おっさんが願うもの

猫の手

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王都編 〜赤い月〜

150.おっさん、民話を聞く

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「生きてっか?」
 ゴンゴンと結界の壁を叩かれて、重たい瞼を開けた。
「見事にボロボロだな」
 腕を組んだグレイが、地面に仰向けに転がったロイを見て苦笑した。
「やべぇわ…。衝動半端ねー…」
 ゆっくりと体を起こすと、そのまま背中を丸めて胡座をかいた。
「昼間は大丈夫なのか」
「夜ほどじゃねえが、腹ん中がザワザワしてる。気持ち悪い」
 言いながら、地面に放り投げられた水袋をとるとキュポッと蓋を開けてゴクゴクと飲んだ。

 昨日、月が昇ってから日が昇る今朝まで、何時間も体を突き動かす衝動と戦った。
 少しでも気を抜けば意識を持っていかれる衝動に、何度も何度も拳を結界壁に叩きつけ、全ての指の骨を折った。だが、それも異常に高まった自己治癒能力が治してしまっていた。
 衝動を抑えるために、繰り返し自傷行為を行い、額を壁や地面に擦りつけ出血し、自ら腕の肉を抉り、歯を立てる。
 だがそれらもすでに傷が塞がって出血した跡だけが残っている。

「そんなにやべぇか」
「ああ。そんなにやべぇわ」
 おうむ返しで言い、パタっと地面に寝転ぶ。
「ショーヘーは遠くへ逃したぞ」
「ああ、それでいい。
 …お前は一緒に行かなかったのか」
「俺はお前が壁を突破した時に、魔導士を守ることにしたんだ。
 多分、お前のこったから、手当たり次第に魔法弾をぶっ放すと思ってな。
 獣士団からタンクを中心に集めてある」
 タンクと聞いて、ロイが破顔する。
 防御魔法を施した大楯で味方を守るのを専門にした、熊や牛の獣人で比較的パワータイプの団員の顔を思い浮かべた。
「今、グスタフがエイベルと打ち合わせ中だ」
「そっか…」
「ミネルヴァは突破後にお前の追跡にあたるそうだ。
 リミッターの外れたお前の速度についていけるのはおそらく彼女だけだしな」
「総出だな…」
「当たり前だ。お前は歩く災害なんだぞ。リミッターが外れれば、厄災に格上げじゃねーか。自覚しろ」
 グレイが声をあげて笑い、ロイも厄災と言われて笑う。
 ひとしきり笑った後、顔だけをグレイに向ける。
「グレイ、頼んだ。
 俺に誰も傷つけさせないでくれ」
「わかってるよ。まかせとけ。
 …ロイ…。気張れよ」
 グレイが微笑みかけロイもそれに応える。そして背中を向けるとその場から離れた。





