おっさんが願うもの

猫の手

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王都編 〜狩猟祭 ハニートラップ〜

169.おっさん、首輪を外す

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 こんな上機嫌な王子を初めて見たかもしれない。
 先ほど聖女と一緒に外の空気を吸ってくると言い出て行った。
 戻ってくるとこの上機嫌っぷり。
 いつになく楽しそうに、それこそ新しい玩具を見つけた子供のようにはしゃいでいた。


 メルヒオールはいつも大抵笑っている。
 だが、その笑顔はその顔に貼り付いたもので、その下にある感情は別なものであることが多い。
 滅多に、楽しい、嬉しいという“喜”の感情で笑うことはない。

 メルヒオールに仕えて250年。
 彼が100歳を過ぎた頃従者になった。要するに左遷されたのだ。
 噂では、いつもヘラヘラと笑い、何を考えているかわからない変人。非常に扱いが難しいと言われていた。

 その彼の笑顔の下にある感情を理解するまで100年かかった。
 ほとんどの従者は100年ももたず、その前に辞めて行く。
 気が付けば私が一番の古参になり、私が唯一彼の笑顔の意味を理解する従者になっていた。

 このメルヒオールという王子は、他の王族とはまるで違う。
 普通や凡人とは程遠い存在。
 好奇心旺盛で飽きっぽい。
 努力せずとも何でも出来てしまう天才。
 何でも簡単に出来てしまうから、何に対しても真剣になることはない。
 だからこそ今まで欲しいと思ったものは全て手に入れ、そして手放している。
 おそらく、国が欲しいと思ったなら、きっと彼はとっくに王になり、とっくに別の者に国を明け渡しているだろう。
 だから現王である父親や兄弟達から疎まれ、追いやられて交流がない。
 いや、追いやられているのではなく、放置して刺激しないようにしているのだ。はっきりと彼らに恐れられている。
 だから国というものに興味を示さないように距離を置き、好きなことだけをやらせている。

 メルヒオールは常に刺激を求め、自分を満足させてくれるものを探している。
 彼は全てに興味があり、全てに興味がない。
 矛盾という言葉がピッタリの男だ。


 1ヶ月半前、いつものように好き勝手に遊びまわり数日ぶりに離宮に戻って来た時に言われた。

「ハーマン、聞いたか?
 サンドラークで聖女が現れたそうだぞ」

 その話は知っていた。
 数ヶ月前から、公国で聖女が出現したとマールデンでも噂が広がっていた。
 そして、実際に9月に入ってすぐ聖女が王都に到着して盛大なパレードが行われたと聞いた。
 そのようですね、とメルヒオールに返事をして、話はそれっきりだった。

 そして2週間前、突然アストリア狩猟祭に参加すると言い出した。
 どうやら聖女が狩猟祭に参加するという話を耳にしたらしい。

「聖女は独身の男で、どうやらとても愛らしい姿らしいぞ。
 会ってみたい。結婚しようかな」

 それも毎度のことながらただの興味で、刺激が欲しい彼にとっては、結婚も余興のようなものだと思った。

 今回もただの暇つぶし。

 そう思っていた。


 果実酒の入ったグラスを片手に上機嫌のメルヒオールに話しかけられた。
「ハーマン」
「はい」
「お前はあの聖女をどう思った」
「どうとは?」
「第一印象だよ」
 そう言われて、昨日の前夜祭で見た時の聖女を思い出す。
「…普通…ですね」
 顎に手を当てて、視線だけを左右に動かしながら言葉を探した。だが、当てはまったのは「普通」という言葉だった。
「そうか」
 メルヒオールがやっぱりなと子供のような笑顔で楽しそうに笑った。

 そう。普通だと思った。
 どこにでもいる普通の男。
 普通、一般的、標準。
 聖女の第一印象はそんな言葉しか思い浮かばなかった。

「普通なのに、聖女なんだそうだ。
 聖女とは、もっと特別なものだと思っていたのだが、ショーヘイは普通だった」
 伝説など当てにならんな、と笑う。
「興味を持たれたのですか?」
「…そうだな。少なくてももっと知りたいと思ったよ」
 メルヒオールの目が細められ、ゆっくりと口角を上げて微笑んだ。
「……」
 その笑顔は初めて見た。

