おっさんが願うもの

猫の手

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王都編 〜赤い月〜

おっさん、移動する

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「ショーヘーは?」
「魔法で眠らせました。かなりショックを受けています…」
 王宮のレイブンの執務室に家族が揃う。
「そうか…。そうじゃろうな」
 レイブンがはぁとため息をついた。
「ワシも初めて聞いたわい。白狼族にそんな習性があるなんて」
「きっと…、白狼族の伴侶になることは死を迎えることだと、そういう噂が立つのを恐れて秘匿されてきたんでしょうね」
 サイファーが推察した。
「今、王宮の図書室にある本から、白狼族に関した文献を探させています。
 何か手掛かりがあるといいのですが…」
 ユリアが静かに言った。
「ロイの様子はどうだ」
「腹を括ったようだ…」
「そうか…。あの子らしいな」
 レイブンがはははと笑った。

 ロイが王宮に来てディーゼルの友人となってくれたおかげで、ディーゼルは完全に立ち直った。
 母親を目の前で殺されて、精神的ダメージが大きかったディーゼルは、それでも兄妹や周囲のおかげで、徐々に回復した。
 だが以前とはまるで違う子になっていた。粗暴で、自暴自棄になり、宥める大人達を冷めた目で見るようになっていた。
 そんなディーゼルに同じ年頃の友達がいれば変わるかと、令息令嬢達を集めたが、ディーゼルは見向きもしなかった。
 そんな時、ギルバートとロマが同じく親を殺されたロイを連れてきた。
 とても綺麗な子で、友人候補というより伴侶候補ではないかと思ったくらいだ。
 だが、彼もまたディーゼルと同じ闇を抱えていた。2人の闇は共鳴し合い、あっという間に距離が近付いた。
 ディーゼルの表情がみるみるうちに元に戻って行く。
 ソフィアがいた頃のように笑い、楽しそうにする姿を見て、ロイをディーゼルの伴侶にと本気で考えたものだが、その考えもすぐに消えた。

「よく2人でワシにイタズラを仕掛けたなぁ…」
 昔の事を思い出し、クックッと笑う。

 レイブンの魔導ペンに細工して爆発させたり、食事に辛い調味料を大量に含ませたり、王宮の壁という壁に、アランやユリアまで巻き込んでイタズラ書きをした。

 ディーゼルにとって、ロイは半身。
 ディーゼルはロイで、ロイはディーゼルだ。

 ロイもまたワシの息子だ。

「よし。決めた」
 レイブンがポンと膝を叩く。
「ディーゼル、まだ諦めてはいないな?」
「勿論です。絶対にロイを止めてみせる。ショーヘイさんも、ロイも絶対に死なせない」
 ディーゼルの言葉にレイブンが微笑む。
「サイファー」
 レイブンが執務机の引出しを開けると一枚の書簡を出し、それをサイファーに渡す。
 受け取ったサイファーがその中身を読み、みるみるうちに表情が変わった。
「王!これは!!」
「王位継承の命令書だ」
「な!!」
 アランとディーが驚愕し、ガタッとソファから立ち上がった。
「ワシも出るぞ。ワシも一度ロイとやり合ってみたかったんだ。
 騎士の血が騒ぐわい」
「何を言ってるんですか!そんなこと認められるわけが!」
「命令だ」
 レイブンが笑う。
「お前達。私も息子を救いたいんじゃよ。父親にいい格好させろ」
 ニカッとレイブンが笑い、サイファーが脱力してソファにもたれかかる。
「ロイは殺さん。赤い月が終わる時まで、全力でロイを押さえこむぞ」
 レイブンが両手の拳をゴンと胸元で合わせニヤリと笑った。
 その顔はもう王ではなく騎士の顔だった。