 サイファーとユリア、そしてユリアの専属メイドや執事が図書室の中の本をくまなく捜索していた。
 白狼族と赤い月に関連した書物を手当たり次第に引っ張り出し、テーブルや床の上に広げ、高く積み上げられていた。
「これも違うわ…」
 ユリアがパタンと本を閉じ、次の本を手に取ると、パラパラと速読を始め1、2分後には別の本を手に取る。
 向かい側の席で、妹のそんな様子を見ていたサイファーが苦笑する。
 サイファーにはユリアがパラパラとページをめくっているようにしか見えず、それで本当に中身を読めているのか、と本当に不思議に思った。
 自分が1冊の関連ページを読み終わる時にはユリアは5、6冊は読み終えている。
 ため息をつき積み重ねられた本を見つめ、コキコキと首を鳴らす。
「ミルコ女史、他にはもうありませんか?」
「種族関連の本はこれで全部です。後は赤い月に関しての研究資料がいくつか…。
 ですが、月と種族の話ではありませんので…」
 ミルコが読んだ本の内容を思い出しながら言った。
 彼女は、ここにある蔵書を全て読んでいた。しかも、それを全部記憶している。
 白狼族が赤い月の影響で錯乱する、という内容が書かれた本、もしくは、赤い月が種族に及ぼす影響について書かれた本は一冊もなかったと記憶していた。
「ミルコ女史、何でもよいのです。ジャンルも研究史や論文でなくても、とにかく白狼族と赤い月の言葉が入っていれば、何でも」
 ユリアが言い、ミルコの記憶力を頼る。
「何でも…」
 そう言われてミルコが頭の中の記憶庫の棚や引出しを手当たり次第に開けて行く。
「ただの狼族や月にまつわる話とか…」
 昔、狼族は毛の色によって種族分けされていた。茶、赤、黒、白、とそれぞれ分けられていたが、現在では混ざり合い、狼族と一括りに呼ばれることが多い。
 ミルコがしばらく一点を見つめ、記憶庫の中を覗いていたが、ふとある引出しを開けた時に、思い出す。
「あ…、いえ、でも、あれは…」
「何ですの?」
「一冊だけ…、狼族の話が…」
 言いながらミルコの顔が顰められた。
「でも、あれはただの民話で…」
「民話?」
 サイファーが首を傾げ、民話は関係ないだろうという表情をした。ミルコもそう思ったようで苦笑する。
「それを出してもらえますか」
 だが、ユリアは真剣に言う。
「民話ですよ?しかも、1500年前に書かれたもので、各地に伝わる民話や御伽話を集めただけの記録書なんですが…」
「構いません」
「わかりました。少しお待ちいただけますか。かなり奥にしまってありますので…」
 ミルコが立ち上がり、その本の場所に向かう。ユリアが執事2名に彼女を手伝うように指示した。
「ユリア、民話が役に立つか?」
「わかりませんわよ。特に昔のものは戒めとして語り継がれたものも多いですし、実話が元になっている物もありますわ」
「そんなものかな」
「子供に善悪を教えるのには最適な教材ですわよ。
 サイファー兄様も、私によく読んでくださったじゃありませんか」
 小さい頃、寝る前に両親や兄達が読んでくれた御伽話は今だによく覚えている。
「懐かしいな…。お前はラット王子の冒険譚がほんと好きで…」
「今も好きですわよ」
 ニコリとユリアが微笑んだ。
 そんな絵本の話をしていると、ミルコが戻ってくる。
「こちらです。かなり古い本なので脆くなっています。お取り扱いにはご注意を」
 民話を集めた本にしてはかなり分厚く、大きな本だった。
「その16章にあります」
 サイファーがゆっくりと慎重に本を開く。
 本当に紙が劣化して脆くなっており、ページの角を摘むと、ボロッとかけてしまった。
 これはマズイと、すぐに保護魔法をかけて強度を上げる。
「16章…」
 ゆっくりとページを捲り、目当ての章に辿り着くと、ユリアと2人でたった数ページしかない御伽話を読んだ。







 平原の中に張られた天幕の中で、じっと椅子に座っていた。
 本当はじっとしていられないが、外に出て歩き回っても、体力を消耗するだけだし、今はこうしてじっと時間が過ぎるのを待つしかない。


 昼過ぎに全員が集まった。
 天幕周辺には、暖を取るための焚き火が焚かれており、その焚き火に囲まれた場所に、それぞれが思い思いの場所に立つ。
 俺もディーとキースと共にその中に混ざった。
 レインが全員に聞こえるように作戦を説明する。
 昨夜、レイブンやギルバート、ディー、レイン達が練りに練った作戦だった。

 月が昇り始めても、すぐにロイが本能に乗っ取られるわけではない。
 ロイもまた己と戦い、結界の中で必死に抵抗するはずだった。

 月が昇ってくるのは午後4時30分頃。
 満月を迎えるのは午後8時30分頃。
 月が沈むのは、翌朝5時過ぎ。
 
 おそらく、月がピークを迎える時間まではロイも耐えるだろうと予測した。
 だが、最も赤い月の影響が出る満月に達した時、ロイは本能に支配される。

 エイベルからの報告では、30層の結界の準備が完了し、ピーク時には33層になっているはずとのことだった。
 さらに1枚目は翔平が張った結果がある。
 それらを全部破壊し突破するには、おそらく2時間はかかると予測した。

 隔離された旧訓練場からライブ平原まで、リミッターの外れたロイならば2時間もあれば到着する。
 深夜0時30分にはここに来るはずだ。
 そして、月が隠れ、日が昇る5時まで、4時間30分の間、ロイを拘束し、翔平を守り抜く。

 時間的に前後1時間の余裕を持たせ、最大でも5時間30分を乗り切れば、ロイは正気に戻る。
 そう見越していた。

 だが、記録も何もなく、全ては予測でしかない。
 本当に月が沈めばロイが正気に戻るのかもわからないし、結界を突破する時間ももっと早いかもしれない。さらに移動速度もしかり。

 全てが予測であり、計画通りには進まないだろうと思われた。

 ロイが結界を突破した後、ミネルヴァがロイを追いかけ、その位置情報を通信用魔鉱石で伝えてくれることになっている。
 だが、それも追いつければ、の話だ。
 ロイの本能がどれだけのものなのか、誰も、ギルバートですらロイの能力値を見極めることが出来なかった。