 そのことにかなり驚くが、一切顔には出さない。

 まさかね。

 ふとハーマンの頭の中に、ある考えがよぎるが、あり得ないとすぐに打ち消した。







 夕食会場の中で、ジェロームとジャレッドの断罪劇を目撃した。
 元々黒い噂の絶えない人物だったから、とうとう年貢の納め時が来たのだな、と思いながら眺めていた。

「っふ」

 突然メルヒオールが笑った。
 斜め後ろからその横顔を見て、背中に氷水を浴びたように強烈な悪寒に襲われた。


 怒っている。
 しかもかなり。


 その顔は笑顔だ。
 誰が見ても笑っていると答えるだろうが、自分にはわかる。
 メルヒオールは、今まで見たこともないような怒りをその笑顔の下に隠していた。

「メルヒオール殿下」
 思わず声をかけていた。
 このままでは、怒りが爆発してとんでもないことになると、抑えなければと、そう判断した。
「ハーマン。あの首輪。見覚えがないか」
 口調はいつものように聞こえる。だが、怒りに満ちている。実際に、王子の怒りを感じて焦っているのは、従者の中でも自分だけで、他の者は無表情で断罪劇を見つめていた。
「首輪」
 言われて、聖女がつけられたという首輪を見た。

 どこかで…見たような。

 王子に言われて初めて気付いた。
 数百年の記憶を掘り起こそうとするが、どうしても思い出せなかった。
「お前、いくつになった?」
「582歳です」
「そうか。ならその内の数時間の記憶など遥か彼方だな」
 メルヒオールが言い、やはり顔に笑顔を浮かべている。
「行こうか」
 くるりと踵を返すと、劇を最後まで見ることなく会場を後にした。






 シェリーをブリアナ達に任せ、俺達も会場を後にする。
 夕食会は、シェリーがいなくなっても滞りなく終えることが出来、続々と貴族達も自分の天幕に戻って行く。
 口々に、今し方起こった侯爵とその後継の失脚劇に興奮し、ジェロームを口々に罵り、罵倒しながら戻って行く。




 天幕に着くと、すぐに俺は全身にクリーンを何度もかけて、着替えを済ませた。
 だいぶ時間が経ち、電撃のショックもなくなって、恐怖から来る震えも止まった。
 衝立から出てくると、全員の視線が俺に集まり、ロイとディーが素早く俺を抱きしめてくれた。
「よく耐えた」
「頑張りましたね」
 2人に抱きしめられ、キスされ、頭を背中を撫でて褒め、慰めてくれた。
「ほんとよく頑張ったわ~。見事な反撃よ」
 ジャニスが目を潤ませながら体をくねらせる。
「ほんとにね。魔法が使えない状態で、あそこまでやり返したんだから凄いわ」
「ジャレッドのアソコを見た時には、若干ゾッとしたがな」
 オスカーが思い出して、再び股間がキュッと引き締まる。
 俺の反撃を知らないロイ達が、何をしたんだ?と聞いてくるので、その内容を教えた。
「ひえ~…」
 ロイが自分の股間を押さえて庇うようなポーズを取り笑った。
 男性陣がその俺の反撃に1%くらいの同情をジャレッドに向け、女性陣は声に出して笑う。


 3人になってからのことを細かく説明し、本当に1人で良く乗り切ったと、全員が褒めてくれる。
「あの時は怖いっていうよりも、頭にきてさ」
 あまりにも褒められて照れながら言った。
 とにかく怒りが頭の中を支配して、アレらをぶん殴って、蹴り飛ばしたい、殺してやるって勢いだったと言った。
「確かに、すごい暴言吐いてたな」
 グレイが怒り狂うとすげーこと言うんだな、怒らせないようにするわ、と笑う。

「終わったんだな。
 シェリーも、これで救われる」
 最後にホッと息を吐いた。
「後は…、これですね…」
 ディーが俺の首輪に触れる。
 顔を近付け、何度も様々な角度からその首輪を見て、触り、解除する方法を模索する。
「私が知る解除の魔法では外せませんでした」
 キースが言い、ディーも知っている解除の詠唱を唱えるが全く駄目だった。
「魔法、全く使えませんか?」
 ディーに言われ、苦笑しながら人差し指を立てて「火」と呟くが、何も反応しなかった。
 ロイやアラン達もその首輪を確認し、どこかに解除のヒントがないかと探すが、全く打つ手なしだった。
「王都に戻って、ロマ様に相談するしかありませんね」
「もしかしたら、研究棟の魔導士が何かわかるかもしれん」
 みんなが心配そうに俺の首輪を見つめる。

