた男達や、他のプレイヤー達も固唾を呑んで成り行きを見守った。
完全な静寂が部屋を包む。
プレイヤー全員からの注目を浴びながら、彰は手に取ったリンゴを大口に齧り付いた。
部屋にいる全員が見守る中、彰は口の中の物をゆっくりと咀嚼して飲み込む。
だが彰は倒れもせずにケロリとしている。それを見た全プレイヤーは彰のリンゴめがけて一斉に突進をかけ始めた。
彰は慌てることなく、手に持ったリンゴをあらぬ方向へと投げ捨てた。プレイヤー達は彰に見向きもせずそちらを追いかけていく。
大乱闘が始まろうとする中、彰はテーブルに有ったリンゴを無雑作に三つ手に取ると、琴音と秋の元に戻った。
「大丈夫なの? 彰君!」
彰はそれに答えることなく、口の中から何かを吐き出した。
床に転がったのはさっき彰が口に入れた紙と、その中に包まれている飲み込んだはずのリンゴの欠片だった。
「飲み込んだふりをしただけさ。今なら皆あのリンゴに集中してる。こっちも早く食べよう」
そう言って、彰は秋と琴音にリンゴを手渡した。
だがやはり、二人ともすぐに食べることは出来なかった。今手の中にあるリンゴは自分の命を奪うかもしれないのだ。並大抵の覚悟で口にすることは難しい。
彰と琴音が躊躇している内に、秋がそのリンゴを無邪気に口にした。
「秋!」
彰が叫んだが、秋は気にせず美味しそうにリンゴを頬張っている。
二人は緊張して秋を見るが、異変が起こる様子はない。それ確認した琴音と彰は、決意したように一度目線を合わせると、思い切りリンゴに齧り付いた。
慎重に咀嚼しながら、ゆっくりと飲み込む。
五秒ほど息を止めて待ち、自分の身体に異常がなことを確めると、彰は大きく息を吐いた。見れば琴音も同じ様に息を吐いている。どちらのリンゴにも、毒は入っていなかったようだ。
「良かった……」
「あぁ。当たりだったみたいだな。――それじゃあ早く食べて、次の部屋に進もう」
「うん」
そうして三人はリンゴを食べ始めたが、その安心も束の間。明良達に気付いたプレイヤーが声を張り上げたのだ。
「あいつらリンゴ食ってるぞぉぉぉ!」
一瞬部屋中から音が消え、次の瞬間怒涛の様にプレイヤー達が押し寄せてきた。
「まずい、逃げろ!」
彰達は立ち上がって駆け出した。三人はまだ半分程度しかリンゴを食べていない。つまりまだ次の部屋に進む事は出来ない。
「早くリンゴを食べるんだ! それしか手はない!」
彰は叫び、まだ半分近く残っているリンゴを無理矢理口の中に突っ込んだ。
琴音は大きく口を上げて噛み付くが、まだ四分の一程残っている。秋もまだ琴音と同じくらい残っているようだ。
「クソッ! どうにかならないのか……」
彰は歯噛みするが、プレイヤー達は狂気の目で突進して来る。そしてとうとう扉のある壁際まで追い詰められてしまった。
彰は琴音と秋を見た。どちらもあと二口分くらい残っている。彰は思わず腰の辺りにセットしてあるナイフに触れた。
もうこれで時間を稼ぐしか……。
彰が決意してナイフを引き抜こうとする寸前、視界の隅に床に転がっているリンゴが映った。
その瞬間、彰の周りの時間が止まった。
雷にでも打たれたかのように、彰は固まったまま、たった今浮かんだ考えをまとめる。
わずか二秒にも満たない時間で結論を出した彰は、振り向くと秋の着ていたTシャツを引き千切った。
「あびらぐんばにして……」
リンゴを口に含んでいるため何を言ってるか分からない琴音の言葉を無視して、彰は引き千切ったTシャツを口に突っ込み、床に置いてあったリンゴに齧り付いた。
そして高々とリンゴを掲げる。
「良く見ろ! 俺はこのリンゴを食った。そして俺は生きている。この二人のリンゴはもう殆どなく、一個食ったとは言いがたいが、このリンゴは一口しか食べていない! つめりこれを食えば、ゲームをクリア出来る!」
彰は叫んだ後、プレイヤー達に向かって力一杯リンゴを投げつけた。
プレイヤーはそのリンゴを我先に食べようと手を伸ばす。
だが実際のところ、このプレイヤー達は彰の言った事を殆ど理解していないだろう。「ゲームをクリア出来る」という言葉に反応してリンゴを追っているのだ。しかしそれすらも彰の狙い通りの反応だった。
彰はリンゴ争奪に夢中になっているプレイヤーに見えないように、Tシャツに包まれたリンゴを吐き出すと、二人を見る。
琴音と秋はもうリンゴを食べ終わった。
「早くカードキーを使って部屋に入るんだ。あいつらがまた襲ってくるかもしれない」
「うん」
琴音がカードキーを取り出してドアに差し込む。ピーと言う電子音の後、扉が開いた。
急いで駆け込もうとすると、甲高いセキュリティー音が鳴り響いてドアが閉まる。
『一度に一人しか入れません』
秋と抱きかかえていた所為で警報が鳴ったのだろう。だがこれはとんだアクシデントだ。今の警告の所為でプレイヤー達が彰達に気が付いた。
「チッ!」
思い切り舌打ちすると、彰は秋をこちらに引っ張り、ドアが開いたところで琴音の背中を突き飛ばして扉をくぐらせた。
琴音の身体が扉の奥へと入った瞬間ドアが勢い良く閉まる。
「秋! さっき貰ったカードを出すんだ! 早く!」
秋はたどたどしい動作でカードキーを取り出すのを見て、彰は秋の手からカードキーを奪い取ると扉に差し込んだ。
電子音の後に扉が開かれる。
彰は琴音と同じ様に秋を突き飛ばして、自分のカードキーを取り出した。プレイヤー達は足音からしてもう目と鼻の先にいるはずだ。
高速で自分のカードキーを差し込むと、彰は扉が完全に開く前に自分の身体を扉の奥へとねじ込んだ。
彰が入った瞬間、ドアが瞬時に閉まりきる。
彰は肩で息をしながら、自分の無事を確認すると、そっと胸を撫で下ろした。
「彰君、大丈夫!?」
琴音と秋が駆け寄ってくるのを見て、彰はなんとか笑みを浮かべて答えた。
「あぁ大丈夫だ。それしても本当に死ぬかと思っ……!」
言いかけた彰の言葉が、ある一点を凝視することで止まった。不審に思い、琴音が彰の見ている方向を見ようとする。
「琴音、見るな!」
彰の叫びも虚しく、琴音は見てしまった。
扉に挟まれたせいで、彰を掴もうとして伸ばした腕から千切れて床に落ちた、人間の指を。その指はピクピクと小さく痙攣をして、動かなくなった。
「あ……あ…………」
あまりの出来事に、琴音は口元に手を当て数歩後ずさった後。
「きゃあぁぁあぁああああああああああああ!」
絶叫と共に意識を失った。
数分後、琴音が目を覚ました。
「おはようお姉ちゃん」
「秋君……?」
まだ意識が朦朧としていてるのか、琴音は小さく目の前の少年の名前を呟く。
「目が覚めたか、琴音」
部屋に何があるか確認していた彰は、目覚めた琴音に駆け寄る。
「私、どれくらい眠ってたの?」
「五分くらいだ。その間、ずっと秋が看病しててくれたよ」
「そうなんだ。ありがとう、秋君」
笑みを浮かべてお礼を言った後、琴音は自分が気絶する前のことを思い出したのか、勢い良くドアの方を振り返った。
落ちていた筈の指は、もうどこにもない。
琴音が何を思ってるのか察し、彰は苦い顔で答える。
「あれなら、そこにゴミ箱があったから処理しといたよ」
「そうなんだ。……ありがとう」
暗い顔で、琴音がお礼を言う。
話題を変えるために、彰は努めて明るく訊ねた。
「ここは休憩所みたいだ。水や食料もあるけど、何かいるか?」
「……じゃあお水貰える?」
「分かった」
彰が冷蔵庫から水を取り出して持って来る。受け取った琴音はペットボトルの中の水を軽く口に含み、息をついた。
「もう残り時間十分を切ってるけど、あれから扉をくぐって来たプレイヤーはいないな。まだ争ってるのか、硬直状態が続いてるのかは分からないけど……」
彰の言葉を聞いた琴音は、沈んだ表情を見せた。あのどす黒い争いが続いていると思うと、やり切れないのだろう。
そんな琴音の様子を見て、彰はその肩に手を置いた。
「今ゲームがどうなってるかは分からないけど、俺達はもう次のゲームに進まないか?」
「え?」
「誰かがゲームをクリアして入ってきたら、必ず俺達は責められる。いや、責められるだけならまだしも、裏切ったと見当外れのことを言われて、暴力を振るわれるかもしれない。それなら今のうちに次のゲームに進んでしまった方が、被害を受けないで済む」
「で、でも……」
彰の言葉に反論しようとする琴音。おそらく他のプレイヤーを置いてきて、自分だけ進んでしまったことに罪悪感があるのだろう。確かにそういう感性は生きていく上で大切だが、このゲームで不用意にそんな感情を持ってしまうのは危険だった。その優しさが甘さとなって、足元をすくわれかねない。
「琴音、分かってくれ。今ここに残っていても俺達が出来ることは何もない。それなら早くゲームをクリアして家に帰れば、警察にも通報出来るんだ」
勿論そんな簡単に事が進むはずはない。二つ目のゲームから、こんなとんでもない内容だったのだ。後のゲームにどんな危険があるか分からないし、クリアしたからといって家に帰れる保障はどこにもない。所詮誘拐紛いのことをした犯人サイドの言い分なのだから。
だが今は嘘をついてでも前に進まなくてはいけない時だった。ここにいれば、琴音も秋も危険に晒されてしまいかねない。
しばらく琴音は黙っていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「分かった。行こう、彰君」
「琴音……」
決意してくれた琴音に感謝して、彰は琴音と秋を連れて、次の部屋に進んだ。
そこは円形の空間に、いくつものドアがズラリと並んでいるだけの部屋だった。
ポケットの携帯端末から機械的な音が鳴り響く。
端末を取り出して画面を見ると、今度は電話ではなく電子メールが届いていた。
『男は黒の扉・女は白の扉に入りなさい。ただし一つの扉に入れる人数は一人までとする』
内容を見て、彰は歯噛みした。これは……。
「私は女だから、白の部屋に入ればいいんだね」
素直に言葉通りに内容を受け取った琴音が確認する。
それを見て、彰はやり切れない表情で言った。
「あぁ。そして琴音とは、ここでお別れだ」
「え……?」
目をしばたかせる琴音に、彰は苦虫を噛み潰したような顔で告げた。
「次のゲームは明らかに個人戦だ。琴音とも秋とも、別々に行くしかない」
「そんな……」
愕然とする琴音を見て、彰は内心自分を殴り飛ばしたくなった。
個人戦人戦の通知を見たとき、彰は一瞬ホッとしてしまったのだ。もうこれ以上足を引っ張られなくて済む、と。それは秋と琴音の存在が邪魔だと言っている事に等しかった。内心では自分だけでも助かりたいと思っている事を、自分自身で証明してしまったのだ。
それがどうしようもないくらい情けなく、彰は自分の心を誤魔化すかの様に二人に笑い掛けた。
「大丈夫だ。冷静に考えれば、きっとなんとかなる。ゲームっていうのは、攻略されることを前提に作られてるんだから」
「うん……」
これ以上ないくらいの気休めに、琴音は不安そうに頷いた。無理もない。琴音は今までまともにゲームをプレイしていないのだ。これまでのゲームは、全て彰の指示に従っていただけ。
物憂げな琴音の表情を見て、不意に彰は何か思いついたのか、ポケットの中から紙とペンを取り出した。
「それは?」
「さっきの部屋に置いてあったのを、ちょいと拝借しといたんだ」
彰はそう言うと、紙に何かを書き始めた。
「琴音、手を出して」
「え、うん」
差し出された手に、彰は紙を巻き付けてきつく縛った。
「これって……チョーカー?」
「そう。そして俺もお揃い。まぁ所詮紙で作った偽物だけどな」
彰はいつの間にか自分の手につけたチョーカーを見せた。
「そしてこれには、お互いの名前が書いてあるんだ」
彰が手の内側を見せる。そこには、小さな字で『琴音』と書いてあった。
「わぁ」
琴音の顔に笑みが広がる。
「琴音のチョーカーにも俺の名前が書いてある。これで、離れててもずっと一緒だ」
「うん」
天使の微笑みを浮かべて琴音は返事をし、彰に言った。
「これがあれば、私なんでも出来そう。ありがとう。彰君」
「どういたしまして。こんなことしか出来なくてごめんな」
「ううん。凄く嬉しいよ。……私、頑張るから」
そう言うと、琴音は白いドアにカードキーを差し込み、中に入っていった。扉が閉まる前に、彰に向かってにこりと笑いかける。
「またね、彰君」
「あぁ。またな、琴音」
琴音の姿がドアに遮られて見えなくなる。
彰も振り返ると、無邪気に端末をいじくっている秋に声を掛けた。
「秋、俺達も行こう。女の子に負けたら恥ずかしいからな」
「うん、分かった」
おそらく何をするのか分かっていない秋は、それでも無邪気に笑った。
彰は秋にカードキーを使って扉を開けさせると、中に入らせる。
「秋、頑張れよ。お前なら必ずクリア出来るからな」
「うん!」
元気良く返事をして、秋は扉の中へと消えて行く。
それを見届けた彰は、自分も進もうとカードキーを取り出したところで、後ろからドアが開く音と、それに伝動した機械音を耳にする。秋か琴音かと思ったが、すぐにここに帰ってくるはずがないことに思い至り、慌てて振り返る。
「やぁ。なんだか久しい気がするね、彰君」
そこには笑顔で笑いかけてくる男がいた。
「武長……」
「年上を呼び捨てかい? まぁこんな状況だし仕方ないか」
「ゲームをクリアしたんだな」
警戒心を露わにした彰の様子を見て、武長は困った様に肩を竦めた。
「そんなに警戒しないでくれよ。僕だって君と同じ立場の人間なんだよ。協力しようじゃないか」
「信用できない」
取り付く島もない彰の態度に、武長は笑みを浮かべた。今までの柔和な笑みとは違う、底が見えないような黒い笑みを。
そしてさっきまでとは全く違う、人を嘲笑うかのような声音で言った。
「君がそんなことを言うとは滑稽だね。第二ゲームを誰よりも早くクリアした君から、信用できないなんて言葉を聞くとは夢にも思わなかった」