 平原に到着したロイは翔平の位置を、その匂いで正確に把握し、翔平だけを目指して突っ込んでくる。
 翔平の位置はロイに筒抜けだが、翔平は天幕から一歩も外に出ることはない。
 ロイが翔平の姿を目視した時点で、さらに衝動が爆発することが目に見えているからだ。
 同じように、翔平もロイの姿を見ることはない。本能に支配され、衝動のまま行動するロイの姿は、翔平に見せられないという判断だった。
 おそらくロイの姿は、獣そのもの。
 血が混ざる前の、原初の白狼族に近くなっているだろうと予想された。


 まずはロイの能力を確認するため、遠隔攻撃のゲイル班が初動をとることになった。
 それからは乱戦となる。
 拘束魔法を施した魔法具での拘束を試みつつ、翔平に近づこうとするロイをそれぞれが攻撃してロイを弾き返す。
 後はそれの繰り返しとなる。

 おそらくは怪我人も多数出るだろう。
 そこで、翔平は天幕の中で感知魔法を展開し全員の位置を把握しつつ、怪我をした時点でヒールを飛ばすことになった。
 かなり高度な魔法技術だが、午前中、離れた位置からで、目視しなくても感知魔法の位置だけでヒールを行使出来ることは確認していた。


「何か質問はあるか」
 レインが全員の顔を見渡す。
 全員が無言の返事をした。
「よし、では一時解散。夜に備えて休んでおけ」
「了解」
 集まった騎士達がバラバラと立ち去っていくが、ほぼ全員が俺の方へ歩いてくる。
「ショーヘーちゃん、心配すんな」
「聖女ちゃんは俺たちが守ってやるからな」
「ロイもちゃんとショーヘーちゃんに返してやるから」
「ちょーっとだけ怪我してるかもしれんけど、そこはちょちょいとショーヘーちゃんが治してやってくれ」
 おっさん達が俺に声をかけ、ぽんと肩を、腕を軽くたたき、頭を撫でて行く。
 そのいつもと変わらないおっさん達の声掛けが嬉しくて破顔する。
「俺たちの勇姿を見せられねぇのがなぁ」
「ロイよりもかっこいいって惚れ直す筈なんだが…」
「ショーヘーちゃん、激励のハグをしてくれんか」
「チューでもいいぞ」
 ワラワラと寄ってくるおっさん騎士達のセリフがどんどん微妙な方向へ向かい始める。
「ほっぺでもいいぞ。ここにブチューッてしてくれんか」
 頬を指差して、顔を寄せてくる騎士の頭をグーでアビゲイルが殴った。
「ほら、散った散った」
 しっしっとアビゲイルが手を払い、それでも俺に触れようとするおっさんにジャニスとオリヴィエが蹴りを入れる。
「全くもう、緊張感がないわねぇ」
 ジャニスがプリプリと怒る。
「でも、助かるよ。気持ちが楽になる」
 あのふざけた態度が本気でないことはすぐにわかる。
 少しでも俺を元気づけようとしているのが嬉しかった。
「甘いわね。あいつらはいつでも本気よ」
「そうよ。隙さえあればショーヘーちゃんに痴漢しようとしてるんだから」
「わかった。気を付ける」
 笑いながら俺をおっさん達から守る会の面々に言った。
「ショーヘーちゃん」
 不意にジャニスが俺の手を取る。
「ロイは大丈夫よ。絶対に」
「うん…。ありがとう」
 励ましてくれる皆に礼を言った。







 天幕に戻り、後は夜になるのを待つだけだ。
「ショーヘイさん」
 隣にいたディーが俺の手を握り、俺もその手を握り返した。
 戦闘が開始されれば、ディーも俺のそばから離れる。
 最初は俺のそばに居ようと思ったらしいが、親友であるロイを救うため、じっとしていられないらしい。それを察して、お前も行け、と俺からディーに言った。
 ディーは切なげな表情をして、しばらく俺を抱きしめて離れなかった。
 その体が小さく震えているのを感じて、ディーが落ち着くまで俺も抱きしめ返した。





 午後3時30分過ぎ、月が昇るまで1時間を切った頃、通信が入る。
「聞こえるか」
 サイファーからだった。
 ユリアと図書室に篭って白狼族と赤い月の文献を調べているはずだ。
「何かわかりましたか」
 ギルバートが聞く。
「関係があるかどうかはわからんが、ある民話を見つけた」
「民話?」
 通信を聞いていた全員が首を傾げる。
「お父様」
 ユリアがサイファーに代わる。
「残念ながら、はっきりとした情報は見つかりませんでした。
 ですが、今からお話しする民話が参考になるかもしれないと…」
「わかった。聞かせてくれ」
「わかりました」
 ユリアが民話のあらすじを説明する。





 昔、北の国に1人のヨウム飼いが居た。
 ヨウムを飼い、放牧し毛と乳を近くの村に売って生計を立てていた。
 ヨウム飼いには家族はおらず、村から離れ、1人山の中で暮らして居た。