 そこに、天幕の外で立番をしていたウェスリーが中に声をかけてきた。
「アラン様、お客様が」
 客と言われ、全員が天幕の出入口を見ると、そこにメルヒオールが立っていた。
「メルヒオール…」
 また厄介な奴が現れたと、心の中で呟き、今は相手にしている暇はないと、どうやって追い返そうか思考を巡らせる。
「すまんな。立て込んでいる所を。
 ショーヘイは大丈夫か?」
 その言葉に、心配して来てくれたのか、と苦笑する。
 本気でなくても、曲がりなりにも翔平に求婚し、その翔平が襲われたのだから、メルヒオールの行動にも頷ける。
「俺なら大丈夫です」
 翔平が立ち上がり、メルヒオールに姿を見せる。
 これで納得して帰ってもらえればと思っての行動だったが、メルヒオールは帰らずにじっと薄く微笑みを浮かべたまま翔平を見つめた。
「その首輪」
 メルヒオールが首輪を指し示す。
「取れないのだろう?」
 全員が目を見開く。
「メルヒオール、この首輪を知っているのか」
「多分俺が知ってるのと同じものだ」
 そう言い、入ってもいいか?と全員に聞くように見渡した。
 はっきりと自分が招からざる客であることは理解していた。
「あ、ああ…」
 アランが中へ促す。
「ありがとう」
 メルヒオールとハーマンが中に入り、ハーマンは出入口付近で立ち止まり、その場に控える。
「近くで見ても?」
 俺に聞かれて、俺は隣にいたディーに判断を仰ぐ。
 ディーが頷き、ディーもロイも俺から離れた。
 メルヒオールの綺麗な顔が近付く。
 数時間前2人きりで話し、キスされたことを思い出して眉間に皺を寄せた。そんな俺の表情にメルヒオールは察したのか目を細めて微笑む。
 メルヒオールの両手が俺の頬に触れると、ビクッと無意識に反応する。心なしか顔も赤くなったような気がする。
 クスッと笑いながら、俺の顔を横に傾けて、首輪を間近で観察するように顔を寄せて覗き込む。
 ロイとディーが、そのメルヒオールの行動に眉を寄せ奥歯を噛み締めた。
 右側を見て、さらに左側。手を離し、顎に指をかけると上を向けさせられ、そのままメルヒオールの綺麗な顔が降りてくる。
 まるでキスされるような行動に真っ赤になり、口を真横にキュッと結び、恥ずかしさに耐える。
 そんな俺を楽しそうに見ながら喉の辺りの首輪を覗き込んだ。
 次に顔を元の位置に戻すと首輪を両手で触る。
 なぞるように触れ、おそらくわざとだろうが、指を俺の首に触れさせて、首輪を触りながら、首筋を撫でられた。
 またもやビクッと反応した俺に気をよくしたのか、メルヒオールの手が静かに離れる。


 遊んでいる。


 ハーマンが主人の動きを見て、そう思った。
 あんなことしなくても、もうあの首輪の解除方法をわかっているのだろう。あの行動はわざとで、聖女に触りたいだけだ。
 遊ばれている聖女にも、心配している公国の人にも同情した。


「解除出来るよ」
 スッとメルヒオールが離れて後ろを振り返り、ニコッと笑った。
「本当に?」
 ディーがホッとした表情を浮かべるが、すぐに真顔になった。
 相手は天才と名高いマールデンの第7王子。無償で解除なんてするわけがない。
 すぐにそう思い至る。
 それはその場に居た全員が思ったことだった。



 キースが全員分のお茶を淹れる。
 ソファに翔平が座り、いつものようにディーとロイに挟まれる。
 その向かいにメルヒオールが座り、アランが1人掛けのソファに座った。
 天幕の壁際に護衛騎士が並び、オスカーの隣にハーマンも立った。

 メルヒオールがニコニコしながら俺を見ている。
 その目を見つめ返し、彼が何を考え、何を求めているのか考える。
 だが、彼がこれから言う解除条件は、俺だけじゃなく、ほぼ全員が察していた。
「解除してあげてもいい」
 お茶を飲みながら言う。
「そのかわり…。ショーヘイを伴侶にもらう」
 メルヒオールが嬉しそうに俺を見るが、俺は視線を逸らした。