武長の言葉に彰の身体がビクッと震える。
「君があのゲームでやったことは酷く残忍だったね。リンゴを食べたと嘘をつき、プレイヤーを二度も混乱に陥れた。自分達が助かるために他の十人を犠牲にしたんだ。そして仲間である様なふりをして、か弱い少女と男の子を自分の安心を得るために道連れにした」
その言葉に反論できず、彰は拳を硬く握り締め耐えることしか出来なかった。武長の言っていることは全て事実だ。そしてそれは、ゲームをクリアしてからずっと彰の胸に罪悪感として渦巻いていた事でもあった。
「あんただって、他のプレイヤーを犠牲にしてここに来たんじゃないのか」
苦し紛れの彰の言葉を、あっさりと武長は肯定した。
「まぁね。だけどそれがどうしたのかな? 僕が他人を犠牲にしたからといって、君の行いが正当化されるわけじゃないんだよ」
何も言い返せない彰を武長は嘲笑う。
「僕達は同じタイプの人間なんだよ。外面では笑顔を振り撒いて他人の引き込むけれど、内心ではいつも利用することだけを考え、捨てる場面を窺っている」
「違う、俺はそんなんじゃ……」
「ならなんで君は、今ここに一人でいるんだい? 何故さっきの二人と一緒にいないのかな?」
「それは、次のゲームが個人戦だったから……」
「苦しい言い訳だね。君ほどの人間なら、ドアに何かを挟めて外から助言する程度のことは思いついたはずだ。なのにそれをしなかったのは、ルール違反のペナルティを恐れたからだろう? 明らかに違反行為であるその行動を取ることで、自分も巻き添えをくってしまう事態を恐れたから、君は今一人でここにいるんだ」
彰は何も言わずに俯いた。その様子に満足したのか、武長は彰の肩を叩いて、追い打ちを掛けた。
「それじゃあ僕はもう次のゲームに進むとするよ。君も精々、他人を蹴落としながら頑張ることだね」
携帯端末で電子メールを確認し、武長は扉の向こうへと去って行った。
武長がいなくなっても、彰はそこから動けなかった。
自分を苦しめるための詭弁だと分かっていても、彰にとって武長の言葉は真実だった。
ドアに何かを挟む方法も、彰の頭の隅には確かにあった。だがその方法を、自分は見て見ぬふりをしたのだ。
「陸斗……奏……」
ここにはいない二人の名前を呟き、彰は顔をあげるとカードキーをドアに差し込んだ。
「帰るんだ。絶対に、帰るんだ。……悩んだり苦しんだりするのは、その後でいい」
自分に言い聞かせるように呟くと、彰は扉の中へと進んでいった。
その部屋は、一言で言うなら簡素だった。六畳半程度の広さがあり、真ん中には漫画にでも出て来そうな、人一人が横になれるくらいのカプセルがあるだけの部屋。
「このカプセルは……?」
携帯端末から機械音が響き、彰は画面に目を通す。
『今回のゲームは失敗しても、次のゲームに進むことが出来ます。ですが失敗した場合には罰ゲームがあるのでご注意下さい。カプセルの中に横たわり、中のヘルメットを着用することでゲームがプレイされます』
読み終えた彰は一度深呼吸すると、部屋の中心に行きカプセルの中に入った。言われた通りに頭の上に設置されているヘルメットを被る。そのヘルメットは頭の部分は金属で覆われており、眼の部分が半透明な何かで埋め尽くされている様な奇妙なヘルメットだった。
少しして、不意にカプセルから機械的な声が響く。
『ゲームスタートです』
その瞬間、彰の視界がまばゆい光で染まる。数秒後には一面にの風景が映し出されていた。
まるで自分が空を漂っているかのような感覚に彰は驚嘆する。
(凄いな。なんてクオリティだ)
3Dなんて目じゃないそのハイテクな映像に目を瞠る。
『ゲームの説明を致します』
どこからか声が聞こえてきた。
『まずこの世界には三つの種族が存在します。神・天使・悪魔の三種族です』
そこで空中に三つの人影が生み出された。一つは白い翼を持つ天使。もう一つは黒い翼を持つ悪魔。そして最後に片翼に黒と白、両方の色の翼を持つ神の三体だ。
『神は唯一の存在でありますが、天使と悪魔は数が多く、その姿にも殆ど差異はありません。天使と悪魔を外見で見分けるための差異は、翼の色しかないのです』
そこでいきなり映像が切り替わった。
剣を持った一人の悪魔が現れる。
『ですが天使と悪魔、その二つの種族を隔てる絶対的な壁があります。それは天使が神に逆らえないという絶対の法則です。たとえどんな命令でも、天使は神に逆らうことが出来ないのです。しかしその唯一絶対の法則に異議を唱えた一人の悪魔がいました』
目の前の悪魔は剣を振り上げ、何事か叫んだ。
『彼は同志を集めて神に反旗を翻します。これに対し神は悪魔を迎え撃つため、天使に悪魔掃討の命令を下しました。ですがこの命令を聞いた天使達は迷います』
悪魔が消え、代わりに大量の天使が現れた。その顔には困惑の表情が浮かんでいる。
『自分達の自由のために戦ってくれている悪魔を殺していいものなのか、と。神の命令と悪魔の仁義の板挟みに悩み、天使達は身動きが取れなくなります。ですがいつまでも迷っている訳にはいきません。天使達は悪魔との戦いに身を投じました』
剣を携えた大量の悪魔達がいきなり現れる。
目の前の天使と悪魔が、互いに剣を持って争い始めた。ただ剣を打ち鳴らすだけではなく、そこかしこで鮮血が舞う。
思わず彰は目を背けようとしたが、意思に反して身体が動かなかった。おそらくゲーム上のシステムにより、自分の意思で身体を動かす事を禁じているのだろう。
『ここでの貴方の役割は天使のリーダーです』
彰の服装が学生服から目の前の天使と同じ物になる。背中には白い翼まで生えていた。
映像が切り替わり、眼前には一人の悪魔が現れる。
『天使のリーダーである貴方は、今回の反逆の首謀者である悪魔と一対一で対峙します。ですが、ここで貴方には再び迷いが生じました。果たして目の前の悪魔を殺してしまうのは正しい事なのか、と。彼を殺してしまえば、自分達天使は永遠に神の奴隷です。だが彼を殺さずに神の命令に背けば、自由を手に入れることが出来るかも知れません。自分の使命と種族の自由を天秤に掛け、貴方は選択を強いられます』
自分の体が意思に反して剣を構えた。
まさか……。
『これからの貴方が起こす行動を示しなさい。そして事は急を要します。悪魔は貴方がどう動くのか様子を窺っていますが、いずれは敵とみなし攻撃を仕掛けてくるでしょう。決断は迅速に行わなければなりません。制限時間は五分。それまでに行動しなければ、悪魔の刃が貴方の身体を貫くでしょう』
「なっ……!」
彰の視界の右上にタイマーが表示される。その三桁の数字は、彰をいきなり崖っぷちへと追いやった。
(五分……。こんな人によって答えが千差万別になるような問題の解答を、たったの五分で導き出せる訳が……)
彰の思考は、焦りで問題の解答ではなく批判に集中してしまう。
(まずもって、こんなのは人それぞれの裁量の問題だ。それを出題者側の思考を予測して答えろとでも言うつもりなのか!?)
そんなことを考えてる内に、もう三十秒が経過していた。残り時間はあと四分半。
(落ち着け。落ち着け! 落ち着け! 問題の解答だけを考えるんだ。どんな時でも取り乱さないと誓っただろう!)
必死に彰は自分に言い聞かせる。
まずは、天使が取れる行動を挙げてみよう。
1、悪魔を殺す。2、悪魔と手を組む。3、悪魔を説得する。4、逃げる。
混乱した頭で彰はなんとか選択肢を絞った。
おそらくこれ以外に選択肢はない。そしてこの問題の意図を考えれば、逃げると言う選択はまずないだろう。それならあとは三つに絞られる。
神か悪魔につくか、悪魔を説得するか。
神の言う通り悪魔を殺せば、その後天使は永遠に神の奴隷となる。かといって神を裏切って悪魔側についても、このクーデターが失敗すれば意味がない。それどころか裏切った罪で処刑されてしまう可能性が高いだろう。それならば悪魔を説得してこのクーデターを止めるか? いや、素直に悪魔が応じるとは思えない。最悪すぐに斬り捨てられる可能性だってあるはずだ。
どれを取っても天使にはリスクが付き纏う。時間はもう三分を切っている。悠長に考えている余裕はない。
これは使命と仁義のどちらを取るか、という問題のはずだ。漫画などではよく使命より大事な物があるなどと言っているが、この史上最悪なゲームでそんなありきたりな解答が正答の可能性はあるだろうか? いや、そんなことを言い始めれば使命もなせずして仁義を貫けるか、という問いにも発展する可能性がある。どっちにしたって明答なんてないあるわけがない。くそっ! ふざけてる!
焦りで頭が混乱し、彰は苛立ちに思考を流される。
いっそのこともう諦めしまおうか? 罰ゲームは正直何があるか怖いが、今回のゲームは失敗しても次に進める。別に無理してクリアする必要はない。
頭が思考するのを拒否し、諦めようとした時、不意に彰の頭に聞き慣れた声がリピートされた。
(また黄昏てたのか。暇だねぇお前も)
それは最近、陸斗が呆れながら自分に言った台詞だった。
そういえば、今の俺は大好きな空の中にいるんだよな。
悪魔から目線を外し、周りを見渡した。システム上の妨害はなかった。
視界が鮮やかな青で埋め尽くされる。その瞬間、彰は自分の胸に何か大きな物が溢れ出すような感覚を覚えた。
間近にあるはずの空は、地上から見下ろしていた時と同じくどこまでも広がっている。
結局空ってどこまで続いてるんだろう? こんな凄い光景を、陸斗や奏に見せてやれたらな……。
陸斗と奏と過ごした日々が、もう遥か昔の出来事のように感じられた。実際にはまだ一日も経ってはいないだろうが、ここに連れて来られてから、色んなことがありすぎた。
琴音も今、これと同じゲームをやっているんだろうか?
彰は情けない、と自嘲した。
琴音に冷静に考えればなんとかなるなんて偉そうなことを言っておきながら、自分はもう諦めているではないか。これでは罰ゲームを受けた後、次からのゲームをクリア出来るかも怪しいものだ。
……………………ゲーム?
そうだ、忘れていた。これはゲームなのだ。確かに言ったではないか、ゲームというのは攻略されることを前提に作られている、と。しかもこれはミッシング・リンクを体験させるためというとんでもないゲームだ。明確な解答が存在しないはずがない。
彰は放棄していた思考を、再び巡らせた。
このゲームの主題は、天使が神に従うか、それとも悪魔の味方になるかという使命と仁義、どちらを取るかの選択だ。そこにリスクやメリットの付加価値的なものが介入したとしても、要はどちらが天使の行動として正しいかという一点に尽きる。ならば天使が取るべき解答は必ず存在しているはずだ。
彰が思考をフル回転させていると、右上のタイマーが赤色に変わった。残り時間が一分を切ったのだ。
彰は時間の恐怖に焦りながらも、ゲーム設定を必死で思い返した。
神と天使と悪魔の三種族がおり、天使と悪魔の違いは翼の色と、天使が神に縛られていることだけ。悪魔はそれに異議を唱え反旗を翻すと、神は天使を使って悪魔を掃討しようとした。天使のリーダーである自分は、クーデターの首謀者である悪魔と一対一で対峙し決断を迫られている。つまり神を裏切るか悪魔側につくか。
ここまで考えて、彰は何か違和感を覚えた。どこかは分からないが、何か矛盾しているような気がする。
残り三十秒。
どこだ? どこが矛盾している? 悪魔は天使を解放するために戦い、神はそれを迎え撃つために天使に命令を下した。そして天使は神の命令で悪魔の掃討に赴いている。自分(天使のリーダー)はどちらにつくか迷い、決断を迫られている状態だ。
(そういえば、悪魔には戦う理由がはっきりと示されているが、天使は戦う事を良しとはしていない……)
残り十秒。
(つまり天使には戦う理由がない。たった一つの命令を除いては。そして最初に示された絶対条件……)
いくつにも散らばったパズルのように、論理が一つ一つくっ付いていく。そしてそれは一枚の絵となり、彰の出すべき解答を導いてくれる。
残り三秒を切った時点で、彰は声を張り上げて答えた。
「悪魔を殺す!」
一瞬の沈黙。それは彰にとって、地獄と天国の間を彷徨っているような感覚だった。
そして彰の身体が自身の意思とは別に動き出した。システム上の強制された動きだと分かっていたが、自分の身体が勝手に動くのは、操られているようで彰に多大な不快感を与える。
彰の身体はもはや意思というものを反映させてはくれず、拒否する心情とは真逆に、その持っている剣で一切の容赦なく悪魔の身体を貫いた。
確かに自分の手で悪魔の腹を刺し、返り血を顔に浴びるが、触覚を再現してはいないのか、人を刺す感触もなければ顔に血がついた感覚もなかった。
悪魔は自分を貫く剣を掴むと、苦悶の表情で彰を睨んできた。
しかし何をできるでもなく、全身が激しく痙攣した後、力なく前方に倒れ込む。
『ゲームクリア。おめでとうございます』
声を聞こえたのと同時に、彰の視界がゲームが始まる前と同様、まばゆい光に埋め尽くされ、何も見えなくなった。
「どこだ? ここ……」
眠りについた時の記憶が曖昧なせいで、自分が何故見知らぬ場所で寝ているのか理解できなかった。
「確か帰ろうとして、ポケットに手を突っ込んだらチラシがあって……!」
思い出した彰は勢い良く起き上がった。
「ここは……? なんで俺は、襲われた?」
微かにだが周りは見えるので、ここがあの店の地下じゃないことは分かったが、ならば何故別の場所に運ばれているのだろう? いや、その前にこんな拉致紛いのことをしてまで運ばれた理由が分からない。彰がここに来たのは偶然だ。つまり初めから自分を狙った訳ではなく、攫う相手は誰でも良かったという事になる。考えられる理由としては、無差別な誘拐か、何かまずい所に行ってしまったからというところだろうか?