 夜が明けてパチッと目が覚める。
「よっと…」
 すっきりした目覚めに、原っぱの上で大の字に寝ていた体を起こすと、ピョンと跳ね起きる。
「思ったより元気そうじゃないか」
 翔平が張った結界の壁の向こうから、朝日に照らされて逆光になった人のシルエットが浮かびあがる。
「まぁな。状況を悲観してもしゃーねーし」
 コキコキと首を鳴らし、日頃の習慣である柔軟体操を始める。
「昨日は衝動がなかったのか? 若干月は赤かったろう?」
「ああ、少しザワザワしたかな」
「そうか」
「お前達がショーヘーを守るのか?レイン」
「ああ。そうだ。第1部隊全員でお前の相手をする」
「そうか」
 ぐっぐっと足を伸ばし、体を捻り、肩を回す。
「おいおい、俺たちと一戦交える前の準備運動か?」
 グリフィスが笑いながら言う。
「ロイ坊、手加減してくれるなよ」
「本気で相手してやるからな」
 結界の周りに、次々と部隊のおっさん騎士達が集まりだす。
「ロイ坊、ショーヘーちゃんはちゃんと俺たちが面倒みてやるからよ」
「安心して、死ね」
 ガハハと笑うおっさん達の言葉に気持ちが楽になる。
「何言ってやがる。俺は死ぬつもりはねーよ。
 まー、ちょーっと天国に足の先はお邪魔するかもしれねーけどな」
「地獄の間違いだろ」
「違いねー」
 ゲラゲラと大声で笑う。
 いつもの貶し合いのような掛け合いにレインが苦笑する。
「ロイ」
 オスカーがゴンと壁を拳で叩く。
「リミッターが外れたお前の相手は骨が折れるだろうな」
「骨が折れる程度で済みゃあいいけどな」
「言うね」
 オスカーの拳にロイがゴンと合わせる。
「ロォイィ~」
「気色悪い声出すなよ、ジャニス」
「だぁってぇ~」
 ジャニスが体をくねらせて、涙をハンカチで拭う。
「あたしに殺されるかと思うと不憫でぇ~」
「じゃぁ殺すなよw」
 ワハハと笑う。
「ロイ、ショーヘーちゃんはちゃんとあたし達がおっさん達から守ってあげるから」
 アビゲイルが微笑む。
「おっさん達からショーヘーを守る会は健在か?
 なら安心だなぁ。頼むよ」
 ロイが嬉しそうに笑った。

 第1部隊が1人1人ロイに話しかけ、挨拶をしていく。
 レインがそれを見守り、最後の1人が挨拶を終えた所で、レインが手を叩いた。
「全員、整列」
 静かに言うと、その場で全員がロイに向かって綺麗に並んだ。
「ロイ、全力でかかってこい」
 レインが優しく微笑む。
「元獣士団団長ロイに敬礼!!」
 ガッと踵を鳴らし、心臓の上を右拳で叩く。
 ロイもその敬礼に同じように返した。





 第1部隊の後、レイブンとサイファーが現れた。
「親父さんまで…。大袈裟だなぁ…」
「ロイ。ワシも参戦な」
「…はぁ!?」
 ニカッと笑う王にロイが素っ頓狂な声をあげる。
「サイファー!何してる!止めろよ!」
「もう止めたよ」
 お手上げ、とサイファーが両手を上げた。
「ロイ。ワシもお前の親のつもりなんだがなぁ。たまには親らしいことさせろ」
「……」
 ロイがポカンと口を開けたまま呆然とする。
「国は…どうすんだよ」
「ワシにはお前も含めて優秀な子供達がいる。嫁もな。しっかりとワシの、ソフィアの意思を継いでくれる。
 それにな、一度お前と真剣勝負がしたかったんじゃ」
 ガハハとレイブンが笑い、ロイが脱力する。
「…全く…どいつもこいつも…」
 はぁとため息をついて、その場に座り込み胡座をかいて、頬杖をついた。
「サイファー、みんな納得してるのか」
「納得するも何も、王命なんだよ」
 サイファーがそんなロイの前にしゃがむ。
「ロイ。お前も俺の弟だ。俺もお前を助けたい。勿論ショーヘイもだ」
 サイファーの目が細められ、じっとロイを見つめた。
「ロイ…。本能とは何か考えたことはあるか」
「…いや…」
「赤い月がもたらす衝動は、本当に生殖本能だけなのか。
 本能とは、生まれつき持っている衝動や感覚のことだ」
 サイファーがロイの奥に潜む本能そのものに語りかけるように話す。
「ショーヘイを求める衝動は、全て愛に起因している。ショーヘイを愛し、守ろうとする行動もまた本能だということを忘れるな」
「サイファー…」
 その言葉が脳内を駆け巡る。
「ありがとう…光が見えた気がする」
 ロイが嬉しそうに微笑んだ。
「抗え、本能で抗え」
 サイファーもアランと同じ言葉を言った。やっぱり兄弟だな、と笑った。