 やっぱり。

 想像通りの条件に誰しもそう思い、俺も小さく苦笑した。
 だけど、俺はメルヒオールの条件に違和感も感じていた。
 その違和感の正体はわからないが、メルヒオールが心から俺との結婚を願っているとは思えなかった。

「この首輪は一体何なんだ」
 アランが条件の承諾をはぐらかして、首輪の情報を求めた。
「その首輪は、古代エルフ族が作った魔道具でね。古代エルフ語にしか反応しない。
 古代エルフ語を話せるのは、この世で私と、私の母だけだ。
 他は文字を読むことは出来ても話すことは出来ない」
 残念だけど、と微笑みながら言う。
「壊すことも出来ないの?」
 後ろからアビゲイルが聞いた。
「それも無理だよ。
 古代エルフ族が居た時代、今から1億年以上前の物質を見たことがあるかい?
 たまに古代アーティファクトとして出土するだろう?
 当時の技術は、今よりも遥かに優れている。この首輪の素材も、今の技術じゃ傷一つつけられないんだ」
 メルヒオールがお手上げ、という仕草をした。

 アーティファクトと聞いて、あの黒い無限に魔力を吸い込む物質を思い出した。あれも古代の産物ということか。
 あれは俺でも解除出来たのに、この首輪は解除出来ない。
 製作者の違いか、はたまた古代という幅広い年代の中でも差があるのか。
 今の年代で再現出来ない、また構造や製造方法もわからないんじゃ、それはいわゆるオーパーツと言われるものじゃないか、と、元の世界の都市伝説を思い出し、余計な思考を巡らせてしまった。


「首輪が外れなければ聖女の存在は失われ、生活魔法すら使えない男が残る」
 メルヒオールが微笑みながら全員を煽るように言った。

 俺以外の全員が、口には出さないが、ほぼ同じことを考えていた。
 メルヒオールと翔平を結婚させるくらいなら、首輪はこのままでいい、と。
 聖女という肩書きが消えるだけで、ジュノーであることには変わらない。
 そして、ジュノーである前に翔平という個人に全員が惹かれていた。
 特に、ロイとディーは翔平を愛している。そこに肩書きの有無など関係なかった。だから、絶対に翔平は渡さないと、メルヒオールを威嚇するように睨みつけた。

 俺はその場の張り詰めた空気から、全員の考えが手に取るようにわかり、心の中でありがとうと呟いた。

 そして、気になっていたことを確認するために聞くことにする。
 
「一つ俺からも質問したいんですが」
 視線をメルヒオールに戻し、その目をじっと見つめる。
「このまま魔法が使えないと、俺の中の魔力はどうなりますか?」
 俺の言葉に左右に居たロイとディーが目を見開き俺を見る。
 数ヶ月前に、俺がオーバーフローを起こして死にかけたことを思い出す。
「ああ…」
 メルヒオールが、気付いたか、と言いたげな笑みを浮かべる。
「死ぬ、だろうね。オーバーフローを起こして」
 それを聞いて、やっぱりそうなるのか、と意外にショックは感じなかった。

 魔法が使えない、それは魔力を放出出来ないことなんだと気付いた。使おうとしても魔法が発動しないのではなく、体内から魔力が出て行かないのだ。
 それはこの首輪を嵌められた時に身を持って感じたことだった。

「死…」
 ロイが小さく声に出した。
「それじゃぁ、俺が生き残る道は、メルヒオール殿下と結婚するしかないってことだ」
 ニコッと微笑みメルヒオールの目を見る。
 その笑った俺の目を見て、メルヒオールの笑顔が少しだけ変化した。
「そうなるな…」
 ほんの僅か、ハーマンしか気づかない程度で、メルヒオールが動揺した。


 何故笑える?
 死ぬと告げられて、どうして笑える?