「落ち着け。いくら考えても答えなんて分かる訳ない」
とりあえず現状を確認するため、彰は部屋の中を散策し始めた。といってもあまり広い訳ではなく、置いてある物もわずかだった。四畳半程度の個室に、出口が一つ。他にはテーブルとその上に置いてあるスーツケース、それに封筒だけだった。
ポツンと置いてある封筒を見て、彰は口元に手を当てて呟いた。
「あからさまに怪しいな……」
だが、このままじっとしている訳にもいかない。彰は封筒を手に取ると、中に入っている物を抜き取った。
「これは、……手紙?」
訝りながらも、彰はその内容に目を通す。
『この度はMLG(ミッシング・リンク・ゲーム)にご参加頂き誠にありがとうございます。これから貴方にはミッシング・リンクを体験頂く為、様々なゲームを行ってもらいます。ゲームの詳細は次の部屋でご説明致します。それではまず、アタッシュケースをお開きください』
彰は手紙に書かれている通りに、アタッシュケースを開いた。
その中に入っていたのは、ナイフ、携帯端末、あとこれは……カードキー?
『ナイフ、携帯端末、カードキーの三つがプレイヤーのアイテムです。その三つのアイテムを上手く使ってゲームを勝ち抜いてください。ここでの説明は以上です。部屋を退出し、ゲームをスタートしてください』
手紙にはゲームの詳細については何の説明もされていなかった。手紙を読んで分かったことといえば、とんでもないゲームに強制参加させられてしまったという無慈悲な事実くらいだ。
彰はしばらく俯いて考え込んでいたが、顔を上げナイフを腰の辺りにセットすると、携帯端末とカードキーをポケットにしまい、出口に向かって歩き出した。
(陸斗と奏の言う通り、こんなところ来なければ良かったな)
後悔が胸をよぎる。
(それでも来たからには、ゲームをクリアしてとっとと帰ってやる)
拉致紛いのことをされたり、持ち物にナイフが混じってることからして普通のゲームでないことは確かだが、かといって逃げ出すことも出来ないのならクリアするしかない。
彰は不安で震えそうになる足を虚勢で誤魔化し、胸を張って扉を開け放った。
認識が甘かったことを、彰はこれから嫌というほど味わう事になる。
ドアの先は屋外ではなく、またもや室内だった。だが照明のおかげで部屋の中はある程度照らされており、周りがよく見えた。
暗闇に慣れていたせいで眩しさに目が眩み、彰は目を細めて部屋の中を見渡した。そこは物が何もない部屋だった。テーブルもベットも椅子も何一つない。だが彰はその部屋を見て少しだけ安堵した。自分以外の人間がいたからだ。
だだっ広い部屋に数多くの男女がまばらに散らばっていた。その大半がいくつかのグループに形成されているようだ。総数はおよそ三十といったところか。
近くにいた五人だけの少数グループが、俺の存在に気付いて視線をぶつけてきた。その中のスーツ姿の男が、彰に友好的な声を掛けてくる。
「君もこっちに来てくれないか? 今この状況について話し合っているんだ」
見知らぬ男に若干の警戒心を抱きながらも、彰は頷いてそのグループの方に歩いて行く。
彰のために開けられたスペースに座ると、先程のスーツ姿をした男が柔和な笑みを浮かべて口を開いた。
「僕は武長(たけなが)、見た目通りの会社員だ。君の名前は?」
友好的な態度を取る武長に応じて、彰も自己紹介をする。
「俺は彰っていいます。単なる高校生です」
名字を言わなかったのは、単純に嫌いだから。彰は親と同じ名字が心底嫌いで、名乗る時は常に名前しか言わないようにしている。
「そうか。よろしく、彰君」
「よろしくお願いします」
丁寧にお辞儀を返す。それを見て武長は笑顔で話し始めた。
「今僕らは、それぞれがここの事を知った経緯を話していたんだ。出てきたパターンは三つ。チラシを拾った。ネットで知った。チラシを貰った。彰君はこの三つの内どれかに該当しているかい?」
「はい。俺はチラシを拾いました」
「そうか。やはり皆チラシやネットなんだな……」
武長は彰に確認を取った後、彰を含めた全員と相談し始めた。彰はそれに耳を傾けながらも、独自に考えをめぐらせていた。
(直接的に犯人サイドとの接触があったのはチラシを貰った人間だけだ。俺もチラシを拾ったとはいえ、ぶつかった相手が犯人サイドの人間だった可能性があるな。だけどぶつかった男がチラシを貰ったか拾ったかした可能性もあるし、チラシを渡してたのはバイトの人間かもしれないんだから、そこから情報を得るのは難しいか……)
すでにここから出た後の事を考えていた彰だが、不意にギィッと言う音が背後から鳴り、思考を中断して背後を振り返った。
幾つもあるドアの一つを開いて、制服姿の可愛らしい女の子が入って来た。
「あ、あの……ここはどこでしょうか?」
女の子が途惑った声で言う。
どうやら未だに自分の状況を理解できていないようだ。
「とりあえずこっちに来てくれ。状況を確認しよう」
「は、はい」
武長がすかさずかけた言葉に、女の子は頷いてこっちに向かって来る。彰が横にずれて場所を作ってあげると、女の子はお辞儀して彰の横に座った。
「まず君の名前を教えてくれるかい? ちなみに僕は武長という会社員だ」
「私は鹿島琴音(かしまことね)って言います。中学二年生です」
「そうか。よろしくね、琴音ちゃん」
武長が彰にしたのと同じ様に挨拶する。
そこで彰は、不意に目の前の男に違和感を覚えた。口では上手く言えないが、何かおかしいという感覚で肌がざわつく。
彰の思考とは関係なく話は進んでいく。
「まず鹿島さんはどこまでこの状況について理解してる?」
「え? あの、目が覚めたらここにいたって事しか……」
途惑いながら彼女が答えた。
それを見て武長は落ち着いて聞くことを促した後、話し始めた。
「おそらくだが、ここにいる僕ら全員誘拐されたみたいなんだ」
「え?」
「皆チラシやネットを見て、ゲームに参加しようと開催地に行った時に、いきなり誰かに襲われてここに連れてこられたんだ」
呆然とする琴音を置いて、武長は話を続けた。まずは理解されずとも事実を言っておこうという事なのだろう。
彰は武長の話を聞いて、自分の中で状況を再確認した。
やっぱり皆理由は違えど、ゲーム開催地に来たところを連れ去られて、目覚めればここにいたんだな。
彰は改めて周りの人間を見渡した。
サラリーマンや主婦、ギャルや不良、そして自分や琴音のような学生、本当に多種多様な人間が集まっていた。中には小学生くらいの男の子もいる。
不意に横から服が引っ張られ、彰はそちらに顔を向けた。
見ればさっき来たばかりの少女が、自分の制服の袖を引っ張っていた。
「どうしたの? えーと、鹿島さん」
「琴音でいいです。あの、貴方のお名前は?」
そういえば名前を名乗ったのは彼女が来る前だったことに気がつく。
「あぁ、ごめん。俺は彰、高校生一年の十六歳だ」
改めて自己紹介する。
彼女はよろしくお願いしますと挨拶した後、再び彰を見た。
「あの、彰さんは怖くないんですか?」
「俺も彰でいいよ。……その怖いっていうのは、この状況についてのこと?」
「はい。もしかしたら私達、このまま殺されちゃうかもしれないんですよ」
本気でそう思っているのが涙を溜めた目から分かり、彰は落ち着かせるために出来る限り冷静に答えた。
「その心配はないよ。殺すつもりだったなら、わざわざここまで連れて来る理由がないからね」
「だけど、殺されなくても、もしかしたら人身売買っていう可能性も……」
「その可能性もない訳じゃないけど、それだったらわざわざ、俺達にカードキーとかナイフとかを渡すのはおかしいと思わない?」
「た、確かに、そうですね……」
アタッシュケースについては、確認を取っていなかったので単なる予想だったのだが、どうやら予想通り全員に配られていたらしい。自分と琴音にだけ渡されているという事はまずないだろう。
彰の言葉を聞いて多少は落ち着いたのか、琴音はホッと息を吐いた。
「彰君って凄いですね。こんな状況なのに冷静でいられるなんて。私なんかもう何が何だか分かんなくて」
「いやそんなことは……」
軽く答えようとして、彰は気付いた。武長を見ていた時に感じた違和感の正体に。
武長は場違いなほど冷静すぎるのだ。いきなりこんな状況に放り込まれたというのに、自己紹介や話し方に緊張感というものが全くといっていいほどない。実質的にこの七人のリーダー的な存在になっているが、それに対する気負いもまるで見られない。元からのリーダー体質なのか、それとも……。
「あの、どうしたんですか? 彰君」
琴音が心配そうにこちらを見てくる。考え事に没頭しすぎていて、周りを気にしていなかった。
「なんでもないよ。ただちょっと考え事をしていただけだから。それと、敬語じゃなくて良いよ。なんだかあまり敬語で話されるのには慣れてなくて……」
部活動をしたことがない彰は、誰かから敬語で話される経験というのが殆どなかった。
「う、うん。分かった」
琴音は軽く笑いながら、砕けた口調で答えた。
話が一段落すると、彰はそっと武長を盗み見た。他の人間と何かを相談しているみたいだったが、やはりその姿は自然体という感じがする。
「あの……」
琴音が何か言いかけたところで、部屋のいたる所で機械的な音が鳴り響いた。
この部屋にいる殆ど全員の人間が、ポケットから音の発信源となっている物を取り出す。
音の発信源、携帯端末から流れる音が不意に止まり、続いて誰か分からない声が端末から響き渡った。
『参加者が全員揃いましたので、ルールの説明を致します』
声は挨拶もなしにそう言った。当然、嵐のような罵倒が端末の向こうにいるはずの犯人に襲い掛かる。
「ふざけるな! いきなりこんなところに連れ込みやがって!」
「早くあたし達を家に返してよ!」
「お前のやってることは犯罪だぞ! 今すぐ俺達を解放しろ」
喚く集団に声は冷徹に返す。
『貴方達はMLGのプレイヤーです。プレイヤーにはこれから、様々なゲームをプレイしてもらいます』
声の事務的な台詞に、プレイヤー達は怒り狂って叫び出した。
「いい加減にしろ! 俺達はゲームなんかに参加しない!」
「どうでもいいから早くここから出せ!」
「なんで私達が参加なんてしなくちゃならないのよ!」
『貴方達が泣こうが喚こうが、ゲームに参加しない限りここから出ることは出来ません。一生をここで過ごしてもいいのなら不参加でも構いませんが』
脅迫じみた言葉に、プレイヤー達は口を閉ざした。こちらが何を言おうが、主導権は犯人側が握っているのだ。
『それではルールのご説明を致します。まずゲームは一つではなく複数あり、ゲームをクリアすれば、ここに来る前にお渡ししたカードキーを使って次のゲームに進むことができます。無論ゲームごとに勝利条件は異なり、基本的には端末によってそれが表示されますのでご確認ください。最終的に全てのゲームをクリアしたプレイヤーが多額の賞金を手にご自宅へ戻れます。説明は以上です。質問はございますか?』
少しの間を置いて、武長が質問した。
「これはミッシング・リンクのゲームと言ったが、ゲームをクリアすればそれを体験できるということでいいのですか?」
『はい。これはミッシング・リンクを行うためのゲームと取ってもらって構いません』
「なるほど……」
このやり取りを聞いて、彰の武長への疑心はさらに強くなった。
普通ここまで異常なゲームの説明を聞いて、あれほど落ち着いていられるものだろうか? 戸惑いもなく簡単に受け入れ、その上ゲームの意図にまで頭が回るなんて、いくらなんでも冷静過ぎるのではないか?