 

 ガタガタと揺れる振動に目が覚めた。
「ショーヘイさん」
 上からディーに覗き込まれる。
「ディー…」
 パチパチと瞬きして居場所を確認した。
 いつも乗っていた王家の馬車の中で、俺はディーの膝枕で眠っていたことに気付いた。
 俺の体に、コートがかけられていて、ディーの手が俺の額に触れる。
「もう、平原に向かっています」
「…そっか…」
 腕に力を入れてゆっくりと体を起こした。
「え…」
 そして目の前にギルバートと、レイブンが座っていることに驚いた。
「おはよう」
 レイブンが笑う。
「どうして…」
「ここにいるワシは王ではない。お前の護衛騎士だ」
「……は?」
 ポカンと口が開く。
「だ、駄目でしょ!なんで一国の王が!」
 思わずガバッと立ち上がり、かけられていたコートがバサリと床に落ち、馬車の揺れにバランスを崩してドサッと座り込む。
「ショーヘー、ワシはな、一国の王である前に、1人の父なのだ」
「1人の父である前に、貴方は国を治める王でしょう!」
 翔平が叫ぶ。
「ギル様!何故止めないんですか!ディーも!」
「王命には逆らえません」
 ギルバートが微笑み、ディーも諦めるように肩をすくめた。
「王命って…」
 脱力する。
「どうしてそこまで…」
「どうして?そんなの簡単だ」
 ニカッとレイブンが笑う。
「ロイもお前も救うためだ」
「ショーヘイ君、レイブンは王である前に1人の騎士なのです。
 彼は強い。それは保証します」
「そういう問題では…」
「ショーヘイさん、諦めましょう。この人は言い出したら聞かないんです。
 まるで誰かさんと一緒ですよ」
 ディーが俺の手を握る。
「みんな、ロイを、貴方を助けたい。決して殺そうとしているわけじゃないんです」
 俺の手を握るディーの力が強くなる。
「私はまだ諦めてませんよ。まだ誰も諦めていません。
 それはロイも同じです」

 諦めてない。

 その言葉に心臓が鷲掴まれる。
「ふ…」
 じわりと涙が浮かぶ。
「ロイ…」
 膝の上でギュッと両手を握り俯く。
 ポタポタとその手の甲に涙が落ちる。
「俺も…諦めない。まだ諦めない!」
 泣きながら叫んだ。

 諦めるものか。
 絶対にロイを救う。
 俺の出来ることはなんだ。
 俺が出来ること!







 夜が来る。
 太陽が沈みつつある中、昨日よりも赤い月が頭を出していた。
「第1班から4班は引き続き結界を張り続けろ。
 第5班から7班は全魔導士の前方に防御魔法壁を展開。
 第8班から11班はその場で待機し、次の結界の準備に入れ。
 いいか。始まるぞ!
 全員明日のためにロイを見ておけよ!」
 エイベルが全魔導士に聞こえるほどのデカい声で叫ぶ。
「エイベル」
 ザッザッとミネルヴァがエイベルに近付く。
「ロイは?」
「あそこだ」
 レイブンが顎でロイも場所を示す。
 2人で並んで歩き、ロイが良く見える位置まで進む。
「ショーヘイ様が最初の結界を張ったそうね」
「ああ。見事なもんだわ。
 たった1人で、ここにいる魔導士の軽く50人分くらいの結界魔法を、一瞬で張ったそうだ」
「流石ね」
「おそらく今日はその壁は越えねえだろう。まだ理性が勝つ」
「そうね」
 少し高台に上がり、上からロイを見る。
「それにしても、赤い月で錯乱する習性とはな…」
 エイベルはロイ達の関係を知らされていない。
 ただロイが赤い月で錯乱を引き起こし、暴れまくると聞いていた。それをなるべく結界で閉じ込めて周囲に被害が及ばないようにしろ、と。
「明日が本番だが、どれだけ持つか…」
「月が昇って、朝を迎えるまで約半日。被害を最小限に抑えるためにも、魔導士団には頑張ってもらわないと」
 ミネルヴァがエイベルに微笑む。
「ああ。団員にとってもいい経験になる」
「そうね」
「お前の役目は?」
「私の出番はきっと明日ね。
 ロイが結界を突破した時、魔導士達に危険が及ばないように引きつけるのと、彼がどこに向かうのか跡をつけるわ。
 今日は状況確認のために来たの」
「そうか。
 ロイとまともにやりあえるのは、お前か、騎士団第1部隊、ギル様ぐらいだからな」
「あら、貴方もでしょ?」
「バカ言え、剣を置いて何年経つと思ってんだ。
 俺なんて秒殺だよ、秒殺」
 エイベルが笑った。