 メルヒオールの中で何かが揺れ動く。



 メルヒオールとの結婚を認める認めないの話ではなくなってしまった。
 翔平の命がかかっている。
 ロイとディーがはっきりと顔を歪め、絶望の表情になる。何かを言おうとしているが、言葉に出そうとしても声が出せない。
 そんな2人の表情を見て、俺は2人に微笑みかける。

「殿下、貴方との結婚が嫌なので、俺は死を選びます。
 そう言ったら、どうしますか?」
 メルヒオールの目が見開きポカンとした表情になった。
 だが、すぐに笑顔になりクスクスと笑い出す。
「そんなに私との結婚は嫌なのか」
 メルヒオールの笑顔が少しだけ悲しみを含んでいるのは、ハーマンだけしか気付かない。
「そうじゃありません。
 昨日求婚された時、俺が言ったことを覚えていますか?」
 そう言われて、ほんの数秒考えた。
「突然聖女の力を失っても想ってくれるか…って話か」
「そうです。
 今がまさにそれですよね。俺は今、ただのショーヘイです。
 でも、ここにいる皆はそんな俺でも失いたくないと想ってくれています」
 そう言われ、全員の顔を、目を見渡した。
 全員のその目が翔平の言う通り、誰1人として失いたくないと、訴えていることに気付いた。
「……」
「俺は、俺を想ってくれる人のそばにいたいんです」
 ニッコリと笑顔をメルヒオールに向ける。
「俺自身を想ってくれない人と一生を過ごすのは、それは俺にとっては死ぬことと一緒です」
 笑いながら言う翔平に何の言葉も返せなかった。
 心の中で揺らいだ何かが、さらに強く大きく揺れ動いていた。
 微笑みを浮かべながら、ゆっくりと深く息を吸い吐き出す。


「降参だ」
 笑いながら両手を上げて手の平を見せる。
「解除する条件を変更しよう」
 ニコリと笑い、新たな条件を告げた。







 そして今、その新たな条件を受け入れ、俺とメルヒオールが天幕で2人きりになっている。
 すでに俺はこれからされることを考えて全身を真っ赤にさせていた。
 ソファにガッチガチに緊張しながら座り、隣にはメルヒオールがゆったりと座って、俺の肩を抱き、先ほどから指先で頬を撫でられていた。
「可愛いな」
 耳元で囁かれてボッとますます赤くなる。
「す、するなら、は、早く」
 早く終わらせて欲しくて言うが、緊張と焦りで吃ってしまう。
「まあ、そんなに焦らずとも…。ゆっくり味わいたい」
 そう言いながら、耳を隠している髪を祓われ、指先が耳に触れただけで、ビクリと大きく反応してしまった。
 そんな俺の反応にクスクス笑いながら、メルヒオールの手が俺の首の後ろに回った。
 
 
 




「条件は?」
 アランがはぁーとため息のような長い息を吐き、緊張した体から力を抜く。
「キスだ」
「……は?」
 何人かが聞き返した。
「聞こえなかったか?
 新しい条件はショーヘイとのキスだよ。ああ、それと見られたくないから2人きりにしてくれ」
「な!!!」
 数人が声を上げ、特にロイとディーが大声を上げた。
「な、なんで!?」
 俺もその条件に顔を真っ赤にして抗議した。
「キス一つで命が助かるんだ。安いもんだろ」
 メルヒオールが楽しそうに笑う。
「まぁ、減るもんじゃないし…いいか」
 アランがその条件なら、と口を滑らせると、ロイとディー、キースにギッと思い切り睨まれた。
「結婚をキスに変えたんだぞ?
 かなりの譲歩だと思うがな」
 あははと声に出して笑った。






 首の後ろに手を回され、頬に手を添えられると、綺麗な顔がゆっくりと近付き、ギュッと目を瞑りつつ口もムギュッと真横に結んだ。
 そんな翔平の緊張した様子にクスッと笑う。
 そして、頬にチュッとキスした。


 え?ほっぺた?