考えれば考えるほど、武長の言動に違和感が纏わりつく。
「彰君、大丈夫?」
気付けば琴音がこちらを見上げていた。
「大丈夫だよ。なんでもない」
「でも、凄く怖い顔してたよ」
その言葉に彰は沈黙で返した。
『他にご質問はございませんか?』
声が再度確認する。彰は目を閉じて、頭を整理してから口を開いた。
「ゲームをクリアすれば帰れると言っていたが、ゲームをクリアできなかった場合はどうなるんだ?」
周りの人間が息を呑むのが分かった。
『当然ゲームオーバーとなります』
「ゲームオーバーになった場合、そのプレイヤーはどうなる?」
彰は間髪入れずに質問した。これだけは聞いておかなければならない。
『ゲームオーバーになったプレイヤーはゲームから脱落したということなので、それ相応のペナルティを受けてもらいます』
「具体的には」
『お答え出来ません』
チッと彰は忌々しげに舌打ちした。これで何が何でも脱落は出来なくなった。
『しかし、そうですね。ゲームオーバーのペナルティもゲームクリアの賞金も分からないままでは、緊張感が足りないゲームになってしまう可能性も否めません。ならば、我々がどれほどこのゲームに対して真剣なのかを証明致しましょう』
「どういう……?」
彰の疑問が言葉になる前に、天井が開き部屋の中心に何かが落ちてきた。
「なっ……!」
殆どのプレイヤーがいきなり現れた物体に目を奪われ言葉を失う。
それはガラスケースに入れられ大量に積まれた、金塊の山だった。
眩い輝きを放つ金色が全員の目を釘付けにする。
『ゲームをクリアしたプレイヤーには成績によって賞金が支払われます。これはその最高金額です。現金に換算して五億円』
「ご、五億……」
一人の中年が喉を鳴らし、目を大きく開きながらガラスケースに近付いていく。
そして金を強引に手に入れようと思ったのか、ガラスケースを思い切り蹴り飛ばした。
しかしその瞬間!
「ぎゃああぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
中年が悲鳴を上げて倒れる。
ガラスケースに触れた一瞬に、男の身体を目に見えるほど強い電流が駆け巡ったのを、彰は視認した。男がピクリとも動かないのは気絶しているからか、それとも……。
『言い忘れていましたが、このMLGではミッシング・リンクを体験していただくためにも、常に理知的な行動が求められます。それを欠いたものは、ゲームの脱落もしくは、このような惨劇を招くことになるでしょう』
全員が一様に息を呑んで黙り込む。
男の身体からは黒い煙が上がっており、それは電撃の凄まじさを物語っていた。
飴と鞭、その両方を見せられたものの、後者の印象がより強く植えつけられたのは言うまでもない。しかし勝てば巨額の賞金を貰えることも伝えておき、恐怖と欲望、二つの感情の誘導をしているのだろう。
『他にご質問はありませんか?』
しばらく誰も口を開かなかった。
『それではゲームを開始させていただきます。王冠が描かれているドアにお入りください』
そこで端末からの声は途切れた。もう誰が何を訊いても返事は返って来ない。
それを確認した後、武長を始めとするプレイヤー達が王冠の描かれているドアに向かって歩き出した。彰と琴音も立ち上がり、自分カードキーを使ってドアをくぐる。
入った先の部屋は驚くほどカラフルだった。その原因は、壁に立て掛けられている絵のせいだ。さっきの部屋と同じくらいの広さに、いくつかの大きな絵が壁に飾られていた。そして奥には四つの扉が見える。それぞれの扉の表面には何かが描かれているようだったが、遠くて何が描いてあるかは分からなかった。
端末がまた鳴り響き、機械的な声が発せられる。
『このゲームの設定を説明致します』
設定? 一々そんなものがあるのかと、彰は眉根を寄せた。
『仲良しの動物四匹はいつも皆で遊んでいました。四匹とは、亀、鼠、兎、猫の四匹です。ある時、鼠が言いました。ねぇ、劇をやってみない? 皆はそれに賛同し、全員で劇をやることになりました。そして誰が主役になるかと言う話になった時、猫は言いました。僕に決まってるだろ。イケメンだし、頭もいい。それに兎が反論します。何を言ってるんだ、僕がやる。僕の方が二枚目だし美人だよ。鼠と亀も名乗りを上げてそれは口論に発展します。すると兎が言いました。じゃあこの中で一番頭のいいやつが主役になるってのはどう? 兎の提案に全員が了承しました。さて主役になれる一番頭のいい動物は誰でしょうか。貴方が主役に相応しいと思う動物の扉をくぐって下さい。ヒントはこの部屋にある絵です。制限時間は三十分。それではスタートです』
そこでプッツリ声が途切れた。
「冗談じゃないぞ……」
彰は歯噛みしながら呟いた。
この程度の情報でペナルティのあるゲームに参加しろというのか。
拉致紛いの方法でこんな所に連れて来られている事と、さっきの中年への仕打ちを考えれば、おそらくペナルティは碌なものではないだろう。最悪殺される事すらあるかもしれない。それなのに、この不親切さはどういうつもりなのか。
意識せず拳を握り締める。
このゲームは山勘で行けば四分の一。到底命を賭けられる確率ではないことは確かだ。
彰が固まる中、武長がグループメンバーに声を掛けた。
「とりあえずこの部屋にある絵を全て見てみよう。話し合うのはそれからだ」
各々が散らばって絵を見に行った。とりあえず彰も琴音と一緒に絵を見ることにする。
彰達が最初に見た絵は、兎が原っぱで昼寝している姿と、亀が木の根元にタッチしている姿を描いた絵だった。
「あ、これってウサギとカメだよね」
琴音が無邪気に笑いながら言った。
確かにそれはどこからどう見ても、誰でも知っている民話の絵だった。ご丁寧に、下には物語の概要まで書いてある。
この絵を見て彰は頭を捻る。
一体この絵にどんなヒントがあるというのだろうか? 途中で昼寝した兎は頭が悪いとでも言いたいのか、それとも逆に亀の頭がいいと言いたいのか。
彰は至って真面目にそう考え、とりあえず次の絵を見ることにした。
次の絵は、子供達と虐められている亀の絵だった。
「浦島太郎だ」
琴音が丁寧に口に出して教えてくれる。
さらに次の絵では、犬のおまわりさんが泣いている子猫の頭を撫でており、そして次の絵では猫が鼠を追いかけていて、後ろで多くの動物が笑っていた。
そこで彰はなんとなく嫌な予感がした。
……もしかして、ここに飾ってある絵の全部が童謡やら童話の絵なんじゃないか?
だが彰の予想は次の絵で大きく外れた。
その絵は五匹の動物が描かれている絵だった。
右には龍、左には虎、下には赤い鳥、上には亀、そしてその亀に絡みついている蛇。
その絵は他とは明らかに違い、筆使いもハイクオリティーなタッチで描かれている。
「……四神?」
聞き覚えのある言葉に記憶を揺り返す。無駄知識の多い陸斗ならすぐに出て来るのだろうが、彰にそんな無駄なスペックは残念ながらない。
とりあえず説明を詳しく読んでみた。
『右・青龍。下・朱雀。左・白虎。上・玄武。彼らは四神と呼ばれ、中国神話に登場する四方向を守る聖獣である。青龍はその名の通り青い龍の姿をしており、色は青。方位は東を司る。朱雀は鳳凰の姿をしており、色は赤、方位は南。白虎は白い虎の姿をしており、色は白。方位は西。玄武は亀に蛇が巻きついた姿をしており、色は黒、方位は北。それぞれが、東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武と言われている』
読み終えて、やはり昔何かで読んていたことを実感する。しかし、ここに書いてある以上の知識は、彰にはなかった。
この四神の絵は他の絵とは明らかに毛色が違うが、それに意味があるかはまだ分からない。とりあえず、他の絵も見て回ってから考えるしかないだろう。
そしてあとの絵をさらっと眺めていき、彰は四神の絵が例外だったことを確信した。
他の絵は全て童話や童謡の絵だったからだ。もしかしたらあの絵がこのゲームのキーパーソンかもしれないが、ただの引っかけである可能性も否めなかった。
全ての絵を確認し終えると、彰は頭の中で整理を始めた。
四神を除けば、ヒントとなる絵は、ウサギとカメ。浦島太郎。犬のおまわりさん。干支の童話。おむすびころり。この五つだ。
そのどれにも四匹の動物のいずれかが登場していた。四神も含めるなら、この六つの絵がヒントになっており、これを正しく読み解ければゲームをクリア出来る事となる。
彰達はとりあえず、自分達のグループが集まっていた所に戻った。
「それじゃあ皆の意見を聞かせてほしい。なんでもいいから、考えついたことを言ってくれ」
武長は全員に開口一番そう言った。
それを聞くと、体格のいい男が考える間もなく、いの一番に口を開いた。
「俺は亀の扉に入るべきだと思うぞ。明らかに他の動物より頭がいい」
よほど自身があるのか、男は胸を張って言い切った。
「だってよ、兎は昼寝したし、猫は迷子になってるだろ。そして鼠はその猫に追いかけられてる。それならどう考えても亀だろ。兎を出し抜いて競争にも勝ってるんだからな」
「ちょっと待ってよ。鼠はおむすびころりで悪いおじいさんを追い返してるわ。それに亀は浦島太郎でいじめられてるのよ」
中年の女が口を挟むと、男は批難されたと勘違いしたのか、語気を荒らげて反論した。
「その鼠が猫に追いかけられてるんだろ! それに亀は力がなかったからいじめられてただけで、頭が悪い訳じゃない」
「それなら鼠だって同じよ。猫に追いかけられたのは頭が悪かったからじゃないわ。むしろ頭が良かったからよ」
女は臆することなく男と言い争った。
彰は二人の意見を参考にして、自分の考えをまとめる。
(四匹の中で一番確率が低いのは兎だろうな。実際に兎が活躍している絵はない上、失敗だけをしている。頭が良さそうなのは男の言う通り亀だ。亀は兎との競争に勝ってるし、浦島太郎の絵も頭が悪いからいじめられてるわけじゃない。それなら単純にいけば亀という結論になるが……)
男の言っている事は確かに理に適っていた。だが女の言っていることも無視できない要素がある。
(鼠は確かにおじいさんを追い返してる。そして亀と同じく頭が悪いからいじめられている訳じゃない。それならこの二匹の二択になるのか? いや、それでもまだ二分の一にしかならない。考える時間はまだあるんだ。もっと分析してからでも遅くはないか……)
彰はそう考え、とりあえず話し合いに参加しようとしたが、まだ男と女が言い争っていたため出来なかった。
「だから亀が一番頭がいいだろ!」
「違うわ、鼠よ!」
「亀だって言ってるだろうが!」
「鼠だって言ってるでしょ!」
男は顔を真っ赤にして本気で怒鳴っていた。一方女は意地になってるだけの様だ。
男は痺れを切らしたのか、女に背を向けると大声で叫んだ。
「絶対に亀だ。今からそいつを証明してやるよ!」
そう言うと男はスタスタ歩いていき、亀が描かれている扉に迷わず入った。
それを見て武長がハァと深い溜め息をつく。
「あれで証明したことにはならないんだけどな。……まぁ仕方ない。僕達はもう少し考えてから行くことにしよう。時間はまだたっぷりあるんだ。焦る事は無いよ」
男が間違った扉に入ったかもしれないというのに、武長は冷静だった。
その言葉に男を心配していたプレイヤーもなんとなく流されてしまう。
「彼の言っていた事も尤もだと僕は思うんだけど、皆はどうだい? 他にも色んな意見が出ると助かるんだけど」
全員が黙る中、彰は静かに手を上げて発言した。
「意見ってほどでもないけど……」
「何かな?」
武長が笑顔で促してくる。それにわずかに眉を顰めながら彰は言った。
「鼠っておじいさんを追い返したって言っても、実際は頭を使ったわけじゃないんじゃないか?」
彰の言葉に全員が一度黙考し、なるほどと声を上げた。
そう、おむすびころり悪いおじいさんは、鼠に噛まれて逃げ出したのだ。別に鼠が智謀を巡らせて追い返したわけではない。
彰の一言により流れが変わり、亀なんじゃないかという方向に意見が傾き出した。男と言い争っていた女は不満そうにしているが、それに一々配慮していては埒が明かない。
そして十分ほど話し合った結果、グループの総意は亀が一番頭が良いというものになった。
結論が出てからは雰囲気が洋々とし、プレイヤーの中には笑みを零している者もいた。
そんな中、琴音が小声で話し掛けてくる。
「彰君のおかげで、もうクリアしたも同然だね」
「そうだな…………クリア、出来るんだよな?」
琴音が嬉しそうに笑うが、彰はまだ本心から笑えなかった。こんなにも簡単にクリア出来る程簡単なゲームなのか、という疑問が頭から離れないのだ。
「どうしたの彰君?」
「いや、なんでもない」
彰は首を振って笑った。
こんなことを考えていても、悪戯に琴音を不安にさせるだけだ。もう考えるのはよそう。
残り五分になったところで、彰達のグループは亀の扉をくぐることになった。
彰以外は全員、亀の扉をくぐることになんの不安も抱いていない様だ。
そんな中、誰かが軽い調子で言った。
「よし。とっととゴールして、こんな所からはおさらばしようぜ」
皆が歩き出し、彰もそれに続きながら最後にもう一度このゲームについて考えた。
ウサギとカメの童話では、兎は亀に負けている。つまり兎は亀よりも頭が悪いと言う構図がこれで一つ出来上がり、犬のおまわりさんでは猫は迷子になってしまっているので、明らかに賢くはないだろう。干支の童話でも鼠が兎に勝っているので、ここでも兎は鼠よりも頭が悪いということになる。ここまででもう、猫と兎の二匹はもう選択肢から外していいだろう。
残りは亀と鼠。
二匹は共に兎に勝っている。ならばどちらがより頭脳的な勝ち方をしているのか、そこに焦点を当てるべきだろう。亀は兎と遥かに能力的に差がある競争をしたのにも関わらず勝利を収めている。一方鼠は、牛を使って十二支の一位を取り、間接的にウサギに勝利している。イメージ的にどちらかと言えば亀の方が賢く勝っているように見えるのだが……。
――本当にこれでいいのか?