 全身の毛が総毛立ち、体の表面がザワザワする。さっきから体の中から何かが這い出てくるような悪寒を感じていた。
「こりゃ…やべぇわ…」
 ゾクゾクと全身に鳥肌が立ち、フゥフゥと荒い呼吸を繰り返した。
「まだ前日で…月が完全に昇り切ってないのにこれかよ…」
 何もしていないのに、アドレナリンが脳内にじわじわと分泌されるのがわかった。
 両腕で自分を抱きしめるように押さえ込み、必死にそのアドレナリンを堪えようと蹲った。
「これが…何時間も続くのかよ…」
 ギリギリと歯を食い縛り、湧き上がる衝動を抑えた。

 やがて太陽が完全に沈み、月がその姿を現す。
「ぐううぅう…」
 今まで感じたこともない欲望が己の中を暴れ回る。
 まるで意思があるかのように体内を巡り細胞の一つ一つが侵食されていくような感覚を覚えた。
 髪も一本一本が生きているかのようにざわつき、尻尾がいつもの倍以上の大きさに膨れ上がった。
「はぁ…は…」
 閉じられない口から涎が溢れ、地面に染みを作る。

 欲しい。
 欲しい。
 欲しい。

 ショーヘーが欲しい。

 脳が翔平のことしか考えられなくなってくる。
 翔平の顔。
 いつも俺を優しく包み込んでくれる温かい眼差し。
 形のいい柔らかな唇。
 鼻、耳、顎、首筋。
 1箇所1箇所を鮮明に思い出す。
 SEXの時に見せる、上気し赤く染まる頬。潤んだ目。濡れた唇。
 それらがロイの頭の中で繰り返し思い出され、翔平がまるでそこにいるかのような錯覚を引き起こす。
「ショーヘー…」

 欲しい。
 欲しい。

 貪りたい。
 貪り尽くして、思う存分味わって。
 その快楽に歪む顔を見たい。

 食らいたい。

 月が昇り始めて数時間後、その位置がロイの真上に来た瞬間、ロイの口から獣の咆哮が放たれた。

「始まった」
 エイベルが呟く。
「各班!手を止めるな!
 ロイはまだ出て来れない!!
 結界の構築だけに集中しろ!!!」
 ロイの咆哮に恐怖を覚え、たじろぐ団員を叱咤しつつ移動し、自分も結界構築を始める。
「ロイ…耐えなさい。耐えるのよ」
 残ったミネルヴァは、衝動を抑え込みながら咆哮を上げ続けるロイを見下ろす。






「エイベルから、始まったと」
 ディーが通信用魔鉱石から連絡を受ける。
「今はまだ耐えているそうですが、咆哮をあげ続けているそうです」
「日が昇るまで7時間か…」
 レイブンが腕を組み、目を閉じる。

 昼過ぎにライブ平原に到着し、天幕を張って陣を作った。
 おそらく今日は結界を通り抜けられない。
 俺があの時張った結界魔法は、そう簡単に破れない。
 今頃ロイは、衝動を必死に抑え込み、苦しみ、叫び、苦痛に耐えている。
 俺を求める本能と、俺を守りたいという思いがせめぎ合い、戦っている。
 今日はまだ理性が勝つだろう。
 だが明日は…。


 ロイ。


 夜空に浮かぶ赤く染まりつつある月を見上げ、涙を必死に堪えた。
 遠くにいるはずのロイの声が、俺を求めるその咆哮が聞こえた気がした。








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