 ある日、放牧したヨウムが1匹見つからず、ヨウム飼いは探しに出る。
 そして、逸れたヨウムを見つけるが、そのそばに倒れている手負の大きな黒い狼を見つける。
 足を怪我した狼はすでに歩くことも出来ず、その場に横たわり、死の瞬間を待つだけだった。
 それでも、ヨウム飼いの姿を見とめ、必死に威嚇し生きようとしている狼を見て、ヨウム飼いは狼を助けることにした。
 狼をヨウムの背に乗せると、自宅まで連れ帰り、手当てをし、寝ずの看病を続けた。
 3日後目覚めた狼は、傍にいるヨウム飼いを見つけると酷く混乱し、逃げようとする。だが、怪我が治療されていることを知り、すぐに落ち着く。
 ヨウム飼いは狼に言う。
「行くところがないなら、ここにいるといい。
 出て行きたくなったら、いつでもここを出ていくといい」
 優しく微笑むヨウム飼いに、狼は怪我が治るまではここにいようと思った。

 実はこの狼は近隣の村々を荒らして回る狼の群れの1人だった。
 怪我は、襲った村で逆に反撃にあって負ったものだった。
 だが、ヨウム飼いは怪我の原因や狼の事情を一才聞かなかった。

 そして、それからヨウム飼いと狼の暮らしが始まる。

 月日は流れ、一緒に住み始めて1年が経っていた。
 ヨウム飼いは、出ていけ、とは言わない。狼に何も言わず、聞かず、ただ一緒にいる。
 狼もその居心地の良さに出て行こうと考えることはしなかった。平穏で平和な暮らしが気に入っていたからだ。

 だが、村では、狼のことを良く思っていなかった。
 近隣の村々を荒らす狼の群れの1人だと、それをヨウム飼いが匿っている。村ではそう噂された。

 狼は思った。
 これ以上ここにいたらヨウム飼いに迷惑がかかると。
 なので、ヨウム飼いに出て行くと告げるが、初めてヨウム飼いが悲しそうな顔をした。
 その顔を見て、狼はヨウム飼いを愛していることに気が付いた。
 ヨウム飼いもまた、狼を愛していた。
 その事実に気づいた2人は、このままここでずっと一緒に暮らすことを誓い合う。

 だが、数日後の満月の夜、村に狼の群れが襲いかかった。
 さらに狼を連れ戻そうと、元の仲間たちがやってきて邪魔なヨウム飼いを殺してしまう。

 自分のせいで、自分がやってきたことのせいでヨウム飼いが死んだと気付いた狼は泣いた。
 泣き叫び、怒りに任せて暴れ、元の仲間達を追い返すと、ヨウム飼いの亡骸を抱えて泣き続けた。

 狼は願い続けた。
 自分はどうなってもいい。
 ヨウム飼いを助けて。
 自分の命を愛する人に。
 助けて。
 助けて。

 そして奇跡が起こる。
 創造主が狼の願いを聞き届けた。
 狼の腕の中で、ヨウム飼いが息を吹き返し、狼に優しく微笑んだ。
 その代償として、狼の体が色を失った。
 真っ黒だった体が真っ白くなり、月夜に照らされて光輝く。

 白い狼はヨウム飼いを抱きしめ、永遠の愛を告げた。





「というお話です」
 ユリアが語り終え、全員が考え込んだ。
「関係があるようでないような…なんとも微妙な話だな」
 しばらくしてから、レイブンが言う。
「とりあえず、見つかったのは、これだけでした」
 サイファーの声がする。
「この話が載っていたのは、世界各地のその土地に伝わる民話を集めたもので、今から1500年ほど前に書かれたものです。
 ですので、民話自体はそれ以前から伝えられているようですが、いつの話かは…」
 ユリアがおそらくはかなり古いお話だと言った。
「もしかして白狼族って北の方の出身ですか?」
 前に種族の本を読んだが、出身地までは詳しく見ていなかったので、聞いてみる。
「確かに、元々は北の方だったとは言われていますね。
 ロイも寒さにかなり強いですし」
 ディーに言われ、そう言えば以前そんな話をしたな、と思い出した。
 でも、共通しているのは満月と白い狼だけで、赤い月の衝動に繋がるヒントになるかと言われると、今はまだわからないと言うしかなかった。
「サイファー、ユリア、ありがとう」
「まだ時間はありますから、引き続き調査します」
 そう言って通信が切れる。

「あと少しで月が昇ります」
 キースが時間を告げる。
 午後4時20分を過ぎ、ロイに思いを馳せる。



 ロイ…。



 太陽が沈み始め、平原がオレンジ色に染まっていた。


 
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