彰は首を捻りながらも、グループのプレイヤーと一緒に亀の扉に向かった。
考え込みながら歩いていたせいで歩調が遅くなり、彰の後ろには武長だけしか歩いていない。
チラッと見えたその顔は、笑っているように見えた。
(武長は本気でクリアを狙っていたはずだ。その男が笑ってついて来てるって事は、やっぱり亀の扉は正解なのか?)
先頭が扉にあと数歩で辿り着くというところで、彰は不意に気がついた。
(いや、違う! 武長が正解を確信しているのならば、あいつは最初にここの扉をくぐってきた時の様に先陣切って扉をくぐるはずだ。それがリーダー的立場にいた武長の役割のはず。そしてそれは当然、武長自身も分かっているはずだ。それなのに黙って最後尾からついてきているという事は……!)
彰はカードキーを差し込もうとしているプレイヤー達に向かって叫んだ。
「止まれ!」
怪訝な顔をしてプレイヤー達が彰を見る。だが彰はそれに構うことなく思考の海へと意識をダイブさせていた。
亀が違うとなれば鼠なのか? だが賢い勝ち方をしているのは亀のはずだ。なら鼠が主役になるのはおかしい。だが武長のあの態度には絶対に何かがある。あの笑い方は、まるで敵が自滅するのを嘲笑うかの様な、残虐さが隠れた笑みだった。
…………自滅?
「そうか!」
思わず彰は口に出して叫んでいた。突然叫んだ彰に、プレイヤー達が奇異の視線を向けてくる。
「正解は鼠の扉だ。その扉をくぐるな! ゲームオーバーになるぞ!」
ハァ? と、プレイヤー達は訳が分からないという目で彰を見る。そして溜め息をついて首を振ると、再び亀の扉に入ろうカードキーを通そうとする。
「待て! その扉に入ったらゲームに脱落するぞ!」
彰の叫びに、武長が後ろから口を挟んできた。
「おかしな事を言うな、彰君は。たった今、皆で亀の扉が正解だって話し合ったばかりじゃないか」
武長の言葉にプレイヤー達が賛同するのを見て、彰は完全にこの男を敵だと認めた。この男は悪意を持ってプレイヤーを蹴落とそうとしている。
「俺は考えを改めた。じっくり考えれば分かる、正解は鼠の扉だ」
「じゃあそれを説明してくれよ。納得出来れば僕達もそっちに行くさ」
武長はおそらくここで他プレイヤーを減らして、次からの勝率を高めておきたいのだ。だから正解が分かっているにも関わらず、偽の扉をくぐらせようとする。
「そんなことをしてる時間は無い。タイムリミットがもう迫ってるんだ」
端末が表示したタイマーは、もう一分を切っていた。
「それじゃ話にならないな。僕達はさっさと亀の扉に入るとするよ」
嘲笑うかのような勝利の笑みを浮かべて、武長は彰を見下ろした。それに対し、彰も負けなど微塵も感じさせない目で笑う。
「……そうか、ならとっとと入れよ。あんたが一番先に」
彰の言葉を聞いた瞬間、武長が初めて動揺を露わにした。そして彰にだけ見える範囲で歯噛みする。
「亀の扉が正解だと言うなら、あんたが一番先に扉をくぐれよ。そうすれば俺も、あんたの意見が正しかったと認めてやる」
「それはさっきも言った通り、正解だという証明にはならないよ」
「出来ないのか? 俺は鼠の扉が正解だと思ってるから、入れと言われたら迷いなく入れるぞ」
そう言うと彰は群集から離れ、カードキーを使って二つ隣の扉を開けた。
「じゃあまたな武長。お前がここに入ってくる事は分かってるから、サヨナラは言わないでおくよ。行こう琴音」
彰が扉の中に入ると、途惑いながらも琴音もそれに続いていった。
残されたプレイヤーは一様に武長を見る。彰の言葉を聞いて、どちらに入るべきか迷っているのだ。
残り時間が十秒を切ったところで、武長は勢い良くカードキーを使って鼠の扉へと駆け込んだ。
それを見たプレイヤーは、一斉に亀の扉に背を向けて鼠の扉へと押し寄せる。その様子は、まるで閉まる直前のエレベータを見ている様だ。
中で待ち伏せていた彰は、武長を前にして嘲笑した。
「騙し切れなかったみたいだな、卑怯者」
憎しみの目を彰に向けると、武長は怒り抑えた低い声で言った。
「君がまさかこんなにも厄介な存在だったとはね。これからは用心することにするよ」
捨て台詞を残し、武長は彰の横を乱暴な足取りで通り過ぎていく。
武長が離れるのを見届け、彰は軽く息を吐くと辺りを見渡した。
この部屋は驚くべきことに、今までの部屋と比べて数多く日用品があった。
冷蔵庫や食料、洗面台やトイレ(トイレには勿論仕切りがある)。ソファや椅子といった座る物は置かれていないが、それでも前の部屋とは段違いの差だ。
彰が部屋を観察していると、琴音がそういえばと声をかけてきた。
「さっきの問題って、なんで鼠が答えだったの?」
小首をかしげる琴音。彰は大してすることもなかったので、暇つぶしもかねて琴音に説明を始めた。
「さっきの問題は、単純な引っ掛けクイズみたいな物だよ」
彰はそう前置きすると、自分が鼠と亀の二択にまでなった所までの考えを詳しく教えた。
「つまり、兎には亀も鼠も両方勝ってるから、状況的にどっちの頭がいいか判断出来ない」
「ならなんで鼠の方が主役になるって分かったの?」
「そこは鼠と亀の勝ち方が問題になるんだ」
琴音に分かるように彰は丁寧に説明する。
「干支の話では、鼠は牛を使ってどの動物よりも先に神様の元にたどり着き、頭脳的プレイで勝利を勝ち取ったんだ。だけどウサギとカメの亀は違う」
じゃあここで質問、と彰が指を一本立てた。
「ウサギとカメの物語で、亀はどうやって兎に勝ったでしょう?」
「それは、ウサギさんが昼寝しちゃったから……あ!」
琴音が気付いて声を上げた。
「そう。亀は実は何もしていないんだ。たまたま兎が寝ちゃっただけで、亀は運良く兎に勝てただけ。だから亀は頭を使ったわけでもなければ、賢いわけでもないってことさ」
自信たっぷりに彰は説明を終えた。自分の論理的思考で出した結論を聞いてもらう楽しさっていうのが、今はなんとなく分かる。テレビで得意げに話す学者の気分だ。
「凄いね彰君。そんな難しいっていうか、引っ掛け問題をあんな短い時間で見抜くなんて」
「まぁ、な」
琴音が褒めてくれるのを嬉しくを感じ、だが妙に照れ臭くて、彰は明後日の方向を向いて頭を掻いた。
そうこうしてる内にポケットの中の携帯端末から着信音が鳴り、またも声が聞こえてきた。
『プレイヤーの皆さん、第一ゲームのクリアおめでとうございます』
感情の込められていない声が響き渡る。
『これより第二ステージを始めるので、奥にある扉にお入り下さい』
不服そうな顔をしながらも、全員が次の部屋へと進んだ。
次の部屋には、光源であるロウソクが、壁に一定間隔で掛けられている。しかし広さはそれなりで、中学や高校の体育館並の大きさはありそうだった。中心に、小さくも大きくもないテーブルがあり、その上にはいくつものリンゴが置いてあった。
『この中のリンゴに一つだけ外れがあります。全員が一つずつ食べ、外れのリンゴを食べた物がゲームオーバーとなります。外れのリンゴかどうかは、口に含めばすぐに判別出来るのでご安心下さい。正解を食べた者は、奥にあるドアにカードキーを差し込み次の部屋に進むことが出来ます。尚、リンゴを食べなかったプレイヤーは自動的にゲームオーバーとなるのでご注意ください。制限時間は一時間です』
いきなり声がぶつりと途切れた。
彰はそのゲームの内容を聞いて愕然とした。他にも半数くらいのプレイヤーが彰と似た反応をし、後の半数は意味が分かっていないのか首をかしげている。
琴音も分かっていなかったようで、彰の袖を引っ張って小声で訊いてくる。
「ねぇ彰君。これってどういう意味なの?」
「…………多分、あのリンゴの中の一つは毒リンゴだ。それも口に入れただけで効果が表れる即効性の」
「えっ! そんな……」
彰の言葉を聞いた途端、琴音は口元に手をやり、わずかに震え出した。
それもそうだろう。ここにいるプレイヤーは十三人。リンゴの数も十三個。つまりこの中の一人は確実に毒リンゴを食べることになるのだ。十三分の一と聞けば当たらないように思えるが、その実それは確実に誰か一人が外れに当たることを意味する。そして外れを引く一人は、自分である可能性が確かにあるのだ。
「琴音、ちょっと来てくれ」
そう言うと、彰は琴音の手を引いて部屋の隅に向かって歩き出した。
集団からある程度距離をおくと、しゃがみ込んで話し始める。
「なんで皆と離れるの?」
「あの中にいるのは危険だ」
「え?」
訳が分からないという様に琴音が首をかしげた。
「このゲームでは、リンゴは必ず一人一個は食べなくちゃいけない。そしてこのゲームで重要なのは、リンゴを一つ食べるという定義だと俺は思うんだ。琴音は半分に切ってあるリンゴを食べて、一個丸々食べたって言うか?」
「ううん。半分しか食べてないから、一個とは言わないかな」
「なら一口分だけ欠けているリンゴを食べたら、一個全部食べたって言うか?」
「それなら……言うかな。だって殆ど自分で食べてるわけだし」
「だろ。俺はこのゲームではそれが一番重要になると思う。そしてこういう異常な状況下だと、とんでもない奴が現れるかもしれない」
「とんでもない奴?」
「他のプレイヤーに毒味をさせる奴」
「嘘でしょ!」
「信じられないかもしれないけど、そういう奴は多分現れる。そしてそいつは、自分より弱そうな女や子供をターゲットにする。だからこのゲームじゃ、俺や琴音みたいな年の若い学生は、集団から離れて数人で固まらなきゃ、強引に毒味をさせられてしまう可能性が高い」
「そ、そんな……」
琴音は震えながら何度も首を振る。だがこれが現実だ。こんな状況になれば、自分だけ助かればいいと思う奴は十中八九現れる。生半可に人を助けようとすれば、道連れになって脱落するだけだ。
狂っているのだ。このMLGというゲームは。人の思考を自分本位に誘導し、それができない者は容赦なく脱落させる。人の醜い部分を露呈させながらも、自棄になって理性を失う事すら許さない。そんな中でゲームをプレイすれば、いずれ必ず精神がやられるだろう。ゲームをクリアするのが先か、壊れるのが先か。それを試されているかのようだった。
「あっ……」
「どうした? 琴音」
琴音は目を見開いて一点を凝視していた。彰もそちらに視線を向けると、女子大生風の女が小学校低学年くらいの男の子にリンゴを勧めていた。
(やっぱりか)
彰は心の中で嘆息する。
そして彰が目を背けようとして身体を反転させる前に、琴音が二人に向かって駆け出した。
「なっ、琴音!」
彰が驚き制止の声を上げるが、琴音は耳をかさずに男の子と女子大生の間に飛び込んでいった。
「あんた何よ。私はその子と話してるんだけど」
女子大生が戸惑いの声を上げた。
琴音は真っ直ぐ女の目を見返して言った。
「あなたこそ、この子と何を話してたんですか?」
琴音が男の子を守る様に両手で横から抱きしめる。
「私はその子にゲームの説明をしてあげていたのよ、まだ小さいからよく分かってないと思ってね」
「嘘です。この子にリンゴを食べさせようとしてたんでしょう!」
「なっ……、いきなり何言うのよあんた!」
女子大生の女が声を荒らげるが、琴音は取り合わなかった。
「この子には私が説明します。だからもう戻ってください」
「何わけ分かんないこと言ってるのよ。いいからそこをどきなさい!」
女が琴音を男の子から引き離そうと一歩前に出たところで、彰はその間に割って入った。
「もうやめにしといた方が無難だぞ」
「何よあんた。邪魔しないで」
「仮にあんたがこの子にリンゴを食べさせたとしても、今の口論で全員から注目を浴びてるこの状況じゃ、そのリンゴは誰かに奪われて終わりだろうな。それともあんたは、男に勝てる程の武道家なのか?」
「くっ……」
女は辺りを見渡して、自分を見る周りの野獣のような目に気付いたのか、覚えてなさいよと漫画の様な捨て台詞を吐いて立ち去った。
「あ、ありがとう。彰君」
「いいから早く隅に行こう。目立つのは得策じゃない」
「うん」
琴音は男の子を連れて壁際へと歩いて行った。彰もそれに続く。
部屋の隅に三人で座ったところで、琴音が改めてお礼を言った。
「本当にありがとう彰君。彰君がいなかったら、本当に危なかったよ」
「あぁ」
正直彰はこの状況を良しとしていなかった。
琴音一人ならまだしも、この男の子まで助けながらゲームクリアを目指すのは相当困難だ。ただでさえ学生という立場が非常に弱い身分なのに、さらに子供が増えたとなれば、絶好の標的になることは間違いない。最悪身動きを封じられ、強制的に毒味させられることもありえなくはなかった。
そんな彰の胸中も知らず、琴音は男の子の頭を撫でて楽しそうに会話をしていた。
「君の名前はなんていうの?」
「ぼく、秋(しゅう)っていうんだ」
「秋君か、カッコイイ名前だね」
二人は状況的にあまりにも場違いな会話を和気あいあいとしている。周りの殺気立った雰囲気にはまるで気付いてないようだ。