 唇じゃなかったと、驚いて薄目を開け、真横に結んでいた口も少し緩めてしまった。
 次の瞬間、唇を奪われた。
「ん!」
 無意識に逃げようとして、メルヒオールの胸を手で押し返そうとするが、首の後ろをがっちり掴まれていて、そのまま重ねるだけのキスが続く。
 頬にあった手が翔平の背中に回り、上半身を引き寄せられた。
 重ねられただけの唇が僅かに離れると、メルヒオールの舌先が翔平の唇をツッと舐めた。
 ビクッと体をすくませると、その反応を楽しむように、何度も唇を舐められ、吸い付かれる。
「は…」
 鼻呼吸だけでは苦しくなり、口でも呼吸を始めた瞬間、口内に舌を入れられた。
「ん…ぅ…」
 舌を絡め取られ、吸われ、舐められると、ジワリと背筋に快感が走ってしまう。
 チュ、チュクと音を鳴らし、何度も角度を変えて唇を舌を貪られ、熱い吐息を漏らした。
 気が付けば、ソファに押し倒されていたが、それに気付かないほど濃厚なキスが続く。
「あ…はぁ…」
 メルヒオールが静かに唇を離すと、その間に唾液が糸を引く。
「ぁ…」
 真上から、頬を赤く染め濃厚なキスに涙目になっている翔平を見下ろし、その表情に心の揺らぎがさらに大きくなった。
「ショーヘイ…」
 名を呼びながら再び口付けると、鼻にかかった甘い声が翔平の口から漏れた。
 舌に触れ、絡ませる度に、ピクピクと体が反応するのが楽しくて、思う存分キスを味わった。

 長いキスが終わり体を起こすと、翔平の濡れた唇に触れる。
 少しだけ荒い息でトロンとした目を向けてくる翔平を見ているだけで、楽しくて、嬉しかった。

 翔平の目を見て優しく微笑むと、その首輪に右手を添える。

「Å∂∀」

 とても不思議な抑揚で、空気に染み渡るような綺麗な声が聞こえた。


 カシャン


 小さく金属音が聞こえ、メルヒオールの両手がそっと首輪を外してくれた。
「外れたよ」
 再び覆い被さるとキスをした。


 力が抜けてしまった翔平を抱き起こし、ソファに座らせる。
 首輪をテーブルに置き、翔平の顔を覗き込んだ。
 耳や首まで真っ赤になっているのを見て、本当に可愛いな、と思った。
「メルヒオール殿下。ありがとうございます」
 お礼を言われて微笑む。
「どういたしまして。
 こちらこそ、ご馳走様」
 ニヤリと笑い、翔平の濡れた唇に触れた。
 ボッとすぐに赤くなる。

 メルヒオールが外でヤキモキしている全員を呼び戻す。
 首輪が外れた翔平を見て、全員が大喜びして翔平に抱きついたり、頭を撫でたりしていた。
「ありがとう、メルヒオール」
 アランから握手を求められ、それを握り返すとハグをされる。
「あの首輪はどうする?」
「2度と使えないよう、封印するつもりだ」
「そうだな。それがいい」
 アランの言葉に頷き、それじゃこれで、と立ち去ろうとしたが、翔平やロイ、ディー、全員に口々にありがとうと何度も言われ、フワフワした気分になった。








 斜め後ろから主人の顔を見る。
 その笑顔は明らかに“喜”だった。
「ハーマン」
「何でしょう」
「こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだ」
 突然言い出したメルヒオールに無表情のまま聞く。
「どんな気持ちですか?」
「フワフワしてる。温かい。とても気持ちが良くて、気分が良い」
「条件はともかく、良い事をなさいましたからね」
 感謝されてそういう気分になったのだろうと言った。
「それもあるが…」
 メルヒオールが苦笑する。
「ショーヘイが可愛くて仕方がない。あの顔を思い出すと、心が温かくて、満たされた気分になる。
 何だろうな、これは」
 主人の言葉を聞いて立ち止まった。
「ハーマン?」
 突然立ち止まった従者に振り返った。
「殿下。
 …恋に落ちましたね。初恋ですか?」
 ハーマンが歯を見せて満面の笑みを浮かべた。
 その言葉に、メルヒオールが驚き、次の瞬間ボッと顔が赤くなった。
「な、…こ…こ、恋?」
「はい。殿下が感じておられるのは、恋心です」
 ハーマンがニコニコする。
「……これが?」
 メルヒオールの顔から笑顔が消えた。
 顔を真っ赤にしながら、信じられない物を見たような表情を浮かべ、その感情に衝撃を受け、はっきりと戸惑っていた。



 メルヒオールは、何にでも興味を示し、すぐに飽きてしまう。
 何でも簡単に手に入れて、簡単に手放す。執着もなければ欲もない。

 恋を知って、この人は変わる。

 ハーマンは主人が「普通」になるかもしれないと笑った。



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