「秋君はどうしてこんなところに来たの?」
おそらくは、何故このゲームに参加しようと思ったかを訊いているのだろう。
「ぼくね、ここに来たらゲームが出来るって聞いたんだ。それでね、すっごく楽しみにしてたの」
「そ、そうなんだ……」
琴音の表情が明らかに暗くなった。
「それでね、気付いたらいつの間にか寝ちゃってて、ここにいたの。ねぇお姉ちゃん、ぼくゲーム出来ないの?」
「それは……」
琴音が言葉に詰まるのを見て、彰は助け舟を出した。
「ゲームはここから出たら貰えるんだってさ。だから今は、お兄ちゃん達と一緒にここでお話ししてようか」
「うん。分かった」
笑顔で頷く秋を見て、琴音は安心して息を吐いた。
「ありがとう彰君。助かったよ」
「いや、まだ助かっちゃいない」
「え?」
「この部屋にいるプレイヤー全員が殺気立ってる。だから今は、あまり刺激しない様に出来るだけ秋と静かにしていてくれ。――だけど秋が不審に思うのもまずいから、小さな声で会話は続けて」
「う、うん」
琴音は後ろから秋を抱きしめた。
彰は警戒しながら辺りを窺う。
「秋君は、何歳なの?」
「八歳!」
元気良く秋が答えた。その大きな声に慌てながらも琴音が会話を続ける。
「そ、そうなんだ。じゃあ小学三年生なのかな?」
「うん。ぼくあと一ヶ月で九歳なんだ」
「へぇ。じゃあ何かお母さんに買ってもらったりするの?」
「うん。新しいゲームを買ってもらうの」
嬉しそうに秋が琴音の腕の中ではしゃいだ。琴音もそれを見て笑みを零す。
「私もね、あと三週間で誕生日なの」
「そうなんだ。おめでとうお姉ちゃん」
「ありがとう秋君」
本当に嬉しそうに琴音は笑った。その笑顔を見て、彰も多少なりと安堵する。こんな状況でも笑えるのなら、それにこした事はない。
「秋は好きな子とかいないのか?」
彰も会話に混ざることにした。多分すぐにどうこうなる事態でもないだろうし、警戒しすぎて神経を使い果たすわけにもいかない。
「え? それはその……」
秋はもじもじと両手を絡ませた。子供は本当に分かりやすい。
「あ、秋君好きな子いるんだ」
琴音が楽しそうな声を上げた。
それを見て彰は学校での事を思い出した。
(あの時は陸斗が当人である奏に問い詰められて困ってたっけな)
その時の事を思い出し、彰は思わず笑みを零した。
それを目ざとく見ていた秋が指をさして笑う。
「お兄ちゃんが笑ってる」
琴音も振り向いて彰を見た。笑っている彰に琴音は驚いていたが、すぐに笑顔に戻った。
「彰君が笑ってるところ初めて見た。そっちの方が全然いいね」
秋と琴音が揃って見てくるので、彰は恥ずかしくなってそっぽを向いた。
「そう、かな……」
「そうだよ、ねぇ秋君」
ねーと秋は楽しそうに笑った。
その姿は本当の姉弟の様で、こんな状況下においても自然と笑顔になってしまうような、和やかな光景だった。
「そういえば秋君、好きな子いるんだよね」
琴音が話を蒸し返した。どうやら相当気になっていたようだ。女子が色恋沙汰を好きなのはどこも同じということか。
そういえば陸斗や奏、そして家族は俺がいなくなったことに気付いているだろうか? 眠っていた時間を少なく見積もっても、もう三時間以上は経っているはずだ。放課後だったので陸斗や奏には分からなくても、母親はいつも通りの時間に俺が帰宅していないことに気付いているだろう。それなら捜してくれていてもおかしくないが……。
そんな訳ないか。あの母親だもんな。
彰は心の中で溜め息をついた。家族が自分に対して関心がない事は知っている。おそらく彰が何も言わずに一日二日帰らなかったところで、彰の身ではなく世間体を気にするだけで何もしないだろう。それならば明日、学校に来ない彰を不審に思って、陸斗か奏が音信不通になっている彰の携帯に気付く方が早いはずだ。
それからしばらくして、琴音が小さな声で彰に言った。
「彰君って本当に凄いね。こんな状況なのにずっと冷静で、私や秋君を助けることまで考えてくれてる」
「いや、そんなことないよ。俺はただ、虚勢を張ってるだけさ」
彰は謙遜ではない本心からそう言った。
そう、俺は今まで必死に虚勢を張っていただけだ。気を抜いたら震えて立っていられそうになかったから、あの最初の部屋を出る時に決意した。どんな時でも取り乱さない。絶対にこんなゲームクリアして、陸斗や奏と馬鹿話する生活に戻る。そう決意した。だから彰は初対面の武長をずっと疑っていたし、ゲームをクリアするために秋を見捨てようとした。自分は冷静なんかじゃなく、単なる怖がりなのだ。手の平よりも大きい物を持ってしまったがために、自分も道連れになってしまうのが怖いチキンなだけ。俺もあの女子大生と同じで、誰かの道連れになるくらいなら、自分一人で生き延びようとする最低の人間だ。琴音を助けようとしてるのだって、自分の良心を保つために打算でやっているだけに過ぎない。
彰は思わず上を向いて空を見上げようとした。だが視界は無機質な天井によって遮られており、空は見えない。
「ここは空が見えないんだな……」
「え? 何か言った? 彰君」
溜め息混じりの呟きに気付いた琴音が聞き返してくるが、彰は首を振るだけで返事はは返さない。
そしてしばらくの間、プレイヤー達は誰も動かなかった。もし誰かがリンゴを食べてそのリンゴに毒が入って無いと分かれば、そのリンゴをめぐって争奪戦が起こる。誰もがそうなると分かっているゆえに、誰も動けないのだ。それでなくても、十三分の一の確率に命を掛けて挑もうという勇気あるプレイヤーは、この中には存在しなかった。
彰はノーリスクでリンゴを食べる方法を模索し始めた。プレイヤーは十三人。そしてリンゴは十三個。その中で外れは一個。おそらく即効性の毒が混入されているが、リンゴは見たところ全て何の変哲もないただのリンゴだ。
状況を整理してみたが、一向に攻略法は思い浮かばなかった。
…………いや、待てよ。
「琴音、俺ちょっとだけここ離れるけど、すぐに戻って来るから秋と一緒に待っててくれないか?」
「う、うん分かった。気をつけてね」
彰は頷いて、部屋の中心にあるテーブルに向かい、その上のリンゴを一つ一つ手に取り調べ始めた。
辺りにいるプレイヤーが、リンゴを食べるのかとこちらの様子を窺っているのが分かる。
見当外れもいいところだが、彰はあえて何も言わずに作業に集中した。
十三個全てのリンゴを調べ終え、彰はリンゴを食べる事も持っていく事もせず、琴音と秋の元へ帰って行った。
「彰君、何をして来たの?」
「リンゴに毒が混入されたなら、何かしらの跡がないかと思って見て来たんだけど……」
彰が悔しそうに歯噛みした。
「……何もなかったの?」
聞きづらそうにしながらも、琴音は確認してくる。
「いや、確かに跡はあったんだ」
だが、と彰は続ける。
「毒を混入した跡が半分のリンゴにあった」
「え?」
「つまりゲームの主催者側がリンゴを用意する時にわざとつけたんだ。そうなると、跡がない方のリンゴにも毒が混入されてる可能性が出てくる」
「そんな……」
それは結局のところ何も成果を上げていないという事だった。
いや、逆に掻き乱されただけと言っていいかもしれない。
これならもうどちらかに的を絞って食べた方が良いのか? だがそれで間違っていたら、俺だけじゃなく琴音や秋まで危険な目にあわせる事になる。
余計な情報が入った所為で、彰の頭は混乱に陥り始めていた。
犯人サイドの思惑を読み取ろうと必死に思考を巡らすが、考えれば考えるほどに裏を読まれている様で、彰には判断をするが出来ない
携帯端末をポケットから出して画面を見た。
残り時間は、十五分。
それまでに、必ずリンゴを食べなくてはいけない。
「いい加減誰かリンゴを食えよ。このままだと全員死ぬぞ!」
髪を茶髪に染めた高校生くらいの男が不意に声を張り上げた。
「だったらテメェが食えばいいだろ! 俺達に押しつけてんじゃねぇよ!」
こちらも柄の悪い大人の男が怒鳴り声で応じる。
「なんだとコノヤロウ!」
「テメェだって怖くて食えねぇくせして、俺達に食わせようとすんじゃねぇよこのチキン野郎!」
「誰がチキンだコラ! 死にてぇのか!」
「上等だかかって来やがれニワトリ野郎!」
一触即発の雰囲気に、琴音が震え出した。
「怖いよ、彰君……」
震える琴音を見て、彰は限界だと感じた。このままじゃ立場の弱い自分達はいずれ誰か毒味をさせられてしまう。そうなれば、ゲームオーバーは確実だ。
彰は琴音の肩を掴み、真剣にその眼を覗き込んだ。
「琴音、俺にお前の命を預けてくれないか?」
「え? どうするつもりなの、彰君」
「リンゴを食べる」
驚愕で琴音の目が限界まで開かれる。
「今動かないと、確実に俺達は毒味させられる。それなら十三分の一の確率にかけて、リンゴを食べてしまったほうが生き残れる可能性が高いんだ」
「……で、でも、跡がついてるのとついてないの、どっちを食べるの?」
「それはもう気にしない。あれは多分攪乱のためだけにつけられたものだ。それなら気にせずに、十三分の一に賭けた方がまだ助かる可能性がある」
三人で何も考えずにリンゴを食べた場合、外れを引く確率は十三分の三に見える。しかし順番に食べ誰も外れを引かなかった場合、確率は十三分の一、十二分の一、十一分の一となる。
逆に跡の有無で判断した場合、まずは二分の一の選択をすることになる。そして次に外れが選んだ方にあった場合、七個あるほうであっても、七分の一、六分の一、五分の一となる。これも全員で一度に食べれば七分の三だ。
これだけ考えれば、七分の三を二倍した確率である十四分の三の方が良いと思えるが、実際には六分の一の倍である十二分の一の確率もあるし、もし二分の一で外してしまった場合、外れを引く確率が跳ね上がってしまう。こう考えた場合、十三分の一の確率に賭けた方が生き残れる可能性がある事になる。全て単なる言葉遊びでしかないが、それでも気休めは必要だった。
しばらく琴音は口を開かなかった。悩んでいるのだろう。たとえ十三分の一の少ない確率でも、命を掛けるのには相当のリスクを背負わなければならない。正直に言えば彰にだって、こんな状況でなければ絶対に出来ない選択だ。だが、ここで臆病風に吹かれているわけにはいかない。
「頼む、琴音……」
琴音は秋を強く抱きしめて、動かなかった。やっぱり駄目か、と諦めようとした時、琴音は顔を上げて彰を見た。
「……分かった。彰君を信じるよ」
「ありがとう。琴音」
彰は嬉しさのあまり涙を零しそうになったが、今ここで泣いている暇はない。
「だけどどうするの彰君。今リンゴを食べたらすぐに他の人に盗られちゃうよ」
「大丈夫。俺に作戦がある」
そう言うと、彰はポケットから何かを取り出した。
「彰君、それ何?」
「最初の部屋に置いてあった手紙だよ。念のためとっておいたんだ」
「そんなの出してどうするの?」
「こうする」
彰はその紙を三つ折にし、口の中に入れ出した。丸めないように気をつけながら、ゆっくりと。
すっぽりと紙を口の中に入れると、彰はおもむろに部屋の中心に歩き出し、テーブルの上にあったリンゴを手に取る。
その光景に、さっきまで言い争っていた男達や、他のプレイヤー達も固唾を呑んで成り行きを見守った。
完全な静寂が部屋を包む。
プレイヤー全員からの注目を浴びながら、彰は手に取ったリンゴを大口に齧り付いた。
部屋にいる全員が見守る中、彰は口の中の物をゆっくりと咀嚼して飲み込む。
だが彰は倒れもせずにケロリとしている。それを見た全プレイヤーは彰のリンゴめがけて一斉に突進をかけ始めた。
彰は慌てることなく、手に持ったリンゴをあらぬ方向へと投げ捨てた。プレイヤー達は彰に見向きもせずそちらを追いかけていく。
大乱闘が始まろうとする中、彰はテーブルに有ったリンゴを無雑作に三つ手に取ると、琴音と秋の元に戻った。
「大丈夫なの? 彰君!」
彰はそれに答えることなく、口の中から何かを吐き出した。
床に転がったのはさっき彰が口に入れた紙と、その中に包まれている飲み込んだはずのリンゴの欠片だった。
「飲み込んだふりをしただけさ。今なら皆あのリンゴに集中してる。こっちも早く食べよう」
そう言って、彰は秋と琴音にリンゴを手渡した。
だがやはり、二人ともすぐに食べることは出来なかった。今手の中にあるリンゴは自分の命を奪うかもしれないのだ。並大抵の覚悟で口にすることは難しい。
彰と琴音が躊躇している内に、秋がそのリンゴを無邪気に口にした。
「秋!」
彰が叫んだが、秋は気にせず美味しそうにリンゴを頬張っている。
二人は緊張して秋を見るが、異変が起こる様子はない。それ確認した琴音と彰は、決意したように一度目線を合わせると、思い切りリンゴに齧り付いた。
慎重に咀嚼しながら、ゆっくりと飲み込む。
五秒ほど息を止めて待ち、自分の身体に異常がなことを確めると、彰は大きく息を吐いた。見れば琴音も同じ様に息を吐いている。どちらのリンゴにも、毒は入っていなかったようだ。
「良かった……」
「あぁ。当たりだったみたいだな。――それじゃあ早く食べて、次の部屋に進もう」
「うん」
そうして三人はリンゴを食べ始めたが、その安心も束の間。明良達に気付いたプレイヤーが声を張り上げたのだ。
「あいつらリンゴ食ってるぞぉぉぉ!」
一瞬部屋中から音が消え、次の瞬間怒涛の様にプレイヤー達が押し寄せてきた。
「まずい、逃げろ!」
彰達は立ち上がって駆け出した。三人はまだ半分程度しかリンゴを食べていない。つまりまだ次の部屋に進む事は出来ない。
「早くリンゴを食べるんだ! それしか手はない!」
彰は叫び、まだ半分近く残っているリンゴを無理矢理口の中に突っ込んだ。
琴音は大きく口を上げて噛み付くが、まだ四分の一程残っている。秋もまだ琴音と同じくらい残っているようだ。
「クソッ! どうにかならないのか……」
彰は歯噛みするが、プレイヤー達は狂気の目で突進して来る。そしてとうとう扉のある壁際まで追い詰められてしまった。
彰は琴音と秋を見た。どちらもあと二口分くらい残っている。彰は思わず腰の辺りにセットしてあるナイフに触れた。
もうこれで時間を稼ぐしか……。
彰が決意してナイフを引き抜こうとする寸前、視界の隅に床に転がっているリンゴが映った。
その瞬間、彰の周りの時間が止まった。
雷にでも打たれたかのように、彰は固まったまま、たった今浮かんだ考えをまとめる。
わずか二秒にも満たない時間で結論を出した彰は、振り向くと秋の着ていたTシャツを引き千切った。
「あびらぐんばにして……」
リンゴを口に含んでいるため何を言ってるか分からない琴音の言葉を無視して、彰は引き千切ったTシャツを口に突っ込み、床に置いてあったリンゴに齧り付いた。
そして高々とリンゴを掲げる。
「良く見ろ! 俺はこのリンゴを食った。そして俺は生きている。この二人のリンゴはもう殆どなく、一個食ったとは言いがたいが、このリンゴは一口しか食べていない! つめりこれを食えば、ゲームをクリア出来る!」
彰は叫んだ後、プレイヤー達に向かって力一杯リンゴを投げつけた。
プレイヤーはそのリンゴを我先に食べようと手を伸ばす。
だが実際のところ、このプレイヤー達は彰の言った事を殆ど理解していないだろう。「ゲームをクリア出来る」という言葉に反応してリンゴを追っているのだ。しかしそれすらも彰の狙い通りの反応だった。
彰はリンゴ争奪に夢中になっているプレイヤーに見えないように、Tシャツに包まれたリンゴを吐き出すと、二人を見る。
琴音と秋はもうリンゴを食べ終わった。
「早くカードキーを使って部屋に入るんだ。あいつらがまた襲ってくるかもしれない」
「うん」
琴音がカードキーを取り出してドアに差し込む。ピーと言う電子音の後、扉が開いた。
急いで駆け込もうとすると、甲高いセキュリティー音が鳴り響いてドアが閉まる。
『一度に一人しか入れません』
秋と抱きかかえていた所為で警報が鳴ったのだろう。だがこれはとんだアクシデントだ。今の警告の所為でプレイヤー達が彰達に気が付いた。
「チッ!」
思い切り舌打ちすると、彰は秋をこちらに引っ張り、ドアが開いたところで琴音の背中を突き飛ばして扉をくぐらせた。
琴音の身体が扉の奥へと入った瞬間ドアが勢い良く閉まる。
「秋! さっき貰ったカードを出すんだ! 早く!」
秋はたどたどしい動作でカードキーを取り出すのを見て、彰は秋の手からカードキーを奪い取ると扉に差し込んだ。
電子音の後に扉が開かれる。
彰は琴音と同じ様に秋を突き飛ばして、自分のカードキーを取り出した。プレイヤー達は足音からしてもう目と鼻の先にいるはずだ。
高速で自分のカードキーを差し込むと、彰は扉が完全に開く前に自分の身体を扉の奥へとねじ込んだ。
彰が入った瞬間、ドアが瞬時に閉まりきる。
彰は肩で息をしながら、自分の無事を確認すると、そっと胸を撫で下ろした。
「彰君、大丈夫!?」
琴音と秋が駆け寄ってくるのを見て、彰はなんとか笑みを浮かべて答えた。
「あぁ大丈夫だ。それしても本当に死ぬかと思っ……!」
言いかけた彰の言葉が、ある一点を凝視することで止まった。不審に思い、琴音が彰の見ている方向を見ようとする。
「琴音、見るな!」
彰の叫びも虚しく、琴音は見てしまった。
扉に挟まれたせいで、彰を掴もうとして伸ばした腕から千切れて床に落ちた、人間の指を。その指はピクピクと小さく痙攣をして、動かなくなった。
「あ……あ…………」
あまりの出来事に、琴音は口元に手を当て数歩後ずさった後。
「きゃあぁぁあぁああああああああああああ!」
絶叫と共に意識を失った。
数分後、琴音が目を覚ました。
「おはようお姉ちゃん」
「秋君……?」
まだ意識が朦朧としていてるのか、琴音は小さく目の前の少年の名前を呟く。
「目が覚めたか、琴音」
部屋に何があるか確認していた彰は、目覚めた琴音に駆け寄る。
「私、どれくらい眠ってたの?」
「五分くらいだ。その間、ずっと秋が看病しててくれたよ」
「そうなんだ。ありがとう、秋君」
笑みを浮かべてお礼を言った後、琴音は自分が気絶する前のことを思い出したのか、勢い良くドアの方を振り返った。
落ちていた筈の指は、もうどこにもない。
琴音が何を思ってるのか察し、彰は苦い顔で答える。
「あれなら、そこにゴミ箱があったから処理しといたよ」
「そうなんだ。……ありがとう」
暗い顔で、琴音がお礼を言う。
話題を変えるために、彰は努めて明るく訊ねた。
「ここは休憩所みたいだ。水や食料もあるけど、何かいるか?」
「……じゃあお水貰える?」
「分かった」
彰が冷蔵庫から水を取り出して持って来る。受け取った琴音はペットボトルの中の水を軽く口に含み、息をついた。
「もう残り時間十分を切ってるけど、あれから扉をくぐって来たプレイヤーはいないな。まだ争ってるのか、硬直状態が続いてるのかは分からないけど……」
彰の言葉を聞いた琴音は、沈んだ表情を見せた。あのどす黒い争いが続いていると思うと、やり切れないのだろう。
そんな琴音の様子を見て、彰はその肩に手を置いた。
「今ゲームがどうなってるかは分からないけど、俺達はもう次のゲームに進まないか?」
「え?」
「誰かがゲームをクリアして入ってきたら、必ず俺達は責められる。いや、責められるだけならまだしも、裏切ったと見当外れのことを言われて、暴力を振るわれるかもしれない。それなら今のうちに次のゲームに進んでしまった方が、被害を受けないで済む」
「で、でも……」
彰の言葉に反論しようとする琴音。おそらく他のプレイヤーを置いてきて、自分だけ進んでしまったことに罪悪感があるのだろう。確かにそういう感性は生きていく上で大切だが、このゲームで不用意にそんな感情を持ってしまうのは危険だった。その優しさが甘さとなって、足元をすくわれかねない。
「琴音、分かってくれ。今ここに残っていても俺達が出来ることは何もない。それなら早くゲームをクリアして家に帰れば、警察にも通報出来るんだ」
勿論そんな簡単に事が進むはずはない。二つ目のゲームから、こんなとんでもない内容だったのだ。後のゲームにどんな危険があるか分からないし、クリアしたからといって家に帰れる保障はどこにもない。所詮誘拐紛いのことをした犯人サイドの言い分なのだから。
だが今は嘘をついてでも前に進まなくてはいけない時だった。ここにいれば、琴音も秋も危険に晒されてしまいかねない。
しばらく琴音は黙っていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「分かった。行こう、彰君」
「琴音……」
決意してくれた琴音に感謝して、彰は琴音と秋を連れて、次の部屋に進んだ。
そこは円形の空間に、いくつものドアがズラリと並んでいるだけの部屋だった。
ポケットの携帯端末から機械的な音が鳴り響く。
端末を取り出して画面を見ると、今度は電話ではなく電子メールが届いていた。
『男は黒の扉・女は白の扉に入りなさい。ただし一つの扉に入れる人数は一人までとする』
内容を見て、彰は歯噛みした。これは……。
「私は女だから、白の部屋に入ればいいんだね」
素直に言葉通りに内容を受け取った琴音が確認する。
それを見て、彰はやり切れない表情で言った。
「あぁ。そして琴音とは、ここでお別れだ」
「え……?」
目をしばたかせる琴音に、彰は苦虫を噛み潰したような顔で告げた。
「次のゲームは明らかに個人戦だ。琴音とも秋とも、別々に行くしかない」
「そんな……」
愕然とする琴音を見て、彰は内心自分を殴り飛ばしたくなった。
個人戦人戦の通知を見たとき、彰は一瞬ホッとしてしまったのだ。もうこれ以上足を引っ張られなくて済む、と。それは秋と琴音の存在が邪魔だと言っている事に等しかった。内心では自分だけでも助かりたいと思っている事を、自分自身で証明してしまったのだ。
それがどうしようもないくらい情けなく、彰は自分の心を誤魔化すかの様に二人に笑い掛けた。
「大丈夫だ。冷静に考えれば、きっとなんとかなる。ゲームっていうのは、攻略されることを前提に作られてるんだから」
「うん……」
これ以上ないくらいの気休めに、琴音は不安そうに頷いた。無理もない。琴音は今までまともにゲームをプレイしていないのだ。これまでのゲームは、全て彰の指示に従っていただけ。
物憂げな琴音の表情を見て、不意に彰は何か思いついたのか、ポケットの中から紙とペンを取り出した。
「それは?」
「さっきの部屋に置いてあったのを、ちょいと拝借しといたんだ」
彰はそう言うと、紙に何かを書き始めた。
「琴音、手を出して」
「え、うん」
差し出された手に、彰は紙を巻き付けてきつく縛った。
「これって……チョーカー?」
「そう。そして俺もお揃い。まぁ所詮紙で作った偽物だけどな」
彰はいつの間にか自分の手につけたチョーカーを見せた。
「そしてこれには、お互いの名前が書いてあるんだ」
彰が手の内側を見せる。そこには、小さな字で『琴音』と書いてあった。
「わぁ」
琴音の顔に笑みが広がる。
「琴音のチョーカーにも俺の名前が書いてある。これで、離れててもずっと一緒だ」
「うん」
天使の微笑みを浮かべて琴音は返事をし、彰に言った。
「これがあれば、私なんでも出来そう。ありがとう。彰君」
「どういたしまして。こんなことしか出来なくてごめんな」
「ううん。凄く嬉しいよ。……私、頑張るから」
そう言うと、琴音は白いドアにカードキーを差し込み、中に入っていった。扉が閉まる前に、彰に向かってにこりと笑いかける。
「またね、彰君」
「あぁ。またな、琴音」
琴音の姿がドアに遮られて見えなくなる。
彰も振り返ると、無邪気に端末をいじくっている秋に声を掛けた。
「秋、俺達も行こう。女の子に負けたら恥ずかしいからな」
「うん、分かった」
おそらく何をするのか分かっていない秋は、それでも無邪気に笑った。
彰は秋にカードキーを使って扉を開けさせると、中に入らせる。
「秋、頑張れよ。お前なら必ずクリア出来るからな」
「うん!」
元気良く返事をして、秋は扉の中へと消えて行く。
それを見届けた彰は、自分も進もうとカードキーを取り出したところで、後ろからドアが開く音と、それに伝動した機械音を耳にする。秋か琴音かと思ったが、すぐにここに帰ってくるはずがないことに思い至り、慌てて振り返る。
「やぁ。なんだか久しい気がするね、彰君」
そこには笑顔で笑いかけてくる男がいた。
「武長……」
「年上を呼び捨てかい? まぁこんな状況だし仕方ないか」
「ゲームをクリアしたんだな」
警戒心を露わにした彰の様子を見て、武長は困った様に肩を竦めた。
「そんなに警戒しないでくれよ。僕だって君と同じ立場の人間なんだよ。協力しようじゃないか」
「信用できない」
取り付く島もない彰の態度に、武長は笑みを浮かべた。今までの柔和な笑みとは違う、底が見えないような黒い笑みを。
そしてさっきまでとは全く違う、人を嘲笑うかのような声音で言った。
「君がそんなことを言うとは滑稽だね。第二ゲームを誰よりも早くクリアした君から、信用できないなんて言葉を聞くとは夢にも思わなかった」
武長の言葉に彰の身体がビクッと震える。
「君があのゲームでやったことは酷く残忍だったね。リンゴを食べたと嘘をつき、プレイヤーを二度も混乱に陥れた。自分達が助かるために他の十人を犠牲にしたんだ。そして仲間である様なふりをして、か弱い少女と男の子を自分の安心を得るために道連れにした」
その言葉に反論できず、彰は拳を硬く握り締め耐えることしか出来なかった。武長の言っていることは全て事実だ。そしてそれは、ゲームをクリアしてからずっと彰の胸に罪悪感として渦巻いていた事でもあった。
「あんただって、他のプレイヤーを犠牲にしてここに来たんじゃないのか」
苦し紛れの彰の言葉を、あっさりと武長は肯定した。
「まぁね。だけどそれがどうしたのかな? 僕が他人を犠牲にしたからといって、君の行いが正当化されるわけじゃないんだよ」
何も言い返せない彰を武長は嘲笑う。
「僕達は同じタイプの人間なんだよ。外面では笑顔を振り撒いて他人の引き込むけれど、内心ではいつも利用することだけを考え、捨てる場面を窺っている」
「違う、俺はそんなんじゃ……」
「ならなんで君は、今ここに一人でいるんだい? 何故さっきの二人と一緒にいないのかな?」
「それは、次のゲームが個人戦だったから……」
「苦しい言い訳だね。君ほどの人間なら、ドアに何かを挟めて外から助言する程度のことは思いついたはずだ。なのにそれをしなかったのは、ルール違反のペナルティを恐れたからだろう? 明らかに違反行為であるその行動を取ることで、自分も巻き添えをくってしまう事態を恐れたから、君は今一人でここにいるんだ」
彰は何も言わずに俯いた。その様子に満足したのか、武長は彰の肩を叩いて、追い打ちを掛けた。
「それじゃあ僕はもう次のゲームに進むとするよ。君も精々、他人を蹴落としながら頑張ることだね」
携帯端末で電子メールを確認し、武長は扉の向こうへと去って行った。
武長がいなくなっても、彰はそこから動けなかった。
自分を苦しめるための詭弁だと分かっていても、彰にとって武長の言葉は真実だった。
ドアに何かを挟む方法も、彰の頭の隅には確かにあった。だがその方法を、自分は見て見ぬふりをしたのだ。
「陸斗……奏……」
ここにはいない二人の名前を呟き、彰は顔をあげるとカードキーをドアに差し込んだ。
「帰るんだ。絶対に、帰るんだ。……悩んだり苦しんだりするのは、その後でいい」
自分に言い聞かせるように呟くと、彰は扉の中へと進んでいった。
その部屋は、一言で言うなら簡素だった。六畳半程度の広さがあり、真ん中には漫画にでも出て来そうな、人一人が横になれるくらいのカプセルがあるだけの部屋。
「このカプセルは……?」
携帯端末から機械音が響き、彰は画面に目を通す。
『今回のゲームは失敗しても、次のゲームに進むことが出来ます。ですが失敗した場合には罰ゲームがあるのでご注意下さい。カプセルの中に横たわり、中のヘルメットを着用することでゲームがプレイされます』
読み終えた彰は一度深呼吸すると、部屋の中心に行きカプセルの中に入った。言われた通りに頭の上に設置されているヘルメットを被る。そのヘルメットは頭の部分は金属で覆われており、眼の部分が半透明な何かで埋め尽くされている様な奇妙なヘルメットだった。
少しして、不意にカプセルから機械的な声が響く。
『ゲームスタートです』
その瞬間、彰の視界がまばゆい光で染まる。数秒後には一面にの風景が映し出されていた。
まるで自分が空を漂っているかのような感覚に彰は驚嘆する。
(凄いな。なんてクオリティだ)
3Dなんて目じゃないそのハイテクな映像に目を瞠る。
『ゲームの説明を致します』
どこからか声が聞こえてきた。
『まずこの世界には三つの種族が存在します。神・天使・悪魔の三種族です』
そこで空中に三つの人影が生み出された。一つは白い翼を持つ天使。もう一つは黒い翼を持つ悪魔。そして最後に片翼に黒と白、両方の色の翼を持つ神の三体だ。
『神は唯一の存在でありますが、天使と悪魔は数が多く、その姿にも殆ど差異はありません。天使と悪魔を外見で見分けるための差異は、翼の色しかないのです』
そこでいきなり映像が切り替わった。
剣を持った一人の悪魔が現れる。
『ですが天使と悪魔、その二つの種族を隔てる絶対的な壁があります。それは天使が神に逆らえないという絶対の法則です。たとえどんな命令でも、天使は神に逆らうことが出来ないのです。しかしその唯一絶対の法則に異議を唱えた一人の悪魔がいました』
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自分の体が意思に反して剣を構えた。
まさか……。
『これからの貴方が起こす行動を示しなさい。そして事は急を要します。悪魔は貴方がどう動くのか様子を窺っていますが、いずれは敵とみなし攻撃を仕掛けてくるでしょう。決断は迅速に行わなければなりません。制限時間は五分。それまでに行動しなければ、悪魔の刃が貴方の身体を貫くでしょう』
「なっ……!」
彰の視界の右上にタイマーが表示される。その三桁の数字は、彰をいきなり崖っぷちへと追いやった。
(五分……。こんな人によって答えが千差万別になるような問題の解答を、たったの五分で導き出せる訳が……)
彰の思考は、焦りで問題の解答ではなく批判に集中してしまう。
(まずもって、こんなのは人それぞれの裁量の問題だ。それを出題者側の思考を予測して答えろとでも言うつもりなのか!?)
そんなことを考えてる内に、もう三十秒が経過していた。残り時間はあと四分半。
(落ち着け。落ち着け! 落ち着け! 問題の解答だけを考えるんだ。どんな時でも取り乱さないと誓っただろう!)
必死に彰は自分に言い聞かせる。
まずは、天使が取れる行動を挙げてみよう。
1、悪魔を殺す。2、悪魔と手を組む。3、悪魔を説得する。4、逃げる。
混乱した頭で彰はなんとか選択肢を絞った。
おそらくこれ以外に選択肢はない。そしてこの問題の意図を考えれば、逃げると言う選択はまずないだろう。それならあとは三つに絞られる。
神か悪魔につくか、悪魔を説得するか。
神の言う通り悪魔を殺せば、その後天使は永遠に神の奴隷となる。かといって神を裏切って悪魔側についても、このクーデターが失敗すれば意味がない。それどころか裏切った罪で処刑されてしまう可能性が高いだろう。それならば悪魔を説得してこのクーデターを止めるか? いや、素直に悪魔が応じるとは思えない。最悪すぐに斬り捨てられる可能性だってあるはずだ。
どれを取っても天使にはリスクが付き纏う。時間はもう三分を切っている。悠長に考えている余裕はない。
これは使命と仁義のどちらを取るか、という問題のはずだ。漫画などではよく使命より大事な物があるなどと言っているが、この史上最悪なゲームでそんなありきたりな解答が正答の可能性はあるだろうか? いや、そんなことを言い始めれば使命もなせずして仁義を貫けるか、という問いにも発展する可能性がある。どっちにしたって明答なんてないあるわけがない。くそっ! ふざけてる!
焦りで頭が混乱し、彰は苛立ちに思考を流される。
いっそのこともう諦めしまおうか? 罰ゲームは正直何があるか怖いが、今回のゲームは失敗しても次に進める。別に無理してクリアする必要はない。
頭が思考するのを拒否し、諦めようとした時、不意に彰の頭に聞き慣れた声がリピートされた。
(また黄昏てたのか。暇だねぇお前も)
それは最近、陸斗が呆れながら自分に言った台詞だった。
そういえば、今の俺は大好きな空の中にいるんだよな。
悪魔から目線を外し、周りを見渡した。システム上の妨害はなかった。
視界が鮮やかな青で埋め尽くされる。その瞬間、彰は自分の胸に何か大きな物が溢れ出すような感覚を覚えた。
間近にあるはずの空は、地上から見下ろしていた時と同じくどこまでも広がっている。
結局空ってどこまで続いてるんだろう? こんな凄い光景を、陸斗や奏に見せてやれたらな……。
陸斗と奏と過ごした日々が、もう遥か昔の出来事のように感じられた。実際にはまだ一日も経ってはいないだろうが、ここに連れて来られてから、色んなことがありすぎた。
琴音も今、これと同じゲームをやっているんだろうか?
彰は情けない、と自嘲した。
琴音に冷静に考えればなんとかなるなんて偉そうなことを言っておきながら、自分はもう諦めているではないか。これでは罰ゲームを受けた後、次からのゲームをクリア出来るかも怪しいものだ。
……………………ゲーム?
そうだ、忘れていた。これはゲームなのだ。確かに言ったではないか、ゲームというのは攻略されることを前提に作られている、と。しかもこれはミッシング・リンクを体験させるためというとんでもないゲームだ。明確な解答が存在しないはずがない。
彰は放棄していた思考を、再び巡らせた。
このゲームの主題は、天使が神に従うか、それとも悪魔の味方になるかという使命と仁義、どちらを取るかの選択だ。そこにリスクやメリットの付加価値的なものが介入したとしても、要はどちらが天使の行動として正しいかという一点に尽きる。ならば天使が取るべき解答は必ず存在しているはずだ。
彰が思考をフル回転させていると、右上のタイマーが赤色に変わった。残り時間が一分を切ったのだ。
彰は時間の恐怖に焦りながらも、ゲーム設定を必死で思い返した。
神と天使と悪魔の三種族がおり、天使と悪魔の違いは翼の色と、天使が神に縛られていることだけ。悪魔はそれに異議を唱え反旗を翻すと、神は天使を使って悪魔を掃討しようとした。天使のリーダーである自分は、クーデターの首謀者である悪魔と一対一で対峙し決断を迫られている。つまり神を裏切るか悪魔側につくか。
ここまで考えて、彰は何か違和感を覚えた。どこかは分からないが、何か矛盾しているような気がする。
残り三十秒。
どこだ? どこが矛盾している? 悪魔は天使を解放するために戦い、神はそれを迎え撃つために天使に命令を下した。そして天使は神の命令で悪魔の掃討に赴いている。自分(天使のリーダー)はどちらにつくか迷い、決断を迫られている状態だ。
(そういえば、悪魔には戦う理由がはっきりと示されているが、天使は戦う事を良しとはしていない……)
残り十秒。
(つまり天使には戦う理由がない。たった一つの命令を除いては。そして最初に示された絶対条件……)
いくつにも散らばったパズルのように、論理が一つ一つくっ付いていく。そしてそれは一枚の絵となり、彰の出すべき解答を導いてくれる。
残り三秒を切った時点で、彰は声を張り上げて答えた。
「悪魔を殺す!」
一瞬の沈黙。それは彰にとって、地獄と天国の間を彷徨っているような感覚だった。
そして彰の身体が自身の意思とは別に動き出した。システム上の強制された動きだと分かっていたが、自分の身体が勝手に動くのは、操られているようで彰に多大な不快感を与える。
彰の身体はもはや意思というものを反映させてはくれず、拒否する心情とは真逆に、その持っている剣で一切の容赦なく悪魔の身体を貫いた。
確かに自分の手で悪魔の腹を刺し、返り血を顔に浴びるが、触覚を再現してはいないのか、人を刺す感触もなければ顔に血がついた感覚もなかった。
悪魔は自分を貫く剣を掴むと、苦悶の表情で彰を睨んできた。
しかし何をできるでもなく、全身が激しく痙攣した後、力なく前方に倒れ込む。
『ゲームクリア。おめでとうございます』
声を聞こえたのと同時に、彰の視界がゲームが始まる前と同様、まばゆい光に埋め尽くされ、何も見えなくなった。
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主人公・岩瀬は日本の地方私大に通う二年生男子。彼は、『回転体眩惑症(かいてんたいげんわくしょう)』なる病気に高校時代からつきまとわれていた。回転する物体を見つめ続けると、無意識に自分の身体を回転させてしまう奇病だ。
精神科で処方される薬を内服することで日常生活に支障はないものの、岩瀬は誰に対しても一歩引いた形で接していた。
そんなある日。彼が所属する学内サークル『たもと鑑賞会』……通称『たもかん』で、とある都市伝説がはやり始める。
『たもと鑑賞会』とは、橋のたもとで記念撮影をするというだけのサークルである。最近は感染症の蔓延がたたって開店休業だった。そこへ、一年生男子の神出(かみで)が『ホラフキさん』なる化け物をやたらに吹聴し始めた。
一度『ホラフキさん』にとりつかれると、『ホラフキさん』の命じたホラを他人に分かるよう発表してから実行しなければならない。『ホラフキさん』が誰についているかは『ホラフキさん、だーれだ』と聞けば良い。つかれてない人間は『だーれだ』と繰り返す。
神出は異常な熱意で『ホラフキさん』を広めようとしていた。そして、岩瀬はたまたま買い物にでかけたコンビニで『ホラフキさん』の声をじかに聞いた。隣には、同じ大学の後輩になる女子の恩田がいた。
ほどなくして、岩瀬は恩田から神出の死を聞かされた。
※カクヨム、小説家になろうにも掲載。
死人の誘い
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ホラー
ホラー短編 死人の誘い<しびとのいざない>全九話
人を死に誘う物の怪は、人の心の闇に巣食う亡霊
恋人と二人、花火大会に出掛けた先で終電を逃す。
帰り道、恋人に起こった出来事がきっかけで、主人公は心霊現象に悩まされることになる。
主人公に起こる不可解な出来事の真相は――
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